草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2018年12月03日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
第 三百八十八 回 目


 平家物語の続きで、順不同で私の気儘で選択しています。

         [ 有 王 ( ありわう )]

 ―― 俊寛の召使に有王という者があって、俊寛に会うために鬼界ヶ島に下った。有王は島に着

いてぼろ着て心身ともに衰え果てた俊寛をやっと探すことが出来た。人間の報いにも色々あるが、

俊寛のはこの世で犯した罪が直ちに、報いられたものであったろう。


 さるほどに、鬼界ヶ嶋へ三人ながされたりし流人(るにん)、二人(ににん)はめしかへされて

都へのぼりぬ。俊寛僧都一人(いちにん)、うかりし嶋の嶋守(しまもり)になりにけるこそ

うたてけれ。僧都のおさなうより不便(ふびん)にして、めしつかはれける童あり。名をば有王



て見けれども、わがしうはみえ給はず。いかにと問へば、「それはなを罪ふかしとて、嶋にのこ

され給ひぬ」と聞いて、心憂しなンどもおろかなり。常は六波羅邊(へん)にたたずみありいて

聞きけれども、赦免あるべしとも聞きいださず。僧都の御むすめの忍びておはしける所へまいッて

、「この瀬にも漏れさせ給ひて、御(おん)のぼりも候はず。いかにもして彼の嶋へわたッて、御

行方を尋ねまいらせむとこそ思ひなッて候へ。御ふみ給はらん」と申しければ、泣く泣くかいて

たうだりけり。いとまをこふとも、よもゆるさじとて、父にも母にもしらせず、もろこし船のとも

づなは、卯月皐月に解くなれば、夏衣たつを遅くや思ひけむ、やよひの末に都を出(いで)て、

多くの浪路を凌ぎ過ぎ、薩摩潟(さつまがた)へぞ下りける。薩摩より彼の嶋へわたる船津(ふな

つ)にて、人あやしみ、きたる物を剥ぎとりなンどしけれ共、すこしも後悔せず。姫御前(ひめ

ごンぜん)の御文(おんふみ)ばかりぞ人に見せじとて、元結(もとゆひ)の中に隠したりける。

さて商人(あきんど)船にのッて、件の嶋へわたッてみるに、都にてかすかにつたへ聞きしは事の



とば)も聞きしらず。もしか様(やう)の者共の中に、わが主(しう)の行方や知りたるものやあ

らんと、「物もうさう」どいへば、「何事」とこたふ。「是に都よりながされ給ひし、法勝寺(

ほつしやうじ)執行御房(しゆぎやうごばう)と申す人の御行方やしりたる」と問ふに、法勝寺と

も、執行とも知ッたらばこそ返事もせめ。頸をふッて知らずといふ。その中にある者が心得(ここ

ろえ)て、「いさとよ、さ様(やう)の人は三人是に有りしが、二人はめしかへされて都にのぼり



る。山のかたのおぼつかなさに、はるかに分け入り、峯によぢ、谷に下れども、白雲跡を埋んで、

ゆ來の道もさだかならず。青嵐夢を破って、その面影もみえざりけり。山にて遂に尋ねもあはず。

海の邊(ほとり)について尋ぬるに、沙頭(さとう)に印(いん)を刻む鷗(かもめ)、澳(お

き)の白洲にすだく濱千鳥の外は、跡とふ物もなかりけり。

 ある朝(あした)、いその方よりかげろふなンどのやうにやせおとろへたる者よろぼひ出(い

で)きたり。もとは法師にて有りけると覚えて、髪は空さまへおひあがり、よろづの藻くづとりつ

ゐて、をどろをいただいたるが如し。つぎ目あらはれて皮ゆたひ、身に着たる物は絹布のわきも見

えず。片手にはあらめをひろいもち、片手には網うどに魚(うほ)をもらふてもち、歩(あゆ)む

やふにはしけれ共、はかもゆかず、よろよろとして出(いで)きたり。「都にて多くの乞丐人(こ

つがいにん)みしか共、かかる者をばいまだみず。「諸阿修羅等居在大海辺(しょあしゅらとうこ

ざいだいかいへん、諸阿修羅は大海の辺に居在するという意味)」とて、修羅の三悪四趣(さんあ

くししゅ)は深山大海(しんざんだいかい)のほとりにありと、佛の解きをき給ひたれば、しら

ず、われ餓鬼道(がきだう)に尋ね來たるか」と思ふ程に、かれも是も次第にあゆみちかづく。

もしか様のものも、しう(主)の御ゆくえ知りたる事やあらんと、「物もうさう」どいへば、「何

ごと」とこたふ。「是は都よりながされ給ひし、法勝寺執行御房と申す人の、御行(おんゆく)え

や知りたる」と問ふに、童は見忘れたれ共、僧都は何とてか忘るべきなれば、「是こそそよ」と

いひもあへず、手にもてる物をなげ捨て、すなごの上にたふれふす。さてこそわがしうの行方も

しりてンげれ。やがてきえ入り給ふを、ひざの上にかきのせ奉り、「有王がまいッて候。多くの

浪ぢをしのいで、是まで尋ねまいりたるかひもなく、いかにやがてうき目をば見せさせ給ふぞ」と

泣く泣く申しければ、ややあッて、すこし人心地(ごこち)出(いで)き、たすけおこされて、「

誠に汝が是まで尋ね來たる心ざしの程こそ神妙(しんべう)なれ。明けても暮れても、都の事のみ

思ひ居たれば、戀しき者共が面かげは、夢にみるおりもあり、まぼろしにたつ時もあり、身もいた

くつかれよはッて後は、夢もうつつもおもひわかず。されば汝が來たるも、ただ夢とのみこそおぼ

ゆれ。もし此事の夢ならば、さめての後はいかがせん」。有王「うつつにて候也。此御ありさまに

て、今まで御命ののびさせ給ひて候こそ、不思議に覚え候へ」と申せば、「さればこそ、去年(

こぞ)少将や判官(はんぐはん)入道に捨てられて後(のち)のたよりなさ、心の内をばただおし

はかるべし。その瀬に身をなげむとせしを、よしなき少将の「今一度都の音づれをもまてよかし」

なンど、なぐさめ置きしを、をろかにもしやとたのみつつ、ながらへんとはせしか共、此の嶋には

人のくい物たえてなき所なれば、身に力のありし程は、山にのぼッて湯黄(いわう)と云う物を

ほり、九國(こく)よりかよふ商人(あきびと)にあひ、くい物にかへなンどせしか共、日にそへ

てよはりゆけば、いまはその態(わざ)もせず。かやうに日ののどかなる時は、磯(いそ)に出(

いで)て網人(あみうど)に釣人(つりうど)に、手をすりひざをかがめて、魚(うほ)をもら

い、鹽干(しほひ)のときは貝をひろひ、あらめをとり、磯の苔(こけ)に露の命をかけてこそ、

けふまでもながらへたれ。さらでは浮世を渡るよすがをば、いかにしつらんとか思ふらむ。爰にて

何事もいはばやとおもへ共、いざわが家へ」とのたまへば、この御ありさまにても家をもち給へる

ふしぎさよと思ひて行くほどに、松の一むらある中に、寄り竹を柱にして、葦をゆひ、桁梁(け

たはり)にわたし、上にもしたにも松の葉をひしと取りかけたり。雨風たまるべうもなし。昔は

法勝寺の寺務職にて、八十餘ケ所の庄務(しやうむ)をつかさどられしかば、棟門(むねかど)

平門(ひらかど)の内に、四五百人の所從眷属(しよじうけんぞく)に圍饒(ゐねう)せられて

こそおはせしか。まのあたりかかるうきめを見給ひけるこそふしぎなれ。業(ごう)に様々あり。

順現・順生・順後業(じゅんごごう)といへり。僧都一期(いちご)の間、身にもちゐる處、大

伽藍の寺物佛物(じもつぶつもつ)にあらずと云う事なし。さばかりの信施無慙(しんぜむざん)

の罪によッて、今生(こんじやう)に感ぜられけりとぞみえたりける。

  ―― (この後の粗筋) 有王は陰謀発覚後の俊寛一家の悲惨な有様を語り、たった一人生き

残っている娘からの手紙を見せた。以後俊寛は食を断ち念仏を唱えて死に、有王は遺骨を持って帰

京した。かように人々の遺恨や悲歎の積もった平家の行く末こそ恐ろしいものである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018年12月03日 13時34分38秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: