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「花が好きな人は花屋になればいい」あるインド哲学者の言葉だったと思います。定年後の自由を夢見て無理を重ねる人がいます。定年退職した後、第二の人生を謳歌しようと懸命にお金を貯める。しかし、貯めこんでいるのはお金だけではありません。そんな方、あるいはそのご家族が患者さんで来られることがあります。そしてご家族から、定年を迎えた途端の不幸を聞くこともあるのです。誠に切ない。先日使ったフレーズを今一度使うならば。現代の日本では生きることが当たり前になってしまっている感がありますが、本当は約束された明日などありはせず、ないがしろにしてよい今日もまたありません。ものの観方、それに伴う肉体、常に変化していきます。久しぶりに昔観た映画を観返してみる、聴いた音楽を聴き返してみると、また違って映る、あるいは響くというのは誰しも体験があるはず。諸行無常。身近に愛や美、楽などを感じることができなくなっていたならば、感性を殺してしまっていたならば、果たして幸福に余生をおくることはできるのでしょうか。外へ求めることを繰り返し、内で不安を膨らませていくのではないでしょうか。明日は、未来は、今日の積み重ねによって築かれる、と想います。「未だ生を知らずしていずくんぞ死を知らんや」生きることもろくすっぽわからんと、なんで死ぬことがわかるんじゃい。と中国の哲学者・孔子。言い換えるならば、「未だ今を生きずして、いずくんぞ明日を生きんや」。冒頭の言葉が受け入れられないようなシステムは、人を、生命を活かすシステムではなく、殺すシステム。よって、変えていく必要を感じます。もちろん、やりたいことをやっていくならば、強い想いと覚悟、道理に適っているという点が、どんなシステムでも必要なのでしょうけど。
2009.01.31
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「まいど1号」なる人工衛星が打ち上げられた模様。(職場のある)東大阪の技術力を世に知らしめるためだとか。それによる経済効果も期待しているらしい。刹那的な目的、自己満足のために自ら破滅へ向かう姿は、鎮痛剤で病を誤魔化す姿、あるいは酒や麻薬で問題から逃避する姿と同じ。病気、あるいは狂気としか思えません。宇宙は、星々の引力によって流転し、絶妙なバランスの上に成り立っています。地軸の傾き、太陽・月との距離、自転・公転の速度、軌道…。それらが少しずれただけでも地球環境は大きく変化し、生命体も影響を受けます。異常気象から月経の乱れまで、全ての自然現象は星々と繋がっている。別段、細○数子を擁護するつもりはありませんが。人工衛星は小さいながらもお月様の真似事。衛星が増えるということは、星々の引力、位置関係に微妙ながらも影響を与える。聞けば、地球の周りには、すでにたくさんの気象・軍事衛星が回っているのだとか。「塵も積もれば山となる」といいますが、山の傾斜はある地点から急勾配になっていくものです。崩壊もまた、下地の積み重ねの末、突然に表面化します。発想を転換する潮時がきています。「足し算」から、無駄を省く「引き算」へ。「生きる」という根本に立ち戻るならば、何せ無駄が多すぎる。その無駄のために一生懸命頑張って自分たちの首を絞めている現状に、もうそろそろ気づいて行動する時ではないでしょうか。
2009.01.22
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先日、学んでいる古武術の小演武会がありました。 小生も恥ずかしながら稚拙な技を披露。 「本番」と聞くと、未熟ゆえ、多少なりとも緊張し、力みがはいる。 でも、「本番」って何だ? 「練習」と「試合」、「稽古」と「実戦」、「リハーサル」と「本番」。 とかく、分けて認識してしまいがちですが。 大切なのは何を目的とするのか。 武術の場合、その本質は「殺」。そしてその奥にあるのは「生」。 生きるため、あるいは活かすために、殺す。 それは根本的なところで「食」と通ずるのです。 生きるために、直接的にせよ間接的にせよ、動植物を殺して食べる。 生きることを目的としたならば、全てが稽古であり、常に本番。 そこに別はない。 現代の日本では生きることが当たり前になってしまっている感がありますが、本当は約束された明日などありはせず、ないがしろにしてもよい今日もまたありません。 他からの評価・比較を目的とした相対的な、窮屈な世界からの離脱、解放。外向きから内向きへの意識の転換。 それにしても、娘の誕生日にもかかわらず、妻娘を演武に同行させた挙句、打ち上げに一人参加。娘が眠ってしまった後で、酔っ払って帰ってくる私。 ロクデナシ科ヒトデナシ属に分類される気がしますね。
2009.01.21
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09.01.18をもちまして、娘が無事1歳を迎えることができました。周りの皆々様はもちろん、万物に感謝!! 時に娘、相変わらず、大人にとっては難解な「音」を投げかけてくれています。「ロリロリロリ」とか「アッチャッチャ」とか、さらに再現不能な「■×△□○××」とか。これって原始の言葉ではないかしらん?と想ってみたりします。身体は、胎児から二足歩行になるにつれ、魚類から哺乳類、人類へと進化の過程、生命の記憶をたどります。ゆえに、言語も何らかの記憶をたどっているのではないか、と想ってみたりするのです。そんな思考も、「かわいい!」という単純な感情の波に、もろくも崩されていってしまうんですけどね。
2009.01.18
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冬の森は閑としてどこか寂しげ。けれども。よくよく木々を観てみると枝の先には小さな新芽のつぼみ。土の中では人知れず根が春の芽吹きに備えて力を蓄えている。静寂の中にも感じることのできる確かな生命の営み。そこに想うのは絶えることのない希望。
2009.01.12
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