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今日の練習は、非常に疲れた。金曜日に立てていた練習目標の『逆クロスフォアを打ち込んでもらってのバックハンド(ドライブ、スライス)連続20本』をしたためだ。テラと二人で交互に練習したのだが、これがきつかった。おそらくテニスを始めて十数年、フォアハンド一本でやってきたツケがまわってきたのだろう。日頃全く使ってない筋肉を使う為、腕と腰の疲労が尋常ではない。特に腕は、通常疲労が溜まらないところがだるい。取り敢えずノルマはこなしたもののこれは予想以上に難易度が高いぞ!!と再確認した。まぁしかし練習してすぐに疲れるということはそれだけ練習していけばすぐに効果が上がるということなのでそれそれで嬉しいのだが・・・・とにかく疲れていて最後テラとシングルス1セットした時は、もう腕が振れずサーブの打点が遅れてオーバーばっかりになってしまった。筋力を鍛える意味でもしばらくの間は、この練習は欠かせない。今日は、練習終わりのアフターについて書こう。土曜日は、天気がものすごく良く昼食時に飲んだビールがすこぶるおいしかった。(ビールの季節がやってきましたねぇ)ということで私の頭の中は、ビール、ビール、ビールになっていてみんなが『どこ食べにいくぅ?』と話がでると私は直ぐに『カ○ビの海賊!!』(焼肉屋、190円で生ビールが飲めるという店)嫁さんに『またビールアホ程飲むん』とブーブー言われながらも焼肉屋に向かった。この日のメンバーは、テラ、たかし、もっちょ、えいちゃん、私の5人だ。色々な話をしたのだが、最近一緒に遊んでいる、たかし&もっちょ夫婦が面白い。元々、同じ年(嫁さん同士も同じ年)なので、話はそこそこ合うのだが、それ以上に話していると楽しい。もっちょは、アルコールが入ると急にパワーアップして喋り出す。たかしは、最近そのキャラを少しづつ出してきている。とにかく楽しかった。結局、6時半に入って11時半まで飲んだり、食べたりした。ビールは、あまり覚えてないが7~9杯ぐらい飲んだのではないかと思う。5月には合宿がある。初日は、男性メンバーのみの宿泊で男同士の語り合いといったところだ。2日目は、嫁さん、彼女連中が合流してみんなで宴会だ。たかし、もっちょと更に話せるかと思うと楽しみだ。(もっちょは、初日から行きたいなぁ-なんて言ってた)こうやってメンバーが増えていくのは、喜ばしいことだ。色々な味が混ざり合い融合してこそ最高の味が出せるのだから。とにかく合宿まであと半月、楽しみだ。
2004年04月18日
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ようやく週末だ。明日は土曜日、テニスの練習だ!!先週のクラブ対抗戦の余韻が残っていてやる気はマンマンだ。どうやら今年は、シングルスの力を発揮しなければならないようなのでもう少しバックハンドの練習時間を取ろう。明日は、テラにバックへの打ち込みをしてもらってバックハンド強化に取り組もう!!最近は、メンバーも増えて楽しいのだがいまいち練習量が減っているような気がする。どうしてもみんなで練習しようとすると仕方ないことなのだが・・・・・テニス熱が再燃している私としては、自分の練習がしたくてたまらないのだ。シングルスの出る機会が多くなるとわかった今、練習量をなんとか確保できるように効率良く練習せねばなるまいな。ということで明日の『必達 練習メニュー』は、・逆クロスフォアを打ち込んでもらってのバック(ドライブ、スライス)連続20本・クロスボールをダウンザライン、ストレートに打つフォア・目線を上下させないように意識してのファーストボレー・浅い球のアプローチ兼フォーシング(フォア)・バックハンドリターン(ドライブ)このくらいかな。この5項目を明日の練習目標としよう。話は変わるが今週初め、一通のメールが来た。入会希望のメールだった。男性らしく年齢は32歳、テニス歴は10年以上。(おいおい 殆ど私と同じではないか)とりあえずエルボーは入会という形をとっておらず、ただ知り合ったメンバーが一緒に練習しているだけなのでみんなに相談して『一緒に練習しませんか?』と返信した。すると『早速、行かせてもらいます。』との返信があった。どんな人がくるか楽しみだ。テニス馬鹿だったらいいのになぁとにもかくにも明日は、晴れ模様。楽しい1日になるといいな
2004年04月16日
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開幕戦の朝、テラ家に泊まらせてもらった私たち(ウエピー、えいちゃん)とテラは最悪の目覚めであった。というのも土曜日の夜、たかし家からテラ家についた私たちはさらにそこから午前2時半までビール片手に話に盛り上がってしまったのだ。(今まで何度同じ過ちを犯してしまっていることか・・・・・・・)要するに『寝不足』である。頭はボォー、体はギシギシといった感じだった。最悪・・・・しかも私は、平日の起床時間5:50に目が覚めた。これはまずい!!少しでも寝なければ・・・と思えば思うほど目がぱっちり。しかも隣で寝ていたえいちゃんがゴソゴソとトイレにいったり携帯見たり。やばいここでえいちゃんに見つかってしまうとしゃべりかけられてしまう、そうなったら The End だ!!と高血圧と戦っているうちに『ピッピピ ピッピピ』と携帯の目覚ましが鳴った。高血圧に敗れた瞬間だった・・・・・とにかく起きた私たちは、試合コートへ向かった。今回は、我がチームのホームコートである。いつもはハードコートを取るのだが今回はクレーコートを取った。もちろん目的は、『柏対策』である。センチュリーさんは、ホームコートがハードであるのでクレーコートは、慣れていないと考えた。それに対して私たちは、なずな杯などで馴染みがあるので有利であろうとの判断だ。(永井さん、テラは、苦手としているが・・・・)コートに着いてネットを張り始めると続々対戦チームの車が・・・・・もちろんこちらの興味は、『柏君は来るのか・・・・』の1点に集中する。しかし続々と来る車に彼の姿はない。来ないのか・・・なっかんが相手リーダーとオーダー交換している終わってすぐさま駆け寄り『柏君来てる?』と聞くと『今日は、来てないみたい。しかも6人(必要最小人数)でやるみたい。』となっかん。正直少しほっとした、これは楽に勝てそうだなと思った。アップを30分程度行い、いざ試合へ。そこで相手チームのリーダーから『こっちは、シングルス4人全員ダブルス出場なので体力的にしんどいからシングルス4つからの試合順にしてもらえませんか?』との依頼があった。一応試合順は、決められているのだが両チーム合意の上であれば変更は可能である。スポーツマンシップを重んじる(マナーはやや悪いが・・・・)エルボーとしては当然『OKですよ』と了解した。ようやく試合の話に入るが今回は、結構ドラマチックだったので先に試合結果を書いてその後、印象に残った試合について書くとしよう。まずチーム勝敗は、4-3で辛くも勝利できた!!(ほんと良かったよぉー)詳細は、S1 山本(直) 負け D1 永井・寺西 負け S2 永井 負け D2 中嶌・山本(敬) 勝ち S3 志村 勝ち D3 上野・浅子 勝ち S4 寺西 勝ち総括的にいうと今まで上位対戦で勝ち星を稼ぎ、下位対戦で足を引っ張るということが多かったエルボーであったがこの日は、全くの逆で下位対戦の勝利がチーム勝利につながる形となった。初めてのパターンであった。試合を個別に書いていきたいのだがまずは、D2、D3の勝利!!これは本当に良かった。たかしは今回デビュー戦であったがデビューとは思えない集中力と闘志を終始発揮したし、パートナーなっかんも冷静に努め試合の流れをリードした。素晴らしいコンビネーションを発揮したと思う。D3も大変良かった。今まで『どんな弱い敵でも負けることができる』と言われた二人であったがこの日は、精神的に弱い所を露呈することなく闘志を持ってプレーできていたように感じた。背水の陣で臨む気持ちがいい方に働いたのだと思った。(敢えて苦言を言うなら1stセット6-0でなく競っていたら精神的にどうだっただろうかが課題)とにかくD2、D3の4人は、今回格好良かった。ダブルスを追い出された私も報われるというものだ。今までネックだっだD3がこれを機に変わっていけば良いのにと思った。次は、S1の敗北。これは予想していた通りの結果になってしまった。相手S1は、サーブ&ボレーヤーでテクニックは結構上手かった。しかし、やまもが負ける相手には見えなかった。さらにやまもは、サーブ&ボレーヤー相手を得意としている。サーフェイスはクレーだし負ける要素は見当たらないはず・・・だった。しかし大きな落とし穴が用意されていた。それは『長いブランクによりやまもが自分のプレーを全く信じられていなかった』ことだ。試合開始から得意のフォアの感覚が鈍いようで首をかしげながらのプレー。私は、応援に向かい『ブランク長かったですね。リハビリだと思って焦らず試合しながら感覚を戻してきましょう。』とのアドバイスを送った。結局、やまもの感覚は戻らずまさかの敗北となってしまった。これまでどんなにブランクが開いてもシングルスでは強さを見せてきたやまもであったが初めて見せる陰りに実は驚いた。とうとう来たか・・・・って感じだった。この辺りで自分の試合のことも少し書こう。S3で出場した私であったが最初は緊張して攻め急ぎのショットでミスを連発したが1セット中ごろになると精神的にも落ち着いてきた。その後はこちらが一方的に攻める展開になり楽なペースで試合を運び 6-3、6-1で勝利することができた。ただ何度シングルスをやっても試合中は、常に『早く終わりたい。あと何ゲーム取れば終われるんだ』と考えていてまさに修行以外の何者でもないと思った。今日の日記の題名は『開幕戦 そして涙・・・』である。今回の開幕戦は、前の日記でも書いたようにいつもとは少し変わった開幕戦である。その開幕戦に相応しくエルボーらしい事件が起こった。その事件とは・・・・・オープニングマッチであるS4 てらにーの試合でのこと、この日のてらにーの相手は、左利きの恐ろしく胸板の厚い男性(40歳後半ぐらいだろうか、後で聞くとトライアスロンの選手だったらしく体力は無尽蔵らしい)、テニスのテクニックは上級者って感じではないのだがとにかく『繋ぐ』。てらにーといえばいつものスロースターターぶりを遺憾なく発揮し尚且つ相手に合わせるというおめでたい習性も存分に出て。お互い決め手がない繋ぎ合いの展開。オープニングマッチとして同時に始めた私とてらにーであったが私が2セット取って試合を終わり、てらにーの応援に駆けつけたときにやっと1セット終わったような長々とした試合(しかも1セット目は2-6で相手が取っていた)であった。その後も繋ぎあいの中2セット目は6-2でなんとかてらにーが取った。この時すでに両者とも相当体力を消費しておりスピン系のボールが打てずフォア、バックともスライスになってのまさに『繋ぎ合い』になっていた。3セット目でアクシデントが起こった。てらにーの足が攣り始めたのだ。試合途中でなんかてらにーの動きがぎこちないと思っているとてらにーが『足冷やしたいから氷持ってきて。』といった。ベンチサイドにいた私は、急いで氷と冷却スプレーを持ってきててらにーの足を冷やしながらマッサージを開始した。足の筋肉は硬くなっており症状は重いように思えた。その後、騙し騙しプレーしながらもシーソーゲームの展開、3-3ぐらいになった時だろうがのりねぇが足を伸ばしにきてくれた。しかしその時にはもう両足とも攣っており伸ばせる状態ではなかった。それぐらいから私の応援にも言葉がなくなった。無理に追って痙攣により転倒するし、その後もすぐに立ち上がれないといった状態であった。『もう無理っぽい。棄権させたほうが良い。このままやっても勝ち目はないし第一怪我をする。』と思った。しかし、本人が止めると言っていないのに回りが口にするのはだめだと思い、口には出さなかった。しかし応援の言葉はでなかった。それでも動けないなりにドロップやムーンボールを駆使してなんとかシーソーゲームでなんとかえらにーがついて行く展開。周りでは相手チームもこっちチームも心配な様子で見守っていた。(もちろん相手は、辛そうなものの体力的には余力がありそうであった)5-5になった第11ゲームてらにーのサービスゲーム、相手のリターンミス、イレギュラーなどがあり奇跡的にキープ。6-5で迎えた相手のサービスゲーム。最初のポイントてらにーの強めにアンダースピンをかけたスライスリターンを相手がミス!!相手に1ポイント取られ15-15となった3本目、相手もプレッシャーを感じているのか続くポイントもミス。ここでやっと私も『スライス効いてる。リターン強めに!!』のアドバイス。30-15とリードした次のポイント、てらにーの浅くなった球に前へ出てきた相手にてらにーの絶妙なロブ。エンドラインが、パッ!!と白くなり『これでマッチポイントだ』とみんなが思った瞬間『アウト!!』と相手のコール。殆ど相手のジャッジに文句をつけることのないてらにーが『ちょっと待って下さい』とクレームをつけた。もちろん私も『今のアウトですか?』コートの外ではやまもが『えっー』すると相手はきっぱりと『アウトです!』。セルフなのでしようがないとは思ったが少し憤りを感じた。(でもやっぱりしょうがないけどね)とにかく30-30となった後のてらにーのリターン2本は見事だった。強めのアンダースピンをかけたスライスが相手コート突き刺さり・・・・・7-5でゲームセット!!最後の一本が決まった瞬間。コートの外で『うあーーーーーーーーー』との泣き叫ぶ声。見るとやまもが泣きながら えいちゃん、もっちょに次々と抱きついているではないか。抱きつかれた女の子2人は、次々ともらい泣き。みんな目に涙をいっぱい溜めて泣いている。私はっていうと、『やまも、また泣いて、おまけにえいちゃん、もっちょまで』と微笑みながらてらにーの試合後の握手を見ていた。握手を終えたてらにーがひょこっひょこっとこちらに歩いてきて『もうだめだと思った。応援ありがとう』といった瞬間、じわっとこみ上げてきて少しこぼれた。ばれない様にすぐに拭いて、てらにーの頭をくしゃくしゃしながら『お疲れさん、よーやったなぁ。もうあかんと思った。格好良かったで』と言った。『うん、おれも負けたと思った』とてらにーが言った。感動した。 格好良かった。やまもは、自分も足が攣って何度も試合をしているからてらにーの辛さがよくわかったのだと思う。その後の打ち上げでもその話になると少し目を潤ませていた。今回の日記は異常に長くなった。実はまだまだ書き足りないのだがダラダラと同じことを書いてしまいそうなのでこの辺で終わろうと思う。今年の開幕戦は、いつもと違う始まりとなりいつもよりも感動の結果となった。とにかくみんなそれぞれ格好良かった。(もちろんそうでない人もいますが・・・・・・)苦戦するもなんとか4-3でチーム勝利できたことは大きいと思う。オーダーで悩み、試合で楽しみ、こうやって思い出して楽しめる、なんてお得なイベントなんだろう。今年も厳しい戦いが続きそうだがみんなで乗り切っていければそれがまた最高に楽しくなる。みんなで格好良くなろう!!!
2004年04月11日
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ついに始まった滋賀県クラブ対抗戦。初戦は、昨年負けている『センチュリーC』。ちなみに昨年はどのようだったかというと、S1 山本(直) 負け D1 永井・寺西 負けS2 永井 勝ち D2 中嶌・志村 勝ちS3 瑞慶覧 負け D3 上野・山本(直) 勝ちS4 浅子 負け3-4でチームは敗北という結果だった。特にS1、D1には相手チームの某K大生、柏君(この人の弟は、なんとJOPランキング80台)が非常に上手で圧倒的な力を見せられてしまった。惜しむべくはS3のズッケ。1セットリードの2セット目5-2からまくられて負けるという大逆転劇のやられ役を演じてしまったのだった。今年のオーダーを組むに当たっては『柏対策』が主な議題となった。当然クラブ対抗戦登録に当たってチーム内ランキングを決めての登録しなければならずそのランキングに従いS1、S2・・・D2、D3を決定していく。つまり『捨てS1』などはできないシステムなっているのだ。解説が長くなってしまったがオーダー決めるに当たっては・柏君が出てくるかもしれないS1、D1での勝ち星は、期待できない・その上で4勝を取るオーダーを組む・今回から参戦のたかしをどこで出すかこの3点での論議となった。いろいろ途中で話し合った結果は省略するがオーダーは、S1 山本(直) D1 永井・寺西 S2 永井 D2 中嶌・山本(敬)S3 志村 D3 上野・浅子S4 寺西となった。このオーダーは4勝を、S2、S3、S4、D2で計算してのオーダーであった。まずS2~S4は過去の実績があるのと現状考えられる最強のシングルスオーダーであるので勝ち星計算にいれた。S1、D1は柏君が来ると負ける可能性が高いと考え、D3に関しては、過去8戦2勝と大きく負け越しており『まず勝てない』との予想であった。となると残り1勝はD2にかかってくることとなった。しかし山本(敬)は今回初参戦であり3セットマッチも初めてということもありどうなるか全く予想できないがそこにかけるしかない状況であった。このオーダーは、私にとって初めての経験であった。『シングルス専念』であったのだ!!自称『ダブルスにソウルを注入できる男 ダブルスファイター』であるはずの私がこともあろうに好きではないシングルスに専念などということになってしまったのだ。過去6年でダブルスにでないことは初めてであった。このオーダーは、前夜にたかし(山本(敬))家にてみんなで夕食を食べているときに決定された。この案を出してきたのは、ウエピー(上野)。当然私は、反対した『そのオーダーでは、D2に不安が残る。浅子にS4出てもらってD2をD3、上野・志村をD2にしてD2、D3で勝ち星をとるべきだ』と。するとウエピーは、『浅子がS4にでても勝つかもしれないが可能性は薄い(過去の実績より)。それにたかしも浅子もダブルスをがんばっている。過去の実績はないがもう1度チャンスをくれ。ダブルスに入る前、浅子とはしっかり話しをする。だから今回、タツキはシングルスに専念してくれ。』といった。内心そのオーダーもあると予想していた私であったがまさか本当にそうなるとは思っていなかった。『シングルス専念なんて・・・・・』って気持ちでOKした。Tennis Elbowにおいてシングルスは、人気がない。理由としては・日頃練習する機会がないので不慣れであり弱い・体力的につらい・試合後、話が盛り上がらない・試合の楽しさ、つらさを共有できるパートナーがいない(対戦相手とは共有できるが・・・・)などによりエルボー内ではシングルスは『修行』と呼ばれている。心の内は、最近ダブルス(練習)で負けがこんでいた私としては本番の試合に出たかった。出てみて本物の緊張感の中で集中して自分のダブルスを見つめたかった。それに正直いってシングルスは不安がいっぱいであった。ただでさえ不安であるのに今回の場合、勝ち星計算に入っているので不安は一層高まった。もちろん『絶対勝ってやる!!これもメンタル修行じゃ!!』って気持ちもあったが。たかし、なっかんを見ると『やれる!!やってやる』というような表情に見えた。この二人は、なずな杯にも出場しておりある程度の修羅場もくぐってきているので頼もしく思えた。浅子はその場にはいなかったのだがウエピーを見ると『勝てる!!勝ってやる!!』って感じじゃなく。『けじめをつける意味でも精一杯やる』って感じだった。とにもかくにも『上野総監督』の鶴の一声で決定された2004年クラブ対抗戦開幕戦。試合は、あっとおどろく結末になったのだが・・・・・それは次回の日記にて・・・・(もうちょっと引っ張らしてくださいねー)
2004年04月09日
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2004年4月11日 滋賀県クラブ対抗戦が開幕した。毎年4月の開幕直前は、対戦相手、チームオーダー話などでエルボー内は盛り上がる。開幕戦について書く前に、クラブ対抗戦、今年のテニスエルボーに状況について書こうと思う。クラブ対抗戦とは、滋賀県で登録されているクラブチームが全24部リーグに分かれて戦う。6チーム/リーグで4~8月の間総当り戦を行い順位決定する。そのリーグ内順位に従い年度末にリーグを昇格、降格するというシステムだ。試合は、シングルス4つ、ダブルス3つを各3セットで戦う。我がTennisElbowは、1998年から参戦して今年で7年目ようやく16部まで上がってきている。もちろん今年も目標もリーグ優勝だ。今年のエルボー状況というと、今年は昨年までと少し違った開幕を迎えることとなった。まずズッケの不在。98年以来シングルス3or4としてチームの勝利に貢献してきたズッケが上海に長期出張の為、開幕戦に不参戦という事態になった。これはダブルスが強く、シングルスが弱いエルボーにとってこれは大変な痛手なのだ。はっきりいってシングルスプレーヤーは、ズッケを含め2人しかいないのだから!!さらなる不安は、やまもの練習不足。エルボーの大黒柱でS1やまもの練習不足が大きな不安要素として持ち上がっている。(まぁ練習できなかったのもしょうがないとも思うが・・・・・)Mr.エルボーとしてエルボーを牽引してきたやまもの練習不足は、チーム全体の士気にも関わる。ズッケ不在と相俟って今年のエルボーシングルスは大きな不安を持ったスタートとなった。ただ不安要素だけではなく明るい話題もある。たかしの参戦だ。以前から一緒に練習してきていて、なずな杯などでナッカンともダブルスペアを組んでいるたかしがついにエルボー入りを決意してくれたのだ。(過去2回もふられ続けだったが)クラブ対抗戦は、シングルス4つ、ダブルス3つで合計10人必要なのだがエルボーは、9人しかいなくその内1人は、殆ど参加できない状況にある為(理由は書かない方がよさそうだな)実質は、8人。さらにズッケ不在の為、7人で戦わねばならず、そうするとシングルス、ダブルス両方出場するのが3人必要になる。年々厳しくなる戦いと体力低下の波に飲まれ2試合出場は、厳しくなってきていた。そんな状況の中、たかしの参戦は、まさに恵の雨といったところだ。年も私と同じでノリも良く十分エルボーの仲間としてやってくれそうだ。(たかしの奥さん『もっちょ』の方がよりエルボー向きかも・・・・・)以上が今年の開幕直前の我がTennisElbow状況だ。既に書いたが今年のポイントは、『シングルとどう取るか』、『ダブルスをどう組むか』である。いつもと違った開幕を迎えるテニスエルボー。初戦の相手は、昨年同リーグで負けてしまった強豪『センチュリーC』。エルボーはどのような布陣で初戦を戦うのか・・・・・オーダー決めで一波乱が巻き起こるのであった。・・・・・・・・つづく
2004年04月08日
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今日は、私がテニスを始めた頃のことを書こうかな。というのも茜雲日本晴れさんの日記を読んで昔のことを思い出したことが1つ。もう1つは、土曜日の練習で隣のコートに明らかに初心者(ラケットにはでかでかと“W”のウィルソンロゴが)のカップルがテニスをしていた。全く続かないラリーを見て、私が『あれって楽しいのかなぁ』というと『たぶん楽しいんじゃないかな。楽しさにレベルなんてないと思うよ』と城さん。『そうですかねぇ』と私。こんな会話があった。じゃ自分がテニスを始めた頃はどうっだたのかを思い出してみることにした。というわけで今週は、私のテニスの歴史について振り返ってみようと思う。まず第1回目の題名は、『高校生 始動期 うれしかったラケット』ってところかテニスを始めたのは、高校1年生の時、幼馴染のたーくんがテニスを小さい頃からやっていて同じ高校に進学した時テニス部に入った。実はたーくんだけでなく中学時代から仲の良かったメンバー全員がテニス部に入ったのだ。じゃ私はというと今では片鱗も見られないが生まれてすぐ患った心室中隔欠損症という心臓病、簡単にゆうと心室を区切る壁に穴が空いていて動脈と静脈が混じる病気の為、小中学では激しい運動はあまりせず部活も親から禁止されていた。高校に入って心臓もしっかりしてきたのだが中学から運動をあまりしていない自信のなさ(後で運動神経自体が鈍いと判明)と親があまり良い顔しなかったのもありテニス部入部を断念した。(今思うとびびっていたんやね)もちろん良くある風景通り学校帰り部活に行くみんなを羨ましそうに見送る私であった。そんな中テニス部に入った友達が土曜日などに自主錬をしようとした。そこに混ぜてもらったのが私のテニスの始まりだ。その頃のテニスはそりゃーもう酷かった(いまも対した事ないが)しかし当時も片鱗をみせていたのか酷い中でもサーブとフォアハンドだけは、まだましだった。コートは、私の住んでいた団地下のクレーのテニスコート。1時間100円と格安なのだがそれでも財政難の私達は、1日やって『半日です』といい安くあげていた。テニスの練習はというと殆どがラリーと試合(ラリーといっても4回も続くと凄い!!ってレベル)だったように記憶している。でも楽しかった。今のように外の世界など全く見えずに、目標は“目の前にあるプレーを上達すること”だったのでそれはそれで今よりも楽しかったようにも思う。(過去は美化されるものです)練習が始まった当初は、他の友達は部活しながらだったので週1回できればよい方だった。しかし、1年の終わりごろ友達みんながテニス部をやめた。理由は、顧問の先生(あだ名がラオウ。時代ですね)が非常に厳しく今で言う体罰もありみんな退部した。それからは、元テニス部の面々(とはいっても1年生でやめた為ほとんど初心者)と週2~3回の練習(ラリーと試合)を行う日々。おっとラケットについてそろそろ書かねばなるまい。テニス部に入った友達は、テニス部で購入したYonex R-24を持っていた。たーくんは、Dunlop好きだったのでMAX200G Pro(当時 マッケンロー、グラフ愛用していた)を使用していた。私はというとラケットのような高価なものを買えるおこづかいもなく、いつもたーくんのDunlop DP-10を借りていた。しかも、たーくんが一緒に練習しない時でもたーくんの家に勝手に行っておばさんに『ラケット貸してください。』と言い借りていた。私は、当時 ラケットが欲しくて欲しくてたまらなかった。たーくんの家にラケットを借りにいくのが、いやでいやでしょうがなかった。(たーくんは、すごく良いやつだったのだが、自分のラケットを頻繁に借りにこられては誰でも嫌な顔くらいする。)でもテニス(今思うと運動できること)が大好きだった私は、ラケットを借りつつ練習していた。ここからが今日の書きたいところなのだが2月10日ぐらいだったと思うある日、私が、学校から帰ってきて玄関で靴を脱ぐと・・・そこにラケットが置いてあるではないか!!!!えっまさか俺のラケットか!?と思う私。(子供ってすぐ自分のものだと思うのですね)手にとって見ると新品でまだ値札もついてあった。メーカーは、当時日本ではまだ全くの無名だった『HEAD』の大量生産モデルであった。(名前はよく覚えてない)購入先は、近くにある安売り店“ビックM”で値段も3980円ぐらいだった思う。私は、メーカーが無名であったり3980円という値段も全く気にならなかった。とにかく嬉しくて嬉しくて・・・・・思い出すと少し泣けてくる。とにかくすぐにその初めての相棒で打ちたくて打ちたくて、その相棒を掴みすぐに自転車を飛ばし友達の家を駆け巡った。何人かの友達を見つけテニスコートへ。今でも思い出そうとすると『もう借りもんじゃないんだ!!これがおれの相棒だ!!』と誇らしげに球を打っていた自分を思い出す。とにかく嬉しくて球が見えなくなるまで遊んで家に帰宅。すると親父がにやにやしながら『おまえの誕生日(2月23日)まで隠しとこうと思ったけど見つかったか。前から欲しがってたもんな。ええやつやろ。』といった。『ええやつやろ』は今思うと親父らしいセリフでよけいだったが当時の私はそんなことは全く気にならずとにかく嬉しかった。『もう早速使ったんか。はやいやっちゃなぁ』と言った親父も嬉しそうだったことも覚えいる。そうして私の初めての相棒が誕生したわけだが高校時代はこのラケットと共に過ごして行くこととなる。もちろんこのラケットを捨てれる訳もなくいまでも家の押し入れに眠っている。この話は、思い出すといまだに泣きそうになる、子供のころの記憶は残るなぁ。次回は、大学生になりいよいよテニスに目覚めていくお話を書こう。
2004年04月04日
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なずな杯 春大会奮闘記も最終章になった。この日記では、企画段階から終わるまでをつらつらっと書いて締めくくりたいと思う。今回の春大会は、1ヶ月の準備期間しかなかった秋大会に比べ2ヶ月の準備期間をとり時間的余裕は十分にとった。前回の経験もありホームページもあったので企画進行は、楽に進めることができた。今大会のコンセプトもずばり『テニスを通じての交流を広げる』、『参加者全員が良い経験と感じること』であった。前大会ではMIXダブルスのエントリーが少なかった為、今回どうするかは、メンバーで話し合った。しかし女性で試合が出る機会が少ない人も多くいるのではないかと考え募集することにした。告知の方法は、様々だった。告知方法として多く使用した順に並べると1 知り合い、前回出場者へのメール2 掲示板書き込み3 ホームページ管理者への直接メール4 貼り紙による告知以上の方法で告知を行っていった。前回もそうだったが告知から1ヶ月で最終エントリー数の20%程度のエントリーが来る。もちろん身内をあわせての数字であるので身内意外では15%をきる数字だ。あとの80%の殆どは大会前2週間を過ぎてから集まる。しかしコートの予約は1ヶ月前には行わなければならず今回もエントリーが集まるかにやきもきした。しかしエントリーを締め切ってみれば前回を上回る総勢38ペアの方々がエントリーしてもらった。その時点で大会予選、本選の要綱を決めるのだが予選の組み分けに一苦労。できるだけ強豪が同じブロックに入らないようにするのだが今回は情報のないペアが多くて苦労した。MIXについては殆どのペアの実力が不明だったため、同じチームのエントリーは同ブロックにしないことしかできなかった、あとは適当だった。男子ダブルスに関しても本選に上がった12ペアの内5ペアが情報がないペアで秋大会3位だった中田・城ペアが予選敗退するなどの波乱も起きた。試合要綱が決まり出場者にメールにて連絡すると次は賞品の買出し。正直いって賞品にはお金をかけていると思う。簡単にいうとエントリー費からコート代、ボール代を引いた全てを賞品にかけている。しかも安く良い品物が手に入るようにスポーツ店を探し回る手の込みようだ。なんかここまでやりました自慢みたくなってきたのでこの辺にしとこう。とにかく賞品の買出しを行いあとは予選リーグ表とトーナメント表の作成だ。これが結構楽しい、テラの家に前日テニスの練習後集まり(今回は、7人と大人数だった)夕食しながら酒をのみ一頻り前夜際を楽しんだあとみんなでペンとマジックで製作するのだ。今回は、製作しながら 野菜の戦士さんのHP、SNTCさんのHPなんかに書き込みをしたりした。学生時代の友人と文化祭のような作業、これがなずな杯のもう一つの楽しみなのだ。今回は、ウエピー、なっかんがトーナメント表、テラ、私が予選リーグ表を担当した。『学生時代の友人と文化祭のような作業、これがなずな杯のもう一つの楽しみなのだ』と書いたのだがじつの所は前大会で、みんな酔いつぶれてしまい嫁さん連中に作ってもらったことがあった。今回は『酔い潰れて寝んといてよ』くれぐれも念を押されていて作業を行った、でも楽しかった。その夜、大会での各人の仕事と試合ルール、タイムスケジュールを確認して夜は更けていった。大会当日の朝、6時に起床した私達は、コートに7時30分に到着した。そしたらなんとリターンの関戸さん・山本さんが既に到着していた。はやいなー 気合入ってるなぁー と思いながらネットを張って準備を始めた。ここからは、続々と出場者が登場し大会が始まりドラマがあった。つらつらではなくだらだらと書きなぐってしまったのでそろそろ最後にしたいと思う。今回のなずな杯が終わって、私個人としては、大いに楽しみ、大いに学び、大いに感動した。試合で準優勝できたことも嬉しかったが、試合後にエントリーいただいた方からメールをいただいたり、書き込みをしていただいたり交流が深められたことがなにより嬉しかった。テニスを通じて色々な方と知り合い、プレーし、ネットを通じて語り合えたことは凄く刺激を受けたしこれからも受けるだろうと思う。とうとう最後になるが、エントリーいただいた皆さんにありがとうと言いたいと思う。そして 秋大会でまた盛り上がりましょう!!これにて なずな杯 春大会奮闘記を終わりにしよう。
2004年04月03日
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なずな杯 決勝戦。とうとうここまで来てか・・というよりよくここまで残れたなぁーというのが試合前の気持ちだった。しかも相手は、優勝候補と思っていた滋賀庭球友会 檜山・津川ペア。準決勝リバーマウス井上・樫本ペアとの対戦は、凄まじくとてもハイレベルな戦いであった。しかし自分達も決勝に残ったペアだ自信を持って戦おうと思い試合に臨んだ。結果から言うと4-6で負けた。今思うと4-6というスコアもそうだが決勝戦は全体的に盛り上がらなかったように思う。理由としては、檜山・津川ペアは、準々決勝、準決勝と連続のタイブレークで疲弊しきっていた。こちらはというと決勝にいったことに満足しきっていた訳ではないが私的には、少しの達成感があった。それもあったせいかここ一本の集中力が決勝前までと違っていたように感じた。もちろん集中はできており普段以上のプレーはできていたように思う、ただ格上の相手に対して勝つまでのハングリーさがなかったようだった。4-6というスコアは、地力差がそのままでた試合スコアなのであろう。ここまで盛り上がってきた なずな杯であったがなんとも地味な決勝戦であった。ただ決勝戦自体を悔やんでいるわけではなく今は1つの結果として受け入れられている。できれば勝ちたかったが・・・・・試合後は、ぼぉーっとしていた。疲れもあったが達成感が自分を占めていた。準優勝でなにが達成感だっ!!とも思う。しかし今までビックネームの前で全く自信のなかった私だったが勝ち上がったことが今までの自分にとっては意外なことであった。正直、決勝までいけるとは思ってなかった。集中してプレーしていたら気づけば決勝戦だったという感じだった。うん、『達成感』ではなく、『自分達も強いんだ』ということの感慨に耽っていたのかもしれない。いつも周りから『テラシムは強いで』といわれても自分で信じられず力を出し切れず負けることが多かった。特にビックネームの前では、全くいつものプレーができないことが殆どだった。今回のなずな杯で『自信を持てました!!』なんて安っぽく言う気はないが『俺達もビックネーム相手に勝ちあがったことがあるんだ』ぐらいは思えるようになったのではないかと思う。いつも負けたことしか記憶になく、敗北からしか学べないと考えていた私だったが、今回のなずな杯で勝つでも学べることは沢山あるなと考えるようになった。思えば勝って学べるほど力を出し切ったことが少なく『勝てる相手には勝つが負ける相手には負ける』試合ばかりをしていたからかもしれない。テラと組み始めた頃は、周りが全て格上で自分達より弱い相手は少なかった。その頃は、今のようではなかった気がする。少し勝てるようになって周り(非常に狭い範囲なのだが)に自分達より強い相手が数ペアになってきてその相手をビックネームと決め付けて勝手に言い訳して、外に出ていかず・・・・・こんなことを繰り返しているうちに『勝てる相手には勝つが負ける相手には負ける』ようになってしまったのかもしれない。今回のなずな杯では、『勝利』によって多くを学んだと思う。学んだことが消えていかないうちにもっと外へ出て行こうと思う。
2004年04月02日
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ベスト4まで辿り着いた私達は、とうとう仲田・峠岡ペアとの対戦を迎えることとなった。これまで再三書いている通り、私達ペアにとって最も超えたく、最も悔しい思いをさせられてきたペアである。ようするにライバルだ。(こちら方が見劣りするが・・・)しかも仲田・峠岡ペアは前の試合で大激戦の上、河田・山本ペアに勝利しての準決勝。今までのパターンからいうと緊張としてガチガチになるか無理に闘志を出して入れ込むかのいづれか・・・・のはずだったがこの日の私は、違っていた。妙に落ち着いていた、そしていつも出てくる負けるかも・・・という気持ちが勝ちたいという気持ちの影で全く感じることがなかった。それまでの試合でテラとコミュニケーションを取る、作戦を立てる、とやってきた私達だったがこの試合の前は、作戦については全く話さなかった。話したことは『2人で1面を守り、2人で1ポイントを取ろう。ポイントを落とした後は孤独にならずに話しをしよう』『やっと仲田・峠岡ペアと戦えるところまで辿り着いたね。一生懸命やろう!!』『絶対 勝とう!!』だった。コミュニケーションについては、話したが作戦については全く話さなかった。私のメンタルは、どのようになっていたかというと『やっとここまで来た。』『相手は、強い。思い切りぶつかっていくだけだ、小細工は要らない』『テラとならなんとかなる。ストローク、サーブが俺の仕事だあとはテラがなんとかしてくれる。あと、ムードメーカーになりきろう!!』と考えていた。今思うと非常に心地良いメンタル状態であった。試合が始まった・・・・試合展開は・・・・実はあまり覚えていない。覚えているのは、リターンがいい所に打てたこととそれをテラが決めてくれたこと。5-0でリードした場面で『絶対、挽回してくる。相手の気持ちに負けないよう。もう一度気持ちを入れ直そう』と私が言ったことだけが記憶に残っている。結果は、6-0にて勝った。今思うと仲田・峠岡ペアは、前の大逆転の試合でメンタルスタミナを使い果たしていたようだった。でも終わった瞬間に『やった、勝てた。俺らも強いやん』って思った。試合後、仲田さんが『いやー伝統の一戦でまた負けてしまった。(実は、その前の対戦は、去年の夏のエルボー合宿にさかのぼり私達が勝っていた)すごく強かったねぇー付け入る隙がなかったよ』といってくれた。めっちゃくちゃ照れながら『伝統の一戦だなんてとんでもない今日は本当に嬉しいです』といつもなら対戦して勝った相手には、嬉しいですって決して言わないのに思わず出てしまった。ほんとに嬉しかった。横で仲田さんの5歳くらいの息子さんが『お父さん、勝ったん?えっ負けたん、誰にまけたん?おとうさんのバカバカ、へたくそ』っていって仲田さんにじゃれていってた。そうしたら仲田さんが『あっちのおにいちゃんに負けたんや』とこちらを指差していった。すると息子さんはペコリと頭を下げて『おめでとうございます。あなたがチャンピオンです。』って言ってくれた。私は、なんか恥ずかしいやら嬉しいやらでにやにやしながら『ありがとう』っていった。前の日記で『Respect』について書いたが今回の対戦では、仲田・峠岡ペアへのRespectがあった加えてテラへの信頼というかRespectも存在した。それが直接いい結果に結びついたのかはわからない。しかし『Respect』することによって対戦中、相手も認めることにより謙虚な気持ちを持てたり、パートナー信頼することができたりしたことは確かだと思う。最近、日記を通じてメンタルコントロールについて色々な方の意見を聞かせてもらっている。まだはっきりとは断定できないが、自己中心的で傲慢で自信過剰であるが繊細な部分もある個性の持ち主である私は、『Respect』という手法を用いて自分のかけている部分、謙虚、信頼、自信を補うことによりバランスが取れて良いメンタル状態を保てたのかもしれない。少しなずな杯から話が逸れてしまったがいよいよ決勝に進出することになった我がペア。待ち受けるは、今大会優勝候補に挙げていたクラブ対抗戦4部(ちなみにTennis Elbowは16部)滋賀庭球友会 檜山・津川ペア。この後どんなドラマが待ち受けているのか・・・・好御期待!!
2004年04月01日
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