草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年12月18日
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          第 百十三 回 目


 自慢ではない「自慢話」を致します。現在進行形の実話ですし、学習塾の講師という

立場にある私ですので、当然に守秘義務があります、ご承知の如くに。

 ですから限られた範囲での説明とせざるを得ない。しかし、余り抽象的に過ぎては、リアリティ

が薄くなってしまう。その辺の兼ね合いが難しく、微妙なのですが、兎に角もトライして

みましょう。

 モデルの生徒は学習塾に通う必要があるくらいですから、学校の成績が芳しくない。そして、

軽度の知的障碍者とのレッテルを担任の先生から貼られている。親御さんも仕方なくその

見立てを受け入れている…。そして更に付け加えるならば、生徒本人もこうした事態を、つまり



密接に向き合っている。

そして、何と「知的障碍」など全く無いことを、短期間で、驚く程に短じかい月日で、見事

に証明しつつある。間も無く、その事実が誰の目にも明白になる日が、迫っておりますので、

その際には、又、後日談として、もう少し詳しいお話が出来ることでしょう。

 これはハッキリ言って「奇跡」でありますよ。私の力では決してありません。謙遜などでは

なく、事実として、有りの侭の真実であります。私はこの十数年のチューター体験で、似た

様なケースに度々、出合っているから、こう断言できるのです、正に。

 以前にも公立の小学校に通っていた当時四年生の、担任から「知的障害者の施設」に

入れるべきだと匙を投げられていた生徒を、そうではなく、普通に勉強できる能力の持主

である事を、ものの見事に証明して見せた、実際に。

 ある日、その生徒のお母様から学習塾に、電話が掛かって来た。「古屋先生、うちの子



耳元に聞こえる、残っている。私も、当然に嬉しかったが、その日は遅かれ、早かれ来ると

確信して居りましたから、平静でいられた。これもハッキリ申して、小さな奇跡現象で

ありますね、多分。私の「力」では無く、私を経由して「神」の力が作用したまでの事。

 私がしたことと言えば、生徒と 直に正対する こと。邪念を交えず、生徒の心に、

裸の魂に向き合う努力を、専心に行うだけ。この技は、私の特技と言えば特技でありましょう



であります、身に着いたのはこれだけ。

 一般化して表現すれば、人は皆等しく「幸福」になる資格と、能力を授けられている。

「充実」した人生が「保証」されてもいる。

 一体全体、誰によって、何者によって そう なつているのか?ここでは取り敢えず、

天によってと、申し上げて置きましょうか…。

 人によっては神、仏、絶対者などと呼んだ方が、より理解が得られ易いかも知れませんが。

 それでは何故に、世の中には不幸なる者、病める者、天災・人災などの災害に遇う者、

虐めに遭って自ら死を選択せざるを得ない者、その他諸々の諸悪を抱え込んでいる者、

諸悪を抱え込まされている者、戦争やテロ行為を仕掛ける者、戦争などのテロ行為を仕掛け

られる者、等々の幸福ならざる人々が多数存在するのか?又、不幸な人々が大勢、次から

次へと生まれ出て来るのか…。

 これは地球上に人類が誕生した時から、今日を経由して、未来永劫に亘って継起し続け

るであろうことは、容易に想像がつくことですが。

 この設問は余りにも大き過ぎて、私の如き者には到底手に負えない、大大、の大問題で

ありますから、天のみぞ知る。とか何とか言って、逃げておくのが賢明というものでしょうが、

私は愚直一筋の大馬鹿者ですので、現時点での最良と思われる、常識的な「模範解答」を

披露しておきたいと、思います、私自身の為にも。

 少し前に、未来永劫と言う表現を使いましたが、人類には未来も、永劫も実は無いのであり

ます、この我々が生み出された地球という惑星を含む、大宇宙的な時間感覚からすれば…。

 その大宇宙的な立場から立言すれば、私たちの母なる地球を生み出した恒星の太陽は、

早晩大爆発を起こして消滅する。従って、地球そのものも、その前に存在しなくなる。で、

その地球に生存する一生物であるにしか過ぎない、我々人間は、その前に死滅する。

 人類は英知を発揮して、新型のロケットの様な乗り物を発明し、別の宇宙世界に逃亡して、

繁栄を続ける。その様な幼稚極まりない発想は、全く通用しないのであります。

 所で、何故に幸福が保証されている人類の中に、不幸なる人々が大勢生まれ出て、その

悪しき事態が継続し続けるのか。回答は、至極簡単にして明瞭です。私たちの思慮が余りにも

小さいから。或いは、私たちの住む世界は実に複雑に様々な要素が入り混じっている。だから

人間の浅知恵では理解が及ばない、から。そう答えるのが、一番正しいのですが、別言すれば、

人間ばかりでは無い。命あるものは、微生物から動植物に至るまで、生命を、一瞬の生の輝き

を謳歌する。そう、生命とは一回限りで、実に儚く、短命に出来ている。いや、その様な

「か細く、ひ弱な」存在だから、愛おしく、哀切で、限りも無く大切にして、大事な物として

我々「生」の中に生かされて在る者に、感じられるのでありますよ、実のところ。

 「神の目」から見れば、全ては有るべくして在るのですから、全ての事象は全肯定されて

然るべきなのであります。ただ、個々人の立場に立てば、その当然の首肯が、難しい。納得

し難い。それだけの事なのですが、凡夫である私たちには、それが不可能と思える程に、

至難なのでありました。井の中の蛙、いずくんぞ大海を知らんや。凡人たる個人に、神の

目など持てるわけが無い、無理過ぎる注文というもの。

 それは一応そうだと言わざるを得ないのですが、昔の人の生き方を眺めていると、必ずしも

そうではないことが分かりますので、次回には、妙好人(みょうこうにん)に就いて書いて

見たいと思います。





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最終更新日  2016年12月18日 15時40分46秒
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