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2024.05.04
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
 ​ 駒込天祖神社 ​への参拝が終わった後に、本郷通りに沿って職場へゴー。



 途中に吉祥寺へ参拝・見学。吉祥寺は曹洞宗の寺院で、山号が諏訪山。群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺にあたる。室町時代の長禄2年(1458年)、太田道灌は江戸城築城の際に、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。山号はこの地が諏訪神社の社地であったとされる。のち徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校の周辺)に移り、明暦の大火と江戸大火によって現地に移転した。武蔵野市吉祥寺という地名は、明暦の大火で吉祥寺の門前町の住民が住居を失い、五日市街道沿いの地域に移住し、開墾したことによるものである。



 御本尊は釈迦如来。江戸時代の時、境内に後の駒澤大学となる学寮「旃檀林」が作られ、幕府の学問所「昌平黌」と並んで漢学の一大研究地となった。



 鐘撞き堂。



 西暦1804年に築かれた経蔵。文京区指定有形文化財。寺堂などはほとんど東京大空襲で焼失し、1802年築かれた山門と経蔵のみ無事だった。



 境内のある釈迦如来坐像と六地蔵。



 茗荷稲荷。御朱印は「茗荷稲荷大権現」ということである。



 歴史のある寺院であるため、江戸時代の多くの大名の菩提寺にもなった。ここは榎本武揚の墓所。



 榎本武揚は幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学し、のち幕府海軍の指揮官となった。鳥羽・伏見の戦いの時、徳川慶喜は榎本武揚不在の開陽丸に乗って江戸へ逃げたが、2004年の大河ドラマ『新選組!』で榎本武揚、2021年の大河ドラマ『青天を衝け』で徳川慶喜を演じたのは、草彅剛だった。榎本武揚は戊辰戦争で旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、蝦夷共和国の総裁となったが、箱館戦争で敗北し降伏。2年半投獄されたが、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後明治政府に仕えた。開拓使、駐露特命全権公使、海軍卿、駐清特命全権公使、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、子爵となった。東京農業大学の創設にも関わった。



 二宮尊徳墓。二宮尊徳は自筆で金治郎と書いていたが、金次郎として知られる。つまり薪を背負いながら本を読んで歩く姿として知られる二宮金次郎のことだ。江戸時代後期の経世家、農政家、思想家であり、召し抱えら、3度目の病気で役所で亡くなった。享年70。



 旗本鳥居家の墓。右側はあの鳥居甲斐守耀蔵の墓だ。妖怪と呼ばれる鳥居耀蔵は天保の改革の時に市民に人気のあった南町奉行矢部定謙を失脚させ、自らが南町奉行に就いた。さらに市川團十郎の江戸追放をはじめ市中取締まりを厳しく行ってきた。鳥居と対抗するのは遠山金四郎、遠山の金さんとして知られる北町奉行遠山左衛門尉景元だった。「遠山の金さん」および鳥居の悪いイメージはこの時から芝居、講談・歌舞伎の物語として出来上がってきた。のち鳥居は失脚し遠山は南町奉行として返り咲いた。開国も反対した鳥居は死ぬまで幽閉されていたのである。



 八百屋お七・吉三郎の比翼塚。八百屋お七は、本郷の八百屋の娘で、恋人の吉三郎に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。八百屋お七の墓は不明だが、ここはお七や吉三郎をともに祀る比翼塚。










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最終更新日  2024.06.01 00:10:20コメント(0) | コメントを書く
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