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問題は、情報不足と固定観念 前回、マダガスカルの見聞について書いたが、政治・経済面は短時間の旅の見聞では分からない。そこで、船旅の前に買っていた書籍数冊を読み返した。そのなかで、まず一番基本の部分を分かりやすく例を挙げて書いている下記の書籍を紹介しよう。「日本人のためのアフリカ入門」(ちくま新書、2011年4月)(著者:白戸圭一、2004~08年毎日新聞ヨハネスブルグ特派員) 2004年4月、白戸は毎日新聞ヨハネスブルグ第7代目の支局長として赴任した。支局長といっても記者は自分一人で、しかもサハラ砂漠以南48か国を担当していた。彼は本書に執筆の動機として次のようなことを前文で書いている。「政治的混乱や貧困により多くの人が域外に流出しているが、圧倒的多数が生を受けた土地での暮らしを主体的に肯定し、祖国で生涯を終える。~中略~私たちは、アフリカの人々が少なくとも我々と同じ程度に祖国に誇りを持ち、我々と同じ程度に優秀で、我々と同じ程度に幸せな暮らしを営んでいることを知っているだろうか。日本とアフリカの経済規模や科学水準の差に眼を奪われ、国力の差を個々人の幸福度の違いと錯覚し「進んだ日本、遅れたアフリカの暮らし」と思いこんでいないか。 白戸は2004年から2008年までヨハネスブルグ支局長を務めるが、2010年1月の時点で毎日新聞はアメリカ合衆国に7人、ヨーロッパには6人の記者を配置していた。サハラ砂漠以南のアフリカに駐在している日本人記者は他社も含めて計4人、ケニアのナイロビに2人、ヨハネスブルグに2人だった。日本人のアフリカへの関心が薄いのは、メディアからの発信が西欧中心であることに原因があると白戸は言う。「ケープタウンの少年」(富裕層の子どもであろう、清潔なショピングモールでのスナップ) 次に日本人のアフリカ観として、白戸記者はあるテレビ番組を取り上げた。それは若い男女が登場するバラエティだった。番組の中で、ゲリラに両親を殺され孤児院にいた10歳の少年が、別れたままの姉と会いたいと言う。そこで出演者たちは少年の姉を探す旅に出る。そしてめでたく実姉と再会するという「感動話」だった。 ところが、後日当時の「10歳の少年」にこの番組を見せたら、この話はテレビ局側の完全な「やらせ」だったという。両親はゲリラに殺されたのではない。しかもテレビ局は少年に日本留学や金銭支援を約束をしたが約束は守られていないという。(これらの「約束」については、白戸記者の質問状に対してテレビ局側は否定した) 白戸記者は、この問題について記事にすることを考えた。しかし、次の2点から記事化を断念した。一つは番組放送から2年弱経っていたこと、「支援」の約束について双方の言い分について、どちらも立証できなかったことだった。 白戸記者は、この番組の問題点をいろいろな面から分析することで、日本人のアフリカ観を考察しているが、紙面の都合でこの章の最後の文を要約して紹介したい。 京都大学の松田素二教授は、私たちがアフリカに関する情報を解釈・理解するための知識の枠組みを「アフリカ・スキーマ」と名付け、日本人のアフリカ・スキーマを次の様に分析している。 「現在のアフリカスキーマは、19~20世紀の植民地支配の時代から継続しているといってよい。今日の日本社会に定着しているアフリカ理解は、この強力なアフリカ人資金のための枠組みによって作られている。~中略~たとえば、アフリカで生起するあらゆる種類の政治的対立、軍事的衝突、社会的憎悪をすべて部族間の伝統的関係性で説明する万能の解釈枠組み(部族対立スキーマ)や、そのバリエーションとして、アフリカでの社会・文化現象を、上から目線で(常にアフリカを援助し、啓蒙する対象とする目線で)、一元的に解釈する認識(未開・野蛮スキーマ)は、代表的なアフリカ・スキーマの一つであろう」 この章の最後で白戸記者はこう書いている。 「このバラエティ番組が浮き彫りにしたのは松田氏の言葉を借りれば、無意識のうちにアフリカを「常に援助し、啓蒙する対象として捉えている日本人のアフリカスキーマではなかったか」 ここでは4つの章のうち第1章だけしか紹介できなかった。彼にはアフリカに関する別の好著もあるので、機会を見つけて紹介したい。 白戸は立命館大学修士課程でアフリカ政治史を専攻し、毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員、ワシントン特派員を歴任した。現在は立命館大学国際関係学部教授。↓ランキングに参加しています。応援のクリックをお願いします。写真日記ランキング日本人のためのアフリカ入門 (ちくま新書) [ 白戸圭一 ]価格:902円(税込、送料無料) (2023/1/25時点)楽天で購入
2023/01/15
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途上国の経済発展、貧困解消のために 資本主義のもとでの市場経済の原則では、発展途上国の零細な生産者は、世界規模で展開する大企業との取引で弱い立場に置かれる場合が多い。それを放置していると、途上国の農家や生産者の生活向上は望めない。また、低賃金労働や児童労働、乱開発による環境破壊を引き起こすことにもつながっている。 そこで、発展途上国の製品を適正な価格で継続的に購入して、途上国の生産者を支援しようという動きがあらわれた。この仕組みをフェアトレードという。「公正取引」と訳されることもある。「フェアトレードのコーヒー」(日本ではスターバックスやイオンがコーヒー豆を販売している) 国際的な貧困対策、環境保護を目的とし、アジア、アフリカ、中南米などの発展途上国から先進国への輸出において、フェアトレードが取り組まれている。主な品目としてはコーヒー、バナナ、カカオのような食品が多いが、衣服やアクセサリーなども取り扱われることがある。そのために、各国で支援団体が結成された。 フェアトレードは、経済的な支援につながり、途上国の生産者や労働者の権利を守り、知識や技術の向上にもつながる。日本では、1986年に株式会社プレス・オルターナティブが「第3世界ショップ」を立ち上げたことから始まった。「フィンランドのフードショップ」(フェアトレードマークのついた多様な商品が並んでいる) フェアトレードの動きは生活協同組合で広がった。1990年代にはフェアトレードショップが増え始めた。2002年にスターバックスがコーヒーの販売を始め、2003年にはイオンがフェアトレード・コーヒーの販売を始めた。「近年は教科書にも登場している」(「社会科中学生の地理」~帝国書院:2020年) しかし、現状では、フェアトレードの運動はその理想通りには機能していない。その問題点としては次のようなことが挙げられる。 途上国の産品の多くが零細な生産者によって生産されていて、大量生産ができず価格が高い。また、支援団体も資金力が乏しいためコストがかかる。 工場産品と違って手作りであるため品質が安定しない。中には市場で受け入れられる水準を満たしていない場合もある。 大量生産による規格品に慣れている先進国の消費者からは、商品の品質とは関係ない規格の不揃い、包装の乱れなどが不評の一因となっている。 品質の向上や規格の統一のためには、生産国の技術向上が大切だ。しかし、基本的にはフェアトレードは経済面における支援活動と考えるべきだ。個人で参加できる途上国支援と考え、フェアトレード商品を買う人が増えることを望みたい。 最近、アメリカのギターメーカーTaylor(テイラー)のギターを買った。Taylor社では、自然保護や途上国の経済発展への寄与を会社の方針としている。このことについては、この後の記事で紹介する予定だ。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。写真日記ランキングフェアトレード認証【有機栽培珈琲】フェアトレード・グァテマラ 400g(100g×4袋) / コーヒーメール【送料無料】【ゆうパケット】価格:2483円(税込、送料無料) (2021/12/1時点)楽天で購入
2021/11/29
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その正体は? ネットで話題になっている下記の写真。確かに竜の形に似ている。頭にあたる部分には目も見える。この写真は下記で紹介されている。https://jp.sputniknews.com/entertainment/201709084067217/「四国山地に大きな龍」(パワースポットというには山奥すぎる。険しい四国山地のそのまた奥地なのだ) この正体は早明浦(さめうら)ダムという多目的ダムで、四国一番の大河吉野川の上流にあり、高知県長岡郡本山町と土佐郡土佐町にまたがっている。ダムの頭部にダムがあり、高さは106.0m、総貯水容量は3億1600万立方メートル、有効貯水量は2億8,900万立方メートルという四国地方最大のダムである。 もともと吉野川の流域、河口部にある徳島県への数水量が48%と一番多く、2番目は慢性的な水不足に悩む香川県へ29%、残りは愛媛県が19%、ダム本体がある高知県が4%と一番低いという。「早明浦ダムの位置」(香川県にあると思っていたが、こんなに四国の真ん中にあるとは思わなかった) 香川県の渇水期にはよくこのダムの貯水量が話題になっていた。旅客期の窓からの写真のようだが、この写真を撮るためには福岡空港~高知竜馬空港に乗るのがいいのだろうか。あるいは大阪~高知竜馬空港便がいいのかもしれない。 それにしても、四国三郎と呼ばれる吉野川本流への流れはどこにあるのだろう。地図や写真で見た限り分からなかった。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2018/03/04
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バヌアツ共和国での2年間 現在関わっている職場の関係で、JACAの事務局スタッフの方の話を聞いた。今から15年くらい前に「地球が100人の村だったら」という本が話題になった。本棚を探していたら残っていた。処分していなかったのだ。 家にあったのは、池田香代子再話、C.ダグラス・スミス対訳(マガジンハウス社)の2002年第6刷だった。この本はインターネット時代に入ったことを象徴する本だ。ある学校の先生が毎日生徒にメールで学級通信を送っていた。そのメールの内容がネットを通じて世界に広まったという。そしてその内容が「もし世界が100人の村だったら」という本の元本なのだ。 今日の講話は、それのスタイルをつかって話が始まった。80人が開発途上国に住んでいる。そして、その開発途上国の一つが今日の講師が2年間住んでいたバヌアツ共和国だという。「わかりやすい例え」(わかりやすいが、これはかなりショッキングな事実だ) 大体ほとんどの人がバヌアツ共和国の位置を探すことができないだろう。オーストラリアの東にあるメラネシアの島である。緯度はタヒチとほぼ同じで、面積は新潟県とほぼ同じ、人口は約25万人という。 講師のYさんは30歳ぐらいの元女性看護師である。バヌアツの中心都市からさらに飛行機で1時間半ばかり飛んだ小さな島で、主に衛生面の指導にあたったという。「開発途上国の分布」(この図ははっきりと「南北問題」を象徴している) 1日2ドル以下で暮らしている人が40人もいて、電気が使えない人が25人もいる。そしてこれらの人々の情報はほとんど入ってこない。開発途上国は自然・地理・経済などの面の条件だけでなく、情報の面でもかなりのハンディを持っているのだ。 100人のうち80人が開発途上国に住んでいるという事実を、なかなか体感することはできない。でも、実際に暮らした人から聞く事実はとても具体的で説得力があった。 自分にとっても、この講話はとても有意義だった。何から初めていいかわからないが、まずは、地球上で自分たちがマジョリティではないということを知ることからだろう。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/08
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隠岐郡隠岐の島街竹島が韓国地図のケースに… 9月25日に釜山空港で1万円を両替したら、手元に93,300ウォンが返ってきた。しかし、4日間の旅では飲物を買ったりちょっとしたお土産を買ったくらいでほとんど買い物はしなかった。「両替明細書」(韓国にきたら一時的にお金持ちになった気分を味わうことができる) 旅の最終日の9月28日にはまだ5,000ウォンほど余っていた。そこで、帰りの釜山空港でウォンを使い切るために売店に行った。一番好都合なのは絵はがきや飲物である。が、この売店には本のコーナーもあった。そこに韓国全図があったので買うことにした。「韓国全図」(せめて英語版はないか訊ねたが無いとのことだった。値段は4,000ウォン) 日本円で420円といったところである。オールハングルだから、ちょっと戸惑ってしまうが都市の位置や鉄道・道路網などを見るにはいい。何時か役に立つときがくるだろう。 買う時には何も気づかなかったが、帰って来て改めて見てちょっと驚いた。地図のケースの写真はなんと竹島ではないか。「ケースの両面が竹島」(両方向から撮ったものでなく右側は完全な裏焼きである、これはちょっと笑える) 島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島は、女島(東島)・海抜98mと男島(西島)・海抜168mの大きな岩ばかりからなる島と、周囲に浮かぶ37の小さな岩礁からなる。その総面積は2.21平方kmで東京ドーム5つ分ほどである。 竹島は1953年以来韓国が武力によって不法占拠してている。現在も守備隊が常駐しその領有については1歩も譲らない構えを崩さない。 そんな国家の姿勢が、この地図のケースにまで及んでいるのだ。周囲を海に囲まれ歴史的に国境というものを意識してこなかった日本人にとっては「ここまでやるか」という感じである。 竹島に関しては、一昨年韓国ソウルでKBSの放送局を見学したときに、竹島(韓国では「独島=ドクト」と呼ぶ)のライブ映像が流されていた。これにはとても驚いたものである。この地図のケースの場合もまた同じである。 しかし、このようにしてまでして「独島」は自国の領土だと喧伝している姿そのものが、不法な占拠を逆に公言しているようなものではないでしょうか。日本としては国際社会の理解を求めつつ、竹島問題について正当な主張を続けてその解決を図っていく必要があるでしょう。 ちなみに、2011年に中国の上海で購入した全国版の道路地図にも、ちゃんと「台湾省」のページがあった。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いしますにほんブログ村
2015/09/30
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つくりだされた民族問題 クリミアは、ロシアのプーチン大統領の強引な併合宣言で新たな段階を迎えました。クリミア発の映像のほとんどがロシアへの併合を大歓迎していました。しかし、住民投票の結果とはいえ、一国の領土がその国の承認なしに他国に併合されることは極めて異例な事態です。 ↓時間がある方は、2014年2月27日の本ブログ「プーチンはどう出る」も読んでください。 http://plaza.rakuten.co.jp/shigedoraku/diary/201402270000/ ウクライナ共和国の人口は約4,545万人(2012年:世界19位)です。これは日本の都道府県別人口のベスト5(東京、神奈川、大阪、愛知、埼玉)を全部足したぐらいになります。面積は60万3,700平方Kmですから、日本(37万8000平方Km)の1.5倍強といったところです。「ウクライナ」(ウクライナは、距離的にも情報や知識の面からも日本人にとって一番遠い国かもしれません) ウクライナでは2004年の大統領選挙後から、親欧米勢力と親露勢力間での政治抗争が激しくなっていました。クリミアをめぐる紛争に関して、マスコミは「冷戦の始まりか」と書き立てています。しかし、冷静に考えれば、ウクライナ問題は民族問題に根ざした国内問題です。 ウクライナは、ウクライナ語圏とロシア語圏が明確に分かれています。西部にいくほどウクライナ語を話す人が多くなり、東部にいくほどロシア語を話す人々が圧倒的に多くなります。そして、クリミア半島にあるクリミア自治共和国は歴史的にロシア色が一番濃い地域です。 今日のウクライナの政治的混迷の原因の大半は、旧ロシア帝国及び旧ソビエト連邦が作りだしたことなのです。 旧ロシア帝国は伝統的な南下政策によってクリミア半島にロシア系住民を強制的に移住させました。そしてウクライナ語をロシア語の方言と位置づけるなどのロシア化を進めました。 1922年のソビエト連邦成立により、ウクライナはソビエト連邦の一員とされました。スターリンは農業の集団化を名目に、数百万人のウクライナ人を餓死させたと言われます。またソ連時代には、大きな被害をもたらしたチェルノブイリ原発事故(1986年)も起こりました。 ソ連の崩壊後は「ウクライナ共和国」として独立しましたが民族問題は残りました。ロシアに対抗するため、近年は欧米諸国はウクライナへの政治的な干渉を強めていました。 欧米諸国はロシアへの圧力を強め、経済制裁を強化しています。しかし、ロシアにとってはクリミアを併合することによる経済的な負担も膨大な額にのぼります。そうしたリスクを引き受けることも承知の上で、プーチン大統領は併合に踏み切ったのでしょう。 ソチオリンピック・パラリンピックの終了が、「世界の平和と協調」という普遍的な目標に暗雲をかける合図となったことはとても残念なことです。
2014/03/25
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プーチンはどう出る? ウクライナ情勢が風雲急を告げている。ウクライナ共和国は1991年のソビエト連邦崩壊によってソ連から分離独立した。1986年に事故が発生したチェルノブイリ原発がある国である。「ウクライナ共和国の位置」(ルーマニア、ハンガリーなどのEU加盟国と隣接していることがわかる) ウクライナ問題の根っこにはロシア系住民とウクライナ人の対立がある。民族問題の落ち着く先は「民族自立」という第1次大戦後の教訓に立ち戻ることだろう。しかし、ソチオリンピックで大国ロシアの復活を印象づけたプーチン大統領としては、親露派だったヤヌコーヴィチ政権の崩壊は見逃せない事態のようだ。 2月25日に続いて、旧ソ連時代からの政治リーダーたちにまつわるジョークを紹介する。 レーニンがクレムリンのトイレに入るとこんな落書きがあった。「レーニンのバカ」 レーニンは落書きをした資本家に対し、革命を起こした。 スターリンがクレムリンのトイレに入るとこんな落書きがあった。「スターリンのバカ」 スターリンは、清掃責任者を処刑した。 ゴルバチョフがクレムリンのトイレに入るとこんな落書きがあった。「ゴルバチョフのバカ」 ゴルバチョフは落書きをレーガン米大統領に見せた。 エリツィンがクレムリンのトイレに入るとこんな落書きがあった。「エリツィンのバカ」 エリツィンは酔っていて、まったく気づかなかった。 プーチンがクレムリンのトイレに入るとこんな落書きがあった。「プーチンのバカ」 プーチンは「プーチン」の文字を「チェチェン人」と書き換えて、トイレを出て行った。 さて、現ロシア大統領プーチンはウクライナ情勢にどう対応するのか。プーチンにまつわるジョークをもう1つ。 プーチン大統領が、数人の閣僚候補を部屋に招き入れ、「極秘」スタンプの押された封筒を首相に届けるよう命じた。途中、1人の閣僚候補がトイレに立ち寄り、こっそり封筒を開けると、「合格だ。私の部屋まで戻ってくれたまえ」と書かれてあった。 元KGB諜報部員だったプーチンとしては、「情報は暴くもの」ということで合格にしたというのが表の意味だろう。 しかし、思うにこのジョークは意味深だ。深読みかもしれないが、プーチンの部屋に戻ったこの閣僚候補は消されたのではないかと思うのだ。おうこわ(恐)!※青文字の部分は「ニュースでわかるヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2014年1月)より引用
2014/02/27
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ウオッカと歴代大統領 ロシアのジョークにはウオッカや歴代大統領に関するものが多い。ロシアにはウオッカ好きが多く、かつジョークのネタにされるほど個性的な大統領が多いということだろう。 ソ連時代に最初で最後の大統領職に就いたのはミハエル・ゴルバチョフだった。ゴルバチョフはペレストロイカ(政治改革)とグラスノスチ(情報公開)により民主化を進めたが、ソ連を崩壊に導いたことと飲酒制限法によるウオッカ規制で国内人気はいまいちだった。 1991年にソ連が崩壊しロシア連邦となって初代大統領はボリス・エリツィン。彼は若いとき泥酔して河にはまって死にかけるなど、ウオッカ大好きなロシア人の代表にされている。(2007年心臓疾患で死亡 76歳) 第2代がウラジミール・プーチン、第3代はドミートリー・メドベージェフ、そして第4代(現任)が再びウラジミール・プーチン。プーチンはサンボや柔道、メドベージェフも重量挙げや水泳などを好む体育会系で、飲酒にまつわるエピソードはあまりないようだ。「代表的なロシア産ウオッカ、ストリチナヤ」(アルコール度数70~96度と異常に高いのもあるが、これは控えめの40度~PR映像より) <ゴルバチョフが登場するジョーク> 酒屋の前は長蛇の行列。待ちきれなくなった労働者が、「こんなことになったのもゴルバチョフのせいだ。クレムリンに行って奴をぶん殴ってくる!」と息巻いて出かけていった。 しばらくして戻ってきた男は、「向こうの行列のほうがはるかに長かった」と言って肩を落とした。 <エリツィンが登場するジョーク> 赤の広場で、酔っ払いがウオッカの空瓶を振り回しながら喚いていた。「エリツィンのバカヤロー、アル中、インポのくたばりぞこないめ!」 するとクレムリンからも、酔っ払いが怒り狂いながら出てきた。「静かにしろ、おまえを逮捕する!」「なに~、俺が何をしたっていうのだ! あーそうか、(国家元首侮辱罪ではなく)国家重要機密漏洩罪だっていうんだろ?」 するとクレムリンから出てきた酔っ払いはこう言った。「バカヤロ-、俺がエリツィンだ。文句あるか!」 <もうひとつエリツィンが登場するジョーク>「お父さん、酔っ払うってどういう感じなの?」と息子が尋ねた。「うーん、そうだな。ここにコップが2つあるだろう。これが4つに見えたら、それが酔っ払っているということだ」とエリツィンが応えた。「でも、お父さん、コップは1つしかないけど…」 ロシアではアルコール中毒で年間3000人、アルコール関連の疾病で75000人が死亡している。アルコールのためロシア人男性の平均寿命は61.8歳で、このままでは1億4200万人の人口が2050年には1億人を切る見込みだという。それでもロシア人はウオッカが大好きなのだ。 <プーチンが登場するジョーク> ブッシュ大統領が神に尋ねた。「主よ、アメリカ国民はいつになったら幸福になれますか?」 神は答えた。「100年後だ」これを聞いたブッシュは、泣きながら走り去った。 プーチンが神に尋ねた。「主よ、ロシア国民はいつになったら幸福になれますか?」 これを聞いた神は、泣きながら走り去った。プーチンが恐くて真実が告げられなかったのだ。神にも見放された薄幸のロシア人に幸あれ。※青文字の部分は「ニュースでわかるヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2014年1月)より引用
2014/02/25
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「強い指導者」プーチン大統領の今後 ウクライナ共和国では反政府デモによって親露政権が崩壊した。ソチ冬季オリンピックはなんとか無事に閉会式を迎えることができたが、ロシア大統領ウラジミール・プーチンにとっては当分気が休まらない日々が続く。 プーチンは元KGBのスパイという経歴から油断のならない策謀家という感じがする。その一方で、柔道の有段者でタフガイというイメージもある。プーチン大統領の「強い指導者」というイメージはさまざまなパフォーマンスによって作られていった。 プーチン首相の「タフガイ」演出、もう古臭い? 大統領選前にかすむ効力【2012年2月27日 AFP】 注:AFPとはフランス通信社のこと プーチン氏は大統領在位8年間と首相在任4年間で、紛争中のチェチェン共和国に戦闘機で乗り付け、ホッキョクグマを優しくなで、トラに麻酔銃を撃ち込み、F1用レースカーに乗り、小型潜水艦で世界最深の湖底に潜り、上半身裸でシベリア地方を乗馬した。 しかし、プーチン氏に対する抗議運動が国内各地でわき起こり、本人も60歳になろうとする今、同氏の一挙一動にロシアのインターネットユーザーは批判的な検証の目を向けており、「タフガイ」パフォーマンスは効力を失いつつある。 「ニュースでわかるヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2014年1月)より 「そこまでするの!」という感じであるが、このとき(2012年3月)の大統領選挙で、プーチン首相(当時)は圧倒的な得票で大統領に返り咲いた。アメリカやEU諸国からは強引で非民主的な政治手法は批判されているが、国内の支持基盤はまだまだ強固で、ソチオリンピックもプーチンの「強い政治家」としての政治手腕を顕示した形となった。 1991年のソ連崩壊から今年で23年目である。プーチンの大統領在位は今年5月で通算10年目。もし2018年の選挙で再選されれば任期はさらに2024年までの長期政権となる。少しの失言でも追求され地位を追われることもある日本と違って、ロシア大統領プーチンの強気の発言は数多くて、そのエピソードには事欠かない。 「中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」 ...2008年3月、国内で横行する汚職事件について 「睾丸を縛ってつるし上げてやる」 ...2008年8月、グルジア紛争勃発時に同国サーカシビリ大統領に対して 「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」「たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる」 ...1999年、チェチェンの武装勢力に対して 「ニュースでわかるヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2014年1月)より 北方領土問題などロシアとのさまざまな懸案を抱える我が国は、この「強い指導者」とどう渡り合っていけばいいのか、日本政府の外交力が問われている。
2014/02/22
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日本はどう報道されてるか 「ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか」(川口マーン惠美:祥伝社文庫 2013年9月)を読みました。東日本大震災に関する部分は、前に読んだ同じ著者の「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」(講談社a文庫2013年 8月)と重複している部分もありました。 地震のあったとき、私はちょうど日本にいた。2日もすると、ドイツから悲痛なメールが入りはじめた。「すぐに帰ってこい」「チケットが取れないなら、こちらで手配する」云々。日本で私がフォローしていた限りでも、確かにドイツメディアは、日本列島全体がまもなく放射能の雲に包まれてしまうかのような、パニック報道をしていた。 中略 このころ「ZDF」(ドイツ国営放送)は、「首都圏の住民3800万人がまもなく逃走しはじめると、南へ向かう経路は1本の主要鉄道と数本の幹線道路があるだけなので、大混乱が起こるだろう」と不吉な予言をしていた。しかし、私の知る限り、東京では、彼らの言うエクソダス(旧約聖書の出エジプト記に出てくるユダヤ人の大量国外脱出)が始まる気配も前兆もなかった。ちなみに、深刻な面持ちで地図まで見せてその報道をしたジャーナリストは、翌日にはすでに大阪のスタジオから生中継(!)していたので、何のことはない、彼自身が道の混まないうちに逃走したらしかった。 これは、環境問題に敏感なドイツのマスコミらしい報道だとは思います。しかし著者も書いているように、日本のマスコミも国民も、事故の重大さを受け止めながらも冷静な対応をしました。先を争って日本から出国したのはドイツ人と中国人だったと著者は書いています。(ドイツは脱原発に政策転換しましたが、著者はその実現性には数点の疑問を呈しています) 長年ドイツに暮らしている著者から見れば、ドイツメディアの日本や東アジアに関する報道には「驚き呆れ失笑する」ような記事が多いと書いています。その反面、中国に対する報道は極めて好意的で、何と多くのドイツ人が「尖閣諸島は中国領」と考えているそうです。 尖閣や竹島、日中・日韓の歴史問題に関する記事は、どれも大差ない。ほとんどが中国・韓国の言い分の鵜呑み、日本側の主張の完全無視、しかも著しい事実誤認から出来上がっているといっても過言ではない。 この原因としては、中国や韓国が世界各地で展開しているプロパガンダの影響があると思います。先日、アメリカのニュージャージー州議会で、教科書の「日本海」という表記に「東海」と併記することを求める議案が議決されました。これは当地の韓国系団体の政治的圧力によるものです。このようなプロパガンダを、中国はドイツで大いにやっているのです。 日本人の「協調と和を優先して自己主張は慎む」という伝統的な美風が、国際関係の中では意味を持たないし、結果的には不利益につながるといい見本だと思います。著者は異国ドイツにあって、そのことにジレンマを感じ警鐘を鳴らしているのです。 著者はあとがきで「個人レベルでは、日独親善はちゃんと機能する」と書いています。しかし、日々反日的な報道に触れているドイツ人は、日本人が思っているほど親日的ではないということも踏まえておく必要があると書き加えています。 ※青文字は「ドイツで日本と東アジアはどう報じられているか」よりの引用部分
2014/02/19
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一人っ子政策緩和へ 「一人っ子政策」とは今から35年前の1979年から中国政府がとってきた人口抑制策です。この政策は、経済の改革・開放路線政策とともに実施されたので、地理の教科書では「人民公社」が消えるとともには「開放特区」とか「一人っ子政策」という語句が登場しました。 「一人っ子政策」は、人口の大半を占める漢民族を対象にしていました。両親ともに漢民族の場合は子どもを1人に制限するというものです。その結果、中国における一人っ子は2008年には1億人を超え、中国人口の8%を占めるまでになったのです。 国の政策としては成果をあげたことになりますが、反面でいろんな弊害が出ていました。・戸籍として登録されず教育や社会保障を受けられない子どもが出てきた・高額所得者は罰金を払って2人目以降を出産し階層による格差が出てきた・罰金を徴収する地方計画出産委員会はワイロなどによって腐敗している・労働力となる男子をほしがるため検査で女子とわかると中絶することが増えた・80年代以降の男女比のバランスが崩れ男子の結婚難が現実化してきた・大事にされすぎてわがままで自立心のない「小皇帝」と呼ばれる子どもが増えた そのため、今年(2014年)1月に、浙江省や安徽省が一人っ子政策の緩和を実施し、今後は各地方の状況に応じて緩和していく予定だそうです。「一人っ子政策の緩和」(今までの反動から急激な人口増が見られるかもしれません~2014年2月18日佐賀新聞) 中国の政策転換で、子ども用品の販売の伸びが期待きるということで、日系企業もビジネスチャンスととらえているようです。 戦前の我が国は「産めよ殖やせよ」の人口増加策をとりました。国が直接人口の増減を操作する人口政策は、時代や国をこえて奇妙な不気味さを感じます。
2014/02/18
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中断している拡張工事 1889年~90年の、ネリー・ブライとエリザベス・ビスランドの世界一周は、アメリカ大陸横断鉄道とパナマ運河(ともに1869年開通)を使って行われました。このとき、パナマ運河は開通していませんでした。 1880年、スエズ運河の建設者レセップスがパナマ運河の建設を始めます。しかし、技術的問題、黄熱病、資金不足に直面し1889年に建設計画は放棄されます。このころ、大西洋岸と太平洋岸を結ぶ航路の必要性を感じていたアメリカ合衆国は、パナマ政府と条約を結びパナマ地峡地帯を永久租借地にしました。 アメリカによる建設工事は1903年に始まりました。運河の設計をレセップスの考えた海面式(スエズ運河と同じ)から閘門式(ガツゥン湖<海抜26m>を利用)に変更し、約10年の工事期間を経て1914年8月15日に開通しました。今年2014年はパナマ運河開通から100周年になります。 開通してからもアメリカが運河の管理権を持っていました。しかし1999年12月31日、運河はパナマ政府に全面返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。その後、運河を通航する船舶がさらに増加したため、パナマ政府は2006年に運河拡張計画を発表して拡張工事が始まりました。「パナマ運河拡張計画 Panama Canal Expansion」(上(北)がカリブ海で下(南)が太平洋側、拡張計画の概要が図示してある~パナマ運河庁パンフレット) 現在パナマ運河を通行可能な船は長さ294.1m、幅32.3m以下(このサイズをパナマックスという)に限定されています。しかし拡張工事が完成すれが、現在よりも大きな船舶が通航できるようになるのです。拡張工事は当初の計画によると運河開通から100周年の今年2014年に完成する予定でした。「パナマックスの変化」(新パナマックスは長さ366m幅49mで、現在の世界最大の客船も通航できる~パナマ運河庁パンフレット) このパナマ運河拡張計画が、今暗礁に乗り上げています。(以下「日本経済新聞」2月6日記事引用)【ロサンゼルス=共同】パナマ運河庁によると、運河の拡張工事を請け負っている企業連合が5日、工事を中断した。企業連合が着工後に発生したと主張するコストの負担をめぐる運河庁との協議が決裂した。2015年6月とされる完成時期の遅れが懸念される。太平洋と大西洋を結ぶ海上交通の要衝であるパナマ運河の拡張で通航容量が増えれば、米国産の新型天然ガス「シェールガス」の輸入に役立つと日本でも期待が集まっている。 拡張工事はスペインやイタリア、ベルギーなどの建設会社による企業連合が2009年に約31億ドル(約3150億円)で落札した。企業連合はパナマ側による事前の地質調査の不備などで16億ドルの追加コストが生じたと主張。運河庁がこれを負担しなければ資金繰りがつかなくなるとして、今年初めから工事を中断すると訴えてきた。運河庁は負担を拒否している。 双方とも協議再開の可能性は否定していないが「(工事中断による)脅迫は受け入れられない」(運河庁)、「運河庁の姿勢が不当なまでに強硬すぎる」(企業連合)と強く非難し合っている。拡張工事は現在までに約7割が終了している。当初は開通から100年に当たる今年完了する予定だったが、建設資材の調達の遅れや労務問題で完成時期はたびたび先延ばしにされてきた。「ミラフローレス閘門」(カリブ海側から入って3番目の閘門、左側に新しい閘門が建設中~2011年10月1日撮影) パナマ政府にとって運河は貴重な観光資源であり収入源です。それだけに国民投票までして決定された運河拡張計画が中断することはパナマ経済にとって大きな打撃です。拡張工事の今後が注目されます。 ※拡張工事中も既設運河の運用は続けられています。
2014/02/14
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利用人口では中国が最大 インターネットの普及率が高いのは北欧諸国である。ITU(国際電気通信連合)の調査では、2 アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークなどの国々が90%をこえている。フィンランドも89%である。これに対して、低いのは東南アジアやアフリカの国々である。 東アジアの3国では、日本が79,53%、韓国83.8%、中国38,30%となっている。ただしこのITUの調査は統計期間が2000~2010年とばらつきがあり単純な比較はできない。ただ、中国の場合は人口が多いので、利用人口数でいうと中国が一番多いのではないかと思う。 ※下記の本では、日本68.9%、韓国77.5%、中国22.3%となっている。 その中国では、「網友」・「網恋」・「網虫」という言葉が登場している。「網」=「ネット」だから、だいたいの意味は想像できるだろう。 網友=ネット仲間 網恋=ネット恋愛 網虫=ネットおたく(ネット中毒) ※参考「こんなに違うよ!日本人・韓国人・中国人」(PHP文庫 2010年) 中国は一人っ子政策が長く続いた。そのため孤独感からネットで友達をみつけるケースが多いという。「網虫」の問題は中国現地の新聞でも取り上げられている。中国では1,800万人の10代のインターネット・ユーザーがいて、そのうち約200万人がインターネット中毒といる。なかには犯罪者となる可能性も高く、10代の犯罪率は増えているという。 急成長する中国経済のひずみの一つだろう。他のマスメディアが十分成長しないなか、情報への飢餓状態にある子どもたちがネット上のゲームなどに溺れているのではないだろうか。 日本でもネットの普及にからむ問題は多く含んでいる。ただ、日本ではいち早く情報教育を行い、個人情報保護や人権尊重の立場からネット社会のモラルなどについて教えてきた。この積み重ねの上に、さらにネット利用時の注意点やモラルについて意識を高めていく必要がある。
2013/09/20
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マンションをめぐる奇想天外な話題 北京や上海では高層マンションが建設ラッシュである。昨年訪れた上海近郊には、完成していても人気(ひとけ)が感じられない幽霊マンションみたいなものも見かけられた。高額所得者が資産運用をかねて買い占めているようだ。「上海に林立する高層マンション」(党関係者や、一部の資産家やエリートにしか購入できない~上海にて2012年3月24日撮影) 最近中国の新聞でも報道され、ネットにも掲載されたが、北京の26階建てマンションの最上階を買い占めた医療機関の関係者が、屋上に岩で奇妙な建物を作って問題となった。階下の住民は騒音や漏水で迷惑し、さすがの当局も15日以内に撤去するように命令したという。 「北京の高層住宅では、2LDKの部屋に25人の若者が生活していたとして話題になった。13台の2段ベッドを置き、就職できなかった学生が暮らしていたという。部屋を仕切って賃貸することは政府が禁止しているが、部屋を借りられない人が多くて需要がある。今年の中国の新卒者の就職内定率は30%に落ち込んだ」 「中国経済「成長」神話の崩壊」(「文藝春秋」9月号;富坂聰)より要約 中国の地域間格差はもともとあったが、それに加えて学歴格差や所得格差は拡大する一方である。それに加えて、党関係者や官僚の賄賂による不正所得は莫大な裏資金となり、これらは海外にも流出している。 収賄罪などに問われている元中国共産党重慶市委員会書記の薄熙来被告の裁判の行方も、今後の中国を占う試金石になりそうだ。もともと賄賂まみれの党中央部に薄熙来被告を裁く資格はないだろうが、どのような判決になるか興味あるところである。 今の中国国内には大多数の貧困層の不満が鬱積している。日本にとって危険なのは、その大衆的な不満を対外強硬策で散らそうとする中国指導部の外交姿勢である。 尖閣諸島付近での中国当局の挑発は今後も続くだろう。阿倍内閣には、冷静かつ厳正に、自国の領土を守るための主体的な外交が求められている。
2013/08/25
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どこまでが彼らの「世界」なのか 昨日(8/23)、大雨警報が出ている中を、熊本県の某市で知人がボランティアで行っている「児童クラブ」のお手伝いに出かけました。夏休みの週末は親子でお出かけをする子もいて、この日の参加者は5名でした。 小学3年生が一番の年長児で、まだ未就学児童もいました。小学校低学年ということは分かっていたのでもっと準備をする予定でしたが、間に合わずに中学生用に作成した映像で「地球一周の旅」について話をしました。「アットホームなお話し会だったが」(「世界」とか「地球」という概念がまだ形成されていない子どもたちに話すのは難しい) 小学校では「社会科」という教科を3年生から学習します。しかし、都道府県の名前や位置については4年生ではじめて出てきます。世界の大陸や海、主な国の名前と位置については5年生でやっと学びます。つまり、この日知人のやっている「児童クラブ」に来ていた子どもたちの「世界」は、まだ自分の家や学校のまわり、身近な町のぐらいにとどまっていたのです。 最初に「グーグル・アース」を映して、自分たちの今いる町から地球サイズまで拡大させて、「地球」の画像を回して地球一周のイメージを持たせようとしました。これは小学3年生には興味あったようですが、未就学児にはとても理解できないようでした。 ピラミッドもパルテノン神殿も、スエズ運河もパナマ運河も、映像を見せて判りやすく説明したつもりでしたが、彼らにとっては難しすぎたようです。無理もありません。30分ほどのあいだしゃべらずに観ていたことをほめてやらなければなりません。 「世界の子ども」、「世界の食べ物」、「世界の乗り物」など、もっと低学年の子どもたちが興味を持てるテーマに絞ったらよかったのだろうと思いました。この日は、小学生から学ばせてもらった一日となりました。
2013/08/24
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激動の近現代史を経たポーランド ポーランドは、日本の室町時代後期から江戸時代中期にかけて(15~17世紀)は、東ヨーロッパの大国でした。初めて地動説を唱えたコペルニクスはこのころのポーランド人です。 この国の不幸は、西にドイツ(プロイセン)、東にロシアという大国にはさまれていたこと。そして、その国境地帯は何もさえぎるものがない平原であったことです。「ポーランド」という国名は「平原の国」という意味なのです。 1791年、ポーランドは選挙王制に移行し、ヨーロッパ史上初の民主主義憲法を制定しました。しかし、旧体制維持を図るロシア、プロイセン、オーストリアの侵攻を受け、国土は3つに分割占領されてしまいます。その後1世紀以上、ポーランドは世界地図から消えていました。 1919年に第1次世界大戦が終わり、ポーランドは独立を回復しました。しかし、わずか20年後の1939年第2次世界大戦が始まり、今度はソ連とドイツに分割占領されました。第2次世界大戦でポーランドは、国民の20%を失うという世界最高の犠牲者率を出しています。 そんな激動の歴史の中から、次のようなジョークが生まれたのでしょう。 ドイツ人とロシア人とポーランド人が神の前に召された。「何でも好きな願いを1つ叶えてあげよう」と神がのたまう。 ドイツ人が「神様、イワン(ロシア人)どもをどうぞ皆殺しにしてください」と願い出ると、ロシア人は「ボッシュ(ドイツ人)が地上から一掃されますように」と懇願した。 最後にポーランド人は「神よ1杯のコーヒーを!」と言って頭を垂れた。不思議に思った神は「本当にそれでよいのかね」と念を押す。するとポーランド人は、「はい、先の2人の願いを叶えてくださるのならば...」と。 「ヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子~草思社 2012年)より また、上掲書には、ポーランド人の性格について次のように書いてあります。 ポーランド人の性格といえば、遠慮がちで人見知りする傾向がある。また、誠実、素朴、忍耐強いという特徴は、国民の90%が敬虔なカトリックであることから来ていると思われる。 「ヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子~草思社 2012年)より「ポーランド」(ソ連解体後多くの国が独立し、今のポーランドは多くの国と国境を接しています) ポーランドは2004年にEUに加盟し、その後経済は順調に成長しているようです。 2006年から2008年までは5%以上の成長を維持。2008年以降は世界金融・経済危機の影響を受け,2009年は1.6%に落ち込んだが,欧州全体がマイナス成長にある中,プラス成長を維持した唯一の国であった。 「外務省HP 各国・地域情勢 ポーランド」より ポーランドでは、日本はロシアをはさんだ隣国という意識があるそうです。日本文化や日本人への興味関心も深く日本語学習熱も高いそうです。その割には日本人はポーランドのことを余りにも知らないと思います。
2013/06/27
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フルオーケストラで聞く67ヶ国の国歌 レンタルショップで、小澤征爾指揮「ウィーンフィルの2002年ニューイヤーコンサート」のCDを探していました。しかし、目指すものはなく、かわりに珍しいものを発見しました。「小沢征爾指揮、世界の国歌」(ANTHEMとは、「賛美歌・聖歌」とか「聖人・神・国家をたたえる歌」という意味です) 世界の小沢征爾が、新日本フィルを指揮して収録した世界67ヶ国の国歌です。このCDは、1998年の長野冬季オリンピックのために企画・制作されたものだそうです。 オリンピックの国歌というと、金メダル受賞者のための演奏を思い出します。長野オリンピックで金メダルをとった国は15ヶ国しかありませんでした。でも、この国歌は各国選手団の選手村入村式のときにも使われたので、すべてが実際に使用されたのです。 いちばん長い曲は南アフリカの2分24秒で、一番短いのはフィンランドとエストニアの33秒。日本国歌は59秒で、多くの国の国歌はほぼ1分前後です。小沢征爾は、「それぞれの国の人が聞いて良かったなと思えるように」という心構えで制作・指揮したそうです。 多くの国歌が初めて聞くものでしたが、一言で言えばどの国の国歌もすごく重厚です。個々の国々の歴史や文化の重みを感じます。社会科学習でも教材として活用したい貴重なCDです。
2013/06/24
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反政府デモが続いているトルコ 「ヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2012年)のサブタイトルは~32ヶ国・国民性診断~となっています。そして、最後の32番目にトルコが登場しています。この本を見たら、トルコ国民の大部分は大喜びするだろうと思います。 なぜなら、トルコは「アジアとヨーロッパにまたがる国」と言われますが、多くのトルコ国民はヨーロッパの仲間入りを熱望しているからです。EU加盟も申請していますが、シリア・イラク・イランなど政情不安なイスラム教国と国境を接していることなどからEU諸国の反応は否定的です。 そのトルコの国民性について、上記の本では「義理人情に篤く、商売上手な国際人」と評しています。「トルコ人は人情深く、相手が困ってしまうほどの世話好き」とも書いてあります。 そして、次の下りを読んで思わず笑ってしまいました。 トルコの観光地を訪れたことのある人は、少年に「コンニチハ」と日本語で話しかけられ、二言三言話しているうちに、なぜか「日本通のおじさん」の所に連れていかれた経験がおありと思う。そう。そしてこの「おじさん」は必ず絨毯の店を構えているのだ。 ここで、良心的な店ならば小さなグラス入りアップルティーを勧められ、少年はどこかに消え、「おじさん」はどこなのだろうと思っているところへ、頼んでもいない鮮やかな絨毯が次々と目の前に広げられる。 トルコ人は人懐っこく、言葉巧みなので、ツーリストは十中八九、店についていってしまう。特に、おとなしくて小金持ちの日本人は、鴨がネギを背負っているような最高のお客だ。 「ヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社)より「日本通のおじさん登場」(そう、我々もこの「おじさん」に出会ったのだ~2011年8月20日イスタンブールで) ↓このイスタンブールでのことは、下記ブログにも書いています。 http://plaza.rakuten.co.jp/shigedoraku/diary/201108200000/ トルコ人は日本人への友好的感情が強いといわれます。それは、1890年に和歌山県沖で遭難したトルコ軍艦エルトゥール号の救援活動や、日露戦争で日本がトルコの宿敵だったロシアを破ったことなどからきているそうです。 そのトルコと日本は、2020年のオリンピック招致でライバル関係にあります。しかし、このところの反政府デモでイスタンブール開催への不安が高まり、東京が一歩先んじたようです。しかし、もし政治的安定がとりもどせるなら、世話好きで商売上手なトルコ人はオリンピックを見事に成功させるのではないかと思います。 いずれにしろ、開催地の決定についてはIOCの公平な判断を期待したいものです。
2013/06/07
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こんなに違う、北欧4ヶ国 スカンジナビア半島にはフィンランド、スウェーデン、ノルウェーの3ヶ国があり、ユトランド半島にデンマークがあります。小中学生のころ、この4ヶ国付近の地図を見るとヘビに食べられそうになっているカエルを連想したものです。もちろん、デンマークがカエルです。「北欧4ヶ国の位置」(北欧にはもう1ヶ国、北大西洋に浮かぶ島国アイスランドも含まれます) 北緯55度の緯線を東に伸ばせば、北海道のはるか北のカムチャッカ半島を通ります。日本人の感覚から言えば、よくこんな北のはてに人が住んでいるなと思います。それは、中学校の社会科で教える通り、沿岸を北大西洋海流という暖流が流れていることによります。 この4ヶ国の国民性を一言であらわすと次のようになるようです。 無口で温厚なフィンランド人。几帳面でシャイなスウェーデン人。質素で素朴なノルウェー人。民主主義が大好きで権力を嫌うデンマーク人。「こんなにちがうヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子:草思社 2012年)を参考にしました。 上の本には、次のようなジョークも紹介されていて、なるほどなあと興味深かったです。 宝くじが当たったときの各々の北欧人の反応を比較したエスニックジョークは、次のようなものだ。・ノルウェー人の場合 クロスカントリーをしながら、大声で歌を歌って、喜びを素直に表現する。・デンマーク人の場合 レストランで料理やお酒をふるまってみんなで楽しく祝う。・フィンランド人の場合 小枝を手に持って、サウナの周りを裸になって追いかけっこしながら大喜びする。 そして、スウェーデン人の場合は、当選番号が発表になったテレビを見ながら、「どうやら当たったみたいだ」と控えめに夫が言うと、それを聞いた妻はにっこり微笑んで「それはよかったわ」と答えて、再びテレビに視線を移すといったもの。 感情を抑えて平静を装うスウェーデン人のキャラクターは、次の「もし道にリンゴが落ちていたら」という短いジョークにも垣間見られる。 まず、リンゴが落ちていても、考え事をしていて気づかないのがフィンランド人。素直に拾って食べるのがノルウェー人。拾って食べたいけれども、見栄を張って気づかないふりをして通り過ぎるのがスウェーデン人。最後に、リンゴを拾ってスウェーデン人に売りつけるのがデンマーク人だという。 普通に日本で暮らしていたら、北欧の人と知り合うことは極めて稀でしょう。先入観を持つことはいけませんが、せめてこのようなジョークから、その国や国民性に思いをはせることは許されるでしょう。それがきっかけとなり、もっと調べようという気持ちになればいいのです。
2013/05/29
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眠らない地球 中学校社会科の教科書に、「夜の地球」の写真が掲載されています。NASA(アメリカ航空宇宙局)が公開した写真をもとにしたもので、2年生で学ぶ地理的分野の「エネルギーと鉱産資源」という学習のページに掲載されています。「地球の夜」(地球全体が夜ということはないので、夜の部分を撮影したデータを合成したものです) 社会科の学習でこの写真を使うと、世界のどこの地域でエネルギーが多く消費されているのか考えさせることができます。基本的には人口が多いところほどエネルギー消費は多いのですが、経済発展との関連にも気づかせることが大切なことです。 上の写真では日本もとても明るく写っています。眠らない地球、そして眠らない日本なのです。そして、さらに目を転じて朝鮮半島の部分を見ると南北の差に気づきます。 上の写真ではわかりにくいのですが、地域別に撮影した動画から切り取った下の写真で見ると、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の差はあまりにも歴然としています。「朝鮮半島、南北の経済格差」(南北分断から60数年、これほどまでに違いが出ているとは驚きです) 韓国と中国沿岸部も明るく写っています。20年前の中国の旅。上海はすでに大都会でしたが、内陸部の蘇州、無錫に向かう列車の窓からは、小さな農家に裸電球がポツンと灯っている暗い光景が続きました。この写真から、近年の中国の経済発展のスピードがよくわかります。 もちろん、単純にエネルギーを多く消費することが豊かさの象徴とは言えません。しかし、この写真で見る北朝鮮の暗さは、国家社会体制の暗さをもあらわしているかのようです。
2013/05/28
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ユーモアを大事にするイギリス人 何ごともステレオタイプに物事を捉えることはいけないと肝に銘じています。特に、ある人やある国の、負の側面についてはなおさらです。 最近、ヨーロッパの国々の国民性について書かれた本を興味深く読みました。ヨーロッパ在住も長く各国の人々との交流も重ねた2人の筆者によって、32ヶ国の国民性の注目すべき点が、限られた文章の中でわかりやすく説明されています。「こんなにちがうヨーロッパ各国気質」(データやアンケートも参考に解説しています~(片野優・須貝典子著:草思社 2012年) 手始めに、イギリスの国民性について書かれた部分から一部を紹介します。「イギリスの中の4つの国」(サッカー発祥の地ということで、ワールドカップには4つの国ごとに予選に出場します) ドイツから侵入したアングロサクソン系の人々の国がイングランドです。イングランドの貴族を紳士(ジェントルマン)と言ったことからイギリスは紳士の国というイメージが定着しました。 しかし、現実にはイギリスは連合王国であると同時に多民族国家です。今から30数年前、私がヒースロー空港に降りたってすぐ思ったのは、洋傘を持った紳士はどこにもいないなということでした。その当時ですら、アフリカ系の人をかなり多く見かけたことを覚えています。 上掲書では、次のようなジョークを紹介しています。 こういったイギリス人=ジェントルマンというステレオタイプは、次の有名なエスニック・ジョークにうまく表現されている。「今まさに豪華客船が沈まんとしているとき、乗客を海に飛び込ませるために何と言ったらよいか」・アメリカ人に対して「今、海に飛び込めば、あなたはヒーローになりますよ」・ロシア人に対して「あっちにウオッカの瓶が流れていきました、今追えばまだ間に合いますよ」・イタリア人に対して「今、美女が海に飛び込みましたよ」・フランス人に対して「決して、海には飛び込まないでください」・ドイツ人に対して「規則ですので、全員海に飛び込んでください」・日本人に対して「みなさん、もう全員海に飛び込みましたよ」そして、イギリス人に対しては、「こういうときこそ、紳士たるもの、海に飛び込むべきです」と告げるのだという。 「こんなにちがうヨーロッパ各国気質」(片野優・須貝典子著:草思社 2012年)
2013/05/27
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TPPにより重要性がさらに高まるか パナマ運河の建設工事はアメリカ合衆国の手で1903年に開始され1914年に開通した。その後、運河と運河の両岸地帯はアメリカ合衆国が所有し管理していたが1999年にパナマ共和国に返還された。現在、運河の通航料収入はパナマ共和国の重要な財源となっている。 運河は全長約80Kmでその半分がガトゥン湖(海抜26m)の湖面である。湖面に上がるために大西洋側に1ヶ所、太平洋側に2ヶ所の閘門がある。2008年の通航船数は年間13,147隻で1日平均では36隻である。船種別ではコンテナ船が全体の27%を占め、2番目がドライバルク船(鉄鉱石や穀物などのバラ積船)で18%、以下冷蔵運搬船、タンカーと続いている。「ガトゥン閘門」(安全な通航のためには熟練職員の手が欠かせない~2011年10月2日ガツゥン閘門にて) パナマ運河を通航できる船の大きさは閘門の大きさで決まっている。現在通航可能な船の最大サイズは全長294.1m、全幅32.3m、喫水12mで、この大きさの船をパナマックスサイズという。パナマックスサイズの船は2000年には通航船舶の約32%だったが2007年には約42%を占めるようになった。「パナマックスサイズ」(閘門の幅一杯の船が軌道車に牽引されて進む~2011年10月1日ミラ・フローレス閘門にて) パナマ運河を通航する船舶は年々増えていて、混み合う時には入り口で4日間も待機するという事態も出ている。そこで、開通100周年となる2014年の完成をめざして運河の拡張工事が進められている。完成すれば全長366m、全幅49m、喫水15mの船まで通行可能になる。このサイズの船をポスト・パナマックスと呼ぶ。 パナマ運河を通航する船舶の約40%が米国東海岸とアジアを結ぶ航路である。現在進められているTPP(Trans-Pacific Partnership=環太平洋パートナーシップ)の進展により環太平洋諸国間の自由貿易が拡大すれば、パナマ運河の重要度はますます高まると思われる。 (文中のデータは日本中小型造船工業会による~出典パナマ運河庁統計)
2013/03/24
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陸は馬、海は昆布 「北海道の旅」(更科源蔵~新潮文庫、昭和54年)に次のような文がある。 「ある夏、日高の海岸を歩いていたら、霧の深い浜辺が大勢の人で賑わっていた。今頃こんなところで誰が海水浴をしているのかと、近寄ってみると昆布場であった。身体じゅうに幅広い昆布を巻きつけて、今海から生まれた神様のように、逞しい裸の男があがってくる。これも身体中に昆布を巻きつけられた馬が、迷惑そうに目をしょぼしょぼさせて、山の方へ歩いて行く。丘の上の干し場に運び上げるのだが、まるで馬の昆布巻きである」 この本が発行されたのは今から30年以上も前のことだが、ここに書かれた光景はそれよりも古い時期のことだろう。しかし、この文にかかれたような浜辺の賑わいを、今年の北海道ツーリングで見かけた。「昆布干し」(天日で一日乾燥させるが、雨が降るといけないので昆布漁は晴天を選んで行われる) 「新ひだか町」でバイクを停め昆布干し場を見ていたら、老夫婦が軽トラックで来た。「今年は7月になって今日でまだ4日目だ」とご主人は言った。軽トラックの荷台は長い昆布を積めるように後方に2mほど延ばしてある。「天候との勝負」(二人は昆布を8本ずつひもでしばる作業をてきぱきと始めた) 「 新ひだか町」は平成18年3月に三石町と静内町が合併してできた。三石町はなくなったが、「三石昆布」は江戸時代の終わり頃にはその名を知られていたという。 更科源蔵は、続けてこう書いている。 「日高の陸の主産業が馬だとすれば、海を代表する産業は昆布ということができよう。ここの昆布は古くから三石昆布の名で知られているが、これは万延元年(1860)に、日高海岸の場所請負人が、山から石を切り出して海に沈め、人工的に昆布礁をつくって、昆布の生産を高めるという、海の開拓をしたことにはじまるという」 また、著者は昆布漁そのものにも触れている。漁協が漁の日時を決め、合図とともに舟を出すと書いている。「昆布漁の様子」(漁の時間が決まっているので、休みなく鈎(かぎ)で昆布を刈り取っている) この昆布干しの風景に出会ったのは、浦河町で「浦河馬フェスタ」を見たあとだった。だからなおさら、更科源蔵が書いている「日高の陸の主産業が馬だとすれば、海を代表する産業は昆布」という文が実感としてわかった。
2012/08/08
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政変は日常茶飯事 「アタカマ高地探検記」(向一陽~中公新書)には、向たちの遠征時(1970年)の政治情勢について書かれた章がある。その中から一部を引用する。(青字=引用) 「この年(注:1970年)の革命は、私たちがボリビアに入る少し前の7月中旬、左翼系ゲリラが、前年秋に誕生した政府の右寄り政策を非難して、ラパス市北方のアマゾン源流域で米資本の砂金採取船を破壊したのが口火となった。~中略~ 大統領が、ボリビア南部で行われた国際鉄道の開通式に出席した間に、若手将校が蜂起した。国際飛行場は閉鎖された。市内に軍隊が突撃してくるといううわさが流れ、爆弾でアメリカ大使館の一部が壊され、一夜明けると下馬評になかった人物が大統領になっていた」 「旧大統領は外国に亡命し、新大統領が大統領政庁のバルコニーで熱狂的に演説すると、そこで革命劇は終わりである。町はもとの平静に戻った。南部の方で数名死傷者が出たというが、そのほかは人々の生活はまったく変わらない。物価も、インディオたちのはだしも、以前のままである」 上の文章は、当時のボリビアの状況をよく表している。事実、この後の1970年代には軍部政権が、クーデターによって左派から右派へと激しく変遷していくのである。 在ボリビア日本国大使館のHPには次のようにある。 「ボリビアは長年、政情不安定な国であり、独立以来170年の間に190回余の政変が起こっている。1964年以降政権は軍部派閥の間を転々としていたが、82年シーレス・スアソ大統領の選出により文民政権が発足し、民政移管が達成された」 民政移管後も政治的混迷は続いたが、2006年に先住民出身のモラレス大統領が就任した。2009年に、先住民の権利拡大、地方分権推進、農地改革、天然資源国有化などを定めた新憲法が制定された。新憲法のもと2010年に再選されたモラレス大統領は、反米、反新自由主義を掲げ、同じ反米を掲げるベネズエラやキューバとの友好関係を重視している。 モラレス政権による先住民への土地の分配は、ボリビア在住の従兄弟たちの話ではうまく機能していない。土地を得た先住民は数年間焼畑農業(公には禁止)をしたあと、土地を売ってしまう。市場経済に対応した持続可能な農業経営ができない、というか、そんな文化がないのだろう。そして、コカの栽培など目先の収入だけを追っている。 「焼き畑の煙」(のどかな風景に見えるが、これも自然破壊の一コマであろう~11/19撮影) 昨年は、自然公園内を貫通する道路計画に反対する先住民のデモに、警察が介入して死傷者が出るなど、政治の混乱は続いている。かくして、ボリビアの従兄弟たちからのメールには、「ブロッキング(民衆による道路封鎖)が頻発して買い物や仕事にも困っている」ということが書かれてくる。「道路封鎖は日常的な光景」(殺伐としてないのがボリビア風、スクレ~ポトシ間の幹線道路で~11/14撮影) ボリビアは、16世紀以降スペインの過酷な植民地支配を受け、今は、経済のグローバリズムの中で多国籍企業による天然資源の支配という新たな収奪の危機にある。 ボリビアでは20世紀に入って油田が発見された。そして近年は天然ガスやウユニ塩湖のリチウムが注目されている。また、アマゾン川の上流部にあたるので水資源も豊かである。しかし残念なことに、この国は豊かな自国の資源を生かす技術を持たない。 多くの課題を抱えるボリビアの、今後を見つめていきたい。
2012/03/08
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庭木にコカの木 コカの木は、高さ2メートルほどの南アメリカ原産の低木である。その葉から精製されるコカインは多くの国で「麻薬」として禁止されている。日本でもコカインだけでなく、コカの木の栽培やコカの葉の所持も禁止されている。 コカの葉自体は、コカイン濃度は薄く依存性は弱い。ボリビアやペルーではコカの葉はコカ茶として飲用されている。コカ茶は乾かしたコカの葉に熱湯を注いで作る。 乾かした葉を口の中でかむことも一般的に行われている。疲労回復や眠気防止に効果があると言われる。また、ボリビアやペルーのアンデス山脈地帯では高山病を和らげる効果もあるとされ、コカの葉は日常的に用いられている。「コカの木」(ボリビアのいとこの家の庭の、植えてから20年くらいのコカの木~2011/11/20) 昨年(2011年)、ボリビア政府は国連などに対して、コカの葉を麻薬から除外する運動を始めた。ボリビア国内で、コカの葉が日常的に利用されているということからである。しかし、米国など多くの国は麻薬対象から除外することに反対している。 コロンビアに本拠を置く麻薬組織の撲滅に力を入れているアメリカとしては、コカの葉を麻薬から除外することには応じられないのである。しかし、アメリカでのコカイン汚染のきっかけはベトナム戦争だった。ベトナムの戦場で兵士たちに蔓延したコカインが、彼らの復員とともに国内にひろがったのだ。 いとこの話によると、コカイン密造のためのコカの木の大量栽培は、人目に触れぬところで密かに行われているそうだ。コカの葉から精製されたコカインは、コロンビアなどを経由してアメリカにも大量に密輸されている。 「コカ・コーラ」は、19世紀の終わり頃、もともと薬用として開発された。そして、その名前のとおり「コカ・コーラ」にはコカインの成分が入っていた。 その当時はコカインには医薬効果があると思われていたのだ。有害性が明らかになってからはコカインは使われなくなり、現在はカフェインが使われているという。 (コカ・コーラの詳しい成分は企業秘密のため不明) どう猛な麻薬犬もいた、あのアメリカの厳しい出入国検査を思えば、コカの葉には手も足も舌も出なかった。今思えば、ちょっと味見だけはしてもよかったかなと思うが・・・。 昨年の地球一周の船旅で、アムステルダム寄港の際「決して大麻に手を出さないでください」と念を押されたことを思い出していた。(オランダでは大麻は合法なので)
2012/02/19
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