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5月3日、ツイッターで世界史の話題をふっていただき流れでセルフライナーノーツちょこっと世界史について自分語り。宝島社の「読むだけですっきりわかる」シリーズが売れた段階で、当然世界史を出せば売れるという考えが営業サイドからも編集サイドからもでてきました。で、ぼくは執筆を依頼されたのですが、実は当初はこれを何度もお断りしたんです。ある程度、売れることがわかっている世界史の執筆を断ったのにはぼくなりの理由と計算がありました。取り扱う量が膨大で手に負えないと思ったこと。売れるとは言っても日本史より読者層が小さくなるので割に合わないと感じたこと。文化人・評論家にシフトしたほうが、ぼくの寿命も長くなるのではと考えたこと。日本史でブレイクした時、シフトするなら今だと思いました。実際数々のお話をいただいていたと思います。ちゃんと芸をやっている芸人が、その芸が飽きられると消えていき一方で素人の居酒屋トークに毛の生えたような内輪ネタや身内いじりしかしてない芸人が安定した仕事と人気を得る。こういう様子を観察していましたから、書き続ける、新作を絶え間なく出し続けることの継続に不安とひきあわない思いがありました。世界史なんぞを書き始めるとメディア出演どころか講演すらできなくなってしまいます。こんなもの、絶対に割に合わない。まして当時は山川のアレが出てたのです。編集さんに「世界史に関しては山川のがでてるから今更ぼくが書く必要はないでしょう」と。すると「読んでみましたか」と。気になったので山川の『もう一度読む世界史』を購入して読んでみました。そしてあることに気がついてしまったのです。「これはまさにタイトルの通りだ」と。「看板に偽りなし」だと。 つまりこういうことです。山川の『もう一度読む世界史』は良い本なのですが、一度世界史をきちんと学んだことがある人に向けての本だったんですね。まさに「(もう一度)読む」なんです。世界史を学んだことがない人があれを読んで理解できるとは思えなかった。それは山川の本に問題があるのではなく、もともとそういうコンセプトで作られた本ですから正しいんですね。あれは懐かしさを感じつつ学び直す本だった。だから世界史を学ぶ上での前提としてのルールや用語の解説はありません。アケメネス朝やササン朝の「朝」とは何を意味するのか。シーザーとカエサルの表記の違いは何故存在するのか。実は世界史ビギナーにはそもそもそこから解説する必要があります。面倒でまわりくどく評価されない作業です。 だってわかりやすければわかりやすいほど、レベルが低いと誤解されやすい。となると、やれそうな、いや、やりそうな人物はぼくしかいませんでした。あの池上さんですら、特定の時代区分のテーマ別の世界史は語られていても通史には手を出されていません。だいたい通史なんて分担して書き上げるものですから。とはいえ、ビギナー向けの入門の入門がなければ世界史の重要性を謳ったところで「じゃあどう学べばいいの?」に対して高校や予備校で授業を受けてください、などという無茶な回答しかできなくなってしまう。重要性を説き、強く勧める以上は、書く必要があるのかなとこうしてメディア出演や講演はもちろん節税も巷にあふれる楽に書けるビジネス本や自己啓発本のような本の大量生産もあきらめて世界史にとりかかりました。 さて、そういう経緯で実際に書き始めた世界史でしたがこれは文字通りぼくのチャンスを犠牲にし、心身を比喩でなく削りました。未だに自分が世界史を書いたのはおこがましいことだという思いがあります。近代編を書き上げた段階で左目に浮腫ができ、疲労とストレスがピークに達して、療養を余儀なくされています。でもぼくの苦労など『史記』をものにした司馬遷や、自ら司馬遷には遠く及ばないと命名された司馬遼太郎さんらには遠く遠く及びません。次元が違う。思えば世界史を記述するというのは世界中の数えきれないほど多くの人々の文字通り命をかけた業績を、要約してしまい評価してしまうことにつながります。彼ら彼女らの人生を一刀両断(でもないのですが)に外野から語ってしまうのですからそれくらいの目にはあわないといけなかったのでしょう。世界史を学ぶのにどんな本を読めばいいか、そしてその読めばいい本を読めるようにする入門の入門書としてはなんとか及第点に達したかなと思っています。作中で多くの事件・多くの世界遺産・多くの本・多くの人物の生き様について書かせていただきました。そういうものとのであいがきっかけとなって旅行が楽しくなったり、もっと別の本を読んだり研究したくなったり生き方のヒントや指針を見つけてくださる方がひとりでも多くいらっしゃれば幸いです。【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(古代編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(中世編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(近代編)
2011年05月20日
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はっぱ隊の「YATTA!」の歌詞が妙に凍みる3.11以降の日本の俺。【21%OFF】[CD] はっぱ隊/YATTA!
2011年05月20日
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9:24 AM May 9th TweetDeckから浜岡原発のある御前崎はとても好きな場所のひとつ。ここは夜がいい。海岸線の二車線の道路の脇の歩道から海を眺める。波がスゴイ。真っ暗な中、轟音と共にあちらこちらに波頭の白さが際立つ。自殺願望なんて微塵もないけれど、あまりの美しさについ身体を乗り出してしまう。自然のスケールにただ降参。 モノカキになって初めて?のスランプ焼津ステイの夏。毎晩のように御前崎を訪れ、強くぶつかりあい白く光る波を見つめていた。そう、実は東海地震云々がなくても、浜岡原発は「なんでここ?」という場所なのだ。夜の御前崎の話でお伝えしたように、そもそも比較的波が高い。そして、ここは台風中継の名所でもある。まぐろの名所である焼津はすぐそこ。日本の大動脈、東名高速道路も東海道新幹線も眼と鼻の先にある。 浜岡原発の停止に複雑なコメントをする地元の方の報道を見て、つくづくこの国は生計を立てる術を国に依存している人が多いことを思い知らされた。公務員はもちろん、独立行政法人や各種団体。土建業者でも元をたどれば税が主な収入源であるところが多い。外食産業でさえ立地次第では…。 そういえば少し前にやっていたテレビの経済バラエティで「どうしてこのお店がやっていけるのか」というのの答えのいくつかは学校など税金に端を発する発注先がなぜかほぼ固定して毎年存在していることが原因だった。(本来ならば、その手の発注は毎年入札されるべきもの したがって納入業者は毎年変わるべきもの)補助金の比重が大きい農業などもそうだし、半独占的経営が可能な公共事業もそう。パチンコでさえ法のグレイゾーンで守られているようなものだし、電波のことを考えると放送メディアも該当してしまう。そもそも主要取引先リストに国や自治体の名前がないと会社の信頼度も低く見積もられてしまう。 モノカキの仕事ですらそうだ。教科書等に採用されれば権威になる。講演・セミナーの講師でも講演先に公の色が濃い団体があると格があがるような風潮も。単純に日本の財政のことを思えば税を受け取る人<税を負担する人 (金額)であれば財政は健全化するし、不等号の向きが逆になればそれだけ厳しくなるはずなのだが。国や自治体、そこから差し出される税に端を発するお金をあてにしなくても経営が成り立っているのなら、それはそれですごいことなのだが。税からほとんど収入の恩恵を受けていない人というのは実は少数派なのかもしれない。サラリーマンは給与が収入源だが、会社の主な取引先が公であるならそのサラリーマンも間接的には収入の大半を税に依存していることになる。そもそも数十年も政権交代がなかったり主食の価格を国家が定めていた段階でわかっていたことなのだがこの国は資本主義国とは言えない。実態は社会主義国(それが悪いとは言わない)それもかつては世界一、いや世界で唯一成功した社会主義国だったが今ではその称号すら得られない、低レベルの社会主義国になってしまった。それでもなお、国際化を進め、グローバルスタンダードを受け入れ官尊民卑の風習を打ち砕き、市場経済をめいっぱい受け入れるよう移行するのか、もしくは「ガラパゴス上等」「島国が鎖国で何が悪い」と独自の路線を突き進むのか。それは落ち着いたら国民ぐるみで論議すべきテーマかも知れない。歴史を振り返ると、戦後の四十年を除けばこの国は鎖国状態の方が国内は安定しているから後者を選ぶのもひとつの方法ではあろう。肝に銘じておかねばならないのはいいとこどりは不可能だということ。それを踏まえての後者の選択が国民の同意の元でなされるのならそれはそれでアリだ。
2011年05月18日
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2011年5月5日 記「渋滞」と打ち込んで検索したTLを眺め、臨場感と日本独特の季節感に触れる。 発想がことごとく逆だよなと思う。渋滞からの連想。土日祝日はほっておいても高速利用希望者は多い。サンデードライバーや地理に不慣れな人の数から事故も増加が予想されるから渋滞は必然。一般道の併用や日時の拡散に向けるのが合理的。 一方平日でも利用したいという人は職業的な利用者が多く常連中心であることが予想される。商業・サービス業においては、一般に常連および閑散時間帯・閑散期は優遇があり、一見さん、集中期、繁忙期には割高となる。高速道路の休祝日1000円上限というのは、まさに市場の論理の逆をいったわけだ。 もっともそれで喜ぶ人が増え、票につながってしまったのだから、彼らだけを笑うことは出来ない。 時間とコストと捉える人が少ない、あるいは現実的な価格という数字を見てしまうと時間以上に貴重であると錯覚してしまう人が多いということが推測できる。いや、もっと単純に時間以外に稼ぐ手段を持っていない人が多いと考えたほうが自然か。多くの日本人は給与・賞与以外の収入のチャネルを持ち合わせていない。 とすると、一部の今話題になっているような既得権だの身分だのから発生する市場の原理の枠外の報酬をリスク無しで確約されている人々(天下り役員など)を除けば、多くの人は時間を切り売りもしくは量り売り(計り売り?)することで生計を立てていると言える。これのメリットはリスクが少ないこと。 他方、もしこの時間の切り売り・量り売り状態から逃れ、組織による緩やかな拘束からの開放を願うとすれば、時間以外の売りを得るしか無い。自分の所有する技能・能力・仕事・財などから、換金性のあるものを養い育てることが必要になる。 いや、実はそれだけでは換金はできない。どんなに換金性のある自己の所有するものでも、その存在を相手に認知され、さらに価値を認められなければならない。 そこまでやろうとすると並大抵の努力では叶わない。実力はもとより、半端ない執念や模索・創造・普及させるための時間が必要になる。お、ここで時間に戻ってしまった。そう、時間を切り売りしている身分で、多大な時間を用意せなばならない矛盾。しかもコレは投資だからその間は収入がない。 回りくどい話はようやく結論に達する。この自分の持つもののなかで換金性のあるものが何であるかを見つけ、見つけられなかったときは育成し、さらにそれに需要を感じてくれる人や組織に認知してもらい、価値を認めてもらうという壮大な作業。これを為すための時間。そんなものを持ち得た人がいるのか? 実はいるのだ。しかも大勢。特定の事情を抱えていた人以外はほとんどこの時間を所有して「いた」。もうおわかりだと思う。その時間こそ学生時代に他ならない。考えられる限りの平等性で多くの人々が食うために働かなくても生活できる数年間を与えられて「いた」のだ。 問題はそのことに気がつかなかったことにある。いや、少年少女にそこまで気づけというのも酷な話だから、そこまで教えなかった、そのことを考えてカリキュラムやプログラムを提示しなかった側の責任も皆無ではない。 なんだ、これこそ、まさにキャリア教育の中でもっとも重要な、「なぜ学ばなければいけないか・働かなければいけないか」という動機づけの根幹であり第一歩じゃないか。ちなみにぼくはその類の資格にも学部にも興味はない。時間の切り売りから逃れる努力をし成功した経験のある人からしか、こんな発想は生まれないし説得力もない。 漢字というか熟語というのは不思議なものだと感じる。「学生」という言葉。通常は「学問に生きる」とか「学び生活する者」とか、「学」が「生」を修飾する熟語とされる。実際この熟語の成り立ちはそれでいい。が、逆に「生」きるために「学」ぶ。「生」計を立てる術を「学」ぶ者と考えることもできる。 こういう符合を見つけると妙にうれしい。ともあれ、たかだか渋滞のヴァーチャル体験からここまで考えを展開していてはそりゃ精神もくたびれる。
2011年05月18日
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きっかけとなったのは他の方の世界史の重要性を語るツイート。それに対するぼくのつぶやきは以下。いまの政治について何が良くて何が悪いのかを知るために、世界史の知識というのは本来必要不可欠で前提として持っていなければならないものなのです。しかし、それを学んでいる人、教えられる人というのは、極めて少ないのが現状です。学校では高校の選択科目でしか登場せず、そもそも選択する人が限られるのですが、その生徒たちですら、重要性の高い近現代は教科書の後半にあるせいで「ここからここまでは自分で教科書読んでおくように」で片付けられたりする。大学でも通史を学ぶ機会はろくになし。史学科ですら「世界史」というくくりで学ぶことはほとんどないんですね。 でも実は日本人ほど世界史を学ぶのに向いた人種は無いのです。なぜならキリスト教・イスラム教はおろか、仏教の影響すら受けてはいても理性を阻害するほどのレベルではないから。そして東洋にありながら西洋に理解を示すことが出来る。日本人の短所は世界史を学ぶときは長所に変わります。【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(古代編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(中世編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(近代編)
2011年05月17日
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「時間だけはありますから」というと決まって怪訝そうな顔をされる。リストラされたか、生活保護等を受けていると思われてるようだ。実態は真逆なのだが。 一昨年、文庫化したものが発売後半年以上を経て大騒ぎになるという思わぬ形で注目を集め昨年さらに勘違いすればバブルになってしまうような状況を迎えた。よゆうができるはずだったのだが、案に反してそうはならなかった。仕事はよりキツくなったしレジャーも旅行も行けない。浪費も消費も時間的な制約からなかなかできず、節税さえ考えることも実行することも出来ず、なすがままに五十万部から六十万部分の印税相当の収入を会員制クラブ・JAPANサービスに持って行かれた。(ココ、もちろん比喩だよ 市場原理からかけ離れたあの組織のことね)ぼくの収入は印税がほとんど。どこかの人たちのように母体の経営規模が数分の1に縮小しても変わらぬ待遇を受けられる身分から発生する収入でもなければ親が残してくれた土地や農地改革で手に入れた農地がなぜか宅地に化けてなんていう財産収入でもない。文字通り身体と心を削って得られた対価。寝ても覚めても原稿のことを考え快楽どころか息抜きもままならずストレスに圧し潰されそうになり目にくまはでき、肌は衰え、視力は急激にダウン、片方の目は歪みで使い物にならずそこで思った。自分の人生を悔いのないものにするのは自分しかないと。人や組織のせいにするのは楽だが、それで人生が悔いのないものに変わるわけではないと。だから自分は自分で守る。自分のことは自分で決める。自分の食い扶持は自分で稼ぐ。自分の限界も自分で判断する。誰もあてにはしないと。休養することを決めた。もちろんリスクはとてつもなく大きかった。収入は確実に目減りするし、一度断った仕事は二度と来ないかもしれない。それでも休養補償もなければ、失業保険もない以上、倒れることはできない。扶養してもらうことも期待できないし、介護してもらうのにはまだ早い。自分の心身は自分で守るしかないのだ。 結果的に成功だったかどうかはわからない。いや、むしろ売れてるとき、のってるとき、オファーが殺到してるときに、あえて休養を決め込んだのは、チャンスを逃したと言えるだろう。それでも狂うよりはいい。動けなくなるよりはいい。いま、ぼくは依存しない生活を送っている。かけがえのない時間と共に。
2011年05月17日
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昨日の投稿健全な社会には、ひねくれ者が不可欠だと思っている。いや、ひねくれ者が社会を健全に保つというべきか。ひねくれ者は社会のバロメーター。ひねくれ者を許容できる社会は健全だといえる。ひねくれ者に寛容的な社会は成熟していると言える。もちろん、ひねくれ者が大勢では困るけれど。最近「日本を一つに」とよく耳にするけれど、実は、日本史をふりかえると、日本人が、表面的にせよ、一つになったときはたいていろくなことにならない。いちばんわかりやすいのは国を滅ぼしかけた(いや、アメリカに魂を売り渡したんだから事実上滅ぼしたのかもしれないけれど)満州事変から大東亜戦争(太平洋戦争)の流れ。 「一つになった高揚感・陶酔感」が個別の客観的判断力を鈍らせて(あるいは封殺し)惨事を招く (by zetton777)現在の悲劇を起こした元となった原発ムラ。この利権にのっかった官庁や政党。なんだ、みんな、一つになった結果、ろくでもない人災を引き起こしてるじゃないか。自民党は財界・官界・自立できない地方の首長や議員(ほんとは住民も)と一つになり、民主党は労組や自立できないあらゆることへの経済援助や支援金・補助金・手当を求める人達と一つになった。その結果が今の日本。一つになることの恐ろしさは、この程度の例でもすっきりわかる。だいたいね、「一つになる」なんてことを軽々しく口にして欲しくないし、人から押し付けられるものでもない。誰と、いつ、一つになるかは自分自身で決めるよ。
2011年05月17日
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最後の更新が4月8日。最近よくある話だが、facebookにツイッターもあるのでこれがなかなか。そもそも、ぼくの場合、職業作家がネットメディアに純然たる仕事以外でモノを書くことに積極的であったわけではないし。ゆえあって、ツイッターIDは公開してない。(近頃方針を変えたので、今となってはあまり意味がないが)公開して、「そっちを読んでください」というのもなんなのであっちに書いたものをいくつかセレクトして挙げる。まずはこれ。今更ながらではなくて今だからこそツイッターを語る。二年前は、使えないメディアだと思っていた。そしてその認識は間違ってなかったと思う。今は、もちろん注意は必要だが使えるメディアになったなと思った。なぜなら他の方々のつぶやきの中で「ツイッター」という言葉を見かけなくなったからに他ならない。二年前は頻繁にTL上で「ツイッター」という言葉を目にした。ツイッターでツイッターの便宜性を語る人がとても多かったのだ。2ちゃんや既存メディアに対しての利用者の根拠のない優越感みたいなものも見られた。これではメディアとしては及第点に至らない。ケータイで「いやあ、やっぱケータイ便利だわ」という話をする人はほとんどいないだろう。メールで「やっぱメールって早いし切手代いらないしサイコー」と送信する人もまあいないだろう。もちろん両メディアとも創成期にはそういう人が頻繁にいた。そこで取り上げられる話題がそのメディア自体のことではなくなって初めてメディアというのは機能する。ツイッターはようやくその段階に来たようだ。爆発的な利用者増はもう仕掛けやアクシデントでもない限り起きないだろう。が、それこそがメディアが成熟に向かっている証拠だと思う。 【送料無料】小中学生のための世界一わかりやすいメディアリテラシー
2011年05月17日
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