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…道理が引っ込む。 力を持つものは、その力を行使するにあたり、最善の判断を下し、その責任を負うことを覚悟しなければならない。 そこに合理性を欠くエゴを通そうとするならば、力は正しい使い方をされなくなるだろう。 正しい判断を助けるために、様々な思考が蓄積され、理が導かれてきた。その道理をねじ曲げて身勝手な解釈を施し、利己的な無理を通そうとすることは、愚かなことだと言わざるを得ない。 TVニュースに流れる納得できない「事件」を眺めていると、それぞれの行く末が心配になる。
2022.09.09
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単独政党で議会の独過半数を占めたとき、彼らは自分たちの主張を、議会への説明や世論への配慮無しに強引に進めようとする。 法規制の拡大解釈や不都合な真実の隠匿で、聞く耳持たずの姿勢で押し通して行こうとする。…過去にも幾度となく繰り返されてきたことだろう。 独裁専制的な運営は、スピーディーに政治政策行政を決定し、「無駄な」議論や手続きを省くことが出来る。…全ては、選挙により一任されたものとみなして、独善的に行われて行く。 そのメリットもデメリットも、一部の一方的なスタンスに立つ人々の「善」によって引き起こされて行く。 少数意見は聞くに値しないもの、いかに上手に問題点を避けて、とにかく早く「前に」進めて行くこと、それが為政者に求められること…そう信じて疑っていないようにみえる。 課題に正面から取り組み、様々な視点から問題点を指摘した上で、一つの決定を責任を持って選択すること…そんな面倒なことを彼らは望んでいない。 不都合な真実は、わかっていたとしても公表することはしない。 予想されるデメリットについても、触れることはしない。 いつまで、そんな政治を繰り返すのだろうか。 それでDX化などが出来るのだろうか。 本気で「やる気」があるのだろうか。 人々の声に耳を傾ける…いつのまにか聞かれなくなりそうで、空虚な響きがする。
2022.09.05
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感染症パンデミックの中で、経済活動を活発化させる。そうせざるを得ないならば、次々と変異を続けるコロナウィルスに対応しつつ生きてゆかねばならない。莫大な資金を既に投下している国の財政も、更なる負担を強いられる。どこかで収支バランスを取るのならば、積み上げられた借入を何らかの形で処理しなければならない。税金あるいは保険料等の類似負担を増やすのか、国債等の借金を棒引きにするのか。いずれにしても、社会存続のために投下された資金は、将来への負担として残り続ける。ウィズ・コロナということは、そういう社会に生きてゆくということでもある。さらに、気候変動への対応、戦争による資源争奪戦への対応などなど、課題は多い。そういう世界の中で生きてゆかねばならない、ということを覚悟しておく必要がある。これまでの価値観が通用しなくなる。きっとそうなるだろう。その社会に適応して、命を繋いでゆく強さが求められるだろう。過去を捨て、未来に居場所を求める。その覚悟が必要とされている…ようだ。
2022.07.13
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宇宙空間から地球を眺めたとき、その感動はこの言葉を残した。…今も地球は青いのだろうか。 欲望を満たし地表に溢れた人類は、その環境を欲望のままに変え続けてきた。…持続「不」可能な世界を予測しながらも歩みを止めることはできていない。 殺人目的の兵器によるパワーバランスで、世界は成り立っている。…科学も技術も、欲望を満たすために使われてきた。 宇宙空間から眺めたとき、人類の知性とは何だったのだろうか。…我々の日々の生活に何の意味があるのだろうか。
2022.03.29
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一人を殺せば殺人者、百万人を殺せば英雄… そんなセリフを思い出す、ロシアのウクライナ侵攻。 目の前で繰り広げられる大量無差別殺戮を、国際連合は止めることが出来ない。 第2次世界大戦後の世界のバランスを「とりあえず」まとめてきたはずだったが、圧倒的多数の議決を得ても「殺人」を止めることはできないでいる。 かつての戦勝国の一票が、世界の多数意見を無に帰してしまう。 人類史の中では、戦争による大量殺戮が人口抑制に寄与してきたと言えないこともない。 感染症パンデミック、自然災害、食糧危機…等で、地球上の人口調節のバランスをとってきたと見ることもできる。 人類の知恵は、未だ自分自身を律することが出来ないでいる。 裸のサル…にしか過ぎない、のではないか。 「滅亡への日記」を読み返してみるかな。
2022.03.26
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久々に紅白歌合戦をフルタイムで見る。 かつて演歌ばかりで年寄りの番組と称されていたのが、いまやダンスとラップ調散文詩の若者の番組に変わっていた。 男女の差を際立たせないようにと紅白戦もソフトな演出に変わっていた。 ネット配信動画をベースにした歌手も多数出場し、その世界を知らない人には初見であろう。 ハイテクを駆使した映像演出に力を入れていたが、今の歌手たちには映像・字幕が不可欠の要素になっているようだ。 画面を見ずに音声だけを聞いていると、何を言っているのか聞き取れない歌がほとんどだった。 字幕で歌詞を眺めてみたが、大脳前頭葉で生み出した文字ばかりで、感性の感じられるようなものは少なかった。 過去を否定し新しいものを生み出そうとするとき、偏りが生じるのは仕方ないことだろうが、共感・共鳴を伴わない歌に魅力を感じることは無かった。 放送局側が視聴率を意識して、そういう番組作りをしているのは知っていたが、逆に偏り過ぎていて面白味は感じなかった。 有観客ということで、企画で盛り上げようという作為が目立っていたように思う。 若者世代がこの番組に高評価を与えるとしたら、かなり世の中自体が殺伐としているのだろうかと思わされた。 今やスマホという道具なしには歌の世界も成り立たなくなっているのだろうか。 耳で聞いて伝わらない歌を唄うことに違和感を覚え、ちょっと疎外感を感じるのは、今の世の中に乗れていない年寄りになっているということなのだろか。 それでも…なんかおかしくないか、と感じた夜であった。
2022.01.01
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TVニュースを見ていて、どうにも気になることがある。 どうも今の大臣って、単に各省庁の報道をやっているだけで、官僚の作文を読んでいるだけじゃないのかと思わされるシーンが多い。 政治家の人材能力が薄まっているように思われるが、タレントの延長位の覚悟しか持っていないように見える。 お天気キャスター程度の存在価値しかないような姿を見ていると、大臣ってナニ…と思ってしまう。 国の行く末を決めるような問題も、本質的なアクセスも無く、それを決めるという覚悟も無く、他人事のように原稿を読んでいる姿を見ると…単なる数合わせの人材でしかないのかと思えてしまう。 こんな人材の集まりで、この国は大丈夫なのだろうか。 ウィルス感染症パンデミックのこの時期に、次の世界に向かう大事なかじ取りが必要なこの時期に、何とも頼りないこと限りない。 今この時期を何とかやり過ごせたとしても、未来につながる指針が得られる期待は無いようだ。 この年末から年始にかけて、新時代の幕開けを祈りたいところだが、個人的に求めてゆくことにしようか。
2021.12.29
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異常気象の発生抑制のために、化石燃料の使用削減が言われている。 通常地球温暖化とだけ言われることが多いが、決して温暖化だけではなく、地域・季節によっては寒冷化や大雨あるいは干ばつなどの従来とは異なる症状が見られている。 温室効果ガスの排出により地表上の大気バランスが変化し、従来とは異なる循環症状が現れているということだろう。 二酸化炭素ばかりが言われているが、果たしてその排出量を減らすだけで問題は解決するのだろうか。 要は、人間活動が地球環境を改変し、自分自身が生息しにくい状況にしてしまったということだろう。 二酸化炭素は植物の光合成により有機物と酸素へと循環し、地表を豊かにしてきた。 その植物の生息域を奪い、その地域に生息していた動物を減少絶滅へと向かわせ、人間だけが蔓延る世界を作り出してきた。 人間の価値判断は、常に自分に役に立つか否かであり、自分を含めての地球環境バランスなどは二の次であろう。 人口爆発、食糧危機などの課題はかねてより言われているが、人間は人口抑制も食事制限を行なうことは無かった。 人間社会の中での勢力争い・経済的豊かさの追求ばかりで、自分たち住む環境バランスについて本気にその未来を考えてはいない。 少子高齢化でスローライフで「成長」しない社会があってもいい。 地球環境に対して負荷が少ない社会の在り方を求めてもいい。 人間社会の消費エネルギー総量を抑制する未来を描き、地球環境バランスを保つことに価値を認めることが必要な時代になっているのではなかろうか。
2021.11.05
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様々な問題が表面化したとき、まず個人の問題として出てくることが多い。 そして、個人の問題として終結を迎えることで、問題を表面から消し去り、水面下の過去の出来事として処理する。 過去の出来事の多くは、力のある者の都合の良い形に改変される。 体制を担う側の都合とは、安定であり現状維持であり…組織・体制の防御であろうか。 いつのまにか、忘れ去られるように仕組まれた問題は無いだろうか。 …あれは、どうなった? いまも現在進行形で、うやむやにされつつある問題が多数みられるように思われる。 一歩離れて振り返れば、全体像が見えてくるかもしれない。
2021.10.29
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1年間の暫定政権は、結局covid-19の対応に追われ、引き継いだ長期政権の総括も、不都合な真実の反省も出来なかった。 与党の主流は、長期安定政権体制を継続することを第一として、次の政権を選んだ。 不都合な真実は、明らかにされることもなく、自己浄化を示すこともなく、利権優先の過去を引き継ぐことになるのだろうか。 野党の指摘通りではあるが、その言葉以上に国会での改善策を示すことが出来ないでいる。 我が国の政治世界は、そんな馴れ合いの中で進んで行こうとしているようだ。 そのアナログ世界を整理しないままでは、デジタル化は成功しないのではなかろうか。 フローチャートを描く時点で、現状を整理・整備することが、DX化を成功させるための必要条件であるはずだ。 既得権益を守り、総括も反省もないままに、見える化も行なわないままでは、末端のデジタル化のみで終り、本来のDX化の機能を果たすことはできないのではなかろうか。 例外処理に能力の大半を費やし、末端間の連携に修正を余儀なくされ、混乱ばかりの無駄なシステムに陥るのではないかと危惧される。 まだ、その程度の社会なのだろう。
2021.10.08
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事前のアンケート調査結果や有力な予想が得られれば、その情報は次の行動の為にフィードバックされる。 それが、自分のその後の立場に大きく影響するとなれば、フィードバックされた後の行動が以前と異なり、全体の流れを左右することになるだろう。 それが良いのか悪いのか…それは別にして…情報化社会においては、当然のこととして、想定内として処理されてゆく。 近未来の予想は、仮想現実の世界として、社会の中の共通認識として、既に公のものとなっている。 その示された情報に、どう対応するのかが、その社会に生きる者に求められることになる。 その生き方…生きざまが、個人には問われることになるのだろう。
2021.09.30
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人は誰もが自分に心地良い情報を選んでしまう。情報の雑音にあふれた現在のネットワーク社会の中では、その心地よい情報ばかりに囲まれて過ごすことが多くなってないだろうか。検索をかければ、「偏った」情報が無数にあふれてくる。そして、その「好み」をアプリが記憶し、自動的に「偏った」世界に導いてくれるようになる。いつのまにか、偏った情報ばかりの中で生きていないだろうか。圧倒的な「賛成」意見ばかりに囲まれて、「反対」意見が見えなくなっていないだろうか。 事実と真実は違う…と、いつか聞いたことがある。偏った事実ばかりを集めて、ひとつの意見に導くことはよく行われていると思われる。 不都合な事実を隠してしまった末に導かれる意見は、本質を求めることから離れてしまう。多数の視点からの多様な情報を知った上での判断をするように心掛けておくことが肝要だろう。 AI技術が一般化して行けば、より効率的な情報伝達が当たり前になって行くことになるだろう。そこには、無批判に疑問なく情報を受け入れることの危険性があることを忘れてはならない。
2021.09.20
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デルタ株の蔓延による感染確認者の急増で、日本の医療体制は機能不全になっている…のだろうか。 救急医療を当てにできず、自分の命は自分で守れ…という。 現場では常にトリアージによる治療選択の優先順位決定を迫られている…という。 通常であれば入院加療で対応できる疾病障害であっても、受け入れ段階から既に選別を余儀なくされる状況にあるという。 救える命が救えない…という言葉が聞こえてくる。 災害治療現場での優先順位の決定に使われてきた「トリアージ」が、日常生活の中で当たり前のように行われている。一定の基準・条件に従って、命の選択を余儀なくされる。個々の命をふるいにかけて、非情な選択をしなければならない。それは感染症パンデミック時だから仕方ないことだとされる。 医療担当者の無念さやストレスも想像できるが、一般社会における不安増加も生じている…だろう。 ワクチン接種による感染予防策でも予約困難ということでストレスが高まり、収入源を絶たれて生活の目途が立たず、居場所もなくなるとなれば、どこでどう生きればいいというのだろうか。 社会システムは、それでも並行して過去の日常を継続しようとする。 生活コストの高い先進国では、「日常」を継続して行くことは、一度「居場所」を失った者には厳しい世界であると…いえるかもしれない。 すねてみても恨んでみても仕方ないことだろうが、衣食住の生活の基本を得られるチャンスを求めることができる社会システムを想定して行かなければならないだろう。 多様性を認める社会、弱者に手を差し伸べられる社会、…スローガンは多々掲げられているが、本当にこの非常事態に対応できているだろうか。 医療体制での非情事態が既に生じているが、これが社会全体での非情事態に繋がらないことを願いつつ注視して行きたい。
2021.08.30
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デルタ変異株になってから、様相が変ってしまった。 現在のワクチン接種では、集団免疫を形成するまでには到らない、という記事を散見するようになった。 感染予防薬としては有用であり、感染したとしても重症化を防ぐ効果は期待できるが、…7割程度まで接種率が上がれば集団内の感染拡大を抑え込み、一定の収束状態に導いてくれるという効果は、期待できそうも無い、…らしい。 医療現場は災害時態勢となっており、救急車による救急医療体制も崩壊している。 自分の命は自分で守れ、と公言されている。 感染症法による感染陽性者の隔離政策も崩壊し、自宅待機による隔離などという泥縄式の改定で現状追認の改定で誤魔化しているが、事実上の感染拡大策のギブアップであろう。 自宅での感染拡大が増えており、「隔離」が困難なことは明らかだ。 ワクチン接種は思うように進まず、接種率が上がったとしても集団免疫が形成されないとなると、治療薬の開発・普及に期待するしかない。 感染後の後遺症が、人生を変えるほどの影響を与える、と言われている。 軽症・中等症で治まろうとも、後遺症は発症するらしい。 自分の命は自分で守る。 まずは感染しないこと。 感染しても重症化しないためにはワクチン接種を済ませること。 リスクを最小限に抑え、健康体で生き残ること。 ウィルスとの戦いは、個人だけの問題ではなく、種として遺伝子を継続させる戦いでもある。 生物の系統樹は、それによって引き継がれることで描かれて行く。 そして、その記憶は遺伝子の中に刻まれることになる…のだろう。 親の世代、自分の世代、子の世代、孫の世代…と時間を超え、空間を超えて、影響を与えるのが、ウィルスによるパンデミックであることを、あらためて確認しておきたい。
2021.08.23
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前回の東京五輪の時には、この言葉を素直に受け止めていた。 アマチュアスボーツの祭典として、テレビの画面に張り付いていた。 国家の関与によるアマチュア定義のブレがあり、プロ選手の参加があり、商業主義化などの変容があり、昔のような素直な受け止め方は出来なくなっている。 世界的なスポーツイベントの1つ…くらいな位置付けだろうか。 各スポーツ界毎に世界選手権大会が開催されている。 それぞれにイベントとしては成果を上げていると思われる。 これからの世界にオリンピックは必要なのだろうか? パラリンピックについては、まだ存在意義が大きいと思われるが…。 パンデミック収束の状態や持続可能な社会などを課題としている世界にとって、極論を言えば…オリンピックは要らないのではないか。 引き返せない未来ならば、未来図が描けない事態になりつつある。
2021.07.09
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五輪VIPと呼ばれるIOCスポンサー招待客が、特別枠で来日し観戦するという。 空港検疫も到着後の隔離も特別待遇で、言わば治外法権的な扱いで、パンデミック対策などという失礼なルールには従わせる訳にはいかない…ということらしい。 無観客開催となったとしても、彼らは観客では無く、招待客として観戦する。 観客無しと言いながら、多数の「招待客」が目立つことになる。 …それがマズいので観客有り開催にこだわっていたのだという。 このスポンサーは、IOCにとって2番目となる収入源だという。 …1番目が放映権を有する巨大メディアであることは、よく知られている。 開催地の都合に関係なく、五輪を開催するということは、IOCの都合による既得権益を優先するということになる。 それがパンデミックに大きな影響を与えるものだとしても、五輪を開催するということは、VIPを受け入れて、IOCの存続に協力するということになる。 現在の五輪は、そういうものであり、アスリート達の活躍とは、また別の面を有していることを再確認している。
2021.07.03
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誰も本当のことを言いたがらない。 上手にその場を繕って、うまくパッチワーク的に目前の課題に対処し、本質的な問題は先送りする。 それをこなせるのが優秀な人材とみなされる。 それを繰り返すことで、システムは維持され、利権は調整され、複雑化してゆく。 わけのわからない作業が増え、無駄な労力と時間費用が費やされてゆく。 複雑化したルールを学習し、遵守することが求められ、システム全体のコストは上昇し、関係者のストレスは増加してゆく。 不都合な真実は開かずの扉の中に封印され、歪みを累積しながら整合性を保つ作業が続けられてゆく。 歪んだ世界での定規で引いた直線は、より広い世界から見れば、フリーハンドの自由線にしか見えないだろう。 いちど嘘をつけば、その嘘を誤魔化すために次々と嘘をつかなければならない。 嘘をつき続ける労力には、相当のエネルギーと能力が必要だろう。 デジタル化推進があらゆる分野で目標とされているが、その為にはまず現行システムの見える化の作業が必要になる。 合理的に可視化されたフローチャートが描けなければ、デジタルに置き換えるだけでは複雑怪奇なプログラムができるだけで。決して目標とする効率的システムを作り上げることは出来ない。 本気で変える気が有るならば、トライすべきだろう。
2021.06.24
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開催か、中止か…いずれ決定する、と言っていたものが、いつのまにか、明確な決定発表もないままに、規定事実として動いている。 メディアも、そのことに触れることなく、既定路線に沿った報道しかしなくなった。 いつ、誰が、決めたのか。 ワクチン接種のスピードを今から上げたからといって、2回の接種と抗体有効となるには5~6週間を要し、開催4週間前では、すでに手遅れではないのか。 本来なら中止すべき世界大会を政治的判断で開催強行することのリスクは、決して小さくない。 登山家の言葉として、登頂を目前にしてもリスクが大きければ、断念して引き返す勇気が必要だ、というのを思い出す。 万全の準備を整え、大きな費用と労力を費やしていたとしても、目前の成果を得るための行動を断念するという判断が必要な時もある。 成果が得られなければ、それまでの行動は評価されず、失敗としか見られない…ということなのだろうか。 パンデミック拡散拡大のリスクよりも、スポーツ世界大会開催の成果を重視する。 感染症対策としては、異常事態であり、それに対する予防策も、事後の対応策も万全とは言えない。 一定の混乱も犠牲も承知の上で、敢えて成果を取りに行く。 統計的に見ればパーセンテージの数字の世界かも知れないが、当事者にとっては生死・人生にかかわる問題であり、簡単に許容できるものではないだろう。 夏至を迎え、熱中症のリスクも重なる時期となり、せいぜい自分の健康を守る対応が個々人に求められることになるのだろう。
2021.06.21
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様々な課題を同時に解決する、という問いに対してエリート達が出した答。 それが、五輪の有観客開催を一定の制限下で実施する、ということになったのだろう。 メディアに漏れ出てくる一つひとつの情報は、上手にコントロールされて、全体像が掴み難くされているいるようだが、時間経過とともにそれらを組み合わせていけば、ジグゾーパズルの絵が見えてくる。 どんなに対策を施そうとも、パンデミックを収束させることはできず一定数の感染者は発生する。 ワクチン接種による集団免疫状態に至るには時間的に間に合わないが、急速に接種率を上げる段取りは整いつつある。 参加者・関係者・報道関係者等への一定のルール整備も一応出来てきた。 医療体制も一応形式上の対応が整えられる目途がついてきた。 開催・非開催の経済的評価も概算を示せるようになり、先進各国間での根回しも良好に行えたようであり、国内の今秋の政局動向への影響を考慮すると… 多少のリスク要因があろうとも、開催する方がプラスとなる。 開催中止によるマイナス評価は、有形無形ではるかに大きくなる。 ただし、想定外の事象が次々に発生している中で、その判断に狂いが生じ、都度つどの泥縄式対応で混乱を生じる覚悟が必要だろう。 パンデミック発生以来、未経験の問題解決にうまく対応出来てきたようには見えない。 非常時にはシステムが対応できないという不都合な真実を明らかにしたことは明らかだ。 対処療法を探して取りあえずのパッチワークで何とか過ごしてきたようにしか見えない。 中止するより予定通り進めた方が楽だろう。 同じやるなら一定の観客も入れて映える形にしよう。 あとは、その時々に頑張ればなんとかなるもんさ。 …そんなところかな。 SARS2の変異株は、さらに感染力を増し死亡率も高くなりつつある。 インド型と呼ばれていた変異株は、さらにワクチン効果を弱める特性を有していると報じられていた。 若年層への感染が増加し、学校・職場内でのクラスター発生と家庭内感染という状況が目前に予測される中で、それを増長するような政治的判断がなされているのではないかと危惧する。 政治的色彩の濃い有識者会議としても、科学的合理的予測に逆行する政治的判断には異を唱えることになるだろう。 SARS2パンデミック拡大は続いて行くだろう。 それが人類史においての一大イベントとなることも、以後の人類史に大きな影響をもたらすことにもなるだろう。 その中で東京五輪がどういう役割を果たすのかは、後世に刻まれることになる。 目前で開催されるスポーツイベントの一部始終とその顛末をしっかりと見て行くことにしようか。
2021.06.17
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朝1番にかかりつけ医院の受付に電話を入れると、すんなり繋がりスムーズに接種予約ができた。 先週末に定期検診に出かけた際に、「今日」から接種枠が空いてくるので電話予約出来るだろうとのことだったので、指示通りにスタンバった上でコールしたのだった。 1回目の接種予約は、3週間後の7月初めで指定、時刻は希望が許されたので正午にして貰った。 2回目は自動的に、3週間後の同じ時刻ということになる。 これで7月末には接種完了という予定が立ったので、まずは一安心。 ところが…夕方4時過ぎになって同医院から電話が掛かってきた。 キャンセルが出たので今からワクチン接種に出て来れるか…という連絡だった。 今朝予約できたので接種券は家に置いてきていた。 今から取りに帰って…急いで向かえば…診療時間内に間に合う…か、ということで、急遽、車を走らせることになった。 予診票は医院の受付で書き込むことにして、滑り込みセーフ。 …あっけなく、何事もなく、1回目の接種終了。 2回目は、自動的に3週間後の同じ時刻が指定され…今朝入れたばかりの予約は同医院の受付でキャンセル手続きを済ませてくれていた。 バタバタと…終了。 これで…7月初めには接種完了、となった。 ワクチン接種予約システムとしては、キャンセル対応を想定して作られていなかったのだろう。 一定の確率でキャンセルが発生し、今回のワクチンの場合には廃棄処分となることが予想できたにもかかわらず…である。 東京・大阪の大規模接種センターの予約が、開設して間もなくでガラガラの状況になっていることも、想定外だったのだろう。 慌てて接種対象を拡げて、キャパシティを埋めようとしているようだが、お役所仕事の典型みたいなものだ。 受け皿を作れば人々が思い通りに動くとしか思わないのだろう。 与えてやった無料接種のチャンスを何故使わないのか…彼らには理解できないのかもしれない。 義務ではなく自由意思による権利行使であり、健康リスクも想定される中での人々の行動を予想出来ない。 集団免疫を獲得するためには、なるべく早くなるべく多くの人々へのワクチン接種が必要条件なのだが…。 さてさて、この先うまくやっていけるのかどうか。 政策あれば対策あり…で、下々もうまくやっていかなければ、かな。
2021.06.16
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「接種権番号」が送られてきた。 噂どおり、予約の為のコールセンターへの電話はつながらない。 0120の電話回線も増えたが、これもつながらない。 web予約サイトには接続できたので、メアドを登録して、返信に記載されたHPにて指示に従いマイページを作成する。 定期検診・投薬を受けているかかりつけ医院での接種希望なので、個別接種での予約にトライしてみる。 予約可能日のカレンダーを見れば、全て✕(余裕なし)表示で予約はできない。 …毎日9時から21時までの時間帯でのみ作動するシステムとなっている。 予約可能日は20日間だけで、毎日1日づつ増えて行く仕組みだそうだが、それ以降の日付では受け付けされない。 朝一番のシステム作動開始時に開いてみても、既に✕印で跳ね返されてしまう。 念のため、集団接種会場の空き具合もチェックしてみたが、いずこも同じ状況で検討する余地もないようだ。 念のため、該当病院の受付宛に電話して、通院患者が予約可能な別の方法がないのか尋ねてみたが、受付け窓口での個別対応は行わないということだった。 これも、しばらく電話待ちした上でのつれない回答だった。 …一般人の接種会場にもなっているので、別扱いはしないということなのだろう。 担当医師にきちんと事務連絡が行われていなかったようで、医師からは別のニュアンスの説明を受けていたので、しばらく混乱してしまった。 度々の設定変更もあったので、混乱が継続したままになっているようだ。 結局は、「接種権番号」で人を管理し、ワクチン配布に合わせた人数を各会場毎に日々消化して行くシステムになっているので、ワクチン接種を受けたければ、予約が取れるまで並んで待っていなければならないということだ。 まあ~、暇になるまで待ってから受けることにするかな。 緊急承認という臨床試験を実地に行いながらのワクチン接種だから、しかも新型のmRNAであるし、無理に急いで受けることもないだろう。 受けること自体が目的になってしまっているのは、大学受験と同じ感じかな。 いずれ希望者全員に行き渡る…らしいから、いまストレスを抱えながらネットや電話にしがみつくことは無いだろう。 毎月一回検診を受けているのに、それ以外の所でリスクがゼロではないワクチン接種を受けることもないだろう。 まあ~、かかりつけ医にかかっていながら、そこでの予約見込みが立てられないということに疑問・不満はあるが、お上の決めたルールを順守している現場でジタバタしても仕方ない。 DX化を進めると言っているが、まだまだシステム設計が満足にできるようになるには時間がかかりそうだな。 マイナンバーカードによる連携も、そんなに簡単にうまく回らないだろうな。 かねてより行政システムは基本からやり直さなけばならないと言われているのだが、国と地方との溝もまだまだ深いように思えるし、縦割り行政がそう簡単に改革できるとも思えない。 有線無線でPC類をネットワークでつないだからといって、システムが機能するというものではない。 高速大容量の処理ができるようにしたからといって、スムーズに動くわけでもない。 …立派な箱モノを作っても、「ソフトが無ければただの箱」なのは変わらない。 せいぜいストレスを抱え込まない立ち位置でボヤいていることにしようかな。
2021.06.11
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かつて原水爆実験の副産物として放射性物質「死の灰」が世界中に拡散した。 当時、「雨に濡れると頭が禿げる」と噂されていた。 放射性物質の半減期はかなり長い。 地上での核爆発実験はその後禁止されたが、既にばら撒かれた「死の灰」の行方がどうなったのか定かではない。 原子力発電所の爆発事故後の放射性物質処理の状況を見ていても、決して容易ではないことが分かるが、かつて核兵器開発の為の実験で大気中に拡散された放射性物質についての影響について、記事を読むことは無い。 科学者・研究者の間では、軍事研究に関わったものは同軍事管理下に置かれ自由な移動もできなくなると聞いたことがある。 パワーバランスにより成り立つ社会においては、公然の秘密であったとしても特別扱いを受けることになるのだろう。 国際機関であったとしても、その特別扱いは世界平和のために守られることになるのだろう。 政治の世界では暗黙の了解として、その不合理性が覆い隠されることになるとしても不思議ではない。 生物化学兵器研究は、低コストでの開発が可能であり、実用研究が続けられていることは周知の事実である。 特に生物兵器研究については、遺伝子操作等の科学技術応用により飛躍的に進歩しているのではなかろうか。 中でも感染症ウィルスの操作については、顕微鏡下での世界で短期間での世代交代を繰り返した実験観察が可能であり、パンデミックに繋がる影響力の大きな兵器としての成果が期待されるものだろう。 またその研究に伴い、関連する新薬の開発にも繋がるものであろう。 近年、米国の製薬会社が南米のジャングル地帯で未知の微生物採取を行ない、それを基に開発した新薬で莫大な利益を上げているとの記事があった。 現地には何の見返りも無いと、南米関係者が嘆いているという記事であったと思う。 現在のパンデミック発生につき、中国武漢の研究所からの漏洩説が改めて見直されている。 科学的研究成果により、今回のウィルスはコウモリからの自然発生的なものでは無いことが明らかにされ、前回流行のSARSウィルスに遺伝子操作が行われ感染力強化がなされたものとの人為的痕跡が見つかっているらしい。 同研究所へは米国官民からの資金援助等も行なわれていたらしい。 軍関係・製薬関係からの支援・成果享受の関係があったとしても不思議ではない。 また、ワクチン開発の速さや史上初のmRNAワクチンといった点を見れば、事前にウィルス研究の情報成果を得て、製薬会社でも研究が進められていたと考えられるのではなかろうか。 共同研究とまでは行かなくても、協力体制があったことは確かだろう。 SARSは致死率は低いが感染力は高い。 その感染力を高めたのがSARS-2であり、その研究中のウィルスに誤って研究員が数名感染し、それが研究所外へ漏れてしまった。 中国や米欧大手製薬会社でのワクチン開発の速さや特異性を見れば、そのウィルス研究に関係していたと考えるのが自然であろう。 生物兵器としては、致死率が低いことでパンデミックを引き起こし、経済活動に多大な変動を引き起こすことで、間接的な影響を及ぼすことになる。 世代交代が早いことでパンデミックが拡がるに連れて、次々と変異を生じ、人類史に大きな影響を与えることになる。 「弱者」は生き残れないかもしれない。 そこに新しいパワーバランスが生じるのだろう。 その時代に何をなすべきか。 どう生きるべきか。 改めて問い直さなければならないだろう。
2021.06.09
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IOCは、スポーツ世界大会への参加者・関係者へのワクチンを確保している…という。 ・アスリート達は、ワクチン接種による副反応により本来の実力が損なわれるとして、直前の接種に批判的だという。 ・プロやトップアスリートは、人間の限界に近いところで勝負しているのだから、その影響は大きい。WHOは、途上国等へのワクチン接種の支援が必要と援助を要請している…という。 ・COVAXは、貧困国へのワクチン提供の活動を続けている。 ・ワクチンの特許権を放棄すべきとの声は以前からあるが、研究開発費の問題があり、実現できないでいる。 素人考えでは、パンデミックに対応するなら、人類としてはスポーツ大会中断で、その限りある資源を命を救う活動に使うべきではないか、と思う。 あれもこれもとバランスを取るだけの余裕が人類にはまだあるのだろう。 世界が一つになって、協力して何事かに当たるというような目標は、まだ単なるお題目であって、人類はそこまでのレベルに達していないということなのだろう。 その時代に生まれ、その中の個体として、限られた命を生きてゆくことにするか。
2021.05.21
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スウェーデンの精神科医、アンデシュ・ハンセン氏の著作…を読んでみたいなと思った、のはJBpressの記事を目にしたからだった。 …「スマホ依存」はどれだけ人間の脳と知性を破壊しているか 4G.5G,6G…と高性能化の進むスマホの世界だが、それに依存せざるを得ない社会生活にはずっと疑問符が付いていた。 3G通信網が消滅する中で、「携帯電話」が消えていった。 TV放送もアナログ波からデジタル波に変わって、受像機も全て変わっていった。 学校教育にタブレットが導入され、行政システムのDX化が叫ばれている。 すでにデジタル技術はインフラとして根付いているし、それをベースとした社会生活を想定しての生き方を考えることが必要だろう。 その中に生まれ育ってゆく世代のことを考えると、将来の社会への危惧も浮かんでくる。 人間はアナログな生物であり、デジタル環境へは自然に対応できるわけでは無い。 欲望の資本主義が次々に生み出す「快楽」との付き合い方を心得ておかないと、感染症パンデミック以上に大きな影響を受けてしまうだろう。 手段であり人間生活を豊かにするはずの技術が、生活を支配し精神生活に害をなすとなれば、しっかりとその実態を認識したうえで対応して行かなければならない。 スマホというコンピューターとネットワークを併せ持つ「凶器」の意味を知らなければならない。 薬が毒でもあるように、ナイフが凶器になるように、取り扱いには十二分の注意が必要だろう。
2021.05.20
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どう したなら この くるしみを のがれる ことが できるのか なんと うたえば ぼくの おもいが きみに つたわるの だろうか あみものを ひざに おき きみが まどろむ へやに ぼくは かぜに なって まどから しのびこみ きみの ねむりの なかに とけこんで いきたい もう いくにち すぎた だろうか ながい よなよなを みとどけて あかりに つどう むしたち にさえ やさしく なるのは なぜだろう あいを つづる ことばは あまりに すくな すぎて ぼくは てがみの なかの ちいさな もじに なり きみの こころの なかに とけこんで いきたい きみの こころの なかに とけこんで いきたい きみの こころの なかに とけこんで いきたい 作詞、作曲:永井龍雲 スローバラードに「想い」を乗せて、自分の声で「君」に、語りかけれたら…なんと素敵なことだろう。 たとえ「君」が、マボロシであろうとも、片想いであろうとも、初恋の思い出であろうとも…静かに胸の内を言葉の一つひとつに託して声に出してゆくと…何故か、「やさしく」なってゆく。
2021.05.11
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クラスター感染を防ぎ、医療崩壊に至らぬ範囲に抑えながら、ワクチン接種で集団免疫状態を早く創り出し、1年延期したオリ・パラ大会に間に合わせる。 …シナリオは、次々に破綻を来たし、チグハグな対応に苦慮し続けている。 ワクチン接種のドタバタ劇は特にひどい。 接種する側の医療従事者への接種自体が…第一順位でありながら、未実施のままで、集団接種がスタートしてしまっている。 驚いたことに、救急車の隊員が未だワクチン接種を済ませていない…ということを、医療従事者が心配していた。 最前線の現場の声は、指揮官の元に届いていないのだろうし、現場の実情を知ろうともしていないのだろう。 遠く離れた司令部で泥縄式の作戦に明け暮れている…まるで太平洋戦争の時と同じ姿ではないか。 大本営発表で都合のいいことを言っても、事態はますます悪くなっているのではないか。 経済活動とのバランスなどと、出来もしないことの2面作戦で、GoToキャンペーンをやったのが、一番のミスだろう。 そして、ワクチン供給の遅れ、変異株による感染力増加…「シナリオ」は次々に書換えられ、「想定外」への対応は後手後手にまわり、システムは機能しなくなっている。 解答の無い問題にはうまく対応出来ない、という弱点を見事にさらけ出している。 その場その時に狭い範囲でのコタエを出したとしても、システムの末端がオーバーワークで頑張ったとしても、戦略の拙い戦争には勝てない。 ましてや硬直したシステムでは、一つひとつの作戦・戦闘でさえ問題が多発する。 平和ボケした国…とよく言われて来たが、いい加減なんとかして欲しい。 ドサクサに紛れて法律改正・憲法改正などとやりそうだが、いい加減にして欲しい。
2021.05.09
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何が「緊急事態」なのか分からない…そんなニュースを見ていると、この国の社会システムが如何に形ばかりで機能性に劣ったものであるかを改めて思い知らされる。 世界でも優秀といわれた官僚組織も、既に形骸化したエリート集団に過ぎないのだろう。 そのヘッドに君臨する行政府の長たちの言動の軽さには、あきれるばかりである。 正しい情報を伝えることがパンデミック対応策の1つであると言われるが、マスメディアも騒ぎ立てるばかりで、なんの足しにもならない。 右往左往している姿に、何かを期待し何かを任せるだけの信頼は得られない。 言葉が空洞化している。 「ウソ」か「冗談」か…その場限りの言葉がまかり通っている。 言葉が通じなくなれば「バベルの塔」の例えにあるように、人々はバラバラになって協力体制など望めなくなる。 ましてソーシャルディスタンス、接触禁止、マスク会食…などとなれば、まともな社会生活は望めず、さらに家庭内感染を避けようとすれば、本当にバラバラになってしまう。 言葉を大切にしよう。
2021.05.09
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「感染症の世界史」を読み返していた。 連休、ステイホーム…ということもあって、読書には最適な環境となり、362ページの文庫本を抱きかかえて一気に読み通した。 ネット記事やTVニュースを追いかけていて、紙の本の小さな活字を追うのは、ずいぶん久し振りだ。 時には、文字だけの情報を自分のペースで探って、想像力を働かせる作業も必要だなと感じた。 編集された2次情報を画像と共に受け取るばかりだと、自分で考えることを忘れてしまうようだ。 流れて行く膨大な情報は、無批判に或いは偏った見方でしか受け止められず、いつの間にか流されて行くだけになってしまっていたようだ。 遺伝子情報解析などの新しい科学技術により、不可視領域であった微細世界を認識できる時代になり、人類と共に存在し続けて来た微生物との歴史を再評価出来るようになった。 人類誕生からずっと微生物と共に歴史は刻まれて来た。 感染症やパンデミックの状況の痕跡は、至るところにあった。 コロナウィルスとは、ごく普通に見られる形態であり…、 SARSの兄弟分であるCovId-19は、SARS-2と呼び変えたほうが解りやすい。 いつまで有難がって「新型コロナ」と呼んでいるのだろうか。 インフルエンザ同様に次々と変異してゆくことも当たり前のことだ。 パンデミックが生じることも高速大量移動の世界で、高密度高効率の経済社会では、当然のことだろう。 誰も想定できた事だと白状したくないのだろう。 不都合な真実をバラマキながら、しばらくはパンデミック禍の社会が続くのだろう。 その中で生きてゆくには、指針がひとつは欲しい。 忘れた頃には、また読み返すことになるだろうな。
2021.05.07
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ひとたび公表された作品は、作者の手を離れ、その作品自体がひとり歩きする。 作者の想いが受け手に伝わらなければ、それは作者の責任であろう。 作品はそれ自体で評価されるべきであり、作者のチカラ不足を受け手が補う必要は無いだろう。 作品に込められた想いを、受け手がどう感じ、どう伝えるか… 受け手が伝え手となり、作品を表現するとき、想いがどう伝わるか… そこには、受け手としてのチカラ、伝え手としてのチカラ、の両方が問われる。 まず共鳴・共感が必要となり、何らかの感動が得られれば、それを伝えようとする。 その為には、一度自分のものとして受け入れたモノを、今度は自分のものとして表現しなければならない。 コミュニケーションは、それで成り立ってゆく。 …カラオケの場面でも同じことだろう。 言葉の一つひとつを語る唄い方をするとき、モノマネから自分流のアレンジに変わってゆく。 自分の言葉として語るとき、呼吸・声・アクセントの表現法…などなどで、それぞれの個性があらわれることになる。 最近、カラオケの場でも個性が大切だと言われるようになってきた。 上手に唄えるというだけでは、「想い」は伝わらない。 「自分の歌」として唄えるように、自分を鍛えてゆきましょう…かね。
2021.05.04
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趣味カラオケ、特技カラオケ…ワタシ失敗しないから… そんなカラオケ歌手達も、感染対策で舞台を奪われ、大型連休もステイホームでウズウズしているのではなかろうか。 カラオケがしたぁい…唄いたぁい… そんな声が聞こえてきそうだが、クラスターの多発や家族感染の増加を見ると、自粛で抑えるしかない。 以前から言われていたことだが…自分ひとりで済むことなら、多少リスクがあっても出かけて行きたいのだが、家族親族への感染リスクを考えると、我慢するしかない…と。 取り敢えずはワクチン摂取を済ませ…、効果的な治療薬・治療法が開発されるのを待ちながら…、唄のレベルが下がらないように発声練習でもするか… いやはや、変異スピードが速く感染力が強いコロナウィルスに対しては、リスク回避の対策が有効なのかどうかもわからず、とにかくリスクのある所には近付かないのが一番…ということになってしまうのか。 人を見たら感染者と思え…という世の中になってしまった、のかなぁ。 過去を引きずりながら、現在のカオスを掻き分けて、未来へ生き抜こう…かな。
2021.05.04
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スプリングを押し縮めて行くと見掛けは小さくなるが、そこに溜まった圧力はエネルギー解放の場を求めてストレスを高めたままになる。 徐々に溜め込まれたエネルギーであっても、解放される時には一気にその全てを解き放とうとするだろう。 政治的・社会的に制限を加え個々人に負担を強いるとき、社会不安を引き起こす圧力のガス抜きが必要になる…と言われ、その為の政策がとられたという。 スポーツ・スクリーン・セックスが、占領政策としてGHQが行なった愚民政策であり、3S政策といわれた。 1年以上にわたる自粛生活を強いられて、コロナ疲れやコロナうつ等を人々が口にする社会になり、更にその状態を今後も続けなければならないというストレスは、社会不安への圧力を高めている。 犯罪や自殺行為の多発が、既に生じているのではなかろうか。 ストレス発散の手段であるべきカラオケ・飲酒・喫煙が禁じられるとなると、いったい何でガス抜きをすればいいのだろうか。 今回もパチンコ店の営業自粛は言われていないようだが、ガス抜き効果という期待配慮があるのだろうか。 ギャンブル全般に対して甘いような気がするのは、的外れだろうか。 3密で成り立ってきた社会でそれを禁じ、ストレス発散の機会も禁じるとなると、ガス圧の高い非常に危険な状況を招くことが想定される。 肉体的にも精神的にも不安定で、経済的にも恵まれない…となると、不安ばかりが渦巻き、夢も希望も持てない人々が溢れることにならないだろうか。 ステイホームを唱えるだけでは、事態は改善しない。 刹那的で利己的行言動を容認するような社会になって欲しくは無い。
2021.05.03
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カラオケ喫茶でのcovid-19感染クラスター発生の情報を拾って見ようかと、ネットニュースを探してみたが、うまく揃えることはできなかった。 それでも日本中でクラスターが発生し、70才前後のおそらく年金生活者達が感染者となったことは明らかであった。 飲食店での売上を左右するのは、酒類であることは明らかであり、時短に加えて禁酒となれば、通常の形態であれば経営が成り立たないだろう。 スナックなどでは、更にカラオケ禁止で…何の意味があるのかと言いたくなる。 まぁ、アルコールで正常な判断能力を失った者達には、感染対策を期待できるはずもないか。 禁煙が提示されてから行かなくなった焼肉屋がある。 無煙ロースターは導入していたが、人気店だけに喫煙可能とはできなかったのだろう。 まずはビールからと始まっていた会食も、当分オアヅケとなるのだろうが、あの店は大丈夫だろうか。 パンデミック対策の非常事態となれば仕方ない、ということになるのだろうが、…ただ規制しているだけで、実は効果的な感染対策も無く、経営支援策も無く、生活支援策も無く、とにかく自粛を強いるしかない…ということなのだろう。 予防接種も治療薬も間に合ってない状態では、人流接触を断つことで当座の医療負担を抑えるしか手がない。 スキを見せればミクロの変異ウイルスの侵入を許し、感染拡大に繋がり、更に状況を悪化させることになる。 さて、covid-19との共生を余儀なくされるであろう次の社会で、生きてゆくにはどうしたらよいのだろうか。
2021.05.02
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友人の出演予定だった歌謡祭が、中止になったとの連絡が入った。 今年は観客数を減らし、コロナウィルス対策を考慮した上での開催を、5月中旬に企画していたようだが、変異株感染流行の勢いの前には中止の決断をせざるを得なかったのだろう。 3密どころではなく、2密、1密でも感染が見られ、クラスター発生も多発する状況では、誰もが納得する判断であろう。 おそらく6月初旬に予定の別のカラオケ教室の発表会も、中止となるだろう。 出演者だけの小ホールでの開催を企画していたが、とても前向きに取組める状況ではない。 オリ・パラ大会は、意地でも開催実施を貫きたい模様だが、果たしてそれがパンデミックへの対応として意義があるのかどうか、疑問の多い判断である。 ワクチン接種の準備不足や遅れが日々明らかになり、医療機関への負担がますます増えている中で、努力目標の提示しか出来ないような政治判断で進めて行って良いものであろうか。 そこまでこだわるだけの意義が世界大会にあるのだろうか。 …と思ったりする。 イベントの継続で社会を存続させるという方法が当り前になっているが、果してその姿勢で持続可能な社会の舵取りなどできるのだろうか。 走り出したら止まらないと言うレミングの死の行進と変わらないのではなかろうか。 行けるところまで行って、そこでまた考えればいい…というのであれば、成り行き任せの問題先送りに過ぎないのではないか。 「不都合な真実」には目をつぶり、未来へと向かう覚悟もなく、「現在」というミクロな世界での判断しかできないのであれば、そこで語られる美辞麗句に大きな意味はない。 自分の命は自分で守れ、自分の生き方は自分で考えろ、…それが今の時代なのだろう。
2021.05.02
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人は何処へ行こうとしているのだろうか。 コロナウィルスは、人間社会にくまなく行き渡っているように見える。 止めることのできない人の流れ・接触が感染拡大を継続させ、おそらく次々に変異を繰り返すウィルスとの共存を余儀なくされるのだろう。 インフルエンザ同様の扱いになるまでには、年単位での時間が必要になるのだろう。 地球規模での気候変動には、おそらく未だに明確な対応策を示せていないのではなかろうか。 地球史的には、寒冷化に向かいつつあるとも言われている中で、ひたすら二酸化炭素の排出抑制のみを政治課題・経済目標として取り上げているが、果たして合理的な判断なのであろうか。 地球という閉鎖社会の中で、バランスを保ちつつ持続可能な社会を構築する為にすべきことは何か? 生物界の頂点に立ち、天敵のいない存在として、繁栄していたが、自ら環境を破壊し、ウィルスの感染拡大に混乱している。 閉鎖環境の中で長期的にバランスを保ちつつ存続し続ける社会を構築するには、新しい価値観を創り出して行かなければならないのではないだろうか。 空間のみならず時間的な視点を持ったバランス感覚が必要になると思われる。 そこでは、個体の生死を超えた種の存続、環境変動への対応を考慮した行動指針を全世界的に模索して行くことになるだろう。 人口の抑制、産業経済活動の抑制、東西南北格差の解消、…等々の放置してきた諸問題に立ち向かえるのかどうか。 欲望の資本主義と言われる現実から、次のバランス社会への想像ができるのかどうか。 未だにパワーバランスが支配する世界から、一つの世界へと向かう行動に歩みだせるか否か。 まずはSF世界ででも新しいイメージを描くことから始めることが必要であろうか。 何が許され、何が許されないのか、…仮想現実の世界でまずは遊んで見れないものだろうか。
2021.04.27
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生物的には、ウィルス感染症に害されることなく、より健康的な姿でこのパンデミックを生き抜いた者が次世代へ遺伝子を残す可能性を高めることになる。 個体としての免疫力を発揮し生き抜いた者が次世代へと続く遺伝子を残すことで種の存続が図られる。 弱い者はカッコ悪い姿となり、ふるい落とされ、強い者が異性にもてるカッコ良い姿となり、子孫を残すことになる。 社会的・経済的要因が人間には加わることになるが、ウィルス感染症に負けることなく生き抜くことが、とにもかくにも重要なことになる。 カッコ良い姿でパンデミックを生き抜くこと。 その為にできることは、進んで行うべきだろう。 その行動をカッコ良いと思えないだろうか。
2021.04.21
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何がステップアップに必要なのか?…とセミプロ的ステージを目指すときの課題を考えてみる。 人それぞれ、その時どきに応じたワンポイント・アドバイスが、最も効果的で、その繰返しが1番の近道なのだろう。 その中でも一般的に気になる点は、緩急をつけた言葉の語りができるかどうか…ということだ。 メロディを外さず、リズムも合っているのに、下手ではないけど詩が伝わらない…という人が多いように思う。 そして、その段階で足踏みをして、次のステップに進めないことが多いように思える。 歌詞の中で、どの言葉が1番のポイントになるか…をまず見定めることから始めて、それにつながる言葉の流れとして歌詞全体の組立てを眺める。 その流れを構成するパーツとして各フレーズの役割を当てはめて行く。 そして、ひと息で語るフレーズ毎に緩急・強弱・大小…の表現ができるように繰返し練習する。 まず、アカペラ・無伴奏でひと息分の詩を唄ってみる。 スムーズに自分の呼吸にあった唄い方が出来るかどうか。 次に、カラオケBGMの楽器の1つとして自分の声が収まるかどうか、聞き耳を立てながら唄ってみる。 テンポやリズムを外さずに、うまく曲に乗れてるかどうか、微調整をすることになるだろう。 後は、思い切り唄うことが出来るように、マイクに頼らずに声が出せるように繰り返してみる。 想いを伝える自分の唄い方が自然に出来るようになれば、ボーカルとしてステージに参加出来るのではなかろうか。
2021.03.19
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社会生活をおこなう動物の行動を観察すると、どの集団においても必ず20%の個体はサボっているのだという。 アリにしても、ハチにしても、任意の大きさの集団を選び出したとしても、その中の20%は必ずサボっているのだという。 そして面白いことに、サボっている20%を除いてみると…残りの集団の中の20%がサボるようになるのだという。 反対に、その除かれたサボり集団の中でも…80%は働き者になり20%はサボるという状態になるのだという。 すなわち、常に集団の8割がコツコツと働き、2割はサボるというのが普通の状態だということになる。 その2割は、言わば社会集団の予備軍として環境変化や非常時には出番を得て、社会集団の安定継続に寄与することになるらしいのだが…。 このことから妄想を働かせてみると、人間社会のあるべき姿も見えてくるかもしれない。 8割の労働で全体を支えるのならば、実質6割の成果で社会集団は成り立つということになる。 社会集団組織のシステムは、6割稼働で継続できるものとし、8割稼働を最大とするように設定されるのが良い…のかもしれない。 非常時には10割稼働で急場をしのげるだけの余裕というか、「アソビ」が必要とされるのではなかろうか。 そこに…多様性の受容、継続可能社会の構築、働き方改革、ゆとり生活、等々の現在の課題を解きほぐして行く道が見えてくるのではなかろうか。 そこで…80%稼働の働き方・生き方を許せるだろうか。 実現には、すこし時間がかかるのかも知れない。
2021.03.13
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3,652.5日
2021.03.08
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それを人は孤独と言う。 …なにをいまさら…と思う。 SF世界では、ときにテレパシーを有する知的生命体が種族全体で一つの知性を共有して、個体としてではなく種として振る舞うという状況が設定されることがある。 個体の獲得した経験・知識・思考…は種全体にフィードバックされ、一つの意識を形成する。 それは世代を超えて引き続けられることとなり、超生命体とでも言われるような存在となって行く。 実世界でも遺伝子レベルでは、同様なことが起きているのかもしれない。 それは種全体として環境変化に適応し存続のために獲得したものであり、それ故に現在まで存続できた結果でもあると言える。 うまく適応できなかった群れは、既に系統樹からは消え去っているかもしれない。 実世界での個体は、他の個体と直接結びつけられることは無く、それぞれの意識はそれぞれの膜に覆われた独立したものと認識される。 そこに「私」が存在し、勘違いすることでのみ「我々」という幻が生じることになる。 共鳴・共感して一体感を抱こうとも、決して一体になることは無く、個は個としてその一世代を過ごすことになる。 前後数世代に渡る共有は、様々な面で行われるかも知れない。 しかし、あくまでも個は孤であり、独りであることに変わりはない。 思いを深くするとき、その孤・独を感じることになるのだろう。 一人で生まれ、一人で死んでゆく。 一人で生きるその時間を、どう生きるのか。 基本的には利己的であるが、生き方によっては違うように見えるかもしれない。 それは生き方の問題なのだろう。
2021.03.05
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あきの におい つかまえ られず “えいえんの さよなら” 「ありがとう」「ごめんね」 もう おそいよね? つぎの ふゆは たんじょうび ひとりで いわえるかい? じだいの ながれに やっぱり さからえないよ ひとは だれもが ないて うまれて だれかと であい わらって いきて いつかは ひとりで しんで ゆく ひとは だれもが きづくの だろう だれかと であい わらって いきる "しあわせ” きっと そこに ある たいせつな なにか うしなって はじめて… ひとは かがやける だろう… さくら ふぶき まいあがる ように すべての いのちは ひとつの ものがたり もう なかないで つぎの なつは たびだち のあめ とおくの みらいで あなたの えがおに また あいたいよ ひとは だれもが ないて うまれて だれかと であい わらって いきて いつかは ひとりで しんで ゆく ひとは だれもが きづくの だろう だれかと であい わらって いきる “しあわせ” きっと そこに ある たいせつな なにか うしなって はじめて… ひとは かがやける だろう… あさの めざめ よるの ねむり あなたの えがおは だれかの いのちを かがやかせる ため… 作詞:masaru 作曲:Junpei Oda とあるCAFEで、隣席の会話を耳にして、生まれた歌だという。 たしか…癌による別離の話であったと、記憶している。 ひとつ一つの言葉を、しっかり丁寧に語れば、素敵な唄になるかも。
2021.03.04
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であった ころの ふたりに もいちど もどって みよう そして ふたりで てをつなぎ しあわせに なろうよ うみの ひろさに まけない ように まぶしい たいようを にらんでみた ずぶぬれの ぼくは さかなに なり あの しままで およいで いった はじめて であった ばしょに もいちど もどって みよう そして あおいそらに だかれ しあわせに なろうよ みどりの だいちで とりが ないた きみは りょうてをひろげ そらをとんだ ほしぞらを みあげ ゆめを かなえた つきの ひかりで うたを うたった であった ころの ふたりに もいちど もどって みよう そして ふたりで てをつなぎ しあわせに なろうよ はじめて であった ばしょに もいちど もどって みよう そして あおいそらに だかれ しあわせに なろうよ しあわせに なろうよ 作詞:長渕剛 作曲:長渕剛 幸せ…って、なんだろうね? 簡単に口にし、サラッと聞き流している…やさしい言葉。 あるいは、人生最大の目的であり、明日への重たい覚悟。 今は…健康でいることが、幸せ…なのかな?
2021.03.02
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これだけ情報過多の時代にあって、covid-19の後遺症・ワクチン接種後の副作用についての情報が、ほとんど手に入らない。 一般的な常識となるほどの広報が、必要なタイミングではなかろうか。 知らない、わからない…ということは、不安を感じさせ、デマを信じやすくさせ、差別を生じやすくさせる。 当事者本人よりも、周囲の正しい理解と対応が必要なのだと思う。 感染症やワクチン接種という社会全体の問題であり、誰もがその当事者となり得る状態について、周囲の理解と対応が大切な時期に差しかかろうとしている今、もっと多くの正しい情報が欲しい。
2021.02.26
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理解するということは、誤解を繰り返しながら、誤解の割合を減らして行くことであり、それがコミュニケーションというものだろう。 一つの言葉にも、人それぞれに違う意味を持っている。 その人の持つ言語経験、知識、バックグラウンドの文化が、一つの言葉の裏側に潜んでおり、同じ言葉を使いながらも、全く同じ意味を表しているわけではない。 一粒の涙を表現するために、無数の文字・演技・映像・音楽…が費やされる。 辞書の中の知識では、理解したという誤解しか得られない。 最大公約数的な理解の中で我々の生活は成り立っている。 多様性の中の統一は、その生活の中でのコミュニケーションを求めている。 100%なんてあり得ない。 いつだって誤解しながら生活していることを忘れてはならない。 それが理解への第一歩だろう。
2021.02.20
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いのちを くれた ふたりに ことばたらずの メロディ あいの はな はかなき ゆめ ひとり あおぎみてた あかねぞら やせた ははの てが つくる てりょうりに はげまされてる いまでも むねが つまるほど ひとを きずつけて まちに あおられて なにも つかめず ふるさと かえるばしょ なかった げんきで やってますか? ちゃんと くらしてますか? てがみと おまもり へんじ できなかった いのちを くれた ふたりに ことばたらずの メロディ あいの はな はかなき ゆめ ひとり あおぎみてた あかねぞら しごと ひとすじに いきた ちちの せなか かぞくを おもう こどくな かくご かんじていた こころの ままに いきろ! なかまを だいじに しろ! なんとかなるさと いつも はにかんでた あなたに あえて よかった かけがえのない メモリー つよい はは やさしい ちち むねをはって まえへ いきてゆく いのちを くれた ふたりに ことばたらずの メロディ あいの はな はかなき ゆめ ひとり あおぎみてた あかねぞら 作詞:純烈、作曲:大谷明裕、唄:純烈 テレビ番組の中の一コマで初めて知った歌。 母への感謝を伝える歌ばかりで、父が出て来ない…と、不満だった中で、意外なところから、そんな歌が出て来た。 リーダー酒井の想いを売れる前の純烈が歌にしたらしい。 グループのコーラスとしてネット動画で確認できたが、あまり抑揚の無いフラットな感じに仕上がっていた。 ちょっと練習して、自己流のバラードで唄えるようにしてみようかな。 最後を端折れば、何とか4分程度の舞台発表用の歌に仕上げられるかも知れない。 実体験・実話・実感に基づいた歌は、人の心を打つものを潜めている。 それを自分の言葉として引き出せれば、人前で唄う歌として、共感の得られる歌として表現できるのではなかろうか。 小さな感動なり、ひとフレーズでも共鳴を得られる唄声となるように、トライしてみようかな。 目的のある練習ができる歌には、久し振りに出会ったような気がする。
2021.02.14
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数年前に地方都市のJR線の高架化により、駅前の再開発が行われた。 駅付近の踏切・陸橋が整理され、田舎の駅前がちょっと背伸びした都会風に変わるはずだった。 しかし、都会のデザイナーに任せたその景観は、自家用車を締め出し公共交通機関を優先した、当時のブームに乗った姿であり、決して合理的配慮を満たしたものではなかった。 駅前を通る一級国道を信号交差点での平面交差とし、安全優先の時差信号により交通の流れを遮断し、駐車場を設置しないことでJR利用者の送迎車両も路上駐車せざるを得ない状況を作り出し…高架化によるメリットを半減させたように思われる。 さらに、近隣の空地にバスセンターを作る機会も放棄し、緑あふれる公園にしてしまった。 高架化した駅から国道を跨ぐ歩道広場でバスセンターに繋ぐというプランは出来なかったようだ。 当時の評価では、カッコ悪かったのだろう。 広い舗道を確保し、駅前から伸びる商店街に人間優先の緑にあふれた流れができるものとイメージしたのだろう。 COVID-19の世界では、公共交通機関は使わず自家用車を使えということになり、基本条件が崩れて、人の流れは郊外の大型商業施設へと加速したように思える。 物販の商店街は洒落た飲食店街へと脱皮しようとしていたが、感染症対策の時短少人数営業の元では成り立たなくなるだろう。 かつて予想されたゴーストタウンの映像が現実化しそうだ。 立派なデザインの街に人の流れが見えなくなる。 行政の意図したカッコいい街は、合理性を欠いた独り善がりのものではなかったか 。 使いづらい立派な街が残されてしまったように見える。 高いビルの上から眺めての自己満足のデザインは、地面に足をつけて生活する下々には、近付く価値の無い場所になってしまったのでなかろうか。 人の流れ・交通の流れ、生活者・消費者の要求に対する評価が低かったのではなかろうか。 民草の生の声に耳を貸さなかった結果であるように思える。 雲上人は、ときに民草の生活の場を歩き、その声を発する現場を実感すべきであろう。 大脳前頭葉だけでは、価値評価を正しく下すことは出来ないのではないか。 人為的に何事かを決め、将来を決定づけるときには、より深い洞察力が必要であろうし、決して合理的配慮を欠いてはならないと思う、何事に対しても。
2021.02.14
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十年ひと昔。 バレンタインデー直前の深夜に、テレビ画面が騒ぎ出した。 地震の状況を示す地図画面に、かつての大地震・大津波の映像を思い出した。 東日本大震災のときに刷り込まれたあの画面がよみがえり、テレビの前から離れられなくなった。 震源が60kmと深かったせいか、津波を引き起こすことは無かったが、そのぶん広い範囲に強い揺れが拡がったようだ。 十年前の経験が活かされていたのか、地震の大きさの割に被害は小さかったようだ。 まるで、台風銀座にある沖縄地方では、その経験と対策から、強い台風に襲われても大きな被害が生じないように。 それはウイルス感染症に対して、ワクチン接種による集団免疫ができあがり、また日常生活での予防対策がゆきわたり、社会全体で軽症に抑え込めるのと同様に。 ここで思い出したのが、自衛隊を国際救助隊にすることができないのか…という妄想?だった。 昭和の時代に「サンダーバード」を見て育った世代としては、殺人目的の軍隊ではなく救人目的の救助隊にその予算と科学技術を使えないのかと、何事かあるたびに思うのだった。 自然災害の多発する日本列島の上で生活を続ける我が国が、その役割を果たすことができないのか、という思いだった。 世界は未だ軍事力バランスを無視しては成り立たない。 平和憲法で交戦権を放棄し軍事力を持たないという理想をかかげながらも、現実問題としてはそこに近付くことができないまま、誤魔化しの国となってしまっている。 唯一の被爆体験国でありながら、核兵器禁止条約に批准できないという…何とも不可思議な状態を続けている。 covid-19パンデミックで、21世紀の新しい人類社会への変革が必要とされている今こそ、妄想を理想に変え、誤魔化しを自信に変え、日本という国の存在感を世界に示すことが出来ないのだろうか。 日本文化は閉鎖社会で上手くやって行くことを世界に示すことが出来る、稀有な存在ではなかろうか。 「サンダーバード」が、文化人類学的に類似するとされるイギリスで誕生したのではなかったか。 大陸の両端に位置する島国で、世界の文化が流れ込み熟成させて独自の文化を創り出している。 日本は東洋文化の影響を色濃く残し、行き詰まっているように見える西洋文化の世界に新しい視点を与えることが出来るのではなかろうか。 日本は世界への発信力が弱いと言われている。 不言実行…勝手に国際救助隊を創設し、世界に向かってお節介な活動を始めてはどうだろうか。 その役割を果たすことが、21世紀には出来るのではなかろうか。
2021.02.14
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フランス当局の見解として、感染歴ある人へのワクチン接種は1回で十分というニュースが流れた。 3週間後に2回目の接種が効果的とされるワクチンだが、感染した事を1回目の接種と見なすことができるという見解だろう。 科学的にも納得できる見解だが、感染歴の有無が不明である状況では、その判断ができないではないか。 それならば、接種前に抗体検査を実施して、2回目の接種が必要か否かも明らかにすべきではないのか。 ワクチン接種の目的は、ウイルスへの抗体を体内に作り出し、感染および重症化防止をはかることだろう。 ワクチンの数が不足している状況では、最も効果的な方法を選ぶべきであろうし、有効な手段として検討に値するのではなかろうか。
2021.02.13
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パンデミック状況を終息へと向かわせる為の措置として、ワクチン接種を人類全体に施すことは必要条件であろう。 死亡率は低いが感染力が強いウイルスは、大量高速移動が常態化している社会では、極めて短時間に社会全域に拡散する。 重症化し死に至る確率が高いのは、高齢者・持病持ち・免疫力の弱い人…などなどの人類としての弱者であろう。 生物的には、次の世代に遺伝子を残す価値の無い人々が、ふるい落とされる作用と見ることができる。 生物学的には、免疫力が強く様々な試練を乗り越えて遺伝子を残し得る個体が選ばれることは、種の存続においては当たり前のことだ。 あらゆる生物にはそれぞれに固有のウイルスが有り、それに適応共生することで種を保存させて来た。 ウイルスはある意味フィルターとして機能しているのかも知れない。 持続可能な社会が課題と言われているが、人口爆発・食糧不足の課題も併せ持つ人類は、自らは人口抑制ができず、他の生物種の存続を脅かしながら、未だ地表に蔓延る道を進んでいる。 人類は、どれほどの種を滅亡へと追いやっただろうか。 開拓・都市化と称して、どれほど地表を覆ってきただろうか。 地球全体のバランスを人類のエゴ的視点を除いて見たならば、人類は増え過ぎ、他の種の存続領域を奪い、様々な資源を奪い尽くし、地球上を汚染し尽くして来た。 人類は自己抑制が効かず、地球のバランスを破壊し続けている。 自然界のバランスを保とうとする力は、ウイルスというフィルターを使って、バランス回復を図ろうとしているかのように見える。 天敵であるウイルスの感染という天罰が下され、地球がひとつのバランスに至るまでパンデミック状況が続くことになるだろう。 感染者が増えれば、次々に変異を続け、感染地域が拡がれば変異の型も多種にわたり、ワクチンや治療薬に対しては耐性を獲得し、天敵であり続けるだろう。 それでも今の時代を生き、その社会の中で命を紡いでゆくならば、ワクチン接種を受け続けることが必要条件となるだろう。 人間社会の中での様々な問題も乗越えて行かなければならないが、それは人間社会の問題であり、人類の種の存続の問題と同列に評価してはならない。 現在から未来へと生きてゆくには、相当の覚悟が必要になるのだろう。
2021.02.11
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むねに しみる そらの かがやき きょうも とおく ながめ なみだを ながす かなしくて かなしくて とても やりきれない この やるせない モヤモヤを だれかに つげようか しろい くもは ながれ ながれて きょうも ゆめは もつれ わびしく ゆれる かなしくて かなしくて とても やりきれない この かぎりない むなしさの すくいは ないだろうか ふかい もりの みどりに だかれ きょうも かぜの うたに しみじみ なげく かなしくて かなしくて とても やりきれない この もえたぎる くるしさは あしたも つづくのか 作詞:サトウハチロー / 作曲:加藤和彦 やり場のない苛立ち、見えない明日、繰り返す無力感、湧き出る無常感… 死に急ぐことはない。 ヒトはいつも、この世で閉ざされた心を持て余している。 あの世に救いを求めたところで、逃げ出したところで、そこに救いは無いだろう。 今日の自分をこの世で生き続けることが、自分を救う道なのかも知れない。 いきいきと生きよ…ある人が言っていた。
2021.02.10
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男と女がいる。 男と女しかいない。 生物として、動物として、何も問題になる表現ではない。 ある人が言った、女は産む性であり、男は産ませる性であると。 卵子が人の身体の基本であり、それが累々と繋がって行く。 精子は遺伝子情報を渡すことでアレンジを加える役目なのだろうか。 社会を構成する人間となると、単にそれだけでは済まなくなる。 社会的動物としてのヒトになるという要素が加わる。 先進文明国という自然界から距離をおいた社会では、その要素の方が大きなウェイトを占めるようだ。 雄と雌という評価ではなく、オトコとオンナになることが評価される。 そして、多様性がその評価の中に現れてくる。 違うものは違う…だけど、同じヒトだ、という「多様性の統一」が必要になる。 違うものは差別する…というのが根底にあるけれど、それを乗り越えて一緒に生きてゆこう、というのが今の時代だろう。 人間社会は、そうすることが必要な時代にあるのだろう。 皮膚の色からはじまり、様々な差別がある。 その差別を乗り越えた人間社会を創り出そうと目指している。 果たして、その人間社会にはどんな未来が見えてくるのだろうか。 また、生物・動物であることとのギャップから生じるストレスを、どう消化していくのだろうか。 長い歴史は、まだ始まったばかりのような気がする。
2021.02.09
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