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亀3部作(←いつの間にタイトルが^^;)、最終回であります。中国地方某県にて旧交を温めた友人のHPにですね、私のことが書いてありました。そうです、例の亀の一件です。「元々が、鶴亀千年、たり万年の呑気モンと評判で・・・」ちょっとちょっと、初めて聞くのですけれどーっ(爆)「一つ人より犬が好きってくらいの犬フリークで・・・」当たっていなくもないけれど、電脳世界にまで宣伝しないでおくれ(汗)「迷い込んできた犬と遊んでいたら(茶会の)席入りに遅れた逸話を持ち・・・」だーっ、うるさいなぁ、昔のことをいつまでもっ(爆)「ともあれ動物に優しい呑気な人です。亀とは特にテンポが合うのではないかと思いました。連絡が取れない時は、竜宮城へ旅行中なのかも知れません」・・・言いたいこと言ってくれるやんか、ふふふのフ。誰のテンポが亀と一緒だとぅ??? うっきー!(><)閑話休題・・・ちとムッツリ。見当外れな(←ここ重要☆)友人の評価は横に置きまして、今回のキーワードは 「竜宮城」 でありまする。竜宮城と言えば浦島太郎で、浦島太郎と言えば玉手箱。件の御伽噺の不思議かつ不愉快な点は、「開けてはいけない」 玉手箱を、何故わざわざ持たせたかに尽きるのではないでしょうか。竜宮城での手厚いもてなしを受けた後だけに、太郎のショックと絶望は計り知れません。異界の者が、彼らにとっては短命で卑小なる人界の者をアップダウンで嘲弄した・・・ということなのでしょうか?もしもそうであれば、この上なく嫌な話であります。日本で小学生をやれば、その気がなくとも耳に入る噺であるだけに、ずっとスッキリしない気持ちでした。この点への疑問に、多少・・・完全にとは言いませんが、それなりに腑に落ちる説明を得ましたのが、実はほんの10日ほど前です。たまたま本棚で行き会いました、泉鏡花の 『海神別荘』 を久しぶりに読み返しまして。鏡花の戯曲の中では評価が低いようなのですが、私は割と好いています。ちなみに主人公の海神公子は、乙姫の弟という設定なのですよ、御存知でしたか?^^姉の乙姫は竜宮城、弟公子は琅かん(「王干」 ←という字です。出ないので、合成)殿に住んでいます。琅王干とは、極上の翡翠の一種です。 優雅な殿舎名ですねぇ。蛇足ながら、『海神別荘』 の粗筋をば。千尋の海底に豪奢な宮を構えて海を司る海神公子は、この度、人界から嫁を迎えることになり、到着を待ちわびています。お嫁様は、その父親が海の幸を祈願して公子が応じたことで、いわゆる生贄として海に沈められた娘です。人目には溺れ死んだはずの娘は、公子から遣わされた侍女や海の兵士らにかしづかれて、花嫁衣裳で海底の琅かん殿に向かいます。着いた時こそ、公子の竜神姿(鮫にさらわれた侍女を救った時のままの龍の鎧を着けた状態で対面したので)に怯える彼女ですが、綺羅を尽くした殿舎や、与えられた豪華な装飾品、登仙風味の美酒などなどで、すっかり夢見心地です。 もはや、生贄であった哀しさも過去のものです。陶然とした彼女は、公子にねだります・・・自分のこの姿を、里の者に見せたい、と。生きていることを知らせたいだけとの殊勝気な言葉の裏にあるのは虚栄であり、公子は即座に見抜きます。「貴女は栄耀が見せびらかしたいんだな、それは不可(いか)ん。 人は自己自分で満足せねばならん。 人に価値(ねうち)を付けさせて、それに従うべきものじゃない」「人は自分で活(い)きれば可(い)い、生命を保てば可い。 しかも愛する者と共に活きれば少しも不足はなかろうと思う」「宝玉とてもその通り。 手箱にこれを蔵すれば家宝そのものだけの価値を持つ。 人に与うる時十倍の光を放つ、唯(ただ)、人にみせびらかす時その艶は黒くなりその質は醜くなる」・・・何度読んでもドキリとします、この下りの台詞。公子は、つまり、人間であれば多少なりとも持つ見栄などの感情一切を捨てて、海の人、つまり異界人となれと言っているのですね。人界での価値判断を捨てて、もっと大らかなる境地に来なさい、と。泉鏡花の代表作として有名な戯曲に 『天守物語』 や 『夜叉ヶ池』 がありますが、登場人物はいずれも、純粋な真情と熱い想いによって異界の存在から認められ、永遠の幸福と命を得ます。『海神~』 の娘も、見栄に迷いはしますが元は親のエゴにも逆らわず、これも孝行と思い定め、逍遥と海に沈んだ身です。鏡花作品の中では、異界=真理の世界 なのですね。到達できる人界人は、異界人の心を動かすパッションや純情を尽くした、選ばれた人だけなのです。私達のよく知る一例は、「お七」 です。御存知、焼け出されて避難したお寺の小姓に恋焦がれる余り、再会するために放火の大罪を犯した17歳の江戸娘ですね。お七は火刑になりますが、『海神~』 では、意気に感じた乙姫が、お七の魂を竜宮へ引き取り、幸せに暮らさせているという設定です。ここで話を浦島太郎に戻します。「魂を引き取る」 という箇所に、ピクリときました。引き取るからには、保存されているはず・・・そのまま適当にウヤムヤってこともないでしょう、多分。もしや、太郎の魂は・・・竜宮に行った時点でパック詰で永久保存されるはずだったけれど、本人が帰りたいと言うからには、一緒に持たせない訳にはいかなかったのかなぁ、と。魂なくしては、人界では生きられませんからね。出来れば開けて欲しくないけれど、人界に戻っては不可欠のものだから、開けざるを得ない意味深な言葉と共に玉手箱を持たせたのかなぁ・・・と、こう思ったわけです。鏡花作品では、異界に迎えられて永遠の幸福を得るための通過儀礼(イニシエイション、ですかね。 オ○ムとは無関係で、単に人類学的用語)として、現世での生命と肉体、義理人情などとの決別を課します。浦島太郎の場合、一度は通過出来そうだったのですが・・・ギリギリで思い切れなかったということですか。もっとも、太郎の立場になれば!戻ればそうなると知っていたら、戻らなかったでしょうにねぇ。乙姫さんも、躍るタイもヒラメも説明不足でありんす(笑)弟の海神公子は、ちゃんと彼女に説明して実際に体験させて、納得させた上で改めて婚姻の儀を交わすのですよ。女は結局、意地悪・・・という感じでありましょうかね。かなりの部分に私なりのオチがつきましたが、この点はまだ、未消化であります(笑)ま、うかうかと亀関係には手を出さぬが花ということですネ。オシッコされても嫌ですし、事後保障もなく別天地へ連れて行かれても困りますし、ストイックな禅宗もイヤ~ンだしぃ。私は、やっぱり現状で呑気にホケホケしていたいです。長々と書いたくせに、こげなオチで申し訳ないことです、ハイ(^^;
2004年05月30日
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先週の日曜、最終日に行って参りましたー♪なんで一週間以上前のネタなのかと言いますと、それだけ日記をサボっているからです、はい(爆)新幹線で京都に戻ったのが、夕方4時ちょっと前でした。むむ、もう少し早く着く予定だったのですが・・・友人と話し込み過ぎちゃったかな?滅多に会えない人なので、つい名残惜しくて。さて、6時閉館だから急がねば・・・お土産を入れた紙袋をコインロッカーに預けて、市バス乗り場へタタタっ。京都国立博物館は、通りを挟んだ三十三間堂の真向かいにあります。しばらく来ていませんでしたが、いつ見ても立派な建物ですのぅ。エントランス前で傘をチャッと畳み、おもむろに財布からチケットを出しました。今日でお別れだね・・・明日からは、財布を開いてもこのチケットはないのね・・・つまり、それだけ長い間、入れたままにしておったとゆーコトでありんす(爆)実はこのチケット、いただき物なのでした。茶道繋がりの知り合いが、この展覧会の関係者招待券をお持ちで、1枚を私に回して下さったのです。「南禅寺展、楽しみなんですよー♪」 と、私が別の方にキャッキャと話しているのを耳にされたそうで、後日、共通の知り合いを介して私に届けて下さいました。知り合いとは言いましても、年に数回会うだけの方です。大して親しいとも言えない私のために・・・と、驚き感激しました。1枚だけでは却って失礼かと存じますが、(中略)お楽しみいただければ幸いです・・・云々と、水茎の跡も麗しいお手紙まで。慌てて御礼状を参らせましたが、かなり恥ずかしかった・・・。どーいう巡り合わせで、私の周囲には、こうも達筆 ・ 麗筆の方が多いのでしょうねぇ(;;)字には悩まされます・・・書の守りであるウサギさんに、悪さなんかしたことありませんのに。あ、亀を助けたからぁ??? (←超違)話が逸れました。有難い御配慮を受けたことで、何倍も楽しみになった南禅寺展です。時間が空いたらいつでも行けるようにと、財布にチケットを忍ばせ・・・そのまま、どうにも取り出す機会に恵まれませんでした。気がつけば、遠出する当日の金曜日です。早めに出て、新幹線に乗る前に観ていこうと思っていましたら、これまた急用でアウト。こうなりますと、帰京する日曜の最終日しかチャンスはありません。何としても開館時間内、閲覧に足る時間内に戻ってこねば・・・と、自分の楽しみを逃すだけならば残念で済みますが、楽しみをボトムアップして下さった御厚意を無には出来ませんし、何より、そうしたくなかったのです。雨で道が混むかと案じましたが、有難いことにバスは順調に進んでくれました。着いてしまえば近い場所のこと、時間は4時半少し前。6時の閉館時間まで、たっぷりと堪能して参りましたー^^正確には6時を過ぎましたが、最終日ということで、博物館の職員さん方も大目に見て下さったのでしょう。閉館アナウンスはありましたが、追い立てられることはありませず、同じく観覧中の皆さんと共に存分に楽しめました。かつて南禅寺は、禅宗寺の最高位に叙せられた名刹であります。当時の南禅寺僧と言いませば、有徳の宗教者であり、辣腕の外交官であり、風雅な書画人でありと、まさしく国家の心技身を彩った面々です。そうした方々が遺された書画は勿論のこと、随一の禅寺に奉じるべく妍を競った当時の芸術家達の作品も多く展示されていました。禅寺向けならではの、抑えた表現の中にも隆盛を忍ばせる雰囲気が興味深く思えました。最上位の奥ゆかしさかと思いました、僭越ながら。立寺あそばした亀山法皇御忌700年記念の展覧会に相応しい、京都らしい展示会であったと思いました。素晴らしい幽玄の世界でした。嬉しかったことを、プチ自慢させて下さいね。出口前の、展覧会に因んだ物品販売ブースで、私の名前の篆刻印を見つけました♪雅号などによく使われる字だけを集めた、200ほどの中に入っておりました。ややマイナーな名前の私ですので、見つけました時には、嬉しさよりも先に、「何で(あるの)??」 と、少なからず驚きましたけれどネ(笑)別売りのケースと一緒に、ウキウキと買いましたー。名前一字の篆刻印、実は昔から欲しかったのです。ちょっと気取って、蔵書印に早速使っておりまする。ポケン、ポケン、と捺す くっきりタの字。うれしー^^拙いレポにて、失礼いたしました。亀に触った後に亀山法皇と、カメカメしい日記になりましたので、次回も亀関連で参ろうかと開き直っておりまする~。お時間よろしければ、読んでやって下さいませ^^
2004年05月25日
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あんなに臭いモノでしたかねぇ!20年以上ぶりにマトモに触りましたが、記憶では、多少の生臭さを超えるモノではなかったように思うのですが・・・むぅ。話は、先週末に遡ります。茶道の集まりで、はるばる中国地方の某県へ泊りがけで行って参りました。着物と荷物のバッグは、コンビニから宅急便をお願いしたので身軽なものです。 ついでに、お財布も軽くなった・・・(爆)地元の友人が、車でJR駅まで送ってくれます。夕方には京都に戻っていたい私のために、少し早めの出発となりました。もっとも、新幹線にさえ乗ってしまえば2時間程の距離ですから、途中でお昼を食べて、駅前でおチャして・・・と計画しながらのノンビリした道中です。途中、開いたばかりの温泉(入浴のみもOK)に寄って、貸し切り状態で優雅な朝風呂としゃれ込む余裕ぶりです。旅先ならではのプチ贅沢が、後の私を助けてくれることになります・・・湯上りのピカピカした顔で車に乗り込み、市街に向けて再び出発ばぶ~ん。左には緑濃い山の連なり、右には大きな河を眺めながら、気の合った友人とのトークが盛り上がる快適なドライヴです。1時間ほど走った頃でしょうか・・・お昼には、まだ少しという時間でした。急におしゃべりが途切れ、車内が一瞬シン、と。道路の端っこに黒っぽいコンモリとした物体があり、のそのそ動いていたのに同時に気付いた友人と私は、思わず絶句したのでした。「・・・亀やんな、今の」「うん、多分・・・てゆっか、亀」人家もまばらな、山と河に挟まれた田舎の環境です。亀がいること自体は不思議でも何でもないのですが、アスファルトの道路、それも真ん中に向けて歩いていたことは問題です。「あのまま歩いてたら、車に轢かれるで・・・」友人は一瞬黙り、それからキッ、と路肩に車を駐めました。「どーする、戻るか? 気になるんじゃろ?」「うん・・・ええか? 手間かけるけど」「いーよ、たりちゃんのビョーキじゃからね」友人は苦笑いでUターンしてくれまして、車はすぐに件の場所に戻りました。いるいる。 やっぱり亀です、間違いなく。勤勉な性格であるのか、ものの3分くらいの間にも結構移動していました・・・車道の真ん中を目指して。30センチはあろうかという大きな亀ですから、歩幅も大きいのでしょう。これを使えと、友人が後ろの座席から取った孫の手を渡してくれました。何で孫の手なんか車に乗せているのかとツッコミを入れる余裕は、その時の私にはありませんでした。ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る近付きました。はい、そうです・・・ムチャクチャ怖かったのです!勢いで戻って来たのは良いのですが、カミツキ亀だったらどうしようかと思って。数年前から、飼い主が持て余して捨てたカミツキ亀に喰いつかれて大怪我をしたという事件が増えています。まともに噛まれたら、指の一本や二本は持っていかれるとのこと。私の住む地域でも、安易に触るなとの警告ポスターやCMを目にします。なるほど、と理解してはいたつもりでしたが、実際に見知らぬ大きな亀に接する機会があるとは思っていませんでした。暑くもないのに、ジワリと汗が・・・。私の躊躇いなど知るはずもなく、亀はチックリチックリと歩を進めています。まずは、この孫の手で突ついて反応を見るべきです。グワッ! と噛み付いてくるようでしたら、それはそれで然るべき役所に連絡せねばなりません。停めた車から離れてはいけない友人は、私を気にしながら、ケータイで近場の保健所の番号を探してくれています。大丈夫、カミツキ亀であっても飛びやしないんだから・・・と、孫の手を握り締めて一歩踏み出しました。と、そこへ後続車が!それまで車が来なかったのをいいことに悠長にビビッていましたが、曲がりなりにも国道ですから車は通ります。亀はもう、かなり出ています・・・車は快調に走ってきて、シャッ! と通り過ぎました。轢かれた! と思い固まった私が見た光景は・・・亀の怯えでした。亀が声を出せれば、「うわあっ!」 と叫んだことでしょう。幸いにも車の両輪の間だったのですが、頭と四肢をバッと引っ込めたのです。 その瞬間を、私は見ました。車が通り過ぎても、甲羅の中に隠れたまま出てきません。亀としては大きくても、車とは比すべくもなく・・・そもそも、高速で自分の上を抜けて行った大きなモノが 「車」 であることなんぞ、亀には解りません。怖かったはずです、甲羅の中でブルブル震えているのかも知れない・・・。可哀相に! と思ったパッションが、怖さを超えました。そして、その反動か、いささか冷静にもなりました。TVやポスターで見たカミツキ亀とは、甲羅の色や形が違います。思い切って駆け寄って、孫の手でツンツンしてみましたが、反応ナシ。ガタイが大きいだけで、普通の亀なのかな?そこへ、更なる後続車が近付いて来るのが見えました。今度は大型トラックです、あれに轢かれたら間違いなく死にます、この亀。カミツキ亀ではない(らしい)だけで、私の知らない凶暴な種類なのかも知れません。でも、このままでは必ず死ぬ・・・ついでに、どんな亀でもお尻を持てば大丈夫(らしい)。この二点を解ってしましたので、ままよ! とお尻に近い甲羅をガッシと掴み、路肩に駆け戻りました。近くに迫っていたトラックに、「すみませんでしたー!」 と大声で叫びましたら、助手席のアニさんが笑顔で手を振ってくれていました。 ホッ。さて、次にこの手をどうしたものか・・・亀のお尻を掴んだまま、ンッ、と考え込む私です。河岸ですかね、戻すとしたら。と思い、タタタと道路を横切って河へ出ますと、昨夜の雨で水量が大幅に増えています。土手は急傾斜しているだけで、平らな部分がありません。 こっちはNGですな。車を数台やり過ごして、また道路を横切って山側へ。腕を思い切り伸ばした中腰の姿勢で支える30センチの亀は、非常にドッシリと重いものでした。このような辛い体勢で歩き回った理由はですね、身近に引き寄せた途端に噛みつかれてはという恐れもありましたが、それより何より、臭かったからなのですよ(爆)触れている指先の色が変わるんじゃなかろーかと、本気で心配したくなったほどの臭いです。昔、洗面器で飼った小亀は、こんな臭いしなかったぞぉ・・・と思いながらフと見ますと、指に何やら黄金色の液体がタラリと。うげげ、アンタもしかして・・・(爆)友人のアドヴァイスに従い、しばし歩いた田んぼの側道に安置しました。ここが良いのかどうかは解りませんが、少なくとも水と食料には困るまい、ということで。もうヒョコヒョコ出てきたらあかんえ、アンタも亀ならまっとうに長生きしよし、と声をかけて、キョンシー体勢で車へ戻りました。手がくっさーーい、一刻も早く洗いたいのに、近場には人家すらなし。困ったなぁ、と話していますと、友人がパンと手を打ち、私の荷物をガサゴソ。そうです、朝風呂で使ったままの濡れタオルがあったのです!私は狂喜して、思う存分手を拭いました。 はぁ、スッキリ。それでも気持ち悪かろうという友人の配慮で、20分ほど走ったドライヴインで、早めの昼食タイムとなりました。お手洗いの石鹸で手を洗い直し、ついでに、内緒でタオルも水洗い・・・スミマセン^^;その後は予定通りにJR駅前の喫茶店にてゆっくりとオチャして、友人に見送られて無事に新幹線に乗りました。あの亀、どうしているかな・・・と、窓の外を眺めながらボンヤリ。強いて戻って助けたかった理由は解っています。先述の、子供時代に洗面器で飼っていた小亀をむざむざと死なせてしまった胸の痛みがあるからです。私の不注意で洗面器を戸外に出したままにしたところ、庭に入った猫にやられたのです。小亀の甲羅の無残な様子は、いまだに忘れられません。小亀を死なせてしまったことへの贖罪に置き換えるほど能天気でも感傷的でもありませんが、単純に何らかの助けの手を出せる立場にいるのならば、素直に手出ししたいとは思います。その場限りという批判もありましょうけれど、まずは窮地を脱させて次を考えられる環境に誘うくらいは穏当の範囲だと思います。京都駅に戻ってからは、またもや汗を浮かべながら移動・・・。京都国立博物館の、南禅寺展の最終日でした。こちらのレポは、また後日。
2004年05月19日
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ハムの悪口を書くと予告しましたら、階段を踏み外して、ハムのよーな我が足首を捻挫してしまいました。腫れは大したことありませんが、動かさなくてもズキズキ・・・いてて。これって、ハムの呪いなのでしょうか(汗)試験直前のこと、右手でなくて幸いでした。ハムの圧力には屈しません、書くと言ったからには書きます(←意味不明に気合☆)ええと、冷やし中華が嫌いになったきっかけでしたよね。あれは多分、4つか5つの頃だと思います。当時、大阪の銀行に勤めておりました父が大事な書類を家に忘れて出まして、急遽、母が届けに行くことになりました。ついて行きましたのは私だけで、これは母も理由を覚えていないとのことです。姉は学校だから解りますが、兄はどうしたのでしょう。それに私も、どうして幼稚園をお休みしていたのかなぁ。あうっ、イキナリ本筋から外れました(汗)ともあれ、母と共に大阪に出まして、無事に書類を受渡しました。父が食べさせてくれたアイスクリームが美味しかったことを、よく覚えております。ここまででしたら、楽しい思い出の一つで済んだのです・・・が。父と別れた後、遅い昼食か何かでしょう、母は街中のラーメン屋さんに入りました。ここで私は、生まれて初めて冷やし中華なるものを食べたのです。両親が特に好きではないので、冷やし中華が食卓に上がることも、外で注文することもなく、それまで一度も食べたことがありませんでした。思い出せば、ものすごく暑い夏の日中でした。母が、好物でもない冷やし中華を注文する気になるほどに・・・。ガラスの器に盛られて出てきた冷やし中華は、私が見たことのない派手な一品でした。冷たい麺と言えば、ザル蕎麦や素麺くらいしか知らなかった当時の私には、結構なインパクトです。子供心に、あまり食べ物っぽく見えませんでした。麺と錦糸玉子の黄色、キュウリの緑、モヤシの白、キクラゲの焦茶、そして、以後の私に大きな影響を与えることになるハムの赤とピンク・・・。そのハムですけれどね、あああ~、お若い方は、もう御存知ないかも知れません。昔の日常的なスライスハムは、縁が赤かったのですよ。もちろん、着色料です。縁だけが鮮やかに赤く、真ん中の部分も現在のハムよりはピンクが濃かったと思います。世間が着色料の弊害に敏感になるにつれて市場から消えていきましたが、この当時はごくごく普通に出回っていたのでした。冷やし中華に乗っていましたのは、このハムを刻んだものでした。ちゃんとした(?)焼き豚なり茹でササミを使うお店もあったでしょうから、普通のお安いハムを使うこのお店は、わりと庶民的な部類だったのでしょうね、今思いますと。で、このハムがですね・・・みょ~~~に生臭かったのですよ。いつも家で食べる時には、こんな臭いはしません。一緒に乗っていた野菜にも臭いが移ってしまっていて、ハムだけ除けて食べればいいというものでもありませんでした。麺だけでもと思いましたら、所々がダンゴ状にくっついて茹で上がっている始末で、食べにくいときています。それにやはり、初めて味わう酢醤油スープの味は突飛すぎて、どうにも困ってしまいました。見れば、向かいに座った母の箸も進んでいないようです。子供の手前、大幅に残すわけにもいかないと思っていたのでしょうけれど、美味しいと思ってはいないことが明らかでした。残して良いかと尋ねると、アッサリと許してもらえましたのでね・・・。今思えば、あのハムは、少し傷みかけていたのではないでしょうか。お腹を壊すほどではなかった(そうなっていたら、立派な食中毒ですものね!)ものの、臭い始めてはいた・・・という、非常にビミョーな線だったのかなぁ、と。母と私は、結構危ない橋を渡ったのかも知れませんね(汗)知れませんね、で話のオチがつけば良かったのですが・・・。幼かった私の心に、この出来事は深く根を張りました。それ以後しばらくは、ハム自体が気持ち悪くて食べられなかったくらいです。ハムは食べられるようになっても、冷やし中華に対する気持ちは戻りませんでした。冷やし中華はマズい、臭い、気持ち悪い! という固定概念が出来上がり、ビクともしません。元より我家では誰も特に好まないので、以後も食卓に上がることはありません。そして、お店で注文することもありません。月日は流れ流れて約28年、私はそれきり一度も冷やし中華を食べずに過ごし、食べていないこと現在進行形で記録更新中であります(爆)冷やし中華といいますのは、極めてポピュラーなお料理であるわりに、食べずにいようと思えばそれで通る品でもあります。夏にラーメン屋さんに入っても、暑いのさえ構わなければ、普通のラーメンを注文すれば済みます。他所のお宅でお招ばれする際にも、冷やし中華がドンと出る機会というのは、ありそうでないと思いませんか?もっとも、私の冷やし中華嫌いを御存知の場合は、あえて避けて下さったからでしょうけれどね・・・。もっとも、ここ数年くらいの私の気持ちは、そこそこ軟化しております。あのお店で当たった一皿の方が例外であり、本来の冷やし中華は、そう気持ち悪くもマズくもないお料理なのだと理解しているのです。グルメ番組で紹介される冷やし中華は、材料も良いし手間もかかっているしで、素直に美味しそうだと思って観ておりまする。親しい友人達も、「必ずたりちゃんに新しい世界を開いてあげる!」 と、それぞれゴヒイキの美味しいお店に連れ出す気合い満々でいてくれています(笑)昔の私は謝りつつも断っていたのですが、ここ数年は、機会さえあればチャレンジ・・・という気持ちです。んが、しかし!その機会がね、ずっとないのですよー(笑)食べに行こうと約束した日にどちらかの都合が悪くなったり、他のものが食べたくなって針路変更したり、理由は様々ですが、どういう訳かタイミングを逃しております。一度などは、本当にお店まで行ったのですが、前日から改装休業に入っていたということもありました(爆)嫌いだ嫌いだと言い続けていたので、向こうからも嫌われてしまったのでしょうかねぇ???心理学を修めた友人に言わせますと、「軟化したものの、まだホントは逃げたいという気持ちがあるからだよ」とのことです。改装休業は例外としましても、都合が合わなくなったとか、急に他の料理が食べたくなったという理由は、決して偶然ではないそうです。深層心理の部分でフッ切れていず、その心の動きが別の用事を作ってしまうのだとやら。ふむ、これは何となく納得できるなぁ・・・。しかし、都合が悪くなるのは私ばかりではなかったし、他の料理にしようという時は、友達も一緒に盛り上がっていたけれど?「それはね、大雑把に言えば、お友達がたりちゃんを好きだからだよ」へっ???説明によれば、これも友人の深層心理によるものなのだとか。美味しい冷やし中華を食べさせたいという気持ちは、一点の曇りもない真心から。しかし、気持ちのもっと深い部分では、私がまだ微妙に引いているのを感じ取っているのだそうです。好きな友達に嫌な思いをさせたり、我慢をさせたりすることへの抵抗感が、やはり他の用事を作らせたり、他の料理を食べようと提案させるコトになるのだ、とのことです。「世の中に偶然はないんだよ。 一般に言う偶然っていうのは、意識に上らない心の動きが、上った部分の意識に及ぼす錯覚の一種なのよ」ふわぁ・・・たかだか冷やし中華を食べるか食べないかだけの話が、えらく大きなテーマに(^^;友達に気を遣わせていたのか・・・悪かったなぁ、と言いますと、カラカラ笑い飛ばされました。向こうは自覚していないよ、自覚できたら深層心理じゃないじゃん、と。そりゃそうか(汗)彼女の説明の当否は別としましても、今年こそは機会を逃さず、美味しい冷やし中華の世界に踏み出せればなぁ、と思っております。体質に障るものと、宗教的禁忌を除けば、何でも楽しく食べられるのが一番ですものね♪私の右手は、試験のためのみにあらず。美味しいお食事を楽しむべく、お箸を持ったり料理をしたりのためにも活躍するのですよ~ん。流れとしては右手だったはずの捻挫が足首に回ったのを吉祥に、この夏こそは手首のスナップを効かせて、冷やし中華の麺をたぐり寄せたいところです、ハイ。・・・それにしても、足首痛い(涙)
2004年05月05日
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京都には、全国比でラーメン屋さんが多いそうで。他所を知りません私には、そうなん? という程度の気持ちしかありませんが、この時期には、急に意識いたします。確かに・・・多いのかも?道をテクテク歩いておりますと、市街地でしたら10M毎??? という頻度で、ノボリを目にします。「冷やし中華始めました」始めたからには、はよ終わっておくれ・・・といふキモチです、毎年の私。嫌いなのですよ、冷やし中華たら冷麺たら(--;)あ、ちなみに、冷やし中華と冷麺って、どう違うのでしょうか?御存知の方、どうか御教示下さいませ(ぺこ)。閑話休題。私の、冷やし中華や冷麺への苦手意識&避け続けた年数は、多分28年目を越そうとしております。ワインならば、28年熟成の意味もありましょう・・・と言いますか、むしろ、喜ばれるのでしょうけれど。30を過ぎた一人のオナゴが、アレルギーもないのに夏の国民食とも言えそうな一品を嫌い抜いておりますのは、ただのワガママとしか申せませんねぇ。詳しくは、また明日にでも・・・って、わざわざ言うほどのコトでもないのですが^^;ハムですよ、全てはハムから始まりました・・・(爆)
2004年05月04日
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