草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年06月13日
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時に一間の内から、戸をほとほとと音を立てる。

 すは首尾よしと身を固め、急き昇る(焦る心、のぼせ上がる心)、気を押し静め、押し静めて長

刀を取り延べ、障子越しにぐっと通して一えぐり、手ごたえしてぞ突いてげり。

 姫はがたがた震えながら、大音を張り上げて、五位の介諸岩はおわせぬか。兵藤太宗崗を妹のさ

よ姫が仕留めたぞ。折り合えやと言う声に、家内(けない)騒いで駆け集まる。

 加勢は門を蹴破って何事であるかと大勢が一時に入り込んだ。

 諸岩は急いで飛んで入り、障子をさっと引き開ければ、尼公は娘の長刀に心もと(むなもと、胸

の辺り)を刺し通されて半死半生、朱にそみて今を最後の断末魔の苦しみ。

 姫もあっと消え入って前後の分かちもないのだった。母は弱った気を取り直して、騒ぎ賜うな



 なう、諸岩殿、とっくに名乗り給わば、どうして兄の兵藤太が王子に頼まれ申そうか。それとは

知らずに組せし故に、王子方の兄の首、討って見せれば妹と夫婦の縁を結ぼうとの、義理に詰まっ

た御難題、至極の上の至極なれども、たとえ妹が討つにもせよ、兄も我が子、妹も我が子、右の手

か左の手か、いづれに愚かがあるべきか。兄の命も助けたいし、妹の望みも叶えたく、このように

巧み申したのだ。世に数ならぬ尼の身でたとえ病で死んだとて子に譲る物あらばこそ、せめて一つ

のわが命、二人の子供に引き分けて譲ると思って死ぬ身が、生きたかろうか命が惜しかろうか。あ

いたてなし(無分別。道理にはずれている)とも、狂気とも笑うならば笑え。言うならば言え。子故

に恥は替えられない。息の通うそのうちに夫婦のしるしを見せて給(た)も。

 それを冥途の血脈(法門相承の略系譜を記した書き物)とも引導とも、回向とも思って成仏致さ

んから有無の返事を聞かせてたべ。さりとては心強やと消え入り、消え入り泣き給えば、家内(け

ない)の人々や五位の介、やたけ心(心の勇猛な)の武士(もののふ)も親子の心を思いやって袖を絞



 姫は分かちも無い(分別がつかない)中で、さてもさても味気なや、この御心を知っていたならば

夫婦の縁も切ったものを。誠や、親の恩を送るには生々世々(症状せせ)のその間、身を焼き骨を砕

いても報じ難い親の恩、送りもしようものを、現在は母を手にかけてしまった。後の冥加(運命)は

どうであろうか。この身の上の御芳志に今一度命を長らえて下され母上と、帰らぬ事の悔やみ泣

き。見るに哀れは勝るのだ。



未開の島に住む蛮人)も山がつ(山中に住む賤しい者)も物の哀れは知るぞかし。

 武士(もののふ)なれど都人、少しは心も弱れかしと歎くのを見れば諸岩も、脆くも砕ける決意で

後から後から落ちる涙を止め兼ねて、これこれ、母御、今よりは姫は我が妻であり、我は彼女の

夫である。心安く成仏あれと、高らかに呼ばわれば、母は悦んで手を合わせ、その一言を聞きたか

った。これでこの世の思いは晴れましたぞ。やれ、さよ姫、兄は兄、御身は御身、敵と敵との縁組

であるから必ず心恥ずかしき事ぞ。

 兄弟の因みだとて決して二心を持ってはいけない。哀れみてたべ、諸岩殿、宮仕えせよさよ姫。

もう思い置く事とてなし、長刀を抜いて苦痛を止めよ。殺して下されよ。と、観念して息を止めた

両の目にも名残の涙を止めきれずに、兵藤太は走り出て、いまわの母に抱き付き、我らが命を助け

ん為に御命を捨てられた御慈悲の有難さよ。

 某が王子に組したのも世に出でて母上の御喜びを見ん為、その母を失い、妹と敵対して、何を勇

みに軍をしようか。去りながら、死しては母の情に背く、また長らえては悪王子に契約を変じて武

士が立たない。思い切ったり、見切ったり、弓切り折って武道を捨て、入道法師の身になって母の

恩を報じよう。

 その時は加勢の人々、入道の首を取って王子に見せて恨みを晴らし、王子の下知に従って親王と

合戦して分捕り(敵を討って、その武器や甲冑を奪うこと)生け捕り高名して頼まれし悪王子の本

意をも遂げてたべ。五位の介は親王の御味方を駆り集めて粉骨尽くして(できる限り働いて)一軍・

いちぐんに(ひと軍・いくさ)敵を滅ぼし親王の御運を開き給うべし。

 両方勝負は運次第、兵藤太の発心の一句の戒文(戒律を書いた条文)はこれであると、太刀をひん

抜いて髻(もとどり)をふっと切って投げ出した。悟り切ったる眼(まなこ)にも弱った母の顔を見て

わっと叫んで臥しまろび、人目も弁えずに嘆いたのは、悪に強いのは善の種と(大悪人は大悪がも

ととなって善に進む)と、理(ことわり)過ぎて哀れである。

 木石ではない加勢の武士、下郎の士卒に至るまで鎧(よろい)の袖を絞りながら、かかる哀れを見

捨てるのも弓矢を取る身の本意ではない。皆、親王の御味方ぞと弓を伏せて諸岩に服したのだ。

 母は引き取る息ながらに悦ばし、嬉しやな、生き甲斐もないこの尼が命一つを捨てたので、十善

天子(前世で十善を行った果報で天子の位についたとする)の御為と成りけることも子孫のため、

去りながら何時までも名残惜しい子供であると、言う声もはや消えぎえと、惜しむべし、惜しめど

もその甲斐は更になく、七十や八十に近い老いの坂、麓の霜ぞと消えにける。

 無常は世上の習いにて、歎きて歎く道ならず(嘆いていてよい道理ではない)と各々が諫め合い、

親王を奥の清よめた部屋にお連れする、そのお供が鎧の袖を連ねるのも、親子が誠の心からで家に

かかやく緋おどしや誉は朽ちぬ黄金ざね、名を卯の花に伏す、それではないが藤縄目、白糸おどし

しらしらと東雲(しののめ)急ぐ小桜のおどし、その小桜の盛りが頼もしいのだ。

           第  三

 三因仏性(即ち、正因、了因、縁因の三仏性の中では縁因仏性が殊に計り知れずに尊い。正因仏

性は諸法実相の理体、了因仏性は実相を悟る智慧、縁因仏性は智慧を満足させる善根・功徳。三因

仏性を備えてはじめて成仏出来るとする)の中では縁因が特別に測り無く貴い。

 仏の縁は何時とはなくこの日の本に広まって、次第に袈裟衣を纏う者が多くなって、播磨潟、法

の威光も高く、高砂の尾上の松の下宿り、石上樹下(石の上や木の下で坐臥して仏道修行をするべ

きとの戒め)の戒めだと心を止めないで修行をした兵藤太入道の発起心こそは床しいのだった。

 世にほだされない(捉われない)信力が仏意にや適ったのか、不思議の瑞夢を感じてこの海の底か

ら希代の釣り鐘が波に打たれて顕れたのを、枠を入れて縄をつけ、さして来る潮(しお)の時を待っ

て波の間に間に引き上げれば、およそ七十五日で浪打際まで上げたのではあるが、それよりこなた

へは潮(うしお)の力を離れるので一人自力では叶い難くて、往来の人に勧進して、再び日本の宝に

しようと思い立った大道念こそは殊勝であるよ。

 かくとは知らないで五位の介諸岩は、四国の武士を語らわんと、親王もさよ姫も、賤しの童(わ

っぱ)や女の童(わらわ)の里通いを装って、降りみ降らずみ、濡れみ乾きみ、隙のない袖をしばし

とて晴れ間に松の下陰に立ち寄り給えば、藤太入道が見参らせて、やあ、これは我が君ですか、五

位殿か、妹か。兄上様か、珍しや。是は、是はと、ばかりなのだ。

 親王が御覧なされて、邪法盛んなる世の中で、信心深い大道心、頼もしさよとの給えば、入道も

涙を流し、愚僧の母こそは善知識であり、仏である。

 これ、この鐘を御覧候え、不思議の瑞夢によって此処まで引き上げましたが、これ以上は潮(し

お)の差し引きがないので一力に叶い難いので、諸旦(諸旦那、僧に施しをする人達)を勧め候が、

母が死んで見せなければ、発心は致さなかったし、発心しなければこのような奇特は見申さなかっ

た。広大無辺の親の恩、何時の日にかは報じ申さんと涙を流して語ったのだ。

 妹のさよ姫は又思い出す憂き涙。月日が経つほどに身に沁みるのだ。

 親王は釣り鐘の銘を御覧なされて手を打って礼拝なされた。あら、尊い、この鐘は先帝の御時に

経論・仏像を諸共に異朝から渡されたのを、筑紫の海に捨てられた天竺祇園精舎の鐘であるよ。こ

の鐘の濫觴(らんしょう、始め)は龍宮の紫金(しこん、美しい金)を取って世尊が火坑三昧(火の穴

の中で仏道に思いを潜めること)のたたら(大きなふいごう)を以て鋳立てなされた鐘の声。この響

きには九十五種の外道も通力を失って地に落ちたとの縁起である。

 一度筑紫の海に捨てたものが再び涌出し給うことは丸の運が開き始める時が近づいたのだ。普賢

力(人間以上の力、普賢菩薩の力)を凝らして引き上げ、再興させよとの給えば、入道は、さよ姫も

諸岩も、地にひれ伏して礼拝した。

 かかる所に筑紫大名と思しくて、先を払ってやって来た。

 入道の下部が袖を控えて、何方様で御座いましょうかと問いかけた所が、これは豊後の国眞野

(まの)の長者殿だ。御息女の玉世姫が御在京の折に、上方で騒動が勃発とのこと、御迎えの為に御

上京なされたが姫君は恙無く御帰りとの由を告げ来たったので、長者殿にもこれより御帰りである

と語る間に、先供えの馬・引き馬・乗り換え用の馬・御葛籠(つづら)馬などに、七つ道具(行列に

つき物の七種の道具。槍・長刀・台笠・立て傘・馬印・大鳥毛など)を揃えているのは実に美々し

い見物である。

 入道は臆せずに行列の前に立ち、そもそも野錫(やしゃく、愚僧、僧の自称。謙辞)はこの尾上

の松の下陰に一夏(いちげ、陰暦の四月十五日から七月十五日までの僧の修業期間)を送る道心

(十三歳、又は十五歳以上で、仏門に入った者)であるが、ある夜此処の海底に涅槃経の四偈句(

諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅爲楽)、梵鐘の声にはこの偈文の響きがあると言う、有難い

霊夢を感じて、果たしてこの釣り鐘を発見した。

 これは天竺祇園精舎の寶鯨(ほうげい、尊い鐘)であり、今はこの三界に並びもなく、波の立ち

居に任せ、此処まで引き寄せて侍りしが貧僧の力には及ばず、願うらくは多少を論ぜずに、扶助の

思いを励まし給え。仏説に誤りが無ければ現世では増益壽命(ぞうやくじゅみょう、寿命を増し)一

紙変じて衆寶の荘厳となり、半銭は却って紫磨(しま)、金色の光明と顕れて未来の成仏疑うべから

ず。

 長者は乗り物から飛んでおり、奇妙の寶を拝みなされて、先年我らが本国の海に捨て其の所を鐘

の岬と申すぞや。早々に引き上げ、この所に鐘楼を建て、尾上の鐘と名付け奉らん。

 幸い、国元に豊国国司とて学業が目出度い唐僧がいる。供養の導師としてお頼み申そう。金銀は

入り次第にそれそれとありければ、承って荷物から金銀の鳥目を山の如く浜辺に積めば、入道は悦

んで衣を絡げ、近辺近郷を触れて歩く。

 舟長・馬方・百姓・町人・芝刈り・木樵、網引き・舟引き・鹽焼・海人など老若男女数千人を刹

那の間に馳せ集まった。

 入道が下知して、さあ、銭金は摑み取りだ、はやはや、引けと言うよりも早く、我も我もと縄を

取りえいや、えいや、えいや、えいやとやったのだが、引く潮につれて沖へは出るけれども磯の方

には寄らないのだった。

 理かな、人間の目には見えないが外道達の形が鐘の上に突っ立って、人力を奪い取り、奈落に入

れとばかりに押さえたのだ。

 親王はこの様子をご覧になられて、長者の前に這いつくばって近頃差し出がましい事で候が、日

本国中が集まっても、財宝が費えるばかりで中々動きは致すまい。わっぱ(私)に仰せつけられれば

一節の木遣り歌で人数は要らずに山へなりとも上げ申そう。

 そう、申し終わらせもせずに、浦人共がばらばらと立ちかかり、やあ、生小賢しき丁稚めかな。

我々をし落として己一人が銭を取ろうとか。やあ、いい気な滓(かす)わっぱ(少年に対する蔑語)、

それ打ち殺せととっと寄る。

 諸岩と入道が立ち塞がって、この方の連れであるぞ。棒を当てたりなどしたら撫で切りにすると

腰を捻って刀を今にも抜こうと用意して威嚇した。しかし、そいつ共にぶち殺せと、片端から海へ

嵌めてしまえと、口々に罵るのは、是も外道の障礙(しょうげ)である。

 長者が大音を上げて静まれ、静まれ、して、わっぱは何の覚えがあってかくは言うぞと有りけれ

ば、さればで候、事も愚かや釣り鐘の功徳広大であることは、詞にも及ばない。釈尊は先生(せん

じょう)この鐘を鳴らして大法を得給うによって椎鐘告四方(鐘を打って四方に告げる)と御経にも

説かれたり。この声が耳に入る時は、百八煩悩無始の罪障を消滅する。又、悪魔外道は人界(じん

がい)の罪障煩悩を悦んでこの鐘の響きに外道の通力は絶えるであろうよ。これを憂いてこの鐘を

下界に取って沈めるために外道の障礙は疑いのないところ。されば、罪障消滅の経文を木遣りにし

て引くならば一引きに悪魔を払い、二引きには外道を退け、進退は心のままであるのは掌に候と言

説正しく仰せなされた。





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最終更新日  2025年06月13日 16時52分57秒
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