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こんにちは、妻です。現在私の子どもは3歳になりましたが、2歳児育児 は本当に困ったり悩んだり、うまくできませんでした。今回は、2歳児の子どもの行動で1番困ったことについて考えていきたいと思います。それは、お風呂で私の太ももをつねる行為と、私が寝ている時に髪の毛を思いっきり引っ張る行為、平手で叩く行為です。2歳児とはいえ、細い指で皮膚をつねられると非常に痛いし、髪の毛を引っ張る手をゆるめないので非常に痛いです。これが、お風呂では、私が目を閉じて髪の毛を洗っている時、私が後ろを向いている時に、寝ている時は当然私は目をつむっています。つまり、自分が分からない時に、分からないタイミングで、非常に痛い暴力を受けるということで、それは恐怖です。もちろん、「痛いからやめて」などと、怒って言ったり、落ち着いて言ってみたり、目を見て真剣に言ったり、腕をつかんでみたり、何度も何度も何度も何度も伝えました。でも、毎回嬉しそうにニコニコ笑って、やめません。なぜ怒られているのにニコニコするのでしょうか。なぜやめないのでしょうか。2歳児の感じ方と私の感じ方は全く違います。それは発達段階が異なるからです。2歳児はまだ相手の気持ちが分からない年齢です。正確には、自分とママとが違う気持ちになること、違う人間であることが分かっていません。だから、自分が楽しいときは、いつもママも楽しいものだと思っています。さて、2歳児の子どもがママをつねったり叩いたり、髪の毛を引っ張ったりします。その時、ママは怒ったりして反応しますが、子どもはママにかまってもらえて、とっても嬉しいです。そして、当然、ママも同じように嬉しいはずだと思っています。だから、ママが「痛いからやめて」と何度言っても、2歳児には理解できません。ママが嫌がっていることはよく分からないのです。「なんでつねるの?」とママから言われても、楽しいから!と思うし、自分が楽しいからママも楽しいはず!と思います。だけど、なんか違うかも?っていう予感は少しづつ感じています。おかしいなぁ、うまくいかないなぁ、分からないなぁ、と思いながら脳が成長する中で、相手の視点を獲得します。それまではまだ少し、時間がかります。だから、まだ2歳児である当分の間は、叩いたりといった暴力は続きます。ダメだと強く言えば言うほど、2歳児の子どもには響いて喜びます。ではどうすればいいのか?とママは困ります。うまく無視するとか、スルーして、何度も何度も冷静に「しません」ということだけを伝え続けることが大事で、暴力を受けないように防御したり距離をとってりすることも大事です。ママも困ってしまうけれど、2歳児の子どもも、よく分からない中で不快な気持ちになったりして、不安定になりやすい時期です。自分とママは同じように楽しい気持ちなはずなのに、なんか違うみたい、なんでうまくいかないの、と泣きます。2歳児の子どもはわざとママが嫌がることをしているわけではなく、まだママの気持ちが分からないことや、ママが大好きでかまってほしい、一緒に楽しく遊びたい、不安定なこともあるからこそママに安心を求めている、といったことを理解して、関わっていくことが大切です。ただ、いくら自分の子どもであっても暴力は痛いし辛いし、暴力を受ける恐怖は見過ごせません。時にはやり返したくなることもあります。だけど、決してやり返してはいけません。うまくスルーしたり、他の家族に育児の役割を代わってもらったり、物理的にうまくやり過ごせる環境を整えることが大事です。2歳児の発達を理解して自分の気持ちを落ち着かせましょう、みたいなことは不可能だと私は思っています。気持ちの問題がうまく処理できないなら、絶対に物理的な環境を変えましょう。さて、2歳児の暴力に耐えられなくて、気持ちがいっぱいいっぱいになった私はどうなったでしょうか。もちろん上記のような思考はいっさいできませんでした。まず怒りますよね。怒ってもニコニコしてやめないし、どんどん怒鳴る声が大きくなります。それでも子どもはニコニコしていて、私は気が狂いそうになります。そうすると、この子は言っても無駄な存在だと思って、普段も言葉をかけることをやめます。よくアンガーマネジメントで、6秒待つことは有効だと聞きますが、暴力を受けて痛いときに6秒も待てるわけがありません。一瞬で反射的にすぐ怒っていました。痛いですからね。そして、頭の中では、いいかげんにせぇよ、何回言えば分かるんや、指の骨おってやろうか、腕の骨おってやろうか、頭を持って床に叩きつけてやろうか、お前にも同じようにしてやろうか、ほんまにいいかげんにせぇよ、と思っていました。もし手が出たなら、少しだとしてもそれは身体的虐待です。過剰に怒鳴ることや無視することも心理的虐待です。そんな汚い言葉で頭の中が埋めつくされることに、虐待の可能性があることに、後から罪悪感がいっぱいで、後悔していました。こんなに子どものことが大好きなのに。こんな感じで、うまくいかなくて、辛かったです。今となっては、子どもがそれでもニコニコしていたことが逆に救いです。
2025.04.04
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こんにちは、妻です。アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、自分が考えたことは、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】でした。前回に、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】について考えましたが、今回は③【いまを後悔しないように生きる】について考えたいと思います。本には、「人間の時間は有限なので、すべての対人関係は”別れ”を前提に成り立っている」「すべての対人関係において“最良の別れ” のために努力する」「もしいま突然関係が終わってしまっても別れを受け入れることができるか」といったことが書かれていました。私は26歳の時に、特別仲が良かった友達が突然死にました。私としては、後悔しないくらいにはその友達との付き合いをしていました。だけど、私自身の想いというよりは、その友達のこれまでのことやこれからの未来を想った時、あまりに無念だと感じました。若いけれど、これまで死ぬほど頑張ってきて、やっと落ち着いてきて、これからの未来は希望いっぱいだと私が感じるほどであったのに、突然それがなくなったのです。その友達にとって自分は何かできたかなといったような、たいそうなことを上から言うつもりはなくて、純粋に無念だと”私が”感じました。その経験から、もしかして人って自分のことよりも他人の辛いことの方が、受け入れるのが難しいのではないかと気づきました。おそらく、自分のことではないから、自分ではコントロールできなくて、だから友達のことももちろんコントロールはできないもなので、だから“私が無念だった”と感じることは合ってたんだと思います。そして、せめて、コントロールできる自分の行動だけは、無念にならないように、後悔しないように生きたいと思いました。それは人との付き合いもそうです。大きな人生の目標はそう決めたけど、それを忘れている日もたくさんありました。特に、しんどくて自分中心になっている日々は、頭の中はネガティブなことが堂々巡りで、そんなことは少しも頭の中には残っていませんでした。後から、しんどくて自分中心だったことを後悔しています。だから、こういった目標を続けることも、なんとなくではなくて努力が必要なんだと思いました。そして、本にある”別れ”は死だけではなく、すでにたくさん起こっているのかもしれないと思いました。たとえば、同じ学校だった友達たちは、全国に散り散りになっていて、もう二度と会わないかもしれません。近くに住んでいる人でも、会おうとしない限りはもう会わないかもしれません。家族と喧嘩していても、仲直りしないまま明日死ぬかもしれません。だから、『いま』会いたい人には会って、やりたいことはやっておきたいと思います。自分が後悔しないためにです。できればそれを毎日継続したいと思っています。それも、たいそうなことではなくて、私にとっては丁寧に生活するということです。たとえば、道路は車が通っていなくても、斜め横断はせず横断歩道をちゃんと渡るとか、集合時間のギリギリに行って、待つことは無駄な時間だと思うのではなく少し早めに行くとか、ちゃんと歯磨きをするとか、そういったことです。たとえば、朝遅くに起きてバタバタ急いで準備すると、間に合ったとしてもなんとなく不完全感があります。朝ごはんを充分に食べてないとか、化粧が適当とか、持っていくものの準備も、マスクやティッシュなどなくても大丈夫だけどあればなお良いものに気がまわらないとか、そういう不完全感です。でも、余裕を持って起きて準備すると、自分にも丁寧に接することができるし、自分以外の子どもなどの他の家族にも丁寧に接することができます。このように、自分が丁寧な生活をすることは、丁寧な人付き合いをすることにもなります。本には、「”なんでもない日々”が試練」「”最初の1歩”が大切だが、人生は”最初の1歩“を踏み出した後から始まり、歩み続けることが試練」ともありました。まさに、なんでもない日々が大事で、それを続けることは案外“試練”なのかもしれないと感じました。でも、なんでもない日々を送りたいと心から思っています。これまで、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、いろいろと考えてきました。ところで、アンパンマンに「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞がありますが、この歌詞を書いた人はアドラー思想でも反映してるのかなぁなどと、邪推していました。
2025.04.03
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こんにちは、妻です。NHKのEテレで『すくすく子育て』という育児に関するTV番組があり、よく見ているのですが、今回はその中で紹介されていた「Watch me play !」というものが気になったので、それについて考えてみたいと思います。この「Watch me play !」は、「子どもが安全な環境で大人に見守ってもらいながら遊ぶもの」です。それだけ?という感じですが、それが効果があるようです。イギリスで開発され、日本でも研究を行っているらしいです。なぜ「Watch me play !」が気になったのかと言うと、簡単に家で自分もできそうだからということと、子どもへの心理療法(プレイセラピー)に似ているからです。まず、「Watch me play !」のやり方について、ホームページを参考に以下にまとめました。【対象】0歳〜8歳の子ども【時間】週に2回、可能であればそれ以上。5分〜20分。(5分でも効果あり!)【環境】静かなところ。テレビ、パソコン、電話の電源を切り、電池式や電子式のおもちゃをしまう。子どもが想像力を働かせるような、シンプルなおもちゃを準備。 【5つのステップ】1. 準備 大事!(遊びにだけ集中する時間の確保、電子機器から離れる、シンプルなおもちゃ)2. 子どもが主導の遊び 大人が遊び方を教えたりはしない。3. 子どもの遊びを見守る 子どもの遊びの邪魔はしない。スマホを使わない。4. 遊びについて子どもに話しかける 子どもの遊びに興味を示す。5. 他の大人と子どもの遊びについて話す 子どもの遊びについて自分がどう感じているかを話したり考えたりすることも、子どもを理解するのに役立つ。文章にすると大層な感じですが、子どもと遊ぶだけです。しかも5分だけでもいいのです。どんなに、子どもと過ごすのが疲れた、面倒くさい、などとネガティブに思っていても、5分だけなら頑張ればできそうです。さて、これが、子どもへの心理療法(プレイセラピー)に似ています。子どもへの心理療法(プレイセラピー)とは、子どもは、まだ言葉でうまく自分の感じていることを表せないけれど、遊び(プレイ)を通して自分の内面を表現していると考え、それによって子どもを理解するのに役立てようというものです。「Watch me play !」と、どんなところが似ているかと言うと、まず、枠がしっかりしています。「枠」とは「Watch me play !」でいう、1. 準備、のことです。遊びだけをする時間が保証されている、電子機器から離れてシンプルなおもちゃだけを用意する、ということは、子どもが安全に安心して自分のしたいように遊べることが保証されています。次に、2. 子どもが主導の遊び、3. 子どもの遊びを見守る、4. 遊びについて子どもに話しかける、などは、心理療法の姿勢そのものです。みなみに、子どもだけでなく大人も同じです。私は邪魔をせず、あなたは何をしてもいいんだよ、自由にしていいんだよとその人に興味を示し、その人の思うように表現してもらい、それを見守ります。そして、5. 他の大人と子どもの遊びについて話す、については、子どもの遊びを通して自分がどう感じているかを考え、それを、子どもの理解に役立てます。ちなみにこちらも、先ほどと同じく大人も同様です。自分がどう感じたかは心理療法においてはとても大事です。たとえば、子どもの遊びを見て残虐な印象を受けたとして、それで苦しい悲しいと自分が感じたならば、子どもも同じように苦しい悲しいと感じていて、それを表現したのではないかと考えます。これらから、「Watch me play !」は子どもへの心理療法(プレイセラピー)に似ていると考えます。「Watch me play !」の【5つのステップ】の全てが似ていましたね。心理療法(プレイセラピー)では、大人も子どもの遊びを同じように体験することが大事です。かつ、観察をします。これを「関与しながらの観察」と言います。「Watch me play !」もただ外から見守るだけではなくて、4. 遊びについて子どもに話しかける、などして子どもの遊びの内容を理解しようとしています。子ども(たとえは私の子ども)の立場では、きっと次のように感じると思います。いつもママはスマホを触りながらあんまり私のことは見てくれないけど、今のこの時間は一度もスマホを見ずに私のことだけを見てくれた!、嬉しい!いつもは私の意思に関係なくYouTubeからどんどん勝手に動画を見せられるけど、今のこの時間は、私の意思で、私のしたい遊びが、静かだったから集中してできた!、楽しい!たった5分でも、「ながら」ではなく真面目に「遊ぶ」ことに効果があるのです。たった5分でも、ママが私だけを見てくれた体験は、信頼関係を築きます。たった5分でも、静かな環境で集中して、自分の好きな遊びができた体験は、子どもの集中力や発達を育てます。しかし、私も「Watch me play !」的なことをしようと思ったけれど、簡単に自分もできそうだと思ったけれど、実際はたった5分でも、腰が重い、よいしょがいる、と感じます。(私はとても面倒くさがりで、私こそ子どもの遊びに集中する力がありません)ですがある時についに見つけました!私なりに「Watch me play !」が特別に頑張らなくてもできる方法が!それはお風呂です!我が家のお風呂には、もともとお風呂用のおもちゃが何種類か置いてあって、入る度に何かしら遊んでいました。お風呂の中では電子機器はなく、スマホも持ちこまないし、子どもと一対一で過ごすしかしません。湯船の中では、子どもはシンプルなおもちゃでいつもキャッキャキャッキャ楽しそうに遊んでいるし、私は一緒に湯船に入っていてそれを見ることくらいしかできません。なんと、特別やろうとしなくても、お風呂では否が応でも「Watch me play !」でした。そう思ってからは、お風呂での時間を以前より大事に考えるようになりました。「Watch me play !」は子どもが主体ではありますが、私はママとしても、子どもをかわいいと思える、自分が穏やかになれる、ことを育ててもらえている気がします。【参考文献】Watch Me Play!:https://watchmeplay1.w.waseda.jp/
2025.03.19
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こんにちは、妻です。私は今まで他人の目を気にして生きてきました。何かを決断する時も、社会的にみて良さそうなことを選んだり、何かあったら合理的なもっともらしい理由をつけたりしていました。物理的にも、実際歩く時は人がいたらキョロキョロして周りを気にしたり、もしくは逆に、人と目が合わないように下を向いて歩くなど不自然に意識していました。自意識過剰ですね。人のことなんか気にしなくていいし、人も私のことは気にしていない、と理解しているつもりが、なかなか実感できませんでした。だけど、少し変われた出来事がありました。私は、誰と言うわけでもない社会からの目や、保育園での他の保護者の目などを、勝手に気にして、ほどほどに無難なイメージの存在であろうと、しばらく無髪な髪型で過ごしていました。それは、離職後、働いて稼いでいないのに美容院にお金をかけることに罪悪感を感じて、ということも理由の一つでした。ある時、保育園にも慣れてきたし、他の保護者の目とか、別に大丈夫かなと思ったときに、髪の色を変えました。現在の髪の色は緑色です。ちょっと目立ちます。それから、すれ違う人がたとえ私を見たとしても、または、見られている気がしたとしても、それは私という存在を見ているというよりかは、髪の毛を見ているのだろうと思うようになりました。そして、だんだん私自身に対する他人の目が気にならなくなってきました。ある時、定期的に行っているあるお店に行って、自分の担当のような感じで何度か会っている店員さんと会いました。数ヶ月ぶりということもありましたが、まるで初めて会うような感じで「お子さんいるんですか〜?」と聞いてきました。「はい」と応えると「えぇっ!(笑)そうなんですか〜!」というような感じの応答でした。おそらく見た目の影響があるのだろうなと思いました。なぜかというと、その店員さんは、初めて会った時も「お子さんいるんですか?」と同じ質問をしてきたのですが(なんならその後も同じ質問をすることがありましたが)、聞き方と反応の仕方がまるで違うからです。何回か会っていても同じ質問をしたりする店員さんなので、客の一人である私の記憶は薄いのかもしれませんが、緑色の髪の毛になると、別人と認識し、その私に対する薄い記憶とも結びつかなかったのだと思います。そして、無難な髪型の女性と、緑色の髪の毛の女性とでは、店員さんは人によって態度が異なるということを実感しました。無難な髪型だと子どもがいて働いている女性、緑色の髪の毛だと、、、どう思ったのでしょうか、もしかしたら実年齢よりも年齢が若く見えたのかもしれません。以前は丁寧な口調で「大変なお仕事をされていますね」とか、「お子さん大変だけどかわいいですよね」とか、客として、ある程度たててくれている感覚がありました。しかし、緑色の髪の毛の私には、口調がカジュアルになっており、子どもがいることにも意外だといった感じで、仕事のことなども聞いてきませんでした。この経験が、人の目を気にすることに対して、なにか吹っ切れるキッカケの一つになったように思います。だって、私は私で変わらないし、仕事は変わりましたが、以前も今も変わらず真面目に一生懸命過ごしています。だけど、髪型だけでここまで人の態度は変わります。だとすれば、他人はそこまで私のことを見ていないのではないのか、というように思いました。改めて、人の印象は見た目がほとんど影響していて、見た目でいくらでも印象操作できることを感じました。実態もない、自意識過剰な、「他人の目を気にする」ことで、自分の生き方が左右されるなんて、なんてもったいないんだと思いました。好きな髪型をして、好きな服を来て、好きな過ごし方をして、生きたほうが良いなと思いました。そうでないと、一寸先すら生きているかも分からないので、後悔する気がしました。これからは「他人の目を気にする」ことをやめようと決めましたが、そんなに簡単には変われません。しばらくは無難ではない緑色の髪の毛で過ごすことにより、他人は私の髪の毛をみているのだ、と思うことで、変わっていきたいと思います。
2025.03.05
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こんにちは、妻です。アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、私が考えたことは、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】でした。前回、②【自分と他者 Ⅰ自立とは】について考えましたが、今回は、そのことについてさらに具体的に考えていきたいと思います。前回、「課題の分離」について、人のことは人のこと、自分のことは自分のこと、と分けて考えましょうということを書きました。そしてそれは、他者のことを信じることであり、また、自分のことを信じることでもあります。自分のことを信じて「勇気」をもって自分のことを自分で決めることが自立です。しかし、現在around 40歳の私は、未だ自立できていません。このことを『嫌われる/幸せになる勇気』は真正面から突きつけており、受け入れることはしんどいことです。では、どうしたら自立に向かえるのか、それを考えていきたいと思います。私はこれまで人の目を気にして生きてきました。それは、どうすれば他者から認められるのか、どうすれば注目を集められるか、どうすればほめられるのか、どうすれば、、、と、子どもの親への気持ち、すなわち幼少期の家庭環境の影響は大きいと思います。『嫌われる/幸せになる勇気』を読んでいて、だいたいはしんどかったけれど、唯一救われたと感じたことがありました。それは、親(あるいは別の誰か)に対して反抗することは、感情をコントロールできないのではなく、むしろ十分すぎるほどコントロールした結果の行動である、ということです。どういうことかと言うと、怒りを表出させたりして反抗する行動は、感情統制ができずにただわめき散らかしているのではなく、他者からの注目を集めるために、他者をコントロールするために、という目的があってしている行動だということです。または、自分の弱さを武器にして、他者に心配させ、それにより他者の言動を束縛する、なども他者をコントロールするために学習した行動です。自分は、情緒不安定で、感情表出をコントロールできず、喜怒哀楽を自分の中で抑えられずに出してしまいます。それはただの欠点で、未熟で、未だに治らず、対人交流に不利な、とても否定的なことだと思っています。分かっているなら治せば?と考えるけれど、それができないから困っています。でもそれが自分自身なので、感情コントロールができないことに否定的なことは、すなわち、自分で自分の存在に否定的なことであり、悲しいことです。それを、むしろ他者の目を気にして十分すぎるほど自分をコントロールした結果の行動である、と肯定してくれました。自分の否定的なことを、目的があって学習して得た行動だとすると、じゃあ今後はどうすればいいのかと、なんとなく考える希望が見える気がします。本を読んでいて、もう一つ気になる言葉がありました。メサイヤ(救世主)コンプレックスという言葉です。これは、劣等感を払拭できない人の優越(他者より優位と思いたい)コンプレックスの一形態で、人を助けることによって人より優れていると思いたい、というコンプレックスです。私は心理学を勉強し始めたとき、目に目えない精神的なことで苦しんでいる人を助けたいんだといった動機がありました。そして、精神科病院へ就職しました。べつに対人援助職に就くことが駄目なわけではないけれど、私はこのメサイヤ(救世主)コンプレックスのために、人をただ助けたいだけというピュアな目的ではなかった、ということを確認させられました。もしかしたら本来は自分が援助を必要としていたのかもしれません。このコンプレックスを解消したいと。その状態で他者の援助に一生懸命になると、本来の目的である自分の問題は解消されません。結果的に離職し、もう人と関わる仕事からは離れたいと思って今に至りますが、あまり意図せず決めたことだったわりには、良い判断だったと思います。なぜなら、自分の問題は他者に解決してもらうのではなく、自分で向き合う必要があるからです。そして、自分の価値は他者ではなく自分で決める「勇気」をもつ必要があります。それが自己中心性からの脱却であり、自立です。アドラーは、人は、何をしたかという「行為」ではなく、そこに居るという「存在」だけで他者に貢献している、と言っています。なのでそこに居るだけで、つまり誰かと存在し合えるだけで、他者と貢献し合えているということです。ふと、私の2歳の子どもの顔が浮かびました。あの子はたとえイヤイヤしても、私がイライラしても、間違いなく存在するだけで可愛くて、居ないと淋しくなります。そこに居るだけで私に貢献しています。だから、もしかしたら、私も、誰でも、そこに居るだけで誰かに貢献しているのかもしれません。しかし、私は居るだけで人に貢献しているんだといったポジティブな考えはすぐには受け入れられません。まずは、居るだけでいいんだという理解を持って、人を助けるとか特別な行為をしなくても、普通でいる「勇気」を持ちたいと思います。アドラーは「共同体感覚」という言葉を使っています。これは、自分は集団の一員だと感じ、自分を信じ、他者も尊敬し信じることです。大昔、狩りをして生活をしていたころ、人は集まってコミュニティを作り、それぞれにやることを分業して協力していました。決して一人では生きられません。現代も、誰かがやらないといけないことを誰かがしており、その分業の考え方は変わりません。つまり、仕事の優劣はないのです。給料を稼ぐだけに価値があるわけではなく、家事育児にも同じく価値があります。私は仕事をしていないこと、お金を稼いでいないことに負い目を感じて、自分は役立たずだと思っていましたが、この「存在」するだけで他者に貢献しているということや分業の考え方を自分の中に取り入れる「勇気」を持ちたいと思います。
2025.03.04
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こんにちは、妻です。アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、私が考えたことは、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】でした。前回、①【過去とはなにか】について考えましたが、今回は、②【自分と他者】について考えたいと思います。アドラーは対人関係について、「課題の分離」ということを言っています。課題の分離とは、人のことは人のこと、自分のことは自分のこと、ということです。たとえば、自分がある人と会話をしていて、自分が言ったことに対してその人が不機嫌になったとき、自分のせいでその人を怒らせてしまったと考えるのではなく、不機嫌になったことはその人自身の課題である、と考えることです。たとえば、自分がある人のことを想ってその人が失敗しないように、いろいろと先回りして教えたとき、それはありがた迷惑なことであり、その人がもし先回りして教えられないまま失敗したとしても、それはその人の課題である、と考えることです。または、これらの逆も同じです。ある人のせいで自分は不機嫌にさせられた、あの人が教えてくれなかったから自分は失敗した、と考えることは間違いで、不機嫌になったのは自分の課題、失敗したのも自分の課題、と考えます。私はこの考え方がなかなかできません。課題の分離とは、他者を信じることだと思います。他者が何をしようと、その人を尊重して、その人の考えることや行動を尊重して、自分は介入しないということです。たとえば、夫の家事のやり方にもっとこうした方がいい、こうしてほしいなどと言ったり、夫に健康に良いことを押し付けたり、という夫への介入は、夫のことを尊重していません。夫のすることに手を出さずに信じることが課題の分離です。そして、自分に対しては、たとえ環境や状況がどうであっても、あの人のせいだと思っていても、自分のすることに他人は関係ない、自分で自分のことに責任を持つ、ということです。これは自立ともいいます。私はこれまで、人の目を気にして生きてきました。だから、「他者に望まれているだろう私」像を想像して、それに沿って生きてきました。それは、他者に認められることを目的としていて、承認欲求ともいいます。この生き方は、さも相手のことをよく見ているように見えますが、実は自分のことしか見ていません。この人は私を認めてくれるのだろうかと、自分のために他者評価を使っているだけで、自己中心的な姿勢です。つまり、自立できていません。たとえ何十年生きていても、死ぬまで自立していない人はたくさんいます。他者評価に頼っている限りは何歳になっても自立できていません。自分のことは自分で決めて、行動していくことが自立です。しかし、それは、私にとってはけっこうしんどいことです。他者に言われたことに従う方が楽だし、他者の責任にできます。だから、私は自立しないことの方が楽です。だけど、自分のことを自分で決めない、自分のやりたい事を自分で選ばない、ということは、多分あまり楽しくありません。他者に従わないと、もしかしたら「嫌われる」かもしれません。それでも、自分のやりたい事をすることは、自分の「幸せ」なことです。タイトル回収ですが、他者に「嫌われる勇気」を持って、自分の「幸せになる勇気」を持つことが、自立であり、本来の自分の姿です。課題の分離は相手を信じることと上記しましたが、自分のことも同じように信じることが必要です。アドラーいわく、その信じることに「勇気」を持ちましょう、ということでした。その勇気をもつことも、しんどいことです。私は現在around 40歳ですが、こんなに生きてきて、法律的には20歳くらいで大人になっていて、子どももいて、、、それなのに、未だ自立できていないと認めなければなりません。精神的になかなか大人になれないな、未熟だな、と思い悩んでいましたが、本当に自立できていなかったのです。そのことは、これまでの、それなりにもがいてきた人生を、まるで否定されたような感覚です。「勇気」をもつには、まずそれを受け入れることが必要だから、とても苦しいことです。この本を読んでいて、それを突きつけられるようで、しんどかったです。しかし、自分が自分らしくあるために必要なことなので、そのことについてさらに具体的に考えていきたいと思います。②【自分と他者】が長くなりそうなので、また別で。
2025.03.03
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こんにちは、妻です。アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、自分はどうなのかなと思ったことについて書いていきます。自分がこの本を読んで考えたことは、大きく次の3つです。①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】、です。まず、①【過去とはなにか】です。アドラーはトラウマは存在しないと断言しています。とてもパンチのある言葉で、すぐには受け入れられません。いわく、過去というものは本当は決まっていなくて、【いま】の自分が【いま】都合の良いように、過去に意味づけをし捏造したもの、ということでした。トラウマは存在しないかは分からないけれど、過去を自分の都合の良いように捏造している、というところは自覚があります。自分や他人を納得させるために過去を持ち出し、さらに説得性をもたすために、少し盛っていたように思います。それは意識的に、多くは無意識的にしているかもしれません。たとえば、同じことが起こっても、人によってとらえ方が異なります。よって、記憶の仕方も異なります。つまり、記憶は客観的なものではなく、かなり主観的なものだということです。それが自分自身のことでさえも、その時々の状態により、容易にとらえ方や記憶の仕方は異なります。そしてそれを頭の引き出しの中から出す時にも、同じように、その時々の状態により、容易に捏造していると思います。では、何のために過去を捏造する必要があるかと言うと、アドラーは「人生の嘘」と言っていましたが、自分は【いま】の自分を守るためだと理解しています。もし、【いま】どうしようもなく辛くて耐えられないようなことがあるなら、それをそのまま受け入れることは、自分が壊れてしまうようなとても厳しいことです。だから、過去のせいにします。これは依存の考え方と少し似ているように思います。アルコールやギャンブルなどに依存することによって、つらさを別の快楽などに置き換えて自分を守ります。また、自傷をすることによって、つらさを別の痛みというものに置き換えて自分を守ります。そして、過去のせいで、【いま】不幸だと思うことも、それが何らかの利益があるから、過去に意味づけをしています。よって、その【いま】の不幸は自分で選んだものであり、自分は不幸なんだ・こんな人間が幸せになれるわけがない、と変わらない決心をしている、ということらしいです。【いま】不幸であることが自分にとって利益になっているから、自分で不幸であることを選んで決めているというところは、この本を読んでいて、とても受け入れることが厳しいものでした。なぜなら、その通りだと思ったからです。自分はこんなに不幸だと言うことで、他者から心配してもらえる、かまってもらえる、などという利益を得ています。それをおそらく無意識的にしていたけれど、どこかで自分もそのことに気づいていて、それを面と向かって突きつけられるのです。過去にせいにしないで自立したら?と。でも、その不幸がなくなると、今まで得ていた自分にとっての利益がなくなってしまいます。だから、このことを受け入れることはとても厳しいものでした。つまり、意味づけしていた過去をなくし、不幸であることを選ばず、これから先の自分は、過去によってではなく【いま】の自分自身で決めましょう、すなわち自立しましょう、ということでした。このことを受け入れることが厳しいからこそ、「最初の1歩」は難しいけれど、「勇気」を出したいと思いました。同時に、過去なんて捏造されてほんとうは決まっていないのだから、そんなことにとらわれず、【いま】の自分を大切にしましょう、ということだとも思いました。①【過去とはなにか】という答えは、ほんとうは決まっていないのに、自分で意味づけすることによって自分自身を縛り付けているもの、自立を妨げるものになり得る、ということだと思います。過去も決まっていないけど、これから先のことも決まっていないので、常に「いまという刹那の連続」を過ごしています。ほんとうは、【いま】しか存在しないのです。だから、【いま】を大切に過ごしましょう。②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】はまた別で。
2025.02.18
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こんにちは、妻です。自分は精神的不調により退職し、退職してもなかなか元気にならないなあと思っていました。そこで自分の中で、精神的不調=肉体的不調なのではないかという1つの結論に至りました。それにより、目に見えない精神的なことを考えるのではなく、とりあえず、『いま』の、目に見える、食事・睡眠・生活リズム・生活習慣を大切にしようという考えになりました。それは生活を丁寧にしようということですが、それにともない、部屋のなかの不要なもの必要なものを仕分けようと思いました。いわゆる断捨離です。これも、過去の思い出がつまった、たくさんのものたちで、【いま】の生活スペースが圧迫されているということなので、もっと【いま】の生活を大切にしようという一環です。さて、断捨離はすると気持ちもスッキリするなどと、よくネットの記事などでみます。それがなぜなのかを考えます。まず、物が多いと無意識に落ち着かないです。その原因は、一つ目には感覚刺激が多いからなのではないかと考えます。特に、自分は感覚器官(目や耳など外からの刺激を受け取るところ)のうち、目(視覚)や皮膚(触覚・温痛覚)の感覚が繊細で優位です。よって、ものが多いと当然視覚刺激も多いです。また、ものが多いと、ものが体に触れる頻度が多いのかもしれません。そして、ものの多さに比例してハウスダストも多くなるので、肉眼では見えにくいチリやホコリが無自覚に皮膚に触れて、それが触覚刺激になっているのかもしれません。二つ目に、衛生面・アレルギーの問題です。ものの多さに比例して、ノミやダニ、その他の害虫も多くなります。ハウスダストや害虫が多い環境で生活していると、アレルギーになる確率も高くなります。その状態は肉体にとってストレスであり、疲れさせます。これらがまず、自分が考える、物が多いと無意識に落ち着かない理由です。では次に、断捨離をすれば気持ちもスッキリする理由を考えます。一つ目に、上記の肉体への影響が少なくなります。二つ目に、ものが多いと、そのたくさんのものを一つ一つすべて管理することが難しくなります。それは、生活環境を自分でコントロールできない感ではないかと考えます。つまり、ものが多い環境で生活することによって、無意識にコントロールできない感・不完全感を感じているのではないかということです。それはネガティブな影響なので、それを、ものを少なくすることによって改善できると考えます。三つ目に、断捨離は、ものを手放したりものを必要だと選んだりすることであり、自分で判断して行動することです。これは、自分で「できた」と感じる、自己達成感であると考えます。さらに、「自分はできるんだ」と感じる、自己効力感にもつながります。そういった「できた」「自分はできると思う」体験を、ものに対して一つ一つ判断するのと同時に、一つ一つ積み上げているのだと考えます。それはポジティブな影響です。 これらが、自分が考える、断捨離をすれば気持ちもスッキリする理由です。上記から分かるように、断捨離は、それをする過程も、その結果も、良い影響があります。つまり、なかなか断捨離が進まなくてなかなか結果がでなくても、断捨離をしようと決断し、一つでも何かのものに対して所有をどうするか判断する、というその過程だけで、気持ちがスッキリする理由になり得ると考えます。ということで、自分も本当に少しずつですが断捨離をしようとしています。たとえば、子どもの赤ちゃんの頃のおもちゃは、2歳の【いま】は遊ばなくなったものも多いです。とても思い出のあるものでそれを手放すことはなかなかできませんが、【いま】の子どもが、おもちゃを選びやすくなる環境になって、【いま】楽しく生活できる環境になる、という目の前の【いま】の子どもと【いま】の生活を大切にする意識をもちたいと思います。赤ちゃんの頃のおもちゃは、なかなか捨てられないので、とりあえず使わない部屋に移動しました。なにも「捨」てなくても、「離」れてはいるし、なにより判「断」をしました。それだけでも自分にとっては大きな体験になりました。断捨離の良いところは、【いま】すぐにでもできるところです。
2025.02.14
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こんにちは、妻です。現在2歳の子どもがいます。子どもが1歳の時に育休から復帰して数ヶ月働いていましたが、精神的に体調を崩して退職しました。そして、仕事から離れても不調が続き、現在1年ほど経っています。その間、不調を改善しようといろんなことを考えてきましたが、いま、自分の中で1つの結論がでました。それは、精神的不調=肉体的不調だということです。=(イコール)だと思うほどなので、逆に、肉体的不調が改善すれば精神的不調も改善するのだということです。ということで、いったん、まずは肉体的不調にアプローチしようと決心しました。つまり、目に見えない精神的なことを考えるのではなく、まずは目に見える、食事・睡眠・生活リズム・生活習慣を重要視しようということです。これは、過去がどうとか終わりのみえないことで悩むのではなく、【いま】改善できます。生活リズムの改善とは、毎日だいたい同じ時間に起きて、だいたい同じ時間に食事をして、だいたい同じ時間にルーティンの家事などをして、だいたい同じ時間にお風呂や歯磨きをして、だいたい同じ時間に寝る、というミッションです。これは決して当たり前のことではなく、自分にとっては努力しないとできないことです。これを、いつか努力をしなくても、なんとなく毎日できるようになることが目標です。なぜこの考えになったかというと、自分は自律神経が正常ではなく、うまく体を休めることができません。症状としては、常に動悸(ドッドッドッドッ)、浅い呼吸、血行不良、それによる全身のしびれ・痛み・内臓の不調、常にある疲れ・だるさ、不眠、常にイライラ、、、などです。自律神経とは、体をほどよく活動させて、ほどよく休ませるものですが、その機能がバグっています。自分は、ずっと意図せず100%活動して、一瞬でスイッチが切れたかのように「これ以上は本当に活動できない、体を活動させられない」くらいひどく疲れたりと、ほどよく活動してほどよく休むことができなくなりました。今までどういう生活をしていたかと言うと、しんどいからダラダラYouTube見て過ごしたり、ご飯もあまり自炊せず適当で、お風呂もしんどいから何日も入らなかったり、歯磨きなど衛生面もどうでもよくなったり、やらなければならないこと(保育園への送り迎え、子どもの世話)だけでギリギリ、、、みたいな感じでした。しんどいから〇〇なんだけど、それだと体のリズム(サーカディアンリズム)が整わず、自律神経(交感神経・副交感神経)も整わず、悪循環です。それを断ち切るために、しんどいからあまり無理はしなくてもいいけれど、まずは、今日晩ごはん作ったとか、今日お風呂入れたとか、今日歯磨きした、とかそういう一つ一つをだんだんと増やしていこうと思いました。そういう一つ一つに少しずつ慣れていって、だいたい毎日できるようになってきました。生活リズムと、もう一つかなり重要なのではと思うことは、食事内容、つまり食事からほどよく栄養摂取することです。今までは、わざわざ料理を考えたり作ったりすることがしんどいから、パンやお菓子やふりかけご飯など、手軽に食べられるものを、ダラダラ適当な時間に適当に食べる、、、といった感じでした。栄養素は給食などでよく見る、赤黄緑の3色食品群、6つの基礎食品群などの分類がありますが、自分は黄色食品、とりわけ糖質ばかり摂取していました。糖質の過剰摂取はかえって体を疲れさせます。栄養はバランス良く摂取した方が身体的にも精神的にも良いです。特にタンパク質は、交感神経に関わるアドレナリンや、欠乏でうつ状態になるおそれがあるセロトニン、快感などに関わるドーパミン、ストレスホルモンや、睡眠ホルモンのメラトニン、など、非常に精神的にも重要です。しかし、タンパク質さえ摂取すればセロトニンになる、といったような単純なものではなく、複雑にいろんなものが関係するので、バランス良く摂取することは大事です。生活習慣を改善することや、食事内容を改善することは、【いま】できます。この【いま】が大事で、過去のことをいろいろ考えたり、または、まだ未知の未来のことをいろいろ考えたりすることを、いったんワキに置いといて、とりあえず【いま】目の前のやることをやろうと努力しています。この小さい【いま】が続いて、気づいたら毎日、という状態になることが目標です。同時に、2歳の子どもに対しても、生活習慣や食事内容に関しては【いま】変えられます。過去の育児に対して、山ほど後悔と罪悪感を感じていますが、とりあえず【いま】できることを頑張ろうと思っています。
2025.02.11
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こんにちは、夫です。『【もの】と【かかわり】』シリーズ最後のまとめ編です。 いままで、児童養護施設への寄付、心理療法を含む具体例を通して、【もの】と【かかわり】について考えてきました。 いかがだったでしょうか。ここでまた、マズローの欲求5段階説を思い出してください。 確かに【もの】で満たされることは、必要なことです。食に困らない。着る衣服に困らない。毎日何かや誰かに脅かされることなく安全に過ごすことのできる場所に困らない。とってもたいせつです。だからこそAさんは、社会的養護の場である児童養護施設にやってきて、毎日の衣食住には困らないようになりました。 でも、社会的養護の場は、そして家庭もそうなのだろうでしょうが、それだけを提供していれば子どもたちがすくすくと成長していくといったものではないのも確かです。 人との【かかわり】の中で誰かとつながり、誰かを認め誰かに認められていき、自分が自分のままで自分がありたいと思う姿を目指して過ごすことのできる【居場所】を見つけ構築していくことが、人の健康な成長のためにはとってもたいせつです。 【もの】があふれていると言われる時代です。もちろん、まず第一に【もの】で満たされることはとってもだいじです。が、その段階で感謝を強要されても、おそらく誰であってもピンとこないはずです。人間は人と人とのあいだで、社会の中で、いろいろな人と【かかわり】ながら生きていきます。 人がこころからの感謝の気持ちを抱くようになるのって、そんな【もの】に媒介してもらったりしながら、自分って自分がたいせつに思う人にたいせつに思われているんだ、ここに自分が自分のままでいていいんだ、そんな実感を得ることのできる【かかわり】を得て、積み重ねていくことがその土台として必要なのではないかなと、最近はよく感じています。 児童養護施設への寄付、ほんとうにありがたい限りです。子どもたちの生活の基礎は多くの方々の寄付によって支えられています。 が、すみません、実際のところ、子どもたちは【かかわりのあまりない、またはまったくない】人からの寄付だけで満足することは、感謝することは、なかなかないというのが実情です。 もし、少しでもお時間やご関心がありましたら、無理なさらない程度に、ご自分のペースで息長く定期的に、近くの施設にボランティアとして来ていただき、遊びや勉強などを一緒にしていただくとうれしいかなと思っております。 時々遊びに来てくれて、自分のあれやこれやのたわいもない話をゆっくり聴いてくれる、そんな人たちとの【かかわり】を、特に小さくして様々な事情で親元から離されてしまうことになった子どもたちはこころより望んでいますし、うれしく思います。 そして、そんな相手から贈られた【もの】も、それがどんなに些細なものだろうが、安価なものだろうが、その子どものこころにしっかりと、その人との思い出とともに刻み込まれるのだろうと感じています。 今回まで、全6回に分けて【もの】と【かかわり】について述べてきました。みなさまにも、何か考えるきっかけになれば良いな、と思います。
2024.07.26
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こんにちは、夫です。今回は、『【もの】と【かかわり】③』の続きで、児童養護施設での具体例、心理療法編です。 面接にやってきたAさんは、遊戯療法室にあるさまざまなおもちゃを見て、ひととおりどれも遊んだことがある、と教えてくれました。確かに、とても慣れた手つきで、どれもそつなくうまく扱っていて、素晴らしいと思えるような創造性あふれる作品を作ってくれることもしばしばでした。また、そのおもちゃに対しての思い出もよく話してくれました。 そんなときのAさんは、テンションが上がりきっているときのようなうれしさとは違う、落ち着いている中でかみしめて味わうような、そんなうれしさを表現してくれていました。そのとき、ああ、Aさんって、【もの】そのものよりも、そこにまつわる【思い出】、つまり、誰とどんな場所でどんな話をしながら、どのようにそのものを使って遊んだのかの【かかわり】の記憶こそを、ほんとうはたいせつにしているのだな、と感じました。 さらに言うと、確かに、面接を重ねる中で、遊戯療法室にも、あれやこれやのおもちゃを買って置いてほしい、ということをしっかりと自己主張することが何度もありました。ですが、私としては、Aさんは、【もの】よりも【かかわり】をたいせつにしているのだな、との理解のもと、そうやって【もの】がほしいとAさんが教えてくれた時には、いつも、その【もの】がAさんにとってどれだけたいせつなものなのか、これまでどんな人とのどんな【かかわり】の思い出があるのか、などをじっくりと話題にして聴いていくことに努めました。 そうすると、Aさんは、どんどんと、自分の、そのおもちゃに対しての想いや思い出といったものを私に話してくれました。そして、そんな中で、なかなか自分の思い通りに、自分が【ほしい】と思っているおもちゃが部屋に増えていかなくても、それに対しての不満を声高に執拗に言い続けることもなく、また、部屋にあるおもちゃをぞんざいに扱うこともしませんでした。 そしてある日、Aさんは、いつもと違って、なにかとても言いにくそうな様子で私の前にやってきます。「いや、私ってぜんぜん下手なんだけれどね」「たぶんうまく使えなくって、プロと比べれば足元にも及ばないのはわかってるんだけどね」「できればあるとうれしいんだけれどな」と、初めから前置きが長くて、自分の気持ちをなかなか言い出せないAさんの姿に私はとても驚きました。 が、そんな中でAさんがようやく口にすることができたのは、プロの画家が使っているような、品質のよい絵の具のセットを買って、この部屋に置いてほしい、ということでした。 話を聴いていくと、Aさんは昔から絵を描くことが好きで、ひとりで部屋で自分の好きな絵を描いて時間を過ごしたりすることがよくあり、今では学校でも美術クラブに入っていることなどを教えてくれました。こんな絵が好きなんだ、と、部屋から資料を持ってきて、私に熱心に見せてくれました。 そんなAさんの様子を見て私は、Aさんはやっぱり自分のほんとうにたいせつにしたいことやものって実はなかなか言い出せないんだなあ、と改めて感じました。 あんな【もの】やこんな【もの】も、たくさんほしいと、ことば達者に主張することができるAさんですが、その【ほしい】って、そのことば面どおりの、【もの】に対してのものではなくって、こうやって寂しくひとり、お父さんやお母さんもいない中で過ごさなくてはならないAさんの【気持ち】をしっかりと【受けとめてほしい】【かかわってほしい】ということが言いたいのだろうなあ、と感じました。 その後、私はしばらくして、Aさんのリクエストしたその絵の具を購入して遊戯療法室に置きました。入門的なもので、そんなに高価なものではありません。Aさんは一見、いつもどおり、そこまで特別にうれしそうな反応を示すこともなく、ああそうなのね、という感じでしたが、一方で少し、おっかなびっくりその絵の具を扱うような、私の表情を慎重にうかがうような、そんな様子も見せてくれました。 そしてそれからというもの、Aさんは遊戯療法室に来るたびに、自分が描きたい絵をずっと描いてくれるようになりました。そして私は、Aさんが教えてくれる、その絵の具の上手な使い方や、どうしてこの絵を描こうと思ったのかといった話をじっくりと聴き続けながら、アシスタントとしてAさんが絵を描くお手伝いを続けていき、落ち着いてふたりで穏やかにあれやこれやとコミュニケーションをとりながら時間を過ごすようになりました。 そんなAさんも中学生となり、高校生となり、そして児童養護施設を出て大人になっています。実は中学生になったときには、また新たに夢中になれるスポーツに出会い、部活動もそちらを選択したのですが、時々部屋で絵を描くことは続けていて、私も時々Aさんに、絵を描くための資料を依頼されることもありました。 確かにその絵の具という【もの】は、例えば、ずっと絵を描くことに夢中になってどんどんと絵が上達していくといった感じで、Aさんとともにあることは残念ながらありませんでした。 たった2年ほど、Aさんだけが使って、そのあとはほかのどの子どもも興味を持つことなく、遊戯療法室の棚の片隅で、誰かが発見して使ってくれるのを寂しく待っている、という感じになってしまいましたが、私は、それでじゅうぶん、その絵の具を購入する価値はあったと感じています。 それは、その【もの】を媒介にして、Aさんがおそらく一番にほしかったであろう、私との【かかわり】を濃く結ぶことができて、その中でAさんのいろいろな思いや気持ちを私と、時間をかけてじっくりと共有することができたからです。 今回はここまでにします。次回【もの】と【かかわり】⑥、まとめ編です。
2024.07.20
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こんにちは、夫です。 前回までの内容は、児童養護施設へはたくさんの寄付が届くけれど、子どもたちはほとんどと言っていいほど、うれしいと感じたり感謝の気持ちを持ったりすることがなく、【もの】に恵まれるだけではこころは動かないのではないかということを、マズローの欲求5段階説を用いて述べました。 今回は(架空の)具体例を挙げて考えていきたいと思います。 小学4年生のAさんは、生後まもなく、お母さんを病気で亡くしました。お父さんは誰なのかは不明です。(お母さん側の)おじいちゃん、おばあちゃんはすでに亡くなっています。そのため、Aさんは乳児院、そしてその後は児童養護施設にてずっと毎日を過ごすこととなりました。 そんな身よりのないAさんでしたが、幸いなことに、お母さんにはお姉さんが2人いて、それぞれ家庭をもっていて子どもも複数いたため、Aさんをひきとることは難しかったものの、Aさんのことをとても気にかけてくれていていました。 長期休暇のときには自分たちの家にAさんを招いて家族とともに寝食をともにしたり、一緒に旅行に連れて行ってくれたりするとともに、年に何度かAさんに電話をかけてきては、Aさんの欲しい【もの】を聞き、それをAさんの暮らす児童養護施設まで送ってくれたりもしていました。 Aさんは、そうやっておばさん家族と過ごすことをとても楽しみにしていましたし、自分の欲しいものを送ってくれることもとても楽しみにしている様子が見られていました。 ところが、です。自分の思うようなところに行けなかったりしたときや、自分が思うおもちゃが送られてこなかったりしたときには、とても落胆した姿を見せたり、時にはぶつぶつと、おばさんたちを責めたり貶めたりするようなことばを職員の前で堂々と言うようになりました。 また、自分の望んだおもちゃが送られてきても、最初はもちろん目を輝かせてとても喜ぶのですが、お礼の返事を書こう、ということになると、え~、と渋ったり、しばらくそのおもちゃで遊んで飽きたら、それ以降は見向きもしないようになって、部屋の片隅にぞんざいに置かれていたり、押し入れの中に積み重ねられたりするようになりました。 そして、次は何をねだろうかな、とまだ見ぬ新たな、魅力的なおもちゃに思いを馳せるようになるのですが、それは年々、どんどんと高機能でとても高価なものになってきています。 職員としては、Aさんがどんどんとわがままに育っていっているようで、とても心配でした。 部屋はおもちゃであふれかえっています。他の子どもたちよりもはるかに【恵まれて】いるのにもかかわらず、それに対しての感謝の気持ちが感じられない。あまりにも自分勝手すぎて、このまま育って大人になっていったら、他人に感謝することのできない、常に不平不満ばかりを言うしかできない人間になってしまうのではないかと不安になっていました。 そして、施設内での心理療法をしてほしい、との依頼がやってきました。 長くなるので、続きは次回に。心理療法編です。
2024.07.19
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こんにちは、夫です。今回は『【もの】と【かかわり】①』の続きです。 前回の内容は、児童養護施設にはたくさんの寄付が届きますが、そういった寄付などに対しては、子どもたちはほとんどと言っていいほど、うれしいと感じたり、感謝の気持ちを持ったりすることない、ということでした。 この『【もの】と【かかわり】』では、いったいそれはなぜなのだろう、いうことを述べていきたいと思います。 今までの話を聞いていただいて、ほとんどの大人の方々が、子どもたちにがっかりし、失望されたのではないかなと感じています。 それは、児童養護施設の職員に関してもまったく同じです。こんなに恵まれているのにこの子どもたちはなんて恩知らずなのだろう。恵まれすぎていて、これがあたりまえになっているのが問題だよね。きちんと感謝の気持ちを育てるように指導していかないと、たいへんな大人に育っていってしまうのではないか。 年配の方ですと、これだから飽食の時代は、、、なんて愚痴を言うこともよく聞かれています。 さて。 マズローの欲求5段階説に基づいて簡単に結論をお話しますと、【それは、人間って生理的欲求や安全の欲求が満たされたとしても、所属と愛の欲求(社会的につながりたい)や承認欲求(他人から認められたい)、そして自己実現欲求(自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きていきたい)といった欲求を満たしていくべく行動するから】ということになるのかなと感じています。 つまり、まだまだ【もの】(もちろん、たいせつなことなんですけれど)だけで満足することはないし、おそらく子どもが、というより人間が、ほんとうに求めていくものってもっと別にあるのではないかな、ということです。 一見そうやって、【もの】の面では恵まれているように見える、児童養護施設で過ごす子どもたち。けれども、【もの】に恵まれることだけで子どもたちは、そして大人も含んだ人間って、しあわせを感じ、こころからの感謝の気持ちを抱くようになるのか。 そのあたりを、次回『【もの】と【かかわり】③』では、ある(複数の事例を組みあわせた、架空の)子どもの事例を使いながら、【もの】と【かかわり】という視点からお話できればと考えております。
2024.05.19
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こんにちは。夫です。 今回は、主に子どもについて、【その子どもがほんとうに求めているのは何なのだろう?】ということをお話できればと思っています。 児童養護施設にいると、ほんとうにびっくりするくらいの寄付が届きます。食べ物から生活用品から衣料品から玩具から学用品から、あるとあらゆる【もの】がたくさん届きます。匿名のかたからのいただきものもたくさんあります。 実際のところ、大人(職員など)の視点からすれば、児童養護施設で生活するようになった子どもたちって、逆にものすごく恵まれているよね、と感じることも多いようです。 社会的養護の中で生活するようになる前は、子どもたちの生活はとても悲しいものでした。 食事も満足に与えられることがなかった子ども。安心して毎日を過ごすことのできる【居場所】もなくて、徘徊せざるをえなかった子ども。いつも同じ衣服で過ごしていて、頭にはしらみがわいている子ども。 そんな子どもたちが、家庭から離れ、社会的養護の場で毎日を過ごすようになると、そういった衣食住などの基本的な要素がある意味"過剰なくらいに”満たされていくことになります。 いわゆる、マズローの欲求5段階説における物質的欲求、つまり生理的欲求(食べたい、寝たい、呼吸したい、排泄したいなど)や安全の欲求(精神的にも肉体的にも健康で、経済的にも不安を感じない生活がしたい)は、すごく満たされていくことになります。 これは、大人の視点からすれば、「児童養護施設で暮らす子どもって、恵まれているよね」というように感じられることが多いようです。 社会の中には、家庭から引き離さなければならないほどではないと大人が判断しているけれども、その境遇は児童養護施設で暮らす子どもたちとそこまで大きな差はなく、上で言う、物質的欲求をなかなか養育者が満たすことができずに欠乏や不安の中で毎日を過ごしている子どもはたくさんいます。 そんな子どもたちに比べると、児童養護施設で暮らす子どもたちはなんと恵まれていることか。 こんなにいろいろな人たちからの寄付を受けて、支援を受けているのだから、当然子どもたちは、深く寄付してくれている人たちに、支援してくれている人たちに、そして社会に感謝しながら生きていくべきだ、と。 ところが、実際の子どもたちはどうかと言いますと、いろいろ寄付や支援をしてくださっているかたがたにはとても心苦しいのですが、はっきり言って、感謝の気持ちを表現することはまずありません。 ふ~ん、そうなんだ、といった感じで、だから?といった反応を示すことがほとんどです。 そして、そうやっていただいた【もの】をたいせつに扱うこともほとんどありません。 平気で嫌いなものは残すし、興味がなくなればぞんざいに扱うし、時には自分たちの怒りやイライラを発散させる相手として選んで、ぼろぼろにしてしまったり、壊してしまったりすることも日常茶飯事です。 お礼の手紙や色紙をみんなで書くことも多いですけれど、それはほとんどが大人主導で、子どもたちはそれに従って通り一遍のことばを書き連ねるだけです。 念のためあらかじめ申しておきますと、私は児童養護施設などへの寄付が無駄だとか、必要ないとか、そういったことが言いたいのではありません。 ただ現実として、そういった寄付などに対しては、子どもたちはほとんど言っていいほど、うれしいと感じたり、感謝の気持ちを持ったりすることはありません。 それはなぜなのだろう?ということを述べてみたい、ということが、この稿の趣旨になります。では、長くなりますので、続きは『【もの】と【かかわり】②』で書いていきます。
2024.04.20
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こんにちは、妻です。今回は、ふと思い出したこころの授業についてです。小学校でも中学校でもあったと思いますが、1つだけすごく覚えている授業があります。それは、小学生の頃の、ある『どうとくのじかん』です。『どうとくのじかん』は、だいたい例があって(どうとくの本)、それについてどう思うかを考える授業だったと思います。ある時の授業で、〝Aさんが転んでケガをしていました。あなたならどうしますか?〟みたいな、内容は少し違うかもしれないし、もっと例は具体的で長かったけれど、だいたいこんな感じの時がありました。全員に考えを書かせる時間をとって、私は「かわいそうだな、助けたい、と思うかもしれないけど、でも、見て見ぬふりをすると思う。」みたいなことを書きました。そしたら先生が、書かせる時間に教室内を歩いて見て周り、私の書いたものも見て、何かコメントしていたと思います。そして、自分は発表で当てられると察しました。その後、書かせる時間が終わり、発表の時間になりました。数人当てられて、なんとみんなが「助けた方が良い、すぐ助けます」みたいなことを発表していました。それを聞いて、私は数人の発表の間に、すごい対応力を発揮し、全ての文章を消して「助けます」的な文章に書き換えました。そして、その後、察したとおり発表を当てられた私は「私も、助けると思います」的な発表をしました。先生は、「あれ?さっきはそんなこと書いてたっけ?さっきは何て書いてた?」と言いました。それを聞いて、私は全消ししてもう文章はないけれど、さっき書いた「見て見ぬふりをすると思う」的なことを発表しました。この授業で、〝人を助ける〟ことが望ましいことは誰でも分かりますが、〝あなたならどうしますか?〟という問いだから、私は、普段の私ならどうするかをちゃんと想像して、傍観者になることを正直に書きました。それで間違ってないと思ったし、むしろ〝傍観者になってしまうかもしれないけど、勇気を出して手を差し伸べよう〟的な事が、この授業で言いたいことだと思ったので、自分の意見は合ってると思いました。だけど、全員の前で発表させられる状況で、しかも大多数の意見が自分と違う(少なくとも発表だ当てられて答えた人は全員)と、自分も〝この授業の正解の答え〟を答えないといけないと思いました。そしてちゃんと〝この授業の正解の答え〟を、ギリギリのところで舵を切って、模範回答しました。なのに、私は〝間違った〟のです。また話は変わって、別の場面ですが、小学校2年生の時の授業ではない時間に、先生がふと〝みんなのお母さんは優しいかな?〟と聞いて、みんなが「お母さんは優しい」の方に手を挙げていたので、私もそっちに手を挙げました。そっちが大多数で正解だと思ったからです。でも、1人活発な男の子は「俺のお母さん、怒るしむっちゃ怖い」と言って〝優しくない〟に手を挙げ、クラスじゅうに笑いが起きました。そしたら先生は、なんと「優しいから怒るんだよ。だから優しくない方が本当は優しいんだよ。」と言いました。「は?」って感じです。「いや、むっちゃ怒られるし、怒ることが優しいとそう思ったから、〝優しい〟に手挙げたんやん」と、私は本当は正解していたのに、空気を読んで〝間違った〟方に手を挙げさせられたことに、納得がいきませんでした。小学校2年生は、みんな「優しいから怒るんだよ。だから優しくない方が本当は優しいんだよ。」ということを知らないと先生は決めつけ、そして全員の前で意見を表出させ、〝間違えさせた〟のです。 この場面も『どうとくのじかん』も似ています。別にダメなわけではないはずだけれど、私にとっては、過剰に空気を読んで〝模範回答〟したのに、間違えさせられて、悔しい思いをし、恥となり、全く納得がいきませんでした。どうしてクラス全員の前で意見を表出させるのか、人と違うことは間違い、人と違うと思われたくない、とか、そういう繊細な想いを、ただの恥にさせられました。まさか、そこまでも含めて『どうとくのじかん』での学びだとでも?いや、結果的に学んだわけですが。私の感じ方の問題はありますが、そういう子どもも、そうでない子どもも、当たり前だけれど色んな人がいるでしょう。私の学校だけではなく、多くの学校で『道徳の授業』または『こころの授業』はあると思います。しかし、そういうものにまず教科書があるのがナゾです。なぜなら、教科書があれば案に模範回答があるはず(先生はガイドラインがないと授業することが難しい)だろうし、本来、模範回答ではなく個々の考えを尊重することが(臨床)心理学だからです。教科書がないと授業はできないかもしれないけれど、別にみんなの前で意見を無理やり言わせなくても良いんじゃないかと思っています。私がただ、〝間違ったら終わりだ〟みたいな感じ方をする、ちょっとこじれたヤツなだけかもしれませんが。
2024.04.04
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こんにちは、妻です。妻は精神科の病院でカウンセラーの経験があります。学生の時にカウンセリングの姿勢について学んだことは、主にカール・ロジャーズのクライエント中心療法です。特に、カウンセラーに必要な態度として、・共感的理解・無条件の肯定的関心・自己一致これらの3条件を、これでもかというくらい学びました。また、カウンセリングには枠が大事であるとか、いろんな基本的なことを学びました。でも、それらを実践することが、いかに難しいか痛感しました。特に、共感的理解とか、自己一致とかです。自分の特徴として、・共感性が強い・感受性が強いということがあげられます。なんとなく良いイメージかもしれないし、実際、困っている人や辛い思いの人に共感できることは、カウンセラーとして長所だと思っています。半分は。しかし、自分はこの特徴がとにかく強いです。つまり、共感しすぎる、自分と他人との線引きができない、まるで一心同体?、といった感じです。カウンセリングをカウンセリングとして成り立たせるために、客観的・俯瞰的にみるために、記録したり、アセスメントしたり、ケースカンファレンスしたり、、、そういうことはする訳ですが、、、。それにしても共感する体験がしんどすぎです。ポジティブな気持ちも一緒に感じるけれど、だいたいはネガティブなことが多いので(カウンセリングするくらいなので)、絶望感や無力感なども一緒に感じます。本当に絶望するんです。人生が終わったと思うくらいに。他人のことなのに。こんな体験をしていたら、自分がもつわけがありません。「もう無理だ」「やりたくない」と思うほどでした。もちろん、カウンセリングがしんどい理由は他にもいろいろあるでしょうが。自分、初学者ですし。長所だと思う共感性や感受性の強さは、半分は間違いなく短所でした。ものごとには必ず、良い面と悪い面の両価性があるというということは、当たり前なのですが、、、。だんだんと、もはや短所としか思えないようになりました。ちなみにこういった、共感性や感受性が強いという特徴は、最近よく聞く、HSP:Highly Sensitive Person(とても繊細な人)ということなのだと思います。これは別に病名でもないので、だから何だって感じなのですが。他人が注意れていたり、怒られていたり、いじめられていたり、そういう場面をみると、自分も怖いし恥ずかしいし、耐えられないです。だから、ドラマなどは滅多に見ません。あと、むちゃくちゃ空気を察知します。読めます。読みます。過剰適応してしまいます(それはまた別の問題か)。こんな自分には今のところ、カウンセラーをするには、責任が重すぎるし自分自身を守れないので、すっかり自信をなくしてしまいました。人を支えられるカウンセラーに憧れて心理士になったけど。
2024.03.31
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こんにちは。夫です。 最近は、妻が疲れているなあ、たいへんそうだなあ、と感じながらも、基本的には無力な自分に改めて気づかされています。 苦しいのは妻。しんどいのも妻。それをすべて理解することもできません。そしてもちろん、その苦しさやしんどさを肩代わりしてあげることもできません。 できることは、ただただ、いつもと変わらずに、そばにいつづけること。そうすると、妻がいろいろな表現で、自分の苦しさやつらさを分かちあってほしい、と働きかけてくれます。 それは、ときに、私に向けられるイライラだったり、攻撃性だったりします。そうなると、当然ですが、私の中にも、イライラする気持ちや妻に反論したい攻撃的な気持ちがむくむくと湧きあがってきます。 そして、そんなネガティブな気持ちにさせられて、巻き込まれることがつらくて、いやで、できることならば逃げ出したい、と感じます。 ですが、それを「これは、妻が、自分の苦しみやつらさを、少し、私にも分かちあってほしいと投げかけてくれたものなんだなあ」「そもそも、妻の苦しみやつらさはこんなものではないくらいにたいへんなのだろうなあ」「妻はその苦しみやつらさからは逃げ出すことはできないのだよね」と想像し、理解して、じっくりと、そんな、自分のこころの中に湧きあがってくるネガティブな気持ちを味わいます。 そして、一緒にいつづけます。 ただただ、それだけしか、できないのだろうと感じています。 心理士って、ほんとうに無力だなあと、あらためて実感しています。よく言われる「寄り添うこと」って、こういうことなんだろうと感じています。 私自身は、何とかしてあげたいと思っても、何もできません。 でも、それでも、何もできないつらい気持ちをしっかりと抱えて、じっくりと、変わらずに、そばに居続けます。 いろんな、相手の気持ちの表現を敏感に感じ取り続け、それを味わい続けます。 それが、心理士の基本である「相手の中にある、自分自身で何とかやっていくことができる力をひたすら信じ続ける」ということなのだろうと感じています。いわゆる、クライエント中心主義ってやつですね。 妻にしてもそうですが、苦しさやつらさには、その人なりの歴史があります。 苦しんで苦しんで、何年も何十年も、それをなんとかしようともがき続けてきた、試行錯誤と苦闘の歴史があります。 自分のことを一番よく知っているのは、他でもない自分自身。一番の自分自身の専門家なので、まずはそれを尊重することから。 心理士としては、その試行錯誤と苦闘の歴史をしっかりと聴かせてもらいながら、心理の専門家として「こんなふうにとらえてもいいかもしれないですね」「それってどういうことか、もっと詳しく教えてほしいです」などと働きかけ、気持ちや考えの整理のお手伝いをできればうれしいなと感じています。 あくまで、参考意見です。従えとかそういう気持ちはまったくありません。 役に立たないなとか、あわないなと感じたら、違う人に支援を求めていただくこともたいせつです。 その人の人生は、その人のものです。うまくいくようになったなあ、と感じることができるようになったら、ほかならぬその人が、自分の人生って自分のものだ!と感じて、主体的に試行錯誤し、悪戦苦闘し、それがうまくいったからです。 そんなときには、そこに心理士が介在したということなんて、忘れ去られていいんじゃないかなと感じています。 黒子に徹しながら、限られた時間、その人の貴重な人生を分かちあわせてもらって、その人が以前よりしあわせを感じてもらえるようになって、それを私にも分かちあわせてもらえたら、それ以上のしあわせはありません。
2024.03.30
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臨床心理士・公認心理師 夫婦の、妻の方です。妻は心理職として精神科病院で働いていました。そして、精神科病院で働いているにもかかわらず、別の精神科の病院を受診し、心理士であるにもかかわらず、精神を病んで、休職しました。職場の状況も鑑みて、自分もだいぶ身体が回復したと感じ、復帰しました。身体は回復したと感じていたけれど、仕事のことを考えると緊張するし、気持ち的にはまだ時期尚早だったのかもしれません。復帰にあたり、職場から不当な扱いを受け(もしかしたら違法だったかも)、それでも受け入れて勤務していましたが、数日後にさらに職場環境が変わりました。あまり詳しくは書けませんが、急な異動などです。盲目的にただ与えられた仕事をして、これからも当たり前に続けるつもりでした。だけど、いろいろな症状がではじめました。【頭】・頭の中がネガティブな考えでいっぱいで、止められないし修正もできない・ほとんどの頭の中の考えが自分を否定したり自責することになる・ずっと毎日頭痛はあったけど、ガンガン痛いというよりは、片頭痛、ズーンという感じ【背中】・思いっきり殴られた後に残るズーンとした重痛さ【全身】・おそらく筋肉が緊張して身体はかたく、肩こりなどの痛みや痺れがあり、お風呂に入ったりゆっくりストレッチをしたりしても、解消されない【睡眠】・眠剤を服用していましたが、だんだんと中途覚醒後、再入眠しにくくなる【情緒】・浮き沈みがかなり激しい・感情の変わり方が、だんだんとではなく、かなり急である・あまりの感情の差にとても疲れる【行動】・毎日涙がでる・涙は、ネガティブな考えに対してだけでなく、カフェに行ったら休店していたとか、ゆで卵のカラがきれいにむけないとか、そういうことでも涙がでる・周りの人に迷惑をかけているという自責から、罰として自傷する【呼吸】・呼吸が浅くなり、息苦しく、過呼吸になる・過呼吸にともなって身体は痺れるざっとこんな感じです。ただ、この間復帰前後の2週間ほどです。かなり急性的ですが、毎日苦しさに耐えるにはあまりに時間を長く感じました。そして、復帰してたった1週間ですが、盲目的にただ与えられた仕事をしていた自分が、過呼吸になったとき、初めて「辞めたい」と思いました。その日に退職の意向を伝えました。休職からの復帰、そして退職と、怒涛の日々でした。だけど、やはり1人では「辞めたい」と思わなかっただろうし、「辞める」とは言わなかったと思います。「辞めてもいいよ」と支えてくれた人がいたからこそのことでした。それは家族だったり友達だったり、そしてカウンセラーだったりします。自分も心理士のハシクレであり、カウンセラーのハシクレですが、自分と他人は違うし、自分にもカウンセラーが必要でした。そんな誰かを支えられるカウンセラーになりたいと思って、心理士になって、精神科病院に勤めていたんですけどね。残念としか言いようがありません。
2024.03.28
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【前々回、前回の記事の内容】 妻は30年弱の間、指の皮をむき続けています。やめたくて改善しようといろいろと行動をしていますが、やめられません。 その結果、皮をむいている指は、皮がかたくなり、グーをしても指が曲がりにくくなりました。そして、爪はピンクの部分が減り白い部分が増え、波打ってボコボコです。今回はなぜ指の皮をむくのか考えたいと思います。 まず、とにかく凹凸が気になってしょうがないという感じで、その凹凸を無くそうと皮をむきます。しかしなめらかにはならず、永遠に続きます。 次に、どんな時にむいているか考えてみると、緊張しているとき、イライラしているときなど、精神的にストレスがかかったときが多いです。 基本的に指の皮をむく行為は良い事ではありませんが、精神的ストレスがかかった時に、自分を落ち着かせる行為であるともいえます。アメリカ精神医学会の、精神疾患の分類と診断マニュアルである、DSM-5-TRでは「強迫症及び関連症群」のところに「皮膚むしり症」の記載があります。それによると、診断基準は以下の全てを満たす必要があります。A.皮膚の損傷を引き起こす繰り返される皮膚むしり行為B.皮膚むしり行為を減らす、またはやめようと繰り返し試みているC.皮膚むしり行為によって、苦痛、または社会的・職業的・その他に影響があるD.物質作用(コカインなど)、他の医学的状態(疥癬など)ではないE.他の精神疾患の症状によってはうまく説明できない参考までに書いてみましたが、別にこれらに当てはまっていたとしても、強迫症だと言いたいわけではありません。診断や症状は、その人のことを理解することには役立ちますが、それでラベリングするものではありません。そしてどんな症状も、ある・ないと二極化できるものではなく、コップにどれだけその症状がたまっているかといったイメージ(スペクトラム)で考えた方がよいと思います。 ということで、私は自分自身のことを考えるために、指の皮をむく行為から何が考えられるかなと思って、皮膚むしり症について書いてみました。私は自分では上記のABCDには当てはまっているとは思いますが、Eは分かりません。もっといろいろな情報も合わせて考えていく必要があるとは思います。あー、痛いなあ。醜いし。本当にやめたい。いつかやめられる時がくるのだろうか。今のところ、絶望的ですね。【参考文献】DSM-5-TR 精神疾患の分類と診断の手引,医学書院
2024.03.26
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前回の記事では、妻が長年手の指の皮をむき続けていて、やめたいと思っていろいろ行動もしてみたけど、やめられないということを書きました。今回は、その影響を受けて、爪の状態も変化しているのですが、その事を詳しく書きたいと思います。私は爪の甘皮も気になります。中学生の時などは、よくシャーペンの先でガリガリ削っていました。そのうち、いつからか甘皮はなくなりました。 そして今も、爪のキワに皮が再生してきたら気になって、すぐ取ってしまいます。きれいに取れないと毛抜きを使ってでも取っています。このように、爪のキワに圧力をかけるのでその部分は凹んでしまい、そして爪が伸びて、、、を繰り返すので、爪を横から見ると波打ってボッコボコです。特に両親指の爪はとても醜いです。 また、そんなことを長年繰り返しているため、爪の白い部分(爪半月:そうはんげつ)はかなり広がっています。右手中指・人差し指は、左手より2倍ほど広がっています(面積ではなくて長さ)。親指は両手とも広がっていますが、左手親指はおそらく元より2倍ほど、右手親指は元より3倍ほども広がっています(こちらも面積ではなく長さ)。*皮をむいているのは主に、右手の親指・人差し指・中指、左手の親指・人差し指、の5本です。だだ、爪の白い部分(爪の根元側)だけが広がっているわけではありません。指先側の爪のキワも同じく気になるんですね。つまり、気になると毛抜きを使ってでも皮をとるんですね。ということは、こちらは、爪がだんだんと指からはがれてピンクの部分が減っていきます。こちらも、特に両親指が酷いですね。 【まとめ】・爪の指先側⋯指から爪がはがれてピンクの部分が減っている・爪の根元側⋯白い部分(爪半月:そうはんげつ)はだいたい2倍以上は広がっている ・右手親指に限って言うと、ピンクと白がだいたい半分半分くらいの長さ!!!もしかしたら、何年も皮をむかずに過ごしていると、また指と爪がくっついてピンクの部分が増えたり、甘皮が再生して白い部分がもとの大きさに減っていったりするのかもしれません。ですが、私は30年弱指の皮をむき続けているので、治ることはありません。本当に醜いです。しかし、なぜむくのでしょうか。そのあたりは、今回も長くなってしまったので別の記事で。
2024.03.24
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妻は手の指の皮をむく癖があります。いつからかと言うと、小学校2年生の時だと記憶しております。ある日手の指のサカムケを引っ張ったら無くなることに気づいて、「引っ張ったらきれいになる」と、大発見して、それからは「良い事」だと思ってむき始めました。他の同級生にも教えてあげるくらいに。さて、今は30代まんなかの妻。指の皮をむき始めて30年弱ほどになったでしょうか。だいたいは毎日むいています。むかない時は、手の指に意識が全く向かない時です。例えば、高熱が出たり、つわりの時だったり、身体がむちゃくちゃしんどい時。もしくは心身ともに元気な時、ですかね。後者は、、、昔はたまーーーに「そういやこの1週間むいてないな」とかあったかもしれませんが、ほとんどなかったと思います。さきほど、手の指に意識が向く時にむくと書きましたが、意識が向いていなくても、ノールックでも、ごく自然に手の指の皮をむいています。部位は、左手親指・人差し指、右手親指・人差し指・中指、です。特に両親指はむきやすいのでよくむいています。親指だと、人差し指で親指の皮をむけるので、片手でむけてしまうのです。これらの指は皮がかたくなり、グーをしても指がコの字になりにくくなりました。特に両親指はくの字までも曲がりません。むき方ですが、最初は薄い皮を引っ張ってむくけれど、だんだんと皮がひっついて分厚くなっていって、深くなります。これ以上は痛すぎて引っ張れないというところでようやく止まります。その時はだいたい出血しています。そしてまた、別の部位をむきます。時には痛すぎて、ペットボトルのフタや、お菓子の袋などが開けられなかったり、指が痛くて夜目が覚めたりします。ずーーーっと治したいと思っています。【今までに治そうと行動したこと】①絆創膏を貼る(むけそうなところを全て隠すように貼る)②綿手袋をする③皮膚科受診④ハンドクリームを塗る⑤ハンドスピナーを持っておく【各々の効果】①むけないので、むかなくなり、皮膚も再生してくる。そして、むくことを忘れていく。しかし、絆創膏をはがしたあと、とてもむきやすくなっているため、むちゃくちゃむいてしまう。②むけないので、むかない。しかし、手を洗う時など、手袋を外す時が多い。また、衛生面が気になって、ずっとは同じ手袋を付けていられない。③手厚く皮膚科的処置をしてくれ、薬もくれるので、皮膚再生が促される。また、自分の手の指の状態を「治そう」としてくれるため、自分を大事にしてくれたと感じる。④手のガサガサ・凹凸がクリームによってなめらかになり、むきにくくなる。しかし、時間が経つとクリームの保護効果がうすれ、またむきやすい状態になる。⑤持っている間はむけない。意識がハンドスピナーにいき、持っていない手もむかない。しかし、持とうと自分の意思が強くないと持たない。そして、四六時中持っとくわけにはいかない。どれが特に良かったということは言えません。どれにもメリット・デメリットがあるので、いろんなことをできることは全てして、改善していけたら良いのだと思います。さて、DSM-5-TRでは「強迫症及び関連症群」のところに「皮膚むしり症」の記載があります。今回は長くなったので、続きは分けて書きます。
2024.03.16
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妻は育休から仕事に復帰した後、生活の色々なことを効率化し、仕事に家事に育児に数ヶ月間励んできました。【効率化した家事】・料理を放棄し、夕食はミールキット宅配サービス・掃除はロボット掃除機・洗濯干しも放棄し、乾燥機の積極的使用・食器洗いは、少ないと感じても食洗機使用(食器洗いはもともと好きだからなるべくしたいが、できない)【諦めた夕ご飯】*子にはきちんと与えている・作れない・座って食べられない・子を20時くらいに寝かせたいので、お風呂&寝かしつけをするために、食べる時間がとれないこともある【諦めた朝ごはん】*子にはきちんと与えている・作れない・食べる時間がないので、通勤の運転をしながら食べる・そのため食べられるものが限られる(片手で持って食べられるもののみに) 帰宅後、「これだけ時間があれば家事や育児のこれくらいはできるだろう」と考えていても、実際はかなり気合いを入れなければできませんでした。 つまり、多くの時間が交感神経優位になっていたのだと思われます。 その結果、睡眠がとりにくくなりました。(入眠しにくい、すぐ起きる、中途覚醒の後再入眠しにくい) 家庭では、とてもイライラする事が多くなり、それは制御しにくいものでした。夫や子にも悪影響です。 身体的な不調に関しては、1〜2ヶ月続く風邪・咳・口唇ヘルペス・扁桃腺炎・他症状なしの謎の高熱・月経不順・月経前症候群・・・・など、今まで経験したことのないことが起こるようになりました。特に咳に関しては、してはいけないと思う時ほどでていたように思います。つまり心因性を疑っていました。数ヶ月間、身体化のサインはあったと思います。 自分は感受性が強く、共感性羞恥も感じやすいです。感受性が強いことは心理士としては長所でもあり短所でもあります。(どんなことも両価的ですが) 仕事では、過剰に空気をよみ、察し、気づき、せっせと、そつ無く働いていました。しかし、同僚にも患者にも精神的な線引きが出来ていなかったかもしれません。 疲れはてました。 そして、自分が精神科病院に勤めているにもかかわらず、他の精神科病院へ受診し、投薬・カウンセリング・休職をすることになりました。 “できる”けど、リラックスする時間を意図的にとることが必要でした。特に私たち心理士は感情労働なので、目に見えないケアが自分にも必要でした。 自分は精神科病院に勤める心理士だけれど、数ヶ月間そのことに気づけませんでした。 自分の内面が豊かでないと、心理職はつとまらないのだな、と当たり前のことに気づきました。
2024.03.11
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