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今日は、柏商工会議所で、知的PLUS主催の、メディア界で注目されている津田大介氏の講演会「震災とソーシャルメディア」に行ってきました。 津田氏は、震災後10回以上現地へ取材、または現地での支援活動を行い、その体験、経験を通して、今のソーシャルメディアの実態を把握、整理して語り、非常に説得性ある話を展開されていました。少し長くなりましたが、感想を書いてみました。1・講演趣旨 ソーシャルネットワークは、世界的には中東革命のきっかけとなり、また、日本においては、震災時、震災後の情報共有や支援を促進させる手段として有意義に利用され、利用者が増大している。「動員の革命」とも言うべき、ソーシャルネットワークの「行動へ向けてのきっかけ」という大きな特徴が最大限、今、生かされ、さらに洗練されようとしている。そうしたソーシャルネットワークはすでに社会的なインフラであり、そこから形成されるネット世論は、ますます無視できないものになっている。既存のマスメディとは必ずしも対立するものではなく、融合していくものでもある。簡単に要旨を説明することこのようになると思います。2.感想 今日の議論は、震災で活用されたのは、フェイスブックやミクシーよりもツイッターが有用で、主にツイッターについて言及していたように感じたので、ツイッターについての感想を絡めて講習の感想を書いてみたいと思います。 フォローの数を多くすれば、無制限に無秩序に意見や感情や思考が止めどもなく流れているような印象を受けます。目的なく見ていればそうなります。社会全体をひとりの人間と考えれば、その人間の無意識の流れを見ているような気さえします。 方向感なく、目的なく、どこにも行かないような埋もれている言葉の群れ。それが顕在化されて、形となって流れている。無意識の「見える化」といっていいかもしれない。その社会的な無意識の意識が強くなると、つまりその意識の数が多くなると、全体的な意思として認識され、行動へ結びつく。それが「動員の革命」というものなのかと思えます。 ひとりの人間で考えてみると、行動にまでたどり着かない考えや思考というものがあります。頭の中にあるほとんどがそうです。それらは何を欲しているのか。「共感」や「つながっている感」でしょうか。無目的に呟くことも多いと思います。誰かの反応が、何かほしい。誰かに構って欲しい。意見を聞きたい。わかって欲しい。誰にもそういう感情はあります。 それと、特に反応がなくても書き続けていたいという人もいるでしょう。それは、おそらく書くことによって、思考を整理しているのでしょう。私のブログがそうです。別にレスポンスがなくても、自分の考えを整理したくて書いています。また自分の思考の方向性を確かめたくて書いています。 つまり、ツイッターでは「動員の革命」もできるし「共感の連鎖」も可能であるし、「何らかの確認作業」もでき、いろいろな目的で使えます。けれども、やっぱり、今日の話を聞いて、一番の特徴は「動員の革命」なのではないかと思います。「共感の連鎖」も「何らかの確認作業」も、ツイッターよりも閉鎖性の強いフェイスブックやミクシー、その他のブログでも可能ですが、ツイッターのリアルタイム性により、情報拡散の速さは、並みではありません。それにより、共感の膨らみ方が比ではなくなります。 震災前に、一応、ツイッター登録をして、見ることはできるようにしていましたが、呟いてませんでした。別に呟くこともないし、呟いたところで、どうなることでもない。それよりも、その時は会社の仕事もあって、それに興味を持っているどころではありませんでした。 震災後は、私の住む柏も放射線のホットスポットとなってしまい、関連する情報に飢えていました。はっきりいって、放射線に関する情報は、すべてツイッターで得ていました。新聞や、テレビは、詳細は報道しません。しても、十分な内容ではありません。放射線の影響についての専門家の意見や、近辺の放射線量の情報をツイッターから得ていました。私自身、それで行動までいったかというとそうではありませんが、必要な情報源になったことは確かです。市内では、お子さんを持つ母親が連帯して、市に陳情するという行動を起こすということも実際の動きとしてありました。 何が言いたいかと言うと、少し飛躍しますが、ツイッターは、国民の意思を決定するためのひとつのツールとして活用可能なのではないかなということです。必要な情報についても、ダイレクトに専門家から複数の情報提供を受けることができ、かつ、選択することができる。そして自分と同じ考え方を人を見つけることができます。 例えば、これから増税の議論がなされると思いますが、専門に勉強した人でなければ細かすぎて難しい議論で理解しがたい問題かもしれません。それらも、ツイッター上で相互に意見を情報共有することも可能なのではないかと思えてきます。 今は、思いつきで、単純化して考えてます。情報格差の問題もあり、すぐには実現はできないことでしょう。けど、なにかムーブメント的なものはありうるのかなと、今日の話を聞いて、漠然と考えてしまいます。民主主義を深化させる上で、今後の日本に必要なことかもしれません。これは、あくまでも感想の域をでませんが、極論すると、議論はそこまで行き着くのかなと思います。 で、私事に戻りますと、いまいちツイッターを使いこなせてないようです。ツイッターというのは、あくまでも公の場であって、簡単に呟けないなという意識が働きます。自分の殻を打ち破れてないのでしょうか??? 私の周辺のリアル世界の友人でやっている人は、実はあまりいません。会社勤めだと、社内情報を呟いてしまうリスクもあります。そういう意味では、フリーや個人事業、学生は気兼ねなくできるかもしれません。 あと、自分自身、性格上、人にはきっちりと整理したものを出したいという意識があるので、完成形を求めずプロセスを表面化させるツイッターは、ちょっと、肌に合わない気もしています。 そんなに呟くこともないし、なにか行動を起こそうというわけでもないのですが、ただ、色々な人の意見を知ることができるという意味で、非常に有用なものだと思います。 まあ、なんだかんだいわず、使いたい時に使えばいいのだと思います。答えは後からやってくるのかななんて考えています。(参考)・ソーシャルメディア上の影響力をはかる指標として、KLOUT (説明)がある。
2011年09月25日
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名著です。躊躇なく、おすすめします。実は、この本と出会ったのは、2年ほど前でした。柏の新星堂の精神世界のコーナーに、この本があったのを手にとって読んでみました。そうすると、読むページのどこを読んでも、涙が出てきて、とんでもない本だと思って、すぐに本棚に返したのです。その当時、妻がなくなって半年たったくらいでしたので、なにか、支えになる本はと思い、探しているときでした。いったん、本棚に返したのものの、やはり、気になる。また、手にとって読もうとするが、殺人的に涙があふれそうになる。その後も、時期がきたら、購入して持ち帰り、家で熟読しようと、思いはしていましたが、一向に、そんな時期は来ませんでした。そして、本を書くようになって、ようやく心の整理も付き始めた昨今、それでは、図書館で借りてみようと思ったのです。我孫子の手賀沼湖畔にある図書館で探すと、ありました。ありましたが、一度見たきり。ずっと貸出中でしたので、しびれをきらした私は、結局、ネットで購入してしまいました。やっと、しっかり読めました。私もずいぶん心の整理がついてきたのかなと思うと同時に、やはり、この本の、すごさに感動しました。喪失体験における、おちいりやすい感情のパタン、事象など豊富に紹介、分析して、悲しみ抜くことの重要性を説いている。著者は悲嘆にプロセスに「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」この5段階のプロセスがあるという。この5つの要素は、順に起こるものでもあるし、同時に起こるものでもあるし、再び、突然、めまぐるしく現れるものでもある。こういった分類は、自分を客体化し、心を整理させる方向へ向かわせるのに役立つものと思う。「その強烈さは、人間が通常感じる感情の幅の限界を超えている。喪失という力のまえでは、人間の防衛力など、ものの数ではない」「悲嘆の苦しみにどう対処していいか知らないわれわれは、自分が回避しようとしているものが喪失による苦痛であることに気づかず、悲嘆そのものを回避してしまう。苦しみにいくら回避しようとしても、回避しきれない。しかし、悲嘆を回避することによって、悲嘆に秘められた癒す力に背をむけてしまい、その結果、苦しみの期間をながびかせてしまうのだ」「われわれのほとんどが、喪失や悲嘆の教養が身につかないままでいる」「人は永久に悲しみつづける。それが現実である。愛する人の喪失に「打ち勝つ」のではない。喪失とともに生きることを学ぶのだ。こころの傷は癒え、苦しんできた喪失の記憶のまわりに、新しい自己を再建するのだ」そのとおりだと思う。焼け野原に、新たななにかをつくるのである。それが、治癒であり、回復であると思う。ちょっと、タイトルがショッキングですが、必要としている人にとって、十分に内容の伴うものだと思います。そして、今、泣いている人は、自分なりの悲嘆の方法を見つけることです。大事なのは、隠しちゃいけないことです。出すことです。【送料無料】永遠の別れ価格:1,800円(税込、送料別)
2011年09月16日
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今年5月出版された拙著「空の記憶」の電子書籍が、9/15に発刊されました。本を買われた方も、併せて電子版もご利用いただけます。購入していただければ、すごく励みになります!!電子書籍 空の記憶 池田真哉著 文芸社 出版から約4ヶ月半。多くの方々から感想、ご意見頂きました。物事を見る角度や視点というのものが、人によって、これほどまでに違っているのかということを、すごく思いました。 また、読手の置かれた状況、立場によっても違ってきます。年代にもよりますが、独身の方、結婚して子供がいる方、いない方。成長して独立した子供を持つ年配の方。大切な方を失った方。また、あちらのことを考える機会の多くなる高齢者の方。それぞれの角度から、お読みになられていると思います。 それから、本のどの部分に注目するかも違っています。「天上の国」の部分はいらないから、前半部分をもっと掘り下げて知りたいということもいれば、「天上の国」の後半部分がとてもいい、という方もいます。人によって興味関心は様々です。 テーマは喪失です。避けたい人もいるでしょうが、長い人生、誰もが、どこかの時点で一度は遭遇、体験するできごとです。そこから生まれる世界は、やはり、普遍的なものであると思います。この本を読んで、不思議な感覚になるということをよくいわれます。 あと、私の発する周波数と、受け手の周波数があっていると、その受け手の方は、ひどく感銘を受けていただいています。そういうものなのでしょう。ちょっと、変な言い方ですが。。。そういう人は、わかる人はわかると思うけど、わからない人はわからないだろうな、とおっしゃいます。当たり前のことですが、そういう声もよく聞きます。 小説を書くときに、よくターゲットを考えて、読み手を考えて書きなさいといますが、今回の場合、特に意識せず、自分が表現したいことをだけを考えて書きましたが、結果からすると、ターゲットは、既婚者や、高齢者、喪失体験のある方になるのでしょうか。また、すっごく感性の鋭い方。 私としては、多くの方に読んでいただきたいのですが、あえて言うなら、そういうことになると思います。
2011年09月15日
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