PR
カレンダー
コメント新着
キーワードサーチ
こんにちは、妻です。
アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、私が考えたことは、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】でした。
前回、①【過去とはなにか】について考えましたが、今回は、②【自分と他者】について考えたいと思います。
アドラーは対人関係について、「課題の分離」ということを言っています。
課題の分離とは、人のことは人のこと、自分のことは自分のこと、ということです。
たとえば、自分がある人と会話をしていて、自分が言ったことに対してその人が不機嫌になったとき、自分のせいでその人を怒らせてしまったと考えるのではなく、不機嫌になったことはその人自身の課題である、と考えることです。
たとえば、自分がある人のことを想ってその人が失敗しないように、いろいろと先回りして教えたとき、それはありがた迷惑なことであり、その人がもし先回りして教えられないまま失敗したとしても、それはその人の課題である、と考えることです。
または、これらの逆も同じです。
ある人のせいで自分は不機嫌にさせられた、あの人が教えてくれなかったから自分は失敗した、と考えることは間違いで、不機嫌になったのは自分の課題、失敗したのも自分の課題、と考えます。
私はこの考え方がなかなかできません。
課題の分離とは、他者を信じることだと思います。
他者が何をしようと、その人を尊重して、その人の考えることや行動を尊重して、自分は介入しないということです。
たとえば、夫の家事のやり方にもっとこうした方がいい、こうしてほしいなどと言ったり、夫に健康に良いことを押し付けたり、という夫への介入は、夫のことを尊重していません。
夫のすることに手を出さずに信じることが課題の分離です。
そして、自分に対しては、たとえ環境や状況がどうであっても、あの人のせいだと思っていても、自分のすることに他人は関係ない、自分で自分のことに責任を持つ、ということです。
これは自立ともいいます。
私はこれまで、人の目を気にして生きてきました。
だから、「他者に望まれているだろう私」像を想像して、それに沿って生きてきました。
それは、他者に認められることを目的としていて、承認欲求ともいいます。
この生き方は、さも相手のことをよく見ているように見えますが、実は自分のことしか見ていません。
この人は私を認めてくれるのだろうかと、自分のために他者評価を使っているだけで、自己中心的な姿勢です。
つまり、自立できていません。
たとえ何十年生きていても、死ぬまで自立していない人はたくさんいます。
他者評価に頼っている限りは何歳になっても自立できていません。
自分のことは自分で決めて、行動していくことが自立です。
しかし、それは、私にとってはけっこうしんどいことです。
他者に言われたことに従う方が楽だし、他者の責任にできます。
だから、私は自立しないことの方が楽です。
だけど、自分のことを自分で決めない、自分のやりたい事を自分で選ばない、ということは、多分あまり楽しくありません。
他者に従わないと、もしかしたら「嫌われる」かもしれません。
それでも、自分のやりたい事をすることは、自分の「幸せ」なことです。
タイトル回収ですが、他者に「嫌われる勇気」を持って、自分の「幸せになる勇気」を持つことが、自立であり、本来の自分の姿です。
課題の分離は相手を信じることと上記しましたが、自分のことも同じように信じることが必要です。
アドラーいわく、その信じることに「勇気」を持ちましょう、ということでした。
その勇気をもつことも、しんどいことです。
私は現在around 40歳ですが、こんなに生きてきて、法律的には20歳くらいで大人になっていて、子どももいて、、、それなのに、未だ自立できていないと認めなければなりません。
精神的になかなか大人になれないな、未熟だな、と思い悩んでいましたが、本当に自立できていなかったのです。
そのことは、これまでの、それなりにもがいてきた人生を、まるで否定されたような感覚です。
「勇気」をもつには、まずそれを受け入れることが必要だから、とても苦しいことです。
この本を読んでいて、それを突きつけられるようで、しんどかったです。
しかし、自分が自分らしくあるために必要なことなので、そのことについてさらに具体的に考えていきたいと思います。
②【自分と他者】が長くなりそうなので、また別で。
③いまを後悔しないように生きる 〜嫌われ… 2025.04.03
他人の目を気にする 〜緑色の髪の毛〜 2025.03.05
②自分と他者 Ⅱ劣等感 〜嫌われる/幸せ… 2025.03.04