戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月12日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
しばらく歩くと、こんな道に出た↓。

叡山3・横川へ18

ここまでのところ、踏み跡はまあしっかりしてたし注意して歩けば迷うこともないし、
危険な道はなかった。
が、上の写真でちょうど木が倒れてるあたりの道は細くて雪があって、
しかも道自体が斜めになっている。 
あれはちょっと危ないな・・・
ここまで来てケガなんかしてたまるか

まず危険箇所の手前まで行って写真を撮る。

叡山3・横川へ19

おお、立派でねえの~
注意して危険箇所を渡ると、その先にも石垣が続いていた↓。

叡山3・横川へ20

ここを石垣に沿って上がっていくと、そこがゴールだった。

叡山3・横川

ふう、やれやれやっと着いたぞ・・・
しかしさすがにここは結構雪が残ってるな。

延暦寺三塔のうちもっとも新しく独立した横川(よかわ)は、
叡山の奥座敷と呼ぶにふさわしい奥地にあり、このエリアが延暦寺の北限でもある。
昔はもっと雪も多かっただろうな。
良源さんはこんな場所に自分の城ともいえるエリアを築き上げたのか。

藤原師輔が横川へ行った際 、
師輔は本坂を登って東塔から西塔を通り横川へ入っている。
今回、わたくしは西塔から横川への道は歩かなかったけど、
ただでさえ都の華やかなものを見慣れている目で
堂塔伽藍の整備された二塔を見たあとに横川へ向かう師輔には

あるいは



って師輔は思ったかもしれないけど、好みは人それぞれで
しかも実際に横川を見たあとで 隠棲の気持ちを打ち明けてもいる ので、
都からほど近い場所にありながらも山深い横川だからこそ
師輔はここで後生を願う気持ちになったのかもしれない。



横川へ入るには何本かのルートがある。
そのうち、中尾坂が「横川本坂」と呼ばれるのならメインの参道という
位置づけになるんじゃないかと思うけど、上がってきたところを振り返ると
本坂を示す標識などは何もなかった。

ので、山道を歩いて横川から飯室へ向かう場合は
ちょっと入り口がわかりにくいかもしれないけど、こんなの↓

叡山3・横川2

叡山3・横川4

があるところがちょうどカーブの角っこなので、
そこから谷へ降りて行ってください。

「滋賀医大霊安墓地」を示している方は左手でそちらにも道が延びているけど↓

叡山3・横川3

ここは雪が積もっている右手の道へ進む。
その先にはこんな標識もある↓。

叡山3・横川5

なんで個別の企業や大学が横川にこんな場所を持ってるのか理解に苦しみます・・・
これも一種の霊園経営なのかな。

横川エリアの配置図は持ってきてるけど、なんだか思ったよりわかりにくい。
配置図とにらめっこしながら中心部と思われる方へ歩く。

叡山3・横川6

ここ、車なんか通るのか?
轍(わだち)の跡はあるけど、人間の足跡はない。
そのかわり

叡山3・横川7

動物の足跡がてんてんと・・・
雪が降ってから、人間ではワシ以外に誰もここを通っておらんのか。
オンシーズンならバスで横川へ入ることもできるけど、今は運休期間。
なので、マイカーかマイ足で来るしかない。
オンシーズンでも東塔なんかに比べれば横川への参拝客は少ないだろうし、
ましてこの時期でこの雪だから今日は中心部でもほとんど人に会うことはないかもな。

そんなことを考えながら雪道を歩いていたら、これが出た↓。

叡山3・横川8

これまでの記事にも書いてきたように、叡山には「これより何町」といった具合に
そのスポットからかなり離れた場所にも道標があちこちに立ってるので
逆にわかりにくい面もあるんだけど、地図を見ると確かにこの辺に廟があるらしい。

道路から見る分には何もないので、道標のある斜面を登ってみた。

叡山3・横川9

叡山3・横川10

おっしゃおっしゃ、ビンゴ~

キノコのような墓標は 禅師の君の と似てるな・・・
今回は行かなかったけど、もうひとつこれとよく似た墓石を写真で見ている。
それが、ここまでの記事で名前だけ何度も出てきている恵心僧都源信のお墓。

源信の墓石は胴の部分が角形なんだけど、『比叡山を歩く旅』(山と渓谷社)によると
それは良源さんが考案したものだという。
ん~、でも 覚運さんのお墓 はちょっと違ってたけどな。
同じ良源さんの高弟なのに、何でじゃろ?


さて、このお墓のヌシの覚超(かくちょう)さんは
覚運・禅師の君(尋禅)と並ぶ良源さん門下の四哲の一人。
覚超さんのお墓のある場所は兜率谷といい、横川六谷のひとつ。

覚超さんについては手持ちの資料ではあまり詳しいことはわからないんだけど、
『類聚伝記大日本史』(雄山閣)にある法統の系図には覚超さんの名は
止観業(天台教学)と遮那業(台密)のそれぞれに載っている。

それには、止観業の方では良源さんの高弟に付いて学んだことになっており、
一方の遮那業では良源さんと良源さんの弟子の教えを受けたという系図になっている。
どちらかというと良源さんの孫弟子に近い立場のようでもあるけど、
ウィキペディアによると覚超さんは密教に秀でていたそうで、
「台密川流」と呼ばれる流派を作ったそうな。

四哲のひとり、檀那院の覚運さんは「檀那先徳」とも呼ばれるけど、
覚超さんは兜率院にいたためか、「兜率先徳」とも呼ばれる。


覚超さんのお墓から道に戻る。
右手にはこんなだだっ広い場所もあった↓。

叡山3・横川11

中尾坂から上がってくると、意外にも道がわかりにくくてねえ~。
いや、横川全体もわかりにくかったな。
東塔もさっぱりと言っていいほど道がわからなかったので
山の中の高低差のある地形ということもあったかもしれないけど、
ちょっと体内の磁場が狂うとゆーか・・・

しかし、その先あたりまで行くとだいぶ中心部も近くなってきます↓。

叡山3・横川12

叡山3・横川13・恵心院

もう14時近いのであまりゆっくりもできなくなってましたが、
ここには寄らねばなるまい・・・
ここは

 【恵心院

  恵心僧都の旧跡で、藤原兼家が元三慈恵大師のために建立した寺です。門前に「極重
  悪人無他方便唯称弥陀得生極楽」とあるように、念仏三昧の道場です。
  恵心僧都は恵心院に篭り、仏道修行と多くの著述に専念され、有名な「往生要集」や
  「二十五昧式」「六道十界ノ図」「弥陀来迎ノ図」等を著し、浄土教の基礎を築かれ
  ました。毎年六月十日のご命日には「二十五三昧式」の講式が唱えられ、僧都の報恩
  法要が営まれています。付近の都率谷墓地に恵心廟があります。】
  (現地解説板より)

という場所なのでね。

まず先に境内を紹介しましょうか。

叡山3・横川14・恵心院

この写真の右に写ってるのが

叡山3・横川19・恵心院

「源氏物語」の「横川の僧都」のモデルが恵心僧都源信だというのは有名な話だけど、
わたくしは原文じゃなく不朽の名作マンガ「あさきゆめみし」で読んだ派だからな。
光る君が天台座主から受戒したという記述があるとは知らなかったな。
宇治十帖の方は古典の現代語訳で1回読んで吐きそうになったので、
「あさきゆめみし」でも読んでません

で写真には写ってませんが参道の左手には割と新しめの建物があり、そこに

叡山3・横川15・恵心院

どれかよくわからなかったけど、この木あたりかな↓。

叡山3・横川16・恵心院



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最終更新日  2015年05月12日 22時15分35秒


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