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先日の日記以来、このところ受ける刺激の方が多く、消化しきれず筆(キーボド操作?)が鈍っておりました、、、。が、中でも「感性と感受性は違う。」というマイミクのしみつ99さんのお言葉は僕の中にずっと残っていて、感受性よりも感性は磨かねば、、、とこゝろする日々です。感受性は受け身でいても備わっているけれど、感性は違う。日頃の姿勢やこゝろが現れますね、、。さて、昨日の坂井泉水さんの訃報に続き松岡農水大臣の自殺。、、、、、、、改めて思いました。ボロボロ、ズタズタ、ヨレヨレでも生きること、、。もし、松岡農水大臣が歯を食いしばって耐え、次の展開を考え生き残ったとしたら、、みっともない奴、、とか、政治の腐敗の象徴、と僕もきっと忌み嫌っていたと思います。しかし、、、、それでも生きる事、、その方が「美しい」、、?「潔い」、、?うまく言葉は見つかりませんが、それでも生きる、、、生きる、、。そういう人にわたしはなりたい、、。そう思いました。
May 29, 2007
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先日の打ち上げ、、、VnのO先生とディースカウの名唱について僕がお話しした中で、データをうっかり間違えておりました!!こういう事です。マタイ受難曲の中で、イエスがローマ兵と共にあらわれたユダに向かって、"Mein Freund, Warum bist du kommen?"「我が友よ、どうして来たのか?」こう歌う場所があります。この場所のディースカウの表現をレコードで聴いて、僕はこの箇所の意味を教えてもらいました。"Mein Freund"の歌い方ももちろん大きいいのですが、"Mein Freund"の後の休符で表現しようとする意図が伝わって来ました。弦の合奏が浮き立ち、ユダをじっと見つめる、、。「やはり、預言通りにおまえは来てしまったのか、、」叱責、と同時に、哀れみ、慈悲、が感じられました。この録音を、僕はリヒター盤、、、とお話ししてしまいましたが、実はフルトヴェングラー盤の間違いでした!!リヒター盤のイエスはキート・エンゲンが歌っています、、。少しO先生がいぶかしげな顔をされていたのが気になっていたのですが、、O先生の方が良くご存知だった、、という事でした。どうも、失礼いたしました、、。お詫びし、訂正致します。しかし、この表現はフルトヴェングラー?ディースカウ?どちらの解釈なんでしょうね。いずれにせよこのディースカウのイエスからは僕は本当にいろいろ教えられました。聴けば聴くほど、発見がありました。さて、余談ですが、同じくバッハのマタイ受難曲の中、最後の晩餐でイエスが暗にユダに対して「生まれてくるべきではなかった。」という厳しい言葉を投げかけるところがあります。実はこの音形、最後の方のバスのアリオーゾに全く同じ和音を従え、突然にあらわれます。その部分の歌詞は、、「十字架は成就された。」なのです。もうこの終盤の辺りはイエス役はただ舞台で座っているしか仕事がありません、。実際、頭の中はただ「ぼ~っ、、」としている所です。。。そこへ突如、イエスの音形が瞬間そのまんま出てくるので、ドキッ!!!!と僕はしてしまいまっていました。、、で、良く覚えている場所です。この場所も、僕にはバッハの『愛』が感じられて仕方の無い場所です。(ユダは許された、、、、ユダの苦しみも彼にとっては十字架であった、、と、バッハがそう表現した。そう思っています。)
May 3, 2007
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