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Someone who is not officially a wife or husband but is considered to be one because she or he has been living with their partner for a long time(Cambridge Dictionary)The person of the opposite sex or of the same sex who had been living in a conjugal relationship with you at least 12 consecutive months… was living in a conjugal relationship with you and was biological or adoptive parent (regally or in fact) of a child of whom you were also the parent. (Canadian Tax Act)カナダでは、特にケベックで多いように思うのですが、一般に法律上結婚するということを避ける傾向が多いようです。私の予想だと20から30年前までかなり厳しいカトリックの統治下にあったにも関わらず、かなりの高離婚率のケベック州。ケベック人の友達で両親揃っているという人は「誰がいたっけ」と考え込むほど希少価値があります。一旦結婚して離婚すると複雑かつ高額な補償問題がでてくるということでDivorceよりはSeparate、それならはじめから結婚しなくてもいいではないかと考える人が多くこのCommon-Law Partnerの考えが広がったと思われます。ちょっと余談ですが、移民申請の折、Marriage statusの質問でSingleだと答えると次の質問が「子供は?」というので驚きました。それだけSingle Motherも多いんですね。Common-Law Partnerとは簡単に言えば、『二人の人間が12ヶ月以上婚姻状態で生活していると税法上この二人は婚姻関係にあるとみなされる。』ということなんですが、移民希望者たちは自分たちに都合のいいように『1年以上一緒に住んでいれば結婚したと認められる。』=『ビザがおりる』と考えている方たちが多いようです。ここで問題なのは「二人の人間」「婚姻状態」「税法上」の3つです。まず、去年同性間の結婚が合法的になったので「二人の人間」は必ずしも異性とは限らないこと。男性同士、女性同士でも構わないのです。ただ、日本と異なり部屋のシェアなどが普及しているモントリオール。同性、異性に関わらず、二人または数人でアパートをシェアすることって日常茶飯事なんです。そこで問題になってくるのが「婚姻状態」があるかないかの判断。これは難しいですよね~。周りの人たちが、「彼らは恋人同士だ」と証言して「はいそうですか」とはいきません。ちゃんと正式に書面で証明できるものが必要なんです。かと言って、「この二人は何月何日から結婚はしていませんが婚姻状態で生活しております」という書類にサインするのではなく。。。たとえば部屋を借りている場合、二人の連帯名義で借りてる?とか電話や水道代の請求書が二人の連名宛になっている?と言うことで判断されることが多いそうです。でも一番良いのは二人で生活を始める時に二人の連名で口座を開き、そこから家賃や光熱費などの支払を行うこと。確かに、赤の他人とは共同口座なんて決して持ちたくないですものね。ここまでうまく証明できたら、二人のCommon-Law Partnerの関係は立証されます!ただし。。。これはあくまでも税法上なんです。つまり、毎年4月末までに報告する税金申告の際に法律上正式に結婚している方たちと同じような優遇処置をしてもらえるということなんです。言い換えると、移民法上はやっぱり赤の他人なんですよ、正式に結婚するまでは。たとえ、Common-Law Partnerの座に1年居ても5年居ても『ビザがおりる』ということは永遠に来ないんですね。MarriedとCommon-Law Partner、まったく同じ権利を主張できるのでしたらわざわざ分ける必要ないですものね。
2006年02月27日
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前回はフランスがイギリスに負けケベックがイギリスの支配下に置かれたとこまで書きましたが、いつの時代も降伏した方には試練が待っています。宗教的にもカトリックと新教であるイギリス国教会など様々な違いのある中フランス系移民は宗教、言語の禁止などかなり虐げられたようです。そんな中、イギリス系の中でも分裂が起こります。英国国王支持派と反対派。反対派は現在のアメリカの地に残り支持派は現在のカナダへ。その際に国王支持派は反対派と対立する為にフランス系住民に宗教、言語などの自由を認めるというQuebec Actというものを発行しフランス系と和解します。アメリカは完全に大統領制の独立国家ですがカナダには現在でも連邦国家の役職の中にgovernor(植民地時代の)総督というものがあります。いわゆるイギリス国家のカナダでの窓口とでも言いましょうか。つい最近までは中国系女性がこの役を勤められており、少し前に初めての黒人のgovernor誕生と話題になっておりました。何故かこの方も女性です。カナダの20ドル札とコインの裏には今でもエリザベス女王の顔がはっきりと載っています。余談ついでに、エリザベス女王は定期的にカナダをご訪問されるらしいのですが、60年代にケベック州をご訪問の際、いわゆるケベック独立派の人たちにひどい出迎えをされたらしくそれ以来ケベック州には二度と足を踏み入れないとの話を聞きました。この英国国王支持派と反対派の争いに一応の決着がついたころ、カナダはアッパーカナダ(ケベック)とロウアーカナダ(オンタリオ)に区分され統合されます。しかしケベック内でPatriotという愛国者たちが現れ更なる自由の為に戦います。メル・ギブソンの『The Patriot』という映画はまさしくこの戦いを描いたもの。ケベックでは人気の映画らしく(当然ですよね)何度かTVで放映されているのを見ました。この戦いの後30年ほど経った1867年のConfederationによってカナダは連邦国家として成立します。当時会議に参加した州はOntario、Quebec、New Brunswick、Nova Scotia、Prince Edward Island(連邦参加は1873年)の5州でした。赤毛のアンで有名なPrince Edward Islandの州都Charlottetownで会議が開かれ現在、Prince Edward IslandとNew Brunswickをつなぐ約13キロの世界一長い橋はConfederation Bridgeと呼ばれています。一度渡りましたが本当に長い長~い橋でした。その後、Manitoba(1870)、British Colombia(1871)、Prince Edward Island(1873)、AlbertaとSaskatchewan(1905)、Newfoundland(1949)の順に参加これに3テリトリーを加えると現在のカナダ連邦が完成します。
2006年02月20日
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ステレオタイプとは-紋切型と訳され,先入観と同じ意味に用いられる。周りのうわさやマス=メディアを通じて,根拠があいまいなまま形成されていくものであり,一つの文化にかなり共通性がみられることが多い。社会一般に慣習とかしきたりのような安定した共通の行動基準がつくられるというプラスの面もあるが、一方では対人認知に誤解が起こり,偏見を生む素地にもなりかねない。外国人が持つ日本人に対するステレオタイプとはカメラを首から提げてグループで大移動。写真を撮りまくる。確かに一昔前はそうでしたが今では中国人、韓国人の旅行者の方がこういう人多いんですよね。まあ西洋人にとってはみんなひと括りアジア人なので仕方ないですが。ふたつめは最新技術に囲まれて生活している。つい最近までUSBキーを知らなかった私は友達に「オマエは本当に日本人か?」と言われたくらい。あと本にもありましたが『NO』と言えない国民と思っている人も多いです。曖昧な文化、人との関係を大事にする日本特有の文化ですね。未だにときどき物事をうまく断れなくて困ること多いです。友達同士ならこのステレオタイプを逆手に取って「私は典型的な日本人じゃない!NO!!!」って言えるんですがね(笑)そして最後は勤勉=よく働く。これは「確かに当たってる!」と思いますが、最近ではこの勤勉さも失くしつつあるような気がしますが。さて外国人が日本人女性に持っているステレオタイプとは…。残念ながらイエローキャブ的イメージが定着しているようです。最近の若い女性を見ているとわからないでもないですが(これもステレオタイプ?笑)ここまで定着しているということは昔からこういう傾向はあったんでしょう。ここケベックはカナダの中ではかなり性にはオープン。夏になるとオンタリオから若い子たちがひと夏を楽しみにやってきます。まぁ これもフランス人カルチャー(ステレオタイプ)ということでしょうか?確かにここの住人口はうまいです。冬は寒いのでとにかく早く暖かいところへと急いで歩いてるのであまり見かけませんが夏になるとみなさんナンパに必死です。それもいかにも短期滞在者を狙って。私も来た当初は「君はアジア一美女だ!」とブッと吹き出しそうなこと言われたこともありましたが、最近は年齢のせいか態度がでかくなって観光客のような初々しさがないためかこういう面白い言葉を耳にする機会がめっきり減りました(笑) カナダには毎年ワーキングホリデーでやってくる日本人女性がかなり多いです。時には初めての海外で言葉の壁や文化の違いに戸惑ってしまったり思っていたように物事が進まなかったり。そういうときに甘い言葉をかけられてついつい・・・という人たちが多いようです。金づるに使われたり、いらなくなったらポイっと捨てられたり。もちろん中には幸せに暮らしている方もいらっしゃいますが。でも悲しい話を聞くことの方が多いような気がします。確かに騙す男も悪いでしょうが、ワーキングホリデーで来ると言うことはそれなりに自己責任が持てる年齢。せっかくの機会を楽しく過ごせるように目標をしっかりもってカナダに限らず世界に出て行って欲しいですね。いいステレオタイプはそのまま残して、イエローキャブのような悪いステレオタイプは時間がかかるかもしれませんが汚名を返上したいですね。
2006年02月11日
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先日書いたケベックの歴史その1に関してJJさんから面白いコメントを頂いたのでそれについて書いてみようと思います。かなり昔、多分高校生の頃だったと思いますが似たようなニュースを聞いたことがあります。当時カリフォルニア在住の若い日本人カップルが、子供が病気になったので病院へ連れて行ったところ蒙古斑を幼児虐待と勘違い。大問題になったそうです。その話を聞いて以来、蒙古斑に関して興味を持ってしまいました。結構、奥が深いんですよ。2年半ほど前、フランス語の授業でプレゼンテーションをすることに。フランス語力のない私は難しい話はできないのでみんなが興味を持ちそうな『蒙古斑と言語』というテーマでプレゼンをしました。背景としては『日本人と中国人が全く別の人種であること。遠く離れた国だけどハンガリーやフィンランドの人たちはもともと同じルーツを持っていること。』を言語的、身体的特徴から理解してもらうこと。結果は皆さんかなり興味を示してくれました。当時、使っていたPCが潰れてしまって詳細のデーターは取れませんが以下のような内容でした。日本語はウラルアルタイ語といってモンゴルがルーツの言語。日本語に似た言葉としては韓国語が有名です。韓国人は同じアジア人だし身体的特徴もそっくり。だけど、同じアジアでも中国語は全くちがうストラクチャーを持っています。中国は英語のように主語、述語の順。その後に目的語が続きます。で、韓国人と中国人に聞いてみました。蒙古斑について。韓国人はかなり高い割合で蒙古斑をもった赤ちゃんが生まれてきます。それに比べて中国人は蒙古斑について知らない人も多い。チンギスハンが中国全土を支配したこ頃にモンゴル系の血が中国人にも混じったり、今でも偏狭の地に住む人の間にはでるらしいのですがその割合は全中国人の10%にも満たないとのこと。ヨーロッパを見て見ると…。歴史で習ったゲルマン民族の移動の原因になったフン族。彼らはもともとモンゴルの地に住んでいました。その人たちがヨーロッパへ向かい設立した国がフィンランドとハンガリー。そう言えばHUNまたはFUNって音似てますよね。ハンガリーを旅したときに昔の農夫の写真を見てビックリしたことがあります。親戚のおじさんにそっくりだったんです。ヨーロッパの国々に囲まれていることもあって言語的にも身体的にもいろいろ融合があってどう見てもモンゴル人には見えない彼らも実は蒙古斑を持った赤ちゃんの出生率は中国人よりもかなり高いそうです。で、言葉の構造を見て見るとEn Tokio ba megyek. (私は東京へ行く) EN=私、ba=へ、megyek=行くだそうです。他のヨーロッパ言語と違って前置詞ではなく日本語の助詞のようなものがあり、語順がそっくりでしょう?このプレゼンをやった後、クラスにいたハンガリー人はすごく驚いて「ハンガリー語はヨーロッパの中では特殊な言葉。周辺の諸国からハンガリー語は日本語のように難しいと言われている理由がわかった!」と言われました。北米大陸だとやはり大昔に海を渡ってきたモンゴル人がインディアンとして知られていますが、やはり蒙古斑をもっているらしい。知り合いのケベック人は3代ほど遡った中にインディアンの血が入っているらしいのですが、彼女の4人の子供の中で一人蒙古斑を生まれた子がいるそうです。インディアンは見た目もアジア系の顔ですよね。以前は映画を作るときに日本人や中国人の役によくインディアンの方たちが使われていたとか。インディアンの言葉については知りませんがいくつかの地名を聞くと日本語の音にとても似てるんです。KANESATAKE、OKA・・・。カナダもインディアンの言葉のKANATAからつけられた名前です。イヌイットの言葉には日本語特有の擬態語(ひらひら、ざーざーなど)らしきものがあるという話も聞いたことがあります。他にもポリネシアの島の中で言語的に日本語に近く、蒙古斑を持つ民族がいるそうです。やはり蒙古斑を言語、この二つには何か深いつながりがあるように思うのは私だけでしょうか?
2006年02月06日
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ケベック州を語るには欠かせないのが、英系VS仏系の対立・力関係。これは中世からの長い長~い歴史と深い関わりがあります。高校時代大好きだった世界史の知識とケベックで知り合ったフランス系の友達の話に基づいて簡単に歴史を振り返ってみることにしました。まずカナダの歴史の最重要人物、フランス人探検家Jacques Cartier。1534年に初めてカナダの土地に足を踏み入れます。この後、フランス人植民者たちがやってきて寒さと飢えと病と戦いながら毛皮の取引などをしながらインディアンと戦闘、和平を繰り返しながらどんどんと植民地を増やしていきます。この頃やってきたフランス人は男たちのみ。ということで、インディアンとの間に子孫をもうけたりしています。余談ですが、インディアンははるか昔にアジアから海を渡ってきたと考えられており日本人と同じ蒙古班があるらしい。なので、インディアンとの混血をしたフランス系の子孫の中にはときどき蒙古班をもった赤ちゃんが生まれるそうです。その後、フランス人はどんどん勢力を伸ばし、東海岸にできたアメリカ13州(イギリス系)の内陸側を五大湖周辺からミシシッピ川まですべて占拠。Detroit(デトロイト)は英語読みですがもともとは「海峡・狭くなるところ」という意味のフランス語。Louisianaはフランスルイ王朝の土地というのは有名ですが地図を良く見ると今でも沢山この地方にはフランス語の地名が残っています。カナダの東海岸に今でも残るフランス人たちのことをAcadianと呼ぶそうですが(名前の由来はよくわかりません)この人たちがイギリス人たちに襲撃された折、船に乗ってアメリカ大陸の南に到着。AcadianからCajunという風に言葉が変化したと聞きました。ケイジャンミュージック、ケイジャン料理というのは有名ですね。私は食べたことありませんが。ヨーロッパで英仏戦争が終結。敗者になったフランスは北米大陸でも領地をイギリス人に没収されます。最終的に残ったケベック州でも宗教的にもプロテスタントとカトリックと違いがあったため、イギリス人による宗教的・文化的(言語も含む)弾圧が。これが今でも英系VS仏系の確執になっているんです。現在、ケベック州の車のナンバープレートに必ず書かれている言葉『Je me souviens』(私は忘れない!)はこの当時のことを深く心に刻んだケベック人の気持ち。当事者でない私としては「ちょっと執念深いんじゃない?」と思ってしまうのですが歴史の残した傷跡ですね。ちょっと余談ですが、ケベック州ではナンバープレートは車の後方だけでOK。前方につける必要はないのです。初めて見たときは驚きました。たいていの車は前方には何も付けずに走っていますが、ここ数年、他国のナンバープレートを付けるのが流行らしくEU諸国のプレートをはって走っているのを良く見かけます。一度だけですが日本の長野ナンバーをつけて走っている車を見たことがあります。さて、ここから現代に至るまでのお話はまた日を改めて書いてみようと思います。つづく…
2006年02月04日
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以前の日記にも書きましたが今年のテーマは『ひと』がテーマ。まだ、今年始まって漸く1ヶ月が過ぎたとこですがいろんな成果が出始めました。ちょっと忙しすぎてなかなか日記も更新できずにいます。まず、1月第2週頃から漸くその気になってきた職探し。旧交を温める中でいろいろ職探しのヒントなどももらって数枚の履歴書を送りました。で、その返事が漸く1件返ってきたのですが・・・。採用担当者曰く「あなたはカナダでの職務経験はあるの?」「ありません。」「なら今まで働いてきた日本の会社の上司の連絡先教えて頂戴!こちらから連絡していろいろ確認したいことがあるから」「え。でも~。連絡取れるかどうかわかりません。仕事変わってるかもしれないし・・・。」「その裏が取れないとダメだから・・・。」まあ確かにどこの馬の骨ともわからない人間を取るのは問題があるのかもしれないが・・・。結局どうしても必要だということなのでテレホンカードを買ってきて14時間時差のある日本が朝になるのを待ち構えて電話かけました。会社での人間関係というのは複雑でたいていは利害関係が関わってくるからあまり個人的な繋がりはない人が多い。中には2度と顔も見たくないという人たちもいるが・・・(笑) 数人仲のいい人はいるがそういう人は大抵同時期に会社を辞めていて今でもメールのやり取りなどをしている。なので、久しぶりに会社に電話をするというのはあまり関わりたくない人と話すということで結構緊張するものです。でも、それはそれなりに私も大人だったので嫌な人でも仕事は仕事と割り切ってやってきた。だから、仕事に関しての評価はそれなりにいいと自負している。久しぶりに、電話をしてそれなりに近況報告してお願いをしたら快く引き受けてくれた。これで一安心。これも一種の旧交を温めたということですよね~。そうこうしているうちに、電話が鳴った。これまた1月からの人脈拡張作戦で知り合いになった方からのお仕事の紹介だった。本業とはちょっと違うタイプのお仕事だったけど前から少し興味を持っていた翻訳関係のお仕事。あくまでもパートタイムだけどよければ履歴書送ってみたらとアドバイスをくれました。私のスケジュールと合うかどうかはわからないが一つの経験としてお手伝いできたらいいなぁと思いながら早速履歴書を少し変更、送付しました。あとはお返事が来るのを待つだけ。という感じで、身辺がなんとなく忙しく動き始めました。今までちょっと燻っていましたが漸く2006年フル稼働ってとこでしょうか?もともと、時間があればあるほどダラダラと過ごしてしまう性分なので少々タイトなスケジュールの方が自分的には充実した日々が過ごせるのでいいのですが。。。ちゃんとタイムマネージメントできるのかしら? ちょっと不安は残るが・・・やってみるしかないか?!
2006年02月01日
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