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松本大洋「日本の兄弟」(マガジンハウス) 松本大洋の「Sunny」を5巻まで読んだのですが第6巻が手に入りません。で、こちらの漫画が手に入って読みました。「日本の兄弟」(マガジンハウス)です。短編集でしたが、収録作品の目次はこんな感じです。「m」「何も始まらなかった一日の終わりに[チャリの巻]」「何も始まらなかった一日の終わりに[ハルオの巻]」「何も始まらなかった一日の終わりに[祭りの巻]」「LOVE? MONKEY SHOW」「闘」「ダイナマイツGON GON」「日本の友人」「日本の兄弟」「日本の家族」「べんち(単行本初収録)」 2010年にマガジンハウス社から出版されている本ですが執筆されたのは1990年代のようで、「何も始まらなかった一日の終わりに」のシリーズから「LOVE? MONKEY SHOW」、「日本の~」のシリーズ(?)まで、まあ、だいたい1995年前後に雑誌とかに掲載された作品のようで、最初のページを飾っているフルカラーの「m」だけが、2000年以後の作品のようです。だから、まあ、全体として、初期というか、中期というか、「鉄コン筋クリート」くらいのころの短編作品集ですね。 絵のタッチというか、雰囲気はずっと松本大洋です。そこがお好きな方もいらっしゃるでしょうね。ボクが松本作品に引き付けられるのは、一つ一つのマンガの時間の描き方と、その方法で描きこまれていく、なんというか、重層化した内面描写ですね。 マンガは「絵」によって描かれるわけですから、世界の輪郭が多層に重ねられていることは目に見えますが、セリフやト書きによって異なった時間を書き込んでいくことによって、といえばいいのでしょうか、「物語」の輪郭の奥にある世界の描きかたが面白いのですね。 この作品集の中の「何も始まらなかった一日の終わりに[祭りの巻]」にあるページです。老人が大きな穴が開いている橅(ぶな)の木の根っこのところに座って、過去が周囲に広がります。「ここから見る景色も随分と変わった」「変わらんね君は・・・」君にもらった懐中時計ススキで切った僕の膝「ふふ・・・そうか・・」秒針も・・・赤い血も・・・「そうか・・・」「痩せたか 少し・・・」 時間は、たぶん、何層かに重層化していて、老人は、おそらく「死」と向かい合っているとボクは読んでしまうのですが、マンガの中で老人を見ているのは、通りすがりの猫の眼です。 海の見える高台のベンチとかに、思わず座り込んで過去に浸りながら一休みすることは、徘徊老人にとっては日常的な体験なのですが、そういう老人が、思わず自分を重ねながら眺めてしまう、マンガの中の、この老人を、1995年ですから、まだ20代だったはずの、1967年生まれの松本大洋が描いていることへの驚きというのがこのマンガに対する感想です。ボクは、その年齢の時に「海の見える高台からの風景」のことなど思いもよりませんでした。 まあ、本当に重要なのは、次のページに登場する猫の方なのかなとも思いますが、まあ、そのあたりの真偽は本作をお読みいただくほかありません。 まあ、それにしても、絵も面白いのですが、この漫画家の持ち味はそれだけではないことは確かです。当分、おっかけは続きそうですね(笑)。
2023.05.16
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松本大洋「Sunny 5」(小学館) 松本大洋「Sunny」(小学館)、第5巻です。例によって目次から紹介します。第25話「あつがなついわ」「ドキがむね!」第26話「母をたずねて三千里やね」「さんぜんりって遠いんか?」第27話「こないいっぱいはな水でたら、脳みそでてまう」「ほな、お前もう脳みそないで」第28話「エロケン、ごきげんやな」「カネでもひろたんやろ」第29話「虹って、さわったらあついんやろか?」「青い部分は、つべたいやろ」第30話「台風来とる日は、鳥たちどこでねるんやろ?」 ちなみに、表紙の少年は純介くんです。弟のしょうすけくんと二人、星の子学園で暮らしています。おかーちゃんは市民病院に入院してはって、おとーちゃんのことはよくわかりません。 第5巻の第27話は風邪をひいて38度を超える熱を出して、医者に連れていかれて、「ぶっとい」注射をされた純介くんが主人公です。 朝から、小学校はお休みして、一匹死んでしまった池の鯉の墓をたろう君とまきおさんが作るのを眺めたり、女の子の部屋に忍び込んでウサギのペンダントをパクったり、いつもの純介くんですが夕暮れになるとしょんぼりしているのを見てまきおさんが声を掛けます。「どないしたんや純介?」「わからんねん・・・・」「きもちがこわなんねん。」「日ィあるうちは平気やねんけどァ、空くらくなるとこわいねん。」「おかーちゃんのビョーキのこととか、こわなんねん。」「大丈夫や、純介・・・」「きっとみんなエエようになる・・・」「お母ちゃんの病気かって絶対治る。」「ホンマ?」「ああホンマや。オレが約束する。」 で、その晩、ペンダントパクリをきーこちゃんたちに追及されて、開き直っているところに電話がかかってきます。「もしもし純介か?」「おかあちゃん・・・・・・・・」「あんた風邪ひいたんやってなァ?」「もう良うなったんか?」「うん・・・はちどごぶやったってみつ子さん言うてた。」「朝しんどかったけど、ようなった。」「おかあちゃんはどうなん?」「しんどないん?」「うん・・・病院行ったでまきおさんと・・・」「ちゅーしゃしてんで、うん・・・」「なけへんかったよ。」「みんないつもといっしょやで・・・」「すもう観てるわ・・・・」「しょうすけもかわらへんよ・・・・」「いっつも絵ばっかかいてるで。」「なんやオバケみたいなんかいとるわ・・・」「日曜日になったらまたお見舞い行くで・・・」「クローバーいっぱいもって行くさけな・・・」「しょうすけといっしょに行くさけな。」 この日の純介くんの様子を気遣ったまきおさんがみつ子さんに頼んで病院のおかーちゃんに連絡を取ってくれたようです。 子供たちが暮らし、おかーちゃんが入院している街の空にはゴ オ オ オ オ オ と風が吹いています。徘徊老人は、もちろん、もらい泣きです。さて、次は最終巻ですが、まだ手に入りません。まあ、ゆっくり探します。じゃあね。
2023.05.15
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松本大洋「Sunny 4」(小学館) のんびり読み続けている松本大洋の「Sunny」第4巻です。この巻も、文句ありません。 第4巻の目次はこんな感じです。第19話「神さまが、雨ふらせるんやろか?」「神さんかって、泣きたなるとき、あるんやろ」第20話「ダイコン嫌いや」「なんや、おならのにおいする」第21話「こいびとどうしって、ナニするん?」「おててつないで、チューするねん」第22話「はしゃいどるのぉ…」「はしゃいどるでぇ~」第23話「あおリンゴって、みどりとちゃうん?」「みどりんご!」第24話「あうあうあー」「うぉううぉー」 今回の表紙の顔は「たろう君」です。年齢はよくわかりません。24話で、星の子学園の近所に住んでいて、子供たちから「しょんべん」と呼ばれているおっさんがいます。家があるわけですからホームレスというわけではない、その「しょんべん」の住処でボヤが起こります。で、「しょんべん」がどこに行ったか分からなくなります。 まあ、そこらあたりは読んでいただくほかありませんが、この作品の中で、いつもはだかんぼで、園の庭にある池の中で行水したりしている「たろう君」の存在の意味が、ボクのような鈍い読者にも、ようやく、わかり始めるエピソードでした。 人を見かけで見下したり馬鹿にしたりしてはいけません。 松本大洋がそんなこと言っているわけではありません。ふと、ボクが思い浮かべただけです。ありきたりに見えることばですが、考えてみれば深いですね。「見かけ」ってなんですかね。 23話では春男の所に父親が、20話では朝子の所に母親が登場します。「親」って何なんでしょうね。 しばらく近所をうろついて、春男を競馬馬の飼育場に連れて行ったりしていた父親が去っていくのを教室の窓から見送る春男です。「12コのミカンを四人の人に同じ個数ずつわけるさけ・・・」「ミカンは一人何個もらえるやろか?」「大切なのは同じ数をもらえるゆうことやな・・・」 教室では先生が割り算の説明しています。それを聞きながらは春男が涙を流します。 四人の子供の親で、もと教員の68歳の老人は、やはり、もらい泣きです。 のんびり読んでいるには理由があります。この「Sunny」という作品は全6巻で完結しているようなのですが、第6巻が手に入りません。まあ、そのうちなんとかなるだろう。急ぐわけじゃないし。 まあ、そういうことです。それにしても、なぜ、6巻だけ古本がでてこないのでしょうね。不思議です。 じゃあ、次は5巻の感想ですね。バイバイ。
2023.05.14
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松本大洋「鉄コン筋クリート(全3巻)」(小学館文庫) 松本大洋を追いかけています。アニメにもなって、傑作の誉れ高い「鉄コン筋クリート」(小学館文庫全3巻)にたどり着きました。傑作でした。 第1巻の巻末にあるミニ・シアターのページに主人公二人と舞台である街が写っています。この絵によれば舞台である街は、明らかに大阪ですが、マンガの中では「宝町」と呼ばれている街です。ヤクザが跋扈し、チンピラ高校生がうろつく「宝町」は、1970年代のヤクザ映画を彷彿とさせますが、大阪と具体的に固有名詞化したのは映画化されたときの発想のような気がします。 ボクは全編を東京近郊の街が舞台だと思って読みました。それにしても、この作品は松本大洋の最近の作品「東京ヒゴロ」と同様に「街」の描き方が魅力的です。そのあたりについて、この「鉄コン筋クリート」を映画化したマイケル・アリアスが第3巻の巻末の「解説」にこんなふうに書いています。 レトロ・フューチャーな街が都市再生開発によって変貌していくその軋みの中で捉えられる、この手短には語れない二人の孤児の物語「鉄コン筋クリート」は、僕が出会った他のほとんどの芸術作品に無いものを描いていた。更に重要なことに、この作品は、圧倒されるほど映画的だったのだ! シネマスコープ的な意味で映画的だったし、サラウンド・サウンド的な意味で映画的だった。 まあ、ズバリとおっしゃっているので、付け加えることはありませんが、松本大洋初心者としての驚きはもう一つあります。 「白・シロ」と「黒・クロ」と名付けられた主人公二人は、繁華な街の路地裏に生きるノラ猫をイメージさせる姿で活躍するのですが、一方で、今、読み継いでいる「Sunny」に登場する子供たちの原型というべく、プリミティヴでイノセントな姿で描かれていて、特に第3巻、少年二人の内面の葛藤の描写は圧巻でした。 原作は1994年ころの「ビッグコミック・スペシャル」に連載され、映画化は2006年のようですが、ボク自身が週刊誌マンガを読まなくなり、映画館に行かなくなった時期とぴったり一致していることにも驚きました。 ただ、松本大洋自身は、この30年の年月、描き続けてきたようです。というわけで、ボク自身の松本大洋熱はまだまだ続きそうですね(笑)。
2023.04.10
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松本大洋「Sunny 3」(小学館) 松本大洋の「Sunny 3」(小学館)です。表紙の女の子は「きー子ちゃん」と言います。小学校の高学年のようです。1巻、2巻で紹介した「春男」くんとか「めぐむ」ちゃんとかと同い年くらいです。この第3巻まできー子ちゃんが主役の話は、まだ、ありませんが、いい味出している少女です。 で、今回も目次を載せます。第13話「雪ふったら、せかいが雲の上みたいや」第14話「オレ、まきおさんみたいな大人になりたいわ」「オレかって、なりたいわ」第15話「おくさま、お茶の時間ですわよ」「およばれしますわでございますわよ、おほほ」第16話「テレビ出てスカウトされたらどないしよ」「スター誕生や」第17話「オレのデパートあったら、ぜんぶの階オモチャ売り場にするわ」「それはでっかいオモチャ屋いうねん」第18話「猫、ニャンニャニャン 犬、ワンワンワン」「豚、ブーブーブー 牛、モーモーモー」 ここまで、子供たちの話が続いていましたが、第13話「雪ふったら、せかいが雲の上みたいや」では、園長さんの話が描かれていて、第14話「オレ、まきおさんみたいな大人になりたいわ」「オレかって、なりたいわ」では、フォルクスワーゲン、あの頃よく見かけた通称カブトムシ型自動車ですね、それに乗って星の子学園にやってきて子供たちに心から好かれている牧男さんの話です。牧男さんというのは、園長先生のお孫さんで、なんと、あの京都大学の学生ですが、今は休学中でネコのチビと暮らしていて、山にばっかり行っている青年です。 で、今回、下に引用したのは第13話の園長先生と久しぶりに訪ねてきた西田さんという方との別れの挨拶のシーンです。 西田さんは昔、星の子学園の園児だった方で通称タニシ君です。牧男さんが小学生だった頃の人です。子供たちが、牧男さんから、タニシ君がどんな子供だったか、、今でも園長先生の左手の薬指の指先がないこととどんな関係があるのか、話してもらうシーンがこのシーの前にあります。 ボクは牧男君が子供たちに聞かせている話のシーン(引用はしていません、興味をお持ちの方はどうぞ、作品をお読みくださいね)を読んで、まあ、年のせいもあってでしょうが涙を流しましたが、この餞別を渡すシーンのやり取りを読んで、もう一度泣きました。「すんません。」「うん。」「いやぁ・・・ホンマ良かったわ・・・。」「お前の顔また見られてなぁ・・・」「ホンマ良かったわ。」「ワシ嬉しいわ。」「来てくれて良かったわ」「ホンマ良かったわ。」なか「ハハ何回言いうねん」 何度も何度も、西田さんが帰った後も同じ言葉を繰り返す、老いた園長さんの繰り言のようなセリフに対して、例えば、子供の一人が口にする「ハハ何回言いうねん」と書き加えるところに、作者の松本大洋の凄さが輝いていると感じました。彼は本物のニンゲンとニンゲンの出会いが描きたいのだと思いますね。第4巻では誰のことが語られるのでしょうね。楽しみです(笑)。
2023.02.23
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松本大洋「Sunny 2」(小学館) 松本大洋の「Sunny」(小学館)第2巻です。第7話から第12話まで載っています。せっかくですから、やはり、目次を引用しますね。第7話「結婚式はドレス着てチャペルでやりたいねん」「チャペルて何」第8話「メダカって何の子どもなの?」「メダカはメダカのこどもだよ」第9話「お日さまて、えらいわ。毎朝かならず来てくれはる」「地球がまわっとんねん」第10話「人間、根性あったら空かて飛べんねんで」「よっしゃ、飛べ」第11話「会いたいのんとおんなじくらい会いたないねん」「オレは会いたい!」第12話「街ってずっと怒っとるみたいや」「コラー言うて?」 目次につけられている子供たちの言葉が、何とも言えずいいですね。で、今回の表紙の少年は山下静くんです。「しずか」ではなくて「せい」と読むようです。第1巻で横浜から来たばかりです。防止留め金が彼のトレードマークです。まだ「星の小学園」になじめません。 今回の第2巻の第8話の最後にこんなシーンがあります。 山下君が、通学路の途中にある階段を登って行って、途中でランドセルを置いて街を眺めています。セリフもト書きもありません。彼が眺めているのは街なのか、空なのか、それとも・・・。 しかし、読んでいるシマクマ君は、このページに手を止めて、じっと考え込んでしまいました。山下君がここに座って何を見ているのか、なぜ、星の子学園への帰り道ではないこの階段を登ってしまうのか、そんなふうに考えていると涙がにじんできます。マア、そんなふうに読んでしまうのは年のせいなのかもしれませんね。 でも、まあ、そうはいっても、なぜ?とお考えになる方はどこかで本作をお探しください。マンガであろうが、小説であろうが、好き好きですから、必ずとは言えませんが、この日、学校帰りに、この石段をを登ってしまう山下君を、セリフもト書きもない、何の音もしない絵として描いた松本大洋に納得なさるに違いないと思いますよ。 ああ、それから、第11話「会いたいのんとおんなじくらい会いたないねん」「オレは会いたい!」第12話「街ってずっと怒っとるみたいや」「コラー言うて?」 の2話は、第1巻で紹介した春男くんがお母さんの家にホームステイ(?)する話でした。彼のお母さんがどんな人で、春男くんが一泊二日のホームステイの間どんなふうに暮らすのか、で、どんなふうに別れて星の小学園に帰って来るのか。 ぼくは「会いたいのんとおんなじくらい会いたないねん」という言葉の意味を嚙みしめながら、二度、読みなおしましたが、皆さんはいかがでしょうね。
2023.02.21
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夢枕獏・松本大洋「こんとん」(偕成社) 松本大洋の仕事が気になって、あれこれ探しています。こういう時に、ぼくが唯一頼りにしているのは市民図書館です。神戸市民ですが、頼りにしているのは明石市民図書館です(笑)。で、著者松本大洋で蔵書検索すると、マンガはありませんが絵本はありました。 夢枕獏とのコラボの「こんとん」(偕成社)という絵本を見つけて借りてきました。「渾沌」というお話が「荘子」の中にあります。高校の授業でも取り上げることがある有名なお話です。 まずは白文です。 南海之帝為儵、北海之帝為忽、中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地、渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德、曰「人皆有七竅以視聽食息、此獨無有、嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。 書き下すとこんな感じです。 南海の帝を儵(しゅく)と為し、北海の帝を忽(こつ)と為し、中央の帝を渾沌と為す。 儵と忽と、時に相与に渾沌の地に遇う。 渾沌、之を待つこと甚だ善し。 儵と忽と、渾沌の徳に報いんことを謀りて、曰わく 「人皆七竅有りて、以て視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試(こころ)みに、之を鑿たん。」と。 日に一竅を鑿つに、七日にして渾沌死せり。 まあ、日本語訳はいりませんね。南の儵(しゅく)、北の忽(こつ)、中央の渾沌という三人の帝がいて、渾沌の国に集まったところ、実に丁寧なもてなしがあって、そのお礼にと、儵(しゅく)と忽(こつ)が相談して、渾沌に目、鼻、耳、口と七つの穴をあけたところ、開け終わったところで、渾沌が死んでしまったというわけです。 そのお話を作家の夢枕獏が絵本として脚色し、松本大洋の絵でできあがった絵本です。 お見せしたいのは「こんとん」の姿なのですが、上の表紙が、何本あったのか本当はよくわからない足のあたりです。全景は、実は、まあ、ネコのような感じなのです。気になる方はネット上を検索なさればすぐに出てきます。 で、表紙を開いて、最初のページがこれです。 「闇」ですね。子供向けの絵本の最初のページが「闇」です。それだけで、松本大洋を感じてしまいますが、その「闇」の中に文字が浮かんでいます。 こん とん こん とん で、そこから先のページは手にとってご覧くださいね。そこから先も「やっぱり、松本大洋だなあ!」という感想をぼくは持ちました(笑) ところで、「こんとん」という言葉は、英語ではカオスですが、日本語では「渾沌」とも「混沌」とも表記されます。子供たちは「荘子」を習って、初めて「渾沌」を知りますから、中学生なら「混沌」でしょうね。意味に大きな違いはありませんが、「混沌」が当用漢字としてつくられた当て熟語でしょうね。
2023.02.19
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松本大洋「Sunny 1」(小学館) 遅ればせながらなのでしょうね。「東京ヒゴロ」ではまっている松本大洋です。「スゴイ!スゴイ!」と興奮しています。新しく読み始めたのは「Sunny」です。2011年ですから、10年以上も昔の作品です。もちろん「古びた感」は全くありません。「今頃、なにいうてんねん!」 なのか、「何いってんだよ!遅れてんだよ!」 なのか、 そんな声が聞こえてきそうな第1巻でした。おそらく、いろんなところで褒めらている作品なのでしょうね。目次をみただけで「これは!」と思いましたが、読み終えて、予想以上でした。とりあえず目次をご覧ください。第1話「横浜ってどこにあるんやろ」「知らんわ、東京の辺ちゃうか」第2話「ドラキュラの爪てなんで長いんやろ?」「そら切らへんからや」第3話「女子てなんですぐ泣くんやろ?」「おんなの涙は、ほぼ無敵なんや」第4話「大人になったら何になりたい?」「スパイでレーサーでボクサーのチャンピオンや」第5話「夜来て泣きたなったら、どないする?」「オレ、歌うわ」第6話「きょうの晩ごはん、なんやろ?」「みつこさん、コロッケや言うてたで」 いかがでしょうか。題になっている「Sunny」の絵はこれです。 サニー1200。僕らの世代にはジャストミートする、日産の大衆車です。50年前に我が家に初めてきた自家用車がこれでした。ところで、最初に載せた表紙の少年は春男くんです。君付けで呼ぶより「はるお」と呼び捨てにした方がいい気もしますが、とりあえず君付けです。で、この絵の中の少年、少女たちが残りの登場人物です。舞台は星の子学園という、いわゆる、児童養護施設です。廃車らしいサニーは動きませんが、子どもたちの念力で空を飛ぶことができたりすることもあります。 とりあえず、ベスト・シーンの一つを紹介します。第三話のシーンです。 読みにくいですね。ちょっと、セリフを追ってみますね。よう めぐむ。ああ・・・ はるお。どないしてん?あれや・・・車にひかれよったんやなぁ。かわいそにお尻から腸出して死んではるわ。やった奴。とりつかれて死んだらエエねん‼なぁはるお・・・ん――?あの子のお墓、つくったげてえな。 めぐむという少女が、川の中で死んでいる猫をのぞき込んでいて、そこにはるおが通りかかったシーンです。ふたりは、同じ星の小学園の子どもです。 次のページに進むと、はるおは川に入って、死んだ猫を抱えて立っています。橋の上からめぐむがはるおに声をかけています。絵は載せませんが、会話だけたどってみますね。なぁはるお――。まさかコイツ動いたりせんやろな。あ・・・こら死んどるわ、コチコチになっとる。はるおて。なんやねんっ‼あたしもそないなって死ぬんやろか。なんや尻から腸出してかい!?そうや。車にはねられて川落ちて死んでも誰も見つけてくれやらへん。親がおらん子のことなんか誰も本気で心配してくれやらへんやろ。つめたい川ん中で目ぇむいて、ずっと誰か知らん人に発見されんの待ってなアカンのかなあ、て・・・ウチ、そんなん考えとったら、めっちゃ怖なってん。オレがおるやんけ‼オレがめぐむ見つけてごっつい墓つくってやるやんけ‼誰か知らん人とか言うなや‼オレがめっけたる‼うん・・・ありがと、はるお。早よ上がり・・・風邪ひくで・・・おうっ、言われんでも上がるわい。 さて、この会話がどんな絵と一緒に展開しているのか、気になった方はマンガを探してくだ去るしかないのですが、先ほどの目次もそうですが、この人のマンガは、まず、言葉が強いとぼくは思うのです。いい映画には、いいセリフ、印象に残る言葉があることが多いのですが、マンガでも同じようなことが言えそうですね。 とにかく、一話、一話、読みでがありましたよ。第2巻が楽しみですね。追記2023・02・27「Sunny 2」、「Sunny 3」を読み継いでいます。書名をクリックしていただくと感想に行くと思います。覗いてみていただければ嬉しい(笑)
2023.02.14
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松本大洋「東京ヒゴロ 2」(小学館) 松本大洋「東京ヒゴロ」(小学館)の第2巻です。第9話から第16話まで八つのお話が載っています。 一応、主人公は、第1巻でそうだったように、元マンガ誌の編集者だった塩澤さんなのですね。塩澤さんが、いったんあきらめたマンガの編集、マンガ雑誌をつくるということに単独でチャレンジしているという本筋が、このマンガの柱としてあることは間違いありません。文鳥君も健在です。ちなみに文鳥君は、今回、こんな形で登場しています おわかりでしょうか。第2巻に挟まれていた文鳥の栞ですね。裏はこんな感じです。 裏面に書かれているのは、こんなことばです。「そういう かんがえかたが すきです」 で、第2巻なのですが、このマンガの輪郭というか、何を書こうとしているのかということが少し見えてきたように思います。第2巻では塩澤さんが担当していた長作さんとか、青木さんとかのマンガ家たちや、彼の代わりに担当編集者にになった林さんとかが、それぞれ、皆さん、生き生きと、というのも何ですが、それぞれのお話の主役として活躍し始めているのです。 たとえば、第2巻の表紙にはリンゴの絵が載っていますね。これは、多分、第12話「8月、草刈君りんごを拾う。」というお話に出てくるリンゴなのです。 で、草刈君というのは、長作さんのアシスタントなのですが、風邪をひいている長作さんが、まあ、一人暮らしということもあって、やたらカップ焼きそばばかり食べているのです。で、そのことを心配(?)して、街角の果物屋さんでリンゴを買うのですが、店を出たところで、乱暴な運転の自動車にあおられて、紙袋いっぱいのリンゴを路上にぶちまけてしまうのです。草刈君は、運転手に気遣って「大丈夫です。」とかいうのですが、小雨が降り始めている路上です。そのリンゴなのですね。 転がっているリンゴと、雨の中に立ち尽くしてしまう、見かけはクールなマンガ家志望のアシスタント草刈君、まあ、読んでいただかないとわかるはずがないことなのですが、滲みるんですよねそういうシーン、六十代後半の老人には(笑)。 塩澤さんは、編集者という場所でマンガの世界を生きている人ですが、草刈君はアシスタントという場所でマンガの世界を生きていて、「東京ヒゴロ」というこのマンガの主人公の一人であることが、静かに告げられているシーンだと思いましたね。 松本大洋が描こうとしているの、その世界の住人の一人一人、あるいは、その世界そのものなのでしょうね。これは、そういうマンガなのですね。ああ、第3巻が楽しみですね。
2023.02.06
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松本大洋「東京ヒゴロ1」(小学館) 「東京ヒゴロ」っていう題なのですが、「ヒゴロ」って、なんなんでしょうね。「ルーヴルの猫」というマンガで知って、そうは言いながら、とりわけ探して読んだりもしたわけではない松本大洋という人の、ぼくにとっては2作目。 今回のマンガ便は松本大洋「東京ヒゴロ1」(小学館)です。 いつも、マンガ便を届けてくれるのはヤサイクンですが、この松本大洋という人のマンガは、どうも彼の趣味には合わないようで、シマクマ君自己調達本です。 で、どんなマンガなのかというと、第1話が「本日、一身上の都合により退職いたします。」で、第8話まで載っているのが、この第1巻です。 第1話の巻頭ページがこれです。 ジーッとご覧になれば、見開きページのの真ん中くらいのビルの間の、商店街の看板の上あたりに傘が飛んでいて、その手前の路上に傘を追いかけて走っている黒ぶちメガネの男が見えると思いますが、彼がこの漫画の主人公塩澤さんですね。 彼は小学社という出版社に30年務めたマンガの編集者だったらしいのですが、このマンガの冒頭で退職します。彼が担当していた青木くんとか長作君とかいう、なかなかくせ者の漫画家がいるのですが、林さんという若い女性の編集者が、塩澤さんから担当を引き継いで苦労していらっしゃいます。 そんな話で、このマンガは始まるのですが、それが、まあ、どんな苦労なのかとか、ベテラン編集者の塩澤さんがなぜ中途退職してしまったのかとか、好きだったマンガの編集者をやめた塩澤さんが、これからどうするのかとか、そこはマンガを読んでいただくほかありませんが、なんだか、一生懸命な、この、独身の五十男のすることを読んでいると、妙に滲みるんですよね。 ぼくにはマンガの書き手のこととか、編集用語とかよくわかりませんが、とにかく、滲みるんですね。しみじみするんです(笑)。 上の表紙ですが、彼のことを理解してくれている文鳥ですね。一人暮らしのアパート、もちろん賃貸ですが、で同居している小鳥です。少なくとも、塩澤さんの言葉はわかって、一応、人の言葉で返事してくれる、なかなかありがちな小鳥です。 で、いったん、マンガと縁を切ろうと決心した塩澤さんですが、どうも、踏ん切りがつかないようですね。やっぱりマンガがらみで新しいことを始めたようです。第2巻が楽しみです。 ああ、それで、「ヒゴロ」ですが、まだわかりませんね。マア、ゆっくりでいいです(笑)。追記2023・02・12「東京ヒゴロ」第2巻を読み終えて感想を書きました。題名をクリックして覗いてみていただけると嬉しい(笑)
2023.02.04
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松本大洋「ルーヴルの猫(上・下)」(小学館) いわずもながですが、こちらが上巻の表紙です。で、下が下巻です。 2022年の4月の終わりのマンガ便に上・下二巻で入っていました。松本大洋「ルーヴルの猫」(小学館)です。舞台は題名の通り、フランスのルーヴル美術館です。 「ルーヴルの猫」というぐらいですから、主人公は上巻・下巻の表紙に登場するネコです。上巻も下巻も、最初の見開きを飾っているのは「アモルの葬列」というルーブル美術館所蔵のこの絵です。 フランスのルネッサンス後期のアントワーヌ・カロン(1521-1599)という人の作品らしいです。フォンテーヌブロー派と呼ばれている流儀の絵ですが、天使たちが葬儀の行列をしている作品です。 ちょっと見るだけでも、いろんなことが描き込まれていて、最近はやりの「西洋絵画・謎解き解説」の格好の標的という感じです。 まあ、絵の講釈はともかく、問題はこの絵とこのマンガの関係です。マンガは現代のルーブル美術館に住みついている猫たちが主人公です。 上巻の始まりのページがこれですが、要するに彼らがルーブル美術館の主(ぬし)ということでしょうか。 片目、片耳のデカイ顔が「アオヒゲ」。目つきの悪い黒猫が「ノコギリ」。のんびり屋で食いしんぼが「フトッチョ」。毛のないやせぎすが「棒切れ」、そして、いつも絵を見ている白い子猫が、表紙にも登場した「ゆきんこ」です。 まあ、これくらいで、ネコ好きの皆さんは「ちょっとこのマンガ探してみようかな」となると思うのですが、美術館好きの人を惹きつける登場人物ももちろん登場します。 画面は引用しませんが、ルーヴル美術館で生まれ育ったといってもいい生い立ちで、ネコたちを守っている守衛のムッシュ・マルセル。「アモルの葬列」の修復を手掛けている世界一の修復士シャルル・ド・モンヴェロン。そして、その二人と猫たちの世界の秘密に立ち会うのがモンヴェロンの教え子で、今はルーヴル美術館のガイド、セシル・グリーンというわけです。メガネをかけた知的で、ナイーヴ、美しい女性です。 夜のルーヴル美術館で繰り広げられる時を超え、人と猫の境界を越えた世界を描くファンタジーでした。「あんたは絵の声を聴いたことがあるかね」(上巻・P22) ムッシュ・マルセルのそんな言葉で謎の世界が始まります。というわけで、あとは探し出してお楽しみください。 日本での評判は知りませんが、アメリカのウィル・アイズナー漫画業界賞を受賞しているそうです。ああ、それからオール・カラーの豪華版が出ているそうです。できればその本を見てみたいのですが、少々高いですね(笑)図書館をお探しになるのでしたら、そちらがいいと思います。なんといっても絵が松本大洋ですからね。 こちらがオールカラー上・下です。追記2023・02・04 松本大洋の「東京ヒゴロ」(小学館)という作品にハマっています。ここで案内した「ルーヴルの猫」とは、かなり趣が違いますが、なかなかな作品だと思います。「ああ、こういうマンガを描くマンガ家も、まだ、いるのだなあ。」 そういう感慨が浮かんでくる作品です。とてもいい小説の味わいなのですが、間違いなくマンガなのです。そこをうまく言えないのが残念です。
2022.05.02
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谷川俊太郎 作・松本大洋 絵「かないくん」(ほぼにちの絵本) 谷川俊太郎の「詩」的な散文があって、松本大洋の静かな絵があります。ちょっとページをめくって中をお見せしたい誘惑にかられるのですが、やめておきます(笑)。 この絵本には、まあ、販売促進のための腰巻がついていて、そこにもちょっと内容にふれる言葉が大きな字で書いてあります。それも表紙の写真を撮るときに外しました。でも、まあこれはいいでしょう。谷川俊太郎が、一夜で綴り、松本大洋が、二年かけて描いた。 「かないくん」という題の絵本ですが、この表紙の少年が誰で、彼が見つめているのはなになのか。それは、それぞれの方が、この絵本を開いて、自分なりに確認していただくのが一番いいんじゃないでしょうか。 ところで、この写真は、この絵本についていた「副読本」の表紙です。絵本の表紙の少年と、同じ人物の正面からのポートレイトのようですが、ぼくは絵本の表紙の方の顔が好きです。 「副読本」なんていうやりかたが、いかにも糸井重里らしいというか、ちょっと小癪な気もするのですが、その中に、この絵本について、糸井重里、谷川俊太郎、松本大洋の「あとがき」のような文章が載っています。 入り口〈死んだら死んだで生きてゆくさ〉というの、私の好きな草野心平さんの詩の一節ですが、私はいつの間にか、死を新たな世界への入り口というふうに考えるようになっています。 これは谷川俊太郎の「あとがき(?)」の最後の一節です。 それから、こっちが、松本大洋のイラストと「あとがき(?)」です。 このページの文字のところを写すとこう書いてあります。〈死〉のことをかんがえると すこし寂しい気持ちになる でもときどきは〈死〉のことを 考えておきたいとも思う谷川さんの文章はとてもやさしく絵を描いていて 嬉しかったです。松本大洋 絵本について思うことは、ただ一つ。「松本大洋の絵がすばらしい」ということです。ぼくは2014年に出版されたこの絵本で、初めて、松本大洋という漫画家の名前を知りましたが、最近「ルーヴルの猫」というマンガで再会しました。 で、大慌てで、この絵本の案内をしているというわけです。「ルーヴルの猫」の案内ものぞいてくださいね。今回は、絵本の話なのに、いかにも大人向けですが、あしからず(笑)ということで。じゃあ、また。追記2023・02・17 松本大洋さんのお仕事を、ゴソゴソ探していて、思い出しました。で、ちょっと修繕しました。
2022.04.30
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山川直人「澄江堂主人」(エンターブレイン) フェイスブックというメディアで、お知り合いになった方の投稿に山川直人「澄江堂主人(上・中・下)」(エンターブレイン)という漫画(この作品の場合、お読みいただけばわかってもらえると思いますが、漢字で表記したくなる)についての話題がありました。気になったので、探して読みはじめました。 2010年の初版ですから、今さら「この漫画が」と騒ぐのもどうかとは思うのですが、ぼくにとっては初対面で、その上、なかなか面白いのです。というわけで、やっぱり「案内」ということになりました。 絵はこんな感じです。よく言えば版画風、若い人なら「コロコロ・コミック」風とおっしゃるかもしれません。最初、手に取ったときには、なんとなく幼い感じのニュアンスを感じました。ところがどっこい、大人の、それも、かなり渋めのマンガでした。 「澄江堂主人」というのは、たとえば、国語の教員とかしている人なら耳にしたことがあるはずで、芥川龍之介の雅号ですね。それがこの漫画の主人公でした。 作家として世に知られた芥川龍之介を、小説家としてではなく漫画家として描くというのが山川直人の工夫でした。 菊池寛とか堀辰雄とか、誰でも知っていそうな昭和初期の作家たちが、みんな漫画家で登場します。そうそう、芥川の「先生」だった夏目漱石も「マンガの大家」になっています。「改造」とか「文藝春秋」といった、当時の文芸誌も、みんな漫画雑誌として描かれています。 作品は芥川龍之介が世に出た時代から始まっていますが、かなり丁寧に調べられているようで、でたらめなギャグではありません。立派な伝記的事実といってかまわない出来ですね。 芥川の苦悩が、コミカルでいて、ジンワリと伝わってきます。「羅生門」とか「杜子春」とか教科書とかで出会って、ちょっと好きかもと感じている若い人におすすめですが、すでに青春の思い出になっている人には、もっといいかもしれません。(S)追記2019・09・30ホント、この人のマンガは手に入れるのがむずかしい。でもこの味は捨てがたい。「写真屋カフカ」もなかなかいいですよ。ボタン押してね!にほんブログ村写真屋カフカ【電子書籍】[ 山川直人 ]これは思い出を撮る写真屋の話【中古】 コーヒーもう一杯 1 / 山川 直人 / エンターブレイン [これが、出世作。
2019.08.29
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