TESTAMENTO

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2021.02.14
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カテゴリ: 考えたこと
 数年前に地方都市のJR線の高架化により、駅前の再開発が行われた。
 駅付近の踏切・陸橋が整理され、田舎の駅前がちょっと背伸びした都会風に変わるはずだった。
 しかし、都会のデザイナーに任せたその景観は、自家用車を締め出し公共交通機関を優先した、当時のブームに乗った姿であり、決して合理的配慮を満たしたものではなかった。

 駅前を通る一級国道を信号交差点での平面交差とし、安全優先の時差信号により交通の流れを遮断し、駐車場を設置しないことでJR利用者の送迎車両も路上駐車せざるを得ない状況を作り出し…高架化によるメリットを半減させたように思われる。
 さらに、近隣の空地にバスセンターを作る機会も放棄し、緑あふれる公園にしてしまった。
 高架化した駅から国道を跨ぐ歩道広場でバスセンターに繋ぐというプランは出来なかったようだ。
 当時の評価では、カッコ悪かったのだろう。

 広い舗道を確保し、駅前から伸びる商店街に人間優先の緑にあふれた流れができるものとイメージしたのだろう。
 COVID-19の世界では、公共交通機関は使わず自家用車を使えということになり、基本条件が崩れて、人の流れは郊外の大型商業施設へと加速したように思える。


 かつて予想されたゴーストタウンの映像が現実化しそうだ。
 立派なデザインの街に人の流れが見えなくなる。

 行政の意図したカッコいい街は、合理性を欠いた独り善がりのものではなかったか 

 使いづらい立派な街が残されてしまったように見える。
高いビルの上から眺めての自己満足のデザインは、地面に足をつけて生活する下々には、近付く価値の無い場所になってしまったのでなかろうか。

 人の流れ・交通の流れ、生活者・消費者の要求に対する評価が低かったのではなかろうか。
 民草の生の声に耳を貸さなかった結果であるように思える。
 雲上人は、ときに民草の生活の場を歩き、その声を発する現場を実感すべきであろう。
 大脳前頭葉だけでは、価値評価を正しく下すことは出来ないのではないか。
 人為的に何事かを決め、将来を決定づけるときには、より深い洞察力が必要であろうし、決して合理的配慮を欠いてはならないと思う、何事に対しても。






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最終更新日  2021.02.14 13:10:42
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