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高校生の時に発売されたDT1はまさに衝撃的でした。当時のバイクは神社仏閣とは言いませんが、少なからずトライアンフの影響を受けたスクランブラー止まりで本格的なオフロードバイクがなかったのと、あのように細身でスマートなスタイルは天から舞い降りてきたような新鮮さがありました。親にねだり倒して、50年程前に白のDT1を買ってもらい、2サイクル独特の比較的野太いエキゾーストサウンドを聞きながら、高野山や六甲などで遊んでいました。しかし、体格の大きい私には若干パワー不足が感じられ、4年ほど乗って黒に黄色ラインのRT1前期型に乗換えました。ただ、皆さんご存知の通り、始動性が悪く、ケッチンを食らってビッコで歩く始末です。クルマに関心が移りつつあったこともあり、結局殆ど乗らなくなって処分した苦い思い出があります。それでも、38歳ころから昔乗っていた、あるいは憧れていたバイクを集めてレストアするようになると、あきらめの悪い性格が災いして、あのスタイルと排気音が忘れられません。とりあえず、DT1を30年程前に大磯の部品交換会で入手し、レストアしました。しかし、体重も増えているので昔と同じくパワー不足を感じ、結局は現在所有のRT1前期型のレストア車(後期型の黒赤塗装仕様)を昔篠山にあった故中西社長の「ミドルウエスト」から、25年程前に購入したのでした。自分でも笑えてきますが、青春時代と全く同じことを繰り返しているようです。そのうち、やはりケッチンが我慢できず、後期型のデコンプ付エンジン(RT1-08889)に載せ換えたうえ、純正オリジナルシート(ノンレストア、25年前に新品取得)に交換、その他メーター、マフラーなど新品を収集して順次交換しました。さらに純正タンク等の外装ほぼ新品一式を10年ほど掛けて集め、浜松第一塗装で白にリペイントし、交換。メンテナンス性を向上させるため、旧車専門ショップで12V仕様に変換、バッテリーレス化しました。(ジェネレーター交換、万一6V仕様に戻す純正部品は保管)デコンプ付エンジンはフルOHしています。圧縮が完璧にあるので(6.3)、旧車専門ショップのオーナーのようにデコンプなしで始動できる方もいらっしゃいますが、一般の方はデコンプを使ったほうが無難です。それでも、TS400に比べるとケッチンは強く、一応リアのダンデムステップは外してあります。慣れない方は踏み台を用意して、左足を乗せながら右足でキックすると楽に掛ります。このDT1のポスターに衝撃を受けた若者は一体何人いたでしょうか。東京オリンピックのポスターや前田美波里の資生堂パンケーキポスターとともに60年代を代表する文化遺産だと私は思います。「穴の開くまで見た」というのは、当時の高校生だった私のためにある言葉かと思います。学校から帰ってベットに寝そべりながらこのポスターを見ていたことを昨日のことのように思い出します。これが源流になってイージーライダーやヒッピー文化に熱くなりました。もちろん、ハーレーもダイナワイドをチョッパーに改造して乗っていました。ピーター・フォンダのキャプテンアメリカになったつもりで・・。脱線してすみません。DT1のポスターで昔の思い出が弾けてしまいました。本題に戻ります。バイクをレストアするということは当時の自分にフラッシュバックすることかも知れません。これだけのエネルギーが投入されるのは半端な動機ではありえません。デコンプの開放レバーが左グリップの下に付いています。新品シートです。ケッチン大魔王のRT1前期型は黒タンクに黄色のストライプでした。確か、赤色のストライプが出てきたのはデコンプ装備になった後期型からだったと記憶しています。輸出モデルがDT1-Eの名称だったことをご存知ですか。初めから一人乗りのシングルシートです。アメリカではモトクロッサーやオフロードでの大人、子供の遊び用に改造、酷使されて、原型を留めたまともな個体は残っておらず旧車ブームでも日本への里帰り車両は殆どないはずです。日本でのオンロードや整備林道走行とは全く違う使われ方でした。大磯の部品交換会で入手し、レストアして乗っていたDT1です。パワー不足を感じていたら、どうしても欲しいという方が現れてお譲りしました。今も大切に乗られているようで嬉しいです。
2024.04.24
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W1SAは高校生の時から近所のオジサンがW1を乗っていていつも腹に響く快音を響かせながら疾走する姿をうらやましく見ていました。メッキタンクもなかなかいいのですが、当時の私にはやや渋い旧車の感じがして欲しいとまでは思いませんでした。ただ、1972年ころ、大学生になってクルマに乗るようになってからW1SAを見かけるようになって注目し、その後、W3がZ1登場後に発売されたのも知っていましたが、結局クルマにシフトしたため、思い出に留まっていました。しかし、38歳ころから昔乗っていた、あるいは憧れていたバイクを集めてレストアするようになってからはK1、K0、DT1に続き、早い段階の44歳で雑誌広告を見て日野のウエマツから比較的程度のいいW1SAを購入しました。今から30年ほど前ですから、ウエマツも先代の社長が河原を占拠して廃品回収業と中古バイクの販売をされていた状態で現在の派手な事業活動からは想像もできません。買ってから、W1クレージーズの会長様にコンタクトしてご自宅にお邪魔し、タンクキャップ、ブレーキやレバー、ウィンカー関係の純正部品とマフラーやゴム類のリプロ部品を分けていただき、本格的にレストアを始めました。いつもの調子で、オリジナルの新車状態に戻したくて、シートやタンク、ヘッドライトケース、メーター、リアランプ、チェーンカバーなどの新品をヤフーオークションやショップ、部品交換会を回って約10年掛けて集めては部品の交換を続けました。また、シートに関しては、ツーリングでの乗る心地を優先して、W3の新品も手に入れて適宜交換しながら楽しんでおりました。しかし、マフラーだけは中々手に入らず、半ばあきらめていましたが、2年前に山形のバイク店が廃業に当たって在庫を出品処分されているのを見つけ、即座に16万円で落札することができました。奇跡に近い出来事でした。代わりに交換で出品した状態のよいW1クレージーズのリプロマフラーに入札が殺到し、8万円で売れたくらいでしたから。現在、ほぼ新品状態になって大変満足しております。72歳になって650くらいの手軽なバイクが乗りやすく感じるようになりました。XS-1Bとともに最後まで手許に残るバイクと思います。この写真はW1クレージーズのリプロ大根マフラーを付けていた状態です。ヘッドライトケースとリアショックはオリジナル新品を別途保管し、好みでメッキパーツを付けています。当時はまとめて「ダブワン」と呼んでいて、あまり「W1SA」とは呼んでいなかったようです。このカタログには「650-W1SPECIALと書いてありますが、カワサキは総じてモデルの寿命が長くてシリーズ化されるためか、マッハⅢに代表されるように製品名を途中でよく変更しました。オリジナル塗装です。ウエマツから買った時は、日焼けしたオレンジ色にレストア塗装されたタンクが付いていました。ゴムホースの金属カバーは別途保管しています。タンクは綺麗ですが、為念でフィルターを付けています。交換した純正新品マフラーです。まさに奇跡と言うほか、ありません。トライアンフのようにやや後端が絞りこんでいく美しい造形です。最初見た時はW3用かと当初疑いましたが、W1SAの品番ラベルが付いた出荷時包装で、装着してみると非常に粒のはっきりしたあの元気な音色がして安心しました。W1クレージーズの自主製作リプロマフラーも鉄板やメッキが高品質で素晴らしいですが、純正よりサウンドは大きいです。W3の新品シートを付けた状態です。基本的にツーリングに行く時だけ交換しています。確かにマフラーは後端が絞られています。時々最近の雑誌ではW3とW1SAの違いとして、W1SAは大根マフラー(実はW1クレージーのレプリカを装着している個体が多いための誤解か)で、W3は後端絞りと書いてありますが、間違いですね。昔の話なので、段々何か正確か、知る人も減ってきて曖昧になってきました。昔からカワサキの国内版カタログは六甲山とか、芦屋浜とか近場で撮影して制作費を安く上げていました。現代の眼では無造作なスナップみたいでカタログ写真らしくないのが当時の雰囲気を思い出させます。
2024.04.24
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トライアンフを彷彿させるスマートなスタイルと野太いエクゾーストサウンドが気に入って遠目に憧れていましたが、偶然20年程前に横浜のトライアンフ専門店の幸福商会がトライアンフの下取り車をヤフーオークションで出品しているのを見つけ、すぐに実車を見に行って即決で手に入れました。マフラーがかなり痛んでいたほかは元々程度はよかったですが、入手後に主にヤフーオークションでオリジナル塗装のタンクやサイドカバー、新品メーター、新品シートを探し続けて順次交換し、今に至っています。マフラーは純正の大根マフラーを長い間探したのですが、程度のいいモノあ見つからず、仕方なく台湾製のリプロ品に交換しています。キャブもケイヒンに交換されていたので、純正キャブを入手し、一旦交換しましたが、吹き上がりのレスポンスはケイヒンのほうがいいので、元に戻しています。シートは中々新品が見つからなかったので、一旦元のシートのスポンジを交換しましたが、新品入手後は予備パーツとして保管しています。当時のヤマハはDT1ととも美しいデザインでは他社を全く圧倒していました。本家のトライアンフも脱帽でしょう。出藍の誉れとはこのことでしょうが、何となく今の中国製品を思わないこともありません。始動性が悪く気難しい面があるトライアンフですが、日本車に与えた影響ははかり知れません。恐らく、その後のバイクのスタンダードになったオリジナリティは本当に素晴らしいとただ敬服します。このカタログが一番好きでした。X1-Bはこのカタログのように、フォークのゴムブーツが無くなったのと、タンクのストライプ下側に細いラインが加わっているのが大きな違いです。タペットカバーも再メッキ。フロントフェンダー、リアフェンダー、チェーンカバー、フォークカバーは再メッキしました。今はメッキ業者を探すのもひと苦労です。エンブレムもスルメのように反りかえっていたので純正新品に交換。バックミラーもYAMAHAマーク入りの新品に交換。エキゾーストパイプは純正が二重構造になっており、重厚なエキゾーストサウンドに貢献しているので、一旦一重構造のリプロ品に交換しましたが、再メッキして純正に戻しました。レプリカマフラーは純正より鉄板が薄いので、全体的にオリジナルより幾分軽い音がします。シートのベースがX-1の持病として非常に腐りやすいので、錆びている場合は中のウレタンスポンジが劣化して悲惨な状態になっていると思って下さい。参考にレストアした際の写真を添付します。入れ替えるスポンジは少し大きめにカットしておかないとシートカバーを張り替えた時にシワが出ますのでご注意下さい。YAMAHAのウレタンは欠陥商品だったと思います。同じころの他社の旧車と比較しても劣化がひどすぎて、シートに座っただけで黄色の粉がバッテリーの上に貯まるくらいです。片側スタンドでよく停車していた個体は雨水が貯まって左側のシートベースの腐りがかなりひどいのが通常です。
2024.04.21
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SL350を入手してから10年後くらい、今から15年ほど前になりますが、30年間京都の農家の納屋で眠っていた国内モデルのCL350を業者経由で入手し、フルレストアしました。友人が野武士のようなCL300に乗っていて、私も同じスクランブラーでスタイルはより現代的でスマートなグランプリブルーのCL250に憧れていました。そのため、このCL350を見つけた時は、体重の重い私には350がむしろピッタリですが、カラーはグランプリオレンジではなく、250のブルーにしたいと思いました。入手した段階からホコリはすごく錆はありましたが、息子さんが乗らなくなってそのままお蔵入りしていたため、オフロード車にありがちな腐りや欠品、タンク、フレーム、フェンダーなどの曲がりはなく、再メッキと再塗装、エンジンのOHがレストア作業のメインでした。再塗装は当初自分でウレタン塗料を調合して吹き付けましたが、気に入らず、結局いつもお世話になっていた浜松第一塗装にお願いしました。CL250のオリジナル塗装がに残ったヘッドランプケースとフォークカバーをまず、ヤフオクで入手し、そのパーツと当時カタログを基にリペイントしてもらいましたが、素晴らしい仕上がりで満足しています。SL350とは違って着座位置も低く、よりツーリング志向なので、内股のバイブレーションを感じながら楽しく走らせています。レストア完成後にCL、CBモデルの持病と言えるジェネレータートラブルに見舞われましたが、長年ホンダ一筋のガレージ21吹田店から程度のいい再生品をお譲りいただき、無事本調子を取り戻しました。当時のカタログを穴があくまで何度も見ていたものです。当時からこちらの250CC用グランプリブルーのほうが人気がありました。なぜか、工事の測量シーンの写真があります。まさか業務用に販売を考えていたわけでは・・・。当時、父兄、高等学校上げて盛り上がっていたバイク反対運動に配慮したのでしょうか。
2024.04.21
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HONDA SL350K0モデルは今から60年程前にまず輸出専用モデルとして発売され、国内販売店やユーザの強い要望があって、のちにウィンカーを付けてタイヤをブロックパターンからリブパターンのナローサイズにするなどの変更を加えて国内販売された当時としては何ともバタ臭く、非常に垢抜けしたカッコいいバイクでした。私も欲しかったのですが、学生の分際ではK1を買ってほしいと頼んでいたところだったので我慢するしかありませんでした。それから20年ほど経って、ディズニーのアナハイム本社に勤務した時に街を歩いていると何とあの憧れていたSL350が走っているではありませんか!キャンディーブルーでしたが、すぐに呼び止めて話を聞くとUCLAの学生でお金がないので、これをドミトリーの先輩から譲ってもらったが本当はスピードの出るロードバイクが欲しいとのことだったので、すぐに名刺を渡して後日交渉し譲ってもらいました。帰国に合わせて日本にコンテナ船便に混載してもらい、自宅でレストアを始めました。ただ、当時でも希少車種でしたので、ヤフオクやイーベイを通じてキャンディレッドの新品タンク、サイドカバー、フロントフェンダー、メーターなどを5年掛かりで集めながらの作業になりました。レストア完成後は継続車検を取って、時たま乗って昔を偲んでいます。当時のカタログでも輸出仕様のほうが断然カッコよかったです。これが国内版カタログ。国内向けモデル自体が太いキャラメルパターンのタイヤから細いリブパターンに変更されていることもあるでしょうが、折角のSL350の魅力が伝わらないない内容です。メインスタンドを付けなかっただけでもホンダとしては国内規制に対して頑張ったのかも知れませんが。ホンダの名誉のために言うと、当時、父兄と高等学校上げてのバイク排斥運動が盛り上がっていて、純真無垢な若者を刺激してはいけないという配慮があったと想像します。それでもこうやって、60年後の高校生の記憶に刻まれているわけですから、当時のインパクトの大きさが分かります。日本に里帰りした直後の姿です。シートのアンコも抜かれ、マフラーに穴が開きかけていましたが、雨の少ないカリフォルニアが幸いしてレストアベースとしては満点でした。エンジンのOHを終えて載せた状態です。
2024.04.16
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16歳から23歳までDT1、TS400、マッハⅢ、CB750K1に乗っていましたが、クルマに転向、その後38歳ころから青春時代のノスタルジーを感じて当時乗っていた、あるいは乗りたいと憧れていたバイクをレストアして楽しむようになりました。一時はCB750K0砂型、CB750K1、GT750B、XS-1B、XS650SP、W1SA、マッハⅢ、CL350、SL350、RT1、TS250Ⅱ、TS400Ⅰ、350TRビックホーン、ハーレーDWGチョッパーの15台を同時に所有していましたが、現在は体力、気力の衰えもありmバイクは上記のうち8台に減らしています。このZ1は30年程前にウエマツで買った3000番台モンタナ州のワンオーナー車です。元々W1SAを探していて何度もウエマツを訪問するうちに、たまたま入荷直後の姿を見て先代社長と直接交渉の上、買うことができました。30年程前でも無改造で3000番台の個体は希少でした。以来、ずっと個人保有し、車検を継続していますが、マイル表示のメーターは意味もそのままで16000マイルは実走行表示です。
2024.03.31
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K1は21歳で新車を乗っていましたが、クルマに乗るようになって手放してしまいました。その後、40歳ころからもう一度バイクに乗りたくなり、初めて買った旧車がK1だったわけです。ただ、細かいところまで覚えていて、オリジナルと異なるところが気になり、結局好きになれずにK0の砂型を買ってすぐに買ったショップに引き取ってもらいました。その後、探し続けていましたが、なかなか見つからず、旧車イベントで展示してあったK1をじっと見ていると、西日本旧車会の会長であるオーナーからお声がけいただき、色々お話しをさせていただきました。そのうち、「ツーリングが多いので楽なK3に乗りたいから貴方に譲る」と言ってくれて、気の変わらないうちにと翌週には福山まで取りに行き、横浜までノートラブルで帰ってきました。フレームが1115602でエンジン番号はCB750E-1116044で、国内向けです。元々綺麗でしたが、譲ってもらった2002年ころはK1の新品パーツがメーカーやヤフオクで提供されており、HM300マフラー、タンク、メーター、シートなど、新品を入手して交換してあります。新品に交換してあります。HM300の新品に交換してあります。K0砂型と・・HM300にK0無番用バッフルを入れているので、猛々しいエグゾーストサウンドを楽しめます。車検も問題なく通っています。オリジナル塗装の新品に交換しています。純正新品に交換してあります。K1になって初めてカラーバリエーションが記載されるようになりました。しかし、写真右下のようにキャンディグリーン、キャンディゴールド、ポリネシアンブルーメタリックの3色のみで、現在最も人気が高いキャンディレッドは記載されていません。
2024.03.31
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ホンダCB750K0 エバーグリーンの名車で今さらあれこれ申し上げることもないと思いますが、16歳で免許を取って、ヤマハの180CC CSEやDT1に乗っていましたが、あの猛々しいエキゾーストサウンドに魅了され、19歳でK1に乗りました。クルマを乗ると段々乗らなくなり、23歳で売ってしまいましたが、38歳ころにまた乗りたくなり、真っ先に買ってレストアを始めたのは当時と同じキャンディゴールドのK1でした。2台目に買ったのは逆輸入のキャンディレッドK0砂型で、35年程前でしたから西松自動車のフルレストア車ながら180万円ほどで買えました。以来、現在に至るまで大切に所有しています。中々砂型のオリジナルを見る機会も減ってきたので、主な特徴を列記して、関連写真を添付しておきます。実車を探している方、レストア中の方、デアゴスティーニやタミヤの模型を組み立てている方など、参考にしていただけると嬉しいです。こだわりの識別ポイント:へそキー/黒キル/初期1本引きキャブ/砂型ケース/キックHM/無番マフラー/梨地プロテクター/タンデムHM/初期型ゼロシート/赤スポ/出目金初期砂メーター/銀キャリ/丸リム/両カットフェンダー/シワタン/黒エンブレム/線なしモール/初期ウインカーステー/段付きフォーク/ゼロサス/砂ヘッド/デカハブ/ゼロハブ/T45丁/ショートチェーンケース/PATミラー当時の国内向けカタログ初版ですが、リアルタイムには行き付けのバイクショップでも品切れでもらえませんでした。40歳ころにヤフオクで入手したものです。全体的に大人向けでキャンディグリーンが基調になっているのが意外です。当時、父兄、高等学校を上げてバイク排斥運動が盛り上がっていたので、ナナハン自主規制がやっと解けて国内販売にこぎつけたホンダとしてはこれが限界だったのかも知れません。確かに血気盛んな若者にはキャンディレッドで黒の革ジャンレーサーがドライブしているようなカタログでは刺激が強すぎます。シートの後端が上向いたシートもナナハンの大きな魅力でしたが、K0発売後に案の定、やり玉に挙がってK1では大人しい普通のシート形状に変更され、それ以降、CB750は安全装備と称してメーター警告灯、大型フラッシャー、サイドリフレターなどが付加され、マフラーも消音化される歴史を辿ることになります。写真はツーリングに使っているレプリカシートで、純正オリジナルは後出の写真のように別途保管してあります。オリジナル純正無番マフラーです。国内向けカタログ第2版は多少スポーティーなイメージになりましたが、それでもキャンディレッドは一切掲載されておらず、カラーバリエーションの案内すらありません。非常に興味深いです。
2024.02.26
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16歳で免許を取り、初めて乗ったのがヤマハの180CCスポーツCSでした。実家が釣具の卸商をしており、社員さんが商品の配達にバイクを使っていたので、ホンダ神社仏閣モデルなどが大型バイクが常時7-8台ある中で育ったので、三つ子の魂、百までもの格言通りです。多感な青春時代に乗っていた、あるいは憧れていた旧車バイクを35歳ころからリターンライダーとして集めてはレストアするようになり、最高では15台保有していました。ホンダのCB750KO、K1、CL350K0、SL350KO、カワサキのZ1、W1SA、H1500SS、YAMAHAのDT1、RT1、XS-1B、XS650SP、スズキのハスラーTS400、TS250、ハーレーDWSチョッパーなどです。今はさすがに高齢のため。8台に絞っています。今後、詳しくご紹介しますので、お楽しみに。
2024.02.09
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