心理士夫妻ブログ

PR

プロフィール

gherardini

gherardini

カレンダー

バックナンバー

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

心理職

(7)

妻 皮膚むしり

(3)

妻 休職 その後

(9)

心理学

(1)

育児

(2)

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.03.04
XML
カテゴリ: 妻 休職 その後

こんにちは、妻です。

アドラー心理学を分かりやすく書いてある『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで、私が考えたことは、①【過去とはなにか】、②【自分と他者】、③【いまを後悔しないように生きる】でした。

前回、②【自分と他者 Ⅰ自立とは】について考えましたが、今回は、そのことについてさらに具体的に考えていきたいと思います。

前回、「課題の分離」について、人のことは人のこと、自分のことは自分のこと、と分けて考えましょうということを書きました。

そしてそれは、他者のことを信じることであり、また、自分のことを信じることでもあります。

自分のことを信じて「勇気」をもって自分のことを自分で決めることが自立です。

しかし、現在around 40歳の私は、未だ自立できていません。

このことを『嫌われる/幸せになる勇気』は真正面から突きつけており、受け入れることはしんどいことです。

では、どうしたら自立に向かえるのか、それを考えていきたいと思います。

私はこれまで人の目を気にして生きてきました。

それは、どうすれば他者から認められるのか、どうすれば注目を集められるか、どうすればほめられるのか、どうすれば、、、と、子どもの親への気持ち、すなわち幼少期の家庭環境の影響は大きいと思います。

『嫌われる/幸せになる勇気』を読んでいて、だいたいはしんどかったけれど、唯一救われたと感じたことがありました。

それは、親(あるいは別の誰か)に対して反抗することは、感情をコントロールできないのではなく、むしろ十分すぎるほどコントロールした結果の行動である、ということです。

どういうことかと言うと、怒りを表出させたりして反抗する行動は、感情統制ができずにただわめき散らかしているのではなく、他者からの注目を集めるために、他者をコントロールするために、という目的があってしている行動だということです。

または、自分の弱さを武器にして、他者に心配させ、それにより他者の言動を束縛する、なども他者をコントロールするために学習した行動です。

自分は、情緒不安定で、感情表出をコントロールできず、喜怒哀楽を自分の中で抑えられずに出してしまいます。

それはただの欠点で、未熟で、未だに治らず、対人交流に不利な、とても否定的なことだと思っています。

分かっているなら治せば?と考えるけれど、それができないから困っています。

でもそれが自分自身なので、感情コントロールができないことに否定的なことは、すなわち、自分で自分の存在に否定的なことであり、悲しいことです。

それを、むしろ他者の目を気にして十分すぎるほど自分をコントロールした結果の行動である、と肯定してくれました。

自分の否定的なことを、目的があって学習して得た行動だとすると、じゃあ今後はどうすればいいのかと、なんとなく考える希望が見える気がします。

本を読んでいて、もう一つ気になる言葉がありました。

メサイヤ(救世主)コンプレックスという言葉です。

これは、劣等感を払拭できない人の優越(他者より優位と思いたい)コンプレックスの一形態で、人を助けることによって人より優れていると思いたい、というコンプレックスです。

私は心理学を勉強し始めたとき、目に目えない精神的なことで苦しんでいる人を助けたいんだといった動機がありました。

そして、精神科病院へ就職しました。

べつに対人援助職に就くことが駄目なわけではないけれど、私はこのメサイヤ(救世主)コンプレックスのために、人をただ助けたいだけというピュアな目的ではなかった、ということを確認させられました。

もしかしたら本来は自分が援助を必要としていたのかもしれません。

このコンプレックスを解消したいと。

その状態で他者の援助に一生懸命になると、本来の目的である自分の問題は解消されません。

結果的に離職し、もう人と関わる仕事からは離れたいと思って今に至りますが、あまり意図せず決めたことだったわりには、良い判断だったと思います。

なぜなら、自分の問題は他者に解決してもらうのではなく、自分で向き合う必要があるからです。

そして、自分の価値は他者ではなく自分で決める「勇気」をもつ必要があります。

それが自己中心性からの脱却であり、自立です。

アドラーは、人は、何をしたかという「行為」ではなく、そこに居るという「存在」だけで他者に貢献している、と言っています。

なのでそこに居るだけで、つまり誰かと存在し合えるだけで、他者と貢献し合えているということです。

ふと、私の2歳の子どもの顔が浮かびました。

あの子はたとえイヤイヤしても、私がイライラしても、間違いなく存在するだけで可愛くて、居ないと淋しくなります。

そこに居るだけで私に貢献しています。

だから、もしかしたら、私も、誰でも、そこに居るだけで誰かに貢献しているのかもしれません。

しかし、私は居るだけで人に貢献しているんだといったポジティブな考えはすぐには受け入れられません。

まずは、居るだけでいいんだという理解を持って、人を助けるとか特別な行為をしなくても、普通でいる「勇気」を持ちたいと思います。

アドラーは「共同体感覚」という言葉を使っています。

これは、自分は集団の一員だと感じ、自分を信じ、他者も尊敬し信じることです。

大昔、狩りをして生活をしていたころ、人は集まってコミュニティを作り、それぞれにやることを分業して協力していました。

決して一人では生きられません。

現代も、誰かがやらないといけないことを誰かがしており、その分業の考え方は変わりません。

つまり、仕事の優劣はないのです。

給料を稼ぐだけに価値があるわけではなく、家事育児にも同じく価値があります。

私は仕事をしていないこと、お金を稼いでいないことに負い目を感じて、自分は役立たずだと思っていましたが、この「存在」するだけで他者に貢献しているということや分業の考え方を自分の中に取り入れる「勇気」を持ちたいと思います。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.04.03 15:09:10 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: