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2026.05.05
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
豊栄稲荷神社 ​への参拝をしてから、そのまま隣の​ 金王八幡宮 ​へ参拝。アニメ・映画化された時代小説『​ 天地明察 ​』の聖地としても知られる。



 大鳥居は、八幡通りと交差する道にある。



 二の鳥居。



 乃木希典大将の揮毫による明治三十八年戦役記念碑。明治三十八年戦役というのは日露戦争のこと。



 随神門、神門。通称は赤門ってこと。



 拝殿。祭神は応神天皇。金王八幡宮はさらに、品陀和気命、八幡大菩薩という呼称もしている。

 前九年の役や後三年の役で源頼義・源義家父子に従って戦い、のち河崎土佐守基家と称された平武綱が寛治6年(1092年)創建したという。基家の子である渋谷重家は禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇から澁谷の姓を賜り、金王八幡宮を中心に館を構え居城とした。これが渋谷の発祥ともいわれている。また、東郷平八郎元帥海軍大将は、澁谷氏の子孫という。

 澁谷城は、大永4年(1524)1月13日に起きた、北条氏綱と上杉朝興の高輪原の戦で北条軍の別動隊により襲われ焼き払われてしまった。神門や社殿は江戸時代で徳川三代将軍家光の乳母春日局と守役青山忠俊が神門、社殿を造営したとされる。



 神楽殿。



 玉造稲荷社。



 御嶽神社。祭神は櫛真智命、大己貴命、少名毘古那命、日本武尊。



 金王丸御影堂。澁谷重家夫妻が金王八幡宮に授児祈願を続けたら八幡神の湯mにより、永治元年(1141年)8月15日に金王丸が誕生した。澁谷金王丸常光が17才の時源義朝に従い、保元の乱に出陣。平治の乱の後に出家し、土佐坊昌俊と称して義朝を弔った。源頼朝が挙兵の際に金王八幡宮へも祈願した。のち義経を討つという頼朝の命をうけ、金王丸が上洛したが義経に捕らえられ、最期を遂げた。これはいわゆる頼朝や義経の対立が決定的となった「堀川夜討」である。金王八幡宮という社名も金王丸の名声によるものである。金王丸御影堂には、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められている。

 なお、新しい研究では、金王丸が昌俊と同一人物という史料だけではなく、金王丸の実在を証明する確実な史料が存在しないようである。

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最終更新日  2026.05.14 19:43:20コメント(0) | コメントを書く
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