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今日は暑くなりそうな日だったので綿のシャツブラウスを着たのですが、スカーフで襟元を明るくしようと手持ちの物を見たら今まで1~2回しか使ったことがないリバティのスカーフに気がつきました。何十年も前に、初めてイギリスに行った時にリバティに寄って、リバティの良さを感じたくて買った物です。当時リバティって日本で知っている人はあまりいませんでしたし、今のような可愛らしい綺麗な小花柄も当時はほとんどなく、茶色とか深いオレンジ色とかかなり暗い色合いの中から顔写りが良さそうな柄を選んだのがこれでした。落ち着いた雰囲気のカーネーションが描かれています。カーネーションだから、お母さんにプレゼントしてもいいなと思い私には別の柄でと探したのですが他に良い柄がなく、値段も学生の身には結構したので迷った末に1枚だけ購入しました。そして母に見せてプレゼントに買ったことを言ったのですが、私が大事そうに見せていたからか1枚しか買わなかったと伝えたからかもしれないですけど自分はいらないから使いなさい、と私に言ったのだと思います。カーネーションの柄だし、お母さんにプレゼントしようと思って買ったの、と2回ぐらい母の襟元にあててみたりしたのですが、私に似合うから使いなさい、と言われ、確かに母には違う雰囲気のスカーフがいいかなと結局私もしまいこんだままでした。今朝これを見て、今週末は母の日だから今日使おう、丁度良かったと思いました。偶然にしては良いタイミングなので母がいてくれると思うことにします。母にはいろいろなスカーフをプレゼントしましたが、一度も使わずにそのまま仕舞い込んであるものがほとんどで、普段は母が買った普段使いのもの何枚かを愛用していました。スカーフって気がつかないうちに落としたりすることもあるので、なくしたら申し訳ないから、と仕舞い込んでいたのだと思います。なので私は自分のスカーフを母が寒そうにしている時や襟元がさみしいときにその場で巻いてもらって、似合うときはこれは母のにしよう、と母の分も用意して出かけることが多くなりました。リバティのスカーフも、プレゼントしていたらそのまま仕舞い込まれていたんだと思いますし、綺麗なスカーフはいろいろ使ってもらっていたから大丈夫、と思うことにします。下:リバティの綿生地はとても優秀で着心地良くアイロンいらず、すぐ乾き場所をとらないので大切な方へのプレゼントにも喜ばれます。下は本物のリバティ生地を使っていながらお手頃な既製服。(リバティ風生地や、デザインだけ提携したものは生地の良さが全然ないので気をつけてください)リバティって生地だけでも価格が高いので既製服を買った方が手間分だけお得ってことあります。勿論作る楽しみは別ですけど。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.05.12
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最近はどこの郵便局でも販売中の記念切手を壁に展示して注文しやすくしたコーナーがありますよね。郵便局に寄ると、習慣でつい記念切手の販売コーナーを見てしまいます。「ついでに綺麗なのをお母さんへの手紙用に買っておこう」と習慣的に思い、記念切手コーナーを見てからはっと「お母さんはもういないんだった」と気がついて悲しくなり、踵を返し、記念切手を見ずに帰る事が続いています。未だにそれを繰り返すのは、一つは郵便局に寄るのは最近は年に7~8回だけなのでまだ習慣的に繰り返してしまうことと、もう一つは、一人暮らしを初めてから何十年も母に記念切手を貼った手紙を毎週のように出すのを楽しんでいて習慣になってしまっていたからです。記念切手ってシートにいろんな絵柄が入っていますが、一番綺麗な記念切手はいつも母用にしていました。母は、綺麗なのはお友達に使いなさい、といつも言ってくれましたが、やっぱり一番素敵なのは母に見せたかった。母がもともと記念切手をわざわざ入手して(私が子供の頃は記念切手が人気で、郵便局に行列が出来たりすぐ売り切れたりしていたんです)手紙に貼っていたので、母が喜ぶ物を見せたかったからかもしれません。それで未だに、記念切手を見ると母用に、と思ってしまうわけです。でももう7年もたったから、しばらく経てば記念切手を見ても、少しづつ平気になるかも。音楽だって聴けるようになったし、テレビだって見られるようになったし、甘い物だって食べられるようになったから大丈夫だと思うけど、それぞれに時間のかかり方が違うもんなんですね。それにしても最近は手紙を書く人が少なくなりましたよね。私も友人達も、手紙のやりとりが多くて週に何通も受け取っていたのに、今は手書きの切手を貼った個人的な手紙は月に1通あるかないか位になりました。書こうとは思っても、書いていないとなかなか書けなくなったりしてもっと気軽に書かないととは思います。そうそう、亡くなった大事な家族にもう手紙が書けないって思うけど、実は書けます。自分の住所とか実家宛に書いて出せばいいんです。私は母や祖母あてにバースデーカードとか、年賀状とか出してましたし、未だにたまに出します。すごく綺麗なバースデーカードとか、母の日や敬老の日の立体花束のカードとかとても綺麗だから贈りたいなあと思ったのを送ってお供えしました。だから手紙だって送れます。どうしても悲しかったら書いて出せると思うともう二度とできないわけではないと少し気持ちがやわらぎます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.05.03
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先日実家に行った時の話です。私の部屋に積み重ねてあったものを少し取り出して片付けました。6年半前(当時)、母の葬儀で実家に帰った際、私の部屋に沢山の箱や衣装ケースが積み上げられていて中に入ることさえできない状態になっていました。その後数年は法要の準備や、掃除や片づけで忙しく(いまだに忙しい)私の部屋は後回しにしていたので何がそんなに積み重ねてあるのか全くわからなかったのですが、晩年片付けられなくなった母がとりあえず物を空いている私の部屋に積み重ねたのだろうか、と最初は考えていました。でも、母はそういう事はしなかったし、母を介護中に帰省した時にはなかった荷物です。母が亡くなったという急な連絡を受けた親族が母の葬儀前に急遽片付けるためにしたことなのだろうと気がつきましたが、帰省のたびに庭や居間や仏間の掃除などで忙しく6年半、手がつけられずにいました。とりあえず部屋の入り口にある物を出してみると一人がけのゆったりした椅子がありました。私が家で使っていて座り心地が良いので、実家にも送った物です。埃よけにかけていた布を外すとそこに、パッチン留めと呼ばれる髪留めが開いたまま1個と、切った黒い髪ゴムが1本、はずしたままの、座席ベルト(安全のためにつけていた)が椅子のカバーの上にありました。この椅子に最後に母が座ったのは亡くなる1年位前に帰省したときで、その時は要介護5だったので椅子に座ったり立ち上がらせたりは全て私が抱えるようにして介助していました。椅子に座ったまま身支度をするので、使っていた髪留めや髪ゴムが落ちたりなくしたりは今までも何度もありました。でも考えて見るとおかしいんです。母を抱えるように介助して、カバーも皺がないように(皺があると座っていて当たるので)いつも気をつけていたから、あったらすぐわかるはずです。わからなかったという事は母と実家から帰る時に落とした物だと思われます。母が最後に実家にいた日です。でも、母が切った髪ゴムを使っていたのはまだ自分で歩けた時です。母が要介護5になってから、デーサービスのスタッフさんも簡単につけられ、また、褒めてもらいやすい可愛い飾りがついた髪ゴムを使っていたんです。しかもこの時、母は髪を短めにしていたからゴムは使ってなかったはず。それとも実家で伸びてきた髪をまとめようとして以前使っていた髪ゴムを出して使ったのかも。そうだったかもしれません。でも元気な時の母の愛用品を置いて、ちゃんといるからね、って伝えてくれてるのなら嬉しいなって思いました。ずっと前のブログに書きましたけど、母が亡くなって間もない頃、母のお返しに添える挨拶状を書くため親族宅に行った帰りの駅の椅子に、開いたままの大きなパッチン留めが落ちていたことがあります。そのパッチン留め、ちょっと特殊でなかなか売っているところがないもので母も持っていて大事に使っていたのですが、使っている人を見たこともないのでそれが普段は来ない駅の椅子に、それも私がたまたま通りかかったときにあったのは驚きでした。しかも母がよく座っていた椅子だったのでなんだか母が元気を出すように励ましてくれたような気がしました。実家に母が一人で暮らしていたのはもう10年以上も前の2012年まで、母はそれから3~4回帰省しただけでその時は自分で何か出来るような状態ではありませんでしたし、6年半前に亡くなってからは私が滞在しながら片付けをしているので、母の生活の痕跡は薄れてしまっています。それを寂しいなあとずっと思っていました。それが、母が席を立ったばかりのように、今朝、デイサービスに行くために席から立ったばかりのように、ベルトや開いたままの髪留めや、ヘアゴムが座席にあったので、当時の気持ちがそのままよみがえってきて、もったいなくて、そのベルトや髪留めなどはそのまま袋に入れて、引き出しに保存しました。母が身につけていたそのままなので。6年半もよく、そのままで残っていてくれたな、手がつけられないままで、気になっていたけど、こうやって後で励ましてくれるために後回しになっていたのかなって思いました。
2024.05.01
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先日、東南アジアのフェリー事故のニュースを見て一番最初に思った事は、まず母に救命ベストをつけてもらって、と確認し、でもそれだけで半身不随の母は大丈夫だろうか水を怖がらないだろうか、とかいろいろ考え、やっぱりまだ母を守ることを考えてしまうなと思いました。お店に行けば、やっぱり無意識に母に似合う服を探しているし、柔らかい食べ物を見れば、ああこれならお母さんに食べてもらえると思ってしまう。今まで一生懸命、無我夢中でやっていたから仕方ないんだと思います。少しづつ元気になっていくんだと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.15
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この春で母を亡くして7年が経ちます。桜の真っ盛りの中で亡くなった母、毎年、母の命日は春の花が満開のぽかぽか日和で母らしいなあと思います。まだ母が元気だったとき、親族の葬儀から帰ってこんなことを言っていました。ある親族の葬儀は遠方だった上に大雨でみんなが大変な思いをしたらしく、自分の時は暑くなく寒くなく、雨も降らずに来てくれる人に迷惑がかからない日がいいけれどそんなにあれこれ勝手も言えないねえ、でも大変な思いをしてもらいたくないからやっぱり良いお天気の日がいいね、と。また、母のクリスチャンの従姉達が数十年前の当時はまだ珍しい花一杯に囲まれて見送られていて、そういうのも良いなあと思ったと言っていましたが、今は仏教でも沢山の花で囲むので母の時もそれはそれは綺麗に花に囲まれて微笑んでいる母はまるでお姫様のようでした。なので春に満開の桜や花々を見ると母の為に咲いているようで心がやわらぎます。母に届いていると良いなといつも思います。そんなこんなで7年経つのにいまだつらいけど、この春ようやく仕事について一歩進むことができました。母は喜んでくれていると思います。介護離職して母と一緒にいられ大事にでき母の法事や実家の片付けがじっくり出来てゆっくり休めたのはとても良かったのですが、なかなか仕事に戻る気持ちになれずにいたので良いタイミングでした。仕事を始めて、天気予報で雨が続く日が何度かあって、ああ今日はお昼外にでると濡れるなあと思っても外に出ると止んでいて歩くのが楽だったり、残業で帰るのが遅くなったのでどしゃぶりを避けられたりとまだそんなことがあります。今、お昼に出る場所を開拓中ですが、お弁当も余裕が出たら持っていこうとは思っています。でも気分転換に外を歩くのは大事ですよね。近くには桜が満開の公園もあります。それを見渡すカフェもあり、ありがたいなと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.04
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夕方一瞬居眠りをし、その時母の事を考えていたわけではなかったのに唐突に母が実家で布団に寝たきりの状態になっていてあ、母にお金をずいぶん長い間送っていなかった、大丈夫だろうか、と焦る夢を見ました。母は実家で寝たきりになっていたことはなく私が生活費を送金していたこともなかったので実際にあったことではなかったのですが、母の晩年は私が母のお金を管理していました。最初はあえて管理に関わっていなかったのですが、母が親族宅に滞在すると、年金が毎月空になっていて母が混乱する状態が続いたので、私が管理することにしました。それから母が現金に困らないように、母の年金をおろしてまとまった金額を母のお財布に入れていましたが親族宅に滞在して帰ってくるとお財布の中には2千円も残っていません。それが毎月1~2回起こり続けました。最初は母がなくしたのか、母の勘違いかと思っていたのですが、私がお金を管理するようになっていくらお財布にはいっていて、何にいくら使ったのかはっきりしたので、誰がこっそり母から長年に渡って、大金をまきあげていたのかわかりました。その他にもその人がした悪事は沢山ありますがすべて嘘で塗り固めて、隠し通そうとしているけどその罰は絶対その人に降り注ぐでしょう。母の話に戻りますが、そんな事があって、母が現金が手元になくて困ったことが晩年何度もあったのと、一人では動けなくなって、母の介助がまず第一とずっと思っていた事と、そういう心配事がふと無意識に出てきたのかもしれません。母が寝たきりの状態の夢なんてもう何年も見ていないので頭の奥にあったものが、出てきたのでしょう。一瞬の居眠りなのに、何で母の世話をしばらくしなかったんだろうなぜ忘れていたんだろうお金をしばらく送ってないなんて母は大丈夫だろうか、と焦って目が覚めました。夢って頭の中の整理や掃除のために見るので母の介護をしなくちゃという心配事を忘れるために見たのかもしれませんね。今でもこうやってふと母がいたときの気持ちになるとまだ母がいてくれるような気がして宝物の時間のような気がします。でも一応、夢の中の母、困ってなかったか確認。つらそうでも、喉が乾いたり空腹そうでもなかった。実際は、母が困るようなことはなかったので大丈夫。今もお供えはしっかりしているし困ることはないはずだから大丈夫。今日は帰りに大雨が降ったようですが、駅についたら道路はびしょ濡れで傘をまだ差してる人が数人いたので雨が上がったばかりのタイミングのようでした。そういうこと、よくあるので不思議です。最近は雨が多いのに、小雨か上がったばかりで歩くのが毎回楽なので母が助けてくれているんだなって思います。その話は又今度します。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.03
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今日はお彼岸の中日、ご先祖様が一番近くなる日だそうです。綺麗な春らしい和菓子がお重のように詰め合わせてあるお彼岸菓子をデパートで見つけてお供えしました。ぼたもちはお彼岸の入りにお供えしました。私はあんこのぼたもちは好きではないのですが、母に味わってもらえるようにお供えしたのを食べてます。こんなにあんこがついた餅米って贅沢なものだったんだろうなご先祖様に届きますようにって思います。こんなに贅沢な物がごく普通の身近にある生活ができるのは皆、ご先祖様と先人のおかげ。下:ぼたもち・おはぎにそっくりなお供え用蝋燭。日本の有名メーカー製で安心。留守にしている実家のお仏壇に長くお供えしておけます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.20
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母を亡くして7年近く経ちますけど、未だにつらいです。無意識の時に、母のいた時と同じ事を考えますし(これだったら食べられるとか寒くないだろうか、とか、母の介助をしなくてはとか)、防災対策みたいな大事な事を考える時は母を守るためにはこれでいいだろうか、とかつい考えて、母はもういないとわかっていながら母を守るにはこれとこれをこうして、とかあれこれ考えて、これなら大丈夫と落ち着きます。母とよく行った場所、通った所を通るとああ、ここをこうやって通ったなあとかここに座ってもらったなあとか、あっちでもこっちでも沢山思い出します。未だに、どうやったら助けられたんだろう、長生きしてもらえたんだろう、といろいろ考えます。当時から考えられること、出来ることは何でもしていたけど、それでももっと何かできなかったのかと考えます。お供えは毎日しています。お水とご飯とお茶と他に3品位とお菓子いろいろ。できるのはそれくらいしかないので。以前のように歩きながらも涙がこぼれてどうしようもない、ということはなくなりましたし、歩いていてふらふらくらくらするとか、何も食べる気持ちになれずに無理に食べるとか何もする気になれないとか、そういうのは少しづつなくなりましたが、何をしても母を思うというのは変わりません。いろいろと人として立派だったなあ、心が綺麗な人だったなあ素晴らしいお母さんだったなあと気がついて心の中で母にそう話しかけると母がにっこりしたり、今頃気づいたの、と嬉しそうに笑う気がすることが助けになりました。あとはいろんな不思議な事が助けになっています。全部偶然かもしれないけど、偶然すぎるみたいな。ちなみに不思議な事は実際あるらしくて、これは以前にも書きましたが黒柳徹子さんのお母様は、戦時中ご主人が南方にいた時ご主人が怪我したと言いに来られた夢を見たそう。それをカレンダーにメモしておいたところ、同日にご主人は怪我していたそうです。また黒柳徹子さんは学生の頃、街角の占い師に全国津々浦々に知られるようになると言われたそうです。デザイナーのコシノ姉妹のお父様は旅先で亡くなった日近所の知り合いのところに現れて娘をよろしくと話したそうです。なので母はどこかにいるかもしれないと思ってどうにかやっていっています。
2024.03.20
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帰り道、ふと見上げると目の前にそれは綺麗な細い三日月が上むきに浮かんでいました。静かに光った美しい三日月、母に見せたいなと思いました。こういう月を、父と母は仲良く見てとっても幸せに暮らしていたので、良かったなって思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.14
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ここのところ忙しいので料理をする暇がほとんどないのですがどうにかお供えはできました。玄米ご飯(昨夜炊きたて)抹茶青汁浄水器のお水ヨーグルトとリンゴ牛乳、人参ジュース、バナナ、リンゴのスムージー茄子とマッシュルームとアスパラガスの鴫焼きいちご毎日こんな感じの普通のご飯のお供えです。私が食べるものをとりわけて先にお供えするだけ。10品目で言うと乳製品、野菜、果物、油、海藻(出汁)の5品目だけ。私はお昼に外食して+鶏肉の6品目だけ。足りないもの卵・魚・大豆・芋類でした。芋類は青汁がすいおう(甘藷のつる)青汁なので、一応OKなのかなあ。すいおう青汁はどろどろしてなくてさらっとしてとても飲みやすい栄養価の高い青汁。他にもお菓子と飲料いろいろ、バレンタインデーに知人に頂いた高級友チョコ(さすがにもう食べます)頂き物の桜のお菓子などなど盛り沢山のお供えなのでちょっと安心できます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.14
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急須とか紅茶ポットとかって形が複雑でぶつけやすく毎日洗っていると、数年位で壊してまた買い替えなくちゃ、ってなりませんか?私はなります。昨年もガラスのポットを壊しました。以前はお店で気に入ったものを購入したり実家で母が買ったものの中から気に入ったものをもらってきたりしてたんですが、実家の片づけをしていたら母が買い集めた急須やポットが沢山あって、それを楽しそうに見ていた母を思い出すので処分できず、私が使っていくことにしました。といっても母のお気に入りっぽいものはそのままで、う~ん、これは別にいいかな、というのからもらうことにしました。前回は銀行の名前が英字で入った一応見た目はおしゃれなガラスポット。今回はうさぎの絵柄の陶器のポット。通好みの母にしては子供っぽい柄のを選んだとちょっと意外だったのですが、持ち帰ってよく見たら、伝統的な和柄のうさぎでああ、これなら母が気に入ったわけだと思いました。うさぎは跳ねるし前進するので縁起の良い柄だそうです。母は昭和初期の昔気質の文化の教育を受けているので私は当時はわからなかったけど今思えばとても縁起の良い色柄のものをいつも選んでくれていました。うさぎを見るたび、お母さん、縁起の良い柄なんだね良い事あるといいね、ありがとう、と思います。母が選んだものはまだまだ沢山あるので心おきなく使えるのは、幸せだなと思います。下:こちらうさぎのマークの有名琺瑯ポット。人気すぎてステンレスもあるようです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.02.27
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今回帰省から帰る前日に起こったことのもう一つは久々にテレビが勝手に点いたことです。テレビは確実に消したのですが、今回はリモコンを布団の真横に置いていたので間違って押している可能性が全くないとは言えません。押してはないと思うんですけど。夜ふと目が覚めて、明るいので見たらテレビが点いていました。テレビは以前のように、違う画面設定画面の一つだと思います、が点いていました。帰省中は天候が悪かったので何かそういう事が原因でテレビが点いた可能性はあります。と言っても、普段テレビが勝手に点くことなんてまずないし、寝ている時に(これでたぶん3度目)点くのも変なんですけどね。寝る前に母へ話しかけていたと思うので母が返事をしてくれたのかもしれません。このテレビ、母が使っていたテレビですけど、勝手に点いたとか、夜中に点いていたという話は全然聞いたことがありません。つけっぱなしで数時間経つと自動的に消える機能があるらしく、それは問題なく機能していたので、タイマー的なものがおかしくなっているわけではないと思います。今回はリモコンを押してしまった可能性がありますが、テレビが勝手に点く話は結構あって、『運び屋ゆきた』さんという、宅配便やウーバーの配達員をされていた方の漫画(とってもまっとうなお人柄を感じます)でも経験を書かれています。普段はそういう不思議な話は書かない宅配便の仕事あるあるとかを書かれている方なんですけどやっぱり不思議で書いておきたかったのだと思われます。この、ゆきたさんってお人柄の良さだと思うんですけどとっても「持ってる人」で、読んでて楽しいし奥様とかも最高だし、お薦め漫画です。ネットでも公開しているので検索してみてください。
2024.02.26
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母を亡くして最初の1年位は毎日泣いていたから目が潤んでいたからなのか全然わかりませんけど、白い煙のようなものがふわっと見えることがありました。それからぱったりと見なくなったのですが、私が大変だったとき1回とそれから昨年も1回くらいぱっと見えたことがありました。母が亡くなる前に白い煙のようなものが見えたこともなく、又、何か見間違いをしたとかないものが見えたということは以前書いた親戚宅の話以外はありません。何かふわっと見えたけど、何?と見たら台の上に置いていた布が落ちていたとか、そういう事は何度かあるので、想像で見えた気がするわけではありません。ネットで調べると、白い煙のようなものが見た人は結構いるようです。私はそういう話は本当かなあと思うし、ネットに書いてある見えたという人の半分位は何かの見間違いじゃないかと思っているので私が見えたと思うのも何かの見間違いとか目がかすんでいるとか、そういう可能性があるかとは思いますけど他にも不思議な事がいろいろあるので本当に不思議なことかもしれません。今回は、父母の法事の為に帰省した時の話です。帰省から帰る前日にはよく虫が現れるのですが、今回虫は見かけませんでした。しかし帰る前日の夕方、外出して疲れていてお風呂の後に椅子に座ってうたた寝していました。ここのところ寒かったので椅子の前にはデロンギの、上部に通気口なのか蒸気孔なのかが開いているタイプのパネルヒーターを置いていました。ふと目がさめると、パネルヒーターの左上から右上に白い煙のようなものがかなりの幅広さで流れているのが見えました。驚いてよく見ると、白い煙のようなものはパネルヒーターの上部に先ほどより薄く見えるので、あ、これは寒い時息が白く見えるようにパネルヒーターの暖かい空気が白く見えているんだな、初めて見たけれども、と納得したのですが、すぐに白い煙のようなものは見えなくなりました。それから少しパソコン作業などしてすぐにまたうたた寝してしまいました。そしてまたふと目が覚めるとやはりパネルヒーターの上部に、先ほどよりもうっすらと白い靄のようなものが見えるので、ああやっぱり暖かい空気が白く見えるんだなと思ううちにその靄のようなものはすぐ見えなくなりました。さっきもそうだったけど、不思議だな、暖かい空気が白く見えたなら今も見えるはずだけど?それにパネルヒーターが点いてたにしては寒いしお風呂に入ったばかりだから、点けてなかったのではと触ってみたら、点けていませんいませんでした。なので上部に見えた白い煙のようなものは蒸気とか暖かい空気ではなくて何かの見間違いか、夢か、不思議なものだったと思います。見間違いにしては2回続いたので、違うと思うし夢にしては起きてじっと目を凝らして見たので違うし、起き抜けやうたた寝から目が覚めた時に実際はないものを見たような気がした事は一度もないし、幻覚を見たこともなければ(親族宅の話は別として)何か薬を飲んでいるわけでもなく目も体も健康診断では問題ないのでやっぱり不思議なものなのかも。白い煙のようなものって説明ができないものなので、目が霞んでた(から白い煙が見えるというのも説明がつきませんけど)とか不思議ではない理由がちゃんとあるかもしれないし、他にも見ている人が沢山いるのでそういう不思議なものがあるのかもしれないしわかりませんけど今回、帰省から帰る前日の夜にはこんなことがあったと記録として書いておきます。雨が上がるのも偶然にしては続いているし不思議な事ってあるみたいなので父母が見守ってくれているんだな、供養をしてくれてありがとうと言ってくれているんだなと思う事にします。私にとっては世界一の素晴らしい両親でした。子供がこんなんで申し訳ないけどがんばってるのと感謝しているのはわかってくれていると思います。ちなみに、他人には???としか思えないけど不思議な事がある話としては航空機パイロットや空軍のパイロットがどう考えても不思議なUFOのようなものを昔から見ていてその話は関係者には当たり前であるとか、お医者さんや看護婦さんが結構な割合で不思議な話を見聞きしているという話とかですね。なので不思議なことは実際あるのだとは思いますけど実際少しだけ体験している私でさえも本当なのかなという気はします。ちなみにこういう話をする人を頭がおかしいと言いたがる人というのは、自分がした数々の悪事を隠蔽するために人の事を悪く言いたい人ですので気をつけましょう。
2024.02.26
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ぽかぽか日よりから一転し、急激に冷え込むはざーざー降りになるわで大変だった今週、父母の法事が予定されていました。雨でも何でも行かなくてはならないのでちょっと大変だなと思っていたのですが、天気予報は一日中雨なのに、なぜかお寺に行く前後はずっと雨が上がっていて、タクシー乗場まで行くのも楽だったし、帰りは叔母と少し散歩して楽しい時間を過ごせませした。お墓参りも雨がやんでいたし、実家までの往復も雨が上がっていて移動が楽でした。でもそれ以外の時間帯は雨や時にはみぞれが続いたので偶然にしてもちょっと不思議だなとは思います。そして不思議な話は続きます。
2024.02.25
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母と一緒にいる夢を見ました。日常的な実家の居間かどこかの場面で母が何かを私に言いました。何かを説明するちょっと長い文章。それを聞いて、「あ、お母さんこういう声でこういうふうに説明をしてくれた」とはっきり思い出して嬉しくて目が覚めました。母の声を忘れたわけでも、話し方を忘れたわけでもないし、母の事は明確に心の中にあるけど、ぱっと思い出すのは晩年の母なので昔の母とは違っているんですね。夢の中で見たのは、母がまだ元気なころの声と話し方でした。60代位の頃の母でしょうか。夢で改めて気が付いたけれど年代で声や話し方も少し変わっていたんですね。当時の母の話し方はもとの母の声よりも少し低くて落ち着いていて普段は口数は少ない母ですが、物事を説明する時は穏やかに丁寧に話していました。でも夢だから、どんなに大事にしたくても写真や動画のように残せないけどでも見られてありがたいなと思います。話の内容は覚えていません。家の事を教えてくれていたのか、何か私に教えてくれました。覚えていなくても、きっとそれは私に知恵を授けてくれたのだと思います。幸せな事だなと思います。母が話している夢はしまい込んでいた記憶が夢で出てきただけでしょうが、この日は実は、父母の供養をした日だったので母が来てくれたのかもしれないと思って幸せになりました。下:母に贈ろうかなと思っていたネット通販できる桜の盆栽。
2024.02.23
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今年は新年早々石川県で大きな災害があり未だに被災地では大変な思いをされているし、お元気でエネルギッシュだった方々の訃報も続くし母の命日も数ヶ月になったからか寂しいし落ち着かない気分が続いています。やらなければいけないことはいろいろあるのになかなか手につかないのでとにかく小さなものから先に少しでも進もうとまずは一つ郵送しなくてはいけない物を2つ出し、ついでに出し損ねていた友人への葉書2通と割引券のある通販注文を2つ出してきました。郵送しなくてはいけないものがまだいくつかあるんですけどとにかく1歩まず踏み出す、と、そんな感じ。そんな状態なのに、人の世話のほうは頼まれてもいないのにどんどん焼いている。成人病だとわかった知人に評判の良い病院を探したり、役に立ちそうな物を探して送ったり高齢の親族や知人にこまめに電話してみたり小さなプレゼントを送ったりして、今年に入ってからだけでもざっと考えても5人の世話を焼いています。たぶんもっと多いと思う。それはそれでいいんだけど、自分の事がおろそかでこれは違うんじゃないと思ったり。うん、でも先日二つ用事が出来たから、今週末もう一つしようと思っています。とにかく細々とでも、小さな一歩を踏み出していかないと。心の中で、お母さんがんばろうね、と以前と同じように声をかけながら、やっていっています。お供えは毎日しているから、母は困ってはいないと思う。お供えが出来ているということは、とりあえず食事はしているから、母は喜んでいると思う。一番基本の部分はどうにかやれています。来週からお出かけ予定が急にいろいろ入ったのでこれで気分転換して、やる気を出せればと思います。暖かくなるようだし、外出=運動にもなるし、おしゃれも楽しまないと。本当は母におしゃれしてもらって暖かくて素敵な服を着てもらって出かけたい。美味しい物を食べてもらいたい。でも、沢山したから大丈夫だよねお母さんと過ごせて幸せだよねそう思ってやっていこうと思います。上:遠方の親族に送ったら一族から感謝されました。配送も早くとても良かったです。下:母の命日は日持ちするこういったタイプを注文しています。実家のお仏壇が華やかになるので寂しくないかと。お盆まで飾って親族でわけてもらいます。ゼリーやジュースは高齢者が喜びます。こちらも配送が早いです。
2024.02.10
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2019年のお盆頃に実家で書いたままになっていたものです。忘れないように載せておきます。なかなか寝付けない時、母に語りかけをしています。母に語りかけることで少し安心した気持ちになったり、よくわからない状態の自分の気持ちが少し整理できたり、語りかけているうちに眠くなってきたりします。数日前も、寝付かれなくて起きてブログなど書き始めいつまでもこれではいけないと思い、自分の状況を整理するため母に語りかけを始め、気がつきました。そうだ、私、未だに母の事を諦めきれていないんだ。まだ、何か出来なかったかと思い続けているしまだ、何か出来る事はないかと探し続けている。でも母は亡くなってしまっていて気持ちと現実のギャップがまだ受け入れられない。だからこんなにつらいんだ。以前からわかってはいたことですが、最近やっと、状況が客観的に見られるようになってきたかもしれません。それは一歩進んだ証拠かもしれませんが、でも、気持ちは以前と同じで母の事を諦めきれないままです。諦めてしまったら急にものすごく寂しくてたまらなくなるのかもしれません。と、諦めてしまったらと書いた時、突然急に背後からカナブンがブーンとすごい音を立て私の横すれすれを部屋の照明目指して飛んできました。カナブンは金色の強いコガネムシでこの時期、窓を開けておくと照明の周りを飛ぶことはありますしぶんぶん音を立てる事もありますが、こんなふうに部屋の端の床から急にすれすれに飛んでくるのは初めてだし、タイミングも変だし、やっぱり、いるから悲しまないでいいんだよと言ってくれているのかもしれません。これを書いている数分のうちにさっき飛んできたカナブン、私のパソコンデスクの上にある目の前の携帯に止まってすぐいなくなってしまいました。あんなに音を立てて来たのに。やっぱり変かもです。普通カナブンって、電灯をぐるぐる飛び回るので。携帯には母の写真や動画も入っています。寂しかったらここを見たらって言ってくれたのかな。まあ、そうやって考えて元気にやっていくしかありません。母にはいつもお供えを欠かしません。もしどこかで役立てば、食べてもらえればと思っているからです。本当に楽しい気持ちにはなれないし何か楽しい事があっても本当に楽しんでほしい母はいないし無意味に思えるな、って書こうとしたら足に軽いチクッとしたものを感じて蚊かな?と触ったら、なんとカナブンでした。さっき携帯にとまったカナブンだと思います。キャーと手で払いのけたのですが、こんな事普通はないし、タイミング的にも、母がそんな風に思うものじゃないと言ってくれたような気がします。
2024.02.03
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母が亡くなった時あまりに急でとにかく母のためにできる限りの事をと法要や実家の片づけ、庭の手入れで忙しく、母を介護していた私の家に戻ってきたのは初七日を終えて少し経った後でした。その時はまだ母がいないことがよくわからない状態で、することをしなくてはいけないというせかされたような気分だったのだと思います。母の脳梗塞の状況について検索していた時、介護していた脳梗塞のご主人を亡くしたブログがありました。その方の話では介護していた大切な人が亡くなった時早く物を処分しないといつまでたっても片付かないとのことで、コメントでも賛同の声が多くありました。初めてそういう話を聞いたので印象に残っており母のリハビリのために使っていた絵本やおもちゃの一部を、母を治すことができなかった、役に立てなかったと思いながらつらい気持ちを忘れるように捨て、オムツや介護食は親戚やデイサービスに使ってもらい綺麗な衣類や生活用品は親戚に形見わけして沢山の物を片づけました。でもすぐ、母の思い出は全部取っておけばよかったと思いなおしたりして、残っているものはそのままにしておきました。居間を出るところには、忙しい朝、さっと持てるように前日に用意したデイサービス用のバッグをかけていましたが、母に最後に持たせたまま替えのオムツや着替えや連絡帳を入れたままいつもの場所に何年もかけたままでした。こうしていたら、母がいつでもデイサービスに行けるので準備は全部してあるから母は何も困らないようにとせめてできることは全部して、もうかなわない気持ちをほんの少しでも和らげていたのだと思います。いないから処分したらもうそれで諦めてしまった事、それで自分のほうでも区切りをつけたという事なので、それを避けたのだと思います。居間の出入り口にかけてあるので、毎日目に入りますが、母がいた時と同じであることで、落ち着けるというか、母が困らないように準備はちゃんとしているという安心感がありました。そう思うかどうかは人それだろうと思いますが私の場合はそうでした。他の事も、母が同居することになって母のために買った大きな箪笥には綺麗な色柄の肌触りの良い四季の服が入れたままでした。実家に送ろうかとも思ったのですが、着る服がないと母が困るだろうとなぜか思ってしまいそのままにしてありました。介護している時、母が寒くないように、暑くないようにおしゃれを楽しめるように、といつも心配していたから、その気持ちが残っていたんですね。キッチンには母の介護用のスプーンや吸い飲みカップがさっととれる場所に置いてありました。毎朝忙しくでも時間がなくてもとにかく母に何か食べてもらって脳梗塞の再発を予防する薬を飲んでもらうことが絶対忘れてはならないことの一つだったので大事な食器だったのです。これらを片づけてしまうことは母がいなくなったことを認めることなのと、これらの物がちらっと眼に入る事で母がいた日常がそのまま継続しているようで安心感があったので、片づけられずに何年もそのままにしていたんだと思います。無理に片づけて寂しい気持ちになることはないと思っていたので、しばらくそのままでいいと思っていました。たぶん、このままあと4~5年、もしかしたらそれ以上、ずっとそのままでいい、母のいた記憶のままでいいと思っていたのでそうしていたのかもしれません。どの壁を見ても、柱を見ても、床を見ても、ここに母に寄りかかって立ってもらっていたなここにつかまってもらっていたなここをすり足で歩いていたな、と母の面影がはっきりとよぎる大切な場所でした。家具や家電もマットやスリッパでさえ同様で、とても買い替える気にはなれません。母が綺麗だね、と言ってくれた、使っていたとかそんな些細な思い出が全て大事だったんです。ところが、大変すぎて未だ書けないのですが突然災害にあって、全てが泥だらけで残していた、母がいた時のままのものも多くを失くしてしまいました。それで母がいた時の状態はなくなってしまいましたが母が、元気にやっていきないさいと言っているのかなと思う事にしてどうにかやっています。災害に遭った人でないとわからないと思いますが何年経っても大変すぎてさらっとしか書いていませんが何年もたってどうにか立ち上がろうとしているところです、画像をクリックすると詳細が見られます。6
2024.01.30
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先ほど、お茶を飲もうかな、緑茶を淹れよう、と思いました。緑茶だけではないのですが、新しく飲み物を淹れる時は母にもお供えしているので、朝上げていたお抹茶のような飲みやすい青汁のカップを「今から緑茶入れるからちょっと待っててね」と言いながら下げました。下げるとき、私の斜めうしろのほうで母がにこにこしながら失語症で聞き取ることが出来なくなったもつれた言葉で何か言っている風景がさっと浮かびました。母の小さくて高い優しくて可愛らしい声を思い出しました。母を介護していたとき、母は居間の椅子に座ってもらっており、私が隣のキッチンに食事の用意に行ったり食事や飲み物を持ってきていたりしていたのですが、居間からキッチンは見えなかったので不安になったのか、一度私が食事の支度中に立ち上がってキッチンの方向に1~2歩踏み出してそのまま倒れてしまったことがありました。リハビリ病院から退院して一ヶ月位の時だったと思います。リハビリ病院では、肘掛けなどを支えにして立ち上がるコツを練習していたので、非常にまれですが、とても調子が良い時には自分で立ち上がれたのだと思います。幸いコートやデーサービスに持っていく衣類等をバッグにいれて置いている場所があってそこの上に倒れたので、怪我はなかったのですが、階段が近くにあったので、そちらの方向に倒れたら大変なことになるところでした。それを防ぐためにちょっとでも母から見えないところで用事をする時は一つは、自作のピンクのシートベルトをつけてもらいもう一つは、何々してくるからすぐ戻るね、ちょっとまっててね~と母に安心してもらうように説明していました。「お茶煎れてくるからちょ~っとまっててね~」というのは一日に何回も言っていた言葉です。そんな時、母が調子が良いときはにこにこしながら何か言っていました。母が何か言葉を発するとき、寒いとか、喉が渇いているとか、どこか痛いとか、何か不調を訴えているのでは、と理解しようといろいろ聞いていましたが、にこにこしながら、用事をする私に何か言うときは「ずいぶん頑張ってるね。感心してる。」みたいな事を笑って言っていたのだと思います。それを私の斜め後ろから言っているのを思い出したのは、母がそんな言葉をかけるときには私がキッチン等に移動しかけている時だったからで、今回思い出したのも、その時の事なのだと思います。一瞬、母がいたときに気持ちを思い出したのと、母の明るくて優しい嬉しそうな声を思い出せました。そういえば、倒れる前にはよく、お茶だのお菓子だのあれこれ出す私に、「ここはサービスが良いねえ」と冗談で笑って言っていました。だから失語症になってもそう言っていたのかもしれないですね。脳梗塞でも失語症でも今までの母がいなくなったわけでも何もわからなくなったわけでもなくていつもの通りの母がずっといてくれたのだと後になって気がつくことが沢山ありました。介護中は母が少しでも良くなるために目の前の事をするのに無我夢中であまりそういったことに気がつく余裕がありませんでした。今日ももしかしたら、いつものようにお茶をお供えし直す私に「ここはサービスが良いねえ」と嬉しそうに言ってくれたのかもしれません。下:おままごとサイズの小さなカップと受け皿。お供えに使っています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.01.12
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災害のニュースを見ると、未だに無意識に母がいたときと同じように、母を助けるための方法を頭の中でおさらいします。こうやって介助してこうやって避難して、とか母の分の避難用品の確認もしよう、コートは私のあの暖かいコートを着てもらおう、とか。そして、今は寒くないだろうか、お腹が空いたりのどか乾いたりしていないだろうか、何か困っていないのだろうか幸せでいてくれるだろうかと考え、母の髪や顔や手を撫でて安心してもらいたい、抱きしめたい、抱っこしたいと想います。街中に出ると、沢山の人がいるのでこの中に母がいたっていいはずなのに何でいないんだろう、と思います。深く考えるとつらくてたまらないからそれ以上考えないようにしています。似ている人さえいないので母はいないんだなあってことはわかっています。それにしても、似ている人さえいないほど母は特別な人だったんだなあ、あんなに綺麗な人、いないものなんだなあって今更気がついています。こういうことをいくら考えたってどうにもならないのもわかっているので前に進む方向にいくようにはしています。なのでこの後、新年福袋のささやかな楽しい話を書こうと思います。
2024.01.06
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先日デパ地下でかに足が売っているのを見た後、レストラン街でかに雑炊を見たからだと思いますが、母が大事にしていた親族が立派なタラバガニの足が綺麗に並んでいる四角い大きなお皿を母に食べてもらってと送ってきた夢を見ました。かにを食べてもらえる、と嬉しくて右側にいる母に、かに雑炊にするね、と言いお互いにっこりしたのですが、すぐ、母はいないんだった、もう母に食べてもらえないんだな、と気がついて目が覚めました。こういう夢はよく見ているのですが、寂しがっても良くないので大丈夫、かには食べてもらってた、とか大丈夫、美味しいものは食べてもらってたとかそう思うようにしています。母とかに料理の思い出はいくつかあるので思い出して感謝します。夢で見たって事は母に夢の中で食べてもらっているって事だから大丈夫と思うようにします。下:そういえばこの嚥下食も食べてもらってました。このシリーズは以前ベビーフードの老舗メーカーが作っていたのが別会社になったようですが、いろんな味の嚥下食があって、味も香りもちゃんとしていてとても重宝していました。量は少なめなので、1回に2種類とか副菜(嚥下食)やスープとろみ飲料、ゼリーや果物などで美味しく食べてもらっていました。下:祝い膳用の嚥下食材カットや盛り付けで下の写真のようになるそうです。
2023.12.29
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しばらく前に書いたファミリーセールの話の続きです。この話は個人的な他人にはどうでも良い思い出話なので先にお断りしておきます。母親に買い物を頼んだ時のあるある話なので「うちでもあった、あった、そういう事」って懐かしんで読んで頂ければ嬉しいです。20年位前、時々買い物をしているお店の本社からファミリーセールの案内が届いたのですが、セール開催日は平日で、仕事をしていたので行きたくても行けませんでした。その会社で扱っているバッグが欲しかった私は、セールになっているかもしれないと思い、母に代理で行けるか聞いてみました。30代だった私は母に頼み事をすることはほとんどなく、特に買い物に関しては私と母の好みとは全然違っていたので私の物は買ってこないでといつも言っていました。たぶんこの年代の母娘の関係としてはよくある話だと思います。そんな娘から珍しくお願いをされたので、母はとても張り切って二つ返事で嬉しそうに受けてくれました。当時母は元気でしっかりしていたものの、一応体調の事など大丈夫か聞いてみましたがとても張り切っていて、バッグも重たいものではなかったので私も安心して頼めたんですね。ただ、母の事だから、必要ない物まであれもこれも買うんじゃないかと思い、次の事を何度も伝えてお願いしました。1.買うのは○○というブランドのバッグだけ。2.店員さんに○○のバッグはどれですかと聞けば教えてくれるのでそれだけ買って。3.できたら大きめのショルダーバッグ。4.色はあったら薄いピンクか黒。5.他のブランドのバッグは買わないで。ブランド名は忘れると困るので、紙に書いて渡しました。そして当日、ワクワクして家に帰ったのですが、とっても嬉しそうに、楽しそうに母が並べてくれたのは!希望のブランド○○とは全く関係ないバッグがなんと5個!!え~?思わずへなへなな気持ちになる私。あれだけ、他のバッグはいらないと言ったのに、しかもなぜ5個も??その内容は・真っ赤な大きなバケツ型ショルダーバッグ・黒のフリル付大きなトートショルダー・濃いピンクの薄型トートショルダーそして極めつけが・高級爬虫類革小型手提げピンク・それと同じデザインの色違い黒どれも欲しかったブランドのものとは似ても似つかないものだし爬虫類のバッグなんて触るどころか見るのも嫌だしどうしたらいいのって感じでした。「店員さんに聞いたの?どうして全然違う物をこんなに買ったの?」と聞くと、若い店員さんに相談したところ、とっても親切にこれらを勧めてくれたから店員さんと一緒に選んで購入したと言うのです。とっても感じの良い店員さんだったと言います。「○○ブランドの事は聞いたの?」と言ったのですが総合商社のセールでブランド名は沢山あるので店員さんが知らなかったのか、母は聞いたけどこのバックを勧められたと言い何だか的を得ない答えしか返ってきませんでした。店員さんは、そのブランドは知らないけど親切な方だったので、母に付き合ってくれて買い物の手伝いをしてくださったのでしょう。母も、親切にしていただいて嬉しくて、若い人が選んでくれたから間違いないだろうと喜んで勧められた物をいくつも購入したのでしょう。楽しみにしていた私はとてもがっかりしたんですけど年をとった母がとても嬉しそうに見せてくれるので感謝しなくちゃいけないなと思いました。せっかくだから使おうと思ったのですが、好みと違う物ばかりで結局赤いのはそれが気にいった友人にプレゼントし、大きめのショルダーバッグは数回使ったきり、爬虫類のバッグは黒は母が使うと言ったものの仕舞いっぱなしになりました。当時はあまりのショックで、全然違う、これじゃないばかり印象にあったんですけど今考えると、どれも一応、私のリクエストの大きめショルダー、ピンクか黒、に沿ったものではあったのだと思います。爬虫類のバッグもピンクのと黒でした。良い物だからとベーシックな黒も購入したのでしょう。爬虫類は好きじゃないから2個も困ると言うと、母はこれは気に入っているから黒は自分が使うと言い実家に持って帰ってもらいましたが、多分一度も使わないままだったんだと思います。そのバッグは今も実家に仕舞っています。母はどんな気持ちだったのかな、娘のリクエストで頑張ろうと思って張り切って母なりに喜んでもらおうとあれもこれも買ってきちゃったんでしょうね。選んでいるとき楽しかったのだろうから良かったのかな。もっと嬉しそうに喜ぶふりをしたら良かったのかな。お互い正直に接してきたのだし、いつも母を気遣って母が倒れてからは、笑って幸せに介護してたから大丈夫と思うことにしてます。当時はあまりのショックで、全然違う、これじゃないばかり印象にあったんですけど今考えると母は優しかったな良くしてもらったな頼み事が出来る元気な母だったんだなありがたかったなって思います。
2023.12.26
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12月25日の早朝に一瞬見た夢の話です。お店にいて、なぜか若い親戚にシャツブラウスを選んでいます。2枚ほどこれは?と見せたのはグレー系の柄ものでした。ところが3枚目の青系の濃淡の糸に黄色の糸もアクセントに入った複雑な柄の綺麗な織地で作られたシャツを肩から羽織るようにあてたのは後ろを向いた若い母の背中で、これがとても素敵で似合うね、これにしようと母に話して目が覚めました。若い顔立ちの母はにっこりしていました。元気そうで楽しそうでした。シャツブラウスとしても着られるけど薄手のジャケットとしても着られるような母が好きそうなデザインと色。見たこともない色合いや織地なのでどこからそんな夢を見たのかわからないけど、あ、これはもしかしたらクリスマスに母へプレゼントを選べたんだなと思って少しほっとしました。
2023.12.25
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年末大掃除の片付け中の話です。3年前に仕舞い込んだ書類を整理していたらプチ仕事関係の封筒が挟まっていました。綺麗な厚手の封筒だから再利用しようとしてとっておいたのだろうとそのまま捨てようと手にとりました。念のために透かしてみると、何か入っています。書類についていた送り状かな、と開けてみると、思いがけずに現金が1万5千円!3年前、プチ仕事の経費を振り込もうと用意して書類に挟み込んで見当たらなく、急遽別に用意して支払いしたことがあったのでそれだと思います。とても大変な忙しい事があったのですっかり忘れていました。なんだか、母からもらったような、そんな気持ちがしてちょっと嬉しくなりました。このお金を仕舞い込んだ時期は母が亡くなって数年経った頃ですし、母とは全然関係ないものなんですけど、それでも、寂しい気持ちを母が励ましてくれたような気がしました。たまたまその日は父に関係ある日だったのでお供えも少し多めにしていたから両親が励ましてくれたのかもしれません。1週間前には、母が大事に思っていた親族へ届け物も送っていて、母はきっと喜ぶだろうと思っていました。年始年末ってものいりなので、これでちょっとしのぎなさいって心配してくれたようで嬉しかったです。
2023.12.15
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ここのところ、いろいろあった反動か悲しくなってしまっていたのですが、母にもっといろいろしたかったと何度も思ううちに母が私に望むことを考えてみました。私が子供の頃から、母が言っていたのは一貫していて「栄養のある物をとりなさい。体に気をつけなさい。外に出て運動しなさい。」でした。私が、泣いてばかりいて何もできないまま家に籠もっていたら悲しむのはわかっています。「人生を楽しみなさい。」「素敵な人生であるように祈っています。」そんなこともよくカードに書いてくれていました。そうだよね、前に進まないといけないよね、これじゃいけないよね。つらくなったら思い出そうと思います。
2023.12.14
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きっかけが何なのかわかりませんけど、知人と食事したので、いつも心の中にある母にも食べてもらいたかった気持ちが出てきたのか楽しく話したので、本当は母と話したかったのか街中で背中の曲がったお年寄りを見かけたからかデパートで、母に似合いそうなものを見たからかここをゆっくり見る暇なんてなかったないつも母のこと第一で駆け回ってたなと思ったからか車椅子押して何度も来たなあと思ったからかクリスマスの賑やかな飾りが無意味に見えたからかどこを見てもつらくて、何かもっと出来ることがあったんじゃないかと宙を見ながら考え続けていました。やっぱり普段は気持ちを奥の方に押し込んでいるだけなんですね。6年半なんて短い期間です。きっともっと後になったら、たった7年前には母がいたんだなあ、うらやましいなあって思うのかもしれない、宝物の時間かもしれない。だから大事にしなくちゃいけないかもしれない。つらい気持ちになっている場合じゃないと思って母を大事に思っていきたいと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.12.13
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母を亡くして6年半以上が経ちますが、未だに毎日母の事を想っているし、つらいです。母の喉が渇かないように美味しいものも食べてもらえたらと今出来る事の一つとしてお供えもかかさないので、何も変わっていないように思っていました。でも先日ふと気が付いたのは、半年位前までは無意識のうちにもっと何かできなかったか今から出来ることがあるんじゃないか何かしなくては、と考え続けていたのですが、最近はあまりそちらの方向で祈るようにせかされるように考え続けるのではなくて、もっと感謝とかいつも母が身近にいる気持ちになってきました。同時に、夜眠って5分後位に寝こんではいけない、母の様子をみなくちゃとはっと目が覚めるのもほとんどなくなってきました。それは単に風化なのかもしれませんし、これが進むと、忘れていくということなのかもしれないので、あんまり嬉しい話ではないかもしれないとも思います。でも6年間半常に今からでも母を助けるために何かできないかと無意識のうちに考え続け、頭の隅に寝こんだらいけないと残っているので、眠ってもすぐ目が覚めてしまって、1日20時間位数分おき、数十分おきに母の事を考え続けていたので頭と心が少し休まるのは良い事だと思います。今は気持ちが母に感謝する方向、懐かしむ方向が強まっているので気持ちの面では一歩進んだという事なのでしょう。きっかけはなんなのかはわかりません。七回忌がすんだからほっとしたということもないし。法要は、未だに納得できずなぜだと思いながらです。母は前を向いて進みなさいと言う人だったので母のためにも1つ1つやっていこうと思います。
2023.12.05
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このブログでも何度か書いた叔母が急に亡くなりました。最近はコロナ禍で、静かに送る形が多くなり、私も離れた所に住んでいるので連絡だけありましたが、それでも地方の昔ながらの街なので参列者は多かったようで少しほっとしました。まだ若く、と言っても80代ですが、元気だったので、なんとも言えない気持ちです。いろいろと苦労もされてつらい中がんばっておられた叔母でした。従姉妹によると叔母が住んでいた実家は叔母が親しくしていた人から購入したいと言われ早々に実家を片付けることになったとのことです。その土地は叔父が結婚を機に越したところで、先祖代々の土地よりは譲りやすかもしれませんけど、いろいろ気持ちが動くだろうなあと思いました。実家を片付ける話はあちこちで聞きますが、管理コスト、時間、そういうことも考えて処分する人も多い反面、両親の物を片付けられない人、片付けたくない人は沢山います。大事なお母様のものはメモ用紙1枚たりとも残しておきたい、何も変えたくないと、家をそのままにしていたり、今でもお母様の物と旅行されている人もいるし、自分は全く使わないけれどお母様の物を全てそのまま保管している方もいらっしゃいます。私はそれをしてしまうときりがないし、すぐに物を処分しないと捨てられなくなると聞いていたので、母の葬儀後、家に戻った際に、介護関係の物いろいろ、母に使ってもらっていたいろいろを絵本とかパズルとか字の練習帳(ふにゃっとした線しか書けない)とかつらいものを振り切る気持ちで捨てました。でもあとで、早く捨てすぎたと思ったんです。それからは、母のものがなくなると母が困るかもしれない気がしたのと、あまり急に変えたくなくて、デイサービスのバッグは、中身をいつも前日に準備しさっと朝、持って行ける場所においていたのですが、ずっとそのまま2年半かけていましたし、母の箪笥には、夏物冬物揃えておいてありました。気持ち的に、母がデイサービスに行きたくなったらここに用意してあるからね、寒くなったら暖かい服があるからね、安心してね、と思いたかったんだと思います。今もそうですけどまだまだ母をサポートしたい気持ちが強かったからだと思います。それを少しづつ片付けていきでも実家にはまだ母の物を沢山残してあり実家に行くたびに少しづつ片付けてはいますが大事にして行きたいとも思っています。だから、叔母の家を頼まれてすぐに売却しなくてはならなかった従姉妹は大変だと思いますけど叔母が見守ってくれていると思います。でもつらいですね。その人がしっかり生きてきた形がそのままあるのに大切な人が居なくなってしまうのは。何もできないけど、大事に思って行きたいと思います。
2023.11.23
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ここ何年か、夢の中でも母と会話したことがなかったのに、先日の夢は、母としばらく言葉をやりとりしていました。すぐ目が覚め、お母さんと会話できた夢でも嬉しいって思ったのに、その後また眠ってしまって起きたら何を話していたのかすっかり忘れていました。母と祖父が実家の居間に立って何かを持ちながらしていて私がそこで、何気ない日常的な会話をしているんです。いつもの夢のように、お礼を言わなくちゃとか大好きだって言わなくちゃとか、そういうのではなくて、ごく普通に母たちがいて、ごく普通の会話をしました。たぶん母達がしている事についての会話で、でも、母達が何をしていたのか覚えていないのですが。不思議ですね、どんなことをしようとしていたのかもどんな会話をしたのかも母たちがどんな服を着ていたかも覚えていないのもちょっと変。いつもは具体的に覚えているし夢を見てすぐ起きて、すごく嬉しいと思ったのに。思い出すに、母たちは白っぽいふんわりした服を着ていたような気がします。こういう時は、夢じゃなくて本当に母たちに会えたのかもしれないから覚えていないんだと思う事にしてます。母は元気そうで、50代位の母でした。夢で見る母は大抵元気で歩いています。以前はそういう夢を見るたび、お母さん、歩けるようになったの!って夢の中で凄く嬉しかった。それ位、一生懸命体を支えて少しでも良くなるように自宅リハビリを頑張っていたので母が今は元気でいるならそれだけでも幸せです。本当はまだとてもつらい。母だって亡くなりたくなんかなかったしもっと長生きしてもらえたのではないかと思うしもう6年半も経って、母は消えてしまったのかとも思うし不思議な事なんて偶然なのかもと思うし周りは母が亡くなったことに平然としているし、でも、本当に不思議な事があったし、偶然と言えることだって妙に沢山あるからやっぱり不思議な事はあるんだ、ということは母がどこかにいてくれる可能性はあると。母がどこかで幸せにいてくれればそれで幸せだと思えるから、どうにかやっていってます。
2023.11.19
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先日、午後に出かける予定がありましたが、朝から雨になり、お昼すぎにはざーざー降りになってしまっていました。こんなに降っているのだからそのうち止むだろうと思ったのに、雨足は強まるばかりで止む気配がありません。目的地は電車の駅から離れているうえに、バスはスケジュールや乗り継ぎやらよくわからないのでタクシーで直行することにしていたので最初は雨でも余裕でした。でもあまりにも降っているので、これではタクシー乗り場に着くまでにずぶ濡れになりそう、と不安を感じ始めていました。せっかくタクシーに乗るのに、乗るまでに濡れちゃったら嫌だなでも、もしかしたら、雨があがるのかもとかすかな期待があったのですが、あと30分でこのざーざー降りが上がるとはとても思えない、と濡れる覚悟でいたら、出かける15分位前に急に雨が弱まり、タクシー乗り場には傘を差さずに行けました!!そんな事ってあるの?って思いますけど。帰りも傘を差さずに帰れました。その日、タクシー乗り場の近くで屋外イベントがあったのですが私も出かけるし、雨でイベントは中止なのかなと思っていたら午後から雨が上がり遅れて開催されたようで、出かけ先から戻ってきた夕方丁度盛り上がっている賑やかな場を私も通りがかりながら楽しむ事ができました。また別の日も、プチ仕事でしたが、朝方雨だったのに仕事先に向かう時間と帰る時間は晴れていて移動がとても楽でした。偶然に偶然が重なっているんでしょうけど母は雨に濡れなかったというような小さな事をとても喜んでくれて感謝する人だったので見守ってくれているのだと思う事にしています。
2023.11.15
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いつまでもだらだらしているわけにもいかないので簡単な用事から少しづつ進めています。少し行動すると、ついでにこれも、あれもって動きやすくなりますよね。一歩でも進むことをまずは当面の目標にやってます。先日はプチ仕事の入金があったのでお小遣い程度ですけど、ちょっと気分アップ。気兼ねなくランチに行けるみたいな。頑張っていこうと思います。
2023.11.08
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ラッキーな買物とか秋のおしゃれとかそんな話ばかり書いていますが、それとは別にいろんな事があって疲れもありやる気が出ずにいます。といっても何もしていないわけではなくお出かけもしているし、軽い運動もしているしおしゃれをしようという気持ちもあるしでずっと寝込んでいるというわけではないけどお供えの事がなければ食事も作らなかったし出かけては、運動しては、疲れて何もする気にならず用事も後回しになっていました。本当につらい時、母を亡くしてしばらくとか、その後、大変だった時があってその時はもういっぱいいっぱいで最低限のことだけどうにか行って、それ以外の事は疲れて動けず一日中横になっている事もありました。それはそれで仕方がないと思うし休む事は必要だったと思いますが、周囲に心ない人がいたこともあって大変でした。でも自分で元気になるように努力してここまでやってきたので、休んだり遊んだりしながらやっています。本当は大事なやらなければいけない事がいくつもあるんですけど、それを考えるとやる気が出なくなるので少しずつ前向きにとりかかれるように元気になるというのが現在いるところなんです。やる気が出ないとは言え、家事とお供えと運動と最近はピアノと、他に何かしらはするようにしているんですけど、その、他の何かしらの部分がやる気がない時は散歩を兼ねてスーパーやデパートに出かけるという短絡的な事になり、買物の話が多くなってるんですね。毎日1つ小さなことでも前に進もうと思っているのでもう少し頑張らなくちゃと思っています。最初は簡単なところから衣替えついでの片づけ=去年までの秋冬物の処分も少しづつやっていて、先日は毎年迷っていたニットジャケットをついに処分しました。気持ちの良い季節だから、出来るだけ外出もしています。それにしても、お供えというのは、炊き立てのご飯をお供えしよう、美味しいものも食べてもらおうと思うしそうなると料理もしなくちゃならないし作ったものは自分も食べるから母からの思いやりだと思います。お供えをしようと大事に思うとちゃんと食べなさいと思いやってくれるんですね。といってもやる気がないので今日は朝ご飯:甘藷青汁ヨーグルト パイナップルとバナナと牛乳のスムージーお昼食べる気にならずミルクティすごく早い夕ご飯:炊き立てご飯人参・玉ねぎ・マッシュルーム・椎茸の塩麹野菜炒めハムエッグ(最近はまっている)茎わかめとたらこの佃煮緑茶10品目だと肉・魚・野菜・果物・卵・乳製品・油・海藻・とれていないのが芋類・大豆まだ8時なので今からレタス包みネギ入り納豆ご飯でも食べようかな。ご飯炊きたてだし。ネギの辛味は体に良い成分なのであまり水にさらさない方が良いそうですが刻んですぐだと味がきつすぎるし納豆もそのままの味は苦手なので手作りたれで和えて、食べやすくします。明日はジャガイモ入りスープかお味噌汁作ろうかな。こうやって10品目を見てると足りないものに気が付くのでありがたいし、ちょこっとやる気も出てきます。それにしても、母が辛かった時もっともっと支えになれれば良かったとは思いますが、母は子供がいたから落ち込んでいられなかっただろうしどら娘なら猶更、自分がしっかりしなくちゃと思うだろうしまたこのどら娘がああしろこうしろってうるさくて余計な事ばっかりしてるから気が休まる暇もなく落ち込んではいられなかったのかもしれないのでだめな娘なりに少しは役に立ったと思います。そう思って頑張っていこうと思います。甘藷すいおう青汁ですが、他のどのタイプの青汁より栄養価が高いらしいんですが、飲みにくいのでそれを飲みやすくしたのを飲んでます。上の2点の方(30包入り)が試しやすいかと思いますが(レビューもとても良いです)私はのみやすい緑茶みたいな味のスピルリナ等入った下の(60包入り)を飲んでます。ここのショップはなぜか画像が変なのですがこの画像しかないので。価格は高いのでその下のメーカーサイトから直接購入してます。画像がないので色字でリンク入れときます。下のメーカーから直接購入だと割安で1杯100円前後(購入量による)です。スピルリナ入りすいおう青汁メーカーサイト画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.11.04
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この話何度も同じような事を書いているしお天気がそうそう都合良く変わるわけはないので偶然なのでしょうけど、本当の事なので覚え書きとして書いておきます。先日、買い物に出かけようと思った時、外は雨でした。外出の時、雨だということはほぼなくて、たまにあっても小雨なので、小雨のつもりで玄関を出るとかなり雨脚が強くて驚きました。行こうと思ったお店は駅の反対側で少し歩きます。これは傘だけではびしょ濡れになるかも、とコートをはおりに戻りながら、ついに土砂降りの中、往復する事になるのかなあ行くの止めようかなあ、と思ったのですが、そうやって避けていたら土砂降りに遭わないとは言えなくなるし、今まで6年半も大雨に遭わなかっただけでもうありがたいことなんだから、とあえて出かけることにしました。ところが外に出て30秒位、まだ敷地内にいる位から、なぜか急に雨が弱まってきて、1~2分後にはぽつぽつになり、数分後には止んでしまいました。以前何度も経験しているとはいえこんな事あるの?って、毎回驚きます。帰りも傘なしでしたが、家に着く直前、ぽつぽつ降ってきてそのうちまたざあざあ降りになりましたが、すぐ着く距離だったので問題ありませんでした。1~2ヶ月ほど前、急にプチ仕事が入った際も、天気予報は3日間の内、1日は雨、1日は大雨だったんですけど、時々さっと降っただけですぐ上がり往復は3日共晴れていたのでとても楽でした。他の日も、外出して電車で帰る間に雨になり、駅に着くとさっきまで本降りだったらしく道路がびしょ濡れだけれど雨は上がっているとか、スーパーで見ている間に雨雲が通ったらしく、外に出ると雨が上がったばかりのようで傘をまださしている人もいるということもこの夏も何度か経験しています。もう10年以上前ですが、母に、「今日は大雨だったけど、丁度止んだところで濡れなかったよ」などという話をすると「良かったね。ありがたいねえ。」と私以上に喜んでくれてました。当時は、そんな小さな偶然にいつも喜んで感謝して欲がない人だなあと思っていました。でも、そういう事が大事なんだなあとわかってきました。今も母は見守っていてくれているかもしれません。お天気みたいに避けられない変えられないものをいかにもこじつけて考えてるみたいですけど、以前のブログに書いていますが、母が亡くなる前日からの数日はやはりちょっと不思議な天候でした。不思議な力があるのならそれが働いたのかもしれません。6年半経ちますけど、ありがたいなと思います。
2023.10.29
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久々に母の夢を見たので忘れないように書いておきます。普段はぐっすり眠れるのですが昨夜なぜか眠れなくておかしいなあ、コーヒー飲んだとかじゃないのに、と怪訝に思いつつもずっと起きていたあとベッドに入ってすぐ、夢を見ました。実家の私の部屋にいて2つある灯がなぜか暗いなあ、古くなっていてつきにくくなっているなあと思っています。私の部屋の灯は1つで今住んでいる所は2つなのでごっちゃになっているのと、実家の灯が古くなって点きにくいところが出て来て器具ごと交換してもらっているのでそれが出てきたのだと思います。私の部屋から出ると、客間はとても綺麗で全体的に薄い水色のような薄いグリーンのような薄紫のような色合いで、たっぷりとしたカーテンがかかり大小のシャンデリアが沢山下がっています。これはどこから来た光景なのかはわかりませんけど何年も前に見た何かのイラストか何かかもしれません。そして寝室を見ると、布団が敷いてあって祖父なのか誰かが寝ているのですが母が布団から起きて居間のほうに行こうとしているのであ、お母さんだ!と嬉しくなりました。母は、見守りが必要になる前の、齢を取った母で体が少し曲がり、歩き方もバランスが悪くなっています。これから家事をしにキッチンに向かう感じの、実家でよく見かける母でした。眠りが多分浅く、心の中で、夢で母を見ているんだなと思ったのですがここで母にお礼など言わなければ、と後ろから母を呼び止めると、何か大きな四角くて薄いシーツの箱のようなものを軽そうでしたが両手で胸の所にかかえて運んでいて、忙しいんだけどという感じでこちらを向きました。夢が覚める前に早く母と話をしなければ、とまず、母にいろんな事が出来なかったかもしれなくてごめんなさいと謝り、それからいろいろありがとう、感謝していると伝え出来ることはしているから何かあったら言ってと言い大好き、抱っこしたいと言って母を抱きしめました。母が箱を持っているので箱ごと抱きしめましたが箱があたるので上手く母を抱きしめられないなと思いながら目が覚めました。いつも私が母にしたいと思っている事を全部できた夢でしたが、まあ、そういう気持ちが上手く全部夢に出たというそれだけの話なのだとは思います。この夢で母との会話はありません。母が亡くなって最初の1年位は母からの言葉があったのに最近は母を見かけるだけの夢ばかりだったので抱きしめることまでできて幸せでした。母は紺色に見頃だけ細かい模様が入っている、もしゃもしゃした暖かそうな生地のチュニックに紺色のパンツ姿で、見た事のない服を着ているなあと夢の中でも思いました。秋物をお店で見ているから、そんな雰囲気の服が夢にでたのかもしれないけど、母が着ていたような服は見たことないです。でも、暖かそうな服を着ていて良かった。四角い薄い箱については何なのかわかりません。客間のシーツなどは6年位も前に箱から全部出して箱は処分してあるし、でも、母は箱に入れてしまっておきたい人だったのでいそいそと箱のまま持っていたのかもしれませんね。寝る前に薄い小箱入りの佃煮を実家用に送ろうと詰めていたから、それが夢に出たのかな。でも佃煮は葉書サイズ、母が持っていたのは一抱えあるもので違うけど、もしかして、お供えの仏器は小さいので葉書サイズの佃煮も母には一抱えになる???中身がシーツなのか、食品なのか、額なのか何なのかはわからないけど、母が何か物を持っていたのはそれはそれで良かったと思います。不思議な事はほぼ一切ない只の夢でしたが、夢でも母に気持ちが伝えられて抱きしめることが出来て只の夢でも母が元気そうで不自由なさそうなのが確認でき良かったです。味はお墨付きの牛肉入り佃煮。ばらすと個々の小箱入りになります。常温で長持ちするので実家に半分送ってお供えし、親族にわけたり、滞在中に食べたりしてます。柔らかいし、ご飯のお供になるし、安定の味なので、お年寄りへお届けにも。帰省土産でこの佃煮とお菓子と用意したところ高齢者には圧倒的にこちらが人気でした。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.10.19
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とても疲れて帰って来た日、早い時間帯ですけど身支度も早々に床につきました。ぐっすり寝ているけど、夢の中では何度も目が覚めて部屋の中が暗い(実際目が覚めていたのだと思います)と何度も思っています。夢では実家で寝ていて、どの部屋も夜で暗いと目が覚めるたびに違う部屋を見ながら思っています。少し心細く思っているのですが、祖父の部屋を見て、そうだ、祖父がいるはずだ!と心強く、とても嬉しく思いました。でも祖父の部屋も暗いので、出かけているのかな、でもいるはずだけどと何度も思いとても嬉しい気持ちでいるのですが、でも何で暗いのかな、と何度か考え祖父はずいぶん前に亡くなったのを思い出してとても悲しく祖父を呼びながら夢の中で大泣きして目が覚めました。祖父は家の大黒柱だったので、そういう気持ちが心の底にあるのが出たのだと思います。祖父母のことも先祖のことも大事に思っているのでそれが届いていればいいなと思います。下:留守のお仏壇にずっとお供えできるお寿司のキャンドル。他に洋食やお菓子、おはぎ、お茶、ビールなども。
2023.10.04
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脳梗塞で倒れた母が、6か月ほどの入院の後日中少人数デイサービスに通い入浴や昼食介助等を受けていた時の話です。利用当初はとても感じが良くて一生懸命な30代位の女性スタッフのA子さんがいて、他の利用者さんより障害がある母の受け入れにも熱心で心強かったのですが、仕事も出来て熱意もあり人柄も良い方だからか半年後位にそのデイサービスを経営している親会社に引っ張られる形で、栄転されてしまいました。A子さんが移動された後はその施設でのリクリエーションやリハビリは要介護度が高い利用者向けの小規模デイサービスということもあって椅子に座っての軽い体操や映画DVD鑑賞等ごく簡単なものになってしまいました。母は簡単な体操さえ自分でできないし、テレビでの映画だって、内容がわかっているかどうかわからない状態だったのですが、私が会社に行っている間に自分では水も飲めない状態の母を家に一人で寝かせておくわけにはいきませんし、入浴介助もリフトで週3回行ってもらえ通所する事で刺激を受けてもらうことができればと母のためになることを考えてのデーサービス利用を続けていました。ところがイベントが何もないはずのデイサービスに行ったある日、帰ってくるといつもはぐったりしているのにその日は調子がとても良かったんです。そして送迎の車から降りるのを介助する私に、待ちきれないように、「楽しかった」と言ったのでびっくりしました。「何をしたの?」と聞くと嬉しそうに「赤ん坊」と言います。ちょっと脱線ですが、赤ん坊という言葉は今は使う人が少なくなりきかん坊とか関西弁の「あかん」とごっちゃにして乱暴な意味を持つと誤解してネットに書いている人が何人かいますけどちゃんとした辞書で調べればわかりますが、生まれたばかりの赤ちゃんという意味でごく普通の言葉です。今、赤ちゃん、という言葉が主流なのは、歌の『こんにちは赤ちゃん』が60年代初頭に大ヒットした影響だと思われるので、50年代生まれ以前の人は赤ん坊を使う事が多いかもしれません。母も生まれたてのとても可愛い赤ちゃんという時、気の置けない間柄では口語として赤ん坊という言葉を使っていました。でも、デイサービスにそんな小さな赤ちゃん?「赤ちゃんがいたの?」と何度か聞いたのですが嬉しそうに頷きます。そして「抱っこ」とも言うのでなおさら驚いて「抱っこしたの?」と聞くと、幸せそうに頷きます。どういうことなのかな、倒れる前に行っていたイベント型のデイサービスには犬とふれあう日があって抱っこもしていたから誰か犬でも連れてきてくれたのかな、と「犬の赤ちゃん?」「猫の赤ちゃん?」と聞くと「違う」とはっきり真面目な顔で言うんです。「お人形じゃなくて?」と聞いても真面目な顔で否定します。おかしいなあ、こんなにはっきり言うなんて。赤ちゃんがいたとしか思えないけどそんな小さな赤ちゃんがいるわけないし、母はいつもは朦朧としているし、会話もうまく出来ないから何か別の事なのかもしれないけど、こんなにはっきり言うには、赤ちゃんがいたのかなあと心の片隅に引っかかっていたんですが、母を介助して抱えるように家に入ってもらってその後トイレや夜食、又トイレ、歯磨き、着替え、寝る前の運動や歌、マッサージ等、介助が続くので、バタバタしてそのままになってしまいました。その後母が亡くなり、介護施設の方々にお礼をしている時にA子さんからもお電話を頂き、お礼をお伝えしたところいろんなお話の一つとしてA子さんは転職後しばらくして出産され、赤ちゃんを連れて以前の職場に挨拶に行った際に母にも赤ちゃんを見てもらい、抱っこ(支えながら)もしてもらった、とおっしゃるではないですか!突然、あのときの、「赤ん坊」「抱っこ」という会話がよみがえってきて、ああ、そういうことだったんだ、やっぱり母は、失語症で朦朧としていて要介護5でも心の中も頭の中も、しっかりしていて母のままだったんだなあと思いました。A子さんのこともちゃんとわかっていたそうで可愛い赤ちゃんを抱っこして幸せな気持ちになれて良かったなあ、嬉しかったと私に伝えてくれたんだなあと心が少し落ち着きます。下:大きな犬の抱き人形は寝るときに母に抱っこしてもらっていました。最初の頃は、三角クッションのように体位のサポートや壁との間のクッションとしても使っていました。少しでも刺激になればと声が出たり歌ったりする子供のお人形も使っていました。母が亡くなった後、叔母に見せると嬉しそうに欲しいというので、今は叔母の家にあります。可愛がってもらえて良かったと思っています。
2023.10.02
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1年以上前に書いて下書きに入れっぱなしだったものです。家事をしながら、歩きながら、食事をしながら、もっと母と過ごしたかったなってよく思っています。母とは母が元気な頃から出来るだけ一緒に過ごすようにしていたのに何でそう思うのかな、と考えてみると、一緒に過ごすだけじゃなくてもっと母の話を聞いてあげればよかった母に寄り添ってあげればよかった、という気持ちが強いんだなって気がつきました。母はもともと前向きで明るい性格だったのに加えとても控えめな人だったので欲求も文句も寂しさも口に出さず、何かというと、母の事は気にしなくていいから自分の事をきちんとしなさいとばかり言って、遠慮ばかりしていたんです。さらに、年をとって耳が遠くなり日常会話がスムースにいかなくなると話をするのが難しくなりました。でも、もっと母の心の内を聞いて弱気な時があったら支えてあげたかったし不安があったら助けたかった、母を支えてあげたかったな安心してもらいたかったなと思います。せめて母に喜んでもらえるようにやっていきたいと思っています。
2023.09.28
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実家の客室の押し入れにはビニール袋に詰められて梱包テープで封がされた沢山の毛布や羽毛布団が積み上げられていました。どれも、買ってそのままの新品か、一家で泊まりがけのお客をもてなす際に新調しその時だけ使ったものをクリーニングに出して戻ってきたそのままを密封したもので、クリーニング店が書いた母の名前と料金が袋にそのまま残ったままでした。20年位前、帰省中に、押し入れに物をいれるのを手伝ってくれと母に頼まれ普段開けない客室の押し入れを開けたところ掛け布団、シーツ、タオルなどが詰め込まれた透明ビニール袋がぎっしり積み上げられていたんです。驚く私をよそに、母は、「こうやって仕舞っておくといつでも出して使えるから」と、すっきりしたように、満足したように言いました。ここに新しい物が充分な数あるから、必要な時はさっと出せるからね、と伝えてくれたのだろうとは、その時思いましたが、引き出しケースを使えば出し入れしやすいし布団袋を使えばまとめて入れられ見栄えが良いのに(どちらも家に母が以前、買い置きしてありました)なぜこんなゴミ袋(ではないけど)みたいな透明ビニール袋を買ってきて小分けに入れるのか母の感覚がよくわかりませんでした。なんだかいつも変なことばかりしているけどなんでだろう、といぶかしみました。でも、年をとった母を自宅介護した今ならわかるんです。母は年をとってきて、中身が詰まった押し入れケースや大きな収納袋を出し入れしたり、移動したりができなくなってきて、最良の方法が、中身がすぐわかる透明のビニール袋それも持てる範囲で小分けに入れたものを押し入れに積みあげることだったのだと思います。毛布や掛け布団を1枚1枚クリーニング店に持っていき、受け取って帰り、綺麗になったものをまた1枚1枚、仕舞っておいたのでしょう。母には大変な事だったでしょうに、そういうことはわからず、母が満足そうに見せた押し入れも私は気に入らない顔で「もっとちゃんとした物に入れればいいのになんでこんな入れ方するの?下の物とったら崩れてくるのに。」と文句を言ったのかもしれません。私がもっと大人の対応で「綺麗にしまってあるねえ。お母さん、頑張ったんだね。ありがとう。」って言ってあげられたら、どんなにか喜んだでしょう。でも、その時は私にとって母は頼りになる母、しっかりした母であったから遠慮の無い対応になったのだと思います。これに似た事は沢山あって母が良かれと思ってした事と私が良かれと思ってした事がお互い相容れない、わかり合えない、それはお互い遠慮がなく、思いやりが細かくて深い母娘の関係ではありがちなことなのですが、そんな事が沢山ありました。なので、悪かったなあ、母をもっと褒めればよかったなあと今頃思うのですが母の事はいつも大事にしていて、それは母もよくわかってくれていたし、母が倒れてからは出来ることはすべてして沢山褒めて、沢山感謝して母も沢山笑っていたのでどうにかやっていけています。母が亡くなって実家を片付けているとき物が沢山置かれた客間の押し入れを開けると、そこは20年前に見たときと同じで、透明のビニール袋に綺麗な状態の寝具やタオルが積み上げてあり、実家に滞在するのに使ったり親しい親戚達に形見分けの一つとして羽毛布団やらシルク掛け布団やら新品の布団カバーやバスタオルを差し上げるのがとても楽でした。母はデパートや西川本店でよく買い物をしていて親族へのお使い物にもしていたので、親族は良い物だと喜んでもらってくれ、客間の押し入れの中身は五分の一位に減りました。でも、思い出のある物等は残してあります。夏に滞在していたとき使ったのは70年代後半に、多分母が使っていたような気がするオレンジ色の濃淡と白のタオルケットです。古いタオルケットなんて、洗って天日で干してゴワゴワになっているはずなんですけどなぜかふわふわで、すごく肌触りが良く癒やされます。昔のものは品質が良かったのか良い物だからかよくわかりませんけどとても寝心地が良いんですね。何だか母の柔らかいけど丈夫な肌みたいで安心感があります。ライナスの毛布みたいな感じなんでしょうか。他にも70年代後半に使っていたバスタオルも天日干しでちょっとだけ色あせているけどしっかりしていて、使い心地が良いです。どれもいたみもなくて問題なく使えます。母が見たら、私が古い物を使っているので「珍しいね、面白いね。」と笑うでしょうね。これらの古い物は滞在中ありがたく使って破れたら処分する予定です。母が買い置きしている新しい物も私が母にプレゼントした新しい物も沢山あるから気兼ねなく使わせてもらっています。なかなかない、除湿&防ダニ効果の収納袋。収納袋などに特化した知る人ぞ知るメーカーでいろいろなサイズや色があります。私は5年位前、大手カタログ通販で見た目は良い中国製を購入し、実家で使っていたら、布団袋もハンガーカバーも加水分解し後片付けが大変でした。やっぱりこういうものって、ちゃんとしたメーカー品を買うべきだと学びました。上:大手国内メーカー製のベストセラー。軽くて型崩れせず長持ち、お手頃価格で何かと便利。下:前横上から開けられる折りたたみ式収納。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.09.28
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『母の7回忌にあった 不思議かもしれない偶然の体験1』の続きです。ななふしが3度現れた母の7回忌の約半年後の話です。母の7回目のお盆の後、実家で夜PCを見てました。日付が変わったばっかりの時間帯なので日付的には実家から帰る前日でした。使っていたノートPCの画面の外に何か見えた気がして、?と見ると、画面上部裏側から細~い茶色のものが出てきてまるで手を振るように揺れているんです。きゃ~~~!!ってなるでしょう?普通。私、虫は触れないし、怖いの嫌いだし、びっくりするのも嫌だし、夜だし、絶対絶叫レベルの状況だったんですけど、意外と冷静に見ました。すると、ななふしがPCの裏側から登ってきたんです!ひえ~こんなの初めてです。この滞在中、ななふしは見なかったし他の虫も、蚊がいたくらいで、「もう蝶々が来るなんてないなあ、不思議な事って今回は全然なかったなあ」って寂しく思っていた位なので、まさかこんなふうにななふしが登場するとは思ってもいませんでした。だけど、これじゃPCを使えないし虫は苦手なので、「来てくれてありがとう。だけど知ってると思うけど私こういうの怖いから、近くに座れないの。ごめんね。」と言いながら、ドキドキしながら、ゆっくり席をたって遠巻きに様子を見ました。するとななふしはゆっくりPCの上を移動してPCデスクの裏側の、右側にとまったきりずっと動きません。位置的にはマウスが置いてある場所の真裏側になります。ななふしって動かないものだそうですけど何で夜行性なのにわざわざ明るいリビングの私の座っている椅子に対面するところまで外からはるばる歩いてきたのでしょう。(暑いので玄関は風を通すために少し開けていました)どうも私に会いに来たとしか思えないのでななふしは祖父のような気がするけど誰かわからないので先祖にむけて来てもらったお礼等を言ったりしたあと「ここにいてもらうと、私怖くてパソコン使えないしもし動いて知らないで踏んじゃったりしたら嫌だから動いてもらうね。ごめんね、」と言いながら大きな厚紙にななふしを移動させてそのまま庭の草木が密集している所に移動しました。ここまでなら、偶然だろうなあと言う感じです。ところが!ななふしが現れたのが日付が変わった深夜ですが、それからほぼ1日たった日付は同じ夜のことです。その夜も、パソコンデスクでPCを使っていました。なぜかわからないけど気配を感じてふと見ると、今度は椅子の右横に置いていた椅子のカバーに昨日と同じだと思われるななふしがいるじゃないですか!私の椅子の30センチ位右横の位置にいて動きません。ななふしは基本動かないのは知っていたし、1日前に庭まで移動させたのにまたやってくるのは理由があるのだろう、昨日は私がパソコンを使いにくい位置だったから今度は私と一緒にいられる位置にいるのかも、と蝶々が来て私の椅子の隣の母の椅子に2日半留まっていてくれたことを思い出し、あ、これはわざわざ来てくれたんだなと嬉しくなりました。それでお礼等語りかけをしてから、最初ちょっと怖かったけどそのまま椅子に座って作業をしました。今思うと、母は右耳がよく聞こえなかったため通常私の右側にいたのでその日も、その前日も右側に現れたのかもしれません。前日に来たときは・手を振るように、私の視界に入るように現れた。・その後すぐ移動したが、私が虫が苦手なのがわかっているのかPCデスクの裏側に移動。・私と手を合わせるような位置で動かない。と、意味があるような現れ方をしました。そして翌日は同じように私のいるところに現れ、前日私が近くに寄れなかったので今度は少し離れた場所に移動したのもちょっと不思議です。PCデスクの裏側は陰になっているので夜行性だからそこに移動したとも言えますけど、だったらなぜ一番明るいPCまでやってきたのか、なぜもっと暗いところまで移動しないかわからないし、翌日来たときは明るいところにずっと留まっていたのでよくわかりません。ななふしはその夜全く動かず、翌朝もずっとその場にい続けて私と並んで過ごしてくれました。5年位前に蝶々が部屋の中に現れて2日半、母の椅子に留まったまま動かずに私と一緒に過ごしてくれたのと同じで、やはり偶然にしては不思議なのかも。しかも・普段家の中で見かける事がないのに2日連続で同じ場所に現れた。・離れた場所に連れて行ったのにまたわざわざ家の中に来た。・私が帰る前日に労うように現れた。というのもちょっと不思議です。ななふしがもし家の中で発生中なら滞在中家の中で見ているはずですが見かけたのは私が帰る前日に1回づつのみです。偶然と言い切るにしてはちょっと不思議な事が重なっていると思うんですよね。不思議な事を信じたくない人もいるし、不思議な事があるのだとすれば自分の悪事が全部ばれて天罰もあたるから都合が悪い人もいます。そういう人は全否定しようとするでしょうけど。一緒に1日すごしてくれたななふしですが、実家から帰る時家に閉じ込めるわけにはいかないのでまた厚紙ですくって庭の草木が密集する場所に移動しました。もしななふしになって母か祖父かご来てくれたのなら母はどこかにいてくれるしご先祖様もどこかにいてくださることになるのでほっとできます。ずっとつらい気持ちでいるからいいかげん前を向きなさいって言うためにわざわざ現れてくださったのかなあとも思います。少しづつでも元気になろうとしています。
2023.09.23
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この話はなかなか書けなくて半年、下書きに入れっぱなしだったんですけどやっぱり不思議なので忘れないように、長いので1と2に分けて書きます。ななふしの話です。ちなみにななふしって、縁起が良い虫だそうで見かけたら幸運に恵まれるそうです。母を亡くして最初の2年位はどう考えても不思議な体験や、偶然かもしれないけど、それにしては不思議な事がけっこうあったのですが、それもここ数年はほとんどなくなっていました。それで、不思議な事なんて本当にあるのかなあ、お母さん、いなくなっちゃったのかなあ先祖を大事に思っても、誰もわからないのかなって、ついそういう方向で考えちゃいがちでした。まあ、理論的にはそうだと思いますし、そういう方向で考えた方がいろいろ楽だと思う人がいるのもわかってます。私は母がどこかにいるかどうかはわかりません。だけど明らかに不思議な事や偶然にしては不思議な事が沢山あるのでもしかしたらどこかにいてくれるのかなと思うしいてくれたら少し心が落ち着くから覚え書きのためにここに書いています。母の七回忌にむけて10日ほど前から実家に滞在して毎日庭の手入れをしていた時です。命日の前日、玄関の前の掃除をしていてふと見ると、玄関の外側にななふしがいて、あ、ななふしが今年も現れた、と思ったとたん、本当に1~2秒後に祖父や母が大事にしていた親族がやってきました。まるで歓迎するために現れたようです。そこは30分以上掃除をしていたのでななふしがいたら気がつくと思うのですが気がつかなかったということはたぶん直前に現れたのだと思います。以前ななふしがいた同じ場所に現れました。前に書きましたが、実家でななふしをみたことなんて母の1周忌位に現れるまで1度もありませんでしたし、母から聞いたこともありません。それが、なぜか母の命日にあわせたように、それもまるで出迎えるかのように親族が来たその瞬間に玄関に現れるってやっぱり偶然にしては出来過ぎのようです。しかもななふしって夜行性なのになぜ昼間に現れたのかもわかりません。ななふしはその場所に1日ほどいて命日の供養が終わったあとあたりにその場からいなくなっていたのですが、その日の午後、親族が裏の木の手入れをしていたらたぶん違うななふしが親族の顔の近くにくっついてきてそれを玄関でみつけて振り払ったところその後数日、玄関の内側に居続けました。夜行性なのに、なぜ昼間、日の当たる南向き玄関外側に現れてずっとそこにいたり明るい玄関の内側にずっといるのかよくわかりません。そして、ななふしが居なくなったころ、表の庭の入れをしていたら、私の顔の近くの枝にナナフシがいました。なんか偶然が重なってびっくりしました。この庭の手入れは毎年数回してますけどななふしなんて子供の頃から見かけたことないし母にも聞いたことがないし、もしこの年にななふしが大発生していたら滞在中あちこちで見かけたと思うんですけど見かけたのは1.親族が来ると同時に玄関外側で2.親族が帰る日の前日、裏の木の手入れ中顔近くにくっついてきた3.私が帰る日の数日前、表庭の手入れ中顔近くにきたの3回だけで、偶然かもしれないけど3回とも慰労するようなタイミングです。で、ここまでだったら偶然なんですけど、その半年近く後のお盆の後に起きた話が偶然にしてはやはりちょっと不思議なので『母の7回忌にあった 不思議かもしれない偶然の体験2』に続きます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.09.21
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1年位前に書き、なかなか纏められなかった話です。2022~23年冬はインフルエンザと新型コロナがダブルで流行ると専門家が早くに警告していました。インフルエンザと新型コロナ予防接種を同時に行う方法もあるとのことでしたが、それはどうなのかと先にインフルエンザの予防接種ができるところをさがしていました。医院によっては在庫切れとか接種期間があるので、事前確認をして行きました。インフルエンザの接種は母が亡くなる半年前に一緒にしたので未だにちょっとつらくてそれで母と行ったインフルエンザ接種の事を思い出しました。そのころ私にとってインフルエンザ接種は会社で受けるものだったので、わざわざ医院に受けに行くためのいろんな段取りは何もわからず、ある日接種を受けようと、母を車椅子に載せて接種できるという近所の医院に行くことにしました。11月ごろだったと思います。そこは表通りにある初めての所だったので車椅子を押しながら沢山の建物の看板を見上げ医院を探していました。当時母は朦朧としているのが多くなっていて出かける前に予防接種を受ける旨を伝えていたものの特にコメントも反応もなく、外に出ると私に車椅子を押されるがままでどこに行くのかもわかってないのではないかと思われました。母はただ、ぐったり車椅子に座って私に押されていました。ところが、私が医院の場所を探してビルの看板を見ながら車椅子を押していると、「ここじゃない?」「これじゃない?」とゆっくりとですが母が手を上げて建物を示すんです。車椅子に座っている母には押す私が見えないので、医院を探してビルの看板をあちこち見上げていることも見えてなかったはずです。母はぐったりしていて、医院に行こうとしていることさえ判らなかった可能性があるのに、私が急ぎつつ迷いながら車椅子を押す感じから場所を探していることはちゃんとわかって、探すのを手伝ってあげようとしてくれたことに驚きました。母が「ここじゃない?」と手を上げてもそこに医院があるわけではなく大きな建物の前を通っただけだったので、商業施設の看板を読んだり、クリニックを探せていたわけではありませんでした。そこまでの体力も理解力もなくて、よく子供が、「ここ?」ってやみくもに聞く、そんな感じでしたが、私を助けてくれようとしたんだなあって思います。娘を助けたい、力になりたいという、親心一心だったんですね。ありがたいなあって思います。優しい母でした。
2023.09.19
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今日は祝日が改定になる前の敬老の日です。私にとって敬老の日は9月15日の印象が強いけど、連休という形になって、敬老の日だから帰省しようとか祖父母と食事しよう、出かけよう、旅行に行こうと思いやすくなるのは良い事ですね。毎年、どんなお花にしようか、お菓子は何にしようか、プレゼントは何にしようかって叔母たちの分も楽しく考えていたので寂しいなって思います。そこに加えて、母が亡くなってから災害のニュースとか警報とか聞いたり訃報があると急な事もあって気持ちが落ち着かないです。母の介護をしていた時はとにかく毎日できることをするのに精一杯でベストを尽くすことだけをしていました。それが急に形なく消えて行ってしまってそういうこともつらいんですよね。でもそこで負けちゃいけないと思うんですよね。寂しいなあと思ったら、いろんな不思議な事が何度もあったことを思い出さなくっちゃ。お花とお菓子を届けるってあまり良くないものが届いたらどうしようってちょっと心配なので下に安心して頼めるお店をいれておきます。下:こちらの会社は20年位前から利用していてスタンダードな内容ですけどお花の状態など安心して頼むことができます。こちらも人気のお店でお花もちょっとおしゃれでお菓子も千疋屋。こちらも蘭を広く取り扱っていて安心して頼めます。
2023.09.15
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一昨日は特に何か特別な日ではないのですが、朝起きた時から、なぜかにこにこしてとても嬉しそうな母がずっと心に浮かんでいました。理由はわからないけど何だか安心できる気がして心穏やかに過ごせました。
2023.08.29
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今年はお盆中に台風が通過し天候が不安定で予測不能な急な豪雨が続いたのでお墓参りもなかなか行けずに申し訳ない状況でしたがその分お盆の飾り付けやお供えをしっかりしてお盆明けにはお参りできました。お盆用品の片付けも済ませ、ただ、300年の歴史がある岐阜提灯は伝統工芸品として夏中つけていても良いし、地元では夏の風物詩として飾る事も多いと購入の際岐阜提灯の会社の方に聞いたので早めに出してゆっくり仕舞っています。全部さっと片付けちゃうとちょっと寂しいので。父母もきっと、綺麗だなと見てくれると思うし。念のためにウィキベディア等で岐阜提灯の歴史を調べました。もともとが無地の献上品で将軍家や大奥で使われていたものが文政年間(1818年 - 1829年)に彩色を施され、お盆や祭りに裕福な家で使われるようになったものの一般向けではなく衰退していたところ、1878年(明治11年)10月に明治天皇が東海北陸地方を巡幸した際、勅使河原直次郎が岐阜県の主要産品として岐阜提灯を供し、岐阜提灯が全国に知れ渡ることとなったそうです。つまり、10月に明治天皇をおもてなしするために使用されたので、お盆専用というわけではないんですね。明治天皇は文武両道に優れている現人神として想像も出来ないほど敬われており、最高のおもてなしの一つとして供されたのだと思います。今まではお盆の用意もお参りもすべて祖父母と母任せで、仕事を始めてからはお盆=休みをとるか取らないかという目先の事しか目に入りませんでした。私がたま~にお盆やお彼岸中に帰省すると、母がとても喜んでいたのにその気持ちが分かっていませんでした。帰省中のお墓参りは欠かさないし、お供えも折々送っていたから自分ではその位のことしか頭にありませんでした。今、少しでもお盆を大事にできて、母に少し安心してもらえているかなと思います。お盆って、大切な人を亡くして悲しんでいる人を少し安心させてくれるものなんですね。そしてお盆明けで、盆棚を片付けてさ、日常生活に戻りなさいって事なんだと思います。プラスチックや印刷の物も多いですけど毎年使う物なので長年の分解組み立てに耐える天然木と保存に耐える絹や伝統和紙の工芸品がお勧め。また、対のものは柄も外側内側と対になっています。柄はお好みだそうですが、涼しげな秋草がお勧め。
2023.08.17
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お盆の中日はご先祖様が一番近くにいらっしゃる日だそうです。お供えも初日と内容はそんなに変わらないけど毎日新しい果物等お供えを沢山しています。手料理も食べてもらいたいので野菜が沢山入った栄養豊富なものを作ってはお供えしています。私の手料理を食べてもらいたかった曾祖父母達や父やご先祖様達にも食べてもらえるかなと思って。美味しい物を食べてもらって、体をマッサージして楽な気持ちになってもらい沢山お礼を言って、沢山話をして笑って幸せになってもらいたい。毎日あれこれ考えてるけど、基本はそこですね。私が小さい頃亡くなった曾祖父母や父にはできませんでしたし、祖父母達には誕生日とか敬老の日のプレゼントとか手紙とか、子供が考える事しかできずお世話になるばかりだったけど、多分少しだけでも喜んでもらえたのだと思うし考えてみると、母には出来たから大丈夫なのかな。未だにもっと何かしたいし、もっと何かできなかったのかと考えます。だけど、大丈夫って思って前に進まないと。最初の数年より、ずっと元気にはなっています。道を歩きながら涙が溢れてくることもないし、音楽を聴くことも出来なかったのに自分で奏でようとしているし。少しづつ前に進むしかありません。上:12ヶ月のそれぞれの香り付のお花。大きめのガラス受皿がセットされているので安全です。下:煙がでにくくたれにくい蜜蝋製。どちらもベストセラーで私も何度もリピートしています。お使い物にも綺麗で良いものなので喜ばれますしお花をお供えすることにもなります。花蝋燭は、極寒の冬の間生花がない東北で生まれそうです。この蝋燭を飾れば、生花の代わりになるので留守にしている実家のお仏壇やご高齢で生花が飾りにくいお仏壇にもお勧めします。
2023.08.15
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今日はお盆の入りですね。ご先祖様が来て下さる日だそうです。お盆の明けまで一緒に過ごして下さるので出来るだけのおもてなしをして綺麗な飾り付けで楽しんでもらって美味しい物を沢山食べていただこうとここ数日支度で忙しくしていました。墓所には生花も供えますが猛暑でもたないので造花も新しいのに新調して華やかな飾り付けにします。造花は色あせるので、盆暮れ命日と年に数回交換しています。今年のお盆は台風の影響でゲリラ豪雨が発生していますが私が出かけようと出た時に雨が丁度上がって歩いている人達が傘をたたみ始め数時間後の帰りも雨は上がっていました。もう一つの偶然は、値段が下がるまで待っていて今年は買い逃しちゃうのかなあと思っていた父との思い出の果物が偶然、お盆の初日にお供えできるタイミングで買いやすい価格になってました!先日母にお供えしたかった藤稔も見つけたし良かったです。夜は家で盆灯籠の色に癒やされながら綺麗な蝋燭や香りの良いお線香をあげたりLED蝋燭をお盆の間は1日中灯して、父母やご先祖様と過ごしています。いつもより華やかな飾り付けの家で美味しい物も食べるし親族へお供えを渡すためにあちこち出かけるしお盆期間、華やかで賑やかに過ごせるのはご先祖様達の心配りなんですね。ありがたいですね。自分のためにはそんな気になれない綺麗なお花を飾って、美味しい物も食べて何もする気になれないけど、毎日お供えをして、お水も替えて忙しくして寂しくないように、心強く元気で夏を乗り越え来年まで頑張れるように、昔の人の知恵ってすごいですよね。
2023.08.13
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昨日はお昼寝をしてしまって、家事をした後買い物に出かけようと思ったら夕方過ぎになってしまいました。雨は降らないよね、と天気予報を確認したら今日は雨は降らないと出てました。でも外に出たとたん、ぽつんと雨粒のような気配。あれ?気のせい、と出かけようとして、用事を思い出し、一旦家に戻り、又外に出るとぽつんと雨粒。あ、これは降ってくるかな、と傘をさして出かけました。買い物から戻るまでの数時間、雨は本降りになることはなく、ずっとぽつぽつで、帰りはほぼ止んでいたのですが、数分早く出ていたら、傘がなくて困ったところでした。ただの偶然でも母に感謝。母が、良かったねえって喜んでにこにこするのは間違いないので。軽量で丈夫でUVカットでしっかり雨が防げるのにお手軽価格の24本骨の傘。こちらは16本骨なのに軽量のジャンプ傘で丈夫で色がとても綺麗なのにびっくりするほどのお手軽価格。15年位前、母用と色違いで購入しとても長持ちしました。プレゼントにしても気軽に使ってもらえて喜ばれます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.07.06
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半年ぶり位に会う友人とランチの約束でしたが天気予報は午後からずっと雨、それも大雨になるということでした。会うのは普段ほとんど行かないので馴染みのない街です。雨はちょっと困るなあと思いましたが、おしゃべりに花が咲くのはわかっていたので、問題はお店への往復と、帰りだけかなと思い、出かけることにしました。お店に行くときは雨はほとんど降っておらず、ゆっくりランチをしてデザートも食べて小雨の中、また別のお店でお茶をして沢山おしゃべり。帰りも小雨、そして途中でデパートに寄ろうと経由駅の地下から入って1階に上がると外は当分やみそうもないような土砂降りでしたが、デパートで少し買い物をしてまた地下から駅に入り最寄り駅に着いた時には丁度上がったばかりのようで、道路はびしょぬれなのにぽつぽつ降りになっていて、家まで歩いているうちにすっかり止みました。偶然でも不思議ですよね。
2023.06.16
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久々にカラオケに行ったときふと思い出して、SMAPの『さかさまの空』を聞いてみました。この曲は2012年のNHK朝ドラの『梅ちゃん先生』の主題歌だったので、普段SMAPを聞きなれていない私や母みたいな人にもなじみがある曲だと思います。母は朝ドラは欠かさず見ていたのですが、2011年ごろから複雑な事の理解力が衰えはじめ、『梅ちゃん先生』の話自体はあまり面白くない(とっても人気の番組だったと思いますが母にはピンとこなかったらしい)といいつつもこの主題歌はリズムをとりながら熱心に聞いていて、SMAPも好きだし、この歌はとても良い歌だととても楽しそうに言っていました。若者向け風の曲なのに、どこが気に入ったのかな、SMAPが好きだって言ったって、『世界に一つだけの花』が好きなだけじゃないのかな、とちょっと不思議でしたが、一応私も歌えるようにはしておきました。今回カラオケで、そういえばとこの曲を流した時に、もうどんな歌か忘れてしまっていたんですけど、歌詞を見て当時はなぜか全然ピンとこなかった内容に驚きました。『さかさまの空』作詞:麻生哲朗作曲:菅野よう子わかってるんだ君は靴ひもを(ずっと)なおすふりしてるけど本当は 泣いてたんだ街の音は 泣き声を消して(そっと)夕焼けは 君をただ 静かに見つめてた「夢に目を凝らす人ほど 涙はこぼれる」涙ふいてさしゃがみこんで 抱えたひざから少しだけ(そう少しだけ)顔あげてごらんうつむきながら 歩いてばかりじゃ 見つからない幸せが(照れくさそうに)君と目が合って 笑うからわかってるんだ君はその靴で(ずっと)一歩ずつ一歩ずつ 歩いてきたんだね「夢を抱えてる人ほど かかとはすり減る」あの頃にほら 寝転がった時に見つけたさかさまの(キラキラ光る)空があったよねうつむきながら 歩いてばかりじゃ 見つからない幸せが(あの空のように)明日のどこかで 待っている夢は遠くても 道は細くてもなにかが消えてゆく訳じゃない君が思っているより 君が笑ってる顔は君が出会ったみんなに 愛されてんだよ!涙ふいてさしゃがみこんで 抱えたひざから少しだけ(そう少しだけ)顔あげてごらんうつむきながら 歩いてばかりじゃ 見つからない幸せが(照れくさそうに)笑っているからさかさまの空を あの日見つけたみたいに幸せが(笑顔の君を)どこかで待っているうつむかないで しゃがみこんだ時に 見つけた幸せが(照れくさそうに)笑ってる君を 待っている一歩ずつ さぁ行こうこうやって歌詞だけみると幸せとか、涙拭いてとか、愛されてるとかいかにも歌詞って感じですけど曲をつけるとさらっとした感じになります。私はその、さらっとした感じでしかこの歌をとらえていませんでしたし、あんまり濃い歌詞ってちょっとね、って好きじゃありませんでした。でもこうやって改めて見てみると、母がこの曲をとても気に入っていたのは夫を亡くしてつらい思いをしていたけど子供には涙を見せずにがんばって前を向いている自分の気持ちを謳っていてくれたからなんだろうなあと初めて気が付きました。それから、つらい気持ちの私に母が贈ってくれたような気もしました。都合の良い解釈かもしれないけどそれでもいいと思います。元気が出ることや、励ましてくれるものは嬉しく受け取ろればいいと思うんです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.06.08
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昨日母の事を考えながら眠ったせいなのかとても鮮明な傘の夢を見ました。鮮やかな丸い赤い木製の持ち手で本体が紺色の晴雨兼用の折り畳み傘を母のために買おうとしています。傘はいくつもあり、でもこの赤が綺麗だからお母さんにと思っています。場面はお店だったり家にある傘だったり変わりますがその中から綺麗なものを母に選んでいます。目が覚めて、ああ、お母さんが生きている時の気持ちの夢だった、夢の中でも母に綺麗なものが選べて幸せだなと思いました。実際は母にあんなに鮮やかな赤い色のものを選ぼうとしたことはありません。ワイン色の靴は選んだことがあります。母と一緒に母の靴を選んでいて普段ははかないワイン色も黒と一緒に買うことを勧めました。母はかなり躊躇していたけどその後良くはいていたので、綺麗な色を履いてもらって良かったと思いました。でもあの傘はどこからあんな夢を見たんでしょうね。1週間ほど前に、晴雨兼用の折り畳み傘は買いましたが見ていた色は全部ピンクとか薄紫とかベージュで、買ったのもベージュでした。夢占いというのを簡単に見てみると傘の夢は吉夢だそうです。それも、応援をもらえる、力がもらえる夢だそう。私が寂しいと思っていたから母が応援してくれているのかもしれませんね。下:知る人ぞしるイギリス王室御用達のビニール傘。深くすっぽりかぶれるので濡れにくく、視界も遮らずに、高齢者へのプレゼントにもお勧めです。とてもしっかりしたビニール傘です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.29
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