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毎週火曜日、修善寺の修禅寺で参禅させていただいています。 座禅が終わって、御前様の御高話があります。今日は「死」に際のお話がありました。「死」については、話しづらいし、あまり聞きたくもないことかもしれません。でも、それを考えることによって、命の大切さ、一日一日の大切さも実感でき、「生」がよりいきいきしてくることになるのかもしれません。死を迎えるにあたり、安らかな気持ちで、「これでこの世とおさらばします」という心境が理想だそうです。 そのために、寝る前に(ひとつの練習なんでしょう)、「これでこの世と、しばしおさらばします」と心がけるそうです。また、送る側も必要以上に「騒がない」。でなければ、「亡くなって逝くものにとって、泣かれるほどつらいものはないからね」ということでした。確かに死ぬ側としては、必要以上に悲しまれたら確かにつらいのかもしれません。そういう心境でありたいです。
2008.09.16
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竜馬さん話、最後。やはり、一番感動してしまうのは、大政奉還を成した時の龍馬さんである。幕末、数知れぬ命の犠牲をよんだ。それは、当時の国のシステムである幕藩体制の限界(今の自民党政権に似てるかな…)が、原因ともいえ(現実的にはには徳川家を含め各藩の優位性の争い…)、その元である将軍徳川慶喜を倒すことが日本国救国の手立てとなっていた。(これを私心なく考え、かつ実行したのは龍馬さんだけかな…)その中で、血を見ず解決する手段として、一浪人があるシナリオを描いた。大政奉還である。それに、天下の将軍がのった。(この武士社会の時代、自己犠牲による非常に稀有な決断だった)その将軍の苦悩を心から感動し、こう叫ぶ!横倒しになり、畳をたたき、起き上がって、「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じたまへるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。」と声をふるわせつついった。(「竜馬がゆく」より)意味合いは相当異なるが、ラクビーの「ノーサイド」や「昨日の敵は今日の味方」以上の、敗者?に対する尊敬の念となるのである。ここまでの孤独感、寂しさから開放され、真の同志を発見した喜びであったかもしれない。日本国のためであったにもかかわらず、ここまでの道のりは孤独であったと想う。あの西郷や桂、中岡までも、同志には違いないだろうが、日本国という視点での同志とまではいえなかったろう。「人は何とも、言わば言へ、我成すことは我のみぞ知る」という気概で。「世に生を得る事を成す事にあり」と事を成した龍馬さんであった!ところで、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」だそうです。いいタイミングですね。篤姫にも龍馬さんも、そろそろでてきそうですし、政治の方でも「せんたく」とか、龍馬さんを、今一度知り、感じ取り、少しでもこの難しい時代がいい方向に進むように、一人一人が出来ることをすれば、あの世で龍馬さんが「エヘン、エヘンとたぎっちょる(自慢)」かもしれません…。
2008.09.09
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龍馬さんの魅力。それは、剣客ならではの直感的変化である。勝海舟を切りに行って、勝の見識の高さに感じ入り、弟子入り。(その場の千葉重太郎の気持ちをそぐ意味もあったのだろうが)自分の友人の武市半平太の仇である後藤象二郎(土佐藩)と手をくんだりしてしまう。(大きな目的のためなのであるが、自分の大好きな乙女姉にも小言を言われもたり、海援隊の中でも相当の反対もあった)まさに「義理などは、夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり」。大義のための臨機な直感的変化の真骨頂。
2008.09.01
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