浅沼は東京都 江東区 白河町 の 同潤会アパート に30年間住み、家にいるときは団地の片隅の 猫 の額ほどの狭い庭で植木いじりを良くした。
特に東京 下町 の人気は絶大であり地元の 労働者 の集まる 食堂 で浅沼の悪口を言った 新聞記者 がその場から叩き出されたという口碑がある。
早稲田大学 に入るまで 陸軍幼年学校 を2回、 陸軍士官学校 を2回、 海軍兵学校 を4回受験して不合格となっている。
浅沼が早稲田大学在学中、大正10年頃に襲来した台風で漕艇部の艇庫が浸水した際には自ら真っ先に駆けつけ、ボートを守ろうとしたという [7] 。
享子とのなれそめは 大正 末から 昭和 に改元される頃で、当時社会主義運動に身を投じた浅沼らは、享子が働いていた喫茶店をたまり場としていた。結婚後も 恐妻家 、 愛妻家 として知られた。
浅沼が刺殺されると、全国で暴挙を非難する抗議集会や抗議デモがおこなわれ、集会に44万5000人、デモに37万人が参加したといわれている。浅沼に魅了されたマスコミ関係者も多く、浅沼の命日には毎年、浅沼にゆかりのある記者たちが一堂に会して、浅沼の死を悼んだという。生前は新聞記者から「政界ゴシップの素材が見当たらない時は浅沼を探せばいい」と言われ、「一日に五回、風呂に入ってくれ」といった無理な要求にも怒らずに対応した。
昭和天皇 ・ 皇室 を敬愛していたことでも知られ、雑談中に昭和天皇を揶揄する発言をした新聞記者をいきなり怒鳴りつけたこともあるという。
党外でも調整役として手腕を発揮し、右派ながらも 社共共闘 を積極的に進めた。 日本共産党 関係者・支持者の間でも信頼が厚く、社共両党の関係を良好なものにしていた。
10月18日 、 衆議院 本会議 で 池田勇人 首相が喪章をつけて 追悼演説 を行った [8] 。「……私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。……その人を相手に政策の論議を行おうと誓った好敵手の席であります。かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、またある時は大衆の先頭に聞いたのであります。いま、その人はなく、その声も止みました。私は誰に向かって論争を挑めばよいのでありましょうか。……」と死を悼み、「目的のために手段を選ばない風潮を今後絶対に許さない」と宣言した。この演説は、池田の「場内がシーンとなる演説を」という注文によって、 首席秘書官 で後に政治評論家となる 伊藤昌哉 が書いた。「あの演説は五億円か十億円の値打ちがあった。」と池田は述懐している [9] [ 要ページ番号 ] 。
また、浅沼は愛犬家としても知られており、 犬 にまつわるエピソードも多かった。 ディズニー アニメ 『 わんわん物語 』の ラジオドラマ 版では、 ブルドッグ 役の声をあてる為に 1956年 9月6日 に 有楽町 の ラジオ東京ホール にある 録音スタジオ で行われた アフレコ に 声優 として出演したことがある。その浅沼が自宅で飼っていた犬が死んだときには、当時の 自民党国会対策委員長 の 福永健司 、 民社党 国会対策委員長の 春日一幸 が浅沼を励ますべく 秋田犬 を贈った。「次郎」と名付けられたこの犬は、浅沼が刺殺された後、主人がいなくなったことを察したのか、何も食べなくなり後を追うようにして死んだという。
無類の 格闘技 好きであり、 早稲田大学 時代は 相撲 部の副主将を務めた。また 日本相撲協会 運営審議会委員に委嘱されて務めていた。その縁で 日本プロレスリング 創始者の 力道山光浩 と親交があった。また日本初の プロボクシング 世界王者の 白井義男 とは縁戚に当たり、白井が結婚した際には媒酌人を務めた。
その巨漢に違わず食欲は天下一品であった。 早坂茂三 によれば、 東京タイムズ の 記者 として浅沼の遊説に同行した際、記者団に用意された カツ丼 が人数の倍も置かれており、これに気付いたある記者が「ヌマさん、他に大勢来るんですか?」と聞くと、既に60代だった浅沼が「えっ、君ら一つで足りるのかい?」と言い、カツ丼2杯、味噌汁、漬物を惜しげもなく平らげたという [10] 。
浅沼を暗殺した 山口二矢 は 生長の家 の思想の影響を受けていたとされるが、浅沼自身も生長の家の初代総裁である 谷口雅春 の支持者であった。谷口は「『生命の実相』の参業者である 鳩山一郎 と好一体」「生長の家は社会党に反対しているわけでも自民党に賛同しているわけでもない」と述べていた。
後輩の社会党委員長であり 内閣総理大臣
に就任した 村山富市
は浅沼を「偉大な存在」「社会党に骨を埋める決意をしたのは浅沼さんとの出会い」などと深く尊敬している。
これぞ左翼の愛国者だろう。今の政治に足りないのは本格的な政策議論だろう、私は浅沼稲次郎さんの主張には反対なところも多いが、国民を引き付ける魅力があったのは否定できない。上から目線でなく徹底して国民それも貧しい国民目線に立っているから、凄みがある。山本太郎さんが浅沼稲次郎のようになったら手ごわいと思う。ただ彼がそこまでなれるかだ。
立憲民主の枝野さんや福山さん国民民主の玉木さん、民主党の野田政権の時、いわゆる消費税増税に関して3党合意なされたわけで、特に枝野さんは野田内閣の閣僚であったわけだ、それが厚顔無恥というか8パーセントに戻す法案を国民民主と共同で提出するという、あの消費税を10%に引き上げるという公党間の約束ではなかったのかになる。消費税を戻すということは税収が確保いわゆる所得税と法人税の確保となるから立憲と国民民主は間接的にアベノミクスを認めることになる。これでは単なるポピュリズムでしかない。幼保無償化への影響をどうするのかだ。これでは与党からブーメランをくらうだけだろう。
3党合意のないいわゆるしがらみのない山本太郎さんならと思うが彼は議員ではない、ただ彼が衆議院で当選としたならば消費税に関しては十分政府と論戦できると思う。山本太郎は浅沼稲次郎になれるのかだ。山本太郎さんパヨクへの道を突き進むのだろうかとそれでは未来がないと断言できる。パヨクでなく愛国左翼を目指すべきだろうと進言しておく。
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