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橋下徹、個人的には嫌いではない。というのも自分と似たようなパーソナリティを感じるため親近感がわくからだ。「府債発行お断り」は政策として非常にわかりやすくていいと思う。大阪府の懐事情が芳しくないのは、歳出に占める地方債の割合が他と比べてダントツに高いからだ。客寄せのためにどこかの建物に金箔を大量に使うなど、以前から大阪府の金の使い方には疑問な部分が多かった。橋下がマニフェストを忠実に実行すれば、こうしたグレーゾーンは減るだろう。ただ、橋下は顔や言動からしてかなりの女好きとみた。頭のキレる政治家に限って、失脚するときは「英雄色を好む」になることが多い(ノックのような例外もいるが)。浮いた金でキャバクラばかり行っていてはまた財政破綻しかねない(行くなら私費で!)。いや、多分女絡みで失脚するんだろうな・・・(笑)それまでにどこか一つでも現状が改善されればいいと思う。その次は島田紳助ってのも・・・素敵やん
2008.01.28
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最近バスをよく使う生活をしているのだが、バス後方部分が「一人がけ」のシートになっているバスを散見する。元々、路線バスのシートは運転席近くの前方こそ一人がけであるが後方は二人がけになっていて、自分一人でバスを利用する場合、誰かが座っていると隣には座りづらいし、かと言って誰も座っていなくても自分が二人分占領している気がして歯がゆい思いをしていた。これは日本人のDNAに刻みこまれた「隣人警戒」の具象化であると考える。簡単にいうと「人を見たら泥棒と思え」というやつだ。これは先天的に決定された言わば「性(さが)」であり、意識しなくとも行動に現れてしまう習性といえる。よって路線バスは座席がセパレート(一人分のエリアがはっきりしている)の二人がけなだけに、座るときに慎重にならざるを得ない。さらに、座席でスペースを取っている分、混雑時には不合理な事態を招きかねない。こうした事情を受けての改善薬として、「一人がけ」政策は非常に有効だと思う。導入率としてはまだまだ低いが、これからのバスには一人がけの推進を熱望する。
2008.01.25
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mixiなどソーシャルネットワーキングサイトの隆盛により、Off会という奇妙なイベントが巷で流行しているらしい。共通の趣味、嗜好の人たちがサイト内の「コミュニティ」というもので結びつけられ、実際に居酒屋など(すなわちオフライン上)で会うというものだ。僕はこれまでそうした集会に参加したことはないし、するつもりもないのだが、こうした会を催す人たちの心境はわからないでもない。普通の社会生活を営んでいる人にとっては当たり前なのだが、人間関係というのは「まず組織ありき」が基本である。こうあるべきだ、というよりは普通にやっていたらそうなるという感じだ。大学のサークルなどは一見「趣味や嗜好」によって結びつけられているようにも思えるが、根本的にはその大学に属しているからそのサークルに入るのであり(わざわざ他大のサークルに行く人はいないだろう)、その意味で例外ではあるまい。一方Off会はこうした基礎的な紐帯をもたない。あるのはオンライン上での薄い紐帯である。それだけで飲み会を開けてしまう点が異質なのである。多少偏見めいた言い方にはなるが、Off会に集まる人たちは自分たちが属している基礎的集団から自然発生するコミュニティ(会社の飲み会など)では満足できない、ある意味悲しい人たちである。もう少し踏み込んだ言い方をすると、そうしたコミュニティで人間関係を健全に育めていない人たちである。集団内の特定の人と気まずい関係だとか、そもそも他人との人間関係の作り方を知らないとか原因は色々あるだろうが、Off会を開く原動力は「リアルな社会に溶けこめていない」というフラストレーションであるという点で共通している。 こうした傾向を社会が助長してしまっている点も否めない。一番よろしくないのはインターネット等によって「繋がっている」ということを執拗にアピールしていることだ。生きている以上現実社会に適応していかなければならないのは当たり前だ。それができない人たちにとってこうした「バーチャルな繋がり」は、まさに渡りに舟であるのだが、発想が建設的でなく単なる逃避である。 今NHKの英語講座「テレビで留学!コロンビア大学講座」を視聴しているのだが、そのテキスト中に"Technology is dividing us as much as uniting us."という一節がある。インターネット(広く捉えれば科学技術)が我々をdivideしてしまう感覚は、Off会族には理解できないだろう。だがこの英文はインターネットによる過剰な「つながり」に対して警鐘を鳴らしているいい英文だ。
2008.01.24
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フルマラソン完走を目指し、我流のトレーニングを始めてから4ヶ月。徐々にではあるが自分のスタイルが構築されつつある。一ヶ月後のフルマラソン(東京マラソン)デビューに向け、地道にトレーニングをする一方で、その道の「プロ」と言われる人からアドバイスを受けたい気持ちが強まり、駒沢公園で行われているランニングクラブの練習に参加するようになった。また、最近のマラソンブームの煽りを受けいつも行く書店でもマラソン関係の専門書が増えつつある。それらの中で「これは!」という一冊を購入した。「金哲彦のランニングメソッド」である。ランニングというものをシステマチックに説明してあり、新しい「気付き」が得られそうな気がした。本文中の写真の一部が時々上半身ヌードのお兄さんなので、カフェで読んでいると周りの目線を気にしなければならないことが唯一の欠点だが、買って損はなかったと思っている。中でも最も収穫のあった「気付き」はウォーキングについてである。僕の先入観ではウォーキングは、「ランニングができない人用の運動強度の低い運動」という位置づけだったが、本書を読むとウォーキングとランニングというのは不可分一体のものだと気付かされた。すなわちウォーキングとは正しいランニングフォームを身につけるための運動ということだ。ランニングをするときは、とかく「足」に注意がいきがちだが、本書では骨盤、肩甲骨、丹田(へそ下のこと)が重要であると説く。これらを重視すれば足が「勝手に前に出る」感覚を味わうことができる。早速ウォーキング開始だ。日々の生活はウォーキングをするシーンで溢れかえっている。わざわざジムでウォーキングをしなくても、普段着で出来るトレーニングというわけだ。電車に乗るのをやめてウォーキングにするほどの情熱はないが確かに今ウォーキングにハマりつつある。
2008.01.23
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今年もセンター試験が行われたようだ。僕が受験してから7、8年が経過しており当時とは状況が変わっているのだろうが、それでも毎年この時期になるとテレビニュースに出てくるこのイベントには注目し、受験生にエールを送っている。いつの間にやら、英語にリスニングが導入されている。高校のカリキュラムにオーラルコミュニケーションが不足しているという問題点を受けての改正なのだろう。リスニングを導入すること自体は間違っていないと思う。だが、「やっぱり!」という感じのトラブルが発生した。受験生のケータイが30秒鳴り続け「その受験生以外の」学生に再試験が認められたという例の件だ。これについて僕としては「再試験不要論」を唱えたい。まず何故再試験が必要か考えると、数ある試験場の中のある場所において、試験の進行を妨げるアクシデントが発生したことにより、その部屋で受験していた人たちが不利にならないようにするための救済措置という論点があげられる。この救済措置に求められるファンクションとして「受験生全員の公平を期す」というものが求められる。再試験をすることが必ずしもこのファンクションを満足すると言えるだろうか。確かに不利を被った受験生に対して二回目のチャンスを与えられれば彼らは救済されるだろう。しかし、再試験をするからには元々の試験問題と別の問題を作ることになる。難易に差が生じた場合、違う意味で不公平になるのではないか。さらに、この措置はケータイが鳴ったのとは無関係に「何となくダメだった」受験生を必要以上に保護することにもなる。結局何が言いたいかというと「公平にこだわりすぎるとキリがない」ということだ。この例だと、一つの不公平を解消しようとした結果、別の不公平が二つも生じてしまったことになる。テレビで見たが、リスニング試験の為に受験生に携帯ラジオのような端末が配られ、イヤホンで聞き取るシステムになっていた。このシステムで既にアクシデントへの対応にはなっている気がする。だからイチイチ再試験をする必要はないのだ。
2008.01.22
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参考までに、改革スタッフが標傍するビジョンと実態にどれほど乖離があるか、という点について「元学生」の立場から述べたいと思う。僕はおととしの春に理工学部を卒業した。ワセダに入って一番失望したのは英語の授業のあまりのレベルの低さだ。高校までと何が違うのかと問わざるを得ない、単なる「蓄語訳」の授業ばかりなのに閉口した。中にはビジネスレターの書き方といった多少はためになる内容もあったが、残念なことに「パンキョー(一般教養)」と罵られる範疇であった。こうした事情で僕の成績証明書は基本的にD(単位認定の中で最低評価)のオンパレードであるが、英語の授業成績だけはAかBである。ただ、「寝る間を惜しんで勉強した」というよりは「時間を惜しんでは寝ていた」と言った方が当たっている。本書によれば「英語教育」と「情報リテラシー」は改革の二大看板らしいが、少なくとも理工学部ではその一方が崩壊していると言わざるを得ない。理工学部だからナメられているという見方が一般的だが、文系学部の英語運用力が(少なくとも入学時と比較して)伸びているとは思えない。つまり、「入るのは大変で出るのはラク」という不文律にはいささかの変化もない。 本書を読んで何らかの新しい知見を・・・と意気込んだ僕だったが、悲しいことに内容そのものに関してはあまりピンと来なかった。だが、あまりピンと来なかったことで逆に「偉くなると実態をともわない浪花節を並べないと身がもたない」ということを学んだ。だがこの事実を踏まえても、僕はワセダが好きだしワセダを卒業したことを誇りに思う。このことには何の疑いもない
2008.01.21
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「早稲田はいかに人を育てるか」(白井克彦著・PHP新書)を読んでいる。愛する母校を卒業して早2年が経ち、ワセダの学校改革に取り組んだ当事者の思想に触れることで何か新しい知見が得られればと思いこの本を手にとった。最近のワセダは明るい話題が多い。ラグビー部日本一、ハンカチ王子君臨、フィギュアスケート荒川・村主の活躍などなど・・・。世間の注目が集まっているのは言うまでもない。僕が入学したころには、学生が起こした反社会的な事件をきっかけにワセダの学生というだけで「和田さん」と言われかねなかった。あれから5、6年経ってほとぼりが覚めるどころか、飛ぶ鳥を落とす勢いでワセダは成長している。「改革」を行う土台はかなりしっかりとしていると言えよう 改革遂行のためのアクターは教授、及び学生である。大学は改革のためにこの2者に働きかけることになる。このうち教授に関しては僕には説明能力がないので割愛させていただき、学生に対しての働きかけについて私見を述べたい 5万人の学生を抱えるマンモス大では仕方のないことなのだが、本書を読む限り学生について観察が足りない気がする。5万人全員を見ろと言うのはあまりに酷だが、「学生が夜も寝ないで勉強する早稲田」なる記述を始め、ややピンボケ感が否めない。結果、やることが天下り的になってしまっているという点に(筆者は否定しているが)やや不甲斐なさを感じる。 この不甲斐なさの源流は、筆者を始めとする改革スタッフの「学生をワセダ色に染めてやる」的な傲慢さにある。その心意気は素晴らしいが、本当にそうしたいなら小学校から一貫教育にするべきだ。早稲田大学に入ってくる学生は、「ほぼオトナ」の状態だ。始めから自分の「色」を持っている。こうした前提に立てば、大学のやるべきことは、学生をワセダ色にすることではなく、もともと色を持った学生に付加価値をつけ、発色をよくして社会に送り出すことではなかろうか。滑稽なことに本書のサブタイトルは「5万人の個性に火をつける」となっている。火をつけることを標傍している以上、消してはいけない。「一旦消してまたつけて」は学生のプライドが邪魔してうまくいかないだろう。(続く)
2008.01.18
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僕を含め、死にたいと思ったことがある人は少なくないはずだ。学校でいじめられた、仕事がうまくいかない、恋人に悲惨なフラレ方をした・・・生きていれば凹むことは多々ある。その現実から逃げたいために死ぬことを考えることは別に不思議なことではない。これはEデュルケムの自殺の4分類中の「宿命的自殺」に該当すると考えられる。すなわち、抑圧の度合が自分の許容範囲を越え死に追いやられるパターンだ。 この種の自殺において共通しているのは自分以外に「抑圧者」が必ず存在するということだ。ウザい上司、いじめっ子、理不尽な恋人など。さらに言うと「ウザい、理不尽だ」という感覚は被抑圧者(自殺する本人)に特有なことが多い。開き直った言い方をすれば、その人の気持ちを他人が体感するのは無理なことなのだ。自殺した子供が通う学校の校長が出てきて「普通の子で自殺したのは正直驚きです」と言ったコメントをしているニュースをよく見るだろう。それがここでいう「開き直り」である。たとえ他人には分からない痛みでも、分かろうとするための努力義務を負うべきだ。「努力義務」とは「(無理かもしれませんが)やってみます」ということであり「どうせ無理なのでやりません」ということではない。ここで言う校長は明らかに後者だ。その証拠にどの事件でもコメントが大体同じで(ドラフト会議のときの高校生のように「雛形」コメントがあるのだろう)、事件が起こって間もなく発せられる。事なかれ主義は「事が起こった後」には全く無意味だ。 こうしたことにならないために僕は「遺書をよく読め」ということを提案したい。英語で遺書のことはwillという。遺書とは言わば「生前最後の意志表示」である。「よく読む」の意味は、自殺した人の気持ちに可能な限りアプローチするということだ。ただ字面を追うだけでなくその行間に込められた気持ちをできる限りくみとるのだ。ただ目で追いかけることでは決してない 個人主義が蔓延している現代では、自殺する人は「勝手に死んだ人」として扱われる傾向があると僕は考える。世の中に勝手に死ぬ人などいるわけがない。自分以外の人との関係の一部分がその人を死に追いやる。原因の一端は本人以外にある。
2008.01.17
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今、僕は携帯からこのblogをしている。正確にいうと、携帯で編集した文章を一旦「下書き用アドレス」なるところに転送して、自宅に戻りパソコンで管理ページにアクセス、転送された文章を手直しして正式な文章をアップするというプロセスを踏んでいる。以前はいきなりパソコンで「清書」をしていたのだが、論理的な文章が書けるようになるためには、自分の書いたものを第三者的な視点で見直すことが必要だと考え、今のやり方に行きついた。下書き無しのぶっつけ本番だと、初めは「筆が進む」感覚を覚えるので快感だが、それはただの自己満足で実際は感情まかせの冗長な(論理的なつながりを欠いた)文章になってしまっていることが多い。 こうした発想は学生時代の卒論発表の資料作成に端を発している。パワーポイントで資料を作るわけだが、当時は常に「あと何ページ」しか頭になかった。論理的思考ができる人は、全体としての訴求点が明確に分かっていて、そのためにはこの内容を大体3ページくらい、あの内容を4ページくらい書けばよいというのがはっきり見えている。僕の卒論は(内容的にも非常にお粗末だったが)この点が欠けていた。だから文章にしようとしてもうまくいかなかった。 今でも最初から論理的になりきれているわけではない。下書きの段階ではまだブレーンストーミングの状態である。ただ、それをあとで見直す知恵は身につけたつもりだ。blogなど文章にする場合に、パワポでいう「スライド」にあたるのは「段落」である。見直しの作業は、主に段落どうしの関係をチェックする作業といえる。 何故僕がこういうトレーニングめいたことをしているかというと、4月からの社会人生活を想定しているからに他ならない。前いた会社で上司から「お前は何がわからないのか自分で分かっていないから救いようがない」と言われたのを思い出す。少なくとも自分の頭の中にあることくらいは自分で説明できないと同じ失敗を繰り返しかねない。そんな危機感から僕はアホみたいに毎日blogしている。 まあこれも所詮自己満足です
2008.01.16
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生きていくうえで「なぜ」を問うことは重要である。自分のおかれた状況を稚拙ながらも解釈しようと努力する姿勢は、現在の自分から一歩前へ、上へ這い上がるための原動力だからだ。だが同時に、現在の状況のみで安易に決断をくださないということもまた重要である。現状に行き詰まると、逃避のためにこうした安易な決断をくだしやすい。この行動は、末期ガンの患者にモルヒネを注射するのと同じで、物事の根本的な解決には全くなっていない。 最近僕はマラソンを趣味としている。とは言っても、ハーフマラソンの大会に2回でたというだけのヒヨっ子ランナーなのだが。走り続けて疲れてくると、僕も「なぜ走るのか?」と自問する。こうした思考は、疲れと比例して自分に重くのしかかってくる。そして、今ここで走るのを止めればラクになれると考えるようになる。こうした問いかけをゴールまでし続ける。 誘惑に負けずゴールしたとき、疲弊感よりも何よりもまず「これでよかった」と思う。走るのを止めなかったことをよかったと思うのだ。「安易な決断」をくださなかった自分を正しいと思える、これすなわち「自信」というものだ。「何故走るのか」の答えも自ずと見えてくる。 気をつけたいのは、ここでいう「答え」は「最適解」であって「理論解」ではないということだ。あくまで実験的に得られた解でしかない。理論解が見つかってしまったら、もはや走る意味はないだろう。また新たな最適解を求め僕は走るのだ。若干散文的になってしまったが、2回目のハーフマラソンを終えての「気づき」を簡潔にまとめてみた。
2008.01.15
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僕は新聞(紙媒体)を読まない。新聞社のケータイサイトをブックマーキングしておいてそこからニュースを得るようにしている。ラッシュアワーの電車内であのバカでかい紙を広げる余裕と度胸がない、というのが根本的な理由だが、それでも一応考えるところがあってケータイでニュースを読むようにしている。まず、ニュースは生き物である。時々刻々ニュースは変化する。同じ内容を扱ったニュースでさえも時間が変われば「情報」としては別モノだ。そうした動的変化に紙媒体で対応できるだろうか。新聞にも一応「第版」というものがあり、全く対応できないわけではないだろうが、それはアナログ(離散的という意味で使っている)な情報でしかない。つまり第2版と第3版のあいだに起こったことは第3版に反映させるしかなく、リアルタイム更新は不可能だ。その点ケータイ新聞は時系列に従ってニュースが動的に更新されていくので、ニュースの「鮮度」をそこなうことなく入手できる。重宝するのは電車の遅延のニュースだ。家を出て最寄りの駅につけば電光掲示板で遅延の情報は手に入るが、ケータイ新聞を利用すればそれよりも早く遅延情報を入手することが可能である。リアルタイムでニュースが読めるというのは魅力だ。 さらにケータイ新聞は他のニュースとのリンケージという点で紙媒体をしのぐ。ニュースはある意味「点」ではなく「線」(そのニュースについて過去に報じられたこととの線)であり「面」(内容的に関連のあるものとの面)である。そのため、暗黙の了解としてその記事を読むために前提となる知識(過去のニュース及び関連のあるニュース)は読者が知っているものとして発せられるという、ある意味残酷な側面がある。だが我々読者も必ずしも万能ではないため、あるニュースを読んでいるときに過去のニュースをついでに読みたい衝動に駈られることがある。このとき紙媒体では以前に発行された新聞をわざわざ引っ張りだしてこなければならない。金を払って新聞を読んでいる上に、こうした「取引コスト」までかかってしまうのだ。これに対しケータイ新聞は簡単なボタン操作で過去のニュースに飛ぶことができる(記事上にリンクが貼られている方が親切な気もしないではないが・・・)。取引コストはこの点ではかからないことになる。 実質コストに着目しても、紙新聞は朝刊だけでも月に3000円前後かかるのに対し、ケータイはネットのアクセス料金のみだ。僕の場合DoCoMoの「パケホーダイ」をオプションとしてつけており、「純粋にニュースを読むためにかかるコスト」はゼロである。僕のような人だらけになると新聞社の経営状況が逼迫してネットニュースを流している場合ではなくなるかもしれない。これはあくまで新しいライフスタイルの提案である。
2008.01.11
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「一人飲み」という娯楽をたしなむようになって2、3年がたつ。場所は大体決まっていて、都内某所の焼き鳥屋だ。店内は狭く、グループで来ている人も多くて4、5人。一人で来ている人が店内の約半数を占めている。そこで焼き鳥を頬張り芋焼酎を飲みながら自分だけの時間を過ごす。頻度はひと月かふた月に1回とそれほどでもないが、行かなくなることはない。 みな一人で来ているのでたまに隣に座っている人に話かけられたりする。如何せん焼き鳥屋なので容姿淡麗なレディーに話しかけられることはほぼないが、始めから「それ」を目的としていないから、よほど悪酔いしてカラんでくる酔いどれ爺でないかぎり話すようにしている。 こういうときは不思議と話が弾むものだ。自分の殻に閉じこもりたいから行っているのに、そこで他人とのコミュニケーションが成立してしまう。話が弾むのは、損得感情が一切ないからだろう。例えばどっかのマセガキがバーに行って女の子に声をかける場合、多かれ少なかれ「夜」のことを考えている。一人飲みは、そうした功利を得ることを目的としていないという点で高次の娯楽だ。焼き鳥屋にいる一人飲み集団はそのことをよくわかっている。わかっている同士だから話が弾む。不思議ではなく必然だ 社会に出ると、やれ協調性だやれチームワークだと水と油のような分子同士が中途半端な接着剤で結びつけられている。そうした不自然な力が全くはたらかない空間が都内にもある。
2008.01.09
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今流行りの「スタバではグランデを買え」(吉本佳生・ダイヤモンド社)を読んでいる。タイトルの割にスタバの話は1章分しかなく、「ホームレス中学生」と同じ商法かと考えるのは邪推でしょうか。 まあそれはさておきスタバでグランデを頼むと、店と客の双方が得をするという話。ショートサイズ(容量240cc)とグランデサイズ(容量はショートの2倍の480cc)とをそれぞれ頼む場合、売価は100円しか違わない。店サイドとしては100円収益が増すわけだが、原価はどうなるだろう。原価の値上がりが100円以内なら店は得をすることになる。実際あの茶色の液体(及び付属品の砂糖やミルク)の原価というのはそこまで高くもないらしく、たかだか240cc増量したところで原価は20円ほどしか違わないらしい。確かに店は得をしている。 では我々客サイドはどうだろう。こちらに関して僕は筆者と異なる意見である。筆者の主張は「量が倍になるのに値段が100円しか上がらないから(注、ショートの値段は250円)得だと考える。 しかしコーヒーを480cc飲んだとき期待される効用は単純に240ccの時の2倍となるだろうか?僕は別段コーヒーが好きな訳ではない。仕事をしていると朝シャキっと目を覚ます必要があるので半ば「義務」として飲んでいる。つまり僕はあの茶色の液体にそこまでこだわりがない。金を払ってカフェに居座るのも、汚い自室よりは読書が捗る気がするからというのと合法的にタバコが吸えるからという理由でしかない。コーヒー自体よりもカフェのアメニティの高さに価値を見出しているのだ(自分一人のときにオール禁煙のスタバにステイすることはまずない)。そんな僕にとってコーヒーが240ccだろうが480ccだろうが大差はない。まあ割と長時間ステイするので一番小さいサイズでは申し訳なく、その次のサイズ(よく行くエクセルシオールではミディアム)をいつもオーダーする。 結論、客が本当に得をしていることなど滅多にない。得をした気分に浸ることはかなりあるけど。それに対して店はきっちり得をしている。当たり前だ。死活問題だもの。
2008.01.08
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まず、日本のプロ野球は「半鎖国状態」であること。1990年に野茂がメジャーに渡ったのを最初に、この15年で日本とアメリカの距離は一気に縮まり、来季メジャー入りする日本人選手は、ロッテの薮田・小林雅、楽天の福盛、中日の福留など20人を越えるらしい。こういうニュースが飛び交うと、日本の球団は「戦力の流出」などと非常に悲しいことを言う。流出させるだけだからつまらなくなる。向こうの逸材を採ってこようとしないのだ。なぜだ? 答えは「カネがないから」の一点に尽きる。日本球団のカネの無さは凄まじい。メジャーと比較してみれば明らかだが向こうは「3年で40億」みたいな、こっちからすると「破格」の契約更改が当たり前のように行われているのに対し、日本は阪神・金本の5.5億(1年単位で)が最高だ。この事実自体は仕方のないことだ。実際カネがないのだから「ない袖は振れぬ」の状態だ。 僕自身はアメリカのスタジアムで野球を観る経験をしたことがないので、人から聞いた話になってしまうが、それによると少なくともアメリカと日本でスタジアムの入場料に大きな差はない。どちらも平均して2500円前後(外野内野などでバラつきあり)だ。「生」で観戦する場合は日米で興業収入に差はない。だが、アメリカはテレビで観戦する人は基本的にケーブルTVに個人的に契約するという形態が定着している。かたや日本はどこかのテレビ局が巨人戦の中継を激減させたとかいって騒いでいる。日本はあくまで「ストリーミング」がメインなのだ。結局球団にカネが入ってくるのはテレビ局からの放映権収入のみで、アメリカとは大きな「格差」があるのだ。 この状況の打開策は「みなさんCSで野球を観ましょう」というところか。僕のファンチームである東京ヤクルトスワローズは、ここ数年成績が奮わないからか中継はほとんどない(あっても巨人戦くらい)。昨年はどうしても野球が観たかったので神宮球場に足繁く通った。スタンドでビールを飲みながら観戦もなかなかオツなものだが、今年4月に生活環境が変わるのを機会に僕もスカパーにでも加入しようとおもっている。
2008.01.06
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コンセプト変更記念として「ブログ」について考えたいと思う。 まず、そもそもブログとは何なのだろうか?あるサイトの定義を抜粋してみると「個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。」・・・とある。 前半(~「他のサイトと議論したりする形式が多く・・・」あたりまで)は、ブログの本来あるべき姿を示しているといってよい。インターネットというものが一般人にも十分浸透し、自分と他人を区別する障壁はほぼ完全に無くなり「ガラス貼り」の状態となった。その結果ブログというものを用いて、前述の定義中の「他のサイトや著者と議論し」やすい状況が生まれたことは納得できる。 ただ、現実はどうだろう。試しに検索エンジンでブログの検索を行ってみると、ただの「一人よがり」なブログが多く辟易させられる。定義に反するが、実際のところ「単なる日記」がものすごい多いのだ。中には優れたものもあるのだろうが、検索に引っかかるブログは玉石混交、「優れたもの」にありつくためには相当な労苦を強いられる(大抵それらにありつくことなく諦めてしまう)。 どうしてこういうことになるのだろう。考えてみると、ブログが誰でも簡単に開設できてしまうのがいけない気がする。早い話「タダ」なのがいけないのである。ブログ1つにつき数百円でもいいから課金すれば、企業サイドの懐は潤いサービスの質を高められるし、使用者サイドも「わざわざ金をかけて」ブログを開設することに価値を見出す人、すなわちそこまでしてブログに何かをしたためたい人以外はブログをしなくなるだろう。そうすれば自然とブログの質が収斂されて、素晴らしい内容のブログにありつける確率も増える。 もうひとつ考えられるのは「タレント気取り」が多いことである。眞鍋かをりなどタレントのブログはヒットしやすい。「普段テレビにでているあの人はこんなことをかんがえていたのか」といった新鮮な発見があるのがその要因だ。しかしそれはタレントにのみ言える話で、どこの誰かもわからない「一般人」が、スーパーの安売り広告の裏にでも書けばいいようなどうしようもない戯言をブログにしたところで新鮮な発見はない。 まとめると、「誰でも気軽に(=金をかけずに)タレント気取り」が出来るのがブログなのだ。これが私の考えるブログの定義である。
2008.01.05
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あの曲は絶対アレのパクりに違いないとか、はやってますなそういう論議。 名前もしらないジャニタレの男の子が歌ってるある曲がミスチルのTomorrow never knowsに似てるというので聴いてみたら、確かに似てる!多分彼はミスチルが好きなんだね。それだけのことじゃん。当事者でもないやつが何でパクったとか言って騒ぎ立てるのか意味がわからん。たとえば桜井一寿がこれを聴いて「お前パクったろこれ!」っていうなら話はわかる。だけど第三者がそんなこと言ってどうすんの。おまけに「すいませんパクりました」って謝罪会見するやつまで出てくる。滅茶苦茶です。 何でパクるのか考えてみようぜ。その対象物をrespectしてるからパクるんじゃないの?respectされているってことは光栄なことじゃないか。ホントにrespectしているかは本人のみぞ知るであり、「パクったろお前!」ってパクられた奴に言われたら、「あなたをrespectしてるんですよ」って言えばパクられた奴も悪い気はしないだろう。ただ、悲しいかなパクり側はrespectしているつもりでも、それがパクられ側に伝わらないこともある。そういう時は裁判でも何でもして争ったらええねん。小林亜星とか一時期すごいもめてたけど、納得いかないのだったらいくらでも争う権利はある。もとを作ったのは小林亜星なんだから。しかし、世論というやつは「パクった」ということにやたら目くじらを立てる割に、小林亜星みたいな人を見ると「いつまで争うねんこのオッサン!」みたいになるだろ。一貫性がない。 映画「モンスターズインク」がドラえもんの「どこでもドア」をパクってるって言うやつがいたけど、すげえ結び付け方だなと思ったよ。海をも越えてしまうのだね。
2007.05.30
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カテゴリーが恋愛かどうかはともかく(笑)、こないだエイズ検査に行ってきた。否、行かされた(強調)!結果は異常なし。どないやねん! 何か異常があったほうが逆にネタになるような気さえする(実際エイズで苦しんでる人、すいません)。意味が分からないのは、ナースのおばちゃんが「プライバシーはしっかり守りますからね!」とやたら言って来ること。あのねー、検査される側からしたら保健所に足を運ぶ時点である程度恥ずかしいねん!ほかの来たやつら見ても、まあオンナに言われて来たなコイツみたいなヤツばっかでみんなやけに伏目がち。ラブホテルで知り合いに会ったときと同じ空気感だな。まあラブホでも保健所でもやることはある程度(?)決まっているわけで、別に気まずさを感じる必要はないんだがな。 ホントにエイズに感染してるヤツってのはまず保健所に来ないんじゃねーか。「オレもう死ぬわ」っていうやつが長生きするのと一緒で(どこが??)、検査させられてる(改めて強調!)やつっていうのは、「まあ感染してはいないとは思うけど・・・」って感じで来てるんだと思うよ。あ、「来させられてる」ね!(三たび強調!!) あと、全然関係ねーけど「何か生理がこないの」と何回もいうバカオンナ、オレは大嫌いだ。何様のつもりやねん。ちょっと前まではアタフタすることもあったけど、もう同じ手は食わない。しかも3日後ぐらいに「生理キター」とか抜かすバカ!お前は電車男(女)か!文字通り「おとといきやがれ!」って感じだ。 誰か絶対に妊娠しないコンドームを発明しろ!イヤイヤイヤ、何かオレが焦ってるみたいじゃん。オレは焦ってないでぇ!!!
2007.05.28
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クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」を観た。僕は戦争世代ではないので、人から聞いた話とかほかの映画の描き方から当時の状況を慮ることしかできないわけだが、栗林中将は変だろ、どうみても。渡辺謙はハリウッドで勝どきをあげることにいかに必死になっているかがわかるね(笑)。負けはしたけど、命を捨てて戦地に赴いてる人をああいう風に見るかねぇ・・・・。「父親たちの星条旗」っていう、全く同じ題材をアメリカ目線で観た作品があるらしく(まだ観てないが)、こっちのクオリティのほうが多分高いだろう。 結局、100%の異文化理解なんていうのは土台無理な話なのだ。その国の人にしか理解できないものは必ずあり、それを異国の人たちに開放したところで理解されることはおろか、受け入れられるという保証すらない。 同じことが人間関係にも言える。たとえ親であれ、恋人であれ、究極的には「他人」である。相手に対する愛情がどんなに大きくとも、その人と同化することは不可能だ。同じ目を持つことは出来ないのである。純粋無垢な少年は、自分と同じ考え・主張を正義とみなし、それ以外を悪とみなすという安易な二元論に何の疑問も持たないが、精神の発達に伴って「自分は果たして正義なのか悪なのか」という疑問が浮かぶ。 僕自身、この問題をまだ解決できていない気がする。自分というものがまだ出来上がっていない。他人を理解することもできない。会社という「他人の集団」で、自分がなすべきパフォーマンスをなし遂げられなかったのがその証明だ。 最近公務員試験の勉強と並行して、民間企業の転職活動もしているが、「職を探す」というよりは「自分を探す」といった方が正しいかもしれない。行きたい会社が見つかること=自分を見つけられること、には多分というか絶対ならないだろう。だけど、その探究心は失ってはいけないと自分に言い聞かせている。
2007.05.26
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高校生が数学を勉強しないので、教科書を漫画化させたものが検定を通ったとか通らないとか。これに対して江川達也は「漫画にするならもっと有名な漫画家に頼まないと」と怒っている。いやいやそういう問題かい!? 多分、漫画にしたところで勉強しないやつはしないと思われる。というか、「漫画にする」という手法が勉強しないやつらを勉強させるためのものとして機能するとは到底思えない。 大人は漫画に対して偏見がある。ひどい場合「漫画ばかり読んでいるから漢字が読めない」とか言ってる素頓狂な奴までいる。新聞の社会面にある4コマじゃあるまいし、そこそこ字もあるだろ。しかも子供は大人が思っているよりは遥かに漫画から多くのものを学んでいる。そのことに大人が気づいていないだけのことなのだ。「今の若い奴は・・・」という、無根拠に高圧的な態度が子供との距離を広げているのだよ。漫画にするというのは大人の立場からすれば「譲歩」なのだろう。しかしそれは子供からしてみたら的外れなのである。 そもそも数学の内容をマンガ化できる人がいるなら是非会ってみたいもんだ。今のところその手のマンガを見たことはない。「内容をマンガ化」っていうのが重要なポイントで、それは表面的にマンガという体裁をとっただけの「教科書」とは一線を画する。 とりあえず言えるのは、子供に媚びちゃ駄目ということだ。数学なんて多少スパルタチックにやらなければ絶対身につかない。「因数分解なんて何の役に立つんですか?」とか言ってるやつはその時点で二流の人間にしかなれんのだ。大事なのは、「何の役に立つかはよく分からないけど、できないとどうやらヤバイらしいのでとりあえずやる」というある種曖昧な態度なのだ。精神鍛錬の一環だね。会社に入ったって上司の圧力で自分の意に反した仕事をやらされるという場面は多々ある(会社やめた俺が語るなってか、笑)。 江戸時代の寺子屋じゃないが、読み書き算盤は理屈なく必要なんですよ。もっと遡れば、ソクラテスはアテネにスパルタ学校みたいなのを造ったとか。「何の役にたつ」とかそういう次元じゃない。「将来店を開きたいので商学部に入りました」というバカガキは多分4年間遊んで暮らすんだよ。商学部に入れないと店を開けないのか?てか商学部出て店やってますって奴のほうが絶対少ないはずだ。つまり、人生なんてそんな目的合理主義なワケはないんだ。かなりの確率で、結果合理主義に終わるんだよ。「何だか色々あったけど、結果としてこうなってます」でいいじゃないか。 若干バイアスがかかってますが、自分の半生を振り返ってみるにつけそう重います。
2007.05.11
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事故を起こした会社(エキスポランド)よ、「大丈夫だと思った」とか言うな。思っても言うな。検査してない時点で杜撰やねん!大丈夫だと思ってなかったら検査してるやろ。苦し紛れの言い訳をしても現実は変わらない。 商売の道具にしている時点で「イナバの物置」的な考え方は通用しないんだ。つまり「100人乗っても大丈夫」っていうのは極々限られた状況における安全性しか担保されないわけで、もし101人乗ったらぶっ潰れて101人目が死んだら、101人目は自分が101人目だったことを呪うだろう。客の立場からしたら自分が何人目なんてのは関係ない。今回の件で言えば「GW明けに検査する予定だった」なんて、客は知らんがなそんなこと!てか、客があまり来そうもないGW明けに検査しようってハラでしょ、ハナから。「何でそんなコメントやねん!」みたいなことを言うよね。 さらに、被害者の遺族よ、会社の代表を葬式に参列させないのは如何なもんでしょう。確かに大事な家族を失ったのは辛いとは思う。だけど、それだから謝りにきてるんじゃん。参列させなかったら生き返るのか?そうでもない限り無益だよ、誰にとっても。遺恨を残さないほうがいいと思うんだが。本人も浮かばれまい。 とは言えこの事故の場合エキスポランド側があまりにも大人気ないけどね。自然災害とかじゃないわけだし。
2007.05.08
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電車で座ってて、目の見えない人が杖をもって自分の前に立った。正直迷った ここで席を譲るべきなんだろうか? これについては二つの解釈が存在する(憲法のテキストにありがちな展開ですが・・・) A形式的親切論 「障害者」には席を譲るべきという固定観念で席を譲る。 B実質的親切論 目が見えない以上、席を譲ったとしても、席から立ち上がるときには普通の人以上の困難が生じることを想定し、敢えて譲らない。 通説というべきか、ニホン社会ではというべきかは分からないが、Aを選ぶ人が多い気がする。例えばこれがご老人の場合は明らかにAの方がbetterだろう。それは、ご老人が席に座らず立っている場合に負うであろう肉体的な苦痛と、座ることによって取り除かれるそれを比較衡量した場合に、後者が前者を上回る結果である。 でもこれが目の不自由な人の場合はどうだろう。(ちなみに判例における目の不自由な人の年齢は推定35歳くらい)。まず肉体的苦痛について考えると、目の見える人のそれと差がない。もっとも目が見えていない以上周りの状況を把握しづらいということはあるが。また席に座ることによって何か変化は生じるのか。例えば席に座ることで、一時的に視力が回復する人だったら率先して譲るべきであろう。しかし現実にはそのようなことはなく、席に座ることによって、「席から立ち上がるときにまた他人の気を遣わせなければならない」という新しい問題が生じる。 障害者障害者というが、彼らを障害者とひとくくりにするのは親切ではない気がするんだな結局。目が見えない人、耳が聞こえない人・・・などいろいろいるわけで、その人に見合った親切心が必要だな。例えば目の見えない人なら、手をつないであげて誘導するとかすれば、その人も安心感があるだろう。 バリアフリー対策というのは駅にエレベーターを設置することをいうのか?足の悪い人にとっては確かにバリアフリーだが、目の見えない人からしたらそんなものは全然バリアフリーではない。人に優しいフリをして結局は企業イメージの保護が目的だろう(天野ジャック?)。 親切心っていうのはそんな押し付けがましいものなのか。もうちょっと自然発生的なものというか、サービス精神的なものだと思うんだが。実際スーパーなんかにいる売り子さん(まあ拙者もバイトで経験したことがあるが)でもウマイ人というのは、結局サービス精神が旺盛というか、「やらしさ」みたいなものを感じさせない。「君が売ってるから買っちゃうよ」なんて言われた日には、それは一流マネキン(マネキンていうのは「売り子」っていう意味なんですね、これはトリビアですよ)の証拠でしょ。 女優杉本彩氏の著書内に「ク○ニをしない男は最低」という名言があるが、これだって「サービス精神」の一環ですよ。如何にヤラシくなく、しかしやらしく舐められるかが勝負でしょ(ちょっとややこしいが)。 まあ若干脱線しましたが、親切心とサービス精神について考えてみた
2007.05.07
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ベンジョ差別反対! いつも棲息しているカフェがそうなのだが(そこに限らず他にもあるけど)、「女用」と「男女兼用」しかない便所、男からしたら非常に肩身がせまい。もし自分が女だとして、便所の前に男が並んでても、「もしかしたら女用は空いてるかも」という期待を持てるが、如何せん男は人が列を成してる時点で「あ、空いてねーのか」と失望する始末(意味分かる?若干「数的処理」めいてるけど)。 かろうじて「男用」があるのが新幹線とか。だけどこの場合は「小便器」しかないんだが。ムカついたのでこないだ新幹線乗ったとき「男女用」で思いっきりウンコしてやりました(何のこっちゃ)。 最近は男も座ってオシッコするやつが多いらしいね。俺は相変わらず高いとこからジョボジョボやりますが。確かに「飛沫」が飛び散りますね。重力による自由落下だからね。 そういや昔オールしたあとに京王線の新宿駅で急にウンコしたくなって男子便所行ったら空いてなくて、でもマジで漏れそうで仕方なく女便所で「用足し」をしたんだ。出るとき(トイレをね!)にイヤーな予感がしたんだけど、案の定トイレの出口のところで駅員が二人立ってて「お客様、ちょっと・・・」みたいな感じで事情聴取されたなー。 そういや僕の出身高校は男子校なんだけど、文化祭のときとかだけ「臨時女子便所」が出来てたけどあれも中々シュールだったな。逆に女子高はどうなんだろう? あーレベル低っ・・・この文章(笑)!
2007.04.20
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最近楽しいことがないせいか、帰宅途中のコンビニで週刊誌をパラパラ見て帰るのが日課になってしまっている。 写真週刊誌、結構笑える記事が多いもんだね。片瀬那奈喫煙事件なんだけど、あれは明らかに加護ちゃんのトバッチリだね。写真の下に「本人直筆」とされる謝罪文が一緒に乗ってるんだけど、何で謝罪?誰に謝罪?クエスチョンマークの嵐です。唯一片瀬に落ち度があるとすれば「喫煙プリクラ」を「素人(=投稿者)」に持たせていること。その「素人」は頭いいよね。タイミングが分かってるって感じ。これから、沢尻エリカとか上戸彩とかの喫煙写真も出てくるんじゃねーか。もっとも沢尻エリカの場合は違和感がないんだろうけど。 さて、女がタバコを吸うのをやたら嫌う男が多い気がするのは気のせい?自分が吸わないならまだしも、自分が吸うにもかかわらず「女のタバコはダメ!」って奴が多い。理由を聞くと「とにかくダメ!」みたいに押し切られてしまうのが大体なんだけど、最近面白いことを言う奴に出会った。 「そもそも女とタバコは似合わない」 はっはーん、なるほどねって感じだ。残念ながら理由にはなっていないけど「とにかくダメ!」よりは説得力がある気がするんだな。「似合わない」っていう観点にはセンスを感じるよ。何か「やめなさい!」みたいに高圧的じゃないし。やんわり否定、みたいな。 僕もこの人の意見に賛同する部分がある。僕は「女が吸ってていいタバコ」と「いけないタバコ」がある気がする。知人にセッターの14ミリを吸ってる女がいたが(今は違うみたいだけど)あれはNG。女が吸っててサマになるのは、ペシェとかロゼとかの割と軽い感じの「ニコチンは別に必要ないんですけどね」的なヤツ。どうしても重いの吸いたいにしてもセーラムぐらいかな。タバコの場合、体に匂いがついてしまうというリスクがあるからね。やっぱいい女にはいい匂いでいてもらいたいっていうところで、セッターマルボロキャビンあたりはちょっとヤだね。 しっかし今日は結局カフェに7時間近くいたことになるが、体中タバコ臭くてかなわんわ。
2007.04.18
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小学校の同級生とかはおそらく知っているだろうが、僕は昔めちゃめちゃ歯並びが悪かった。写真を撮るとき、コンプレックスからうまく笑えなかったくらいだ。その後かなりの時間をかけ、矯正治療をした。器具が外れたのが確か高2。矯正してた人に「普通の歯を治療のために2本くらい抜かれた」とかおっそろしい話をよく聞くが僕の場合は幸いにもそのようなことはなかった。(親不知を抜いたくらい) アメリカでは、肥満の人と(俺!?)歯並び悪い人は「自己管理能力のない人」とみなされてしまうらしい。肥満は分からんでもないが、歯並びも!?という感じではないだろうか。でもそうなんだってさ。何でもかんでもアメリカに迎合するのはどうかと思うけど、まあアメリカのほうが考え方は合理的ではあるわな。 そんなことがあって、僕は人と喋るとき無意識に人の歯を見てる。大昔のアイドルとかで「八重歯がかわいい○○ちゃん」とか言って売り込んでた人もいたみたいだが、最近は結構歯並び直す人が増えている気がする。顔の印象がガラッと変わるのですぐ分かる。 男女別でみると、女の子は歯並びよくても悪くてもあまり関係ない気がするな。別のパーツがかわいければ全体的にかわいいと思うし、歯並びだけよくても困っちゃうしな(笑) 人は外見じゃないと思い続けてきたけど、内面は外見に表れると最近思うようになってきた。最近の僕は肥満児だ。その証拠に内面がダラけてる。
2006.03.29
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目標は2つのファクターで成り立っている。「高さ」と「大きさ」だ。 高さってのはそのまんまの意味で要するにハードルの高さってことだ。ハードルが高すぎたり低すぎたりするとモチベーションが下がる。 大きさってのは、言うなれば「現実との乖離度合」を表す指標であると考える。大きい目標というのは、現実離れし(すぎ)た目標を表す。小さい目標というのは、ある程度現実に近い目標を表す。大きい目標を達成するには小さな目標の積み重ねが肝心で、いきなり大きい目標を持ってきても、それは単なるキレイごとである。 3日前くらいの日経新聞にあったけど、会社で働き始めの若いサラリーマンはあまり大きい目標を立てすぎないほうがいいらしい。現実味のない大きい目標を立ててしまい、「俺のやりたいことと違う」とか言って若くして会社を辞めるやつが多いらしい。こういう人に「じゃあ君は何がしたいの?」と聞くと、多分答えに詰まってしまうのだろう。 関係ないけど、シューカツしてる女の子が電車の中で読んでる日経新聞は違和感ありまくりっすねぇ。こういう人を見るにつけ、「普段は読んでないのね・・・」と思ってしまうのは天邪鬼?
2006.03.17
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ひっでぇ写真ですが、鹿児島です。市内にある城山展望台というとこから撮りました。城山というところは西郷隆盛が自決した地として有名で、実際に自決した建物などが残ってます。標高は100メートルかそこらなので、大したパノラマでもないですが、市内全体、鹿児島湾、桜島などを一望できます。 鹿児島暖かかったなー。日中は20℃くらいでした。帰りに羽田に着いたとき、寒さと花粉症が一気にきてマジでテンション下がったし↓↓ あと鹿児島市から電車で1時間ほどのとこにある指宿ってとこにもいってきました。写真が無くて残念ですが、有名な「砂蒸し温泉」とやらに入ってきました。
2006.03.11
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鶏飯と書いて「けいはん」と読む。奄美大島のもんらしい。 鹿児島中央の駅前では朝市が行なわれていて、そこで働いてる人たちが朝飯を食べるための店がある。そこで鶏飯をいただきました。朝、寝起きで腹減ってたからちょうどいい朝飯でごぉざいました!ササミ、しいたけ、錦糸玉子などの具をご飯にのっけてトリガラスープをかけたシンプルなものだが、トリガラがウマイウマイ! 店主のおっさんと色々喋ったが、相当な自信家とお見受けした。ウチの店がナンバーワンっていう自負が言葉の節々に出ていた。朝飯にちょうどいいっすねー的なことを言ったんだけど、「何いってんの!これをつくるのはすごい手間がかかるんだ!半日くらいかかるんだぜ」みたいに言われた。へぇー 場所は鹿児島中央駅すぐそば
2006.03.06
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うまそうでしょこれ!あまりに美味そうだったから写真撮る前にちょっと食ってしまいました(笑)(てかここだけの話、鹿児島ラーメンは写真とる前に全部食っちまいました) 「六白(ろっぱく)」っていう店の名前は、豚の品種からとっているらしい。鹿児島といえば、黒豚が有名だが、鼻、尻尾、4本の足が白くなってる黒豚を「六白」というらしい。 まあウンチクはこれくらいにして・・・てか高かった!まじでびっくりなお値段だった。でも旅に出ると解放的になってしまうものであまり躊躇せずに食ったけどね。これはある意味重要なことだと思う。焼酎いこうかと思ったけど、カツにあうか非常に謎だったのでビールにしときやした。 場所は鹿児島一の繁華街(おそらく)・天文館の通り沿い。
2006.03.06
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モデルの土屋アンナがCD出してるってのを知らなくて、さらにジャケットがかなり鮮やかでインパクトあったのでタワレコで視聴して、よさげだったので購入・・・したのが去年の9月笑。タイミングを逃がしてたからここで紹介しよう。 モデルが歌出すのはある意味反則な気がしてる。少々ヘタでもビジュアルでカバーできるし。だが、カッコイイ感じを出すのが巧いのはやっぱモデルだと思う。このアルバムもそんな感じ。全体的にROCKなテイストを散りばめつつも、3曲目の「in my hands」でうまい具合に肩の力を抜いてくれる。歌詞は英単語が無秩序にならべてあるだけでアブリルラヴィーンを彷彿とさせるが、曲のカッコよさは圧巻です。カエラをちょっと華やかにした感じか。 これからアーティストとしても本格的に活動するらしいですこの人。楽しみだ
2006.02.26
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(あらすじ)ウソン(ソン・スンホン)は、尊敬する先輩チョンヒョンと彼の仲間たちと、アラスカ・アクシア登山に参加する。しかし、途中で一行を猛吹雪が襲い、仲間とはぐれたふたりは氷の洞窟に避難した。脚を痛めて身動きの取れなくなった先輩チョンヒョン(イ・ソンジェ)を気遣うウソン。チョンヒョンは、朦朧とした意識のなかで今なお忘れることのできない、かつて愛した女性の記憶を語りはじめる。しかしその女性こそは、ウソンが幼い頃から想いを寄せていた友人キョンミン(キム・ハヌル)だった。そして死の恐怖と向き合うふたりに更なる自然の恐怖が襲いかかる…。前から観たかった「氷雨」をついに観た。ストーリーはともかく、映像がすごかった。自然は恐ろしいとゆーことだね。ウソンとチョンヒョン、そしてキョンミンの関係が軸になってる。・・・んだけどぶっちゃけた話、ウソンとキョンミンは「ただの幼馴染」に限りなく近い気がするんだが。俺の中ではチョンヒョンとキョンミンの絆の深さだけが印象に残ってて、そこに入り込めてないウソンという図式になってる。キョンミンは山岳部で雪山に行って、チョンヒョンと崖で遭難しかけ、このままでは二人とも死んでしまうことを危惧して「後悔しないから」という一言を残し、命綱になってるロープを自らナイフで切って死ぬ。そのときチョンヒョンは本当に辛そうだったし、二人の絆は深かったということがわかるけど、チョンヒョンとウソンが遭難したときの、ウソンのチョンヒョンに対する接し方が何か中途半端だから、チョンヒョンのことをどう思ってるかが曖昧な気がした。しかしやっぱ韓国ものはいいっすわ!キムハヌル主演の「彼女を信じないでください」もDVD化されてるし、5月には「猟奇的~」のチョンジヒョンの新作が公開されるらしい。観るしかないね!
2006.02.26
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90年代、僕が応援しているヤクルトスワローズを何回も日本一にした名将。阪神では結果が出なかったが、今年から楽天で監督になる。 昨日バイトの休憩中にブックファーストでこの人の著書「野村ノート」を読んだ。時間が限られていたので全部は読めなかったが。野村氏のいいところは「頭が若い」こと。つまり、年をとっても頭を使い続けていることだ。この本の中で野村氏は、バッターをA型~D型のタイプ別に分類し、それぞれのタイプごとに「このカウントだったらどう待つか?」などといった事柄を、非常に論理的に説明している。すげーと思う。筋道の通った論理で自分の考えを主張できる人というのは、その人の職種などをとわずカッコイイと思う。若い人間の固定観念かもしれないが、とかく年寄りというのは自分のそれまでの経験に過剰に自信を持ちすぎて、時に高圧的に若者に接することがある。野村氏も「ピアスはアカン」「茶髪はアカン」とか言い過ぎるとこはそういう人と大して変わらんが(そういえば、清原またピアスしたね)、野球に関しての論理は非常に若いと思う。もちろん、自分の経験をベースに語っていることに違いはないのだが、やはり「プレゼンテーション能力」は重要だと感じる。自分の頭の中の情報量が10あったとしても、示し方しだいで20にもなるし、5にもなる。 で、楽天はどう化けるのだろうか。野村氏は「1年で結果を出せなど酷な話」と明言している。さらに「楽天のフロントも俺が教育する」と言っている。非常に楽しみだ。ヤクルト時代野村監督の下でプレイした池山・橋上がコーチになったし非常に期待できる。さらには「師弟対決」野村VS古田も見逃せない 俺は長嶋より野村が好きだ
2006.01.29
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久しぶりに出会った「コレだ!」と思える自己啓発本。自己啓発といえば・・・お馴染みPHP(Peace & Happiness for Prosperityの略だそうな、笑)文庫!かなりいいタイミングでこの本を読んだと思う。 この本では、主にビジネスの場で企画力・発想力を高めるにはどうすべきかを説明している。発想力というと、とかく精神論めいたものに頼ったり、「自分には無理」と諦めてしまいがちであるが、ここでは「発想力を高める方法」というよりは「いい発想をするための頭の中の整理整頓のしかた」のようなものを具体例を交え説明している。パソコンに必ず入ってるマイクロソフトの「WORD」に「アウトライン機能」という優れた機能があることをこの本で知った。 ずばりこの方法、卒論で使える。今まで敢えて卒論の文章は書かないできたが、今日までの時間は「アウトライン」をしっかり作っていた。卒論の文章化したものを完成品とすれば、この「アウトライン」はいわば設計図。正直100%の設計図ではないからこれからもチョコチョコ手直しが必要だが、文章化するときに「糸の切れた凧」状態にならなくてすむ。さらに、今日文章を書き始めて実感したが、設計図があるから、例えば論文のある部分を書いていて、ちょっと煮詰まってきたら、他の部分を書く、なんてことも可能である。バラバラのパーツを組み合わせる。その方法は前もって組み立ててある。イケルよこれ!先生!ハッタリじゃないっすよ! いい本読んだ。
2006.01.17
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マギーの人工呼吸器を外し、大量のモルヒネを打ったときのフランキーの気持ちはどんなだったろう。神にそむくか、マギー(の意志)に背くかというのはそれこそ究極の選択だったに違いない。死んだ父の姿をフランキーにダブらせるマギー、疎遠な娘の姿をマギーにダブらせるフランキー、二人の絆は家族以上だ。だから何とかマギーを苦痛から解放させてやりたい。そんなことを考えていたんじゃないだろうか。モクシュラ・・・「お前は俺の血」・・・マギーに付けたこの名前、二人の絆をストレートに表す言葉だった。 難しい映画だった。難しすぎて泣けなかった。一人の女ボクサーの人生を描きながら、実は言おうとしてるのは「死とは何か?」またはその裏返しの「生とは何か?」というとても深い映画だった。 「二人の絆を描いたラブストーリー」っていうフレコミはどうなんだろう?ちょっと謎だった。まあそれもあるけど何か60点って感じじゃん。シンプルではあるけど、シンプルすぎて逆に難しい。
2006.01.13
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学校のIT関係の授業のTAをやってる手前、1年生が書いたと思われる「私が社会環境工学科に入った理由」なる文章がメールで送られてきます。(僕らにメールする意味がわかんないし)量が膨大すぎて若干迷惑なんですが(マジで!)、ちょっとだけ読んでみました。 まあどれも素晴らしいこと(若干理想論めいてますが)が書き連ねてあってそれ自体は素晴らしいんですが、それはちょっとちがうんじゃねーのー?と思うことを一つだけ書いときます。 ずばり、社会環境工学っちゅー学問はこの世に存在すんのか!?と問いたいわけであります。ひどい場合「私は土木じゃなくて社会環境工学がやりたかった!だからこの学科に来て良かった!」みたいに書いてる人がいて、あーそれは違うなと思いました。君が今やってるのは、君がやりたくなかった土木工学なんだよと言ってあげたい。僕も大して勉強してる人間じゃないんでえらそうなことは言えませんが、土木工学というのは数学、物理学などと同じで古来から脈々と語り継がれてきた学問で、社会環境工学というのは単なる学科名、アナーキーな言い方をすれば、入学する学生に魅力を感じさせるための客寄せパンダにすぎません。もっとも悪いのは彼らではないと思います。強いて言うなら、社工のHP作ってる頭悪いおっさんが悪いです(私の記憶が確かなら、このHP、かつての文章中では「土木工学」となってた部分をそのまんま「社会環境工学」に置き換えてるだけですし・・・)。そりゃ事実誤認せざるを得ませんぜ。 別に土木万歳!という気はありません(その証拠にこの学科を卒業したらIT業界に行く予定だし。)。というか土木関係の業界は正直嫌いです。就活中「ナニこいつ!?」って奴もいたしな。ただ学科名改称には客寄せの代償もあるんだよということです(というかホントに「客寄せ」になってんだか怪しいけど)。 久しぶりにアナーキー節になってみた。こういう文章は書くのが速い。不思議だ
2006.01.11
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学校の友達、ミクシーネーム韓国スターこと、かなめくんのぺーじから失敬してきましたあなたの組み合わせ:かに 座 イヌ 年 B 型 あなたと同じ組み合わせの有名人は、岡村隆史 です。 あなたの順位は576位中 225 位です。 新分野への進出など、変化が起こる年。ヒラメキを大切にすると運気が上昇。 ・・・俺は別にでっかい火の玉を年末に受け止めようとは思いませんが。みんなもジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリダウンロード、あー、ダウンロード↓http://www.fujitv.co.jp/saikyo2006/
2006.01.08
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松本人志の本をパクってこういうのを始めてみようと思います。 街灯、好きですねー。夜の街が基本的に好きだから。なかでも好きなのは、でっかい幹線道路とかに規則的に立ってるオレンジ色の街灯。ドライブしてて夜になると心が躍ります。ちょっとオトナな感じのする光やねんねアレ。音楽で言ったらJAZZ、みたいなね。嫌いじゃないっす。千葉に行くとき使う国道357号のライトの感じはツボですね。首都高湾岸線と並行してるとこ。あそこの街灯の感じは好きです。アレを白色灯にしてしまうと、何か冷徹な感じがしてしまうので、ずっと残しておいてほしいと思います。 くっそー写メがあれば・・・しばらく夜ドラは控えようと思ってるので。今年は雪がやばいから行動範囲が相当限定されるしね。こないだ仙台帰りに大丈夫やろ?と思って、内陸よりの国道4号使ったらマジで銀世界に入ってしまったし。
2006.01.06
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最近ミクで再会した高校の同級生じゃいの日記から、おもろいサイトを発見。さっそくやってみた。「国語審議会の新委員決まる」日本語のあり方について審議・提言する国語審議会の委員に、高野 健一が選ばれた。高野 健一は近年、出版や言論などでの活動が注目されており、委員としても独自の視点を持った活躍が期待されている。記者会見の席で、高野 健一は今回委員に選ばれたことにより自分はインチキな大人たちに喝を入れることになるだろうと述べた。また、終始自分のことを「麻呂」と言い、語尾には「おじゃる」を付けるなどといった平安風の言葉で記者団に対応した。高野 健一は早くも「ベクトルはウザいので廃止する」と言って鼻息を荒くしている。 「高野 健一社長の表と裏」TVショッピングでおなじみの社長、あの高野 健一氏が、我々取材陣にその成功の秘訣を明かしてくれた。…「まあ基本はべシャリだね。僕、ホントは訛ってないんだけど、わざとああいう風にやってるんだよ」…「えっ、それじゃヤラセじゃないかって?まあヤラセ言われればそれまでだけど、今の時代、テレビなんて99パーセントヤラセだからね。それを見て視聴者は喜んでくれるんだしさ」…「あっ、そろそろ時間?じゃあ、僕は収録があるのでこの辺で」…「はい、この最新型パソコンでしょー、このプリンタつくでしょー、そしてなんとデジカメまでつけちゃう!いいですよー、これからの運動会シーズンとか~。これ全部で199800円!分割手数料は…。高野 健一氏は明らかに裏と表がある人物だということ我々は知った。 「高野 健一」さん表彰される先月の染物工場火災の第一発見者で、消火に協力したパン職人の高野 健一さんが消防庁から感謝状を贈られることになった。高野 健一さんは仕事場に泊まるときに、火を落としたナンを焼く窯で寝ることがあるという。「ぽかぽかですよ。寝てる間に温度も下がるので寝汗もかかないし」とのことだが、先月の染物工場での火災の際、高野 健一さんの店にも火が回った。いつもとは違うナン窯の熱さで起きたという高野 健一さんは火災に気付き、消防に連絡し自らも消火に協力した。今回の感謝状については「窯で焼かれなくてよかった」とのこと。 いやーおもろい。「じゃぱねっとたかの」ってか(笑)!?みんなもやってミホ↓http://www.p-apple.net/anata/
2006.01.05
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Test of English for International Communicationの勉強をぼちぼち始めた。3月か4月には受けようと思う。卒論でダイヤモンド電極や廃水処理の論文を読んでるから(英文はそれ以外読んでないから)ボキャブラリーが相当偏っている。スクリプトを読んで、瞬時に意味が取れるのが目標なんだが、なかなか難しい・・・。やっぱ日本語と構造が違うから「日本人的な読み」(修飾語となる句や節が出てきたら前に戻って読む)になってしまうのが難点やな。それが日本の英語教育の欠陥だと声を荒げる人もいるが、俺はその日本の英語教育のおかげで、(ほかの科目はともかく)やってこれてると思う。「楽しみながら英語を身につけましょう!」みたいのは大体失敗するしな。若干スパルタめいてたほうがうまくいくってもんよ。 就職してから必要な基本情報技術者試験も合わせてやっていこうと思う。春休みは遊んだれ!とも思うが、もう遊びつかれた(笑)感もあるのでこういうこともしっかりやってくぜ!
2006.01.04
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ばあちゃんちにオヤジを除くウチの家族、叔父叔母夫婦が結集。家族と長時間コミュニケーションを取れる機会はなかなかないからこういう機会は貴重なんだと思う。 おかんと叔母(おかんの姉)は去年結婚した人から来た年賀状の写真を見ながら「このお嫁さん、ブ○○クねぇ・・・」「こっちのダンナさんは冴えないわねぇ」と悪態をついてます。 弟は留年する確率がかなり上がってきてテンパり気味だそうです。 叔父はひたすらワインを飲んでます。 ばあちゃんは任天堂DSを自ら購入(!)、脳年齢が気になるらしいです。 俺は、おばさん2人に「あんたたちはヤな人だよ」と呆れつつ、「1年くらい留年してもいいんじゃね?」と弟を慰めつつ、叔父のワインに付き合いつつウンチクに適当な相槌をうち、脳年齢が28歳で若干ご満悦。(ちなみに実年齢53歳の叔母の脳年齢は81歳、笑。「海外生活が長いからね・・・」とファンキーな言い訳をしております。) ナンダカンダで僕はこの人たちが好きだ。そんなことを感じられるのは正月だけ。貴重な時間を過ごした。
2006.01.02
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ある意味「初」な正月である。というのもオヤジが家にいないのである。小学校のとき単身赴任で別のところに住んでいたときも、こんなことはなかった。というわけで全くの「初」! オヤジは仕事してる。年の暮れに会社で大変な「事故」がおき年末年始返上で地方に行ってしまった。(どんな仕事をしてるかは敢えて書かないが)テレビなどのメディアを賑わせている事故である。しかも、NHKや民放のニュースの現場中継になんとオヤジが生出演(笑)!さっきウチの電話が一瞬かかりにくくなりました(笑)。どんだけミーハーな親戚やねん!さっきオヤジと電話で喋った。テレビに出てたことを話した。オヤジもオヤジでマンザラでもないらしく「そっかー・・・」みたいな感じだったが。6日までこっちには帰ってこられないみたいだから、お疲れ様です的なことを言って電話を切ろうとすると最後にオヤジが言った。「会社で働くってのはそういうもんだぞ・・・」 不器用なのか何なのかオヤジは俺と本音で語り合うことが殆どない。たまに二人で飲みに行こうと誘われて、息子である俺はそういう機会は大事だと思って絶対に誘いは断らないようにしてるが、大体世間話で終わってしまう。去年の夏、就職で行き詰ってたときに「お前マジメに就職する気あんのか!?」と詰問されて、「マジメに就職ってなんやねん!?意味分からんわ!」みたいな感じで大喧嘩したがその時も本音で話し合えてない感じがしてちょっと寂しかったんだ。血の通った親子なのに。だが、さっきの一言で安心した。言葉を並べるのではなく、行動で示すというオヤジの姿勢からは学ぶべきものがかなりあった。 いよいよ今年は就職だ。就職先を見つけるのにあれだけ苦労したから、正直うまくやってけるのか的な不安は相当大きい。だけど身近なところにいい見本となる人がいるとわかりその不安も少し軽くなるだろう。
2006.01.01
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2005年の半分くらいは就職活動していた。自分の弱い部分が完全に露呈されてしまい非常にみっともない1年だった。前の年は大して強くもないのに強がっていろんな人とトラブルを起こしまくったから、その反動という感じか。今年の僕はひたすら脆弱だ。初めは「いつか決まるだろう」とタカを括っていたが、きまらないと当然のように段々焦ってくる。そこで僕は「こんなはずはない」「企業の奴は見る目がない」と思うことで弱さをごまかしてきた。しかしこれは苦痛を一瞬だけ和らげるモルヒネにすぎず、効力がなくなると僕はいよいよ頭が変になった。恥ずかしい話、睡眠薬の力を少し借りた。眠れない日が何日も続いた。結局内定はとったが、それは自分の弱さを完全に払拭したこととはイコールではなかった。弱さと対峙することが新しいテーマになった。 正直なところ、この弱さを克服する絶対的な方法はまだわからない。ただ、自分の弱さがわかった分だけ強くはなったと思う。まだまだ弱いが。2006年はいよいよ社会人生活が始まる。強がらずにやっていこうと思う。これ以上弱くなったら失格な気がする。
2005.12.30
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クリスマスに・・・自分、初体験です(照)気持ちよくはなかったです。 そうです!私がやらかしたのは交通事故!車の運転気をつけねーと・・・ あんま語りたくないわー・・・マジでショックだ。ぶつけた人ごめんなさい
2005.12.26
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いやー時間かかりすぎですが何とか読みきりました。登場人物多すぎてワケ分からなかったけど最後のほうはわりと楽しめた。 結構ランディに同情できる気がしたな。思考回路が俺にそっくり。「昔の恋人の思い出はゴミみたいにトラッシュ缶にポイっと捨てるわけにはいかない」っていうココの言葉、俺を泣かせてきた女どもにそっくり(笑)確かに昔の思い出は簡単には捨てられない。でも捨てられないのならせめて、今の恋人には見えないように、ゴミ箱の陰にでも巧く隠しておいてほしいな。それとも「恋人の過去も含めて全部好きになる義務」がランディにあるんだろうか。確かにそんなことをココは言っている。 こんなやりとりをしながら、ラストシーンは二人でシャンパンで乾杯して終わってる。どないやねん(笑)!結局ランディはうまくやっていける決心をしたのだろうか?気になる・・・ さらに、俺に山田詠美を勧めた人が「多分気に入るよ」と言っていたが、それもまた気になる。確かに面白かった 次は東野圭吾の小説を読もうと購入したが、昨日買ったもう1冊が今まさに読んでおくべき本だと思ったのでそっちから読むことにした。今度紹介します
2005.12.22
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"僕は君のために 君のために時が終わるまでただ…君は僕のために 僕のために時が終わるまでただ…I love you・・・涙も苦しみもわけあうように悲しみにおしつぶされないように僕は君を守りたい君をみつめているよ僕は君のために 君のために時が終わるまでただ・・・そばにいるよ”自作ではありません残念ながら。いい詞です。久々です。何かいい気分になります
2005.12.21
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あべちゃんの卒論の発表の資料を見ながらDNAっておもろいなーと思った。ただのたんぱく質の長い帯で遺伝情報が伝達されるってのがなかなか神秘的やな。まあ30億個っつったら「ただの」ではないけど。その30億のたんぱく質の配列の違いで人間だけじゃなくて、動物、植物、あらゆる生き物の形が決まって行くんだな。ちょっと自分のDNA鑑定がしてみたくなりました。 今日は卒論の中間発表です。また「早稲田理工旅館」に宿泊してしまいました。今日は発表前日ってこともあって結構賑やかです。これが終われば2005年もだんだん終わりが見えてきます。24日には「単品男子悲劇のドライブツアー」を計画中。その仰天コースを先ほど同行者どもに披露したら、引かれると思ったのに「おもしろそうだねー!」という感じだったのでよかったです。ビューティフォーな景色を求めてまた旅に出ます。
2005.12.20
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▼回してくれた人の印象3つ はやとマジメ理論的頑固▼周りから見た自分はどんな風に見られているか、5つお答えくださいアバウトマイペースロジックよりパッション意外に繊細B型▼自分の好きな人間性について5つお答えください ・シュール ・不思議ちゃん ・犬より猫がすき ・ パンよりメシが好き・耳たぶの柔らかさ重要▼では逆に嫌いなタイプは? ・面白みがない・周りに合わせすぎて自我のない人 ・他人の痛みを理解しようとしない ▼自分はこうなりたいという理想像 186せんち 75キロ(体重を理想にする)▼自分を慕ってくれる人に叫んでください ジーザス!▼そんな大好きな15人以上にバトンタッチ![印象つきで] ちょっ、15人は無理っす。 めんどいんでやりたい人はご自由に
2005.12.19
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安藤美姫は確かに可愛い。17歳とは思えないくらい色気あるし、同じ年の人と一緒に並んだら、やっぱ大人に見えるだろう。でも、インタビューとか見てると自分のこと話すのに「ミキはぁー・・・」ってなるから「あーやっぱり17歳なのね。」と思ってしまう。 このことがいいか悪いかはともかく、「一人称」ってのは自分のイメージを相手に焼き付けるためのもんだと思っている。このブログをざっと読み返してみると、俺も結構いろんな一人称を使っていることに気づく。さっそく今「俺」を使ったけどね(笑)。一応自分としては使い分けがあるのでこの際それを明らかにしておこう。僕・・・俺と大差はないけど、まじめなことを語るときには大体「僕」やね俺・・・日々の戯言をグダグダ書くときは大体「俺」おいら・・・ちょっとガキっぽさを演出したいとき(サブっ!)・・・こんなとこか。ちなみに「おいら」を多用するビートたけしはある意味賢いと思う。たぶんしゃべってる人も親しみが湧くだろうし、ビートたけしもそこらへんを計算してるんだと思う。自分のことを語るのは嫌いではないので「一人称」はよく使うほうだと思う。
2005.12.15
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「こめかみに銃口」僕は迷わずにその引き金を引くだろう引き金を引かなければ生き延びられるとか引いたら血が飛び散るとかそんなことを考える間もなく引き金を引くに違いない死にたくもないし 生きたくもないただ 死ぬとか生きるとかいうことを頭で考えるのが面倒なだけだ際(きわ)に立たされるのが苦痛なんだだから引き金を引いてその苦痛から解放されたいいいかね?BANG!
2005.12.14
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あなたは猪突猛進のペガサスです。(ちょっとカッコいいやん!) あ な た は ど ん な 男 性 あなたはいつもニコニコと笑っている温厚でみんなから好感を持たれる男性です。知的な会話が好きでちょっとした事を話すにも機転を利かせ、たとえ話を織り交ぜながら分かりやすい話に仕上げます。(たとえ話がサブイorたとえの意味がわからないとよく言われますが・・・)才能をうんぬんするよりも、まず努力して、他人の何倍も働いて何とかしようとする根性の人です。(おおーいいねぇ!)新しいことへのチャレンジ精神は、純白の翼を力強く羽ばたかせ、高く遠く飛んでいくペガサスの姿そのものです。(♪飛んで飛んで飛んで・・・回って回って回ってまわーるぅ)余計な事を考えず、一直線に目標に向かっていくので、行動も迅速です。(これは相当いえてるなー)勿論行動が速いだけで無く、空中を飛びまわれる方向感覚にも優れ、企画、実務共に目覚しい成果を上げられます。またどんなに忙しくても手抜きはしません。新しい事を立ち上げる際に手を抜けば、うまくいかない事をよく分かっているからです。 あ な た の 本 質 自由奔放な考えを持つペガサスの中でも、あなたはいつまでも走りつづける事に意義を見出します。次から次へと新しい何かを見つけだし、考えられる限りの手を打っていきます。あなたにとって「忙しい」という言葉は口癖で、その言葉で自分自信を鼓舞し、熱意を沸きたてるキーワードです。その様子は猪突猛進、まるで荒武者のようです。合理的な考えの人ですが、目に見えない事は信用しないという現実至上主義者でも有りません。情緒が生み出すはかなさや、美しさを楽しみたいという芸術的な感覚を持っています。(最近ちょっとそんな感じやな・・・)そんなロマンチストの部分を伸ばすと人間に深みが出てきます。(ウンウン、そう思って色々とやってるわ)冷静で合理的な判断を下しますが、反面自分が重要と判断した事に当たっては細かい心遣いが出きる人です。 対 人 関 係 生真面目過ぎる性格から、他人や自分の行動がゆるせないことも多いです。(ほーあたってるねー!)好悪の感情の激しさで、判断が偏ってしまわないように注意しましょう。(要反省だね)その好悪の感情の激しさは敵を作ってしまいがちですので、時には一歩引いた形で、全体を見回せる余裕も持ちましょう。(時既に遅し!?)行動を起こす時その行動理由をきっちりと理論付けもできるので落ち着いてチームを率いていくのも得意です。リーダーになれる素質は十分で目下の人間から仕事面でもプライベートでも頼られる存在となるでしょう。ただ、反対に興味がないことに対しては気短に接してしまうところも有ります。いつも穏やかなだけに普段とのギャップが激しく感じられ、変なところにめんどくさがり屋の人と烙印を押されてしまう事も有ります。これはあなたが本質的に持っている合理精神がその事に対して「無駄な労力」と判断したためなので、本人には悪意はないのですが、時には周りの誤解を招いてしまいます。 恋 愛 あなたは恋が燃え上がれば、何処までも熱く熱くなってしまう男性です。(アツイねぇ)表面の明るさ、親しみやすさが邪魔をして、相手が勝手な思い込みをしてしまうことも多いです。(勝手な思い込みを自分がするほうですが、笑)そんな相手の思い込みでの苦い経験でがあるので、恋愛はなかなか発展しません。(ですから思い込みをするのは僕ですが、怒)しかし、生真面目で感激屋でもあるので、一旦警戒心を突破されてしまうと、あっけないほど相手に対して無防備になってしまうのも特徴です。(無防備すぎて嫌われることもありますが・・・)若いうちは命を捧げるような大恋愛をしますが、年齢を重ねるごとのに知的で静かな恋愛に変わっていきます。 (いつになることやら・・・)相 性(恋愛編) 恋人としての相性○ペガサス お互いに個性的で自由奔放な性格ともに 恋愛にぴったりの恋愛相手。×ひつじ 慣れすぎると、何かと側にいたくなるひつじに、 時には孤独を欲するペガサスには鬱陶しくなる。結婚相手としての相性○オオカミ クールでお互いを尊重するオオカミと自由奔 放なペガサスと長続きする。×ライオン 色々な家事のことなどを押し付けるライオン には自由を求めるペガサスは耐えられない。 相 性(仕事編) 上司○たぬき 多少変わっていても、個性的な部下を認めよ うとする理解有る上司。×さる 細かくなんでも自分で把握していないと気が済 まない上司と自由奔放なペガサスとは水と油。部下○チータ 細かい事が面倒なペガサスとテキパキと仕事を こなすチータは有能な部下。(私の部下は水前寺清子、違うって?)×オオカミ お互いの個性と個性がぶつかり合いなかなか 言う事を聞かない操縦しにくい部下。 ・・・ペガサスな女性、お待ち申し上げております。
2005.12.14
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バイトの友達くらみー君のとこにあったバトンやってみようと思います。【入院】× 一度してみたい【骨折】○ 眼下底骨折1 【献血】○ ブラッディマリー 【失神】○ エクスタシー【風俗】△ ってなあに?ぼくわかんない【補導】× を渡りましょう(ちげーよ!)【女を殴る】× 女扱いしてるやつを殴ったことはない【男を殴る】○ いけませんすみません【就職】○ やっと決まったね【アルバイト】○ 忘れない ビル警備して 焼肉大会(超字余り) 【海外旅行】○ 夢はドバイの石油王【ピアノ】○ ねこ踏んじゃった 【テレビ出演】× してみたいね・・・ 【ラグビー】× ノットリリースザボール【合コン】○ 最近ねーな・・・ 【北海道】× すすき野 【沖縄】× ちんすこう 【エスカレータを逆走】○ バンデッド 【電車とホームの隙間に落ちる】× 一反木綿かよ! 【金髪】○ 予備校で浮いてたとき。彼女に言われてやめた【ピアス】× へそピのかわりにへそ毛があります。【ラブレターをもらう】× フラレターはいっぱいあるよ!【幽体離脱】× れーいがーん!【先生に殴られる】○ もちろん竹刀で【徒競走で一位】× 私は亀 【コスプレ】ダーリンラムだっちゃ(はあと) 【同棲】× ラブホ代節約以外メリットある??【ストリート誌に載る】× 載せてみる? 【ナンパ】○ いわゆる「ミナミ」ね(ちょっと違うか)【逆ナンパ】× 逆ってことはキタ?梅田?? 【交通事故】× ないない。したの道では100キロ以上は出しません【有名人】○ ベッキーに会った【浮気はあるか】× 浮気は文化です【杉村太蔵がすき】○ 嫌いではない 【世の中エロで成り立っている】○ ライフイズエロス 【分岐点】○ ターニングポイント【家出】○ さぶいよー 【ウィンタースポーツ】○ スキーはそこそこ 【偏食】× 食わぬなら 食ってしまうぞ ホトトギス【兄弟】○ 明らかに僕よりできのいい弟がひとり【オール】○ 4日前オールでドライブ【前世】× なんだろう?【眼鏡】○ おぎやはぎ 【株】× 難しそう 【ミクシィ】○ 麻薬 【ダンス】× 猟奇的な彼女ばりに【オフ会】× 機会がない
2005.12.12
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