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100歳まで読書 「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント【電子書籍】[ 轡田隆史 ] 前読出口氏の読書論に参ってしまっていた私には、本書は良薬の一服だった。 まさに読書とはこうあるべきもの、納得の一冊だった。 出口氏にしても轡田氏にしても知的生活者だから、読書に一家言持つのは当たり前のところ、出口氏のそれは、私どもにとっては、べき感がすごく強くて、その型にはまっていなければ読書とは言わん、とばかりの書きっぷりだった。 読んでいる本も私とシンクロするところはない。 それに比し、本書は、自分の読んだ本を紹介しつつ、読め読めというわけではなく、そんな本もあるから参考にしたらというスタンスだった。 そして私はなんと今電子書籍を一生懸命読んでいるわけで、そうなるとそれは、読書と呼べるものなのかどうか、なんて考えてしまうわけなのだけれど、そのことつまり紙対電子のことについては、著者は言及しなかった。 ただ、本当に今まで何百冊もの読書論(術)の本を読んだにもかかわらず、全く聞いたことがない言葉が出てきた。 それは、拾い読みという言葉である。 拾い読みとは自分の蔵書の中から、暇つぶしに一冊選んで、文字通り拾い読みすることだ。 これは、電子では、容易にできることではない。 行く先々で本屋に寄ってみようという主張には賛成だ。 しかし、世の中の本屋が全く少子化同様に消えて行っている。 残っているのは大手の本屋だけじゃないのか。 そいういう楽しい読書論というのが、この本の題名の通り、この人が百歳になったら、消えてしまうのじゃないのかなんて思った。 拾い読みはできずとも、私は電子本の道を歩もうと思った。(2/6記)
2024.05.07
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教養が身につく最強の読書【電子書籍】[ 出口治明 ] 様々な読書論を読んできたが、ここまですさまじい読書論を読んだのは初めてだな。 そもそも著者と私はステージが違うと感じた。 あまりにも粗末な読書論を読んだばかりだったので、本書は逆にあまりにも高尚で、とてもとても私ごときで歯が立たない。 結局自分が読んだ本の紹介ですな。 これが実にいやらしい。 立花隆もこんなにいやらしい書き方はしなかった。 逆に読み解くと著者は、自分はこんなに高尚な本を読んでいるのだぞ、できるのだぞということをひけらかしたいのではないのかと悪意に取ってしまう。 そういうつもりで書いたのか、あえてそうしたのかはわからない。 確かに古典から学ぶことは多いだろうが、古典がすべてであるわけがない。 彼は古典論者だものな。 だから次から次へと一字一句古典を読んで、フームなるほどその通りだと思っているわけだ。 その押し売りが私は気に食わないのだ。 確かに自分が読んだ本がこれだけすごいんだぞという書き方はよろしい。 しかし、それに対するる対論がなければ成立しないのではなかろうか。 例えば一神教と多神教の考えについて、著者は、ある一部の本を読んだ結果、多神教から一神教にいかに変化してきたかが分かったなどと書いているのだけれど、はたしてそうか。 そもそも日本における神様と一神教のゴッドでは性質が違う。 これこそ同じ土俵に上げられるものではないのだ。 そういうところの考察もせず、多神教から一神教では、日本の八百万の神々が何だか侮辱されたような気になってしまった。 速読に対する批判もしていたけれど、あーた、本当に必要な書物を一字一句読めるのかってえの。 あと、本書には、何一つミステリーというものがのせられていなかった。 彼にとってそういうのは読書ではないとでも言いたかったのだろうか。 とにかく不快な一冊だった。(1/30記)
2024.04.28
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精神科医が教える 良質読書【電子書籍】[ 名越康文 ] 小泉信三の読書論からみたらなんと稚拙な読書論かと真の読書子は思うことだろうが、その小泉信三の読書論のところに少し書いておいたけれど、つまり、読書が多様化していて、本書のような読書論が今の読書論なのだということだ。 本書の書きっぷりからして、またkindleに本を出している若い輩かと思っていたら、そうではない。 著者は近大医学部を卒業した歴とした精神科医なのだった。 しかも高野山大学の客員教授などという肩書も持っている。 本書を読めば、時々空海に関する記述も認められる。 そのような彼が書いた今風の読書論ということなのである。 で、まずこの方は、自称集中力が続かない方だそうで、そんな人の読書法として、カバンの中に6冊の本を忍ばせ、一冊10分ずつのローテーションで読み進めるのだそうだ。 とにかくいわゆる併行法が好きな方のようだ。 読んでつまらん本は捨てろ派の方でもある。 とにかく読んでつまらないものは最後までつまらないのだから、捨てるに限るというわけだ。 この人のアウトプットはツイッターだそうだ。 気づいたことをとにかくツイッターにツイートするのだとか。 結局、読書は強制するものではないということ。 読みたくない人は読む必要がない。 また読んだところで何もご利益はない。 これが結論だ。 そもそも成功した人が成功したことを書いているのだからそれは成功したものとしか分類できないではないか。 それをまねしたからうまくいくなどと考えることがいかに間違っているかということに人々は気づかなければならないのだ。 というより、私のようなものが、本など読んでもためにならんよ、ということをもっと強調しなければならないのだと思う。 その意味で本書は、その第一歩でもあったなと少し思った。(1/19記)
2024.04.18
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読書論【電子書籍】[ 小泉信三 ] なんでもそうだが、型にはめたい御仁がいる。 読書論もそう。 本書なんざあその典型で、まず古典を読めとか、複数回読めとか姦しい。 しかし、読んだ本の中身などいったいどれだけ覚えていられるのだろうか。 それなら、読まない方がいいとでもなるのかどうか。 読書論、小泉信三の時代は本書のとおりでよかった。 しかし今それが通用するかどうかということ。 私は明らかに通用しないと思う。 そもそも読書が多様化してきた。 著者が言うように本は、古典だけではない。 それから紙の本に対して電子書籍もとても立派になってきた。 私は、十年ほど前から、一つの課題として、紙の本VS.電子書籍という問題を考えてきた。 まあ、とっくの昔にこの2つは違うもの、すなわち舞台が違うのだから論じても仕方ないという結論に達した。 今の私の読書は、ほとんど電子書籍だ。 電子書籍を利用すればするほど、紙の本には戻れない。 紙の本論者曰く、余白にモノが書けない、自分のものとして収蔵できない、アンダーラインを引けないなどなどの意見が出て、それゆえ紙の本が優れているという論理である。 しかしながら、電子書籍も自分のものとして収蔵可能だし、アンダーラインは引けるし、メモも書けるんだよ。 そして、なにより、神の本より優れている点は、活字の大きさを大きくしたり、小さくしたりできること。 それから、読み上げしてもらえること。 これによって読書の幅が広くなり、読書が楽しくなった。 クラシックな読書論によれば、まずは学校の図書館を充実させ、貸し出して子供たちに本に親しんでもらう。 そののち、読み上げ会だのなんだのでさらに親しんでもらうというもの。 しかしねえ、そのレベルをも超えてしまっている小学生もいるんじゃないのか。 そんな子供だましの本読みなどすでに超えて、自分の世界を突き進んでいる子供も十分いると思うのだ。 私が言いたいのは、もう読書の方法論として型にはめるのをやめようや、ということ。 本は読まなければならないものではない。 読みたくなかったら読まなければよい。 義務感にほだされて読めなくなった、読み進めなくなったという場合、立ち止まれ、その本を捨てろ、それでいいんだと思う。 確かにアウトプットは重要だけれど、そうしたからとて、多くの読書論者が書いている通り、自分に定着などするわけがない。 ただただ今の私のように懐かしがって昔のブログを読んでいると、ああ、あんな本も読んだのだったなあと思い出すほどのことなのだ。 とにかく読書を型にはめるのはよそうや。(1/19記)
2024.04.17
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つながる読書ノート 小田やかたKindleUnlimited7つの活用術 小田やかた読書ノートの作り方と活用術 小田やかた 以上3冊は、小田やかたという人が4冊シリーズで出した中の3冊。 もう一冊は読書ノートに、Evernoteを使うことを書いたものらしいが、以上の3冊中で読書ノートにEvernoteを使わないことにしたと明言しているので、特に読む必要はないと判断した。 つながる読書ノートでは、 読書によって触発された自分の考えのメモが書きづらい 過去の読書ノートを活用できる仕組みが作りづらい 複数の関連する本の読書ノートの整理がしづらいとしているが、あたしゃあこのブログを読んでもらえば分かる通り、ずっと本ブログを読書ノートにしている。 このことは他の方も主張していること、わざわざ読書ノートを作って云々カンヌンなんてえことは必要ありません。 本ブログも2024年5月で18年になる。 充実の一途をたどっており、読書ノートとしての機能を十分に発揮している。 次、KindleUnlimitedの7つの活用術では、 ちなみに、ハイライトしたテキストと入力したメモは Web上の「メモとハイライト」というページに保存されています。という機能を見つけてしまった。 これは実に便利な機能である。 ウエブ画面に出せば、記事に引用が実に容易にできるのだ。 読書ノートの作り方と活用術では、 これを読書ノートに抜き書きしておけば、もし万が一、Kindle Unlimitedで再読できなくなっても、あなたにとって大事な内容は読み返せます。 逆にいえば、読み返したい内容、 自分にとって意味のある内容は最低限ハイライトしておくべき です。ということだが、これはKindleUnlimited所収の数多の書籍が流動的だからだ。 つまり、KindleUnlimitedだと思っていると、1ヶ月後には読み放題でなくなることがある。 だから、その抜書の重要性を説いているわけだ。 KindleUnlimitedの技術的な部分で、私が知らなかった部分を、これらのシリーズで知ることができたのは、私にとって収穫であった。(11/30記)
2024.02.21
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超2「速読&記憶」法【電子書籍】[ 栗田昌裕 ] この著者の本も今まで何回か読んだが、言っていることは2,30年前からほぼ変わらない。 著者は速読の本を何冊も書いているけれど最終的には、 表面意識は意識の5%未満しか担っていませんが、潜在意識は 95%以上。 ですから、私たちの能力を開発するには、潜在意識の働きを改善したり高めたりして、十分に活用することが重要なのです。と潜在意識頼り。 それでは、そもそも「潜在意識」は何をしているのでしょうか。 体内で自動的に働いていたり、日常で無意識に行なわれる活動は、ほとんどが潜在意識の守備範囲です。それに加えて、気分や思いつきなども潜在意識の働きです。結局、数え切れないほどの機能の働き、行動は潜在意識が行なっているわけです。 ということを読んでいるうち私はまた別のことを考えていた。 私は終活として、私は何者?という課題に取り組んでいる。 その結果、私とは、気付き、サティ、認知、自覚であるところまで達した。 つまりこれらを派生する以前の我は、まさに潜在意識のことではないのか、とふと、この本を読んで考えたわけだ。 そして、気づき、サティ、認知、自覚というのは、 社長が従業員の状態をよく知る=自覚 社長が従業員にしっかり意志を伝える=制御 社長が従業員をよく育て、よく伸ばす=発展なのか、なんて、速読の本であるこの本を読んで一人合点した。 ところが、この、気づき、サティ、認知、自覚も実は、その潜在意識から派生しているもので、同質ではないかということにも気づいてしまった。 いやはやこうなるとなんとも厄介なもので、またさまざまなことを考えてしまう。 私は毎朝坐禅を組んでいる。 おとといのこと数息観を営んでいたところ、ふと、この坐禅こそ真の吾だということに気づいてしまった。 ただただ、10の数息観を2回したのだが、もう本当に直感的に気づいたというべきだろう。 この本で言うところの潜在意識、から派生した気づき、サティ、認知、自覚、をも凌駕する真の吾、私は何者?の解は、坐禅だった!(11/30記)
2024.02.20
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年収が10倍になる速読トレーニング 苫米地英人 米国の大学院は、 アメリカの大学院。 私がいうのはハーバード、イエール、カーネギーメロンといった本気の大学院の話です。 ここが速読を必須とする世界です。 論文も含めて二千冊から三千冊の本を博士前期課程の二年間で読む必要がありますから、単純に日割計算すれば、一日三十冊から五十冊は読まなければこなせない量になります。 一冊十五分で読んでも四十冊読むのに十時間。 もちろん内容も理解したうえでなければ講義についていけないわけですし、論文も書けません。 しかも、十時間の読書が終わったあとにやっと本当の勉強がスタートするわけですから、速読ができていても寝るヒマなんてほとんどないのが当たり前という世界なのです。 博士課程の後期課程に入れば多少は時間的に楽になるとはいえ、これを最低五年間続けていくわけです。 これでアメリカの大学院がいかに厳しいかがわかるかと思います。と言うことはよく知られているところ、著者は、 著者のクリス・アンダーソンと同じか、おそらく私のほうがフリー経済について詳しい知識があったから、わずか五分で『FREE』が読めたというだけの話です。と自慢するわけだ。 要するに速読とは、 読者の側がもともともっている知識の量。 これが速読を可能にする最大の条件なのです。と断じる。 だから、視野拡大も目玉を速く動かすことも必要ないというのだ。 著者は、速読とはいえ、すべてを読みこなすべきだと言いつつ、巷間で言うスキミング、スキャニング的な飛ばし読みも勧めたりして、あいかわらずのダブルスタンダードぶりだ。 最近本屋を覗いた際、速読の本が極端に少なくなっているのに気づいた。 つまり速読ネタが底をついたということなんですかね。 結局、速読に関しては、従来からの、視野拡大・目玉速動と著者が言う、知識を活かす、の2つに収斂されるということになろうか。
2024.02.19
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2023年版 速読の科学 寺田昌嗣 ま、ようするに速読の構造というのは、■本を読む時の視野私たちが本を読む時、図のような三層構造の視野を作っていることが分かっています。一番中央が「可読視野」。意識で情報をとらえるときの視野であり、文字情報はたいていの場合「音」に変換されて理解されています。それを取り囲むように広がっているのが「可識視野」。必ず行にそって広がり、隣の行には及びません。ここでは可読視野の情報をサポートしながら、理解の流れがスムーズになるよう意識下で情報を処理していると考えられています。図にあるとおり、これから読む情報を先読みするエリアの方が広くなっています。これらの視野の外側の領域を「光覚視野」と呼び、これは見えているだけで処理に関与していません。ということ。 いかに視野を広くしていかに目ン玉を速く動かすことができるかということになろうか。 まあ結局速読というものを科学すると、巷に溢れている速読術などでは真の読書、つまり速さと理解の相反する2つを凌駕することはできない。 つまり、そして、科学的な観点から見た「速読スキル」というのは、実はこのような「読書の状況(下読みか理解読みか、馴染みのジャンルか、新規のジャンルかなど)と読書の目的に相応しいフォーカス」を設定し、その理解あるいは効率を最大化するための「読書スピードのコントロール技術」と考えるべきなのです。ということになろう。 かなり昔から速読術はもてはやされてきたけれど、近年そもそも速読ではその本を理解しきれない論が跋扈してきた。 考えてみりゃあ、理由のわからない本をペラペラめくったらあっという間に速読の完成だものね。 真の速読とは、自分の興味、知識があってこそ成り立つものなのだということ。 だから上記のようにフォーカスしてコントロールすることが重要になる。 私は今まで速読を駆使してきたものだから、その、遅読論を肯定する気になれない。 読み始めたらいつの間にか自分なりの高速スピードに入っているのが実情だ。 この忙しい世の中、なにゆえ本をゆっくり読もうなんてお考えなんだろうか。 私には到底理解できないことだ。 視野拡大、目ん玉の移動等すべての限りを駆使して、速く読めるものは速く読みたい。 結局そうした積み重ねがさらなる高速読書につながるのではなかろうか。(11/26記)
2024.02.14
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乱読のセレンディピティ【電子書籍】[ 外山滋比古 ] さてセレンディピティとは、 セレンディピティ(serendipity)思いがけないことを発見する能力。 とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。ということで、本書は乱読により大発見をする可能性があるということを主張した本である。 要するに著者は乱読主義者なのだ。 とにかく著者は私の読書哲学にことごとく反し、途中投げ出そうとしたこともしばしば。 この種の読書論(術)の本では、身銭を切るか否かの問題がしばしば論議されるが、著者は身銭派。 そして書評を書くことは絶対しない論者。 本の読み方には二通りある。 それは、α読みとβ読みだとか。 そんなのはどっちがどっちでもよろしい。 ここに書く気はない。 まず私自身毎日毎日こうしてブログに書評をアップしているのだから、書評拒否とはなんのこっちゃ!という紅茶(エヘ)。 月額980円のKindle Unlimitedは、身銭を切っていないとでも言うのかい! 今読んでいるのがαで、次はβなんて考えて本を読んどったら読書なんか嫌いになってまうわ。 つまりこういう型嵌りの読書論が間違った読書に人々を誘導しているんじゃないのかな。 そりゃあたしかに著者のように本に飢えていた時代もあったかもしれない。 けれども今は時代が変わってしまって本の形も様々になってしまったのだ。 著者が日本語の本のお陰で日本人の目がみんな悪くなった論は、もはや通じない。 なぜなら外山さん、電子本を読んでみなはれ。 字が何倍にもなるんでっせ。(10/27記)
2024.01.16
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2023年版 速読の科学 寺田昌嗣 本書は速読のエビデンス書である。 まず結論。 【読書スピード】=【スキーマ(知識×読書力)】×【フォーカス】 スキーマというのは「認知の枠組み」という表現で説明されることが多いのですが、簡単に言ってしまえば、あなたの脳内の読書にまつわるデータベースです。 読書力(読書スキル)もそうですし、読もうとするジャンルについての知識などがこれに該当します。 別の観点からいえば「その人にとっての文章の難易度」と言ってもいいでしょうか。 フォーカスというのは、どのような読み方をしたいのか、例えば緻密に分析的な読み方をしようとしているのか、流れを確認するような読み方をするのかといったものです。 これに尽きるということ。 速読でよく出てくるのが米国大統領。 特にケネディ大統領は、 ケネディ米大統領が速読の達人とされていたことから、「ホワイトハウス式」とか「アメリカ式」として速読トレーニングが紹介されており、今もその系統のトレーニングは多くの流派で採用されています。 その中心的訓練メニューが「目を速く動かす(眼筋を鍛える)」と「視野を広げる」というものです。 しかし現実にはこの二種類のトレーニングでは速読の修得は不可能であることが科学的な実験で明らかになっています。ということで、 速読 の達人とされていたものの目を速く動かすとか、 視野を広げる などという方法論はもうすでに速読としては科学的に成立しないというのがエビデンスだ。 つまりもう速読 のための訓練は、別名トレーニングはもうしない方がよろしい、 それよりもまずたくさんの本を読んだらいかがかということではなかろうか。 結局冒頭に戻る。 すなわち必要なのはスキーマだ 。 それをフォーカスで強化する。 さてそのスキーマであるが、 これを手に入れるには多読が必要になるだろう。 多読をするには速読が必要になる。 その際のフォーカスは多くの情報を仕入れるということなのだから、 とにかく自分が理解できる範囲で読み込むことということになろうか。 結局速読というものはこの世には存在しないということがこの本の結論ではないのかな、と私は思った。 そして読書論あるいは読書術に関して今まで様々な本を読んでブログにアップしてきたけれども言えることは、読書とはただひたすら読むことであり王道はなく、そのうち自分に備わるものということだと私は思う。 けだし本書は実にいい本であった。 読書家に是非読んで欲しい一冊である。(10/7記)
2023.12.23
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本の読み方 スロー・リーディングの実践【電子書籍】[ 平野啓一郎 ] 著者は,のっけから そもそも、私たちの一日の時間は有限であり、増え続ける情報を網羅的に処理するには限界がある。 その過剰を、受け手である一人の人間のためにどう圧縮するか、というのが、まさしく今日、AIに期待されていることであり、いずれにせよ、私たちが「スロー・リーディング」のための時間をすべて速読に供したとしても、大した成果は期待できない。 既にそういうところまで来ているし、今後は一層そうなるだろう。 そして、それほどまでに疲れる世の中だからこそ、私たちにはゆったりとした読書時間が必要なのである。と速読に喧嘩を売る。 そして 一〇〇〇冊読んだとかいって自慢している人は、ラーメン屋の大食いチャレンジで、一五分間に五玉食べたなどと自慢しているのと何も変わらない。 速読家の知識は、単なる脂肪である。と追い討ちをかける。 みごとな喧嘩殺法である。 たしかに しかし、速読の場合は、単語だけをザッと拾って、助詞や助動詞を軽視するため、頭の中で自分で勝手に単語を結びつけてしまい、肯定か否定かという最も重要な内容の理解に失敗してしまう危険性がある。という考察は,正しい。 だがこんなふうにして、作品の主題を現代と引き比べて考えるということもまた、作品の読解に深みを与えるだろう。昔と比べてみて、初めて現代という時代は見えてくるのである。と論じてくるに連れだんだん背伸びしなければならなくなってきたのだ。 あとは,漱石だの鴎外だの川端だの三島の作品を総動員して説明にかかってきたが,余計なお世話というものだ。 ちなみに本書にかかった読書時間は,30分。 久々の快挙でした。 読書に関し速読だのスロー・リーディングだのの議論は不毛だ。 本書のような面倒くさい議論が読書人口を減らしている。 不毛の著作だった。
2023.09.08
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耳読書 やま耳読書をすると頭がよくなる3つの理由 やま厳選 Kindle21選 やま それにしても時代の大きなうねりを感じる。 そもそも耳読書とは私のイメージではオーディオブックを聴くこと,すなわち聴く読書だった。 さてそれはともかくここでいう耳読書とはなんとKindle本を読み上げ機能で聴く読書のことだったのだ! したがって私なんざあKindleUnlimited会員だからこの耳読書を本書らに書いてあるようにやってみたわけだ。 さらに森村誠一の人間の十字架でもその方法を使ってみた。 すなわち本書の実践ですな。 しかしこの読み上げ機能,何年か前までやっていたことなのだが,はっきり申し上げて私の速読スピードについてこれないのである。 それでいったんやめにしたのだった。 そこでマエケンの読書論(術)に出会った。 そこで思ったことは,ようするに読書論(術)は多様であるということ。 自分の型を身につけなければならない。 たとえば今回は,マエケンの言うスキミング読み,私はザッと読みと名付けた読み方をして,その際Kindle本であれば,印だけをつけて(ラインは引かない)読了したら今度は印をつけたところを耳読書するというもの。 これは結構効果がありましたな。 ざっと読みをしたとき,印をつけすぎないと耳読書も早く終わるのがわかった。 ひたすら読んでひたすらアウトプットすることが重要だ。 ここまでをまとめるとこうだ。 私は当分耳読書併用をすることになりそうだ。(3/2記)
2023.05.23
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まえけん 4コンボ読書法まえけん 読書習慣をつくる30のヒミツ この2冊はいずれも80ページ前後の同じ著者による読書論(術)の電子書籍である。 内容は似たり寄ったりであることから2冊一緒に書評することにした。 本の種類は紙の本,電子書籍,オーディオブック,動画の4種類である。 このうちオーディオブックと動画には今のところ興味がないので紙の本と電子書籍に関して気になったところを書いておく。 基本的にこの人の読書法は3回読むこと。 すなわち, 1 スキミング 2 ポイント読み 3 アウトプット読みの3回である。 これが紙の本の基本になり電子書籍になるとこのうちの2と3が合併されて2種類となる。 このことについて著者は, 私は最近,Kindle 本を読む際は,ポイント読みをするのをやめました。 1 スキミング読みをする 2 読みながらノートにまとめて行くという形に変えましたとする。 ここで著者独特の方法が, アウトプットの方法はたくさんありますが書くのが面倒くさいと言う方におすすめなのは,電子書籍を読みながら,内容を Google ドキュメントで音声入力して行く方法とする。 熟読とアウトプットを同時並行的に行うという感じです。 読書媒体に応じて,能率的で効果の高い読書方法を自分で見つけてくださいね。と言う。 これに関連して著者は 以前はハイライトを引いていましたがタップしてから線を引くまでのラグがありこれに耐えきれずやめました。という。 なお紙の本に引くアンダーラインは, ぺんてるのノック式ハンディライン S ピンクが一番しっくりきます。とする。 私は,本読書論(術)は実に独創的で面白いと思った。 最近自分のブログを読み返していて,自分の読書論(術)にあうのかなと思って使っているのが(今日、何読んだ?20111213 ニッポンの書評)と(今日、何読んだ? 20200105 高速読書)によるものである。 前者はまず本のカバーを外して本を読み気になった部分にアンダーラインを引いてその行の頭に付箋を貼るというもので必要なら書き込みをし必要な部分に白い紙を挟むことで書く段になってもう一度読み返すというもの。 これらの一連のことが頭の中の下書きだと言うのだ。 この方法は実に理にかなっていて私の本ブログに関してはこの方法によるアップが最近増えてきた。 対して後者の高速読書は30分で一冊読むというもので15分で一回の際ドッグイア,次10分で折ったところを読みその際青ペンでアンダーラインを引いたり書き込みをして3回目5分かけ,印をつけた部分を読むというものだけれども,これがうまくいったことはなく時間ばかりがかかるということで今後は多分高速読書法をとるということはないような気がする。 本書でとても気になったのは電子書籍特に Kindle 本においてハイライトを引かないというもの。 その代わり Google ドキュメントに口述筆記していくというのだけれども,つまりこの点がこの2冊における特徴で,実は本ブログはその方法も取り入れながら,書いた。 なかなか面白い方法だなあとは思うけれども, Kindle 本にはせっかくハイライトの機能があるのだし,それをコピペすることもできてとても便利なのだから,著者は実に悩ましい問題を私に投げかけてくれたものだなあと今思っている 著者はプロの読書家だと言う。 そういう面白い観点もまた私にとっては新たな観念を生み出してくれたのかなと思う。 短い本2冊だが新書一冊分のページ数にもなるわけで,正直言って高速読書よりはとってもためになったなと私的には思っている。(2/23記)
2023.05.11
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読書!読書!読書!さあ今日も読書! 三浦優樹 著者は警察庁事務官を2年ほどしたとか。 著者も読書で世界が変わると思っている人種だ。 その先には政界に打って出るという大きな目的をもっている。 それも30歳になる前にだそうだ。 この読書万病に効く論は、先日山口真由氏が論破したとおりであり、また私も本ブログで度々警告を発してきたところだが、またまた読書にまさる投資無し的な話が出てきて、これから先の日本は一体いかなることになるのかと心配になってきた。 それはともかく著者は、「毎日仕事に追われ忙しいために自由時間が確保できないから読書ができないのではなく、読書をしないから余計に忙しくなるのではないか」論を発する。 なるほど読書というものを金科玉条にすればそのとおりだろう。 しかしながら、得た自由時間を読書に使おうなんてことを一体どこの誰が考えるのか。 本来読書は読書が好きな人がすべきことなのであり、嫌いな人が自由時間にするようなものではないんじゃないか。 自由時間があったら別のことをする。 最もリターンが大きい投資は読書、とするけれど、そもそも読書する身からすれば、読書を投機の対象にするなよといいたい。 しかしそれにしても本によって何でも手に入れることができるのであれば今頃私はどんなふうになっていたんでしょうな、なーんて考える人は私の他にも其方此方にたくさんいるんじゃないのかなあ。 読書論に関し山口真由(敬称略)と並んで読んだあとだけに、本書は今までの読書論の後付にしかすぎず、何ら新しい話はなく、それだけに山口氏が言う、読書に何かを求めることは間違っている論が輝いて見えた。 続編もあるようだが、その後の読者の動向を見てから読むか否かを決めよう。(10/18記)
2023.01.13
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前に進むための読書論〜東大首席弁護士の本棚〜【電子書籍】[ 山口真由 ] 7回読みを書いた人だが、趣味で読む本は、「原則1回しか読みません」という。 趣味の本は、待ち時間、いらいらするので読むのだそうだ。 長く待つことが全く気にならないとか。 読書は即戦力ではない。 自分が意図した以上の効果を得られることは決してないし、相性の悪い本はそれ以降に面白くなる可能性は相当に低いという著者の意見には全面的に賛成である。 読書の効用とか効果については、数多の読書論述家が声高に言ってきたところ、私も著者同様、そんな事は断じてないと言ってきたところだ。 読書は投資だのなんだのと読書に利益を求めることは、神様にご利益を求めるようなもの。 読書で私はこれだけ成功しました、などという本を読んで自分で真似てみたところで同じように行くわけがない。 だとすれば読書に一体何の得があるか、ということになろうが、ずばり、なにもない、強いて言えば、脳の活性化、くらいじゃないかと思う。 相性の悪い本は、私は、独り善がり本、と言って忌避しているところだが、あいにく当たってしまった場合、ページ早送りでとにかく読んでしまう、その代わり頭にはなんにも残らない。 そして著者は、「法廷モノはあまり手にしない」とか。 著者が言うようにそのとおり突っ込みたくなるだけだ。 本書は、趣味としての読書論でした。 後半は著者の書評がぎっしり書かれている。 これを読めば、自分も読みたくなる。 そんな感じの書評であった。(10/18記)
2023.01.12
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【POD】本好きのためのAmazon Kindle 読書術 電子書籍の特性を活かして可処分時間を増やそう! [ 和田稔 ] かつて私は読書論(術)に関し、紙vs.電子、に関し興味を示し、果たしてどちらが勝つか的なことを考えていたことがある。 結局私的には、紙と電子は土俵が違う、異種格闘技のようなもの、果たしてどちらが勝つかを考えるのは無駄なこと、という結論に落ち着いたのだった。 その後コロナ禍の時代に入り、私の主だった読書の供給源図書館にはもう2年も行っておらず、その代わり、kindle unlimitedという相棒を見つけ、読書生活に勤しんでいる。 ところがここで困った問題が起き、その懸案はもう1年近くに及ぶのだ。 すなわち、Kindleからの二重取りが発生しているのである。 kindle unlimitedは、月額980円、これがなぜか二重取りされていて未だ解決していないのだ。 本書によれば、Kindleトップページのカテゴリーから今のKindleの蔵書を確かめることができるということでやってみたのだが、なーに、結局今私がKindleのライブラリーに載せている本以外載っていないのだ。 まあ、このままにしても置けず、なんとかしなければなるまいな。 かつて(たぶん5年にもならない過去)電子本批判の多くはその種類の少なさにあった。 ところが今日その批判は当たらないことがはっきりしている。 私的には、Unlimitedが思い通りにならないことに憤りを感じている、そんな現代なのだ。 つまり、はっきり言ってKindleは充実している。 今私の研究ポイントは日本ミステリーの系譜だ。 乱歩、正史、清張、森村(本当は誠一と書かないと桁が合わないけれど、森村を誠一とは言わないのでここは森村で我慢してください)ときて、次、私は東野圭吾をその候補に挙げているのだが、残念ながら東野モノはUnlimited化されていないのだ。 私は東野モノを早急にkindle unlimited化することを望むものである。(10/13記)
2023.01.07
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外資系コンサルが教える 読書を仕事につなげる技術【電子書籍】[ 山口 周 ] そもそもこんな方法論に捉えられていては読書はできませんって。 ビジネス書は「規定演技」、教養書は「自由演技」とするが、何が読書方法には2種類あって、片方が規定、片方が自由だ。 読書は人に見せるフィギアスケートとか体操ではないのだ。 読書を型にはめるからますます読書という行為から人は人々は乖離していく。 確かに本書は仕事のための読書と言う目的があるので、このような書き方になったのだろうが、本の読み方が規定演技と自由演技の2種類あるなどという面倒くさい読み方をしていてはとてもじゃないが本などは読めたもんじゃない。 これは私の経験から言えることである。 著者はパレートの法則を持ち出してその本の2割を読めばいいとか、分からなくなったら飛ばし読みをすれば良いなどということを提案しているけれども何が2割だ。 2割などと言う量を読書の量をどうやって計算するのだ。 そんなことをしている隙にどんどんどんどん読み進めるべきだ。 ただ、読み飛ばすのはその通りだ。 私は、私が読んで全くわからないものとか、共感できないとか、文章が下手なものなどについては独りよがり本として排除することにしている。 この点について著者は 本を読んでいてどうも内容がしっくりこない、あるいはわからないと思うようであれば、それは決してあなたの責任ではありません。 では著者の責任なのかというとそうとも言えません。 本を読むというのは一種の対話ですから、読んでわからないということは「言葉が通じない」ということです。 言葉が通じない相手とは話してもムダなので、あなた自身が変化して、言葉が通じるようになったときに、再び読めばいいのです。とするが当該書物の著者の責任論以外同感である。 私は、責任はあくまでも書き手にあると思う。 少なくとも商業ベースに入った本は、読み手に伝わらなければ商品として流通できないじゃないか。
2022.12.30
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ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った【電子書籍】[ 堀江 貴文 ] 著者の本は時々本屋で立ち読みする程度だった。 ところが本書がKindle Unlimitedに並んだので早速読んでみた。 さて著者は一体何者なんだろうか。 読んでいる本が半端ない。 私の領域もあれば全くかなわぬところもある。 逆に著者が本書で言っているように短歌を読んでも涙が出ない理系の著者と文系の私では読んでいる本に自ずと違いが生まれるのは当たり前のことだ。 ようするにポイントは2つある。 1つはまずもって本書だけを読んでも堀江貴文つまりホリエモンは私がかなわない知的巨人であるが(翻訳家青木薫のことを言われても常人はきっとわからないだろう…何故か私にはたぶんホリエモン以上に分かる部分があるのだが…)、果たして立花隆、渡部昇一、井上ひさし(敬称略)の私が思い込んでいる三大知的巨人を超えているかということ、もう1つは彼の行末が一体どうなるのか、つまりこの先彼についていっていいのかどうなのかということだ。 まず1つ目は、彼はたしかに優れているが、私的三大知的巨人にはこの先も叶うまいということだ。 今回のこの本はネットにつながっていない刑務所という特殊な環境で読んだ1000冊であるから、彼はこの先また刑務所に入らない限り本を読むことはあるまい。 なにしろ彼はネットの申し子。 もう人々の記憶からは消えてしまったろうが、ライブドアを経営していたんですぞ。 そんな彼はこれからもきっとネットを駆使して(なにしろ彼はスマホがあれば著作物を書くことができると豪語しているのだから)私的三大知的巨人とはベクトルが違う。 2つ目。 これからも彼とは本屋の立ち読み程度の関係でつながっていくことと思う。 しかしなかなか良くできた書評集であった。
2022.12.04
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自己肯定感を上げる OUTPUT読書術【電子書籍】[ アバタロー ] 読書のコツはアウトプットである。 このことには賛成だ。 そもそも私はこうして読んだ本の書評をブログにアップしている。 ブログの記事が読書ノートになっている。 ところで、 投資の大原則と言えば「ローリスク・ローリターン、ハイリスク・ハイリターン」という考え方です。 ところが、読書という投資活動においては、この大原則が当てはまりません。 要するに、ほとんどリスクを背負うことなく、安全に、そして確実にリターンを狙いにいくこと(つまり、ローリスク・ハイリターンも可能)ができるのです。 例えば、ビジネス書に書かれていることと全く同じ内容を、プロからセミナーや講座などで、直接指導を受けたとしましょう。 これも時間とお金がかかる以上、投資にあたります。 費用で言えば、おそらく何万、何十万円と発生するはずですというのは本当だろうか。 私はこの意見には絶対与しない。 本を読んでそのとおりにしてよかったという経験がないからだ。 また本を読んで大成功したという人が私の周りにはいない。 ただしその逆もいない。 つまり本を読んで損をしたと言った人は私の周りにはいない。 読書をしたからと言ってなんの得もしないだろうが、それ以上に損はしない。 それは間違いのないことだ。 著者は読書は食事と同じだというけれど、それは違う。 食事は人間にとって絶対必要なものであるけれど、読書はそうではない。 著者は まず1つ目が、「全て読む必要はない」ということです。 そして2つ目が、「多く読めばいいわけではない」ということです。 最後に3つ目が、「速く読めばいいわけではない」ということです。という。 このことは多くの読書論(術)で言われてきたことだ。 でも私はすべて読まないと気がすまないし、多く読まないと読書をした気にならないし、速く読まないとつまらない。 そもそも著者は読書の方法論として目次だの前書き重視的な、これまた多くの論者が書いていることを書いている。 私はそういう方法論が読書から人々を離しているように思える。 読書には何も期待せず、とにかく無手勝流に楽しむ。 それが私の流儀だ。
2022.02.18
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知識を操る超読書術【電子書籍】[ メンタリストDaiGo ] さて著者は、 私は、毎日 10〜 20冊の本を読んでいます。 取材などでそうお伝えすると、高い確率で「速読ですか?」と聞かれます。 たしかに「たくさんの本を読むには、速く読む必要がある」と考えるのは自然なことです。 気になることは実践し、その効果を検証するのが大好きな私は、世の中に出回っている速読法をほとんど試しました。 結論から言うと「1分で文庫本を1冊読めるようになる」という方法も「見開きを写真のように写し取って、潜在意識に記憶する」という手法も、熱心に勧める実践者が言うほどの効果は得られませんでした。 誤解を恐れずに言えば、あれは眉唾です。と巷間の速読法を否定しつつ一日20冊の本を読んでいるのだがそのからくりは、 では、そうではない私たちは「本を速く読み、理解すること」を断念するしかないのでしょうか? いいえ、まだ諦めてはいけません。 生まれつきの才能がなくても実践できて、本を読む力を確実に高めてくれるテクニックはあります。 そのテクニックが「スキミング=拾い読み」です。 速く読むのが不可能なら、読むべき箇所を減らせばいいのです。というものでつまり20冊の本のうち読みたいところだけを毎日読んでいるということだ。 そのためにやっていることは目次等を仔細に確認することから始めなければならない。 私はだめだね。 目次を詳細に確認するなら全体をさっさと読み終えるというのが私のスタイルだ。 そして読書で知識がきちんと頭に残るなどという幻想をいだいてはいけない。 むしろ読書をしても知識など頭に残らないのだということを理解しなければこの足の長い趣味は長続きしない。 知識など残らないのだからひたすら読み続けるのだ。 そういえばこの4月知の巨人立花隆氏が亡くなられた。 ご冥福を祈る。 冒頭の著者の速読の否定に対し私は私なりに何らかの速読法を身に着けたつもりなので、最初からスキミングに逃げるならどうか速読法を身に着けていただきたいと提唱する。 当然そのようにして身に着けた速読法の中には著者の提唱するスキミングもあればスキャニングもある。 飛ばし読みもしている。 しかし著者の提唱の通りの本読みをした場合の罪悪感は残らない。 つまり飛ばし読みして読めなかったところがあるという罪悪感ですな。 これがない。 本読みはその本を征服したいもの。 読み残しがあったという罪悪感は到底認められないのだ。 だから私は著者が言う毎日20冊の本読みを認定するわけにはいかないのだ。 ところでそのような本書ではあるが、 そんな人のためにもう1つ、記憶を定着しやすくし、想起能力を高める脳の休め方を紹介します。 その手法が「ウェイクフルレスト」です。 読書や勉強の合間に4分から6分ほど目を閉じて、ボーッと何も考えない時間を作るという方法です。という読書の休憩時間が提示されている。 ウエイクフルレストというのだそうだ。 これは使えそうだ。 いやあ久しぶりに読書論(術)を読んだ。 よかった。
2021.08.07
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本のゆくえ [ 土屋繁子 ] 久しぶりに読書論(術)を読んだ。 著者いわく、本書は世紀末10年位の間のものだそうだ。 それにしても 消えて行く本というのは何か痛々しいが、その点だけを考えると、この頃のインターネット上の本、つまり紙から電子への媒体の移行は好ましいようにも思えてくる。 パソコンの画面で読める本は場所もとらず、不用になれば忽ち消えてなくなる。 便利といえば便利である。 経済活動が物々交換から石貨になり、コインが鋳造され、紙幣が生れ、クレジット・カードが誕生し……と次第に実体を失う歴史を展開して来たように、本もまた抽象化の過程を辿るのだろうか。 いつの日か、目で活字を追うことすら省略されて、情報がいきなり脳に入力されるような工夫が生じるのだろうか。などというのはけだし慧眼、さすがに、情報がいきなり脳に入力されるような、ことには未だなっていないが、そもそもこのコロナ禍で私自身本書を電子版で読んでおりますからな、紙か電子かなどという不毛な議論は今更なしにしても、すでに1990年代に電子書籍に対する意見を著者が出していた点には敬服するほかない。 さて私自身こうして本ブログに書評をアップしているわけだ。 これについて著者は、 良い書評とは、その本を読んでみたいと読者に思わせるものだ、とよく言う。 しかしそれがその本を褒めちぎった書評であるとは限らない。 書評が否定的な評価を下している場合も、その本は読む価値がないと受け止める読者もいるだろうし、本当かどうか自分で読んでみようと身を乗り出す読者もいることだろう。 あるいは本の内容を詳しく紹介した書評を読んで、その本への興味を削がれる読者もいれば、自分で検証してみようと勇む読者もいるだろう。 ましてオリジナルの文学作品を対象にした書評よりも、その文学作品の批評や研究(二次的作業)の本の、そのまた書評(三次的作業)が圧倒的に多いこの世界では、書評に絡む問題はもっと複雑そうである。という。 書評について、三次的作業としたことに私は賛成だ。 本書は、小難しい箇所もあるが、そこを読み飛ばせば、実にわかりやすい読書論(術)だ。 ただし現代の学生にどこまで通じるのか。 本書が書かれた1990年代の学生の様子が冒頭に描かれているが、その形は今日いささかも変わっていないような気もする。 読書論(術)、古いようで新しく、新しいようで古い話、それが好まれる時代でなくなっていることは確かだ。 そもそも本の話など若い人からとんと聞かなくなったもの。
2021.04.26
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年収が10倍になる速読トレーニング 苫米地英人 著者の速読に対する考え方の1つは、速読して理解できなかったら何ら得とはならないということ。 2つ目は、速読すべき本に関する理論を理解していたら、速読できるということ。 3つ目は、上記2つの理由から目を早く動かすことや視野を広めることなどナンセンスだということ。 4つ目は、すなわち速読とは、とにかく速く読むという意識が必要だということ。 などなど様々な持論を展開するこの本は、独り善がり本の最たるものというべきか。 そもそも速く読もうと意識しただけで2倍早く読めるなんて話、誰が支持するか。 要するに著者の持論は、われこそが速読を極めたものだ、ということなのだ。 だから本書を読んだところで、速読上なんのためにもならない。 逆に言えば、速読という文化に対しての究極のアンチテーゼと言えよう。 つまり読書に速読は必要ないということ。 まあね、本書には、他の速読本に見られるトレーニングのページがない。 速く読みたい本の知識があれば速読できる、それは私(つまり著者)がアメリカで実践してきたことだ、と著者は高らかに言うのだ。 速読術という幻の技術をさもあるように喧伝して、眼球の動きの速さを競い、視野の増幅を意識させ、しかも、飛ばし読みに長ければ、あたかも自分が速読可能になった錯覚に陥る、つまりそれこそが速読術の真実だと著者は言い切るわけだ。 でもね、私は思うんですよ、速読は確かにできるということを。 幻なんかじゃない。 できるんです。 しかもこの技術は知的生活において必要不可欠なものなんです。
2021.04.17
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リーダーの教養書 (幻冬舎文庫) [ 出口治明 ] 数多の読書論(術)を読むと、とにかく古典を読め、という主張が多い。 本書は、そういう高名な読書家11名による競演だ。 とても面白い。 やはり読書で重要なのは、古典である。 これは本書でも多くの方々が主張されている。 がそれ以上に、歴史の重要性というものも強調されていた。 その中で特に、出口治明(敬称略以下同様)が推薦した、半藤一利著、昭和史、の内容が気に入った。 いわく、日本においては、明治維新が第一立憲制であり、戦後が第二立憲制である、したがって幕末史を理解することも必要だ、というもの。 なるほどねえ、そう言う斬新な切り口を初めてみた。 理系の方が文章力がないと嘆くことが多い。 (私はそんなことはないかねがね思っているが…) 中島聡という方もその一人で、彼は、木下是雄著、理科系の技術、を読んで文章が書けるようになったと言う。 その書では、まずは結論を書くこと、一文はできるだけ短くすること、必要以上の修飾語は排除することというアドバイスがあったそうだ。 それ以降、ブログなどで文章を紡ぎ続けていると言う。 高名な先生方でも読書により様々な薫陶を受け知的生活をしておられるということですな。 私の経験上、本の通りにやったからと言って成功した試しはないのだが、しかしながら、何らかの影響は受けていることは確かだ。 そういうのが読書の効用というのだろう。
2021.03.06
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読書という荒野【電子書籍】[ 見城徹 ] さて読書というものは著者の言うように人間にとって必要不可欠なものなのだろうか。 その上著者はビジネス本はだめだと言い切る。 たしかにビジネス本は結果が出ているので、読書が人に及ぼす造詣力という点で劣るかもしれない。 しかしだからといって、読書というカテゴリーから外すべきではあるまい。 更に著者は、誰でも一度は左翼にかぶれるもの、かぶれないものはおかしい的な論陣も張る。 そしてその交遊録…。 石原慎太郎、五木寛之、林真理子、等々そうそうたるメンバーだ。 そりゃあそうだろう、著者は編集者だものな。 そして、三島由紀夫に関する論陣も張る。 三島が昭和45年に決起したのは自民党が警察力を支配してどうにでもできる社会を構築し、その結果憲法改正などできっこないという結論に達したからだという、三島の演説を本書に載せていましたな。 で、著者は齢70。 70にしてボクシングに挑戦中。 つまり彼は、コテコテの昭和なんですよねえ。 そもそも本書は読書論のはずなのに、最初から電子書籍から逃げているし…。 私は少なくとも、先に書いたように、読書論として、ビジネス本を除くことはできないし、もはや電子書籍なしで読書はできない現実から、彼のコテコテの読書論には与したくないね。 好きな本を腹いっぱい読む、それでいいんじゃないか、基本読書は。 そして左翼になどかぶれる必要はないぞ、現代の青少年よ。 あと飲酒もほどほどにね。 本書を読むと読書とは飲酒でもあるなどと思えてならないのだ。
2021.03.05
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図解 仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方【電子書籍】[ 宇都出雅巳 ] 個人のワーキングメモリーを効果的に使うとよろしい。 まずは何より大切なのはメモを取ることだと言う。 (略)メモこそもっとも原始的で最もわかりやすい記憶補助ツールであり、仕事効率化ツールと言えます。 (略)メモに書かずに頭で「覚えておかなきゃ」と思うこと自体がワーキングメモリのムダ遣いであり仕事の非効率家の要因になります。 つまり無駄な記憶をせずにメモを活用し自分の脳内のワーキングメモリの容量を増やしておけというわけだ。 本書を読書論(術)に区分したのは、 最初から順番に読もうとしても未知の分野の本、難解な本ではすぐにワーキングメモリがいっぱいになり読み進められません。 それよりもタイトル、見出し、それが集約された目次を活用し、飛ばし読みもしながら繰り返す中で段々と細かい本文に入って読んでいくほうがワーキングメモリを圧迫せず楽に読むことができます。 つまり「ゆっくり、じっくり1回で読む」のではなく「素早く、ざっくり、くり返し読む」のです。という読書論が書いてあったからだ。 メモを取るということも上記のような本の読み方も今まで数多の人が提唱し本に書いてきた内容だ。 何を今更ということにもなろうが、ワーキングメモリ、という観点が斬新であった。 メモにより確実にスケジュール管理をし、上記のような読書法で理解を進めれば今までとは違った自分になれるかもしれませんよ。 若いビジネスマンはぜひ一読を!
2020.11.24
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社会人の教養は人、本、旅【文春オピニオン 2018年の論点SELECTION】【電子書籍】[ 出口治明 ] 著者の教養論としての人、本、旅は持論のようだ。 つまり本だけではないということでもある。 だが教養の中心は本であり、本を選ぶに当たり、 新聞の書評は、有識者のみなさんが自分の本名を明記して、数百万人の読者に向けて一冊の本を紹介するわけです。とする。 つまり新聞は重要であるというのだ。 書評の質から新聞が重要だなどという論は初めてだ。 人は苦手だが旅は楽しい。 旅が教養になるのは先々で様々な情報を得ることができるからだ。 また何より気分転換の度合いが高い。 人にとって特に悪いのは引きこもりだ。 旅はその解消である。 人は旅するものではなく旅すべきものなのだ。 先ほど新聞の話が出たが、今私は新聞をとっていない。 そもそも最新ニュースはネットで読めるし、月の予算を超えてしまう新聞は必要ないという結論に達した。 大体今の新聞など信じることができるものか。
2020.10.24
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「記憶力」と「思考力」を高める読書の技術【電子書籍】[ 木山泰嗣 ] 自己流の読書論(術)を押し付けられると面白くない。 著者はどうも速読に偏見をもっているようだ。 速読は読書でないなどと言っていながら実は著者は速読をしている。 そもそも本書には数多の本が紹介されているのだから、速読が読書でないとどの口が言ったのか。 読書の方法なんて自由でいいはずだ。 その方法の一つ、速読、を狙い打って批判するのはいけ好かない。 たとえば小説をゆっくり味わう時間など一体どこにあるというのだろう。 朝に読み始めた本を夕に読み終えれば可なりではない。 読み始めた本はできる限り早く読了すべし! それが読書論(術)の基本でしょう。 確かにビジネス書は速読に適し、小説はそうはいかないかもしれない。 ビジネス書が速読できるのはそういう作りになっているからだと著者は語る。 けれどだから小説が優れ読書の王道だと言うわけではない。 とにかく本はひたすら読むものなのだ。 ゆっくりとどまる時間はない。 とにかく進まなければ読書からは何も得ることができない。 読んで読んで読んで少しでも自分に残ればそれでいいのであって、ゆめゆめ読んだことがすべて自分のものになるなどと考えてはいけない。 読書とはそういうものだ。 読書法にいいも悪いもないのだということを最後に申し添える。
2020.09.29
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藤原和博の必ず食える1%の人になる方法【電子書籍】[ 藤原和博 ] そもそも本書は読書(論)の本ではない。 しかし題名のとおりの人生を送りたければ、読書は欠かせないものであり結果として私は本書を読書(論)に区分したのだ。 まず不読書家について 普段、本を読まない人は一次情報、つまり自分の限られた特殊な体験しか話すことができません。 「自分は ○ ○した」「自分は ○ ○という話を聞いた」ということばかりです。 よほど波瀾万丈な人生を送っている人でないかぎり、自分の体験しか話せないようでは、楽しく豊かな会話はできないでしょう。 相手が教養の高い人だと、話に合わせることさえできない。 ただ頷くばかりでは、相手に中身のなさがバレてしまいます。 いっぽう、テレビや新聞、インターネットなど第三者を介した二次情報は断片的になりやすく、情報を体系的、重層的につなげるのは難しいものです。と断じる。 ということは読書に深みがあるということでしょうなあ。 さりとて読書によりどれだけ楽しく豊かな会話が楽しめるのかは定かでないが。 ただこういう極論を書いた人は初めてではなかろうか。 次の蔵書論も面白い。 本をたくさん読むようになると、どうやって本を保管するのか、どこまで本を処分するかというのが大問題になりますが、私は読み終わった本が 30冊ぐらいたまったら、近所の公立図書館に持っていって寄贈するようにしています。 ベストセラー本もたくさんあるので、図書館の職員に大変喜ばれています。 というのも、ベストセラー本はいつも 1 0 0人以上、貸し出し待ちの状態だからです。 いらない本も含めて、図書館で再利用してもらえれば、私もありがたい。 万が一、その本をもう一回読みたくなったら、図書館に行けばいいのです。 私は図書館を自分の書斎の延長、自分の本棚の一部だと考えています。 図書館を自分の書斎、本棚として使うという意味は、蔵書を図書館に寄贈することだとする。 こういう論を読んだのも初めてだね。 今まで読んだことのない強烈な読書論だ。 物質としての紙の本ですな。 電子書籍はこうはいかない。 私のKindleunlimitedの本は増殖中だ。
2020.09.27
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限られた時間で成果につなげる! インバスケット読書術 [ 鳥原 隆志 ] 著者は読書をアウトプットするためのものと明確に定義する。 読書というインプットにより自己が磨かれそこで新たなアウトプットがなされるのであればそれでよしというわけだ。 著者がそのような考えに至った経緯として小学校時代の読書感想文にあるという。 著者はその本をほんの少ししか読んでいなかった。 しかし要諦はしっかり掴んでいた。 その結果当該読書感想文は殊の外評価が高かったとのことだ。 そこから編み出した読書術がインバスケット読書術だ。 上記読書感想文方式からわかるとおり要するに著者は全部を読まない。 いわゆるパレートの法則ですな、あれですよ、2割のうちに8割があるという法則。 つまり読書も2割でよろしいというわけだ。 さらに続けて場合によっては10ページ飛ばしもありなんて書いてありましたな。 うーむなるほど本読みはそれでよしか、なんて考えつつ著者のような本の読み方はもったいないような気もして…。 まあね、人は本から何を得ようとしているのだろうかなんて考えると答えが出ないですよ。 本読みで何かを得ることができることはほぼないです。 だから何も著者のように先を急ぐ本の読み方をする必要はないと思う。 確かにアウトプットのための本の読み方はあるけれどそれが全てではない。 場合によっては何も得られぬ本もあるではないか。 あるいは非常に気に入ったとしてもそれをアウトプットすることがない場合もあるし。 読書というのは様々でよろしいのではあるまいか。
2020.09.03
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蔵書の苦しみ【電子書籍】[ 岡崎武志 ] これはまた変わった角度からの読書論(術)で、つまり蔵書が邪魔になるという命題について書かれたものである。 本好きは自分の愛する本について自分専用の収容をしようと悪戦苦闘する。 しかし本好きの本の多さは木造建築を凌駕する。 床が抜けた知的生活者があとを絶たないのだ。 その結果泣く泣くわが子とも言うべき愛読書を手放すことになる。 しかし、B社、には手放すなと言うのが著者の言い分である。 そして著者は 初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。 血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい。というのだが、それができたら苦労はしない。 私も自分の家を新築するならば、自前の本棚がほしいと思いそのとおりしつらえたが全く不足していた。 一段を3層にしないと収まらなかった。 床が抜けるようなことはないけれど、それでも、B社、から1冊100円の本を買ったりしているので今も徐々に本が増えている。 さあそこでこの蔵書問題にピリオドを打つべく自炊作戦が登場したのである。 2013年4月28日付「朝日新聞」のシリーズ連載記事「身の回りの電子化」第3回では、福岡市で不動産管理業を営むH氏(49歳)が、「自炊」で「蔵書の苦しみ」から解放された体験を語っている。 「約4200冊あった蔵書は、全て消えました」 これが冒頭に、まず来る。 記事によれば、H氏は、蔵書家だった知人が亡くなり、その遺品の片づけを手伝った際、「室内は、一面に本や雑誌が散乱し、足の踏み場もない状態」を目撃する。 遺族もうんざり。そこで、蔵書整理を決めた。 まあこれは電子書籍は電子書籍でも自炊というやつで、要するに蔵書をデータ化するというものだ。 この自炊が大流行のあと今はKindleUnlimitedであるとか楽天コボなど立派な電子書籍が登場するにいたり、自炊の必要性はなくなったと言える。 私自身このコロナ禍にあわせたようにKindleUnlimitedを利用し、もう240冊に上っていたことがわかった。 蔵書の苦しみという観点からいうと電子書籍は救世主である。
2020.09.02
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人間通になる読書術・実践編【電子書籍】[ 谷沢永一 ] 著者も知的巨人に違いない。 多くの難しい本を読んできちんと書評が書ける人だ。 本書の前の本、人間通になる読書術、は実を言うと私が歯が立たなかった。 それでも実践編を読んだのはわからないながら著者に魅力を感じたからだ。 実践編では 或る役者が坂田藤十郎に質問した。 「初日は私も相手役も、まだ台詞をうろ覚えなのであわててしまう。しかし貴方の場合、初日でも、十日も二十日も上演してきたお芝居のように、落ち着いておられる。どのような心構えがおありなのか、お聞かせいただきたいのだ」。 藤十郎の答えは、「私とて、皆様同様、初日は狼狽します。それが他人の目から手慣れたお芝居を演じているように見えるのは、稽古の時に台詞を充分に暗誦しておいて、初日にはすっかり忘れて、舞台で相手役のいうことにあわせて、台詞を思い出して喋るからだ。演劇は日常の有様を基準とするのだから、稽古でよく役を理解し、初日には虚心な心境で臨むのだ」ということであった。というようなわかりやすい話も載っている。 前編では上記のようなあらすじなどほとんどなくてつまりはその本を読まなければその書評すらわからないというレベルだったのだが、実践編ではその本を読まなくても役に立つようなことが書かれていたのだ。 上記の、舞台で相手役のいうことに合わせて台詞を思い出して喋る、なんてその初日の舞台の役者の有り様がひしひしと伝わってくるとともにそのような自分にもなりたいものだとふと思ったりしてね。 やはり引用というのは実に役に立つ。 私は本書を読んでそう思ったね。 知的巨人は本は身銭を切るべきだということを強調する。 著者もそうだ。 本は身銭を切って買わないと駄目だというのが私の信条です。 どうしてかと尋ねられたら困るのですが、身銭を切って買った本を見る目つきと、人から借りた本、あるいは図書館から借りた本を見る目つきは、自ずから違うということがいえるのではないでしょうか。 やはり身銭を切った以上、「何とかして、この本からエッセンスを抜き出さずにおくものか」という、一種の闘争精神――というのはおかしいかもしれませんが――が起きます。 これが本と読者を密着させる引力ではないかと思います。 本と読者を密着させる引力、いい表現ですなあ。 これは知的巨人だからこそ言い得る言葉だ。 難しいけれどまた凄い知的巨人に会ってしまった。
2020.08.16
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読書の腕前【電子書籍】[ 岡崎武志 ] さて著者は書評家である。 書評家であるということは知的生活者ということになる。 何気なく読み始めたこの本、私は正直言って感動してしまった。 なぜならこの人は私より生年が一年後つまり同年代なので共感が持てたのだ。 だんだんに本書を読み進んでいくと私も啓蒙された狐狸庵先生であるとかどくとるマンボウとかが出てきて、著者も同じように啓蒙されそしてこの道に進んだのだ。 さらに青春18きっぷの使い方であるとかBOOKOFFの使い方がまた私と同じようなことをしているのであった。 これで感動しないほうがおかしい。 本書は私の座右の本になるだろう。 さて書評家であるが、 書評を書いていて難しいと思うのは、まずはなんといっても字数の問題だ。 いちばん多いのは四百字詰め原稿用紙で約二枚という分量。 朝日新聞の「ベストセラー快読」を筆頭に、新聞社から頼まれるのは、圧倒的にこのタイプ。 少し増えて二枚半が「サンデー毎日」の文庫コラム、二枚半から三枚が「インビテーション」(ぴあ)など。 たった二百字の違いだと思われるかもしれないが、これが書くほうからすれば大違い。 八百字では、その本が著者にとってどういう本であるかの位置づけ、あらすじ、読みどころ、ポイントとなる個所の引用、締め(着地)を並べるだけで精一杯。 たいてい少し長めに書いて、最後はそれを力技で圧縮することになる。 それが、たった二、三百字プラスされるだけで事情が変わる。 「じつは、先日古い友人から電話がかかってきて……」なんて余計なおしゃべりが挟み込めるのだ。 少し遊ぶ余裕ができる。なのだそうだ。 大変な努力をしているということだ。 まあそれにしても世の中には多彩な知的生活者がいるものだなと数々の読書論(術)を読んで思う。 著者の場合、 その乱暴に引かれた線を見て、おおげさでなく、刀で斬り付けられたような痛みが走った。 私はべそをかいていたはずだ。 このときの無残な気持ち、屈辱は、死ぬまで忘れない。 忘れようもない、生まれてはじめての大きな傷をこのとき負ったのだ。 H先生はとっくに忘れているだろう。 いまとなってみると懐かしい思い出、なんてとても言えない。 私は彼をこの先も絶対に許さない。などというトラウマも抱えているようだ。 これは小学生時代ほとんど得意なものがなかった彼が文章を読んだ際の話。 読み終えたところに線を引いてそれでおしまいという課題だったのだが、それを出題した先生の著者がそんなに早く読めるはずがないという思い込みから文章のような事態に陥ったというものだ。 今なら体罰だなんて大騒ぎなんだろうが、実はこんな先生は私達が小学生・中学生の時代にはたしかにいたのだ。 だから上記のようにもう忘れているだろうと言うレベルなのだ。 しかしやられた生徒にとってはトラウマになっているという話だ。 青春18きっぷで行けるところまで行って帰るその間ひたすら読書をする。 私の場合妻と酒も一緒でないとダメだな。 BOOKOFFの100円文庫、ここは掘り出し物が多い。 そのとおりだ。 そのうえ私はKindleUnlimitedと言う金鉱も掘り当ててしまった。 とにかく知的生活者はひたすら本を読み続けるのだ。
2020.08.15
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差がつく読書【電子書籍】[ 樋口 裕一 ] 著者は読書を、実読、楽読、に分けて考える。 更に多読と精読を区別する。 実読というのは概念的には実務に直結するもので、楽読とはエンターテイメントのこと。 その区分から言うと立花隆は実読以外していない知的巨人ということになる。 著者は、 多読を行い、本から情報を引き出すすべを心得、ある本に関して、もっと詳しく読む必要があると感じたとき、初めて精読をするべきだと私は考えている。というように多読して必要なものを精読することを主張する。 だからベースは多読ということになる。 言い換えれば最初から精読はするな、ということだ。 考えてみれば最近精読なんてことをしたことがない。 その精読について著者は、 なお、私は精読する場合には、経済的に許される限り、本は必ず購入することを勧めている。 精読するのでなければ、図書館で借りるのもいいだろう。 だが、精読するときには、買う必要がある。 精読する場合、線を引いたり書き込みをしたりする必要がある。 読み終わった後も、本棚に置き、時々また読み返すといい。 そうしてこそ、本は自分の血となり肉となる。という。 このことは多くの知的生活者が主張していることでもある。 読書は図書館で十分よ、などということを声高に叫ぶ読書論(術)を私は読んだことがない。 つまり読書とはそういうものだ。
2020.08.01
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「考える人」は本を読む【電子書籍】[ 河野 通和 ] 久しぶりに面白い読書論(術)を読んだ。 そもそも紹介されている本が非常にわかりやすい本ばかりなのだ。 本書を読んで涙を流すことが多かったのは、なくなった方の話が多かったからだと思う。 その中でも、井上ひさしからみの話が実に壮絶だった。 私が3大知的巨人として敬愛してやまない井上ひさしの前妻との関係は、壮絶なDVだったのだ。 それが表沙汰にならなかったのだから、当時の情報セキュリティというのはすごかったのかなあ。 それはともかく井上ひさしは前妻との間に3女をもうけ、そのうちの3女に自分の事業を託す。 ヘビースモーカーのくせに肺がんにならないなんて嘯いていたにもかかわらず肺がんに罹患し亡くなるのだが、その死の床で必死になって3女に事業を託したのだった。 さてその井上ひさしの後妻であるが、これが米原万里の妹だったのだ。 米原万里といえば若くして死んだ文筆家というイメージが強かったが、亡くなったのは2006年56歳の時。 つまり今生きていれば70歳ということになりますな。 2006年といえば平成18年。 その頃彼女の本を読んだ私はなんと巧妙洒脱な文章を書く人だ、これからも読もうなんて思ったのだった。 ところがそれから間もなくして彼女は亡くなった。 それ以来彼女の本を読んだことはない。 それが今回こうして井上ひさしを通してまた会えることになるなんてなにかの縁があるのだろう。 彼女の妹の名は、井上ユリ。 妹のユリが姉の思い出話を書いている本を著者は紹介しているのだ。 読んでみたいものだ。
2020.07.31
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外資系コンサルの知的生産術〜プロだけが知る「99の心得」〜【電子書籍】[ 山口周 ] このコロナ禍で知的生活が激変した。 まず、図書館が使えない。 東根市立図書館では学習室で、上山市立図書館ではフリースペースでそれぞれ書き物をしたりした。 市立図書館、県立図書館、市立米沢図書館はそれぞれ1回20冊、10冊、10冊借りられ、それぞれ上限借りてきた。 図書館の本は加工できないから、付箋を貼り、ノートに抜き書きしたり、ブログアップの際口述したり、してきたが、それがかなわぬことになったのは遠い昔のこととも思える今を去ること3ヶ月くらい前だったか…。 緊急事態宣言が解けて、図書館は閲覧はだめでも貸出はするような流れになったが、人が触った本はもう触りたくないという心理も働いて、図書館には顔を出していない。 それじゃあ知的生活者として何もしないで手をこまねいていたのか、というとそうではない。 まずBookoffを利用した。 1冊100円でいい本が買える。 そしてKindleUnlimited。 本書もそうだ。 KindleUnlimitedのカテゴリーは様々で、読む本を探すのに手こずるが、それでも冊数が実に豊富なので、自分が読みたい本は十分に手にすることができる。 そしてその機能だ。 しかし、情報収集におけるインタビューは先述した通り、知的生産活動の前半において生産性の高低を左右するボトルネックファクターですから、せっかくの機会を「あいまいな質問」と「ポイントのずれた回答」がやりとりされる不毛な時間として消費することは許されません。 知的生産のプロフェッショナルとしては、「とにかくはっきりさせたい論点」が明確になっている以上、質問を明確に語尾までいいきることが求められるわけで、そのためには一度きっちりと質問文として紙に書き起こしてみる、ということが有効なのです。 などという抜き書きは、なんとコピー機能により容易に可能なのだ。 知的生活者は、インタビューにあたり、質問文を紙に書き起こせという提案だ。 なるほど、そういう緻密な準備が知的生活者には必要なことだ。 次、本を汚すこと。 まず、本を読んでいて、気になるところには必ずアンダーラインを引きます。 本を汚すのが嫌だという人がいますが、アンダーラインを引くという行為を抜きにしたら、イケスの構築は絶対にできません。 絶対に嫌だというのであれば、アンダーラインを引く本とは別に、保存用の奇麗な本を購入してください、というしかありません。 アンダーラインを引く、いわば本を「汚く読む」ことはイケス構築の最初のステップで、ここを外すと先に進めません。 このことは、ほぼほぼ全ての知的生活者が述べていることだ。 汚く読む、ところがそれは図書館の本ではできない。 それじゃあ、KindleUnlimitedではどうだ。 これが電子書籍の形式にもよるが、ほとんどの本でアンダーラインは引き放題だ。 そして消し放題だ。 つまり著者が提唱する保存用の本にもなりうるのが電子書籍なのだということがわかった。 今私が興味を持っている分野は、日本古代史と栄養学だ。 日本古代史は、日本神道と日本神話関連の本を読み進めているうち行き着いた課題だ。 栄養学は、今をときめく糖質制限論が是か否かという課題だ。 それらに関する本もKindleUnlimitedには多く揃っている(ただし探すのに骨が折れるが)。 というように、コロナ禍の副産物として私はKindleUnlimitedを見つけたというわけだ。
2020.07.07
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速読ができるようになりたいときに読む本 遠藤縁吉 これは異質の速読本だ。 まさに今風の、KindleUnlimitedがあるからできる読書論(術)だ。 表題には、速読、の文字が入っているが、本書は速読のレベルには達しない。 著者的には、 私の場合、主な読書タイムは通勤時の行き帰りの時間(約2時間)です。 その時間でだいたい200ページくらいまでの本なら1冊読みきれるようになりました。 もちろん本によってそのスピードは異なります。 以前より格段に速く読める本もあれば、そこそこ速く読めるレベルの場合もあります。 ではいったいどのような本がより速く読めるのでしょうか。 速読効果がより期待できる本のジャンルは、実は「実用書」です。 その中でも一見すると読みづらい図版の少ない文字ばかりの本が、一番速読効果が高くこの読書術に向いています。 またシリーズものなどの読みなれた作家の作品などもより速く読むことが可能です。 それではこの耳目読書術は小説には効果が無いのか?というと、そんなことはありません。 私の場合、小説も以前の紙の本で普通に読むスピードに比べれば、はるかに速く読めるようになりました。というように、2時間で200ページの本を1冊読めるようになったということで、かなりの速読者になったような書きっぷりだが、こんなレベルでは、はっきり言って日が暮れてしまう。 2時間あれば、200ページレベルの本は8冊は読めないと話にならない。 しかし本書は新たな読書論(術)を提示してくれたのだ。 それはKindleUnlimitedを利用した新たな読書論(術)だ。 題して、耳目読書術。 タブレットにKindleUnlimitedの読みたい本を呼び出し、タブレットの読み聞かせ機能を利用して文章を読み上げてもらい、その文章を目で追う、というもの。 読み上げ速度は、最速がよろしい。 これもまた、コロナ禍の中での新たな読書論(術)だなと感心し、実際やってみたら、これがなんと行けるのですよ。 速読中熟読したくなるところがあるでしょう、そこをこの機能を使うのです。 そこをブックマークし、青線を引く。 これだけで後々文章が書けるようになる。 本書は新たな読書論(術)で、本当に画期的である。
2020.06.29
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「ビジネス速読」仕事術情報洪水に押し流されないノウハウ【電子書籍】[ 椋木修三 ] 世に速読本はたくさん刊行され、そして、純粋な速読法の本以外のつまり方法論以外の、知的生活者が書いた速読本では、結局、読み飛ばす、という方法が一般的だ。 確かに、一瞬でその本の内容が頭に入れることができる人は、そうはいない。 知的生活者でさえそうなのだ。 だから、世に盛る速読法など身に着けようと思うな、というのが結論なのだが、まず著者は、 能力がないと生き残れない時代というのは、逆に言えば、自分に付加価値をつければ、どんな状況になろうと生き残れるという時代です。 そして現代は、自分に付加価値をつけるための「情報」が誰でもいくらでも入手できるくらいに身近なものになっている時代です。と、付加価値を付けるための情報収集のため、速読が必要だというのだ。 そして、 パラパラ速読は「1冊1分」を前提としますから、10分あれば10冊の本を読破することになります。 これを毎日行えば、1日に10冊、1年で3,650冊の本に目を通すことができるわけです。などということも書いている。 私はこれじゃあ、3,650冊読んだことにはならないと思う。 本の読み方など人それぞれでいいと思うが、本を手にとってパラパラしてその数を競ったって何も面白いことないじゃないか。 こういう書きっぷりの速読本が淘汰され、速読本は書店ではもはや絶滅危惧種だ。 速読力を極めるには、1に訓練2に訓練、とにかくひたすら読むこと、これにつきる。 パラパラ読みが速読だなんて間違っても思ってはならない。
2020.06.21
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僕らが毎日やっている最強の読み方新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意【電子書籍】[ 池上彰 ] 私が勝手に3大知的巨人と言っている、渡部昇一、井上ひさし、立花隆各氏に続く第一候補として佐藤優氏を私は上げているが、更に池上彰氏もいたんだねと、本書を読んで思った。 ただし、池上氏の場合は知的生活者と言うよりは、まだまだ現役のジャーナリストだろうから、現場性が強い分、上記4氏のカテゴリーから外れるかな、なんて思ったりして…。 それでも本書は、本読みに取ってたいへん示唆に富んでいた。 全編が参考になった。 まず池上(以下敬称略)が佐藤を知的巨人と位置づけて話を進める。 そして世の中を知るにはまず新聞だと両名ともいう。 つまり両氏は膨大な書籍の他にこれまた膨大な新聞・雑誌を読んでいるのだ。 その新聞の読み方について、池上 先ほど普段読んでいる新聞について伺ったとき、佐藤さんは『朝日新聞』『毎日新聞』 『産経新聞』『日本経済新聞』『聖教新聞』『ウォール・ストリート・ジャーナル日本 版』の6紙は電子版だけで読んでいるとおっしゃっていましたね。なぜ紙ではなく電子版な んですか? 佐藤 いろいろ試してみて、電子版のほうが速く読めることがわかったんですよ。ざっと全体 を見渡すのに、紙の約半分の時間で済みます。池上 新聞社のニュースサイトと違って、紙面と同じレイアウトだから速く読めるわけです か?佐藤 はい。 電子版を使えば、1紙5分程度で主要なニュースを押さえられます。いずれも毎朝5時ごろ に更新され、最終版と同じ紙面を読むことができます。『朝日新聞』や『毎日新聞』は地 方版も電子化されているので、それも便利ですね。として、特に佐藤は電子で読んでいる旨を話しつつ、電子の情報量は少ないし、また、新聞以外ではチェックがなされていないので、玉石混交の情報なのがネットの情報だとする。 そのとおりでしょうね。 次、いわゆる知的生活について、佐藤 全部を精読しようと思ったら、いくら時間があっても足りませんからね。 池上 若いころは「せっかく買ったのに、もったいない」と我慢して読んでいましたが、ある とき人生の残り時間を考えるようになり、「時間のほうがもったいない」と思うようにな りました。 それで、「じっくり熟読する本」と「速読で済ませる本」を分けるようにしています。 佐藤 まったく同感です。 池上さんは、熟読する本と速読で済ませる本の選別は、どうしていますか? 池上 「本の種類」によって変えています。基本書となる「タネ本」はじっくり読みます。ほ とんどがそのジャンルの初期に出版されたものなので読みにくいこともありますが、理解 できるまで何度も読みます。 速読で済ませるのは、これまでに読んだ関連本よりも内容が薄かったり、新しい発見が あるとは思えない本ですね。 ただし、どの本も「はじめに」と「おわりに」には必ず目を通します。 熟読する本なら全体像を俯瞰できてスムーズに読めますし、速読で済ませる本も「はじ めに」「おわりに」に目を通しておくことで、のちのちの記憶に大きな差が出てくるの で。と、現役の知的生活者にしてこれほどの取捨選択を行っているのだ。 速読、多読、そのための取捨選択、その方向性、これら知的巨人に言えることというのは、知に対する貪欲なのだと思う。 もはや本をどう読むかとか読書に馴染むにはなどという入門編は遥かに超えて、とにかく、知的に膨張しているのが、知的巨人というものだと本書を読んで強く感じた。
2020.05.28
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【POD】本好きのためのAmazon Kindle 読書術 電子書籍の特性を活かして可処分時間を増やそう! [ 和田稔 ] しかし世の中には面白い本があるものだ。 本ブログとライブドアブログ、夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記、に書評をアップしているが、特に本ブログの、読書論(術)でときどき私が述べている、紙の本と電子書籍の問題ですなあ、それは永遠の問題であるかのような書きっぷりをしたり、紙の本が優勢だなどと言ってみたりして考えが定まらぬのが現状だ。 その現状を見事に打破してくれたのが本書である。 つまり、私は、紙と電子の違いなどという論点で議論するのではなく、というより、そもそもカテゴリーがちがうものとして、この両者を考えるべきではないのかという結論に達したのだ。 どっちがいいとか悪いとかではなく、使えるものなら使おうよ、それでいいのではなかろうか。 それというのもこのコロナ禍、stay homeで、図書館にも行けない私は、思い切り、Kindle Unlimited に入会したのだ。 このほか、Bookoffで1100円で10冊の本を購入して、本の数を揃える。 そして、こうやって記事を書く、ことができることに気づいた。 Kindle Unlimitedは、最初の一月が無料、以後980円、これで無限大に本が読めるということになる。 コロナ禍による思わぬ発見だ。 さて本題に入ろう。 つまり、紙だ電子だという議論は不毛だということ。 そもそも別のものだから、噛み合わぬのが当たり前なのだ。 でも、こうして、ブログアップは紙でも電子でもできるのだ。 しかも電子の方は、抜き書きが、コピー機能を使うことにより、非常に正確なのだ。 たとえば、端末は何を使うかについて、 写真や図版が多用されている本の場合、ディスプレイがモノクロのためカラー写真などはKindle Paperwhiteでは見にくく感じたり、レイアウトが崩れて見えることが多いです。 この場合、スマートフォンやタブレット端末で読むことをおすすめします。 またコミックなども人によってはスマートフォンのほうが読みやすいと感じる場合があるでしょう。などと、特にKindle端末にこだわる必要はないこと、このことを抜き書きし、論評したいときに、Kindle Unlimited本をコピーすれば、たちまち抜き書きできるのだ。 その他本書では、なんと、読み上げしてもらう機能まで教えてもらえたぞ。 そうなると、ある意味、電子は紙を凌駕したのではないか、という奇妙な幻想に駆られてしまうのだが、そうではなく、全く別のものなのだから、コピーも読み上げも電子は意のままなのだ、紙にそのことを求めようとするのが誤っているのだ、ということになろう。 もうひとつ、 Kindle Unlimitedの日本上陸に喜ぶ人がたくさんいる一方で、人によっては、Kindle Unlimitedの対象本に読みたい本がない、そもそもそんなに本を読み切れないという声も聞きます。というが、果たしてそうだろうか。 上記文章は矛盾しているよね。 読みたい本がない、というのと、そもそもそんなに本を読み切れない、は並立しない。 私は逆に、Kindle Unlimitedだからこそ、読みたい本が探せ、十分に読み切れて本読みの多幸感に浸れるのだと思うよ。 こんなにすごいものがあるなんて、何度も書いてしまうが、今時コロナ禍に遭ってしまったからこその話で、そうでなかったらまだまだ図書館に頼り切る知的生活をしていたことだろうな。 Kindle Unlimitedによる知的生活はまだ始まったばかりだ。 これからもどんどんKindle Unlimitedを読んでブログアップをしていきたい。
2020.05.26
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読書の技法【電子書籍】[ 佐藤優 ] 私にとっての3大知的巨人は、同じ山形県出身ですでに故人となられた、井上ひさし氏、渡部昇一氏、そして未だ現役の、立花隆氏だ。 この3大知的巨人のあとに来るのが著者だと私は密かに期待している。 多分、本ブログに本書が登場するのはこれが3回目ではなかろうか。 そのほか、本書が好きで、図書館に行ってはちょいちょいつまみ読みもしている。 著者の読書量は半端なものではなく、1月に300〜500冊だという。 これらの本のうち、たった5分で読了する、超速読、と、普通の速読、の2種類の速読を駆使していると著者はいう。 基礎知識は熟読によってしか身につけることはできない。 しかし、熟読できる本の数は限られている。 そのため、熟読する本を絞り込む、時間を確保するための本の精査として、速読が必要になるのである。 なのだそうだ。 著者は外務省のノンキャリアであり、あの鈴木宗男事件にも連座して刑務所暮らしもした苦労人であるが、その中で独自の知的生活を確立し、今は午前5時起きをして、午前中執筆活動、26時に就寝するまで、5,6時間の読書を惜しまない知的生活をしている人だ。 基本書は図書館から借りてきたものではなく、私物を用いる。 本のページを折ったり、シャーペンや鉛筆で線を引いたり、書き込みをするからだ。 というように、知的巨人は自前の本を用意し、まさにそれを加工して自分のものとしているのだ。 図書館の本には目を向けない。 翻ってこのコロナ騒ぎ、図書館の本が読めない私は、本当に困った状態になっているのだ。 本書は、電子書籍で読んだ。 そうすると、上記のような、ドッグイアとか、書き込みができない。 一応、お気に入り、とか、蛍光ペン様で線を引いたりはできるのだが、紙の本に比べたら、機動性に欠ける。 さて、超速読であるが、 超速読の目的は2つある。 ひとつは、前述したように、「この本が自分にとって有益かどうか」「時間をかけて読むに値する本かどうか」の仕分けである。 しかし、この判断ができるためには、その分野について一定の基礎知識があるというのが大前提になる。という性格がある。 いわば、超速読というのはふるいですな。 だから、どんどん冊数がふえるということになる。 ここで重要なのは、すでに十分な基礎知識があるということだ。 基礎知識のないところに速読はありえないというのが、著者の持論でもある。 その後、普通の速読にはいるわけだが、その際、世に盛る速読本にある、目の動かし方を参考に自分にとってベストな方法を身につけるべきだ、とする。 このような知的生活も世の中にあるということだ。
2020.05.19
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レバレッジ・リーディング【電子書籍】[ 本田直之 ] 本書は2006年刊である。 私は何回か読んだ覚えがある。 このブログかライブドアブログにアップしているかもしれない。 14年も前の本ですものなあ。 読んでいくと、二つ折りの携帯の写真があったりして、その端末からAmazonに本の注文をしたりするとか、書いてあった。 たった、14年の間に何という世の中の変わりようなんだろう。 そして本書、これは、KindleUnlimitedだ。 レバレッジとはてこのこと。 つまりてこの原理を利用して読書を投資としてビジネス界をわたれというのだ。 まず、 いかにアウトプットするかが勝負なのです。 繰り返しますが、多読は投資活動です。 つまり、読んだ内容を仕事に生かすこと、投資の結果を出すのが最終目的です。 そのために、わたしは年間100万円弱の本代をかけているのです。 20代でまだ手取りの収入が少ないときは収入の10%を本代にかけるように心がけていました。 速読が目の動かし方を訓練したりして、すべてを速く読んでみせるという技術なら、多読は、無駄な部分を切り捨てる技術と言えます。 情報の取捨選択能力を高め、必要な箇所以外を読まないことで、読書時間が短縮できます。として、速読とは違う多読という概念を提起する。 必要なところだけを読むから、時間短縮につながる。 その時短のためには、 カラーバス効果をうまく使うと、素早くページをめくっても、目的の箇所で目がとまります。 そのためには読む前に目的を決める必要があります。 と言っても、あまり深く考える必要はありません。 シンプルに、イメージを描く程度でOKです。 いちいち書き出したりすると、それだけで時間をとられるので心の中で意識するだけで十分です。として、カラーバス効果を提唱する。 要するに読む目的を明らかにすれば、自然に目に脳につながってくるということだ。 著者の読書量は年間約400冊。 決して大した量ではないが、 10冊買ってきたら、本当に面白いのは2冊といったところです。 だからこそ、いつも未読の本を最低10~30冊はストックしておく必要があるのです。 わたしが多く本を買うのはそのためであったりもします。として、大量の本を常に手元にストックしておくのだそうだ。 まあそれにしても、また新たな本読みの形態になってしまったものだと我ながら感心している。
2020.05.12
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経済学者の勉強術 いかに読み、いかに書くか [ 根井 雅弘 ] 題名は勉強術だが、読書論(術)である。 著者は早稲田から京大大学院に進学した経済学者だが、本書をモノするほどの読書家でもある。 書評も書いておられる。 その知の師は、清水幾太郎ということであるが、渡部昇一の、知的生活の方法、も読んでおり、大きな感銘を覚えた模様。 そのころ、梅棹忠夫の京大式カード、も流行ったりしたが、著者は、そんなもん使いもんにならんと一刀両断した。 確かにそのとおり。 カードに抜き書きする暇があったら本を読め、という。 そのとおりですな。 カードに書いている時間がもったいない。 実は私もカードをやったことがあるのだが、本当に使い物になりませんでした。 あの時のカード、一体どこに言ってしまったんでしょうか。 経済学者が書いた読書論(術)などというとなんとなく構えてしまうけれど、著者は知的な方ゆえ、その読みの深さがすごい、と思う。 本を読んで書評を書くという作業の中で、その本の言いたいこと、エッセンス、をきちんと捉え、それを材料にして文を紡いでいく。 それが生きた書評というものなんでしょうねえ。 先に抜き書きのことを書いたが、このところ抜き書きができていない。 それというのも、コロナ騒ぎで図書館が軒並み閉館になっているからだ。 私の場合、カードには抜き書きしないが、このブログの下書きに抜き書きするなどして、アウトプットの準備をしているので、図書館の本がないとそれが不可能になるのだ。 抜き書きもせずに、書評を書ける人が実に羨ましい。 本当はそれがあるべき姿なんでしょうがねえ。
2020.05.10
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遅読家のための読書術【電子書籍】[ 印南敦史 ] このコロナ騒ぎで、県立図書館、上山市立図書館、山形市立図書館などが閉まり、知的生活に支障を来している。 図書館からは、20冊とか、10冊とか借りていたので、閉館となるととたんに読む本が減ってしまう。 だから、遅読の本を読んだわけではない。 そもそも本書は遅読の本ではない。 むしろ、速読、多読の本なのだ。 何しろ著者は、年間700もの書評をものしている人なのだ。 著者いわく、本読みの速度は遅い、のだそうだ。 しかし、年間700もの書評をものするということは、つまり、年間最低700冊を読んでいるということになる。 その方がなぜ遅読を語るのか実に不思議なことだ。 著者は遅読で本が読めない人のために、読書が苦にならない方法をを提案している。 ゆえに本書は、遅読家のための読書術、となるわけだ。 まず、その本の1%でもわかったらそれでいいじゃないかという。 そして、フローリーディング、という読み方を提唱するのだ。 それは、まるで音楽を聴くがごとく本を読む、ということなのだそうだ。 音楽を聴くときにかしこまりはしない。 流して聴いている。 そんなふうなイメージで本を読む。 覚えなくちゃいけないなんて構えてはいけないというのだ。 更に著者は、引用の重要性を説く。 特に書評家には必要なことという。 まさにそのとおりですな。 私自身も引用を中心に書評させてもらっていますので。 本当にそのとおりと手を打ったところだ。
2020.05.03
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書評の仕事【電子書籍】[ 印南敦史 ] 題名のとおり著者は書評を生業とするものである。 したがって凄まじい読書をしなければならない。 書評とはまず書評対象の本を要約することから始まるという。 そして読み手を引き付けなければならないのだ。 だから、読み手に好かれる文章を書かなければならない。 著者の仕事場は自宅らしい。 起きて仕事をし夕方には団らんにはいる。 その間物書きはもちろんのこと、本も一日、1,2冊読まなければならない。 つまり、知的生活を仕事にしているのだが、その結果、充実した知的生活が果たして送れているのだろうか、甚だ疑問だ。 とは言え、著者は書評を生業としているのであり、充実した知的生活など望んでいないのだろうから、それはそれでいいか。 とにかく著者は、書評で生活している。 つまり書評に対する対価があるのだ。 それに対し、私はまるきりアマチュアの書評家だ。 それでも毎日こうしてブログを更新している。 もう一つの、ライブドアブログ、夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記でも、映画評論、旅行記、グルメのほか、書評を書くときもあるので、私も結構書評を書いていることになる。 ただ私はアマチュアだから、とにかく自分で思ったことを自由に書けるわけだ。 しかもそれは知的生活を楽しむという一側面も持っている。 切迫した著者の書評書きよりはずっと優雅なことをしているのだ。
2020.04.30
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【中古】 本の読み方 墓場の書斎に閉じこもる /草森紳一【著】 【中古】afb この本では次の記事が面白い。 読書といえば頭のみを使うと思っている人が多い。 それは誤解で手を使うのである。 読書とは手の運動である。 読書とは手の運動である。 けだし名言だ。 手を動かしてページをめくる。 そうすると電子書籍は読書にはならない、ということか。 それはともかく、知的生活者というのは、 不良と一口に言っても色々な不良がいる。 小、中、高、大と、学生時代の私は不良だったと思う。 学校の勉強をしない不良はもちろんだが映画と読書の不良少年だった。 最近最も嬉しかったのはやはり高校を卒業していなかったと判明したことだった。 わけもなく嬉しくて一週間はほくほくしていた。 確かは2/3以上出席しないと卒業はできないはずだ。 私は 欠席ばかりしていたので(登校拒否というほどの感覚はない)世の中に出るようになってからも5年に1度ぐらいは俺は卒業できていたのかなあとふと思い出すことがあった。 でも卒業証明書がなければ大学だって受験できないんだ。 まあ何とかなったのだろうとすぐ疑惑を打ち消していつもそのままになっていた。となりがちだ。 私は高校は3年間休まず通った。 しかし大学に入ってからは、上記著者のような生活に陥った。 まさに、いちご白書をもう一度、を地で行った。 就職が決まったのに、卒業できるかどうかあやふやだったのも事実だ。 あれからもう40年以上の歳月が流れた。 その就職先も定年退職して今同じ職場で非常勤嘱託職員として働いている。 私は時代を感じながらゆっくりとブログの更新をしている。 それは私の今の仕事の1つでもある。 本を読むこと。 読んだらアウトプットすること。 この作業が今の私の仕事の1つなのである。
2020.04.18
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知的生活の準備【電子書籍】[ 渡部昇一 ] 私が知の3大巨人の一人に数える著者は良く、佐々木邦、のことについて書いている。 著者によれば、佐々木邦は明治学院の偉大な卒業生である。 そのうちの、凡人伝、という小説を◎ 佐々木邦 凡人伝 物語では静岡県あたりの学校の校長先生の息子が明治学院に入ります。 時代は明治20年代から30年代です。 その生活が詳しく書いてあるのです。 田舎の小さな学校から突如大きな明治学院という当時としては大きく見えた学校へ行きそこで普通の日本人学校ではない外国人の先生の方が多い学校に入ってそして英語の教師になる。 このことが描かれています。 佐々木邦の小説はいわゆるユーモア小説と言われたものです。 当時は難しい漢字で諧謔小説と言いました。 だから非常に明るく楽しく軽快に書いているのです。 しかしものすごく現実的で佐々木邦の小説は空想で書いたものがありません。 全部綿密なる観察なのです。として、褒め称えている。 その明治学院は当時、 その石川林四郎が 後輩の佐々木邦を岡山の六高、第六高等学校に薦めたのです。 佐々木邦は石川林四郎と同じコースで明治学院の高等科にいて外国人を相手に英語を鍛えていました。 また自ら一生懸命マーク・トウェインのような難しい本を読んでは見事な翻訳をやっていたという実力もあります。 しかし明治学院を出ただけでは普通の中学校の免許状も取れない。 それで当時関係があったまだ日本の一部になっていなかった釜山の 商業学校に行った。 そこで翻訳なんかをやっていたんです。 それを見ていて石川林四郎はこいつはできると見抜きました。 自分も訳せないようなアメリカ、イギリスのユーモア小説をユーモアを損なわないで訳している、これはすごいやつだという理由で日本の中学校の免許状も持ってない佐々木邦を六高の教授に推薦するのです。 石川は後で高等師範に戻るわけですが当時彼は六高の教授をしていたのです。 というように、中学校の教員にもなれないという状態だったようだ。 それにしても著者はアンチ官立ですよねえ。 言うだけでなく素晴らしい業績を残しているわけで、そして、佐々木邦という明治学院が誇る人材をも紹介してくれるのだ。 いつだったか著者をけなすだけけなしていた知的生活者がいたけれど、私はそうは思わない。 私の知的生活の根底には著者がいるからだ。 そもそも知的生活とは何たるものかを教えてくれたのが著者だった。 私は著者のようにはなれなかったが、今こうしてブログを更新できるのは著者のおかげだと思っている。 ぜひ、佐々木邦の凡人伝を読んでみたいものだ。
2020.04.17
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つながる読書術【電子書籍】[ 日垣隆 ] 本書も 多読のためとして様々な速読法が提唱されていますがあまりにも速すぎる読書については私は懐疑的です。 3時間の読書時間を1時間に短縮できたところで読書の成果も1/3になってしまうのでは意味がありません。 速読であっても読書の成果はほぼ10割、せいぜい9割かなり譲って7割に保てなければ意味がなくなってしまいます。と、速読に懐疑的とする。 でも、著者の言うとおりだとすると、読書時間に読書の効果が比例することになる。 そして、一方的に、速読の効率が悪いようなことが書いてある。 これこそ科学的根拠のない因縁、言いがかりもいいところだ。 読み手が速読をするのは、速読もスローもその効果に違いがないことに気づいたからなのだ。 こういう一方的な言いがかりは聞くに値しない。 次。 本好きにとって書店で過ごす時間は至福とも言えます。 時間つぶしになるのでかつて書店は待ち合わせ場所の定番でした。 しかし目的を持って本を探すという時は漫然と探さずに時間を意識した方がいいでしょう。 2分又は今日は30分とあらかじめ制限時間を決めることです。 店を見ていてこの本だと思った時に目的のページを探すのに5分かかったとしたらそれは本当に必要な本の探し方ができていない証拠です。 本に限らず何かを探すときは何分何秒かかるかを気にかけると色々な訓練になります。 本屋にいるのが至福というのはそのとおり。 しかし、本を探すのに時間制限するのはいかがなものか。 至福と言っておきながら時間制限したら、至福でなくなるだろう。
2020.04.15
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霧中の読書 [ 荒川洋治 ] 著者はまず島崎藤村について語る。 島崎藤村は、 島崎藤村は日本の近代詩を創始し、破戒、夜明け前、を書いた。 詩と小説の両方でこれほど大きな歴史的成果を上げた人はいない。 この数ヶ月藤村の主要な作品を読み改めて圧倒されたが、読むほどに姿が遠ざかるそんな印象もあった。という偉大な人だ。 純粋に読書が好きで、速読だのスローだのということにこだわらずひたすら読んでいる人の姿が目に浮かぶ。 読書論(術)というのはこうあるべきではなかろうか。 なぜ速読するのかと言ったら、時間が惜しいからに他ならない。 だってチンタラ読んでいたら、このブログを更新できないではないか。 次。 四百字詰め原稿用紙で900枚を超える長編小説、いやな感じ、は1963年文藝春秋新社刊。 最後の文士高見順(1907〜1965)の代表作だ。 川端康成は寝食を忘れて一気に読み通し批評も判断もほとんど忘れ、ただ引き込まれた異常な傑作と書いた。 人間性と思想の問題が、大きな規模と強い迫力とをもってここに書かれたと伊藤整。 三島由紀夫は、「いやな、いやな、いい感じ」の題で見事な文学作品と評した。 というのもいい。 900枚を超える大作というのは一体どういうものなのだろうか。 川端康成、三島由紀夫が驚く作品というのはどういうものなのだろうか。 これは一読の価値ありだ。 それにしても世の中にはいろいろな本読みがいるものだ。 本書のような真摯な読み手というのが望ましい。 同じことを何度も書いて申し訳ないが。 読書というのはそういうものではないのか。 方法論がどうのこうのではなくて、読み手がどう受けるのか。 読み手にかかるんですよね、読書というのは。 だから本を素直に読めばよろしい。 私はそれだけだと思う。 方法論は必要に応じて存在する。 ゆっくり読みたい人はゆっくり読めばよろしい。 速く読まなければならない人は速く読まなければならない。 しかしその方法を卑下したり、批判したりしてはならないでしょう。 読み手の受け、それを論じなければ、読書の効用などありはしないのだ。
2020.04.14
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【中古】 あらゆる本が面白く読める方法 万能の読書術 /一条真也【著】 【中古】afb まあそれにしても実に多くの読書論(術)があるものだ。 その中で、読書を降霊術といったのは著者が初めてではなかろうか。 私はよく、読書とは降霊術だ、というのですが、極めてスピリチュアルな行為が読書なのです。 私は三島由紀夫の小説を読むときは楯の会の制服を着た三島が、小林秀雄の評論を読むときは仕立ての良いスーツを着た小林秀雄が、それぞれ目の前にいることを想像します。 著者は極めてスピリチュアルな行為と表現しているが、主体が著者なので、何もスピリチュアルなものではあるまい。 この文章はちょっと無理があるなと思ったのであるが、それはともかく、こんなふうな読み方もあるのだなと思ったら、思わず抜き書きしたくなった、というわけだ。 あと、能動的読書。 さらに効果的な能動的読書も存在します。 手間はかかりますが本を書き写すことです。 読書ノートに出力しながら本を読むことは赤線引き以上の集中力・労力を必要とします。 線引き読書よりもさらに能動的な読書であると言えます。 読書論(術)としては極めてオーソドックスな読書のやり方の一つだ。 しかしながら、この方法は、実に時間がかかる。 そしてやっているうちに飽きてしまう。 じゃあ、あーた、いつも抜き書きしているあーたは一体何者?となりますな。 抜き書きの方法はいろいろ試してみましたよ。 まず本ブログ、これは、下書きにためておくのだが、その際、口述をするのだ。 今のコンピュータは本当に性能が良く、読んだ言葉を極めて正確に文章にしてくれるので、ちょっと直すだけで使えるようになる。 エバーノートに撮影して残しておき、グーグルドライブに移すと、記事を打ちながら、脱ぎ書き部分はスマホで確認できる、などという方法も使っている。 それから、私独自の速記でノートに書き写したりもしている。 本そのものを書き写すなどということはしたことがない。
2020.04.13
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【中古】【古本】「知」の読書術/佐藤優/著【ビジネス シユウエイシヤインタ−ナシヨナル シユウエイシヤインタ−ナシヨナル シユウエイシヤ シユウエイシヤ 3041】 電子書籍については長らく自分自身の中で葛藤があったが、どうやら紙の勝ち、になりそうだ。 なぜなら、紙か電子かの議論の中で、自分自身Kindleの書籍を買い、蔵置しているのだが、その書籍をもう一度見ようなどという気持ちにならないし、多量の本を読むには図書館頼りだし、紙の本は買えば線を引きコメントが書け、ドッグイアでき、付箋も貼ったままにできる、何より、自分の知的生活が見え、安心できる、など、多くのメリットがあることに気づいたからだ。 さてその電子書籍について著者は、 では何を読めばいいのか。 教養を身につけるための電子書籍の読書術として私が勧めたいのは紙の本と同じ本を電子書籍で読む、つまり2冊目を電子書籍で買うということです。 あくまでも最初は紙で読むことを原則として紙で読んで、常時携帯しておきたい本あるいは紙の本は将来的に捨ててしまうかもしれないけれど持っておいた方がいいと思う本を電子書籍で買うのです。 なぜ紙で持っている本をわざわざ電子書籍で買い直さなければいけないのかと疑問に思う人もいるでしょう。 それは同じ本を電子書籍で買うことによって端末が携帯図書館になるからです。とする。 2冊目を電子書籍で、というのだ。 確かに携帯図書館という考えは面白い。 しかし、携帯図書館などという概念は必要なのだろうか。 前述のとおり、蔵置した電子書籍など後から読んだこともない。 私は買い直しの必要性はないと考える。 次、英語の勉強について。◎ Kwaidan中、DIPLOMACY そこで日本語訳を読んだ後はこの一篇の英文を全て覚えてしまいましょう。 日本語版の文章で4ページ程度の分量なので丸暗記するのは可能です。 頭から諳んじていきつっかえたらまた最初に戻ってやり直す。 そういう繰り返しのトレーニングを毎日2時間行えば5日から一週間もあれば丸暗記できるはずです。 なぜこのような暗記学習を勧めるかと言うとこれだけの分量を暗記すれば様々なフレーズをストックできスピーキングやライティングにも応用できるからです。 この方法は実にいい方法ではないのか。 この方法で、ムツゴロウ先生は英語をものにし東大に入ったはずだ。 Kwaidan、の、DIPLOMACY、である。
2020.04.12
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