青空と木洩れ日

青空と木洩れ日

2026.06.28
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母は右麻痺脳梗塞で倒れ、
最初の3ヶ月ほどは意識が朦朧として
嚥下訓練も出来ない状態でした。

医師達からは二度と立てるようにはならないと言われ
付属のリハビリ病院に転院することも渋られ、
どうしてもと言うなら胃瘻が条件と言われました。

ここで、この話は立つ歩くの話でしょう?
なぜ嚥下訓練や胃瘻の話をしてるの?
と思われた方がいるかもしれません。



水分を飲み込むことも難しい嚥下問題を持つということは
意識が明瞭でないか、体をコントロールできないので
立ったり歩いたりも不可能な事が多いんです。

さらにちゃんと食事がとれていないから
体も弱ってしまって、座っているのも難しい状態です。

なので、その時は嚥下問題と歩けるようになることの
関係が私にはわからなかったんですけど、
歩けるようになるためには
まずはごはんが食べられるようにならなければ
ならなかったんです。

母は当時朦朧としていて

私が最初に努力したことは
意識をはっきりさせるということでした。

介護の経験もないし、医療従事者でもないから
何もわからないまま、自力でいろいろ調べて
とにかく意識が戻れるよう努力しようと思いました。


母は倒れて最初の3ヶ月は
車椅子にベストのようなベルトを着けて
一言で言えば背もたれにしばりつけられたような状態で
座らされることが、唯一できるリハビリだったのです。

ベスト状のベルトをつけても
意識は朦朧としてぐったりしているから
体が右側に傾き、最初見たときは大丈夫だろうかと
とても心配になる、そんな状況です。

でもそれが唯一出来るリハビリと知り、
できるだけ母の意識を戻したいと
許可を得て車椅子を押して
語りかけをしながら外を散歩することから始めました。

すると母が外を通る車を見て
いつもは焦点が合わない、見えているかわからない目を
少し動かしたり
そよ風が吹くとほんのわずか表情が変わるのがわかり
刺激がわかるんだととても嬉しくて
散歩は効果があるんだと
少し未来が明るくなった気がしたんです。

私がそうだったように、何も知らない人には
脳梗塞→歩く練習(リハビリ)→歩けるようになる
という単純な構図ですけど、実際は重篤な場合は、

脳梗塞→意識を回復させる努力
→車椅子にベルトで固定して散歩
→自己リハビリで意識を鮮明に→嚥下訓練→重湯の食事
→嚥下食→体を柔らかくする練習(リハビリ)
→寝返りできるようになる→介助付きで起き上がる練習
→介助付きで立ち上がる練習→介助付きで歩く練習
→介助付きで歩けるようになる
という遠回りからの少しづつからの回復が必要でした。

医師は最初から匙をなげているし、
アドバイスしてくれる人も、相談にのってくれる人も、
一緒にがんばってくれる人も、応援してくれる人も
誰もいなかったので、
(母が倒れた事を、もうだめだろうと考えたり、
面倒な事になったと考えたりする人ばかりで、
ベストを尽くそう、何でもできることはしようと
休みなく行動したのは私だけでした。)
母が緊急入院して数週間後のこの散歩で
散歩や語りかけは無駄ではないとわかったことで
とてもとても心強く感じました。

そして母は少しづつ意識をとりもどしたのですが、
嚥下訓練が全くはかどらず、
リハビリ病院への転院も急性期病院の医師からは却下され、
それを粘って頼み込んで、やっと受け入れ先の
リハビリ病院を探しました。

最初から匙を投げていた急性期病院は
リハビリ病院について何も教えてくれなかったので、
リハビリ病院とは何か、どこにあるのか
どの病院が良いのかを夜中の2時頃まで毎日調べて
120以上の病院から自力で選びました。

リハビリ病院では
車椅子でリハビリに通えるようになりましたが
高機能障害で朦朧としているので
自分で車いすを漕いだり
自分で立ち上がったり、歩いたりはできません。

リハビリ病院の廊下で、母より若い70代位の女性が
練習として自分で車椅子を漕ぎ廊下を行き来しているのを見て、
こんな風に良くなるのがあたりまえな人達もいるんだなあと
別世界のように感じました。

それでも今の母の状態を少しでも良くしていこう、
そのためには考えられる事は何でもしようと
毎日仕事帰りに通って、話しかけやマッサージや
自己リハビリを行いました。

そういう努力と
理学療法士さんのリハビリが
素晴らしかったのだと思いますが、
3ヶ月のリハビリ入院が1ヶ月位経つと
母は自分で起き上がれるようになり、
次はベッドから降りてつかまり立ちできるようになり
3ヶ月目の退院ギリギリには
介助があれば手すりにつかまって歩けるようになり
今考えても夢のような回復ができたんです。

歩けるようになったのは退院の直前でした。

私の家は家階段があるので
階段が上がれなければ母の自宅介助ができないため、
ものすごく大掛かりで力のいる
介助式の階段昇降機を介護保険で借りるために
業者さんを頼んでいました。

その時、会話もできない母には
歩くようにならなければならないことも
歩くためにはどうしたらいいのかも
わけがわかっていないだろうと思い込んでいたけど、
心の奥ではわかっていて
母がすごく頑張ったんでしょうね、
何と介助と手すりにつかまりながら
階段の昇降も一歩一歩出来るようになったんです。
支えれば少し歩けるようになったのが退院の1か月位前、
階段を1段上がれるようになったのが
退院の2週間位前だったかもしれません。

階段を1段上がるのに1週間位
毎晩、練習したんですけど、
自分で足を上げることが出来なくて、
段差を上がるってすごく難しい事なんだなって
半分諦めかけていたのが、
ある日1段だけ上がることができたんです。

そこから次の日は2段、その次は3段と
支えながら少しづつ上がれるようになって、
ある日ついに上の階まで、上がることができました。

消灯間際の病院の上の階の階段で、
下の病棟の母を見た看護師さんは
びっくり仰天って感じですごく驚いていました。
それは多分、急性期とリハビリ病院主治医も
同じだったんじゃないでしょうか。

その後退院し、
理学療法士による通院リハビリをずいぶん探したんですが
受けることができず、(12年前の話なので今はその機会は
もっとあるかもしれません)
自己リハビリでは現状維持が精一杯だったのか、
それ以上良くなることはありませんでした。

もっとリハビリを受けていれば
もしかしたら一人で歩けるようになったのかもしれないし、
会話ももっと出来るようになったのかもしれませんけど、
意識不明で朦朧としていた状況から比べれば
夢のような回復だったと思います。

今まで、私が頑張ったからだと思っていたんですが
考えて見ると一番は母が頑張ったから出来たのかも知れないし
本人・家族・医療機関が力を合わせて
出来たことなのかもしれません。

重度の脳梗塞は本人や周りの努力ではどうにもならないことも
あるとは思いますけど、
最初から諦めずに努力したら良くなるケースもあるのだと
お伝えしたくて書いています。


画像をクリックすると詳細が見られます。





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Last updated  2026.07.02 23:25:58
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