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高い高いとか飛行機とか、私が小さい時やってやってとねだった遊びです。いつも仕事で疲れた父は、休みとなればテレビのある一番いい部屋で寝てばかり。ちょっとでもうるさくしようものなら、母からお目玉を食らって、部屋でおとなしく本でも読んでいなければなりませんでした。漢字といえば、読めない漢字知らない漢字がなく、調べてでも一生懸命教えてくれたっけ父の机は、勉強机。そこは私も勝手に座ってはいけないほど神聖な場所だった。難しそうな百科事典、辞書がならんで、父が学生時代学べなかった勉強を夜遅くまで座ってやっていたっけ。趣味に詩吟を習って、時々大声で練習してたけど上手だった。でも人間との付き合いはちょっと苦手だったよね。照れくさそうに言葉も少なかったけど、いつまでも少年みたいなことをいって、怒ったときはそれはもう、怖かった。父の機嫌をとるために時には息を潜めながらじっとしてたっけ家計の足しになるようにと、ばくちに手を出してずいぶんお母さんを悲しませたよね。あれって中毒だよね。やめようと思ってもやめられない。どこかに心の中にむなしさが漂っていたのかな。一時期、そんな父が嫌いで遠避けたりもしたけど、話するのが難しかったよね。照れくさいし、まじめなこと言葉にならなかったよ。私のうしろ姿の写真とりながら、これが最後なんやという。>>私には時間がまだまだあると思ってたから、何で最後なん???おまえのこと生涯見てくれるんか。付き合いもしてへんのにええんか。けどありがたいなあ。もし叩くようなやつやったら、我慢せんとすぐ帰って来い。デパートに行ってプレゼントを買ってくれた。お母ちゃんには内緒やと私の中では父の姿は、別れた時のそのままでぜんぜん年をとってない。声もそのまま覚えてる。私が生きてる限り、父の姿は生きてた時のそのままだ。
February 24, 2008
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献身を決意した娘には何を言っても無駄だった。お前が便所に嵌っていくゆめをみたんやぁ。どう考えても統一はあかんで。父の言葉は、私を思う気持ちであふれていたが、それも私を引き止めることはできなかった。父は霊界の仕組みも神も信じない人。何を話しても通じないと思った。原理を通してみると、親の心情というものを深く理解するようになる。親の事情を知って我が家の夫婦の関係、親子の関係の問題点を知った。その問題を解くためにも、私が神様の前に条件をたたせないとだめだと思った。お金で条件をたたせることもできるが、学生の私は体で、献身生活することで条件を立てようと思ったのだ。私の夢、私の願い、私の未来すべてをささげることが神様の願いだと教えられた。その中でも一番の条件は愛だと聞いた。愛は命よりも大切なもの。その愛を自分勝手に使わずにメシアにささげることが、何よりの条件だと。祝福とは形は結婚だが、原理の中でも核の中の核奥義だったのだ。メシアは7代以上の先祖をみて蕩減晴らすことができる相手を選ぶという。生まれれくる子供は蕩減のない子供だと。今から思うと嘘八百ならべた言葉にだまされたわけだが、当時は祝福を受けないと大変なことになると、私だけでなく亡くなったご先祖さまにも害が及ぶと思っていたので死よりも恐ろしい結果になると思っていました。それを真理として信じていたのですから、周りがなんといっても聞こえないのです。自分で自分を痛めつけながらも、私が苦労すればするほどそして感謝して超えれば超えるほど私を含む私の血統圏は,蕩減がなくなり家族もひいては日本が幸せになると信じてきたのです。こんな話を、私は親にはできませんでした。理解してもらえないと思ったからです。でも正しければいずれ、私がいわなくても社会が認め世の中が認めて親も理解してくれる日が来ることを信じました。私が原理を知って長い月日がたちました。日本と韓国の統一教を見ました。内部部が腐って,自浄する力もありません。組織があるところはある程度腐っているもんです教理も時間とともにかわっていきます。時の恩恵という言葉で真理といえるものを見つけることができません。根本から腐っていたことを認めざるを得なくなりました。その時の私の慟哭は今もつづいています。お父さんの死に目にもいけなくてごめんなさい。宇治金時のカキ氷を見るたびに思い出します。表現するのが下手でぶきっちょなおとうさん。14才でお母さんをなくして一人で自立するのはどんなにつらかったでしょうか。学歴がなくて会社で冷遇されてどんなに悔しかったか。それを埋めるために賭け事に手を出して、家族からもみんなからもわかってもらえなくて一人ぼっちだったお父さん。家族だから迷惑かけて、かけられても、分かり合えるのに自分ばかり責めていたでしょ。いつか会えるよね、といいながらお母さんの目ばかり気にしてとうとう会えないでいってしまったお父さん。看病もできなくてごめんね。すっ飛んでいくこともできなくてごめんね。もうおれあかんわ。泣き叫ぶような悲しそうな父の声が今も私の頭からこびりついて離れません。あの時、父はもうわかっていたのでしょう。あと余命幾ばくもないことを。なにかあるなと信じたくなくて、まさかまさかと思っていました。何ヶ月かあとに事実を知った時の哀しさ。誰も教えてくれなかったことに憤りと哀しさがこみ上げてどうすることもできませんでした。父が生きている時にあいたかった。会って、たくさんの思い出を作りたかったと思うのです。父のお墓の前で生きている時に何もできなかった自分を責めるのはもうこりごりだと思うのです。
February 23, 2008
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普通に生活していた人が原理に深くかかわる動機はいろいろあると思いますが、私はまず好奇心でした。世の中の厳しさや哀しさもよくわからないくせにわかったような振りをして、世の中を批判し、この世の不正に対して憤り、もっとよりよくなる世界を夢み、大人から教えられた価値観からなにか新しいものを探している時、原理というものに出会いました。はじめは聖書を勉強しましょうといわれた時も、違和感がありましたが私の周りにはないものということで私の好奇心を揺さぶりました。何だか西洋文化の窓口みたいな気がして、キリスト教というもの、聖書というものに生まれて初めて接しました。周りの大人たちからは、宗教なんて深入りするものではないとか、弱い人間が一時的にすがるものだとかきかされていたので、哲学については本を読んだり、きいたりしていましたが学生時代に宗教について考えてみるのも必要なことだと思いました。人間についての人生についての深い洞察をしてみたかったのです。けれどそんなことを考えている人はまずいませんでした。友達も表面的な会話ばかりでただ楽しむことに夢中になっているように見えました。親もそんな私の欲求を満たしてくれませんでした。両親は現実の生活には無駄なことだと役に立たない話だと思っていました。そんなことを考えることがなんだかおかしい人のように思わされました。けれどただ単純に食べて寝て楽しむことはわたしには面白くないと思いました。友達といっしょに映画をみたりショッピングをしたりするのは、心から面白いと満足できませんでした。そんな私が贅沢だともいわれました。三浦綾子さんの塩狩峠やみちあるきを読んでは感動し原理にはまっていきました。霊界の存在も信じていたので、だんだん神を信じない人生は無駄なことのように思いました。霊界や神様がわからない両親や友達とも話が合わないし価値観が違っていると思うようになりました。原理でなければ人間の救いはないと思うようになっていきました。そして原理を知らない親を霊肉救うことができるのは私が通路になるしかないと思い始めたのです。献身の話が出た時私は無理だと思いました。親の激しい反対はわかりきっていたし、献身生活どれほど厳しいかよくわかっていたからです。でも甘っちょろい自分をそんな厳しい環境の中におくことを通してまあ修行のように考えていたんですね。もっと成長できるとか人間が大きくなるとか考えたんです。もう走り出してしまえば、つらいとか哀しいとかそんな感情もないんです。1ヶ月10000円のおこずかいも感謝です。漫画がみれなくったって音楽が聞けなくったって、実績を上げ、評価され神様が喜んでいると思えば喜びに変わってしまうんですから。今思えば、あんなに家族が反対しても原理を選んだのは自分の欲とか自分の事情とかそんなことよりも、家族が死んだ時、彼らが霊界に行ってとりなす人がいなかったらだめだと思ったんです。家族が永遠に地獄のそこで苦しむ姿を見るのはいやだ私一人でもメシアにつながって天国に行く道が開かれて欲しい切実にと思いました。原理では家族一緒に行く天国ですから。言葉で言っても今はわからなくても永遠といわれる霊界に行って私の功労が少しでも役に立ちたいと、霊界も神様もわからない家族を代表して茨の道を行こうと心に決めたのです。決して親が嫌いだからだとか馬鹿にしているからとか言うものではなかったのです。だれよりも家族を愛しているから、家族の永遠の世界まで心配するからあんな極端な行動がとれてしまうんです。そう思い込んでいるからマインドコントロールです。洗脳されていたのです。自分も知らないうちに。私がとった行動は家を捨てたと見えるかもしれませんが実は私にとってはみんなを、家族を生かすためだったのです。親を兄弟を絶望のかなたに追いやったかもしれませんが今わたしは、目が覚めたのだからあのころに戻って、なかよく関係を回復したいのです。傷を負ったのは私だけでなく私の周りに関係したすべての人が負ったのを知っています。でも一番深く負ったのは私自身なのです。それをわかって許して欲しいと思いました。
February 21, 2008
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あれよ、あれよというまに焼けてしまいました。そしてそれが終わったら、担当当局同志の責任のなすりあいですか。いつもパターンは同じだ。災害があってもそこから学ぶことを知らない。恥ずかしい限りだ。文化財の火災はこれが初めてじゃない。昨年も有名なお寺が焼けてしまって、みんなが残念に思ったはずなのに、この有様だ。あんなに一生懸命勉強しているにもかかわらず、机の上では。それを生かすことができない。いわれたことは、上手にこなしても自分の頭で考えて能率よく、作り出すことができない。失敗は失敗としてそれ自体は、恥ずかしいことじゃない。またやり直せばいいのだし、もっといいものが生み出すための教訓ににもなりえるのにそんなチャンスをいつも隠すのに精一杯で、根本を見直そうとしない。社会全体がそうだ。人間が成熟していかないと感じる。文化財が焼けているのに、消し方のマニュアルはなかったんかい。消し方の専門家はおらんかったんかい。な な なさけない、、、韓国の象徴が焼けてしまったと泣いている人も多かった。花を添える人もいた。ソウルの真ん中に堂々とたっていた南大門害までは無残な姿に変わってしまった。外国人の私でもこんなに胸が痛いのに、決して起こってはいけなかったことが起こってしまったと残念に思ったけど。文化に対する意識が低いのか、1週間もすると何事もなかったように感じている人が多いのは私の気のせいでしょうか。精神性の低さでしょうか。放火によって焼けたなんて、あんまり話題にしたくないのはわかるけど、このままだと第2第3の文化財や山火事また起こりそうな気がする。地震がいつ来るかって心配しなくてもいいかもしれないけど、ビルが橋がデパートが地下鉄がいつまた火事でいい加減な工事で崩れるかもしれないと非常口をいつも確認する癖がついてしまいました。
February 20, 2008
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主人の実家は、ソウルから車で10時間ぐらいかかるところだ。義理のお母さんが生きていたころは、1年に4,5回帰ったが、なくなられてからは、民族大移動といわれるこの期間をはずして帰るようになった。今回久しぶりにお正月にあわせてかえり韓国の正月らしい正月を満喫してきた。近代化されたとはいえ、暖かく素朴なそして穏やかなお正月だ。なくなった義理のお母さんのお姉さんの家にいって韓国風の挨拶をし、またおいやめいから、深々とお辞儀してもらいながらひとこといってもらってお年玉を渡して。私も年上らしく、子供を元気に育てなさいとか、夫婦仲良くしなさいとかいうのですが、照れくさかった。家庭という核家族だけではなく、親戚の間でも親しい情がながれ、秩序だっているこの関係は嫁という立場で韓国に入り、だんなの兄弟が仲がいいから感じられるのでしょう。少なくとも私は、日本では、親戚の人たちと親しく付き合ってこなかった。親戚のおばちゃんより隣にすむおやつをよくくれたおばちゃんのほうがなつかしい。家と個人の結びつきは、家庭環境に大きく左右されるのかもしれません。大人はおとならしく、おんなはおんならしく、居心地がいい反面、そんな規存の価値観でしか見れないから窮屈でもあるのだと思う。もちろん、韓国人はいや私のだんなは、この価値観がすべてだと思っている。原理を聞いて祝福を受けた韓国人は、輪をかけて頑固だ。男はこうであるべき、女はこうであるべき、父親とは、家庭とは、こうあるべきという形をはっきり持っている。ある年齢になったら結婚しなければならないし、結婚したら子供を持たなければならないし、男の子を育てなければならないし、子供はいい大学、世の中が一流と認める大学にいかなければならないし、広くてきれいな家にすまなくちゃならないし、それが誰もが願っている幸福だと。考え方に少し幅ができると、そうしなくても幸せになれることがわかると思う。結婚、してもしなくても幸せになることとは別問題です。子供を持つ持たない、男の子を産む産まない。大学にいくいかない。広い家に住むすまない幸せとはもっと主観的な私のものの見つめ方だと思うからです。結婚しなくても、子供がいなくても大学にいかなくても広い家にすまなくても幸せは作れるし感じれるものだと思います。原理にとらわれているといつまでも幸せを感じられません。いつも私の5%の責任分担が果たせないし,蕩減のため条件を立てていかなければなりません。罪にとらわれて、息ができないぐらいです。
February 11, 2008
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