日々、是、ざつぶん

日々、是、ざつぶん

September 4, 2021
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テーマ: DRAGON CHEF(9)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ここ2か月ぐらい、買ってあった 戦国無双5 も途中で放りっぱなしで、あまりにもず~っと DRAGON CHEF RED U-35 について考え続けていたら……。

とうとう、自分の 夢の中 (本物)にまで現れた(恥)。

こんだけはっきりした夢をみたのは、いつ以来だろう……と、考えているうちに消えてなくなりそうだったので、今、朝起きた状態のまま、急いでタイピングしている(もっと感受性が豊かだった中学時代は、夢日記までつけるような乙女()だったわ……その続きをこんな歳でまだやることになるとは←そして、その夢の結末まで書いてから 一時保存 して仕事に行った 8/31のこと だったり←つまり、そこからうpするまで、さらに 4日経っている

ああ、そうだ。
これから先の話を理解するためには、いかにしてはやせが ​下國沼​ (←とうとう認めざるを得ない状況に)にズブズブと 沈没 ()していったかをあらかじめご理解の上でお読みいただいた方がいいかもしれません。 意味が分からない と思うので
(ドラシェフ話より​ 第1弾 ​と​ 第2弾 ​、RED U-35話より​ 第1弾 書評のページ ​にも

さて。
一体どんな夢かっつーと、下國シェフと、山下シェフとが、屋外立食パーティのための料理を仕込んでいるところに、はやせが 記者として取材をする 、という、夢(謎。まぁ、夢だし。けど、室内光に淡く照らされた芝生の深みのある青さがやけに記憶に残っている)

50人分 (合計 100人分 !)。
ただ、対決している雰囲気はなくて、お互いに自分たちらしい料理をつくりながら、時々二人で協力しているような感じ。

まぁ、調理自体は建物の中で、それをどんどん外へ運びだすスタイルだ(なんか既視感があるな、と思ったら、やっぱり『 大使閣下の料理人 』の中にあるシチュエーションだったわ)。

……何年後かの、ドラシェフ関係者をかき集めた レセプション・パーティ か何かのシチュエーションかね、これは。

建物の中での取材は当たり障りのない本当に「お仕事」の範囲の接し方だったけど、パーティが進んで料理の提供も一通り終わって、外でその様子を眺めながらビール片手に(←十中八九 プレモル だ)ご休憩中の下國シェフを見かけたので、夢の中の記者・はやせは彼にねぎらいの言葉をかけに行くのだが……。

「blog見てますよ」(微笑み)

と言われて、心臓が飛び跳ねて、それに自分でびっくりして 目が覚めた (←大アホ

いや、でも、下國シェフは夢の中でも、やっぱり、 ​小動物のように​ 可愛かった(←殴おまいはもういい加減ご本人に迷惑かかるからやめれ



まぁ、前置きはこんなかたちにして(ぉ
こんな、年甲斐もなくこっ恥ずかしい夢を見た理由に 心当たり は、ある。

一つ目は、三田にあるというもう一つの東京「 コート・ドール 」のオーナーシェフ、 斉須政雄 さんのインタビュー記事を読んだから(​ 料理王国ウェブサイト ​より、​ 前編 ​・​ 後編 ​及び​ 原点 ​と​ 普通を貫く話 ​)。

この中で(後編)、1986年に開業したこの東京のコート・ドールにもオーナーさんがいて、斉須さんは元々、そのオーナーに見出された 雇われシェフ だったそうだ。そして、いよいよ斉須さんが独立するという段になって、斉須さんはそのオーナーから 店ごと経営権を譲られ 、店の名前もコート・ドールのまま今度は オーナーシェフとして約30年 お店を維持してこられた(独立は1992年)。

……あの、オーナー様、 ​器デッカすぎ​ ませんか?
雇われシェフだった方が、そのお店をオーナーからそのまんま譲られるとか、他のお店であんまり 聞いたことがない んですけど(まぁ、時期的にはバブルが弾けて景気が傾いてきた頃だし、何らかの契約はあったんだろうが)

なお、そのオーナーさまは、そのコートドールを1990年に札幌にも開いて、現在もオーナーとして経営されている、ようだ。たぶん。代替わりしていなければ(参考:​ コートドールプロパティ株式会社・会社概要 ​より。が、​ わかさグループの沿革 ​の方とクロスすると、創業当時のオーナーさんは3代目社長だったかもしれん←現在のオーナーさんはたぶん、4代目社長だった方←と、見せかけて6代目の方だったり?←誰が来ても ワカサさん なのは間違いないがw)。

ところで。​​
下國シェフがドラシェフで優勝した直後くらいに、ネット界隈ではなんか オーナーシェフとして店を経営している方がエラい 、みたいな風潮が流れたんですが……。

あの、 ただのサラリーマン料理人じゃない ですよ?少なくても、この コートドール札幌 における雇われシェフの立場って。

下國シェフはコートドール札幌の4代目のシェフですが、その時点で すでに25年維持されている お店の 調理部門の責任者として任される わけです。一般の会社で例えるなら、たぶん、支店の 専務クラス でしょ(←支配人さんが支店長クラスだと思うんで)。しかも、彼はこのお店で育った生え抜きの料理人ではなく、立ち上げから参加していた思い出も深かろう 元いたお店をしっかりと綺麗に畳んでから 、おそらく オーナーさんから招聘される 形でシェフ(料理長)に就任している(もしかしたら、引継ぎのためにある程度 Wワーク状態 だった時期もあるかもしれないが)。

飲食店業界は、創業から10年維持できたお店が 開業したお店全体数の1割 だと言われている世界です。つまり、9割のお店はそこまでの歴史を積み重ねる前に、潰れてしまう。

もちろん、すでに名が売れている店で働くアドバンテージはある。が、 ​​自分が入る 以前 からすでに ミシュランの星 は獲得されていた​​ (コートドール札幌が最初に一つ星をとったのは、 2012年版 だ)お店で、常連さんが離れていくことを防ぐためには、 お店伝統の味 はしっかりと受け継いで提供​ できていなければならない。かつ、なんだったら ​元いたお店の常連さんすらもこちらへ取り込めるぐらいの 自分らしさ を維持​ したまま(これを、お店のホームページでは「 伝統と革新 」(の両立←これははやせの補足)と呼んでいる)。

最低でも、 ​​彼にはこの店を 維持・存続 できるだけの 才能と実力 がある​​ 、と、まず オーナーさんから認められていない限り 、シェフとして雇われるなんてことにはならんわけですよ(何だったら、お勉強のために グランメゾン東京 あたりを見たほうがいいw 特に、ドラマの中のライバル店での、シェフとオーナーとのやりとりのあたりを)。

そして、この店伝統のレシピの中には、三田のコート・ドールからも引き継がれているものがあって、その一つが決勝戦のデザートにも使われた ​ココナッツのブランマンジェ​ だったことを、きっと、常連の皆さまなら気付いたことでしょう(どんなに何度も 小さくまとまっている と言われたって、この 4代目としての ​誇りと伝統​ だけは、蔑ろにするわけにはいかなかったよねぇ?)。

お店の​​看板を背負っている という意味では、オーナーシェフである山下シェフも、雇われシェフ​​である下國シェフも 全く変わらない んです。​むしろ、積み重ねられてきた 歴史の厚さと名声の高さ の分、お店の名を汚せない 重圧は下國シェフの方が強い くらいだ。そのプレッシャーの 最大の理解者 こそが、 須賀洋介 シェフだったんですよ(だからこそ、今大会の出場者の中で ​師匠か!​ (タカトシ風)とツッコミを入れたくなるくらい、大きな期待を込めて 最も厳しく 彼を育て導き、一介の雇われシェフでは終わらせないレベルのステージにまで、彼を引き上げてやりたいと思ったんでしょう?)。

もっとも、 オーナーさんや支配人さんの ​懐が深すぎる​ ので、下國シェフは、自らのポリシーでもある ​北海道食材へのこだわり​ さえブレてなきゃ、お店では割と 大きな裁量権 でのびのびとお料理を作らせてもらえていたっぽい感じですが(苦笑)。あんなに苦しみもがきながら料理するなんて、 下積み修業時代でさえそんなになかった んぢゃ?(須賀シェフのことだから、もし課題についてこられなかったら 容赦なく脱落もさせていた とも思うしね←それにしても、 天才の与える課題は ​抽象的すぎ​ て、凡人放送作家には理解できてなかったっしょ。その課題を 的を射すぎている と表現できる下國シェフも、やっぱり、天才の領域にいる人だったけれど)

で。
実は、ここまでの文章すらも​今回のメインテーマの中ではまだ 前置き に過ぎなくて(←ぇ)。​​​
もう一つ、この料理王国というサイトではやせは​ 三國清三シェフの記事 ​も読んでいたのです。

三國清三 シェフと言えば、北海道が生んだ日本でもっとも有名なフレンチシェフの一人で、 ​日本のフランス料理の歴史​ にまず間違いなく名を遺す​ 方だ(この記事の出来事も、その偉大な功績の一つとなったろう)。

その記事の中に、こんな一節があったので、引用します。​
​​ある時、シャペル氏(はやせ注:三國シェフが影響を受けたというフランス料理界の偉人・ アラン・シャペル 氏)がロブション氏(はやせ注: 須賀シェフの師匠である ​ジョエル・ロブション​ 氏)に「 君は三國のような弟子を持っているか 」と自慢しているのを耳にした。当時謎かけのように感じられた言葉に対して、もがきながらも自分なりにつかんだ答えを、師に認めてもらえた気がした。​​
​この言葉を、ロブション氏がどれだけの 衝撃 をもって受け止めたのかは、もうわかりません。が、厳然とした事実としてあることは、ロブション氏は 愛弟子 と呼ばれるような ​日本人の弟子​​ を、 数多く育てることになった ということです。​​彼の元で、正確に一体何人の弟子が育ったのかということも、それぞれの弟子たちの経歴や実力も、はやせの能力ではほとんど調べきることはできません。が、その中で、恐らくロブション氏の もっとも近く 、そして 長くそばにいて もっとも大きな重責を担わされ もっとも大きな成果を生み出し 、そして日本で ​もっとも 有名になった愛弟子 こそが、 ​須賀シェフ​ でしょう。

つまり、(だいぶ間接的にではあるが ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 三國シェフの功績 によって、須賀シェフはロブション氏に見出されるチャンスを与えられた、のかもしれない、という、( はやせの大好物 である) 歴史の繋がり が見えてきたんです。

​【第2版追記】​

​​​​​ところで、一般の方のblogなんかでたまに見かける、須賀シェフはロブション氏から「 ​彼はいずれ、 世界で5本の指に入るシェフとなる だろう​ 」と言われた、という話のソースがなかなか見つからない……(『アイアンシェフ』のVTRの中で言われたんだっけ?)。ただ、実際に ラ・リスト SUGALABO を1位にしちゃうんだから、ロブション氏の人物眼もやっぱり本物だったんだな、と。

なお、SUGALABOは今のところ、 完全紹介制のお店 なので、「ガイドブック片手に一見さんでも入れるお店を掲載する」というコンセプトの ミシュランガイド では、 掲載対象外 になります。つまり、どんなに待っていても 星はつかない です(意外と知らない人が多いんだよなぁ)。​​​​

さらに、今度は、 下國伸 シェフご自身の直接の歴史。
ドラシェフでも紹介された ​とおり、専門学校を卒業した下國シェフがまず向かって、 師と仰いだ方 は、これまた ​日本における オーベルジュ のパイオニア​ として歴史に名を残していくであろう、 勝又登 シェフです。

オーベルジュにおいては、お客さまは料理を食べるだけではなく、そのまま宿泊もされますから、自然と お客様と互いに顔の見えるような近さ でお仕事をされてきたことと思います。さらに、勝又シェフもまた、 地元・箱根の食材を愛し、素材を活かした料理を​​作られてきた お方(こちらも​ 参考 ​をどうぞ)ですから、その 技術と精神を正当に受け継いでこられた ものと思います。

その修業を終えたのちに彼が向かった先は、東京の ピエール・ガニェール ですよ。異名は ​厨房のピカソ​ ですよ!(こちらもガニェール氏​ ご本人のインタビュー記事 ​を見つけた。なんて 掘り出し物の満載なサイト なんだろう……)。年齢とクロスして考えると、ほぼ 開業と同時 に入ったのかな(リニューアルオープン版のANA 店の開業は 2010年3月 とのこと)。

ここでは恐らく、 芸術的なセンスとチームワーク 、そして、 ​挑戦し続ける精神​ を学ばれています(一見、下國シェフの作るお料理は、 素朴感すら感じるシンプルなデザイン が多いですが……彼はドラシェフでは明らかに、 映える料理を作ろうと思えば できるのに、やらなかった人 ですから←ちなみに、はやせは、ドラシェフでの持ち込み副食材には、 仕入れ費用に上限設定がされていた と思っているので、下國シェフは 料理の構成食材を ​可能な限りシンプルに削ぎ落した​ 上で、 ​食材一種類あたりの 単価を上げて素材の質の良さを優先 した​ と思っている)

次が、本場・フランスの一つ星レストラン・ ヴァランス ラ・カシェット 。オーナーシェフは 伊地知雅 さんとおっしゃるようだ。料理のお写真を見る限り、 遊び心溢れる ​楽しい盛り付け​ が多い感じ。しかし、この場所ではそれとともに、 美食の街 で星付きレストランも数多くあるとのことなので、 本場の味を食べ歩いて勉強してきた んじゃないかな。

そして、札幌へと舞い戻り、完全予約制で ​​若さと 前衛感 ​​ に満ち溢れた W27 というお店で約3年間 奔放に シェフを務めたのち、前述したとおりになるのです(食べログは、​ 閉店したお店のデータ ​も残してくれているのがありがたい。そして、こんな店員もお客さんも 若者だらけ で多少 おだっちゃってる (←北海道弁)感の漂うお店から下國シェフを引き抜こうと思った オーナー様の ​慧眼​ が、やっぱり凄すぎる)。

​【第2版追記】​

​​​​​​​​​このW27時代を直接知っている方々って、今やとても貴重な存在なのかもしれないね。だって、 コース料理1本で勝負するフレンチのお店 で、ここまでカジュアルで、エンターテインメント性に富んだコンセプトのお店って、やっぱり 怖いもの知らずの20代じゃないとできなかった と思うもの(しかも、似たような 隠れ家的コンセプト のSUGALABOより 2年 1年は早い ←年齢で計算すれば、移転前のお店の開店が 2013年 のはずだ 【第4版修正】 2014年2月で確定します。詳細は後述)。……たぶん、当時の店長さんがまるで 孫策 のようにイケイケの ​パーリーピーポー​ だったんだろうな、と(←失礼←むしろ、はやせの孫策に対するイメージの方が)。

この、 人から見られながら調理することを ​エンタメ化する​ という行為自体が、もしかしたらドラシェフ・ファイナリストたちの中でも 随一の経験者 だったかもしれない( 【第3版追記】 コンクールの時だけに特化していた花田さんとは違って、それでお客さまから お金を取っていた わけだから)。それが逆に、須賀シェフから「 スマートに作るからぁ! 」(by 第6戦 )と言われちゃった原因かもしれないけど(本人が「 泥臭く考えた 」とおっしゃる結果が、傍から見てると誰よりも ​泥臭さなんて微塵も感じない ​​
どーしよーもなく スタイリッシュなもの になっちゃう​ んだから、本人、どうしたらいいかもうわかんなかったよね(苦笑))。
​​​​​​​

​【第4版追記】​

​検索をし直して、​ W27が最初に開店した時点のぐるなびのページ ​も発掘(←)しましたわ。このデータ上の開店日も2014年2月のままだったので、この日付で確定ですね。

ル ミュゼ 石井誠 シェフから下國シェフが「 天才 」と呼ばれるに至ったかのソースと思われるものを探し当てました(←だから、おまいの情熱はどっちのベクトルを向いているのか……

こちらのblogの記事 ​です(本来、ウィキペディアン・ルール的に(←ぉ)個人のblogはソースとしてあんまり相応しくないんですが、この方、企画・主催者側の方だったから)

余らせ食材 を主婦の方々から持ち寄ってもらって料理をする サルベージパーティ (詳細は、この優勝おめでとう記事内のリンクから飛べます)。

……これを、今できている有名料理人だと、『 きじまりゅうたの小腹すいてませんか? 』の きじまりゅうた さんか、 ​​ 伝説の家政婦 ​タサン志麻​ ​​ さんか、じゃね? ​​​​​​​​

それを? ​6年前​ 2015年6月 ?20代で??

SDGs ​の国連採択​ は、 ​2015年9月​ ですよ!?いや、これ、ドラゴンシェフ(称号)じゃなくて、 アイアンシェフ レベル​ ​着想スピード​ ですから!!(……そういえば、農園バトルでも「にんじんからデミグラスソースを作る」の決断力は無茶苦茶早かった)

これは、コロナの終息具合にもよるけれど(そして、当時の関係者全てに根回しはする必要があるけれど)、 ​3年以内には 復活 させるべきイベント​ じゃないか?今のこの世の中だからこそ。何だったら、 子ども食堂ともコラボ できる。テレビも呼べるイベントになる!​ ​​ 夢が膨らむ ​​ !……なんで自分はしがない公務員なんだ……orz​​
​​​

​​​​​​​​
……こんなん、例え総監督が須賀シェフじゃなかったとしたって、 期待しない方が ​どうかしてるぜ​​ ってレベルの経歴だし


これらを踏まえた上で(ぇ)。

はやせはこのサイトで、とうとう こんな図に出会ってしまう のです。
日本における、 ​フランス料理人の系譜​ であります(ああ、ツボだ)。​

​【第4版追記】​

​なぜか、サイトリニューアルでデータが消されてた
まぁ、自分のローカルには保存したからいいや(ぉ)
そのうち、新しいものが復活するまで気長に待っていますから~。


しかし、あの……。
下國シェフが今まで関わってきたシェフの方々、ここに ​全員載っている​ のですが

もちろん、影響力の大小や直接・間接の違いはありますが、この系譜の ​斉須シェフ・勝又シェフ・伊地知シェフ、さらにはピエール・ガニェール氏のレストランの系譜という 4つの流れを束ねられる位置 に、下國シェフは図らずも置かれている​ んです。なおかつ、 ロブション=須賀洋介ライン すらも取り込んで。

そう、はやせはこの、 フランス料理界の歴史の系譜 が収斂して繋がっていく様を、 ​​ 現在進行形で目撃していた ​​ んだと。

……ハマらないはずがなかったんだな~。
だって、はやせが『 三国志 』にハマっていった経緯と 全く同じ なんだもの​​

最初は、 真・三國無双3 というライトな作品に触れて、そこで 孫権 と出会って、 正史 の列伝 を中心に彼の情報を限界まで調べまくって、最後には 三国志そのものの歴史に辿り着いていく という……(当然ながら、データ魔のはやせは ​年表も 家系図 も​ 大好物なんだ)。
​​
だからって、さ。自分。
​存命人物​ (Wikipedia感)でやらんでよくね?(←もう手遅れです)

もちろん、下國シェフご自身はまだまだ発展途上のお方であって、​​​例えるなら、 ​まだまだ満たされきっていない 器だけ が置かれている状態​ です。彼がこの先何をなして、その経験値をまだ 底の見えていない器 にどれだけ注いでいくのか……本当にこの系譜に連なることのできる人物となっていくのかどうか、はやせは遠くからでも見守っていきたいです(もちろん、ストーカーにはならんレベルで)。

……もうちょっとだけ、彼には 北海道の宝 でいて欲しい気持ちもあるんだけれど、ね。​
いつか、その枠から羽ばたいていって、この 偉大な方々と肩を並べる存在 にも、なってもらいたいです。
まぁ、そんなに焦らずに、ご自分らしく、ね。


何にしても、だ。
今頃、シャペル氏とロブション氏は、天国で再会して、お互いに ​弟子バカ自慢大会​ をしているような気がします(←だから、おまいは何故に コメディ で落そうとする)​​​​​​​​​​​​

​【第5版追記】​

​なんか、調べれば調べるほど、スゴい経歴が掘り返されちゃって、 心が追い付かない ><

まずは、ドラシェフの予選開催 に、 ヒトサラ という​ グルメメディアサイト ​の企画・​ ベストシェフ&レストラン2020-2021 ​で入賞済み。「 シェフがシェフを選ぶ 」というコンセプトもさることながら、こんな錚々たるメンツ(三ツ星レストランのシェフやら RED EGG受賞者 やら、何だったら RED U-35の審査員 までいる!)の中にいるって、普通にヤバすぎる

​そして……​ ダイナースクラブ フランス レストランウィーク 2016 ​への参加。その参加方法が…… ​三國清三シェフの推薦​ って、どどど、どーゆーこと!?この時点で一足飛びに、 ​次世代北海道人シェフの 後継者 として指名されてた​ って意味!!?(大混乱中)

(下國沼さま向けへ)​ 金の竜の背に乗って ​ に続く





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Last updated  October 4, 2021 10:43:57 PMコメント(0) | コメントを書く
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