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民主党野田新代表誕生。代表選!野田代表の演説、ぐっとくるものありました。今後、民主党、足並み揃えてやっていけそうな期待を抱かせてくれます。今後の活躍を期待します。 しかしながら、震災復興、防衛、経済、財政、課題は山積しております。その中でも、今回はエネルギー政策について、考えをまとめたいと思います。1.「原子力発電に依存しない社会」について その政治スタイルにより批判されることが多かった菅首相が「再生エネルギー特別措置法」と「公債発行特例法」の成立を受けて退陣しましたが、「原子力に依存しない社会」を目指すという方向づけと、その代替として再生エネルギーを促進させるためのしくみ(法律)をつくったということで、その成果は大きい。 菅首相は、福島第一原子力発電所の災厄の際に、非常なる危機感を感じていたはずで、3月11日以降、原子力圧力容器が破裂、大量の放射性物質が大気中に拡散され、東京にもその惨禍の恐怖にさらされかもしれないという状況で、その影響の大きさを肌身で痛感したのだと思います。つまり、そうなった場合に、経済活動は麻痺して、日本株暴落、それにつづく世界経済の混迷へとおとしめる事態となり、日本のみならず、世界中がパニックとなる。それだけは避けなければならない。事故発生直後は、そういった危機と肉薄していたわけで、起こり得ない状況でもなかった。それが、国として取り得るリスクなのかどうかということを突きつけられたのです。 そして、その後に続く、放射性物質の拡散による影響の大きさ。避難区域設定により避難を余儀なくされた国民の多さ、土壌の汚染、水道水の汚染、農産物・水産物などの食の汚染、廃棄物の汚染、焼却灰の汚染、それに伴う調査と除染と関連する対策、国土の縮小。放射性物質の拡散に伴う経済的不利益、経費の増大、余計な支出がいかばかりか。少なくとも、国としては「公債発行特例法」からもわかるように、この災厄がなければ負う必要のなかった借金を負うことになりました。あと数年で国債が国民の貯蓄高をうわまわり、国債暴落が目に見えているにもかかわらずにです。 そうした経済的なリスクの観点からだけでも、菅首相が方向づけした「原子力発電に依存しない社会」が導き出されるのも自然な流れと考えられます。社会混乱ない体制維持が至上命題である国家が選ぶ最適解と考えてもおかしくはありません。2.原子力依存の現実 しかしながら、現実はそんなに劇的には変わらないでしょう。立ちはだかる壁が多過ぎます。今回の、自然エネルギーの全量固定価格買取制度により、若干、数は増えるかもしれないが、不安定な太陽光や風力発電は、現状の電力設備では現在原子力が担っているベース電源になりえません。自然エネルギーをベース電源として期待するならば、NAS電池等の蓄電池に電気を貯めて、必要な時に安定的に供給できる設備形成が必要になってきます。ところが、電力会社は、今回の福島原子力発電所の事故の対策費や補償費等で火の車。設備投資する資金はどこにもありません。しかも、その資金難は長期的に継続。原子力発電を停滞させ、火力発電所の稼働によっても収支が悪化。投資資金がないことにより、今後、十数年、新たな電力供給網の設備形成が停滞する気がしてなりません。それは誠に残念なことです。この設備投資がなければ、自然エネルギーの促進はないのも事実です。 今後は、まずは、数十年先を見越したロードマップ作成が必要になります。新技術・システムの導入や、新エネルギー設備の敷衍による原価低減で、劇的な展開もどうしても期待してしまいますが、現状の原子力依存の社会を変えるのは、並み大抵のことではありません。3.原子力発電を支える企業と労働者(1)電力会社の企業的性格とリスクの合意について そもそも原子力発電は、国策として政府が電力会社へ指示し、それを採用したことにより、電力会社が事業者となりました。事業者となったからには、原子力発電に投資し、利益を上げなければならない。原子力発電所を立地するためには地元の理解が得られる必要です。少しでも不安全ならば、住民は反応を示し、事業は進捗しない。潤沢な補償費用があったとしても、100%安全だといわなければ、すべての人が納得しない。そうすると100%、安全だといい続けるようになる。問題の原点は、そこにある。リスクを明確にしなかったわけです。そして一度いったことは、突き通さなければならない。 安全神話は電力会社内外で一貫して継承される。原子力推進に反対する者は当然のこと社員にはいません。社内教育も行き届き、安全は常識になる。当然、社員も原子力がよいものと心底考えているので、地域での原子力説明会、公聴会で、上司に出席して賛成発言をするようにといわれれば、世のため人のため会社のために、積極的に出席します。これが「やらせ」である。一個人を取れば、わるいという意識はない。それに、電力会社も、一旦、投資したからには、利益を最大限にあげなければならない。一般の企業と同じで、事業者が持つ当然の性格です。だから、原子力を止めようとする動きには協力はしません。出資する対象は選ばれる。当たり前のことです。例えば、パン会社が、自社製品のパンをわるくいうわけはありません。わるくいえば、パンは売れない、投資した工場も無駄になる。そんなことでは、社員も養えない。企業も存続しない。当たり前です。このパンは100%安全で、品質も良好です。そうでなければ、商品にならない。 自動車などリスクを伴うものでも、人は買う。なぜか。自動車は、事故を起こす可能性があるもので、万人が知っています。リスクを知った上で、自動車を購入し、さらにその対策として保険にも加入する。飛行機も同じである。メリットと同時に、リスクを知った上で乗っているのです。けれども、原子力については、立地契約を結ぶときにそのリスクをあやふやにしてきた。そして、もしもの事態の対策が想定されていない。まさか、原子力を受け入れることで、自分の土地や家まで奪われることまで考えていたわけではないのです。東北・関東地域のみならず日本国民が、食の安全に脅かされながら、生活することになるとは思ってもみないことです。そもそも、理想的に考えれば、リスクを提示した上で、立地するべきものです。まあ、それができるような状況でなかったのだから、今からいってもしょうがありません。今、現にあるんですから。 原子力の問題が、飛行機事故と違うのは、人道的な面でも、被害の大きさでもない。はじめにリスクを関係者間で合意していないからほかならない。ただ、その一点だけです。関係者というのは、立地する地域の方々だけでなく、電気を使用する人すべてです。(2)労働者の論理 職というものは、その人の考えを無意識のうちに縛ります。原子力供給産業の市場規模は約1兆5千億。それで食べている人は、直接雇用が6万人。間接雇用が8万人という数字があります。 原子力をやめようとした場合、その職についている労働者は、自らの職が失うことをみすみすわかっていながら、原子力を反対するはずはありません。このまま同じ状態で、安定的に仕事を続けたい。家のローンも残っている、子供も育ち盛り食べ盛り、また、学費も必要。頭の片隅でわかってはいるものの、それに目を瞑って、もしくは、人によっては、否定する議論を論破しようと、また自己の正当性を確立しようと、また、強固な理念を構築するなど、否定する方向には向かうはずはない。というか、向かわない。当然のことです。当たり前です。それだけ、プライドをもって仕事をしており、必死な思いをしており、または、夢を描いて、生半可な気持ちで取り組んでいるわけではないのです。 それを否定されるとなると、全身全霊をかけて、反論することになるのです。原子力を巡る対立は、国民の安全安心と、技術者の夢やプライド、そしてそれに関わる生活、さらにいえば経済との対立、といえます。しかし、ここまでの大事故となったからには、技術者も素直に反省し、その夢も別のものに置き換える必要がありそうです。ただ、当面は活躍の機会はあります。ゆっくりとした変化であれば、雇用についても、その問題も少なくなると考えます。 今回の事故で、本質が見えてきたような気がします。国というのは、ひとりの命より全体の利益を優先させ、あくまでも経済、治安などの体制維持を図ることを第一の価値観としていること。企業は、経済的合理性を第一の価値として追求すること。国民は憲法で保証されているとおり、健康で文化的な生活を求めていること。問題の解決は、それぞれの立場が抱える状況をよく考えないとなりません。 やたらめったな原子力反対運動については、賛成しません。硬直的な姿勢の原子力推進にも賛成しません。国として、減らす方向へ梶を切ったわけですから、賛成、反対の2元論を越えて、次世代のエネルギー体制をどうやって構築するか、国、電力会社、メーカー、地域が相互に意思疎通を取り議論することが、必要とされているのです。5.今後の展開 原子力発電所は、今現にあるもので、しかもその恩恵を享受しており、当面は電力の安定供給には欠かせないものだということを前提に議論を進めなくてはなりません。そして、3.11によりわが国における原子力発電所の絶対安全が崩れさったわけです。全国にある原子力発電所も絶対に安全だとは言い切れない状況にあります。(設計条件を上回ることがあれば、機能を損失する可能性があります。当然のことです。そこは強調して明言していく必要があります)そこで真に信頼を回復するためには、国民や地域住民にリスクや被害想定を開示することです。危機管理の一環として、そのもしもに備えることが必要かと思います。これこそ国家として誠実な姿だと思います。 電力会社は実直な会社です。ひとたび国としての方針が決まるものなら、出来る範囲内で、新エネルギーを受容する設備形成や、今ある原子力発電所の被害想定の開示を徹頭徹尾、検討するでしょう。変化はゆっくりでしょうが、確実に進むと思います。 最後に、ここまで世界的に原子力発電所が広がってきた背景に、Co2削減の動きがあります。その中で原子力は削減効果が高く、Co2を大幅削減するための効果的な手段とする向きがあったわけです。そこで無制限に、原子力を採用する展開となり、全世界で計画が立てられたのです。CO2削減至上主義により原子力発電所が、たがが外れたように拡ったのです。 当然、今後のCO2削減の努力義務や、目標は原子力を減らす方向であれば、違ったものになってきますので、日本は目標を無効として、また、新たな対策や目標値が必要となってきます。 今回の「原子力発電に依存しない社会」は、日本の社会構造の大転換になるものです。様々な所に影響がでてきますので、丁寧に時間をかけて、合意点を見出していかなければならない非常に忍耐のいる作業になってくると思います。大きな一歩です。野田新首相の今後へ向けての盤石な基礎づくりを期待したいと思います。
2011年08月29日
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本日8月27日から映画公開の「神様のカルテ」!!本を読んでみました^^主人公の明治風の独特な語り口と、確信犯的な変人ぶりが、なんともユニークでおもしろい。 また、高度医療よりも、野戦病院を彷彿とさせる地域医療に携わり、患者と共にいる方が、生き方として自分にあっているという、迷いのない確信に基づく主人公の行動は、懐の深さと余裕を漂わせ、読む者に安心感と心地よさを残し、読み終わったあとは、 爽やかな気持ちにさせてくれる。 とんとんと読み進めて、ユーモアがあって好感がもてる作品でした。 「病むというのは、とても孤独なことなのだ」 医者というのは、病気を治すのも大きな役目ですが、 看取るというのもひとつの大きな役目なのだと、 あらためて考えさせられました。映画になると、どんなかんじになるのかなぁ? 興味ありますね!【送料無料】神様のカルテ価格:1,260円(税込、送料別)
2011年08月27日
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門倉多仁亜さんは、ドイツのライフスタイルを紹介するお仕事をされていて、関連する著書を多く出されております。この8月に出版されたのが、「ドイツ式暮らしがシンプルになる習慣」です。自分のペースにあった生活をどうやればできるのかという視点から、書かれていると思います。あとがきから抜粋します。「わたしは日本に生まれましたが、母がドイツ人なので家の中はドイツ流。家の中と外では常識が違いました。また、父の仕事の都合で子どものころは数年おきに暮らす国が違ったため、そのたびに常識も変わりました。そして、父は仏教、母はクリスチャン、結婚式した夫の家族は神道。とにかく多様な価値観に囲まれて生きてきました。 新しい国や環境に入っていくことは心細いし、たいへんです。でもそこに身を置き、ほかの人がどう振る舞っているかを観察し、考え方を教えてもらいます。なぜ? どうして? と思うこともたくさんあります。常識はひとつではないことも身にしみて感じてきました」価値観や常識について考える機会の多かった、たにあさんからは、学ぶべきところが多いのではないでしょうか。【送料無料選択可!】ドイツ式暮らしがシンプルになる習慣 (単行本・ムック) / 門倉多仁亜/著価格:1,365円(税込、送料別)そして、さらに嬉しいことに、たにあさんから「空の記憶」の感想を頂きました。「想像力豊かなストーリーで、悲しい物語なのですが、最後はしょうがないとなっとくさせられるというか。。。とっても仲の良い夫婦だったのですね。その思いはひしひしと伝わってきます。きっと大事な人を亡くされた多くの方に勇気を与える小説でしょう」ありがとうございました。
2011年08月19日
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津波の被害を受けた七ヶ浜の惨状を目の当たりにして、その圧倒的な物理的な破壊に、当惑したものの、そこに住んでいた人々の今の状況や心境に、思いを巡らすことはしなかった気がします。津波に襲われて亡くなられた方々も多数。命かがら逃げて、現在は避難所生活をされている方、親戚の家に身を寄せている方、仮設住居に入られている方、様々な状況で不自由な生活を強いられている方がたくさんいらっしゃると思います。だけれども、その現場に立ったとき、そのようなことを思い巡らすことはなかった。想像力の絶対的な欠如?私は、2年半前妻を失ったそのときから、地獄のような苦しみに直面しました。だから、同じような境遇の方を見ると、ほんとうに心配になる。このひと、ほんとうに大丈夫だろうか?ちゃんと、前を向いて歩いていけているのであろうか?旦那さんがいなくなって、もしくは、奥さんが亡くなられて、気がおかしくなってないだろうか?それは自分の身におきたことなので、容易に想像ができる。自分の経験を通して、他人の痛みを知ることができる。自分は、妻を亡くすまで、精神的な強いほうだと思っていたし、まさか、自分が、心が砕けてどうしようもない状況になるとは考えてもいませんでした。ところがです。体をばっさりと半分に斬られたような状況に陥り、立てない。見えない。聞こえない。自分はここにはいないような感覚。要するに、人の痛みは、自分が経験しないと分からないものなのです。旦那さんを亡くされて、長期にわたって悲嘆にくれている人に対して、「自分が、悲劇のヒロインになってると思ってんじゃないの?」という、心無いことをいう人もいるでしょう。それは、経験したことがなく、わからないからこそ、そういう発言をするのです。経験者と未経験者の断絶は、どこでもありうることだと思います。通常の人から見ると、信じられないような精神状態になるのです。ただ、人は、多かれ少なかれ、いろいろな経験をしているものですし、その経験を通して、他人の痛みを少しは想像することができると思います。景色ががらっと変われば、そこでの思い出自体が壊される感じがすることは、自分でも経験したことがあるし、今回の場合でも、同様だと想像がつきます。痛みすべてをわかるものではないけれども、ほんの少しは共感することはできる。ほんの少しでも共感してもらえれば、苦しい立場に立たされた人は、それだけで、気持ちも軽くなる。そして、そのような苦境に陥っているときの助けが、いかに嬉しいものか。涙がでるほど、ありがたいものなのか、私たちは自らの経験から知っていると思います。だから、私たちが被災地でできることは、被災地で話を聞き、やってほしいと言われることを助けることだと思います。それは、すでに、現地に入られているボランティアの方々が実際に行っています。地域に密着し、ニーズを聞き、それを助ける。その積み重ねが大きな力になっていると思います。今回、ボランティアへ行って強く思ったのは、被災地と共にいる、ということが大事だということです。そんなこといっても、私も今回初めてボランティアへ行っただけで、また、自分も全然できていないので、偉そうなことは言えませんが、自分から歩みよっていく姿勢が求められている気がします。募金も、結局は、カリタスジャパンのような活動の資金となって、ボランティアへ来た人の食事や、作業道具購入の資金になっています。現地へ行くと、そういったことも、目に見えてわかるので、実際に参加することは、ほんとうによいことだと思いました。ちょっと、しつこくなりますが、個人の少しの共感と、少しの歩み寄りと、少しの行動があれば、大きな力になる。身に染みて感じます。
2011年08月08日
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今日は、るーぷる仙台で、仙台城跡までいってきました。仙台城跡の前に、仙台歴史博物館にもいってきました。伊達政宗から始まる歴史や、もっと昔の時代のことから、詳細に仙台の歴史を展示。ここへくれば、仙台の歴史がわかります。政宗像『海国兵談』を書いて発禁処分を下された林子平東北大学に通っていた「魯迅」慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマ市民の貴族に列せられた支倉常長(はせくらつねなが)仙台城城壁 今回の震災で別の場所では、城壁が崩落している箇所もあった。伊達政宗騎馬像仙台市内の眺め土井晩翠 仙台生まれ。「荒城の月」を作詞。作曲は滝廉太郎。昭忠塔説明:この塔は、明治4年日本の護りとして仙台に、のちの陸軍第二師団が設置されてより、西南の役(明治10年)、京城事変(明治17年)、日清戦争(明治27,28年)等の間、日本の内外の戦いで、東北各地の将兵が多く戦死しました。これらの人々が日本の独立と平和のために戦った志と、その死を悼み、慰霊のために知事、市長、第二師団長等が発起人となり、広く募金により明治35年11月に竣工しました。今回の震災で、搭状部分が崩落ずんだシェイクずんだシェイクに、ずんだもち、ずんだプリンに、ずんだロール。ずんだ各種商品が、仙台にはありますね。ずんだとはえんどう豆のこと。「ずんだ茶寮」のものが美味しいです!帰りも、仙台市内巡回バス「るーぷる仙台」で仙台駅まで、もどりました。運転手さんが、観光案内をしながら、市内を廻るのですが、「キクチ」運転手の案内は、ユーモアに溢れ、おもしろすぎ! でした。 仙台七夕祭り
2011年08月05日
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仙台で、ひとつだけ見ておきたい建築があったので、見に行きました。伊藤豊雄設計のせんだいメディアテークです。伊藤豊雄氏は台湾でも設計を数多くしています。・台中メトロポリタンオペラハウス2005・高雄ワールドゲームスメインスタジアムス2006-09・台湾大学社会科学部棟2012竣工予定・台北POPミュージックセンターコンペティション応募案2010・松山煙草工場跡地文化園区BOT計画1階エントランス図書館内設備関係「みんなの家」アイディアスケッチ展 【1階エントランス横に展示~8/18】(「みんなの家」は建築家、伊藤豊雄氏の発案により始まったプロジェクト)-「みんなの家」の3つの役割-・被災地の仮設住宅等で暮らす人々が集まって語り合うことのできるコミュニティースペース・家を失った人々が記憶の中で共有しうるイメージの家・人々の心が和らげ生きる希望を与えることのできる生命力に満ちた家順不同で紹介します。中山雄一氏、田村大地氏、丸子勇人氏小川千陽氏 DOG HOTEL いいですね^^隈研吾氏難波和彦氏著名な方の作品もあり、驚きました。台湾、スペインからの作品もあります。仮設住宅は、一時的なものとはいえ、ある一定期間は人が住まい場所になるわけですから、人と人がかかわりを持てるような場所とするよう工夫が必要です。塩釜ベースでも、関連する話を聞きました。避難所は、ついたてのような仕切りがあるだけで、隣の人の様子はすぐにでもわかるのだけれども、仮設住宅は、完全に人と人を仕切ってしまうので、完全に孤立する人がでてくるから、あり方について、非常に考えなければならないものだと。これは、阪神淡路大震災の際にも、さかんに議論されたことでもあると思います。その後、石巻へ行ってみようと高速バスに乗りましたが、よく確かめずにいったせいか、石巻イーオンには停車するけれども、石巻駅には止まらないバスに乗ってしまい、石巻イーオンで、途方にくれました。通常、三陸海岸方面へはJR仙石線を利用します。震災後は、塩釜であれば、電車でいけますが、もう少し先まで行こうとすると、電車がいまだに寸断されているため、高速バス利用になります・ちなみに、松島は、湾内に浮かぶ桂島を含む200を超える島々が、防波堤の役割を果たし、被害は他に比較すると少なかったと聞きました。石巻イーオンから海の方面へ歩こうかと思いましたが、昨日の草刈の疲れで、移動する気力もなく、イーオン内にある映画館で、「コクリコ坂」を鑑賞してしまいました。気のみきのまま流されて、映画鑑賞をしたわけです。見てよかった。「コクリコ坂」僕の中で、記憶に残る映画となることでしょう。イーオンの中では、震災応援コンサートのようなものや、応援メッセージカード等が貼られいたりしました。なにげなく、みなさんふつうに買い物をされていますが、そういうものを見ると、抑えられた悲しみや鬱屈したものを感じてしまいます。仙台市内でも、「がんばろう仙台」や「がんばろう東北」の横断幕が至る所に貼られています。いつもどおりであり続けようとする町の姿と、目に見えない隠された人々の心うちが、重ねあわされ、複雑な心境になる自分に、はっと気づくときがあります。復興に少しでも寄り添いたい気持ちになります。夜は、仙台の牛タン、食しました。肉厚で美味しい!
2011年08月04日
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ボランティア2日目の作業は、桂島の公園の草刈でした。桂島は、震災後2ヶ月間は放置され、復旧が遅れているところのようです。もうひとつの班は、損壊宅の1階床剥しと、床下にたまったヘドロかきです。私は草刈がちょうどよいと思います。でも、一日すると重労働。最近はジムで鍛えているんだけど、長時間となると厳しいようです。フェリーで桂島へ渡ります。かもめに餌をやってます。桂島の港から現地へ移動中。トイレが傾いてます。海岸線も殺伐としています。漂着物や残骸で散らかっています。目的地の公園へ向かっている途中に、ひとりの男性と出会いました。「定年退職をしたところなのに、この震災で、また職場に戻されました。私は港湾の技術者で、いまは、港の被害調査を行っているところです。私の親戚は、ほどんと家もなにもかもなくなってしまったけど、幸運にも誰一人なくなった人がいなかったんですよ。でも、みんな明るいんですよ。みんなの中で、ひとり被害にあったとかであれば、そのひとは落ち込むと思うんですが、みんながみんな、被害にあっているから、そうならないみたいなんだよね。こんな明るくていいのかと思うんだけども」と明るく語って頂きました。こちらを気遣っての発言か、気が張っているためにそのような状態なのかわかりませんが、大変な状況であることは、間違いないと思います。家屋が倒壊しています。目的地の公園です。ラッコ漁で一儲けをした人の家の跡地。休んでばかりいたわけではありません。^^この日は、みなさんが刈った草を捨て場まで運搬する役をメインにしましたが、大人数いたので、草取りがはかどり、捨てる草が出る一方で、運搬はひっきりなしに行う状況でした。終わったときには、草はきれいにむしりとられいました。帰ってきました。ベースは、ボランティアで入れ替わり立ち替わり、人で溢れかえっています。ケニア、メキシコ、ペルー等外国からこられる方もおり、また、日本においても、長崎、鹿児島、広島、京都、東京、仙台等々様々で、その職性も多様で、高校生、大学生、神父、シスター、社長、会社員、主婦、先生などです。こんなにも多様な集団が、ひとつの作業を協力して行うことは、稀有なことだと思います。あと、ボランティアをして感じられたのは、非常に地域の方に受け入れられ、感謝されていることでした。桂島へ行ったときも、島の方々に歓待されていましたし、ベース近くのコンビニには、ボランティアの方々、ありがとうございます!という横断幕も張られてはりました。震災当初においては、社協から、仙台のボラセンを通して作業の要請があったようですが、現在では、地域から直接、ベースに協力要請があるとのことで、地域に密着し、ニーズを的確に汲み取り、そして成果を挙げることにより、信頼を得ているものと思います。それも、ボランティアのひとりひとりもそうですが、継続して運営されているスタッフの働きがあってこその結果だということを強く感じました。
2011年08月03日
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朝7時起床&昼食のおにぎりづくり7時30分 朝食8時30分頃 現地へ出発!!ということで、8月2日は、ベース近くの公園の草刈でした。草刈? と思われるかもしれませんが、公園は港からそう遠くない場所にあり、あたり一帯は、津波をかぶったところです。被害は、一見すると思ったよりも大きくないように思われましたが、建物一部損壊や、道路に亀裂があり、住めるような状況ではありません。一帯は3mほど津波につかり、へどろの臭いが微妙にしています。生臭いような、魚の腐ったような、鼻につく匂い。公園の草刈などの維持管理は、本来、行政で行うものですが、そのほかの復旧作業等で、手が廻らず、公園は夏になって草が伸び放題の状態。そこで、要請があって、ボランティアで実施することになったとのことです。草刈は、朝9時から始まって、夕方4時まで、途中、休憩を挟みながら行いました。初日の私は、少し張り切りすぎてしまい、午後には、疲労感漲り、夕方には眠くなるという事態になっておりました。ペース配分には、気をつけなければなりません。腰の丈ほどある草を、はじめは鍬でなぎ倒し、次は鎌でこぎれいにしていく。どこかの荒地を開拓していくような気分です。そして、一度、やりはじめると、中毒性がある。狂ったようにやり続けてしまう。草取りに、夢中になってしまうわけですね。おもしろいことに。そして、終わるころには、心地よい疲労感におそわれる。公園内に漠然と水溜りがあるなと思って見ていましたが、実際は、津波をかぶって、海水が残り水たまりになったものでした。近くに寄ってみると小さな虫が異常発生しており、早くなくしたほうがよさそうです。公園内のトイレが傾いています。塩釜地区は、本震よりも4月の余震のときのほうが被害が大きかったと聞きました。1階部分が、大きく損壊している建物が多く見られます。草刈作業が終わり、ベースへ帰ってきてから、ワンボックスカーで、七ヶ浜へ連れて行って頂きました。目を覆いたくなるような状況です。港です。車もそのままの状態となっています。畑には漂着物が散乱しています。海岸線にはコンテナが流れ着いています。まだ、この状況をどう捉えるか、自分の中で整理できていません。じっくり考えて見ます。夕食の準備風景です。夕食は6時からで、その後、その日一日の感想を述べ合う分かち合いを行い、シャワー等順番に入り、夜10時には消灯です。
2011年08月02日
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震災ボランティアに参加するため仙台へ行って参りました。仙台ボランティアセンターに到着すると、ボランティア現況等の説明を受けました。カリタスジャパンは「釜石ベース」「石巻ベース」「塩釜ベース」があり、それぞれの地域の必要に応じた活動が展開されています。説明によると、「釜石ベース」では、散乱したアルバムを整理する作業などやられているそうで、私が行くことになっている「塩釜ベース」では、離島での作業と聞かされました。離島は、震災後2ヶ月間なんの手も加えられなかったところで、復興が遅れている地域とのことでした。離島での作業となることは、ここではじめて聞かされました。現地は刻一刻と状況は変わり、動いていくものなんだなと、あらためて感じさせられた次第でした。塩釜ベースに到着です。塩釜教会がベースになっています。到着すると、ひとりの男性と小河原さん、シスターが出迎えてくれました。作業組は、まだ帰ってきていません。小河原さんは、塩釜ベースで長期滞在をされている女性で、料理の準備やボランティアに来た人のお世話をされており、今日で一端、ボランティアをやめて、2,3週間後にまだ、再度、戻る予定にされているとのことでした。その小河原さんに「妻をなくして、いま、本を書いている」ということを話すと、小河原さんも、「私も実は、本を出してまして。。。」という展開となり、ご著書を紹介していただきました。また、小河原さんも、19歳のご子息を亡くされた過去があることも知らされました。タイトルは「サンティアゴ巡礼道800km 世界遺産の道 シニア主婦 スペンひとり歩き」でした。なんというタイミングだろう、と驚きました。というのは、私のいとこが、ちょうど1年後にスペインでスペイン人男性と国際結婚をするという話を、数日前に知らされたばかりだったからです。これは、この本を読んで勉強しろってことだと勝手に考えていました。なにかの働きを感じないわけにはいきません。小河原さんと私の本を物々交換させていたできました。その後、ボランティアから帰って、「スペインひとり歩き」を読みました。スペイン、フランス、アメリカ、韓国、日本から来た巡礼者同士の交流が、仔細に渡り描かれており、スペインひとり歩き、といっても、ひとり歩きではないな、と思わせるような、豊かな人と人のつながりがある旅に感じました。なにか困ったときがあるときには、国籍関わらず必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれる、それを「神様からの今日のプレゼントはこれ!」と表現されているのが、非常に印象的でした。「スペインひとり歩き」を紹介しているブログ到着当日は、作業はなにもしなかったのですが、夕食も頂き、寝る場所も提供して頂き、至れりつくせりのボランティアベースでした。
2011年08月01日
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