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5月22日は、4回目の彼の命日。もうすぐ丸3年になります。
毎年彼の命日は、彼の実家で過ごしてました。1年経過したときは1周忌、2年経過したときは、3回忌があり、親戚がたくさん集まってという過ごし方。今年は、法要もないけれど、命日にはお寺さんがくるし、週末だから、彼の実家で過ごそうと連絡をとってみたところ
こなくていいよ・・・とのお返事。
義父が言うには、朝の飛行機で来てもらっても、お寺さんが午前中にくるからお迎えにも行けないし、午後からはお寺での勉強会にいくから、今度は夏休みに来て、とのこと。
うーーん。確かに、仕事にもまだ慣れてないから、週末移動すると疲れます。でも、多少無理してでも、動きたい気分だったんだけどなあ。それに、息子にも会ってほしかったのもあるんだけどなあ。
彼の遺骨は、義母の希望で、お墓に入ってなくって、彼の実家にあります。形にこだわっているつもりはないのだけど、命日に行けないから、お供えのお花を贈りました。
そしたら、今日、義母からお礼の電話があって・・・・・。
話ている間に、義妹一家が、実家に泊まりにきていることが判明。そして、明日のお寺さんのお経の時も一緒にいるらしい。
なんだかなあ・・・・。
彼の命日、義父母で過ごすならまだしも。私 たち親子が彼の実家にいなくって、義妹一家がいてって状況。なんだか、すっごく、疎外感を感じます。
それに、従兄弟たちと一緒にお泊まりできたら、息子もすごく喜んだのにと思うと、悲しい。
確かに、義妹は、実家の近くに住んでるから、兄の命日に顔を出すことは自然なこと。 義父母も、配慮してくれることも多い方たちなので、今回のことも、「忙しいから無理しないで」ってメッセージだったのかもしれない。 でも、やはり、彼のいないところで、彼の家族に思いを伝えることの難しさを感じたわ。
4月から、仕事を始めて、仕事を覚えるのに必死で、正直、命日が近づいても、気持ちの変化ってなかったんですよね。 だから、4回目の命日は、変わりなく過ぎていくのかなーなんて思ってました。
でも、いざ、命日直前になると、いろいろ思い出されてきて、涙がでてきました。3年前の今頃、仕事から帰ってきたなあ。熱があったんだよなあ。息子の寝返りを見て喜んでたなあ、とか。時間の経過とともに、3年前の状況が思い浮かんできました。
命日が、週末でよかった。きっと、 仕事の日だと、自分の気持ちの動きに、気づくことなく、命日が過ぎていたような気がする。
死別の喪失感って、何年たっても、なくなることはないですよね。一生、抱えながら生きていかなくては。
でも、喪失感を持っていても、もちろん、楽しいこともあるし、人とのつながりで幸せを感じることもあるし。人生、捨てたもんじゃないって思うことも多々あります。
さてさて、未亡人4年目、しっかり歩んでいきますか。