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2025.10.05
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カテゴリ: 大分県
平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われる磨崖仏群。「臼杵磨崖仏」と記されることもある。 国宝 、国の特別史跡に指定されている。

凝灰岩の岩壁に彫刻された磨崖仏群で、摩崖仏はホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、山王山石仏、古園石仏の4つの箇所に分かれている。 いずれも巨大な凝灰岩を彫って高浮き彫りにしたもので、彫刻のみならず彩色もされている。 規模や数量、彫刻の質の高さから日本を代表する石仏群とも言われ、700年以上前にできたものであるため経年劣化が見られるものもあるが、多くの磨崖仏が良い保存状態で残っている。

磨崖仏造営に関する資料は何一つ残っていないため、誰がどのような目的で作ったのかは不明。 磨崖仏の様式などから平安時代後期、一部は鎌倉時代に作られたものと言われている 山岳仏教の衰退によって存在が忘れ去られたことで長らく風雨に晒され、劣悪な環境から多くの磨崖仏が削られ、一部は頭部が剥落したものもあった 。中でも古園石仏の大日如来像の仏頭は1993年(平成5年)に保存修復がされるまで下の台座に置かれたままだった。 1913年(大正2年)に京都帝国大学によって発掘調査が行われ、1952年(昭和27年)に国の特別史跡に、1962年(昭和37年)に国の重要文化財に指定された 1980年(昭和55年)から14年間に及ぶ保存修復工事が行われ、1995年(平成7年)に摩崖仏として全国初、彫刻として九州初となる国宝に指定された。

拝観料は大人(高校生以上)550円、小人(小・中学生)270円(団体割引有)。個人旅行の観光客向けの無料ガイドあり(要予約)。


臼杵石仏事務所・石仏観光センター、駐車場。 拝観料は事務所で払い、入場券を貰う すぐ近くに臼杵せんべいで知られる後藤製菓があり、せんべい作り体験や工場見学ができるようになっている。







ホキ石仏第二群第第二龕、九品の弥陀像。 9体の阿弥陀如来像が刻まれている 中央の一尊だけは裳懸座(仏像の裾が垂れ下がった台座のこと)に座している。 平安時代末期に作られたものと言われている。




ホキ石仏第二群第一龕、阿弥陀三尊像。 中尊にどっしりとした阿弥陀如来像が彫られていて、彫刻技術が見事で臼杵石仏の中では最も優れた石仏の一つとなっている。 平安時代後期に作られたもの。


石仏群は風雨に晒されないよう、保護が徹底されている。ホキ石仏第二群もかつては石仏の上に小さな屋根が設けられていただけで、更に地下水や表面温度の変化によって著しく風化が進んでいたという。 1983年(昭和58年)に保存修理が行われており、以後も日本における代表的な石仏群を後世に残すために市が保存管理に努力している。


ホキ石仏第一群第四龕、地蔵十王像。中尊に地蔵菩薩を配し、左右に5体ずつの十王像を配している。 左脚を下ろして座する地蔵菩薩は古い様式で珍しいものだそうで、彩色もはっきりとしている。 鎌倉時代に作られたもの。


ホキ石仏第一群第三龕、如来三尊像。中尊に金剛界大日如来、左に阿弥陀如来、右に釈迦如来が並ぶ。 いずれの仏像も台座に裾が大きく垂れ下がっているのが特徴的で、台座の前面には経文や願文を納めたと思われる丸・四角の穴がある。 平安時代末期に作られたもの。


ホキ石仏第一群第二龕、如来三尊像。 ホキ石仏第一群の中心的存在である阿弥陀如来 三尊とも見事な彫刻技術で彫られていて、ホキ石仏第二群の阿弥陀三尊像と共に臼杵石仏で最も優れた石仏の一つとなっている。 平安時代後期に作られたもの。


ホキ石仏第一群第一龕、如来三尊像。 中尊に釈迦如来を配し、脇侍菩薩立像を左右に配している。 彫刻はやや簡素なものとなっている。平安時代末期に作られたもの。


石造五輪塔。国指定重要文化財に指定されている。「中尾五輪塔」とも言われる。 大小二基の五輪塔で、阿蘇溶結凝灰岩で造られている。 大きな方は1170年(嘉応2年)、小さな方は1172年(承安2年)の銘が刻まれている。


中尊には大きな如来座像を据え、左右には如来座像を配している。珍しい形式なんだそう 他の石仏と比べると童顔に見え、どこか和やかな雰囲気。 「隠れ地蔵」とも呼ばれている。平安時代後期に作られたもの。


訪れた時は秋。石仏の目前にあるモミジの木は綺麗に紅葉していた。


金剛力士立像。 国宝 に指定されている 古園石仏と同時期に、参道の山門の金剛力士像として彫られたものではないかと言われている。 2017年(平成29年)に国宝に追加指定された。








古園石仏。 13躯の石仏で構成された臼杵石仏の中心的存在で、中尊に大日如来像を配していている かつては風化が進んで荒廃した状態で、大日如来像の仏頭は1993年(平成5年)に保存修復がされるまでの間、長きにわたって台座の前に安置されていた。 平安時代後期に作られたもの。訪れた時は保存修理が行われていて、一部の石仏に苔が生えないように紫外線照射がされていた。 ちなみに臼杵駅前には大日如来像のレプリカがあり、こちらは保存修復がされる前から仏頭が繋がった状態であったことから、願を掛けると首が繋がる、会社でクビにならないという俗説が生まれた。


満月寺。 臼杵石仏を作らせたと言われる真名野長者の発願を受け、石仏を彫ったと伝えられる蓮城法師により創建された寺院。 臼杵石仏の守護寺。12世紀に創建され、かつては広い境内を持つ天台宗の寺院だったものの、17世紀に一度廃寺となっている。現在の寺院は1951年(昭和26年)に復興されたもの。




木原石仏。満月寺の境内にある、地中に埋まった仁王像。 古くは像の鼻を削って飲むと疫病に効くという言われがあり、2体とも鼻の部分が削りきられてしまい無くなっている。


真名野長者夫妻像、蓮城法師像。満月寺の境内にある。 伝説によると真名野長者が臼杵石仏を作らせ蓮城法師が石仏を彫ったと言われているが、伝説と石仏が彫られた年代が異なる為、実際はどうであるのか定かではない。


石仏梵鐘。平和を祈願し、1988年(昭和63年)に造られた。


宝篋印塔(日吉塔)。国指定重要文化財に指定されている。 日本最大の高さを誇る宝篋印塔で、日吉塔という名前は満月寺の守護社である日吉社から付けられたものだと考えられている。 塔身は彫り抜かれていてその前面に扉をつけていた痕跡があり、台石の格狭間は二連の蓮が彫られた関東式のものとなっている。 建立以来この位置を動いていないことが発掘調査によって判明している 13世紀後半に建立されたものだと考えられており、同時期の石造宝篋印塔は非常に貴重なものとなっている。



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最終更新日  2025.10.05 21:29:58
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