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皆さん、こんばんは。日付は変わり12/31、大晦日。2007年も残り一日です。私なりに今年を振り返り、記述したいと思います。まず結論から申し上げますと、今年は私にとって最高の1年だったといえます。この最高の一年というのは、年中物事が上手く運んだというわけではなく最後の最後に逆転満塁ホームランが飛び出したという表現がふさわしいかもしれません。(そういえば我が母校の佐賀北も同様でしたね)今年の私は、一年の殆どが迷いに迷った一年。イライラが積もり、エネルギーのぶつけどころが分からずモンモンとした日々を過ごしていました。あっちフラフラ こっちフラフラここ数年では、一番最悪な日々を過ごしていました。明らかに焦りもありましたし、その焦りを人に見せまいと取り繕っている自分に対し、さらにイライラは募るだけ。しかし、転機となったのは以前からお付き合いさせていただいている方の勉強会に参加し、色々とアドバイスをいただき、自分と向き合い、自分の素の部分を受け入れたことで、私の中にあったモヤモヤが一気に吹き飛びました。さらに加わるに、格別なご配慮を頂いたお陰で私自身の道もハッキリと決まり先日までの迷走が嘘のように晴れ渡り、視界良好!あとはアクセル全開!で突っ走るだけ。振り返ってみると、近年にない最高の年と言える一年でした。そもそも迷いの原因は、自分の人生において多くの選択肢(色々な可能性)があると勝手に思い込み、どの選択肢が自分にとって最適か?ばかりを考え、目の前の事が疎かになり、幻想と妄想を抱いて生きていた結果、現実は何も変わらず、その変わらない現実を受け入れることが出来ず、こんなはずではない!等と、分もわきまえずに妄想していた結果に過ぎません。・・と長々と書きましたが、一言で言うなら自分の本質と違うことを取り入れようと一生懸命になっていただけです。単にバカです。しかし、不思議なもので「ある」と思っていた選択肢など実はなかった・・・・・と言う事が分かり、さらに幸運にも一つだけ道が残されていたことに気付きそれを受け入れた結果、迷いはなくなりました。迷いのない人生とは、なんと楽なことか。私は今実体験として感じています。今回の貴重な経験で私なりに思うのは人生において大切な事は、打ち込む一点を明確にすること。迷いなく打ち込む一点を見つけた人は、強いです。そしてその一点をトコトンやり通すこと。自らが打ち込む一点が見つかれば揺るぎない心を持つことが出来、この心の強さが現実を変えていく唯一の手段だと思います。テクニックでもなく、知識でもなく。全ては気迫!気迫を打ち出せる揺るぎない心をモットモット強め、来年は地に足付け、シッカリと生きていきたいと考えています。来年の私のキーワードは我がまま+「単純バカ 素直」来年はトコトン行ったろうと!思っております。本当に今年お世話になった方々には、感謝しきれないほどの感謝をしております。お陰様で終わってみると本当に良い一年でした。頂いたご好意を仇で返さぬよう、来年は全てにおいて「一生懸命」取組んで行く所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。では皆様、良いお年をお迎えください。
2007年12月30日
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本日はクリスマスイブ。仕入れを済ましたサンタとしての最後の仕事は寝静まった子供に気付かれないように、枕元にプレゼントを置くだけ。(小細工のサンタ電話も少々)明日の朝、子供達が起きたときの喜ぶ顔を見ることが親としては最高な瞬間なのです。(早起きせねば)今日は、子供達とクリスマスケーキを作ったりと普段のキャラクターにあわないことをやっていますが・・来年はお料理なんかにもトライしよう!などと、企んでおります。でも今日は、何も考えず子供と向き合って私自身も心の底からリラックスしたいと思います。また今日、CDをレンタルしてきたのですが1週間レンタルで返却日が12/31。今年もいよいよ1週間と改めて認識させられました。今年の回顧は先に送るとして今日はゆっくりと子供達と向き合って過ごしたいと思います。それでは皆様も、クリスマス・イブを楽しんでください。メリークリスマス!
2007年12月24日
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夜分にこんばんは煩わしい火の粉を振り払い、気分爽快な夜。お酒も良い気分で進んでおりますが、いかがお過ごしでしょうか?今日は、私の経験を踏まえ皆さんに、ご質問したいと思います。唐突ですが、皆さんはご自身が本当に欲しいものを明確にされてますか?例えば、ベンツに乗りたい!億万長者になりたい!綺麗な愛人が欲しい!名声が欲しい!豪邸が欲しい!・・・等など・・・人間の欲求は数多くあるでしょう。しかし!あなたは本当に、これらを心の奥底から望んでいるのでしょうか?実は何を隠そう一時期の私は、これに近いものを望んでいました。(上記に挙げたほどの極端さはありませんが・・)いわゆる、世間が認める成功者の条件に、一生懸命近づこうとしていたのです。しかも知らず知らずの内に・・・・まさに愚の骨頂ですが、世の中が認める成功者像とやらに、私自身も捉われ追いかけていたような気がします。「本当は、そんなもの欲しくもないくせに。。。」他人と張り合うことで、自分の存在を確認したり・・他人から凄いねと言われることに、無意識的な快感を覚えたり・・本当バカですよね・・・でもね・・僕はある方のある言葉をキッカケに、自分が本当に欲しいものが何なのか?がバシッと!確認できたのです。それが何かはココでは明言しませんが、それにより私自身非常に楽な生活を送っています。そして今、よくよく考えるとそれは私自身が当時一生懸命否定しようとしていたことなのです。つまり、こうあらねばならない!と捉われ、本当は一番大切なものを自分なりに一生懸命否定して、自分を大きく見せようとしていました。しかし、この一生懸命否定し続けてきたものを改めて受け入れたとき、私の道は開けました。その否定してきたものは結局、何年経っても否定できない、自分にとってかけがえのない大切なものだったのです。何だか独りよがりな文章になっていますが私が今日の日記を通じて皆さんに訴えかけたいことはあなたが本当に欲しいものは何ですか?と言う事です。私は断言します!あなたが欲しいものが、世間の価値基準に照らし合わせたものであるならば今すぐ捨てること。あなたが今欲しいと思っているものは本当にあなたが心の奥底から望んでいるものでしょうか?もし心のどこかに違和感を感じ、自分を騙しながら進んでいくと、そのうち病んでしまいますよ。他人から見た目線ではなく、あなた自身がシッカリ自分を見つめたとき・・つまり削ぎ落とした奥底にある自分が欲するものを是非大切にしてください。それこそが、あなた自身を本当に大切にすることだと私は思います。では おやすみなさい。
2007年12月19日
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♪世界に一つだけの花♪♪一つ一つ違う種子を持つ♪♪その花を咲かせることだけに♪♪一生懸命になればいい♪最近、この歌詞が好きな私です。私は思います。人は一人ひとり違う種子=要素を持っているのではないかと。ですから他人と競争することで、自分の存在を確認するのではなく、自分が持つ花=自分が持つ能力を最大化させることだけに集中すればよい。他人と競争するから敵が増える。敵は百害あって一利なし。私は私が歩むべき道を、一生懸命に歩いていく!私にはそれしかないのだからと腹を括って。それが結果として、私の大切なものを守ることに繋がるから。地道に まじめに 誠実に!やりまっせ!!!!
2007年12月16日
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先日の決意から今日まで、無意識な悪癖と戦いながら打ち勝つべく過ごしています。しかし、決意をキッカケに色々な難題?が降りかかってきますね。難題と言っても、一般的には悪い話ではないのでしょうが私自身の来年のテーマを考えると、かなり邪魔な存在です。自分の意志はハッキリ伝えていますが、どう転ぶか?強い意志を持って望みたいと思います。人は生きていくうえで、自らにルールを定めなくてはいけないのではないか?と最近ツクヅク思います。ルールまたは基準と言っても良いのですが、基準に沿った生き方をしないと目の前の事象についつい流されてしまうものです。自分が生きていくうえで大切にしたいものを明確にし現実に存在するギャップを埋める作業。これが日常。しかし自分のルールを貫くには、力が必要です。この力とは自分の身は自分で賄う事が出来る力。悪い意味ではなく、野望的でもなく、全てを自分の支配下に置くこと。これを目指してヤルベキことをやり尽くします。
2007年12月10日
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今日、改めて強く思ったこと。人様に対し借りを作ってはならない。例え、どんなに親しく身近な相手でも借りを作ってはならない。借りは、心の自由をセーブすることに繋がる。やはり、全てのことは自分で賄い、賄える範囲を可能な限り広げる努力をし、その賄える範疇で生きていきたいと私は強く望む。誰かに頼らず、一人で賄えるようになる事。今までの私は、このアタリの考えが甘かった。猛省し、自分の身を自分で賄えるように生きていく!*ちなみに借金したとかではありませんので・・・
2007年12月09日
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根拠を明確にすることの大切さを改めて学んだ本日、いかがお過ごしでしょうか?普段の生活や仕事にしても、根拠を明確にして活動しなければ次に生かすことは出来ません。根拠なく行動に移し何らかの結果が出たとしても、それは偶然。偶然の結果は次に繋がりませんし、根拠なき結果は検証のしようすらないのです。例えば、企業活動でも売れたと売ったでは大きく異なります。売上目標をクリアするために、どのような活動に取組むのか?その活動と結果に整合性はありそうなのか?なぜ?そのような活動を行う事で、望む結果が手に入ると仮説を立てたのか?これらが明確でないと全くの無意味です。自らが立てた根拠が正しいかどうかは二の次です。まずは、正しい結果を導くために、この行動が正しそうに見えるのか否か?正しそうに見えるように細部にわたるまで徹底的に煮詰めるべきです。そこまでやって得た結果だからこそ意味があるのであってその繰り返しを試行錯誤というのだと思います。とりあえずやってでた結果などに何の意味もありません。あなたが目的・目標を達成するために今取ろうとしている行動は練り上げられたものでしょうか?結果も大切ですが、結果に至るまでのプロセスこそがとても大切なことだと思うのです。プロセスをすっ飛ばして得た結果に満足してはならない。逆に言えば、これこそが悲劇の始まりであり、自分を苦しめる要因だと思います。根拠に基づくプロセスが大切だと言う事を、今日はこの場に書き記しておきます。*次回は飛ぶことの重要性について、書いてみようと思います(笑)
2007年12月07日
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本日のテーマ【見えないところほど一生懸命に】本日、2名の経営者の方とお話をする機会があり、その方々とお話をしていると、ある共通なお話をお二人からお聞きしました。それは、何事も見えないところほど手を抜かないようにしなければならない、というお話です。見える部分も大切だが、見えない部分を如何に一生懸命に丁寧に出来るか?掃除にしても真ん中より隅々をどれだけ念入りに掃除を出来るか?が大切だとおっしゃるのです。私もこの意見には賛成ですし、今まで頭で分かっていながらやっていなかった反省を踏まえて、特に力を注いでいこうと考えています。私なりに少し具体的にお話をしますと、見える部分だけをキチンとやるのは他人の目を気にしている証拠です。さらに、これらからは他人に対し表面を取り繕う性格である事も行動から読み取れます。つまり行動の目的が他人から良い評価を受けたい。だから他人から見えない部分に力を注ぐのはムダという考えが根底にあると思われます。逆に見えない部分や見逃しがちな部分を丁寧にやる場合、自分と向き合い、他人の評価ではなく自分がどうありたいのか?という考えが根底にあるのではないでしょうか?人目につかないところでサボる人もいれば人目につかないところでも、変わらず力を注ぐ人もいる。この小さな差が、時間の経過と共に大きな差になっていずれ表れてきます。そして、お客様は会社の中までは見えません。最近は見えないことをいいことに犯した様々な手抜きが、偽装などという不祥事として数多く発覚しています。これも、見えないところで手を抜く。見えないところでは何をしても構わないといった性質が表面化してしまったのだと思います。1つの事象が全てであり、見えないところで手を抜く性質は人生の全てに表れます。そして、それらを積み重ねていくと中々元に戻ることが出来ません。だからこそ、見えないところでも関係なく淡々と当たり前にこなしていくことがとても大切であり、その積み重ねによって人は成長していくものだと思います。自分への戒めも含め、見えないところでも実は自分だけは見えています。人からの評価ではなく、自分で自分を評価することを意識すれば、どんなときでも、物事をキチンをこなさなければならないモノです。これらを意識して、日々取り組んでいこうと思います。
2007年12月06日
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昨日の決意表明をキッカケに燃えに燃えている本日。悪癖を直すべく物事に取組んでいますが、気を許すとフッと無意識に流された行動をしている自分に気付きます。習慣とは恐ろしいものだと、改めて思い知らされました。しかし!この悪癖を取り除き、全てにおいて意志のある行動に変えていきたいのです!ですから一つずつ確実にこなしていく以外ありません。話は少し変わりまして、今日数名の方と話す機会があったのですが多くの人は誰かが?何かが?自分を取り巻く環境を変えてくれる、もしくはくれないかな~と心の底で思っているようです。自らの環境に不満を感じながらも、自らを変える努力はせず、ず~と手前に限界線を引き、もっと恵まれた環境はないのか?等といるはずのない青い鳥を探しています。しかもその青い鳥を探すのに一生懸命にすらなっていない。会社がイヤで転職をしたい。周囲との人間関係が上手くいかない。上司が言う事を聞いてくれない。上司が分かってくれない。。。このような言葉をよく耳にしますが、そもそもそのような環境を作り出したのは自分だと言う事をシッカリ認識しなくてはいけないと思うのです。自分の言動、つまり考え方に基づいた行動の結果が今の自分を取り巻く環境を作っているのです。「上司には逆らえない」「会社の言う事は聞かなければならない」色々と言い分はあるのでしょうが、そのような環境に身を置くと決めたのも結局は自分なのです。つまり、今より良い環境に移ろうと思いその場を離れても、そもそもそのような環境を作り出した自分と離れることは出来ないのですからどこに行っても元の環境と大差はない結果しか生まれません。【全ての責任は自分にある】とはよく耳にする言葉ですが、この言葉を綺麗ごとの表層的に捕らえたり無理やりプラス思考で捕らえるのではなく言葉の意味の真意を理解をする必要があると思います。私もどこまで、この言葉を心底理解しているか?分かりませんが、少なくとも全ては自分次第だと改めて思うことが出来ます。昨日私は自分への挑戦状を叩きつけました。自分への挑戦状を叩きつけたからには、自分に勝たなくてはなりません。幸いにも恵まれた大変ありがたい環境にいますので、今度こそシッカリやり遂げようと思います。
2007年12月05日
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ご無沙汰しております。今日は決意表明を!私は今日から物事に対し、一生懸命に取組みます。対象物の大小、難易度の大小に関わらず、自身が取組むものに対しては、一生懸命に打ち込みます。トコトンやる!なぜなら一生懸命に取組まなければ、何も見えない。真剣にトコトン打ち込まなければ、何も手にすることが出来ないと言う事を、痛烈に感じたからです。小さな箱の中に閉じこもり、小さなバリアで自分を守った結果小さな自分が出来上がってしまっていました。中途半端に取組んだ結果、自分で自分の首を苦しめどんどん深みに嵌りました。これは今までの私の考えに基づいて行動した結果です。受け入れなければなりませんが、このままでいいとは思いません。この深みから脱出する方法は自分が正しいと思うことに対し、一生懸命に打ち込むこと。中途半端ではなくトコトンやるコト。今の私に必要な事は、この点だと思うのです。よく、努力の方向性を間違ってはいけないと耳にしますし、私もこの意見には賛成ですがどこにエネルギーを注ぐか?という問題以前に、そもそも自分はエネルギーを注いでいたのか?全力で物事に取組む姿勢が自分の中にあるのか?を問わねばなりません。私の場合、やっていませんでした。テキトーに手を抜いて、そこそこの結果に満足している。そんな自分こそが、自分を苦しめる最大の原因だと気付きました。一生懸命にやるコトで、結果はどうであれ踏ん切りはつきます。望む結果を手に入れようと、そうでなかろうと一区切り付いた時点での潔さを手に入れるためにも今日から一生懸命取組んで生きたいと思います。こんな中途半端な私ですが、改めて自分の環境を見渡すとありがたいことに色々な意味で大変恵まれた環境を頂いています。この環境に感謝しつつ、少しでも気持ちよく、楽に生きるために今日という日を境に、自分の態度を改めていきます。いい年こいて、このような低レベルな決意表明をしている私ですがどうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
2007年12月04日
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