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雨が降る朝空に染み込んだ水分が大地へと帰っていく朝、大いなる循環。ちょっと遠出をする朝、濡れた傘を持って電車に乗るのはお荷物だけどね。体だって、人生のお荷物にして大事な道具・乗り物なんだから傘だっておんなじだね。すべては、循環の道具その時々に必要なもの・・ 「捨し身を いかにと問はば 久方の 雨降らば降れ 風吹かば吹け」 良寛行ってきます(*^_^*)
2009/01/30
沖ヨガでは、命、命の働きを神であると考えます。自分の中の命、宇宙=時空全体の働きがそれぞれの個体で働き私たちを生かしてくれてます。”生命即神”の教えです。個体の私、僕、自分、俺、そんな区分は便宜上の宇宙の働きの分化であり、大いなる神(宇宙)と個体は実は同じものなのです。沖ヨガと言いましたが、これはインド哲学を母体としたヨーガ共通の教えです。それを自分と社会との接点において活用する訓練の誓いが、「作業行法の誓い」でみずからの中でバランスえとる訓練の誓いが、「矯正行法の誓い」です。作業行法の誓いいのちの働きは、動きと休みのバランスであることを、知らさせていただきました。正しく動き正しく休むことが、いのちの働きに忠実であること、自分を愛することであることを、自覚いたしました。私たちの正しい生き方は、ご恩返しの生き方をすることであることを、気づかさせていただきました。ヨガは体験を通じて真理を学ぶ哲学です。私たちは社会奉仕できる自分を造るために、意識的にあらゆる体験をさせていただきます。作業訓練を通じて楽しく働けるコツ、他に奉仕させていただけることを喜べる心を養わさせていただきます。矯正行法の誓いいのちの働きは、バランス維持の働きであります。誤った生活をすると、悪い癖が身について、いのちの働きの邪魔をします。ただ今から私は、身につけている悪い癖をのぞく行法を行なわさせていただきます。
2009/01/29
仁王をご存知ですか?お寺の門の左右に厳(いかめ)しい姿で立っている一対の守り神です。金剛力士とも、執金剛神とも呼ばれますが、一般に”仁王(におう)”と言う事が多いと思います。寺に魔物や、不届きな人物が入ってこないように入り口を守る仏教守護神=門番であります。対の仁王は、片方が口を開け気合を発する”阿形(あぎょう)”。もう片方は口を閉じ”気合を込める”吽形(うんぎょう)”の2体からなります。これは日本神道、神社の狛犬もそうですね。阿吽とは三省堂 「大辞林」によるとあ-うん [0] 【阿吽・阿□】〔梵 a-h um の音訳。「阿」は悉曇(シツタン)字母の最初の音で開口音,「吽」は最後の音で閉口音〕(1)密教で,宇宙の初めと究極。万物の根元と,宇宙が最終的に具現する智徳。悟りを求める菩提心と,到達する涅槃(ネハン)。(2)寺院の山門の左右にある仁王や狛犬(コマイヌ)の相。一方は口を開き,一方は口を閉じる。(3)吐く息と吸う息。呼吸。阿吽の呼吸。(4)対立する二つのもの。あうん-の-こきゅう -コキフ [0] 【阿吽の呼吸】(1)「阿吽{(3)}」に同じ。(2)二人以上で一つの事をするときに気持ちの一致する,微妙なタイミング。ということだそうです。上の文章ではa-fum ア・フームというマントラとして解説されていますが、ヨガでも有名な根元のマントラ、”オーム”を二分解したものという解釈もあります。仁王は阿吽を誰に向かい発しているのでしょう?門を通るものに対し、その阿吽の氣が当たるように設定され配置されているそうです。門を通るのがあなたなら、あなたが寺の入り口のある場所を通過するときあなたに阿吽の氣の焦点が当たるように置かれているのです。そして仁王も、裸の上半身に巻かれた帯状の天衣がある一点からの風圧を受け、はためくような形に作られています。その風は、どこから吹いてくるのでしょう?それは阿吽の発声の氣が当たる焦点からだそうです。あなたがその焦点にいるなら、あなたの道を求める真摯な心、それが仁王からの阿吽を受けて、気合の風となって仁王の天衣をはためかせているのです。その門を通るとき、氣のスポットライトが仁王とあなたの間にあたるのです。神社仏閣には、こういうステージが隠されているのです。こういうことを感じる感性を磨いていきたいと思います。
2009/01/16
このシリーズも久しぶりです。ちょうど冬になり、電車内は咳、くしゃみをしている人が多く深呼吸するような環境ではありませんね。ぜひマスクをして風邪などの予防をして下さい。ですから今回は、観察する呼吸法として”アナパナサティ(アーナパーナサティ)”をご紹介します。アナパナサティは、ブッダ(釈迦)の呼吸瞑想法です。これだけで悟りに至れる、というか釈迦はこれで悟ったというほどの深い意味のあるものです。では始めましょう。呼吸の一回一回を大事にし観察していきます。呼吸をコントロールするのでなく、見ていく、感じて行く方法です。ただあるがままの、自分の呼吸の出し入れを観察します。マスクをして電車に乗っている状況を仮定します。マスクの中の鼻に当たる空気を感じます。入ってくるときの温度。出て行くときの温度。暖かい感じ、ひんやりした感じ、それを感じます。車内アナウンスや人の会話が聞こえてきても、意味のある言葉としてとらえず、ただの音、そのものとして感受します。呼吸に意識を戻してください。人が乗り込んできて混雑して、押されたり、体が接触しても嫌な気持ちなど起こさず、ただの圧力として感受します。呼吸に意識を戻します。 呼吸が短いときは、短い呼吸をしていると知り、 呼吸が長いときは、長い呼吸をしていると知る。これが”アナパナサティ”の最初の段階です。息の出し入れの気づきの教え(アーナ・アパーナ・サティ・スートラ)が出典です。
2009/01/12
今日は沖ヨガ誓いの言葉の”栄養摂取の誓い”と”冥想行法の誓い”をご紹介します。沖 正弘導師の教えの体の健康、心の健康のコツ、極意がここに集約されています。よく意味をかみ締めていただきたいと思います。 栄養摂取の誓い栄養は自分に良いものを取り入れ、自分に悪いものを入れず、不要なものは出し切ることであると知りました。自分に取り入れてよいものと悪いものを知っているのは、体自信に与えられている智慧と知りました。今からの私は、自分の内在智の教えに従って、自分に必要なものを取り入れ、不要で不適なものは出し切るよう努めます。冥想行法の誓い人間の一番正しい状態、それは自然であることです。自然であるとは調和のとれていることです。調和のとれているときには、安定しており、平静を保っております。私たち人間の一番陥りやすい状態、それは偏ること、とらわれることであります。でありますから私たちは、意識的に逆の状態の訓練をして、バランス維持の働きを高めなければならないことに気づきました。ただ今より、とらわれない心身を造る修業の、冥想行法を行わさせていただきます。心身の統一と放下の訓練を通じて、自己を無にすることを誓います。
2009/01/12
今日は映画、地球交響曲(ガイアシンフォニー)を見に行きます。僕のヨガの先生、龍村修先生のお兄さんの龍村仁監督の作られている”命と人と宇宙のドキュメンタリー映画シリーズ”です。年末に父の葬儀で田舎に帰ったときガイアシンフォニーの上映会が催されていて仁監督の講演もあるとポスターで見て知りました。状況が状況だけに、行けなかったんですがあんな片田舎で”ガイア”に会うとは不思議な縁を感じました。そのことをガイアシンフォニー大好きなアシュタンガヨガのチエコ先生に話したら今日、「上映と監督の講演があり何人かで行くよ」と教えてくれました。仁監督はまだ会ったことがないのでとても、講演を楽しみにしています。そして僕がいつも癒されに行くチエコ先生とそのレッスン仲間にも会場で会えると思います。 地球交響曲第5番 観るのは2年ぶりです。 テーマは 「全ての存在は、時空を越えて繋がっている」このテーマを自覚することが、宇宙や命の謎を解く鍵だと思います。
2009/01/11
私が最初に学んだヨガ(日本化したヨーガ:瑜伽)は、日本ヨガの父とも呼ばれる”沖 正弘導師”の作られた沖ヨガです。沖ヨガは日本の風土や日本の精神文化の歴史を統合し日本人の生活を踏まえた、日常生活・家事や仕事・教育に生かして行けるヨガを目指すということで、”道”を求めるヨガ、求道(ぐどう)ヨガという概念を大事にしていました。自分の生命力を高め適応力を高め、苦難や悩みというものさえバネにし自分を救える自分を、みずから作って行くヨガなのです。それはより高いものに、自分を高めてくれるものに、自分を結ぶ(YOGA)”行(プラクティス)”を総ての生活においてして行くという事なのです。掃除も、朝の目覚めも、就寝もトイレも、食事も、体操も、ヨガの行なのです。仕事も学習も沖ヨガではヨガなのです。自分の心を最終的に高めるものは、自分の気づきです。そのために自分の思考の癖、行動の癖を正すモデルとして”誓いの言葉”というものを道場生活の節々に唱えます。誓いとはなにかを、沖ヨガ生活行持集に見てみます。誓いとは、自分が自分自身に対して自己教育するために行なうものです。教えられたこと、気づいたこと、感じたことなどから「私はこういう人間になりたい」と思ったらすぐそれを自分に誓うのです。「今日一日、私はできる限り○○な自分であるよう努めます。」と何回も自分に言ってきかせるわけです。誓うことが自己形成の基本原則です。」”誓うことが自己形成の基本原則です”この事を覚えておきたいものです。では”沖ヨガ・誓いの言葉”を何回かに分けて紹介します。ぜひ参考になさって下さい。目覚めの誓いただ今、私は目覚めさせていただきました。目覚めたということは、生きるのに充分な体力の与えられてることであります。私は今日一日、あらゆることに全力を出し切って生きることを誓います。清掃行法の誓いただ今から私は、清掃行法を行わさせていただきますこの行法を通じて、心と生活の清めを誓います。清い心とは求めない心です。他に自分を捧げる心です。一切のものに感謝する心であります。浄化行法の誓いただ今から私は、心身浄化の行法を行わさせていただきます。不要な残留物を出し切るために、精一杯の力をこめて行なうことを誓います。強化行法の誓い心身の働きは、正しく鍛えれば強化されることを知りました。私は自分の能力を発揮するためにも、他に奉仕・協力できる愛の行者になるためにも、強い心と体が必要であることを自覚いたしました。ただ今より、心身強化の行法を行わさせていただきます。今私は、積極的な思考と言動以外は持たないこと、一切弱音をはかないこと、できるだけ耐えることを誓います。
2009/01/11
「私たちはヨガにより、自業自得の真理を自覚させていただきました。自分をつくりだすもの、それは自分の身についている働きであります。今私は、自分にあらわれている一切の現象は、自分の業のあらわれであることに、気づかさせていただきました。自分へのあらわれ、他人へのあらわれを通じて、業の学びを行わさせていただきます。業とはなんでしょう。先天的なものとしては、遺伝と霊であります。後天的なものとしては、習慣、癖、記憶の内容であります。業が間違っていれば、どうしても間違ったことをせざるを得ません。自分を損ねるものも、自分を助けるものも、それは自分の身についているものの、正否であることを自覚させていただきました。業のつくり主。それは生活であります。今私は、生活を正し整える以外に、救われる道、悟りに至る道のないことを自覚いたしました。ただ今からの私は、意識的に、自己解放、自己啓発の業を身につける、修業・修養・修行・教養を行なうことを誓います。」 以上 沖ヨガ 自己解放の誓いこれが沖ヨガ流のカルマヨガの教えです。 失敗を悔やむのでなく、落ち込むのでなく。 不幸を呪うのでなく、他人を恨むのでなく、 すべてを受け入れ、それを法則(ダルマ)として学び、 気づきとして立ち直ってください。 呼吸を正し 姿勢を正し 間違ったらまた正し、 外れたらまた、そこへ戻り、 一瞬一瞬を積み重ねて下さい。たとえあなたが、ひとりぼっちでも地球の空気はあなたを見捨てては居ません。太陽の光はあなたを照らしてくれます。そしてあなたを生かしてくれてる命無数の・・・無限大の・・・宇宙の法則が働いてくれているからあなたも、僕も生きているのです。その命の法則を受容し、気づきの変容することが、魂の進化というもの・・・
2009/01/03
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