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2019年09月25日
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「マタイ伝」には様々な比喩表現が見られるが、私にとって一番強く印象に残るのが、野の百合とソロモ

ン王のそれである。

 栄華を極めた、かのソロモン王でさえ、野の百合程に豪華な装いを身に纏ったことはなかった、とあ

る。

 ソロモン王とは、旧約聖書の「列王記」に登場する古代イスラエルの第3代の王で、古代イスラエルの

最盛期を築いたとされる。

 野に咲いて、儚く枯れていく百合の花。その命は実に儚く、頼りない存在である。人間の中でも最高の

権力を握り、栄華の極みを尽くしたその王が、その贅美を最高度に発揮した豪華な衣装も、野の百合の自

然に纏っている美しい装いには、とても及ばない。そうイエスは事も無げに言ってのける。



 それで思い出したのであるが、花屋さんなどで売っている、人工栽培された花のことである。自宅の

近くに市役所があるせいか、比較的、道路脇などに花壇が整備されていて、色とりどりの小さな草木

が植えられおり、道行く人たちの目を楽しませてくれている。

 ごく最近のことだが、何気なく目を遣った花壇の花が、何かけばけばしく感じられた。しかも、私たち

可愛くて、綺麗でしょ。そんな風に、この花たちが語りかけている様に感じた。いかにも、型どおりに

可憐で美しいのを絵に描いたようで、私は何故か嫌な気がして、思わず知らず顔を背けたくなった。

やはり野に置けすみれ草かと、その時に私の脳裏をかすめたものだ。

 私などは年齢のせいか、初心だったり、純真だったりではいられずに、気がつかないうちに擦れっ枯ら

しの大人の一人になってしまった為なのか、こういう現象を体験するのかも知れない。そんな風にも

自戒されるが、やはり、自然、つまり神の御心のままに無心に咲き育っている、雑草の付ける花々が

無条件に素晴らしいと感じてしまう。断じて、臍曲がりで言うのではない。



が、多いのであるまいか。





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最終更新日  2019年09月25日 17時28分14秒
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