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あの曲は絶対アレのパクりに違いないとか、はやってますなそういう論議。 名前もしらないジャニタレの男の子が歌ってるある曲がミスチルのTomorrow never knowsに似てるというので聴いてみたら、確かに似てる!多分彼はミスチルが好きなんだね。それだけのことじゃん。当事者でもないやつが何でパクったとか言って騒ぎ立てるのか意味がわからん。たとえば桜井一寿がこれを聴いて「お前パクったろこれ!」っていうなら話はわかる。だけど第三者がそんなこと言ってどうすんの。おまけに「すいませんパクりました」って謝罪会見するやつまで出てくる。滅茶苦茶です。 何でパクるのか考えてみようぜ。その対象物をrespectしてるからパクるんじゃないの?respectされているってことは光栄なことじゃないか。ホントにrespectしているかは本人のみぞ知るであり、「パクったろお前!」ってパクられた奴に言われたら、「あなたをrespectしてるんですよ」って言えばパクられた奴も悪い気はしないだろう。ただ、悲しいかなパクり側はrespectしているつもりでも、それがパクられ側に伝わらないこともある。そういう時は裁判でも何でもして争ったらええねん。小林亜星とか一時期すごいもめてたけど、納得いかないのだったらいくらでも争う権利はある。もとを作ったのは小林亜星なんだから。しかし、世論というやつは「パクった」ということにやたら目くじらを立てる割に、小林亜星みたいな人を見ると「いつまで争うねんこのオッサン!」みたいになるだろ。一貫性がない。 映画「モンスターズインク」がドラえもんの「どこでもドア」をパクってるって言うやつがいたけど、すげえ結び付け方だなと思ったよ。海をも越えてしまうのだね。
2007.05.30
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カテゴリーが恋愛かどうかはともかく(笑)、こないだエイズ検査に行ってきた。否、行かされた(強調)!結果は異常なし。どないやねん! 何か異常があったほうが逆にネタになるような気さえする(実際エイズで苦しんでる人、すいません)。意味が分からないのは、ナースのおばちゃんが「プライバシーはしっかり守りますからね!」とやたら言って来ること。あのねー、検査される側からしたら保健所に足を運ぶ時点である程度恥ずかしいねん!ほかの来たやつら見ても、まあオンナに言われて来たなコイツみたいなヤツばっかでみんなやけに伏目がち。ラブホテルで知り合いに会ったときと同じ空気感だな。まあラブホでも保健所でもやることはある程度(?)決まっているわけで、別に気まずさを感じる必要はないんだがな。 ホントにエイズに感染してるヤツってのはまず保健所に来ないんじゃねーか。「オレもう死ぬわ」っていうやつが長生きするのと一緒で(どこが??)、検査させられてる(改めて強調!)やつっていうのは、「まあ感染してはいないとは思うけど・・・」って感じで来てるんだと思うよ。あ、「来させられてる」ね!(三たび強調!!) あと、全然関係ねーけど「何か生理がこないの」と何回もいうバカオンナ、オレは大嫌いだ。何様のつもりやねん。ちょっと前まではアタフタすることもあったけど、もう同じ手は食わない。しかも3日後ぐらいに「生理キター」とか抜かすバカ!お前は電車男(女)か!文字通り「おとといきやがれ!」って感じだ。 誰か絶対に妊娠しないコンドームを発明しろ!イヤイヤイヤ、何かオレが焦ってるみたいじゃん。オレは焦ってないでぇ!!!
2007.05.28
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クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」を観た。僕は戦争世代ではないので、人から聞いた話とかほかの映画の描き方から当時の状況を慮ることしかできないわけだが、栗林中将は変だろ、どうみても。渡辺謙はハリウッドで勝どきをあげることにいかに必死になっているかがわかるね(笑)。負けはしたけど、命を捨てて戦地に赴いてる人をああいう風に見るかねぇ・・・・。「父親たちの星条旗」っていう、全く同じ題材をアメリカ目線で観た作品があるらしく(まだ観てないが)、こっちのクオリティのほうが多分高いだろう。 結局、100%の異文化理解なんていうのは土台無理な話なのだ。その国の人にしか理解できないものは必ずあり、それを異国の人たちに開放したところで理解されることはおろか、受け入れられるという保証すらない。 同じことが人間関係にも言える。たとえ親であれ、恋人であれ、究極的には「他人」である。相手に対する愛情がどんなに大きくとも、その人と同化することは不可能だ。同じ目を持つことは出来ないのである。純粋無垢な少年は、自分と同じ考え・主張を正義とみなし、それ以外を悪とみなすという安易な二元論に何の疑問も持たないが、精神の発達に伴って「自分は果たして正義なのか悪なのか」という疑問が浮かぶ。 僕自身、この問題をまだ解決できていない気がする。自分というものがまだ出来上がっていない。他人を理解することもできない。会社という「他人の集団」で、自分がなすべきパフォーマンスをなし遂げられなかったのがその証明だ。 最近公務員試験の勉強と並行して、民間企業の転職活動もしているが、「職を探す」というよりは「自分を探す」といった方が正しいかもしれない。行きたい会社が見つかること=自分を見つけられること、には多分というか絶対ならないだろう。だけど、その探究心は失ってはいけないと自分に言い聞かせている。
2007.05.26
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高校生が数学を勉強しないので、教科書を漫画化させたものが検定を通ったとか通らないとか。これに対して江川達也は「漫画にするならもっと有名な漫画家に頼まないと」と怒っている。いやいやそういう問題かい!? 多分、漫画にしたところで勉強しないやつはしないと思われる。というか、「漫画にする」という手法が勉強しないやつらを勉強させるためのものとして機能するとは到底思えない。 大人は漫画に対して偏見がある。ひどい場合「漫画ばかり読んでいるから漢字が読めない」とか言ってる素頓狂な奴までいる。新聞の社会面にある4コマじゃあるまいし、そこそこ字もあるだろ。しかも子供は大人が思っているよりは遥かに漫画から多くのものを学んでいる。そのことに大人が気づいていないだけのことなのだ。「今の若い奴は・・・」という、無根拠に高圧的な態度が子供との距離を広げているのだよ。漫画にするというのは大人の立場からすれば「譲歩」なのだろう。しかしそれは子供からしてみたら的外れなのである。 そもそも数学の内容をマンガ化できる人がいるなら是非会ってみたいもんだ。今のところその手のマンガを見たことはない。「内容をマンガ化」っていうのが重要なポイントで、それは表面的にマンガという体裁をとっただけの「教科書」とは一線を画する。 とりあえず言えるのは、子供に媚びちゃ駄目ということだ。数学なんて多少スパルタチックにやらなければ絶対身につかない。「因数分解なんて何の役に立つんですか?」とか言ってるやつはその時点で二流の人間にしかなれんのだ。大事なのは、「何の役に立つかはよく分からないけど、できないとどうやらヤバイらしいのでとりあえずやる」というある種曖昧な態度なのだ。精神鍛錬の一環だね。会社に入ったって上司の圧力で自分の意に反した仕事をやらされるという場面は多々ある(会社やめた俺が語るなってか、笑)。 江戸時代の寺子屋じゃないが、読み書き算盤は理屈なく必要なんですよ。もっと遡れば、ソクラテスはアテネにスパルタ学校みたいなのを造ったとか。「何の役にたつ」とかそういう次元じゃない。「将来店を開きたいので商学部に入りました」というバカガキは多分4年間遊んで暮らすんだよ。商学部に入れないと店を開けないのか?てか商学部出て店やってますって奴のほうが絶対少ないはずだ。つまり、人生なんてそんな目的合理主義なワケはないんだ。かなりの確率で、結果合理主義に終わるんだよ。「何だか色々あったけど、結果としてこうなってます」でいいじゃないか。 若干バイアスがかかってますが、自分の半生を振り返ってみるにつけそう重います。
2007.05.11
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事故を起こした会社(エキスポランド)よ、「大丈夫だと思った」とか言うな。思っても言うな。検査してない時点で杜撰やねん!大丈夫だと思ってなかったら検査してるやろ。苦し紛れの言い訳をしても現実は変わらない。 商売の道具にしている時点で「イナバの物置」的な考え方は通用しないんだ。つまり「100人乗っても大丈夫」っていうのは極々限られた状況における安全性しか担保されないわけで、もし101人乗ったらぶっ潰れて101人目が死んだら、101人目は自分が101人目だったことを呪うだろう。客の立場からしたら自分が何人目なんてのは関係ない。今回の件で言えば「GW明けに検査する予定だった」なんて、客は知らんがなそんなこと!てか、客があまり来そうもないGW明けに検査しようってハラでしょ、ハナから。「何でそんなコメントやねん!」みたいなことを言うよね。 さらに、被害者の遺族よ、会社の代表を葬式に参列させないのは如何なもんでしょう。確かに大事な家族を失ったのは辛いとは思う。だけど、それだから謝りにきてるんじゃん。参列させなかったら生き返るのか?そうでもない限り無益だよ、誰にとっても。遺恨を残さないほうがいいと思うんだが。本人も浮かばれまい。 とは言えこの事故の場合エキスポランド側があまりにも大人気ないけどね。自然災害とかじゃないわけだし。
2007.05.08
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電車で座ってて、目の見えない人が杖をもって自分の前に立った。正直迷った ここで席を譲るべきなんだろうか? これについては二つの解釈が存在する(憲法のテキストにありがちな展開ですが・・・) A形式的親切論 「障害者」には席を譲るべきという固定観念で席を譲る。 B実質的親切論 目が見えない以上、席を譲ったとしても、席から立ち上がるときには普通の人以上の困難が生じることを想定し、敢えて譲らない。 通説というべきか、ニホン社会ではというべきかは分からないが、Aを選ぶ人が多い気がする。例えばこれがご老人の場合は明らかにAの方がbetterだろう。それは、ご老人が席に座らず立っている場合に負うであろう肉体的な苦痛と、座ることによって取り除かれるそれを比較衡量した場合に、後者が前者を上回る結果である。 でもこれが目の不自由な人の場合はどうだろう。(ちなみに判例における目の不自由な人の年齢は推定35歳くらい)。まず肉体的苦痛について考えると、目の見える人のそれと差がない。もっとも目が見えていない以上周りの状況を把握しづらいということはあるが。また席に座ることによって何か変化は生じるのか。例えば席に座ることで、一時的に視力が回復する人だったら率先して譲るべきであろう。しかし現実にはそのようなことはなく、席に座ることによって、「席から立ち上がるときにまた他人の気を遣わせなければならない」という新しい問題が生じる。 障害者障害者というが、彼らを障害者とひとくくりにするのは親切ではない気がするんだな結局。目が見えない人、耳が聞こえない人・・・などいろいろいるわけで、その人に見合った親切心が必要だな。例えば目の見えない人なら、手をつないであげて誘導するとかすれば、その人も安心感があるだろう。 バリアフリー対策というのは駅にエレベーターを設置することをいうのか?足の悪い人にとっては確かにバリアフリーだが、目の見えない人からしたらそんなものは全然バリアフリーではない。人に優しいフリをして結局は企業イメージの保護が目的だろう(天野ジャック?)。 親切心っていうのはそんな押し付けがましいものなのか。もうちょっと自然発生的なものというか、サービス精神的なものだと思うんだが。実際スーパーなんかにいる売り子さん(まあ拙者もバイトで経験したことがあるが)でもウマイ人というのは、結局サービス精神が旺盛というか、「やらしさ」みたいなものを感じさせない。「君が売ってるから買っちゃうよ」なんて言われた日には、それは一流マネキン(マネキンていうのは「売り子」っていう意味なんですね、これはトリビアですよ)の証拠でしょ。 女優杉本彩氏の著書内に「ク○ニをしない男は最低」という名言があるが、これだって「サービス精神」の一環ですよ。如何にヤラシくなく、しかしやらしく舐められるかが勝負でしょ(ちょっとややこしいが)。 まあ若干脱線しましたが、親切心とサービス精神について考えてみた
2007.05.07
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