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ミクシイなどのの知り合いなどの日記には、どうしてか確定申告のことなどほとんど出てきていないようだ。給料を貰っている人は分かるけど、わりと個人事業的にやっている人が多い来もするから、結構確定申告など自分でしなければならなかったりするのではと思うが。 申告の仕方についての本など読み始めて、知らないことが多いことと、なにやら複雑な書き方がされているようで、頭が回らなくなる。 まあ今日は寝ることにしよう。 今日はよく雨が降っている。 本当に春の雨だ。 近くに、以前友人が焼肉屋として使っていて、今は店を閉めている建物がある。そこが1万円くらいで借りれそうだから、そこをおいら個人の住居として借りようかなという思いが、少し湧いてきている。しかし、そうするとまた月々払わなければならない金が増える。かなり経済的にも厳しい気がする。ただ今一るこの家から出て、ほんっとうに一人で生活する空間を作り他愛という欲求も強い。 そこはわりとここから近い。車で5分くらいのところだ。だから今の仕事をつっ付けるにも都合がいいし、妹らとの関係の観点からも適当な距離である気がする。 そんなことをふと思う、春の雨の夜だ。 もう寝よう。
2010.02.26
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車を止めていると、群れごと車の方に移動してきた。
2010.02.25
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枯れて立っていた木を掴むと、ぐらぐらだったので、抜いてみると、面白い形をしていたので、逆さに立ててみた。
2010.02.25
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市場は花盛り
2010.02.25
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昨夜は良く寝て 今日は6時頃に目が醒め フラワーエッセンスの液を7滴 スポイトで下の裏に落とし カンキロウをはげかけた頭に塗り 倉を出て食堂に行き まずライフプラスのサプリメントをたくさん摂り 昨晩の夕食の残りの鍋物に味噌を入れ 味噌汁を作り、朝飯を食べる。 新ちゃんはその頃から起きてくる おいらはおいらのペースでことを進める そうしないと自分が苦しいから 早く仕事に出かけないと といいつつ こうしてパソコンに向かうのも矛盾しているけど ともあれ 起きられて 体と心に良いものを摂り 朝ご飯を食べ、弁当もつめ つつがなく今朝を迎えられたことの不思議さに ただ感謝する 酷使に耐えている私の身体に感謝する 酷使といえばおいらの車もそうだ ほとんど洗車もせず 車内の清掃もせず ただ使いまくり 可愛がりもしない 感謝も伝えない車に 感謝する ありがとう 何の不満も言うことなく ずーと私のために働きつつけてくれて すまないなー
2010.02.23
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いろいろあって 今日も零時半ほどまで仕事をし 少し寝て 3時には起きて名古屋に走る 不思議にそう眠たくはなく 無事大須の近くの市場につき 荷物を下ろし バーコードを張り、 その後他の市場に様子を見にゆき しばらくあっていなかった人と立ち話をし 足が悪くなったというその人に、 お互い気をつけようと励ましあったり 市場を後にして 4位号線をきたに走る頃、6時頃から 頭がふかふかしだし ああ-や倍と感じて車をわき道にいれ 適当なところで一眠り 起きたらまたひたすら北へ 途中犬山の南のジョイフルにより 焼鯖定食の朝ご飯を食べ その前の恒例のただのコーラを飲み ハーブティーも飲む 食べたらシートに横になり また一眠り 9時半頃に目が覚めて店を出て 犬山の安いガソリンスタンドにより ダイソウにより、 その後犬山の生協により 食糧を買い おかれていた榊が余りにもひどいので おいらの榊を売る営業活動もし なんだかかんだで野の花社に帰ったのが お昼を過ぎた3時頃 休もうと思ったがやすんだら また出来なくなることがあるとおもい 野の花社の裏の落ちかけた庇にシートを掛け ついでだからと、 また野の花社の裏の借りれる畑に生えている檜などの 枝打ちもし その後風呂に入り 新ちゃんが作ってくれた夕食を食べ sの前に妹の連れ合いのOさんの チラのとり方とまとめめかた関しはなしあい という忙しい日だったけど 余り自分では納得の行かない榊の枝が 良い値で売れていることも 売上報告のファクスで知り あんなものでも高い値を付けてくれる花屋さんに ありがたくおもった 本当に良いだろうかとおもい これからも出来る範囲でいいものを出そうと 思わずに入られなかった。 Oさんの切って来て 私がまとめたチラも B品というに札をつけたのに 割と良い値で売れていてホッとした。 何とかやっていけるだろう もうしばらく辛抱する必要はあるだろうけど すこしづつすこしづつ いろいろなことは良くなっていくだろう でもおいらはいつ死ぬかもしれない 全てが好いように行くとは限らない 生きていくことの中には そうでないことも含まれる それを美しくごまかしたくない そういう生き方、考え方を大切にしたい
2010.02.22
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おいらの言動にはそれを選択しているおいらの主体的責任がある。こういう当然のことがかなり明確に理解できるようになった背景には、おいらのさまざまな体験と、そこから生まれた苦しみ、そのことに対する見つめ直し、それを促してくれた人々などの、多くの事柄、さまざまな関係、人々が関係している。 おいらが過去に犯した犯罪に関する、もう30年ほども前になる裁判の過程で、そのことに対する自覚の無さゆえに、偽装結婚をし、相手の女性に私が少しでも減刑になるよう証言して貰おうとしたことがあった。しかしその証言が逆に、裁判官に偽装結婚ではないかと指摘されるようなものになり、そのことにうろたえたおいらがあくまで理想の結婚である旨主張したくなったことがある。 しかもその頃のおいらは、和尚ラジニーシという人の弟子であり、愛や瞑想に根ざした生き方をしたいと、言葉の上では望んでいたりしていた。しかしその頃のおいらには自分の力でそのような道を歩む能力がなく、師の下にできるだけ早くいき、その直接の指導、アドバイスなど受けることでしか成長できない、無力な存在であるように思っていた。そしてその最優先すべきと考えていたことを実現するためには、できる範囲のことだけどどんな手段を取っても良いと考えていた。愛や瞑想的な意識を実現するということが最優先される価値であると考え。 そのように考えるにいたる過程にも、逮捕される際には、自分は逃亡生活の中でテロリストから瞑想家へと変容するという、稀有なことを成し遂げた人間であるというような、自己過大視と、逮捕後の現実の中でのその過大視の誤りの自覚と、そこから生まれて強い自己卑下、自己無力感などがあったのだけど、、ここでは詳しくは書かない。 ともあれ裁判官に偽装結婚ではないかと指摘され、そうではないという意見書を書こうとして、おいらはたとえようもないほどの、自分自身に対する醜さを感じ始めた。愛と瞑想の道を歩もうとしていた自分が、その目的のために そうしたこととまるで逆の、女性の私への愛を利用し、しかもあからさまになってきた偽装を。さらにそうではないと言いつくろい、ごまかし、美しい言葉で装うとしている自分に、なにか黒々とした深い闇に落ちいっているような 、そういう感覚がやっと湧いてきたのだ。 その自覚を機に、おいらはその頃親しく手紙のやり取りをしていた、未決無期囚の飯田博久さんの勧めで、自分の生い立ちからの人間関係などを、文章化して細かく見つめ直す作業に入っていった。その中でおいらは自分が以下に物事を自分に都合よくかながえてきた人間かを、まざまざと思い知らされた。その作業のなかで、何か本当に胸のあたりから黒々としたもやのようなものが立ち上がっていくのを感じた。そういう見つめ直しの中で、自分の言動に対する主体的責任、ということをかなり明瞭に自覚し始めたのだった。そのことに付いても詳しくは書かない。 今回はただ、自分がそういうことを自覚できるようになるためには、そういうさまざまな体験が必要だったこと、 また裁判官や検事のような存在も必要だったこと(彼らのあり用を全的に肯定するわけではない)、そして飯田さんのような深く自分を見つめてきた人が、ともに考えてくれること、適切なアドバイスをしてくれることが必要だったこと、などなど様々なことが関係しているということをあきらかにしておきたかっただけだ。主体的選択・責任に自覚ということが、単なる個人的な事柄ではなく、その背後においらの体験の総体や、多くの人々が関わる複雑な相互関係があるということを、書いておきたかった。 長くなるので後ははしょる。そういう相互関係の視点から考えると、私が兄をここに受け入れたこと、あるいは妹、新ちゃんを受け入れたことの中にも、さまざまなそれに関わる事柄があり、兄を廃人化しつつあった?精神病院、新ちゃんをひどく搾取していた彼の前の職場の人たち、あるいは彼にいいかげんな対応しかしていない彼の所属している共産党(彼は今も共産党員である)、あるいは天理教(彼は天理教とでもある)、そういう組織などに対する、憤りも感じる。そいううところに属する人々が、もう少し良い、深い対応をしていれば、おいらが彼らを引く受けるというような過重な選択をしないですんだのだ。 かってのようにそれを憎み暴力的にコプ劇使用などという衝動、欲求は持たないけど、そういう人々も人と人とがともに生きられる方向に変革されていく必要があるというか、総体として、細やかに変革、改善されていかないと、 その分だけ過重な負担を強いられる人々が出てくる。そしてそれはどこかで犯罪などの形で噴出したりするのだ。したがって、世の中で起こっている犯罪などに関し、何の責任も無いような人々はこの世界にほとんどいない。
2010.02.12
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少し前に、心配しなくて良いということを感じたときのことを書いたが、おいらのそれに対する違和感は、何かそういう言葉が、スピリチュアルなことに関わる世界でよく言われている言葉にふと触れたものであり、それが何か神秘的なことに私が依存するような言葉に感じて、またそのかたをすかすようなこと?を書いた。 それは結局、心配しなくていい生活とは、何か大いなる存在が自分にもたらしてくれるものではなく、日々の暮らしの中での自分の主体的選択に関わる事柄であり、研ぎ澄まされたというか、あるいは本当に根源的な性のある深みにあるものに繋がる何かを選択している生活している中でしか、うまれようのないかんかくなのだということだ。という感じ。 昨日の朝のおきな枝100本の注文に関わる事柄は、そういうことに関わる事柄だ。確かにやればできないことでは出来ない気がするが、かなり難しいことであり、断わったほうが良かったのだと感じる。ちょっと難しいと感じたら断わること、そういうことをこのことは私に教えてくれている、そういうレッスンだったということだけど。今も少し不安なのだ。それを補うために、ある人にも加勢を頼んだけど。 そしてもう一つ、仮にこの注文がうまく果たせないとしても、それをありのままに受け止め、そのように市場側に伝え、謝るしかない。それを何か苦痛に感じるのは、おいらがそういう失敗をしてはいけないというような、あるいはそういう失敗をすることで市場の人の非難されるとか、 嫌な顔をされるとかいうことを、恐れていたり、苦痛に感じるような価値観に囚われているからだ。 それとそういう失敗を犯しても、現実のおいらはありとあらゆる自然の、宇宙の、あるいは人々の営みによって支えられており、そうしたことに対する自覚が深ければ、そのような失敗から来る苦痛?はそう大きな影響をもたらすものにはならないだろうということだ。そういう自覚が足りないために、不安のようなものに、おいらの感じ方がのめり込む。結局それもおいらの主体的選択なのだ。それ以外の選択もできるのだ。 心配しない生活とはそういう、日常生活の中でのおいらの主体的選択にかかわる事柄であり、それを抜きにした神秘的な何かに依存するようなところから生まれるものではない。
2010.02.09
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けさ市場から榊の枝の大きいのを100本できないかという問い合わせがあった。今度の金曜日の出荷分だ。最初は無理だといったが、機能出したような、かなり汚れているものを混ぜてもよければ何とかなるかも知れないと思い、その旨言うと、それでいいからという返事。 これでその仕事を引き受けたことになるのだが、やはり最初からかなり難しい仕事になる感じがした。断わって嫌な顔をされたり、これから仕事を少なくされるという心配はなく、特に断わるのを恐れる気持ちはない。本当に出来ない仕事は必ずことはってもいる。その方が自分のためにも市場のためにもいいことぐらいは分かっている。 ただ少しハードのにやればできるのではないかと思うことを、引き受けすぎるのだ。引き受けたことはきちんとやるから、市場の人からは信頼されていると思うけど、ただちょっと引き受けすぎると精神的にもしんどくなり、不安が生まれたりする。 この引き受けすぎに関して、もう少し自覚的になり、余りハードになる仕事は引き受けないように、子¥レからはすこしづつでもしてゆきたい。
2010.02.09
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この谷は少年時代の遊び場だった
2010.02.09
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朝、仕事に出掛けようとして トイレに入って雲智をしていた ふとどこからか なにも心配しなくていい 起こるべくしてことは起こり 必要なことは用意され 大変に見えることも、これから役に立ち これからの私の人生の 集大成としてのワークを豊かにする材料となっている なにも心配しなくていい なにもしなくていい 雲智しながらそう感じた そう聴いた 私にふさわしい雲智の場所で そう聴いた
2010.02.07
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2010.02.06
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2010.02.06
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ぱらぱらぱらぱらと林の中、谷間の木々の間から榊の葉から転げ落ちるように真っ白の小さな雪の塊のようなあられちゃんが、天からこぼれるように、次から次へと降ってくるぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら聞いているだけでも心地良いような響きを立て、ころころと転げ回り葉の上をはじけるように滑り落ち地に落ちても飛び跳ねやがて静かになって多くの友と片寄せあいひしめき合って静かになるその谷間を私は歩くその私の頭、顔、首筋の中にもあられちゃんは降りしきり私をからかうように慈しむぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱららっぱぱ、らっぱぱらっぱぱ らっぱぱ自然の踊り天と地の細やかなリズム私はその中で仕事をする明日のかてを稼ぐために榊の枝をせんてバサミでグイーと切る切りつづけるぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらころぱらころとんとんぱらぱらぱらぱら
2010.02.03
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以前は新ちゃんか誰かが、加藤三郎と硬い字で書いた表札が掛けてあったが、馴染めずこれした 。すみか、という言葉が私の居場所には似合っている。
2010.02.03
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お金の蓄えが本当に少なくなった 妹の連れ合いが運転免許を取るために必要なお金を 27万ほど出したことが大きいのだけど 昨年末からの支払いがかなりあり 今は有り金はたいて、70万円くらいか 毎月支払いも含めて 必ず出て行くお金が50万くらいある気がするから この2,3月は厳しくなる気がする 1月の売上は35万ほど しかし今日ごろ支払うことになる 1月分の町県民税だけでも10万近い 2月は榊の売上が最も少なくなる時期だし そんなことを考えると、少ししんどくなる そんな風だから、妹が一向に今の生活ぶりを 変える風もなく暮していることにも 気が重くなるときがある 妹の心身の状態からして理解できる気がするが 自活できるだけの金を稼ぐ方向には行かない もうそれが5年ほどつづき これからもそのままだの生活が続くと思うと 気が重くなる トラウマセラピーの本を読んだりしても 妹がなぜそうなっているかはどこかで分かる気がするけど そのことをどうしたらいいかわからない 彼女がそうなっていることを、 社会的な相互関係責任の場で考えても、 現実には何の進展も無い 調べたところ彼女は厚生年金も貰う資格もないし 精神科のクリニッツクの心理テストの結果からしても 精神障害者としての病名が付くほどのことはなく 障害年金ももらえそうに無い こういうことをこの1,2年少しづつ調べて 当たってきたけど無駄におわった気がする いろいろ学んだけど 私が高校生のとき、下宿先での生活費がなくなって ここに帰ってきて父にお金をくれといったとき そんなお金なんかないぞ、 と父に強く怒られたことがあった 泣き虫の私はその父の怒りが悲しくて 裏の畑のほうにいってかなり大きな声で泣いた その頃は父を憎んだけど 今はそんな父の気持ちが良く分かる 大変だったんだろうなと 兄も早稲田に行っていたし 金が要って仕様がなく 体の弱い父は山や、 山の木を売るしか金の捻出しようがなく やっと私もそんな父の苦しみを 身を持って理解できるようになったのだ ところで新ちゃんと兄と山さんは今天理に行っている ここの荷物の運送を頼んでいる山さんの提案で、そうなる 天理からの新ちゃんの電話で、 天理では兄が見違えるように元気になっているとか 20年程前にもそんなことがあった 兄は高校と大学1年をそこで暮した そういう時代のことを思い出し 何か心に思うことがあり その後かえって来た美濃加茂で 立ち直ろうと懸命になった時期があたっのだ 今回もなにかいいことが起こるかもしれない ちなみに言えば、 兄は天理市で生まれている 父が天理市(以前はたんばいち?)に 教師として働いていた時期に生まれたのだ ともかくしかし またみんなで、ここの生活をどうするのか話し合いたい わたし自身が楽になりたいことも含め 外は春先の雨のような 冷たい雨がしとしと降っている 今朝起きたときは降っていなかったけど ここで書き込みなどしているうちに というかその少し前からだけど 降り始めていた 今日はもう山に入るのはやめる
2010.02.02
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ここに帰ってきて 何度目の通夜だろう 大抵は私たちの世代の親たちなのだが この過疎化しかけた地域の 年老いた人たちが この寒い季節に ふっ ふっ と火が消えるように なくなっていく 今日の通夜は 私がいつも車で通る道端で 何やかやと仕事をしていた 寡黙で、しかし話し掛けると優しい返事が返って来る 田舎の人らしい純朴な 大正6年生まれの 戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた 老婦人だった 喪主の先輩は、 彼女が老いて枯れるように死んでいったことを 淡々と語られた なくなる少し前まで ボケないようにと何かを学んでおられたことも 通夜の祭壇に置かれた 福福しい老婦人の遺影 10年ほど前に撮られたものとか 焼香しながら まじまじとそのお顔を見つめた 亡くなる1年ほど前に見た いかにも皺の刻まれた風のものではなく 凛々しい顔だった。 通夜が終わり 故人とのお別れの拝顔できる時間に 私はも1度祭壇の前に進み 柩の中で目を閉じ、 眠っておられるその老婦人の顔を 拝ませて貰った。 もうこれが最後ですね もう叔母さんを あの道端で見ることはないんですね 道の真ん中を、 手押し車のようなものを押しながら 歩っているおばさんの後ろから車で行き 気が付いてくださるまでゆるゆると車を進めるような 懐かしいひとときはもうないのですね そんなことを心で語りかけながら 両手を合わせ さようならをした こうして見送るたびに 私が幼いことから知っているその人たちの 生活の、子育ての 農作業の、 あるいはときどき言葉を交わしたときのことを まじまじと思い出す 思い出しながら そのお顔を拝顔し どうしてか皆形は変わっているのに 同じ静かな表情をしている ひとりひとりにさようならを言ってきた ここにかえるまでの50代の半ばまで 私はそうしたお別れをしたことがなかった 生きている人としか出会ったことがなかった そしてふと 自分がこの地域で もうすぐそういうことをされる世代になりつつあるのを 感じる 私ももう終わりが近いのだ
2010.02.01
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