草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年07月17日
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第 三百二十三 回 目


 私の俳優論の九回目。そろそろ核心部分に入る時期が来たようですので、一番難しくて肝腎要の

台本に就いて話を進めましょう。取り敢えずは、これまでの劇・演劇・ドラマ・お芝居などとこれから

私たちが本格的に目指そうとしているそれとが、何処がどう違っていて、どの部分が同じなのか、大体で

はあっても御理解が成立したと思うからです。そして、分からないお人には当分はお解り頂けないと感じ

るからでありますよ。それと、何よりも私・草加の爺自身の為になるからでありましたね、実際の話が。

 さて、パスタイムや単なる娯楽・気軽なエンターテインメントと違い、正式な医者の臨床での治療

行為以上に大切で、より日常的な私たちの生活に密接に係わりのある「心理的なストレスや魂の疲れ」

に対して意図的・意識的に働き掛けて、カタルシス・心の完全清掃を齎す理想的なセリフ劇の 在るべき



出来るだけ平易に解説してみたいと思います故、どうぞ御協力の程を宜しくお願い申し上げます、何度

でも、衷心より、平に…。

 先ず最初の大切な第一歩が音読の励行です。私はこの音読にこれ以降に発展させる重要な要素の全てが

あると考えていますし、事実そうなるだろうと確信もしております。音読とは文字通りに文章を声に

出して朗々と読み上げる行為です。この直ぐ次に続く読み聞かせの土台でもある。

 どのような作品を、どの様に読み上げたらよいのか。簡単です、やや大きめに声をだして、素直に

自分の普段着の調子で読めば宜しい。何も特別なことは必要ではありません。只管に音読の行為自体に

慣れ(馴れ、熟れ)親しむこと。その一事に尽きる。何時からでも、何処ででもできる。その気になりさ

えすればの話ですが。普通に考えられる、立て板に水的な流暢さを目指す必要はさらさらない。むしろ

稚拙ではあっても心の籠った、内面の温かさが直に感じられる調子を狙って欲しい。それも自分自身との

対話を深めるプロセスが非常に重要なのですが、これも実地の体験の中で体得するしかない、人間と



 作品は何を選んだらよいか。何でもよいのですが、出来れば自分で音読して楽しいものを選択する

方が長続きするでしょうから。長く続けなくては何んにもなりませんでしょう。継続こそは力なので

ありますよ、実際。音読を継続して励行すれば、それだけで既に功徳が顕著に現れる。効果は覿面です。

第一に楽しいし、健康に非常に良い。気分が晴れ晴れする。これだけでも十分に音読に力を入れる価値が

あるではありませんか。しかも、それだけではないのですからね。その気さえ奮い起こせば、家族や



り、明るくなったりすれば、他ならない音読から読み聞かせへとステージを上げた人自身が、喜びで

包まれる。励みが出る。弾みがつく…。そうなれば後は苦も無く更なるステージにと、健康さを増した

心が、体がおのずから前進を期待するようになる。そうなればもう占めたもので、何等の苦労も努力も

必要でなくなる。とまあ、こういった正のスパイラルが自然に生まれ出るのであります。

 こうした事柄を私・草加の爺は一体全体、何から、どの様にして学び得たのか? 自分自身での

学び・学習の体験から始まり、今現在も継続して続けている子供や若者への「学習アドバイス」の過程で

自然に身に附けたものであります。当然に今日に至るまでには様々な数えきれない程の試行錯誤がありま

した。悪しき体験が、善き経験への絶好のチャンスを疎外している。

 例外が無いと言ってよい程に、教師や親たちの闇雲な学習への使嗾が、子供たちの健全な学習意欲を

妨害している、疎外していると言って間違いない。私・草加の爺の過去の経験から見ても、教え子の

生徒たちの学習の在り方から見ても、全く同じ事が言えるし、仮に例外があったにしても今の場合には

除外しても問題はないでしょう。

 要するに、悪い生活習慣がついてしまっているので、ごく自然で、健全な生活の習慣が育たない。育ち

難い環境が目には見えない形で、前途を塞いでしまっている。その状況を冷静に、客観的に俯瞰しさえ

すれば誰でもが容易に事情を呑み込むことが可能なのですが、諸事情が、そして既成の悪しき習慣ばかり

が幅を利かす結果に終わっている。そして、自ずからに負の、不健全なスパイラルに落ち込んでしまう。

現状はおおまかに、その様に分析して、ほぼ間違いがないのでありますね。

 さて、セリフ劇の台本の話です。人の心の琴線に触れる名作という事ですが、私たちがこれから目指し

ているのは単なる理論上の理窟やテクニックを云々するだけで済む気楽な、余裕を楽しんでいるだけの

場合ではなく、実践してそれが結果として覿面な効果や成果を出すものでないと、意味がない。無意味

でしかない。つまり、理想ばかりを追求していては達成は覚束ない。即実践、即成果、という最高に

厳しい条件が課せられているのですから、或る程度の妥協と言うか、本質ではない要素も少なくとも最初

の段階では止むを得ない。止むを得ない処置として、所謂不必要な要素をも積極的に取り入れる賢明さが

要求されますよ。つまり、文句なく理屈抜きで面白い新しい娯楽としての立場を確立するのが、焦眉の

急でありましょう。

 此処で私は現在一世を風靡しているかに見える「ナンセンスコント」に変えて、旧時代の「人情寸劇」

を推奨したいと考えるものであります。人の情というものは何時の時代でも変わりません。変わると見え

ているのはほんの上辺の事にしか過ぎない。しかも更に言えば、この極めて俗な人の喜怒哀楽の感情こそ

が毎日の日常生活で、謂わば「フラストレーション」を起こして知らず知らずの裡に私たちの心に「

有害なガス」を撒き散らしては、精神衛生に多大な害毒を目に見えない形で与えている、張本人なのです

から、まんざら最初から節を曲げて世俗に妥協するばかりとも、言うに当たらない返し技・奥の手・秘

術だったのであります。正直に申し上げて、私はこの事に考えが及んだ際に「出来る」との、確信を掴む

ことが出来た、本当ですよ、安心が行った訣。

 端的に言って、手っ取り早く分かりやすい「セリフ劇向きの新スター」を誕生させようと、商売上の

戦略から借用しようという太い魂胆があった。何しろ勝てば官軍であり、負けてしまえば賊軍呼ばわり

されてしまうのが、この世の悲しい現実であり、処世の冷徹な掟なのでありますから。どの様な綺麗亊

の理想を説いた所で、実践で破たんを来たしてしまったのでは、身も蓋もないことになってしまいますの

でね。

 これは私・草加の爺が既に幾通りかの試作品をものしているババ物であります。自分の粗雑な粗悪台本

を元にして偉そうにあれこれと論(あげつら)うのは、先人たちの最も忌み嫌う所でありますが、今の

場合では止むを得ない緊急の処置と、平に御容赦をお願い致しておきます。

 さて、このババ物の台本ですが、誰が演じてもほどほどに面白く、一定の効果が保証されている。勿論

ですが名優が演じた暁にはストレス発散・解消に抜群の効果を発揮することは、間違いない、太鼓判で

あります。そればかりではありませんで、名優どころか、大根役者が演じた方が却って見方によっては、

魅力が増す。従って、カタルシスも容易になるという、おまけまでついている御丁寧さ。

 何故にお前さんはそんな自信たっぷりな、偉そうなことばかり言えるんだい。そういう至極ご尤もな

お声が例によって例の如く、何処からともなく聞こえてきましたよ。お答えいたしましょう。私・草加の

爺は大昔の「松竹新喜劇」の藤山寛美が演じたところの「馬鹿ガキもの」を頭に描いているからなのであ

ります。藤山寛美などと言っても、現在ではほとんどの人が御存知ではないでしょうが、役者バカの典型

のような破天荒なお人柄で、私の子供時代に、テレビの初期段階の頃でしたから、当然にモノクロ、白黒

の画面でしたが舞台中継がありました。愚かな子供が賢がっている大人共をけちょんけちょんに遣り込め

ると言う、ワンパターンの内容でしたがこれが無類に面白く、魅力に溢れるものでありました。

 寛美さんは天才肌でしたが、今の私から見れば半面で「嫌味」の多い演技に終始していました。何も

稀代の名優を腐そうと言うのではありません。今回のセリフ劇ではこの種の名優は謂わば「お呼びでは

御座いません」ので、後味さっぱり、清涼感の残る「大いなる大根」の役者が切に望まれている。そのこ

とを強調したかったのに過ぎません。どうぞ、寛美さん、その周辺の関係者の御方、どうぞ気を悪くしな

いでおいてくださいな。

 さてさて、台本の基本を誰にでも分かりやすく、図式化して説明します。劇的とかドラマティックと表

現する場合の劇とかドラマの本質とは、そもそも何なのか? 物理的な比喩で言えば高低差に譬えるのが

分かりやすいでしょう。つまり、高い所から低い所までの落差が大きい程、劇的だし、ドラマティックだ

と形容できる。つまりは、人生の最高の高みにあった人間が、急転直下地獄の底に転落する。実例を

上げれば、シェークスピアのリア王ですね。人間として最高の王位に就いていたリアが、己の愚かさの

故に単なる裸の二足獣にしか過ぎない人間のなかでも、最も哀れな狂人になってしまう。

 勿論、沙翁の天才を以ってしてもその生涯にこの最高傑作はたったの一つしか生み出し得なかった。

単なる机上の力学的計算だけでは、勝れた台本は生まれよう筈もない事。

 もうひとつ、取って置きの偉大なる最高傑作を御披露して置きましょうか。日本の古典の中でも

最高傑作と世評の高い、しかしきちんと正当に評価されることの皆無に近い歌物語「源氏物語」でありま

す。まさに宝の持ち腐れとは、このことを指すのかと思うほどの、奇異な運命がこの作品には誕生の

瞬間から、付き纏っていた。きちんと読みもしない者達が寄ってたかって貴重な作品に難癖をつけた

挙句に、作者の紫式部はこの作品を創作した罪で地獄に堕ちたと、これ以上はない無法狼藉をほしいまま

にしている、いわくつきのもの。

 本居宣長の「もののあわれ論」は源氏を理解し得た最高峰でありますが、私の源氏解釈はその上を行く

ものと、密かに己惚れる程に源氏の世界に傾倒している私・草加の爺は、次の如くに作者のテーマを

把握しております。人類史上で血筋から言っても、人間性の上からも、そして現実にこの世の最高権力者

の地位に就いた理想の男性が、実はその勝れた人間性のゆえに、人類切っての心の地獄に堕して、孤独と

苦しみとの最悪の悲哀をなめ尽くして、この世を淋しく哀れに去って行った。この様な、俄かには信じ難

い人間の一生がつぶさに、リアルな描写で描かれているのですから、本当に驚嘆の一語に尽きるのです。

人類の奇跡、神業としか称する言葉がない。図式化するにしても、これ以上の人間ドラマは少なくとも

人間技では不可能であります。想像を絶している。騙されたと思って原文を熟読玩味して欲しい。特に

若い世代の方々には、是が非でも、どうぞ。





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最終更新日  2018年07月17日 19時03分51秒
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