カテゴリ未分類 0
黒川博行 0
染井為人 0
全85件 (85件中 1-50件目)
【中古】日本国史 上 /育鵬社/田中英道(単行本(ソフトカバー)) 著者の古代史観は、日本人のそもそもの始まりは、日出づる場所を求めてやってきた渡来人だから、彼らがついに行き着いた場所が現在の千葉、茨城の場所だという。 そこが日高見国であり、のちの高天原である。 その後この地が寒冷化したことから次々に西進し現在の大和山城に至って現代に至ったというもの。 これが彼の基本的な考えである。 つまり、 日高見国という自然発生的な共同体連合のような祭祀国家が、天孫降臨と神武東征を経て大和国になるとより統一的になりました。というもの。 この考えは面白いがぶっ飛んでいてにわかに賛成しがたい。 なにしろ根拠が書かれていないし反論もないし対論もない。 わずかに西からさらに行き過ぎた鹿児島と鹿嶋の類似くらいだ。 それはともかく、仏教と神道の棲み分けについて、神道は家族や共同体を信仰の基本にするものです。みんなで一緒に信仰するものです。また、 聖徳太子は個人が信じることができる宗教として仏教を受け入れたのです。 一人ひとり、考えも悩みも違います。 その違いを大事にして、一人ひとりが自分で悟りを開いていく、そういう宗教として仏教をとらえたのです。 これは重要なことでした。 「共同宗教」の神道。「個人宗教」の仏教。この二つを受け入れることで、日本人の精神は豊かに成熟していくのです。とする論はけだし慧眼である。 私はこのように仏教と神道を理論的に整理することができなかった。 父の実家に神棚と仏壇がきちんと分けられて存在していたわけがこれではっきりした。 また女系天皇に関しても極めて示唆に富んだ論を展開している。 このまま女系天皇論の議論を続けてほしかったものだ。 称徳天皇は宇佐神宮で「道鏡が皇位に就くべし」との神託があったという報告を受け、道鏡に天皇の位を与えようとしました。 ところが、和気清麻呂を勅使として派遣して調べさせたところ神託が虚偽であることが判明し、逆に道鏡を天皇の位に就けると天下は大変なことになるという神託があったことがわかりました(宇佐八幡宮神託事件)。 このときこの女性天皇は重祚までして道鏡を天皇にしたがったのだったが、重祚する前の天皇がその娘だったわけだから、この事件が起きなかったら、いまごろ天皇家は女系になっていたのではなかったのか。 このへんの些細な事実をきちんと論ぜずしてなにが愛子様だと某女性週刊誌に物申したい。 つまり天皇の男系女系の問題に関しては継体の時代の5祖前の血筋を突然天皇としたこととこの宇佐八幡宮神託事件の2つの事実を論ぜずしてあり得ない話なのだ。(10/29記)
2024.01.17
コメント(0)
昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人【電子書籍】[ 保阪 正康 ] ズバリ昭和天皇の責任はどこにあるのか。 開戦を決めたのはごく少数の官僚であり、それを天皇が追認したわけだ。 同様、終戦も天皇が追認した。 本書を読むことで、この昭和天皇のベールが剝がされる。 それを読み手がどのように感じるかは自由だろう。 でも著者が天皇憎しで天皇反対に読み手を誘導しているものではない。 明らかな事実を白日にさらしたものと言えよう。 少なくとも現代で、天皇が現人神だなどという人は一人もいないけれど、少なくともあの時代、つまり、明治、大正と来て昭和の、本書で著者は、昭和も戦後という新たな年号があると考えるべきだと主張しており、それは全くその通り、明治から昭和までの間、日本国民は、天皇を現人神だと本当に信じていて、だからこそ、あの戦争に駆け込んでしまった、という著者の、本書にはっきり書いていない主張は、私はその通りだと思う。 さらに著者は東条英機の卑怯さにも言及している。 曰く東条は、国民に根性がないからこの戦争に負けたのだ、とほざいたそうな。 そういう一面がこれまで語られてこなかったんじゃないのか。 それで、戦犯も普通の英霊も靖国に祀られて当然だという論理がまかり通っていたのだが、こと東条に関しては、まさに戦犯、靖国に祀られるべき英霊ではなかった! 先の東条の言を著者は、論理的に破綻していると評価する。 永遠の国家観を持つものが、根性をもって戦争を論じていたら、その国家が破綻するのは目に見えているのだから、つまり戦争根性論、戦争で参った言わない論は、論理的に破綻しているというのである。 全くその通りである。 このほか、皇国史観に基づく2.26事件の真相、その際の天皇の言動、昭和45年11月25日の三島事件の論理等本書は実に面白い歴史論だった。 昭和史を専攻するものが一読すべき書である。(10/17記)
2024.01.03
コメント(0)
アマテラスの暗号 [ 伊勢谷 武 ] 本書を小説に入れない訳はおよそ小説の体をなしていないからだ。 ただし古代史的にはとても面白い。 前回は(今日、何読んだ? 200628 )(今日、何読んだ? 210117)と令和2年,令和3年に読んでいるが,そのときもあえてカテゴリーを歴史にしたのだった。 たしかに本書に羅列された日本古代史やら日本語と古代ユダヤの歴史や物品、言葉の相似は,作者が言うように否定すべき合理的な理由がない。 したがって本書は古代史的には実に優れたものなのだ。 それがつまらないストーリーで歴史のダイナミズムを薄められたのが実に残念だ。 それはともかく,まずもってアマテラスが男性であったこと,アマテラス以下の神々はアマテラスそのものでそれが神武に繋がったということ,そしてなによりアマテラスはYAHAだということは私も納得できる。 つまり天照神道は唯一神なのである。 その神はYAHAで,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の神と同じなのである。 アマテラスが女性になったのは持統天皇の仕業である。 持統が自分の政権基盤を強固にするためアマテラスを女性にしてしまったのだ。 大嘗祭の儀式で天皇が神坐に臥すのはキリストの復活を表すものだという。 いずれ六芒星やら言葉の類似やらとにかくその裏付けは説得力がある。 だから本書の歴史部分は私なんざあ,これが定説?と思えてしまうのだ。 残念ながら伊勢谷武という作家はメジャーじゃなくてその分せっかくの慧眼も闇に埋もれてしまう。 それに訳のわからんサスペンスを盛り込んだばかりに興味深い古代史論が日の目を見ることができないのだ。 私はこの伊勢谷の古代史論に対する明確な反論がほしいですなあ。 その2つを対比して私は決着したいのだ。 少なくともアマテラス男性論,神宮の神がアマテラスに非ず論は巷間囁かれていることだと私は認識している。(2/9記)
2023.04.27
コメント(0)
伊勢神宮の暗号【電子書籍】[ 関裕二 ] 皇祖神が祀られていると言われながら史上持統天皇と明治天皇しか参詣したことがないのだとか。 言わずもがな祀られているのは天照大神。 つまり太陽神ですな。 著者はここから読み解いていくわけだ。 太陽神つまり陽、性で言うと男性だ。 なのになぜ天照は女神なのか。 ここが古代史の肝なんでしょうな。 女神にしたのは持統と不比等の仕業らしい。 この辺の著者の推理には、私も賛同する。 そもそもその天照がもともと男性でありそれが著者によれば出雲系で猿田彦あるいは武内宿禰ではないかというのだ。 ふむ面白い。 そもそも古代史は何も決まっていないのだから発想は自由でよろしい。 それだけにどうしても無責任な根拠のない空想話が多くなってしまうのには辟易する。 ただたしかに皇祖神と言いつつ歴代の天皇が参詣していない点は大きな謎だ。 またそもそも天岩戸事件で女性が面白おかしく踊ったのだから(当ブログでは表現が規制されることがあるのでこのように書いてみました)岩戸の向こうにいるのは男性であるべきだ、という推定も私は正しいと思う。 それらを考えればすなわち天照大御神というのは男性であるべきだというのは正しいんじゃないのかな。 神武、崇神、応神、継体各天皇に関する著者の考察、つまり神武=崇神、応神でその順番がじつは違う論、とか継体が出雲から送られてきた天皇だ、ということは数多の学者が指摘していることで、何も真新しいことではないと思うので、できれば出処を明らかにしてもらって、あたしは誰々さん言っているこの話に賛成なんですよ、あなたはどう思いますか、的な書き方をしてほしかったな。 とにかくこの分野はまだまだまとまりがつかない。 故に女系天皇はまだ認められないと、こういう結論になる。
2022.08.08
コメント(0)
九代将軍は女だった! 平成になって覆された江戸の歴史【電子書籍】[ 古川愛哲 ] このセンセーショナルな題名につられて本書を買う人は多かったろう。 たとえば、誰も知らない江戸時代の真実、なんて題名だったら販売部数はずっと減ったろうな。 でも本書は家重女論が主ではない。 紛れもなく江戸時代の真相をつつく名著なのだ。 そのうちでも際物の家重女論であるが、これは本書では一番信憑性のない眉唾物だと読んだ。 家重が言語不明瞭、当時の男子としては平均より小さめの身長、小便が近く小便公方と呼ばれていた、大奥に入り浸りだったことから、言語不明瞭なのは女性であることを隠していたからだ、身長が低いということは女性である、小便公方と呼ばれたのは女性であることから便所を其方此方に備えなければならなかったからだ、女性だから女性だけの世界大奥に入り浸っていた、という論理から家重は女性だと結論づけたのだ。 しかし言語不明瞭なのは脳性麻痺のせいと言われているし、身長は当時の男子の平均身長より1センチ位しか低くなく、小便が近いのは何らかの病があったからであり、将軍だからこそ大奥にいただけの話となれば、彼が女性であった根拠は希薄になる。 この家重女性論よりも家康の深慮遠謀つまりその超長期政権のための布石としての情報網整備であるとか、子作り論、それに家康影武者論はじつに信頼に足る歴史論である。 また忠臣蔵の深奥に不通があったという論は今までにない話で浅野が吉良に斬りつけたわけが納得できうる話だった。 そのほか江戸時代の面白話が満載の本書は先に書いたとおり歴史書として名著である。
2022.04.30
コメント(0)
スゴすぎる古代弥生語の衝撃 上・中・下巻 萩原継男 ちょっと体裁が良くなくてこれもまたKindle Unlimitedの特徴となろう。 古代弥生後は一音一義なのだそうだ。 そこから追って行ってたとえば、わだつみ、ということについて、ウィキペディアに掲載してあることは真っ赤なウソだと論陣を張る。 ウィキペディアの出典は高名な学者らしいからその点で著者はすごい度胸と自信の持ち主だとなろう。 私は、わだつみ、に関しては著者の論に賛成だ。 ただし本書が問題なのは、というより著者の論陣が無謀なのは、つまり対論がないことと根拠が載っていないことだろう。 だから一般論には程遠い内容ということになる。 ただ1つの古代日本に関する論の提示としてみれば、本書はとても面白い内容なのである。 ただ体裁を整えてほしかった。 子供の文集でないのだから。 本書で述べられている著者の人生論について つまり煩悩と菩提とは およそ反対の世界ではありますが 両方とも”わたし”の中での「自己同一の真実」であるのでこれを「絶対矛盾の自己同一」という西田哲学の言葉で表現することもできるということです。 さて ここまで来ると「人はどこから来て どこへ行くのか」という大昔からの またタヒチに住んだ画家ゴーギャンのように 生涯の一大事として この問題の解決を求めるようになる人々が出てきます。 そして ここまで考える人ならば 当然「人間とは何か 自分とは何か」という疑問も当然起こってくることでしょう。 そこで 自分がこれまでの探求の中でえられた一応のこれらに対する結論を提示して見たいと思います。 結論から申し上げれば 古代神道の次の簡潔な表現が ひょっとしたら一番分かりやすいのではないかと思います。 すなわち「人は神から生まれて (煩悩具足の)人間として生き やがて いつかは 究極には もと来た神の世界に帰ってゆくのだ」ということです。という。 この言葉に読み手は救われる。 上記のようであれば自分とは一体何者かなどと悩む必要はなくなるのだ。 ただその根拠がないから人は悩む。 少なくとも煩悩を味わった我々はまた神の世界に帰るというそれだけの話に自分とは何者だと悩む向きには本当に救いの言葉となるのだ。 古代弥生語と言いつつ人生論も上品に表現してくれた。 本当に根拠がしっかりしていればすごい書物になったろうに。 残念だ。
2021.11.29
コメント(0)
日米戦争を策謀したのは誰だ! [ 林 千勝 ] しかしそれにしても学校の歴史の授業というのは一体何だったのだろうか。 そもそも僕らは終戦後10年余で生まれその後歴史を習ったものだから、多分に自虐史観に則り誤った国史を教え込まれたことは間違いのないことだが戦後76年にしてだんだんにあの戦争の真実もわかるようになってきた。 著者はまずルーズベルトを挙げる。 彼は共産主義者を利用してソ連と組みドイツと日本に戦争を仕掛けたのだそうだ。 日本では近衛文麿が真の戦犯だと言う。 これらの出来事がひとりの首相の下で起きたのです。 大東亜戦争への道はイコール近衛内閣です。 そして近衛自身は共産主義者ではありませんでしたが、多くの共産主義者たちを政権や政権周辺に取り込みます。 近衛はとかく優柔不断であったとか、何かあるとすぐ病気になって寝こんだと語られています。 そんな彼の真意は、実は、昭和天皇を廃して、藤原氏の筆頭として自らの覇権を打ち立てることにあったのです。 そのために、共産主義者たちを利用して戦争を泥沼化させて大日本帝国を存亡の淵に陥れ、アメリカ軍をして皇軍を潰させるのです。 皇軍を失い丸裸となり、かつ敗戦の結果として戦争責任を負う昭和天皇には退位して貰い、進駐してくるアメリカ軍を御しながら文麿が国の統治を担うのです。 正に二十世紀の「藤原道長」です。というのだ。 実は近衛文麿は藤原文麿なのだそうだ。 あの藤原家の血を引き継ぐもので日本随一の名家なのだそうだ。 それが上記の通り覇権奪取を狙ったのが先の大戦の真相なのだと言う。 第一次近衛内閣成立後、近衛と風見は軍と結びつき、時に軍を煽って自らの企図を実現していきます。 まずは支那事変の拡大です。 近衛内閣誕生を待っていたかのように昭和十二年(一九三七年)七月七日盧溝橋事件が起こります。 中国共産党の工作によると思われる発砲・衝突事件です。 盧溝橋事件勃発の三日後の七月十日、風見は日記に「陸相は事態悪化の危険性をみとめざりし」、「閣僚の足止めを解かれては奈何との申出あり」という杉山陸軍大臣の事件への冷静な判断を記しています。 国民政府の蔣介石や汪兆銘は、西安事件後の「一致抗日」という風潮に対して国共合作を漸次受け入れながらも、「民力の増進」を第一として抗日にブレーキをかけていました。と日本が戦争に向かった裏には近衛の深慮遠謀があったというのだ。 そもそもあの真珠湾攻撃はすでに米側が知っていたというのが定説になっており、日本は開戦するよう仕向けられたというのが本当らしいけれどそう仕向けた輩が近衛文麿だというのである。 それよりも何よりもなぜあの戦争を止められなかったのかあるいは誰がどう考えても無謀な開戦に何故向かったのかと言うのは大いなる疑問であり簡単に結論付けられるようなものではなかろうが、本書のような論があってもよろしいのであり、日本の近衛、米のルーズベルトのそれぞれの思惑から仕掛けられた戦争だと著者は主張するのだ。
2021.08.08
コメント(0)
世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史 [ 茂木誠 ] ようするに科学が歴史をも明らかにする。 決め手はY染色体とミトコンドリア。 Y染色体は、男系の、ミトコンドリアは女系の流れを明らかにする。 つまりジェンダーなんたら以前に男女の性差は我々が生物である以上認めざるを得ない純然たる科学だということだ。 それはともかくそれによって明らかになったことは、我々日本人は大陸人でも半島人でもないということ。 それが明らかになったことは快哉だね。 それが今は定説と言うよりもガチの事実だということ。 それから、継体天皇時の王朝交代も事実として認めざるを得ないだろうね。 本当はそこのところを明らかにするため、天皇家には協力してもらいたいところなのだが…。 しかしそれにしてもクリスチャン弾圧は人権侵害以外の何物でもないと教えられてきたところ、実はイエズス会主導で奴隷売買がなされていたのだと言う。 こんなのどこの教科書にも載っていなかったぞ。 こういう学校授業の歴史の嘘ぱっちんの話というのは、為政者の歴史操作でもある。 それに乗る歴史学者はもっと悪い。 事実は事実として公表しなければだめでしょう。 ああそれにしても本当に歴史特に日本史に関しては嘘ぱっちんばかり教えられてきたんだな。 それを暗記させられて受験に臨んで…。 我々は韓国からなんだかんだ言われているけれど、正しい歴史を理解すれば、彼の国にへいこらする必要性はどこにもないのだ。 むしろ恥ずべきは彼の国なのである。 そしてこの国には恥ずべき人が大勢いるということだ。
2021.06.27
コメント(0)
さらにざんねんな韓国の歴史 三千院心 別に韓国の歴史を知ろうとは思わないが、著者がわざわざ書いた力作なので読み始めたわけだ。 結局この国の基本は僻みなんだろうね。 大陸と島国から挟まれた半島の生き様が結局いわゆる卑怯者の論理というわけだ。 卑怯なことも言い続けていると、真実めいてくる。 でも真実ではない。 近頃のDNAの研究結果、我が大和民族と朝鮮人は違う種族だということが明らかになったことは実に喜ばしいことだ。 終戦直後から長い間私達は自虐史観に苛まれてきた。 しかし真実は明らかだ。 何も私達が特に朝鮮に対し卑屈にならなければならない道理はないのだ。 要するに彼らは、大陸につくか島国につくかの二者択一を迫られ、結果大陸の属国になったということでしょう。 そして卑怯者の論理。 嘘も真実めいてくればそれでいい、真実などどこにもないのだ。 そうは言いつつつまり今の北朝鮮部分になろうが、高句麗は、つまりKOREAの語源なんでしょうけれど、韓国の民とは違うらしいですぞ。 なんでも満州のあたりの民族らしい、北朝鮮人は。 ということで、何も統一する必要もないということなんでしょうねえ。 中国だって、今さら漢民族が云々なんて言っているけれど、そもそも蒙古から襲われた長い間、元という国だったはずなのだ。 まあとにかく、韓国よ、嘘はやめようぜ。 それから終わった契約をもう一度復活させるなどという暴挙はしないでほしい。 先に読んだ、在日の方の本を読んでも真実は明らかなのだ。 もうこれ以上嘘を言うのはやめてほしい。
2021.05.31
コメント(0)
アマテラス・サーガ 榊正志 本作は、小説なのだが、日本古代史に関し正確な記述が多く、私は敢えて歴史のカテゴリーに入れた。 次の一文は、まさに日本古代史の肝を突いている部分である。 「(略)ここで私が問題提起させていただきたいのは、日本の神話が少なくとも三度にわたり支配者によって書換え、もしくは改ざんされてきたということです。 一度は、継体天皇がたてられ、『古事記』、『日本書紀』が編纂されるまでの約二百年間。 明らかに皇統は継体天皇前後に断絶があります。 そして二度目、六四五年の乙巳の変、そして時を同じくして行われた国書やその後の各地の風土記の消失、もしくは隠滅。 そして三番目は、明治政府による国家神道です。皇統は国家権力によって強力な神となり、ゆがみを生みました」 天皇制について、女性だの女系だの言っているけれど、一体どれくらいの人が正確にその論点を掴んでいるのだろう。 メジャーな女性週刊誌でさえ、ただただ女性天皇云々と言ってその真相を理解して記事を書いていない。 当然記事をデスクがチェックしているであろうから、そのデスクですらこの女性、女系の話を理解していないのだ。 これらの天皇は天皇に即位されてから、寡婦もしくは未婚を貫き(道鏡事件などのスキャンダルもあったが)、天皇家以外の男子の血(遺伝子)が入ることを守ってきた。 女系天皇は、皇后の家系につながる男性もしくは女性が皇位につくことを意味しており、後者は男系遺伝子が絶える、言い換えれば別の男系の家系が皇統に入り込んでしまう、ということを意味している。 とただそれだけのことなのだ。 それが正しいのかどうかは、先に抜書きしたとおり、3回もの捏造が疑われるのだということ、このことを明らかにせぬまま女性だの女系だの言うわけには行かないということ。 この3回の捏造の間、天皇家の男系が成立しないことが証明されたら、これは男系を諦めなければなるまい。 それすら証明せぬまま、女系を認めたら、それは日本固有の文化を失うことになる、そういうことなのだ。 あー、それにしても、本作は、月読尊と卑弥呼が恋仲だったことから始めて、それを傍系にして、無理に誘拐事件を作り、そこになんだか知らないが武器まで出して、そして、警視庁長官、などという新たなポストまで作り出し、一色云々という女性刑事まで出しながらその刑事が全く作用しないという、小説としては下の下、読んで悔しい思いをしたのだった。 警察に関する取材ができないのなら、書かなければいい。 警視庁のトップは警視総監、警察庁のトップは警察庁長官、これくらいは最低覚えておいてほしいものだ。 無理に話を作ろうとするから、それこそ著者自身が言う捏造そのものではないか。 その結果冒頭の歴史論が根っこから信頼ならないものになってしまうのだ。 そしてこの著者の最悪の欠点は、文章力のなさだ。 それでも付き合えたのは、冒頭のしっかりした日本古代史論があったからだ。 下手な小説にはあまり付き合いたくないな、それが今回の偽らざる感想だ。
2021.05.30
コメント(0)
生駒の天孫 ニギハヤヒと稲蔵神社 森田一彦 ということで、一体天皇家はどれだけ真実を隠しているのだろう。 ニギハヤヒノミコトとは、神武天皇が九州から大和(奈良)へと東征してきたとき、すでに大和に拠点を築いていた、もう一柱の天孫です。 つまり、天皇家の他に有力な名家があったということだ。 それが、神社として残っているのだ。 大和王朝以前に奈良に存在した、天孫ニギハヤヒを仰ぐナガスネヒコ王朝。 その拠点が生駒にあったのです。 日本は、そのニギハヤヒノミコト系のナガスネヒコ王朝に、九州から来たニニギノミコト系の神武王朝が取って代わる形で、建国されました。 つまり、万世一系という幻想に紛らわされてはいけないということ。 真実から目をそらしてはいけない。 稲蔵神社の話は書類として残っているのだ。 だから、信憑性がある。 そういう細々とした事実を集めて本流にするという研究者が少ないのではないのか。 そして、本書も含めてばらばらに意見が出ているもんだから、まとまらないのだ。 本流と自負するものに明らかな証拠がないのだから、傍流は、どんどん証拠固めしてほしいものだ。
2021.05.25
コメント(0)
統一倭国と神武東征 森井章太郎 結局歴史というのは証拠がなければ語れない。 証拠がなければ絵に描いた餅だ。 その証拠が特段不足しているのが日本古代史ということになろう。 日本古代史から現代に連綿と続いているものに天皇制があるのだが、これが古代の成り立ちの部分が未だ謎のままだ。 特に、卑弥呼、邪馬台国との関係が不明確である。 更にさかのぼり、縄文、弥生の境などについても、 つまり、それは、縄文人であるとか、弥生人だとか、別種に区分けされる人種などは存在せず、交流による混血は起こったであろうが、縄文期と弥生期を人種的に分断するほどのものではなく、弥生時代とは、縄文人自身が弥生人として新たに築いた時代であったことを物語っているということなのである。ということがDNA鑑定などから明らかになっている。 つまり私達が小中学校で習った古代史が根底から覆されたということだ。 ゆえに、天皇制については、 いや、捨てたのではない。始祖でもない人物を系図にいれなかっただけのことなのだ。 神武たちは天孫たちの下支えをしていた集団から抜け出し、筑紫や宇佐、吉備など倭国の主要な地域での役人を経て、中央への進出を期して過ごしていたある時、東征と云う勝利すれば出世が保証される戦いに参加する好機を得、積年の夢を実現した。 そこに邇邇芸命たち先代は何の関わりも持たない存在ではあるが、ただ、中央に進出した神武にとって出自を語る場面では邇邇芸命(天孫)からの家系であると仮託したのだろう。というあたりがごもっともという感じだ。 そうして藤原不比等の日本書紀による古代史の捏造につながっていくのだ。 合理的に考えれば、上記のようなことが十分に考えられ、しかも支持に値する論ということになろう。
2021.04.12
コメント(0)
「勘注系図」を読み解く 桂川光和 桂川史学が面白いのは、古代史の中の重要な部分である卑弥呼・邪馬台国に関する系図を元にした考察である。 日本古代史の研究において記紀の研究は重要な部分であるが、その記紀に卑弥呼・邪馬台国の記述が全くないことが知られており、そのことが逆に様々な憶測を呼んでいることも確かだし、さらに遺跡の発掘などによって日本の古代史がだんだんに明らかになるにつれ、現在の天皇につながる天皇家の流れの前にあったはずの卑弥呼・邪馬台国の問題がまるでミッシングリングのようになって統一的な見解がないままに今日に及んでいるのだ。 それに対して著者は卑弥呼が現代につながる天皇家の一員であったことを系図から明らかにする。 例えば 系図は始祖を天火明命(あめのほあかりのみこと)とする。 天火明命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の児、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の児とされる。 天皇家の祖先とされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄とされる人物である。 このように神代まで遡る系図である。 『勘注系図』は最奥之秘記として海部氏が、千年以上に渡って隠し続けて来た系図であるが、昭和五一年国宝に指定され、平成四年『神道体系古典編一三』に活字化されて収録された。 これにより誰でもその内容を知ることができる系図となった。というような系図を読み解くことによって卑弥呼と思さる女性が現在につながる天皇家の中にいるということを推定していく。 そのことがさらにまた別の角度から科学的に明らかにされればミッシングリングが繋がるということにな 宇那比姫命の夫が、天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)命という系譜は、思いもかけぬ事実を明かすことになった。 天足彦国押人命の弟は、倭足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)すなわち六代孝安天皇(こうあんてんのう)である。 したがって六代孝安天皇は宇那比姫の義理の弟となる。のような記事は中国の歴史書でも明らかになっていることであって、つまり卑弥呼に弟がいたということですね、そこから様々なことが読み解けるようになる。 実は桂川史学恐るべしなのである。
2021.04.07
コメント(0)
景行紀 支配地の拡大 桂川光和 さて桂川史学であるが、著者がいみじくも最後に語っている通り、日本書紀=皇国史観ということで日本書紀そのものが全否定されているという現在の日本古代史観に鑑み、それに対抗する形で自らの考えを述べている本書は、その中でも景行天皇の時代の日本武尊に関して多くの記述が割かれている。 桂川史学は、皇国史観に基づく先の戦争遂行が 太平洋戦争において戦争遂行のために、天皇の権威が絶対視された。 天皇を神とさえする思想によって国民を戦争に駆り立てた。 惨めな敗戦でこの戦争が終わると、天皇を絶対視した思想は否定され、その思想の元となった、『日本書紀』の歴史書としての価値を否定することとなった。 歴史書として価値を否定する立場の考え方によると、『日本書紀』は、大和朝廷の正当性を主張するために書かれた物語であり、その多くは歴史的事実ではないとする。 特に四世紀以前と思われる部分は、歴史史料としては扱えないとする。というような結果になり、そもそも嘘で固められた日本書紀は、日本古代史研究に何ら価値がないとする現在の史学界の考えに対抗する形で今まで述べられてきたのだという、著者の熱い思いが本書により語られていることが判明した。 日本書紀の全否定による日本武尊の話の捏造疑惑について著者が真っ向から否定しているということなのだ。 日本武尊はその東征の北限について著者は会津ではないかと推察する。 日本武尊の話が日本各地に残っているということは事実であり、それが日本書紀の全否定には至らないということの著者の根拠でもある。 私は、否定する証拠が何一つないと思うし、さらに全国に日本武尊の話があるということであれば、著者の考えを支持したい。 『記紀』が伝える日本武尊の話は架空の物語であるとする説がある。 だが架空の物語ではない。 『日本書紀』には、日本武尊の東征に従軍した吉備武彦、大伴武日、七掬脛(ななつかはぎ)や、妃とされる弟橘姫(おとたちばなひめ)、宮簀媛(みやすひめ)が登場する。 これらの人々をそれぞれの系譜の中に確認できる。 また一部の系譜では、日本武尊に従軍したことを記す。 系譜上の世代位置は日本武尊の時代の人とすることに矛盾はない。 世代位置に矛盾を来さないで、架空系譜を創作することは不可能である。 日本武尊の東征伝承を系譜伝承から裏付けることができる。 さらに古墳から考える景行天皇らの時代の確認であるが、その考察も正しいものであると本書を読んで私は感じた。 つまり本書は桂川史学の根本的な考えを述べている桂川史学における重要な一冊ということになろう。 日本書紀についてはそもそも皇国史観の、あるいは大日本帝国軍国主義の台頭の、または明治維新の天皇を現人神という考えの根本になった以上に、現在の古代史の研究では藤原不比等らによる現天皇制の根本的な歴史の一種の捏造が語られているわけだけれども、著者の言うように日本書紀の一つ一つの文章を吟味して捏造なのか正史なのかこれから判断していく他に方法はないと私は考える。
2021.04.02
コメント(0)
多彩な伝承を持つ垂仁紀 桂川光和 さて桂川史学まさに絶好調。 しかしそれにしても定説について、今日、邪馬台国畿内説をとなえる人の多くは、纏向こそ卑弥呼の王都とする。だが纏向は、邪馬台国の王都ではあるが、卑弥呼時代の王都ではない。十代崇神、十一代垂仁、十二代景行の宮の在った場所である。卑弥呼の時代から二、三十年後に始まる王都の場所である。と自信を持って唱えるのだから、すごいものだ。 そもそもそれはなんの証拠もないことでしょう。 一方、纏向遺跡については、数多の学者が卑弥呼の王都と傍証を挙げて述べているのだから、著者の勇気はすごいものよ。 それはともかく垂仁二五年の条に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊勢神宮鎮座の経緯がしるされる。天照大神は、天皇家の祖先神とされる。天照大神を祭る伊勢神宮は、明治の皇国思想によって最上位の神社とされた。戦後は神社庁により全国神社の本宗とされる。天照大神は、元から伊勢に祭られていたわけではない。伊勢に祭られるようになるのは、垂仁の時代からである。として天照大神についても著者は意見を述べる。 たしかに天照大神が祀られるようになったのは明治の皇国思想によるものだろう。 そもそも天皇家が明治以前は伊勢神宮に参拝することはなかったらしいからね。 ようするにそういうはっきりしたことから、類推できることはたくさんあるわけで、つまり、天照大神が皇祖神ではない可能性は高く、そこから類推してもしかしたら天照大神は卑弥呼かもしれないという推測も成り立つわけだ。 明らかにすべき課題は、卑弥呼と天皇家の関係、なぜ記紀に卑弥呼が載っていないのかを明らかにすることだろう。 これが日本古代史の最大の課題だと私は考える。
2021.03.25
コメント(0)
中興の祖、崇神 桂川光和 これまで様々な日本古代史の本を読んできた。 その結果私の頭の中で少しずつ整理されてきた。 問題は、卑弥呼と邪馬台国、そしてこれらが記紀に出ていないことである。 この問題が明らかになれば、日本の古代史は明らかになる。 今のところ、卑弥呼と邪馬台国は、現天皇家とは違う系統ゆえあえて記紀に入っていないこと、したがって天照大神が卑弥呼ではありえないということになる、らしい。 ところが桂川史論では、卑弥呼は現天皇家と深く関わっているということになる。 次のようなエピソードを出し、 櫛箱(くしばこ)の中に入っているから驚くなという。 翌朝、櫛箱を見ると小さな蛇が居た。 驚くなという大物主の言葉に反し、驚いてしまった倭途途日百襲媛は、尻もちをつき、箸で陰部を突いて死んでしまう。 そこで大市という場所に葬られる。 その墓を箸墓(はしはか)という。 現在奈良県桜井市にある箸墓古墳という、全長280mの前方後円墳のこととされる。 箸墓はその後大和朝廷が作り続ける、前方後円墳という特徴的な墓の最初の墓である。 しかも280mという巨大な墓である。 崇神はなぜ一介の皇女である、倭途途日百襲媛のために、巨大な墓を造る必要があったのか不思議な話である。箸墓に祀られているのが一体誰かと推測する。 箸墓は、上記の通り前方後円墳であり、定説では卑弥呼の墓とされる。 それにあえて著者は異論を唱える。 この墓は、卑弥呼の後の女王の墓だと比定する。 そして、神武も存在し、その神武と崇神について、 それではなぜ二人が、最初に国を治めた人という、同じ意味の名前を持つのかである。 神武は、最初に大和朝廷を打ち立てた人である。 文字通り大和朝廷の初代である。 一方、崇神は、中興(ちゅうこう)の祖なのである。 中興の祖とは危機的状況にあった政権を立て直し、安定させた人物を意味する。として、神武以下の天皇の系統はまさに万世一系だと断ずるわけだ。 そこに卑弥呼もかすっているという推論を主張する。 しかし果たしてそれでよろしいのだろうか。 私は、桂川史論における卑弥呼に関する推測は面白いと思うが、天皇家に関しては大方の論者が言うように神武=崇神でよろしいのではないかと思う。 神話も記紀も現天皇家に都合良く書かれたものだということは、これまでの研究ではっきりしていることであり、それから推察される大方の定説は正しいものだと思われる。 したがって桂川さんには、ここで、卑弥呼と邪馬台国に特化した研究をし続け、何らかの結論を出してほしいものだ。
2021.03.24
コメント(0)
欠史八代の時代 桂川光和 著者桂川光和は独特の古代史観を持つ人で、古代史の定説に真っ向から切り込み異論を展開する。 定説では欠史八代はないことになっていて、神武=崇神で決まりのようなことになっている。 彼はそこに欠史八代こそ、記紀にない卑弥呼についての謎が隠されていると推理するのである。 『日本書紀』は神武に続く天皇として二代綏靖(すいぜい)以降の天皇名を記す。 だが、九代開化までは、その時代に起きた出来事や天皇が行った事について、ほとんど何も記さない。 したがってこの八代は欠史八代と称される。 その時代とはおおよそ神武に始まる二世紀から三世紀代の事である。 二世紀後半から三世紀前半といえば、中国史書『魏志倭人伝』や『後漢書倭伝』に記される邪馬台国の女王卑弥呼の時代である。 最大の関心は、この邪馬台国と、後の大和朝廷とが、どのような関係にあるかである。 定説では、邪馬台国は纏向遺跡、卑弥呼の墓は箸墓古墳だ。 しかしここも彼は異論を唱える。 そしてこう展開する。 台与が竹野媛であれば、台与と一緒に爵位を受けた男王とは、九代開化である。 この時の朝貢の主は女王である。 台与すなわち竹野媛である。 竹野媛は単なる開化の妃ではなく、大和朝廷の最高権力者なのである。 またこの事によって、欠史八代としてその実在が疑われる天皇の実年代が明らかになる。 二六六年に開化は、中国王朝の爵位を受けたわけであるから、開化の実年代は三世紀の中ごろである。 著者は卑弥呼が大和朝廷や天皇と深く関わっていたはずだと推論し、それが欠史八代に埋もれているというわけだ。 著者の論について定説側が明らかな証拠で突き崩すことができないのであれば、著者の推論をもっと推し進めてもいいような気もするが、未だなんとも言えない、というのが読み手である私の結論だ。
2021.03.23
コメント(0)
古代日本人と朝鮮半島【電子書籍】[ 関裕二 ] 著者は古代史研究に関しアマチュアと称し自由に発信し続けている人だ。 自由だけにときには話がぶっ飛んでしまう。 だが、自由だからこそそういうぶっ飛び話が許される側面もある。 ぶっ飛んでいるから真相でないということもあるまい。 そして自由と言いつつ、ここ近年で明らかになった科学的なこと、考古学的なことは無視できまい。 たとえば、 問題はD(日本人の場合D2)で、日本人男性の30~40パーセントが、このハプログループに属しているが、日本周辺で、これだけ高い頻度でDのハプログループが集まっている場所はない。などということから、日本人が中国人や朝鮮人とは違う人種だということがわかる。 このことは日本に大量の大陸人半島人が流れ込んできたわけではないことの証左になる。 そしてこのことは真実なのだからそこを踏まえた日本古代史論がなされてしかるべきということになる。 日本古代史論と言えば、記紀を抜かすことはできない。 そして、日本書紀は国史だ。 その事実は、 古代史を読み解くために『日本書紀』は必読書だが、権力者による政治的な意図が込められた文書だったことを肝に銘じておく必要がある。 『日本書紀』編纂には藤原不比等が大いに関わっていた可能性が高いのだが、藤原不比等は蘇我本宗家(本家)を潰そうと躍起になった中臣(藤原)鎌足の子だ。というもの。 さて藤原不比等によりどれだけの日本古代史の捏造がなされたのか。 それを読み解くことがこれからの日本古代史で極めて重要なことなのである。 今は、著者のような自由人が自由な発想で想像しているときなのだけれど、上記のような2つの事実とか、纏向遺跡の発見、などで50年前に明らかでなかったことが明らかになっている。 そろそろ日本古代史の研究家には本腰を入れてその謎を解明してほしいものだ。
2021.03.08
コメント(0)
古代史から読み解く「日本」のかたち【電子書籍】[ 倉本一宏 ] 本書は上記著者の他、漫画家里中満智子の共著である。 日本古代史は実に謎が多く、卑弥呼、邪馬台国、記紀、数々の遺跡等々決まらないことが多い。 特に記紀のうち日本書紀は国史として編纂されたものであり、 大王天智から天武天皇、持統天皇の時代、権威と権力が重なっていたため、民に無理を強いることもあったと思います。 しかし、日本を先進国として認めてもらうために、律令制を整えること、都を作ること、歴史書を編纂することの「先進国三点セット」を断行したのです。 このなかで歴史書、つまり『古事記』『日本書紀』については、天皇家に都合のいいことばかり書いてあって、事実であるか疑わしいと言われます。 確かに、権力者が歴史を好き勝手に捏造したり、改竄したりしているほうが、話としては面白いですが、それほど簡単なものではありません。 事実を歪めて書けば、社会的な信用をなくすだけでなく、自分の立場も危うくなるからです。 ですから、当時の日本人たちは、英知を結集して歴史書を編纂したに違いありません。 特に『日本書紀』は、長い歴史を持っている中国に対して、日本もこれだけ長い歴史があり、大昔から独立国として存在していたと主張するための根拠として編纂されたのでしょう。 などの説は定説的になってきている。 つまり、日本古代史は、大王天智、天武天皇、持統天皇のあたりが境になっていると言えよう。 そこのところで編纂された歴史書の、何が本当で何が捏造されたのか、というところの読み解きが今後の日本古代史の解明に必要なことになることは言うまでもない。 それにしてもとにかく記紀に卑弥呼、邪馬台国の記載がないのがどうしても気になるのは私だけだろうか。 本書で天皇の継承問題について 先日、テレビ番組を見ていて驚いたのですが、「女性天皇」と「女系天皇」を混同している人がいました。 男女平等の時代だから、天皇が女性でもいいではないかとよく言われますが、きちんとした知識は持っておくべきです。 皇室典範では、皇位継承は父親が皇統に属する、いわゆる男系男子とすることが定められています。 皇統譜(天皇、皇族の戸籍簿)では、天皇家は今上天皇まで百二十五代を数えます。 そのうち女性天皇は八人おりましたが、すべて男系です。 そして、女系天皇はひとりもおりません。 一時はあれだけ女帝論議が高まったのに、秋篠宮家に悠仁親王が生まれた途端に消えてしまいました。 議論をしている国会議員たちは、次の次の次の天皇を決める頃には自分は生きていないと思っているので、真剣な議論をしないのです。 このような風潮はよくありません。悠仁親王にふさわしい妃が見つかるか、見つかったとしても男の子ができるか、男の子を授かったとしてもうまく育つか、など不確定要素が多いのですから、きちんと議論をしないといけません。 天皇は国民統合の象徴だというのならば、政府は国民が納得するような対処をする必要があると思います。と述べているが、これは正論だ。 特にメディアが上記のようなきちんとした説明なしにやれ女性だなんだと言っているのは、フェアでない。 また生物学的にY染色体云々ということをだしにしてそれがさも科学的な話だ、みたいな議論も私はフェアでないと思う。 まずは、継体天皇のところを紐解かなければ、本当に天皇が万世一系なのかどうかがはっきりしないのではないか。 また古代の婚姻の様式が妻問婚であったことを考えると、この父親は母親のみぞ知るなのだから、万世一系が証明されるのは本当に容易なことではないだろう。 しかし仮に継体天皇が正当に天皇家の血を引いており、DNA鑑定でY染色体の問題も詳らかに証明されたら、それは、男系の万世一系を認めざるを得ないということになるのであり、私達はその文化を継承すべく努力しなければならないということになろう。 皇位継承に関しては、著者が言うように簡単な問題ではないから、真剣な議論が必要なのである。 なんの裏付けもない女性天皇論など論外だ。
2021.03.03
コメント(0)
検証!古代史「十大遺跡」の謎 三内丸山、荒神谷、纒向、平城京… (PHP文庫) [ 関裕二 ] 遺跡は古代史の謎の解明のための最重要なものだろう。 いくら現代人が空想をめぐらしても事実にはかなわない。 そのような遺跡を10挙げて、著者は持論を展開する。 著者いわく古代史のアマチュアだから、いくら書いても論じても許されると、著者は言う。 いずれにしろ遺跡の発見によって年代が明らかになったことも多数あるのだ。 特に三内丸山遺跡では縄文時代が弥生に先立つ先住民の時代ではなく、それらは融合して1つのものと言う流れに変わってきているらしい。 いずれにしろ古代史の謎の最筆頭は、卑弥呼と邪馬台国だろう。 これについては、纒向遺跡の発見により、邪馬台国が纒向に比定され、ほぼ定説的になっているのだが、著者は、 第一に、なぜ弥生時代後期の戦乱状態が一気に収拾されたのか。 「この指とまれ」をしたように、一斉に人びとがヤマトに集まり、ゆるやかな連合体を構築できたのはなぜか。 第二に、なぜヤマトの纒向の地が国の中心に選ばれたのかである。 そして第三に、纒向遺跡こそ卑弥呼の邪馬台国だったという考えがある。 いわゆる邪馬台国畿内説である。 と紹介し、その中の箸墓古墳については、 纒向遺跡の全容が明らかになってくると、纒向が邪馬台国だったのではないかと考えられるようになった。 時代がほぼ重なることが最大の理由だ。 特に、古墳時代の幕開けとなった箸墓(箸中山古墳)の造営が三世紀半ばと指摘する畿内論者は、「邪馬台国は纒向で決まった」と、豪語するにいたったのである。 しかし、結論を出すのはまだ早い。 仮に、箸墓が三世紀半ばの造営だとしても、だからといって、箸墓が卑弥呼の墓だったことの証明にはならないからだ。 それだけではない。「箸墓は三世紀半ばの造営」かどうかも、はっきりとわかっていない。 「もっとも古く見積もれば三世紀半ば」なのであって、邪馬台国北部九州論者たちは、 「箸墓の造営は四世紀にずれ込む可能性もある。三世紀半ばという主張は客観的なデータを恣意的に扱った結果だ」 と、叫んでいる。 たしかにそのとおりなのだ。 箸墓の年代観は、慎重に判断する必要がある。として慎重論を唱える。 この書きっぷり、たとえば、豪語する、などという言い方からも、著者は纒向遺跡も箸墓古墳も邪馬台国・卑弥呼路線とは違うという主張を展開している。 ここが大事なところで、つまり著者がそのような反論をなす以上、その証明が必要なわけだ。 いくら古代史のアマチュアだからといって証明なしに論ずるのは、本書のような物書きである以上許されないことではなかろうか。 思いのたけを述べるのはいいにしてもその裏付けがほしかった。
2021.02.16
コメント(0)
日本人基幹二系民族論による「卑弥呼の国」のその後 冨川光雄 ようするに、日本人基幹二系民族、とは、縄文人、と、弥生人だ。 つまり、著者もまた、この2つがデジタル的に別れた2つと考えているようだ。 しかし最近の研究からこの2つは1つのものとわかってきている。 何も二系などと強調する必要はないのだが、本書では、関ヶ原の戦いまで二系で論じる始末だ。 それはともかく日本古代史の大事な論点の1つは邪馬台国と卑弥呼の問題であり、しかもそれが記紀に記載されていない点にある。 ところが近年、纏向遺跡の発見とその研究により、邪馬台国はどうも奈良県にあったらしい、という論に傾きつつある。 著者もまた、 やはり「纏向」と呼ばれる地域の中でも目立って気になるのは「箸墓」であるが、ここでの「大塚」は三輪山の裾野の最も目立つ平地に1800年近くの歴史の年月を越えてその巨大で不動の姿を見せているわけで、気にならない方が不思議であろう。 しかしその名は古代的で、「語り手である女性による表現」を想わせる(その一見エロチックなエピソードと共に)いかにもあだ名めいた名まえのままで今日に至っている。(この被葬者のことは「書紀」には『箸で陰を突いて亡くなったから』——となっている。「箸」とは「天照」もよく使っていた「機織りの道具」のことではないか?——他の所でも「須佐之男」が生き馬を投げ込んだ時織女の一人が陰を突いて——という記述がある)とし、卑弥呼をアマテラスと同一視しようと試みている。 それではなぜ卑弥呼は記紀から消されてしまったのか。 それはともかく、次の著者の見解を考えてみよう。 厳粛な「未婚」を条件とされた女性にとって「生態」的には当然実子はない。 そのために(領土を巡る問題と共に)相当意味深長な後継者問題がやはり起こる。 そして当事者の二人が「生まれる子が男か女か」ということを巡って賭けをするような場面がある。 (やはり男か女かに拘っている)その微妙にねじれたような「うけひ」の細部はここでは省くが、それは「協議」と言うより「鬼道」とも言われそうな占いか賭のようなものであり、そのどこか一方的に説得するような記述もやや強引な印象を受ける。 しかしその勝ち負けはやはりはっきりとは分からないが私には結果的には「須佐之男」の方が実を取ったように思える。という見解は、アマテラスとスサノオのうけひ神話について語られたものだ。 ここにおいてアマテラスと卑弥呼、スサノオと卑弥呼の弟の関係が相似するというのだが、そのことを相当の方が支持していることは確かだ。 さらにこの関係が神功皇后や持統天皇のまきにまで語られている相似形であることは注目に値するのだが、卑弥呼から神功皇后、更に持統天皇までの時間はあまりにも長すぎていて、1つのことが語られると、2つのことが忘れ去られるというジレンマに陥ってしまう。 しかしこの3つの相似形にはなにか訳がありそうだと私は思うのである。
2021.02.07
コメント(0)
古代史は知的冒険【電子書籍】[ 関裕二 ] ようするに日本の古代史は謎だらけだから、いくらでも仮説を出すことができる、というのが著者のスタンスだ。 たしかにいくらでも仮説を出すことはいいことだろう。 しかし、それが証明できないのであれば、単なる空論にしか過ぎない。 そうであれば、知的冒険などというものにあらず、空想ということになる。 空想の知的レベルはかなり低いのではなかろうか。 それはともかく、著者は日本書紀を正史とし、古事記を軽んずる。 私は、そのスタンスが嫌いだね。 私は、日本書紀が古事記を元にして日本の歴史を藤原不比等が作り上げたものという論に賛成だ。 つまり古事記なくして日本書紀はありえないというスタンスである。 それはともかく、万世一系と呼ばれる天皇家であるが、 「越の王」の出現は、実際には王朝交替ではないかと疑われもした。 最近では、「婿入りではないか」という推理が、有力視されている。 それよりも注目しておきたいのは、継体天皇が「日本海からやってきた」という一点である。 ヤマトでは五世紀後半、強い王を目指した第21代雄略天皇が出現したが、その後混乱が続いたようだ。 第25代武烈天皇に子はなく、王統は断絶した。 そこで継体天皇を招いたということになる。ヤマトの混乱と疲弊、その間、越は、朝鮮半島と交流を深め、先進の文物を取り込むようになっていた。 たとえば「王冠」は、ヤマトよりも先に越が手に入れていたのだ。 継体天皇の出現は、日本海の復活という背景がなければ、理解できないのである。というように、継体天皇の時代を明確にしなければならない事態になっているのではなかろうか。 著者の論に賛成するの反対するのではなく、日本古代史については、卑弥呼、邪馬台国の問題と並び、この継体天皇の問題を証明しなければならない。 そのことにより場合によっては女系天皇も容認できることになろう。 明治維新により偏った天皇観に陥ってしまった弊害をここで一気に直すことが必要だ。 その天皇観について著者は、 正確に言えば、神は神である以前に、鬼であった。 神は恐ろしい大自然と考えれば、すぐに理解できる。 人智のおよばない自然の叡智を、日本人は「神」「鬼」と呼び習わしてきたのだ。 原則的に、神は怒り、祟りと災害をもたらす。 だから、神を鎮め、穏やかになってもらい、豊穣をもたらすありがたい存在に変身していただく必要があった。 また、祟る力が大きければ大きいほど、豊穣と安寧をもたらす力も強いと信じられたのだ。 だから、大きな恐怖をもたらす神ほど、丁重に祀られた。 これが、神道の本質であり、神祭りとは、鬼を神にすり替える作業でもあった。 「天皇は神だから永続した」 という話は、「天皇は大自然そのもの」「天皇は自然界、森羅万象を象徴している」と考えれば、なぜ日本人が天皇を恐れ、守ろうとするのか、その意味がおわかりいただけるだろう。とする。 著者の言う天皇神論は、現人神の考えではなく、神は鬼であり自然である、その象徴としての天皇、ということだろう。 GODを神とした誤訳が今日に尾を引いている。 日本の神はGODでは断じてないのだ。 その意味で私は著者を支持する。
2021.02.06
コメント(0)
日本史の謎は地政学で解ける (祥伝社黄金文庫) [ 兵頭二十八 ] 日本史と言えば私にとっては古代史なので、本書を読んで、ああ、日本史というのは古代史もさることながら、近現代史もあったのだなんて今更ながら思った。 ところで著者は、日本史の古代史から近現代史まで実によく研究しているねえ。 その広範な博学には敬服する他ない。 例えば、日露戦争が終えてからの満州経営に関し、 九月にポーツマスで小村寿太郎によって日露講和条約が調印された。 東京の桂はハリマンに「南満洲鉄道に関する日米シンジケート組織に対する予備協定覚書」を与えた。 ハリマンは満足して十月に帰国の途についた。 が、日本に戻った小村がこの話に激しく反対する。 桂はハリマンに与えた覚書の破棄を電報しなければならなくなった。 戦後、職業外交官にして論筆家の岡崎久彦(一九三〇~二〇一四年)は、このとき日本がハリマン提案を履行していたならば、対露でも対支でも日米はパートナーとなったはずで、日本が対米英戦争など起こす現代史の流れはありえず、第一次大戦以降の世界はまるで違ったものになっていただろう、と総括した。 それは本当だろうか?という。 普通に考えればこのとき満州の鉄道の利権を米資本に任せていれば、あの悲惨な戦争を避けることができたと思われるのだが、ここで著者は、それは違うと反論してみせる。 つまり、あの日露戦争は、奇襲であり、奇襲こそ諸国が大国に勝つ必勝法であって、そのためには決してゆめゆめ鉄道の民営化などしてはならないのだ、というのである。 そうなると、あの大東亜戦争は必然であったか。 古代史に関しても様々な記述があるが、この分野はまだまだ未開の分野であり、たとえば著者の知見によれば縄文人と弥生人は別としているけれど、現代は縄文と弥生に切れ目はないというのが有力になっており、著者の論を紹介するのはやめるとして、 桓武天皇は、単純に、自身に反抗的な政治地盤からは離れ、自身と国家の安全保障上の問題意識を共有する若手官僚たちの多い「潜在的支持地盤」へと、政治司令部を移したまでである。 桓武天皇の実母は、日本古代特有の価値観では「卑母」(天皇家の血筋をほとんど、もしくはごく薄くしか引いていない)であるとされ、そうであるかぎりは、古代母系文化(すなわち通い婚の文化)を受けついでいたエスタブリッシュメント貴族たちは、桓武天皇を尊重しようとはしない。 「通い婚」が認められているということは、貴人の実の父が誰なのか、世間には分からない、ということなのだ。貴人が貴種であることは、ただ実母のみが証明するのである。というような、桓武絡みの面白い説は傾聴に値する。 卑母の問題をたどれば、天皇の血脈も、Y遺伝子に拘泥する必要性がなくなるのではないのか。 つまり男系にこだわる必要性がなくなるということだ。 この桓武の母親に関しては平成天皇も言及しておられたことでもある。 卑母のみが貴種を証明するとは面白い言葉だ。 通い婚は確かな史実であろうから、まさに、卑母のみその真実を知っているのであり、もしかしたら桓武の父親は全く別の血かもしれませんなあ、興味ある説です。
2021.02.01
コメント(0)
封印された女帝・卑弥呼 古代史の扉の鍵を開く謎に迫る 岡本茂延 日本古代史は、卑弥呼の謎を解かずして解明できない。 まず卑弥呼が治めた邪馬台国を特定しなければならない。 邪馬台国については、大きく近畿説と九州説に分かれるが著者は、次のとおり、 纏向のどことまでいえないが邪馬台国の位置はほぼ確定した。 神武天皇が大坂方面から攻めて、失敗し和歌山(紀伊半島)を廻り込んで、三重方面から進行して攻略が成功したと逸話を伝えているから、これらから推しても、女王国はほぼ奈良の纏向で、政を行っていたところが邪馬台国の所在地なのである。 だから、この国が九州の福岡近辺の奴国が東遷し、奈良の纏向近辺の邪馬台国を飲み込んだと理解すれば、邪馬台国の所在につき大和の纏向と回答が導き出されて、近畿説が妥当することが分かる。として近畿説を取る。 次、卑弥呼が、記紀に現れていないことは有名な話だが、 天照大神とは、大国主神(ニギハヤヒ)や下照姫の正体を悟られないように封印した仮の名で、後ほど下照姫が卑弥呼であることを証明するから卑弥呼が神格化されて大遍照(大日如来)になられたお姿のことなのである。 本当の皇孫の祖先神ではないのである。 しかも、現に稲荷神社に次いで全国最大の神社は八幡神社であって、この神が紛れもない皇孫の祖先神である。 だから、その証拠にこの神は天皇家に遠慮してか、『記紀神話』に登場しない神である。と著者は、卑弥呼が皇室の祖先ではないが天照大神であるとする。 こうなると本当に日本古代史は、百花繚乱だ。 そうすると、我々は皇祖神ではない天照大神(卑弥呼)を神棚に祀っているということになるのだろうか。 それはそれでいいとして、じゃあ、卑弥呼と皇室の本当の関係というのは一体どういうものなのか。 興味は尽きない。
2021.01.30
コメント(0)
アマテラスの暗号 [ 伊勢谷 武 ] ようするに神道とユダヤ教が同じものだと言いたいわけだ。 天照大神は男神であり、ユダヤ教、キリスト教の唯一神ヤハウェと同一とかなりのページを割いたあとに断じるのだけれど、かなり無理がありますな。 その上物語がこの上もなく陳腐だ。 読み手の高揚感がわかない。 ワクワクしないのだ。 確かに、言葉、紋章など神道とユダヤ教に似たものがある。 しかしだからといって、神道がユダヤ教だ、アマテラスがヤハウェだと断じていいものだろうか。 断じたいのなら、もう少しましな物語を書いてほしかったものだ。 でなかったら、物語は書かずに純粋な歴史論にしてほしかった。 そうすればこれまでにな新たな記紀論になったことだろう。 神のつく天皇は、神武、崇神、応神の3人である。 ここにユダヤ教、キリスト教、神道を絡ませたのは面白い。 また天照大神が男神だというのも説得力がある。 アマテラス以下の皇統は、持統が自己から孫への皇統に変えたもの、というのは一般的によく言われていることだ。 アマテラスはそれ以来女神になってしまったわけだ。 アマテラスが伊勢神宮では疎んぜられているのではないのかという著者の主張も侮れない。 そういう諸々の歴史的小話が歴史論としてはとても面白いのだが、そこに下手なエスピオナージを無理に入れてきたものだから、出来が散々になってしまった。 結局小説としても歴史論としても中途半端になったのだ。
2021.01.17
コメント(0)
邪馬台国はどこですか?【電子書籍】[ 鯨統一郎 ] 本作を小説ではなく歴史のカテゴリーに入れたのはそれだけ高度な史的考察がなされていたからだ。 しかも時代は多岐にわたる。 世尊は悟っていなかったは、なるほど悟ったあとも坐禅を解くことがなかったものねえ。 死ぬまで世迷いごとを言っていたととれないこともない。 ブッディストとしては納得できませんが、世尊は生存中自分以外に悟りを開いた人がいたことも明らかにしているので場合によっては、悟ったお方は世尊が指し示したこの人だけなのかもしれない。 卑弥呼の邪馬台国は岩手県だ、とする知見も面白い。 数多くの古代史に関する本を読んだけれど、はっきり岩手県だと指摘した人に出会ったのは今回が初めてだ。 最後の決め手が、八幡平、というのも面白い。 邪馬台=ヤマタイ=八幡平、読み方がねそうだとするのが斬新だ。 明治維新が八百長だというのもいい。 なるほど明治維新があろうとなかろうとこの国は何も変わらなかった。 それが倒幕し天皇親政の政体にしたのは勝海舟の催眠術だという説を披露する。 イエス・キリストの奇蹟では死んだのはユダだとする話を持ち出す。 この話は他に既に語られているが、キリスト教について疎い人には驚愕の説だろう。 本能寺の変は織田信長の自殺が真相だった、も面白い。 織田信長は既に精神障害を負っており、正親町天皇から手玉に取られ自分が真の日本の王になれないことに悲観して自殺したのだという。 聖徳太子推古天皇論も面白い。 聖徳太子と蘇我馬子が同一人でいい面を聖徳太子悪い面を蘇我馬子が請け負ったとする論はあったがそれに推古天皇までまぜた論を読んだのは今回が初めてだ。 歴史の真実というのは歴史を語る人の数だけ論が出るので、決めることができないのだ。 だから歴史を語ることは面白いのである。
2020.08.28
コメント(0)
聖徳太子の秘密「聖者伝説」に隠された実像に迫る【電子書籍】[ 関裕二 ] それにしても日本古代史は謎に包まれている。 記紀を基本に、中国の歴史書やら考古学やらが複雑に絡み合い而して結論が出ない。 歴史研究家やら歴史家やら様々な有象無象が言いたい放題なのだが、何一つ定説にならない。 特に天智天武の兄弟天皇に関しては今や宿敵だとするのが定説になっているところ、 復活した天智王朝は、忌いまわしい天武王朝の都・平城京を捨て、平安京を造営するが、こののち、天智王朝は天武王朝をきわめて冷遇していったのである。 たとえば、天武系の天皇陵に対して、のちの朝廷は他の王家とは差別していたし、京都の天皇家の菩提寺・泉涌寺では、天武王家をまったく無視していることはあまりに有名である。 など、持統を入れて様々な論が百出なのだ。 そもそも持統天皇は天智の娘で天武の后のはずなのだが、自己を天照大神に比定し孫の文武を瓊瓊杵尊つまり天孫降臨に比定したと言われている。 甚だしい主張には、持統は天智の后であり天武の后でもあったなどというものもある。 さらに卑弥呼の問題もさることながら、それ以前の縄文弥生の時代についても決着がついていない。 我々は主観をもとに投票するだけだ。 それが今の日本古代史研究の現況なのかもしれない。 それでも、科学的にDNAであるとか炭素による年代推定であるとか科学が進歩しある程度の推論ができるようになってきたのは喜ばしいことだ。 また天智天武の問題に戻ろう。 ここであまたの天武系の皇子が名乗りをあげたはずだが、持統は孫の即位にこだわり、時間稼ぎのために皇后という立場を利用して、自ら即位するという手段に出る。 これが暴挙であったと断言できるのは、持統が天智天皇の娘であったためである。 というあたり多くの学者や研究家らがそこを基点に様々な推理を巡らしている。 曲げようのない事実と、仮論推論から成り立っているのがどうやら日本古代史らしい。 さて本書のテーマである聖徳太子に関しては、いるのいないの蘇我入鹿と同一人物だのとかしましいがどれも本当に思えない。 けれども推理の根拠として著者が主張することは賛同できる。 まず古代史の知識として鬼と神は同義であること、天皇家の他に蘇我氏であるとか物部氏あるいは出雲族も存在していたということもまた賛同できる。 さあここで誰もグーの音が出ないような決定打が出ないものか。 日本古代史研究に対する期待は大きい。
2020.07.26
コメント(0)
卑弥呼の王宮出土 桂川光和 日本古代史論は百花繚乱、とにかく面白い。 日本古代史のツボはまず日本神話、そして卑弥呼、次に天皇。 これらの謎が何一つ明らかになっていないから、想像の翼はどこまでも広がる。 ほしいのは、エビデンスだ。『魏志倭人伝』は『男弟有りて佐(た)けて国を治(おさむ)』とする。 卑弥呼の政治を補佐した男弟がある。 宇那比姫は七人兄妹の一番末の妹である。 実の兄はあるが弟は居ない。 したがって義理の弟である孝安天皇こそ『魏志倭人伝』が伝える「男弟」なのである。 このことにより卑弥呼の王宮の場所が明らかになる。 孝安天皇の宮は室秋津嶋宮(むろのあきつしまみや)である。 卑弥呼の王宮は秋津嶋宮に違いない。 のように、自信満々で断定しているのも面白い。 様々な日本古代史論を読むと、天皇家と卑弥呼は別系統という主張が多い。 しかし本書は上記のとおり、孝安天皇が卑弥呼の男弟と断じている。 ここが他の古代史論と違うところだ。 (略)古代有力豪族の系譜同士は、婚姻を通じてつながっている。 婚姻関係にある、当事者の世代位置に矛盾はない。 また一部ではあるが系譜上の人物が、どの天皇の時代かを記す。 その世代位置に大きな矛盾はない。 このような関係を維持した、架空系譜を創作することは不可能である。 したがってこれらの系譜は事実に基づく伝承であり、そこに登場する天皇も実在したのである。 のような系譜に注目し世代位置という考えで架空系譜の創作はありえないから、伝承は事実だという考えもまた面白い。 しかしそれが通説にならないのは、エビデンスが不足しているからだ。 いくら想像しても証明されなければ、誰も乗ってくれないというのがこの古代史論だ。 星の数ほどある日本古代史論に終止符を打つのは一体誰なのだろうか。 もはや私はあまりにも多い日本古代史論に辟易しだした。
2020.07.19
コメント(0)
壬申の乱の謎古代史最大の争乱の真相【電子書籍】[ 関裕二 ] 日本古代史論は百花繚乱、だからこそ面白い分野だ。 これが特定されてしまえば、ちっとも面白くない。 最近私は好んで日本古代史の本を読んでいる。 そこで気づいたことは、日本神話を誰も無視していないということ。 むしろ古代史の謎を解く一大アイテムととらえ持論を説く人が多いのだ。 その中でも天照大神の比定に関しては、 これを裏づけるかのように、『日本書紀』は神話のなかで、天照大神という女神を中心に天孫降臨を描く。 「大君は神」と歌い上げられた天武天皇であれば、むしろ、天孫降臨の祖は男神がふさわしかったはずなのに、あえて『日本書紀』が女神にこだわったのは、持統天皇が新たな王朝の始祖だったからにほかならない。 女神を始祖に据えることで、「持統朝」の正統性を証明してみせたのが、『日本書紀』である。と、持統論が多いようだ。 この流れで天孫の瓊瓊杵尊は、自然に文武天皇に比定されるのだ。 このことは持統朝の正当性よりもむしろ、天智天皇系の正当性を強調するものという論のほうが面白い。 天照大神(持統天皇)は、はじめ子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(草壁皇子)を降臨(即位)させようと思っていたが、孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(軽皇子、のちの文武天皇)の降臨(即位)を画策した。 そして、地上界を見下ろすと、「邪しき神=出雲」(蘇我氏、物部氏、尾張氏、そして彼らが開いた東国もこれに含まれよう)がうごめいていたので、彼らを陰謀によってねじ伏せ、政権を獲得したのである。 記紀それから日本神話の真髄は、実はこの辺に真理がありそうだと多くの論を読むうち私は思うようになってきた。 ここで明確に排除しなければならないのは、卑弥呼=天照大神論だ。 中には、持統天照大神論を展開しつつさらに返す刀で卑弥呼=天照大神論を展開する剛の者もいる。 多くの古代史論では、卑弥呼は天皇家とは異系の王とみている。 天皇家が卑弥呼系を破って日本の覇者になったという論に私は賛成する。
2020.07.17
コメント(0)
古代史から見た方がよくわかる なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか「日本人の正体」につながる物語【電子書籍】[ 関裕二 ] テーマはまさに今風のものだが、それが古代史まで遡るというのだ。 著者の論が、いい・悪い、好き・嫌い、正しい・間違いの別はともかく、エビデンスに基づく論を展開しているので楽しく読める。 さて我々が縄文・弥生時代について大きな誤解していた点について、 さて、古代の日本と朝鮮半島の関係を知る前提として、縄文人と弥生人に注目したのは、弥生時代が圧倒的な渡来人のパワーによって成し遂げられたという一般に広まった「漠然とした常識」を、払拭しておかなければならなかったからだ。ということだ。 このことは最近の古代史研究家の本で多く語られていることだ。 縄文と弥生の連続性ということをまず理解しなければならない。 次に、 5世紀後半に革新的な(よい意味で革新的な)雄略天皇が登場し、ヤマト朝廷は改革事業を推し進めたが、揺り戻しがあり、王統は入れ替わった。 そして混乱は続き、5世紀末から6世紀初頭、第25代武烈天皇の時、ヤマトの王統は断絶してしまった。 そこで、越から第15代応神天皇の5世の孫を連れてくる。 これが継体天皇で、ここからヤマト政権は、5世紀末の混乱を収拾し、紆余曲折を経て、安定と発展の時代に向かっていったのだ。というところ、ここも古代史でおさえておくべきところだ。 つまり本書では今の日本古代史の通説である、縄文・弥生の連続性と継体天皇が応神天皇の5世の孫であるということが語られているわけだ。 こういう昔語られなかった今通説となっているところに日本古代史の面白さがあるのだ。 この先一体どんな面白い話が飛び出してくるのか日本古代史研究家の様々な考えから目が離せない。
2020.07.12
コメント(0)
古代国家はいつ成立したか (岩波新書) [ 都出比呂志 ] 本書は、2011年第1刷、2018年第3刷だが、 縄文時代の晩期に朝鮮半島から日本人の体格を変えるほど多くの人々が日本列島に渡来し水稲農耕や生活習慣を伝え弥生時代が始まりました。 環濠集落は弥生時代前期から見られます。 日本列島でも争いが始まり防御的集落を必要とするようになって水稲農耕や鉄の技術をもたらした渡来人が朝鮮半島の環濠集落の伝統を元に作り始めたのでしょう。 しかし初期の環濠集落はそんなに大きなものではありませんでした。というように、旧来からの学説を踏襲しているものだ。 さらに、 15世紀の明の時代から保存されている( 略)地図が中国にあります。 これは15世紀の朝鮮で作成されたものですが、この地図では日本列島は九州を北に青森県を南に描き実際の列島と90°程度のズレがあります。 しかも位置そのものが実際よりもかなり南に描かれています。 このような地理感が古くから長く中国や朝鮮半島にあったことを室賀信夫氏は指摘しました。 中国の地理感が正確でないとすれば伊都国から南ではなく方角を反対時計回りに90 度回転させた東に向かい水行20日で投馬国へさらに水行10日陸行1月行けば邪馬台国の位置はヤマトになるというのがヤマト説の解釈です。として、邪馬台国も大和に比定するというガチガチの古代史保守派の本で現在のエビデンスからは到底認められないような説を展開している。 そもそも岩波新書だから、きっと定説なんだろうななどという読み方をしてはならない。 逆に岩波新書だから疑わなければならないということを本書を読んで感じた。 まず最初の抜き書きについては、縄文、弥生の明確なくくりはなく、思ったより以上に縄文時代の文明は優れていたこと、稲作は朝鮮からではなく中国江南あるいは河南でありY染色体のDNA鑑定からも多くの渡来人が来た形跡が認められないこと、炭素14のエビデンスからも縄文から自然に弥生に移行したということが証明されているということなど、現在では陳腐な説で、よくこの説を2011年に書けたものだなと逆に感心している。 次の抜き書きについてもしかり、あの古代中国の文明がそもそも方角を間違うわけがない、90度曲げた方角が正しいなどとよく言えたものだと本当に赤面ものの本であった。
2020.07.11
コメント(0)
卑弥呼の謎と正体 斎藤忠 確かに記紀に卑弥呼の記載がないのは不思議だ。 このことはつまり卑弥呼と天皇家につながりがないからだと理解できたのは、今回古代史に興味を持ち多読した結果だ。 古代、卑弥呼の政権と天皇の政権が争う構図があったに違いないと数多の本を読んでそう思い始めた。 中国の歴史書から卑弥呼が日本のトップにいたことは間違いないことだ。 卑弥呼は、 一方、日本列島では新国家樹立に成功し、新しくシャーマン王、卑弥呼を登位させた。 彼女は、弥生人純化政策の象徴と化していた環濠を埋めさせ、官製の青銅製祭器文化を廃棄させるなど社会の大改造を断行した。のだ。 卑弥呼は、魏に遣使を送る。 卑弥呼後も日本は中国に使いを送ったのだが、 中国側に日本の人が言い張ったであろう「或る者らが言うがごとく倭国を併合したのではない、倭国と日本は同一であり、国名を変えたに過ぎないのだ」は、まさに中国側が偽りごとと断じるところである。 中国側が疑ったのは、別ルートの情報から日本の言い分とまったく異なる情勢を把握していたからであろう。 それゆえ、日本国使の言の逆が真の可能性が大きいことになる。と、日本国使の言の逆、つまり、日本は倭国を併合した、が真となる。 天皇家が卑弥呼の体制を滅ぼしたとみるのが正当なのだろう。 そのような論が現在多数認められるのがとても面白い。 また、日本神話を絵空事と考えず古代東アジアという観点から見て日本古代史を組み立てている研究家が多数いるのも好ましい。
2020.07.09
コメント(0)
倭人はどこから来たのか 佐野寿龍 日本列島に縄文人が住んでいてそれを渡来人たる弥生人が押しのけたというのが私達が学生時代に習った日本古代史だ。 今こうして日本古代史をもう一度紐解こうという気にならなかったら、墓場までその考えを持ち込んだろう。 だが待て、そうじゃない。 まず中国との関係だが、 何となれば、倭人が活躍していた年代と、中国本土における戦国動乱の時代(紀元前403~221年)とが重なり合う時期があるため、そこから押し出されたとりわけ江南の呉越地方(揚子江の下流域)の人々が稲作文化を携えて倭国(日本)に渡来したという可能性、あるいは朝鮮半島の渡来人から稲作を初めとする先進文化を教えられたとする可能性などを否定するだけの材料を持ち合わせていなかったとして、稲作と戦国動乱の時代の中国と倭国の関係から、まず中国江南部が日本に何らかの影響を及ぼしていることが明らかになった。 さらにY染色体DNA鑑定からも関係性が強いというエビデンスもある。 さて上記だが、つまり著者はだからといって日本人が中国の渡来者から征服されたものではないということを強調しているのだ。 さらに 雲南・チベットから華南(揚子江流域)、台湾を経て日本の南西部に広がる照葉樹林帯の人々は、その文化を同じくすると謂われているが、とりわけ、水稲耕作を主とする倭人と中国揚子江の中・下流地方の人々が、水稲耕作に伴う文化複合体としての、たとえば高床式住居・そこに取り付けられたいわゆるネズミ返し、千木、カツオ木、羽子板での羽根つき、竹馬、げた、チマキ、もち、おこわ、納豆、新嘗祭・田植えの際の儀式などの共通の民俗がもたらされるのはごく自然のことである。という文化が持ち込まれたことは認めるが、征服されたのではない、というスタンスだ。 そう、事実は事実として認めるほかないのだ。 それが証拠というものだ。 だからといって征服されたものでもないというのは至極もっともな考えだ。 要するに著者によれば、原日本人たる縄文人がガラパゴス化して独自の文化を作ったところに海外からの文化が入り込んできたのであり、体型体質等の変化は自然の成り行きだというのだ。 しかしそれは推論に過ぎない。 あくまでもエビデンスがなければ証明されたことにはならない。 もはや日本古代史は科学なのだから。
2020.07.09
コメント(0)
古代日本国成立の物語 小嶋浩毅 私が知的生活において重要だと考えていることは、まず対論が何かということだ。 一方的な魔女裁判を知的生活者は決してしてはならない。 対論を知るということは、多読が必要になる。 そのために、速読も必要になる。 これが知的生活者の道である。 さて現在の私のマイブームは、ひとつは日本古代史、もうひとつは糖質制限論だ。 そのうちの日本古代史は、宮内庁の規制により天皇陵の研究が進んでいないことから百花繚乱の感がある。 まさに言いたい放題だ。 それでも数少ない資料や証拠をもとに古代史研究家は賢明に持論を展開してくれている。 そしてエビデンス。 今日のDNA研究の進展により、日本人と類似の遺伝子を持った地域、人種が明らかになってきた。 その結果、中国や朝鮮が日本人の祖であるとの短絡的な日本人論はもはや灰燼に帰したと言っても言い過ぎではない。 しかし、また逆に言えば、彼らつまり中国・朝鮮の人たちも我が国に入ってきたことも事実だ。 たとえば、 一方で大陸沿岸部から東シナ海に漕ぎ出した集団は、対馬海流に乗って日本海に流れて行ったり南西諸島から九州中南部へ流れ着いたり、また、黒潮に乗って日本列島の太平洋沿岸部へ漂着したり、西日本の各地にたどり着いたことだろう。 中にはどこにもたどり着かずに海の藻屑となった集団が多数存在したことも容易に想像できる。のだ。 このうち、中国の史書や稲の渡来、中国の戦国時代と日本の倭国特に卑弥呼の時代などから、日本に中国国内の戦争で敗れた呉の人々が流れてきたことが指摘されている。 それは、 熊襲の曽於の地と考えられる鹿児島県霧島市隼人町内に元官幣大で大隅国一之宮の鹿児島神宮がある。 主祭神は海幸・山幸の弟の方であり神武天皇の祖父にあたる山幸彦の天津日高彦穂々出見尊(あまつひたかひこほほでみのみこと)であるが、相殿神として句呉の祖である太伯を祀る。 句呉は後に国名を呉と改めるが、現在の中国蘇州周辺を支配した春秋時代の国の一つであり鹿児島神宮はこの句呉を建国した太伯を祀る国内で唯一の神社である。というように現に神社として存在することからも明らかだ。 多読の結果私の脳内では、この鹿児島の地の呉の末裔が後に北九州の倭国を討ち、さらに畿内に入ったのではないか、というイメージが湧き出した。 古代史において、皇統と卑弥呼は決して外してはならない項目なのだが、この二つが交わる資料がほぼほぼ無いのが現状だ。 いわば皇統と卑弥呼は古代日本史のミッシングリングだ。
2020.07.08
コメント(0)
統一倭国と神武東征 森井章太郎 私の今の日本史に関する興味は、古代史だ。 日本神道とか日本神話から入って、その神話が今や古代史と切っては切れない重要なものなのだということが最近わかってきて、更にのめり込んでいるところだ。 その古代史の肝は、まず邪馬台国がどこにあったのか、ということになる。 そこに天皇家のタイムラインが割って入る。 著者はまず邪馬台国を畿内に比定する。 さらに、倭国と日本が違うことを指摘する。 そして記紀について、 古事記は国史でなく、後の日本国を統治するに至った天皇家の古事を記したものであり、その古事とは、倭国政権下において、倭国の一員として政権に参加していた自らの家系の古事、及び家系の縁起に所縁ある古事のみに特化して記録されたものである。 故に「古事」の記とされる。とし、日本書紀との性格を明確に分ける。 そのうえで、 住所表記のものだけを抜き出してみた。 ここに九州の地名はない。 すべて同じ地域を示している。 その地は現在の奈良県である。 つまり、日本書紀の証言から、同書が指す奈良周辺の地こそが「倭国」の中心地であったということになるのだ。と日本書紀の地名から倭国の首都つまり邪馬台国を奈良県に比定した。 著者によれば、この倭国は縄文時代から存在していた大国らしい。 神話にいう高天原は、東国を指すのだそうだ。 つまり縄文時代にはすでに今の日本が国家として存在していたという主張だ。 その倭国目指して東征したのが神武であり、順を経てその倭国の王についたのが神武の末裔であり以後現在まで皇統が続くという主張であった。 著者の概念を想像することはできるが、説得力に欠けると思えるのは、すでに読んだ本で、邪馬台国が九州福岡に比定され、神武は宮崎から東征して大和に朝廷を作った話のほうが科学的説得力があったからだと思う。 本書は時々話が飛んでしまって、私は腑に落ちなかった。
2020.07.06
コメント(0)
邪馬台国は畿内にも北部九州にもなかった 天孫降臨からの古代史ミステリー【電子書籍】[ 浜田博文 ] 題名のとおり、邪馬台国が畿内でも北九州でもなく宮崎にあったということを著者は主張する。 天孫降臨は、 B.C.210頃秦に制圧された斉(大陸東海岸)の徐福(道士)船団の出港→西日本各地に漂着;その中の一団(ニニギ一族)が笠沙の黒瀬に漂着→薩摩半島。 さらに他の一団が日向の宮崎平野に漂着し、邪馬台国へ発展と、中国からの戦争難民とする。 ニニギの曾孫神武天皇が東征して、やがて大和に朝廷を作った。 以後古事記に則って歴代天皇の説明に入り、25代武烈天皇から26代継体天皇への継承については 多くの重臣は、他に適任者がいなかったので大連の大伴金村の話に正面きって反対もできず、大伴が迎えに行くことになった。 「天皇家に世継ぎがなく、このままでは途絶えてしまいます。先の応神天皇の血筋を引く者として、ぜひオオド王に次の天皇になっていただきたいのです」 「私には、その才もなければ、力もない、もっとふさわしいお方がおられるはずじゃ」 「いえ、私はあなたを見てすぐ、命を捧げて忠誠を尽くそうと思いました」 オオド王の群臣も、こぞって賛成した。 「分かった。では私も全力を尽くしてみよう」とする。 このオオド王は、応神天皇の5世あとと言われている。 皇位継承では、最も大きな謎ではないかと私は思う。 万世一系は、こうして今まで継承されてきたのだということかいや一度は途切れているのではないかという議論が起きてもおかしくないのになぜ今その議論も経ずに女系を認めろだのという話になるのかわからない。 はっきり言って男系継承の問題は、Y染色体の行方ということなのだ。 男系が今日まで続いたといことは間違いなく天皇家が万世一系だったということなのだ。 このY染色体が途切れた疑惑が継体天皇にあるということだ。 そこを明らかにせずして、女系だの女性だのと言っている場合ではない。
2020.07.03
コメント(0)
古代ユダヤ遺跡 淡路島の謎 城山流三 先日から読み進めているユダヤ人渡来説の1つなのだが、どうも出来が芳しくない。 結論は、 私の考えは 次のようなものです。 「日本神道創成の時期に、忌部氏が深く関与している。 なぜならば、忌部氏の出目は ユダヤ人 だからである」というもの。 じゃあその根拠は何か、というと、ほぼほぼ淡路島のユダヤ遺跡に関連するもの、関連する神社、関連する数字合わせ、それに、 例会は 「シオンの祭り」 というもので、「シオン」(と名付けられた)の山の上で ヘブライ語の呪文(ヤーヘイとか、エレティーヨンーとか)を唱えて祈るのです。 (掛け声以外は日本語)その祈りの基調となるものは世界平和の祈りです。 また一宗一派に属さないという祈りの会なので、日本神道でもユダヤ教でもありません。 日本神道の礼拝は、二礼二拍 ですが、ここでは三礼五拍 でした。という話。 これは、シオンが祇園だ、というユダヤ人渡来説で多く語られているものだ。 そもそも多くのユダヤ人渡来説の本を読んできたから、本書が何を言っているのかなんとか理解できたが、はっきり言って、小学生の夏休みの自由研究発表状態で、本当に短い本なのだが、内容が収拾がつかなくなっている。 だからな、あなたは何を言いたいのですか、それが冒頭に抜き書きしたとおりなのだろうけれど、じゃあ、その根拠は一体何なんですか、というのがなくて、納得できない。 淡路島の謎、という副題があるのだから、ここは徹底して淡路島を掘り進むべきではなかったのか。 また、多くのユダヤ人渡来説の本があるのだから、それらの本をもっと参照すべきではなかったのか。 私としては、ユダヤ人渡来説の根拠となる書籍に本書を挙げたくはない。
2020.07.01
コメント(0)
日本古代史を科学する【電子書籍】[ 中田力 ] これまでユダヤの失われた10部族が日本に渡来してきた論を読んできたものだから、本書が斬新に思えた。 だが、つまりは通説なのだ。 科学は通説を生むのだ。 卑弥呼、邪馬台国、アマテラスも科学によれば、 邪馬台国が宮崎平野、日向灘の地にあったことはまず間違いない。 「魏志倭人伝」を原点とし、その記載だけを論理的に検討した結果、迷うことなくこの地に到達したことは、自然科学的に言えば、この比定が統計学的に「有意(statistically significant)」であること意味する。 「確率的に偶然とは考えにくく、意味があると考えられること」なのである。であり、「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼が活躍したのは3世紀半ば、240年前後のことである。 推定誤差を考慮しても、数理考古学的解析による神武天皇の即位以前であることは間違いなく、「記紀」にある天照大神が卑弥呼に比定できる可能性が極めて高い。なのだ。 記紀の内容について検証するには、当時の中国の客観的な記録である、魏志倭人伝等を読み解かなければならない。 その結果が上記のとおりなのだ。 この記事については根拠が明らかであるから、この記事の主張を崩すには同じような根拠がなければならない。 それが科学だ。 それじゃあ、ここ数日読んできたユダヤとの関係はどうなるのだろう。 今は卑弥呼、邪馬台国、アマテラスを例に書いたが、本書には、古代における天皇のことなどもかなり詳細に記載されている。 そしてそれらは緻密な証拠による検証作業を経たものである。 本書には、ユダヤのユの字もイスラエルのイの字も出てこない。 ああ、ユダヤ人渡来説は幻であったか。
2020.06.30
コメント(0)
アマテラスの暗号 伊勢谷武 期待の新人現る、か。 ウィキペディアにも載っていない作家だ。 しかし題材は、これまで読んできた坂東先生のユダヤ人渡来説と平行するものだ。 小説形式で、現在ナンダカ新人賞の第一選考が通ったらしい。 それはともかく、本作は小説のカテゴリーより歴史のほうがしっくりするので、本ブログでは、歴史のカテゴリーに入れた。 しっかりした歴史の知識のもと、日本神話、日本神道、日本古代史とあのユダヤの消え去りし10部族を重ね合わせる作業は緻密だった。 しかもアナグラムなど本当にこんなに符合するものかと感心しきり。 それに対してストーリーがあまりにも残念。 つまらなすぎる。 アクションも入れているけれど、緻密な日本古代史論に対して、いらん、と言いたくなるような凡ストーリーだった。 まずアマテラスが男神だと言う話ですね。「実は、古事記にも、アマテラスが女神だなんてひと言も書いていないどころか、ミズラを結ったという記述もある。ミズラは男の髪型よ。それに日本書紀だって、本文中には一切書かれていないのよ」「え?日本の正史が、アマテラスが女神と認めていない?」 ここまで来るのに二重三重の伏線を張り、複数の根拠を持ってくる。 ほほう、そりゃあすごい、と思う。 日本の古代史と聖書の中味の奇妙な符号、それが実は一番大きな事実だ。 そんなこと私は今まで知らずに生きてきたんだなあ、と思い、また、一生懸命神道や日本神話の勉強をしているにもかかわらずこれほど精緻に日本とユダヤの神話が似ているとは思いもよらなかったのである。「これまで日本に天皇は125代いるけど、そのうち諡に〝神〟という字がつくのは、たった3人だけ──失われた10支族、北イスラエル王国王家の、神武天皇。イザヤが出国させた南ユダ王国王家の崇神天皇。そして、秦氏を日本に受け入れた、応神天皇──。つまり八百万の神と融合させた神武、一神教と融合させた崇神、そして最後に原始キリスト教・景教と融合させた応神──」 つまり、神武、崇神、応神、の3天皇しか神の字がついていないことで、この3天皇の時にユダヤ教の唯一神が日本に浸透させられた、というのだ。 そしてアマテラスは、唯一神ヤハヴェであり、イエス・キリストとして神宮に巧妙に祀られているというのである。 一つ一つの根拠が面白い。 小説と言うより歴史論として読んだほうが面白い本であった。
2020.06.28
コメント(1)
秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説【電子書籍】[ 坂東誠 ] ユダヤ人渡来伝説に続く著者の力作だ。 ユダヤからの言葉ではないかと思われるものに、トラ、があるとか。 しかし日本には虎はいません。 ということは、これは動物の『虎』ではありません。 おそらくこれはイスラエルの『トラー(モーセ五書)』のことに違いありません。 トラーは巻物です。 私たちユダヤ人はどんな時にもトラーを通して神様の意志を知ります。 つまり『トラーの巻物』は知恵と霊感の源なのです。 転じて日本では、虎の巻、なのだとか。 その他なるほどと思われる記述が本書には満載だ。 となるとやはりユダヤの10部族は流れ流れて日本まで来たのだろうか。 途中の中国やミャンマーあたりにもその証拠があるらしい。 だから、10部族が東に向かったのは間違いのないことだ。 そして、ユダヤとの奇妙な一致が、例えば言葉とか、紋章などにみられる。 よって、読後は著者のいうとおり、ユダヤ人が日本に渡来してきたと思えてしまう。 確かにシオンと祇園、響きは似ている。 そしてその祭りが行われているのが、エルサレムと同じ意味を持つ「平安京」。 これは不思議な一致だと思う。 さらにロッテンベルグ師が続けた。「私は祇園祭で聞いた、山鉾を引く時の掛け声、『エイン・ヤー・ラヤー』に驚いた。 その言葉の意味を、日本人は誰も分からなかった。でも私は分かったんだ。つまりそれはヘブライ語だったんだ!」 エイン・ヤー・ラヤー、は、その神の他に神はない、つまりユダヤの絶対神、ヤハヴェ、以外に神はないという意味だそうだ。 しかしそれにしても、こんなに深くユダヤと日本のことを考えたことはなかったな。 様々な本を読んでみるもんだとつくづく思った。
2020.06.27
コメント(0)
古代日本、ユダヤ人渡来伝説【電子書籍】[ 坂東誠 ] 僕の知的生活ここに極まれり、というか、今回のコロナ禍で、stay home を余儀なくされ、私の知的活動の大事な場所である図書館は閉鎖されてしまって、一体どうなることやらと思っていた矢先、KindleUnlimitedと出会ったのである。 ひと月のお試し期間を経たあとは、月1,000円未満の費用がかかるけれど、たとえば、Bookoffで1冊100円の本10冊を買ったら、1,100円でしょう、それから比べたら、とてもリーズナブルだ。 特に私のような多読家にとっては、願ってもない価格ということになる。 更にそのラインナップが私のような知的生活者のレベルに合うものが揃っている。 決して古いものばかりではない。 私がここ数日アップしている、糖質制限論とかケトン体については、それこそ、今一番新しい理論ではないか。 そして、KindleUnlimitedのおかげで、私のこれまでの長年の課題であった、紙の本か電子書籍かの論争にもなんとなく終止符が打てそうな具合になってきた。 今何もここで結論をいう必要はあるまいが、今の私の考えでは、紙と電子は別のものなので論争に値しない、というもの。 それはともかく今回読んだのは、時々論争されている日本人ユダヤ人論の1つで、まず、 私がユダヤ人国家であるイスラエルに滞在していた時、ユダヤ人から耳にした話がある。 それは、「2,700年前に消えたイスラエルの『失われた十部族』は極東まで行き、日本人になった」というのだ。 そして多くのイスラエルのユダヤ人がそのことをおぼろげながらではあるが、頭の隅で信じているように思われる。というものだ。 そのあとが青森あたりにある、などという本も昔読んだ記憶があるが定かではない。 とにかく、イスラエルには日本に行った部族がいるということが今も伝えられえいると言うことだ。 ただし、日本とイスラエルの風習で一番違うのが宗教の面で、多神教と一神教という超えられない壁があるのだ。 それについて、 シロニー教授が、「日本には八百万の神様がいるのです。山にも葉っぱにも、水にも木にも……」と言われた時のユダヤの学生たちの反応は忘れられない。 会堂のあちらこちらから驚きとざわめきが聞こえた。 とにかく唯一神を信じる彼らユダヤ人にとって、八百万もの神を信じる日本人の感覚が理解できない、といった様子だった。 私もその時点では、これこそ日本人とユダヤ人の大きな違いを示す事実であると感じた。 しかし、その後いろいろと調べているうちに、八百万の神と唯一神というのは、表現こそ違うけれども、その意味するところは実は同じである、ということがわかったのである。と著者は述べる。 唯一神はどこにでもいらっしゃる、というのと山にも葉っぱにも、水にも木にも神がいる、というのは同じ概念だということを次に著者は書いている。 確かにそうなると唯一神も八百万の神々も同じものということになろう。 しかし、その論理はいささか強引過ぎはしないか。 なぜなら日本の神々には自然は愚か怨霊、この国を護った人々の霊もいらっしゃるのだから。 もし、ユダヤ人が本当に日本に来たというのなら、その証左を史跡などで証明してほしかった。
2020.06.24
コメント(0)
私の日本古代史(下)ー『古事記』は偽書かーー継体朝から律令国家成立までー(新潮選書)【電子書籍】[ 上田正昭 ] 先日皇位継承奉祝パレードが行われ、その皇位継承が現実に危ういものになりつつあるという国民の危惧からか、愛子内親王を天皇に、などというとんでもない話が独り歩きしている昨今、◎ 有徳君主像 有徳の君主が栄え、悪逆の天子は衰えるという思想である。 記紀の伝承によれば、雄略天皇の皇子で次の天皇になった清寧天皇には子がなく、その後継者には、履中天皇の孫と伝える弘計王(顕宗天皇)をやっと探し出して王位につけるという有様だった。 また武烈天皇の場合にも王位の継承者がなく、次の天皇に迎えられたのは越前の三国から擁立された皇子(継体天皇)であった。 ともにその王統は順調に継承されてはいないのである。というように、とにかく皇位継承者を探し出してきた経緯はあったようだ。 もし DNA鑑定が可能で現在の天皇は決して男系ではないということが証明されるのならばまだしも、そうでなければ、男系は守らなければならない天皇制の生命線ではなかろうか。 日本古代史はどうしても、記紀、が中心になり、 古事記の、大国主神に関する伝承では、有名な稲羽の素兎の神話は古事記のみが記し、(略)、沼河比売の妻問いや、八十神による大国主神への迫害や須佐之男命による大国主神への試練なども古事記独自の神話である。というふうに、古事記では出雲の話が 1/4もあるというのに、日本書紀にはないという、そんなことも知らずに今まで生きてきたことに恥じ入っている。 単純に考えれば、私製と官製の違いじゃないのかなと、私は考えている。 確かに古事記のほうがいきいきとしていて面白いのだ。 書紀には、作為を感じる。 記紀と一把一絡げに言うが、この 2つは似て非なるもの、すなわち似非、と心得なければならない。
2019.11.16
コメント(0)
私の日本古代史(上)ー天皇とは何ものかーー縄文から倭の五王までー(新潮選書) 【電子書籍】[ 上田正昭 ] 今の日本の形がととのったのは西暦 500年ころだろう。 著者はその頃多くの王権があったと推察し、その一つ、三輪王権について、 奈良盆地の東南部三輪山の西側を中心とする王権を昭和42年の 1月に出版した、大和朝廷、で、三輪王権、と命名したが、まず注目されるのは、古事記、日本書紀、が、崇神天皇を、初国知らしし御真木天皇、御肇国天皇(はつくにしらす)、と述べている点である。と述べている。 すなわち、神武天皇以下 9代は架空であり、真の天皇家初代は、崇神天皇、だということである。 このことは古代史として定説っぽくなってきているのではなかろうか。 ただあくまでも科学的根拠に乏しいことから推察の域を出ていないのが残念だ。 韓国との問題は、先の平成天皇が 桓武天皇の生母である高野新笠は延暦 8年( 789年)の12月28日に奉じたが、続日本紀、は翌年の 1月14日に中納言藤原小黒麻呂が、しのびごとひとを率いて誄(しのびごと)を奉ったことを記し、翌日大枝山(西京区大枝番掛の稜)に葬ったことを記す。 (略) 私自身としては桓武天皇の母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じている(平成天皇、「后(新笠皇太后)の先(祖)は百済の武寧王の子、純陀太子なり(続日本紀)、との記述から)。などと話されたことから、韓国では色めき立っているが、我が国では、それ以上でも以下でもない、というスタンスを崩していない。 日本と朝鮮半島との交流は単純なものではなかったはずだ。 神功皇后が応神天皇を孕みながら朝鮮に出征しているともいわれており、とにかく、日本と韓国との古代からの武力絡みの関係は単純なものではない。 また、渡来人としての朝鮮人の影響も大きかったはずで、今、最悪の関係などと言っているようでは、この日本古代史の問題はいつまで経っても明らかになることがないのではなかろうか。
2019.11.15
コメント(0)
江戸の流行り病 麻疹騒動はなぜ起こったのか (歴史文化ライブラリー) [ 鈴木則子(日本近世史) ] 江戸の流行り病とは麻疹のことだが、その感染力は 麻疹は麻疹ウイルスによって起こる感染症で人から人へ感染する感染経路としては、空気(飛沫核)感染、飛沫や接触感染など様々な経路があるが、その感染力はきわめて強い麻疹の免疫がない集団に一人の発症者がいたとすると10人から14人の人が感染するとされている。 ちなみにインフルエンザでは1から2人である。 しかも感染はしても症状が出ない。 いわゆる顕性感染はほとんどなく、感染すれば90%以上の人が発症する。 そのためにひとたび流行すれば相当数の未感染者が感染発症を見ることになる。 現代医学では麻疹の経過を、潜伏期→カタル期(前駆期)→発疹期→回復期、の4期に分けている。とインフルエンザよりも感染力は強いと言う。 江戸時代、麻疹で死亡した有名人は◎ 徳川綱吉の死 宝永5年(1708年)の麻疹で亡くなった有名人の筆頭は先に挙げた5代将軍徳川綱吉である。 特に生類憐れみの令で知られる将軍ではあるが、その治世の前半は戦国の殺伐とした気風を排除して徳を重んずる文治政治を推進し、天和の治、と呼ばれる。 徳川実紀、によると綱吉はなくなる2日前に64歳の誕生日の祝宴を催し前日には麻疹が治った祝いの儀式である、酒湯(ささゆ)の式、を終えたばかりだった。 酒油の式とは米のとぎ汁に酒少々を加えたものを沸かして行水し、疱瘡、麻疹、水痘(水疱瘡)の発疹のかさぶたを洗う儀式である。 入浴せずに形式的に湯を掛けるだけで済ますことも行われた。と、徳川綱吉将軍が64歳で罹患したと言う。 治った祝の儀式を終えたばかりで死んだと言うから、それは謀略とか、あるいは暗殺とか、そういう話になってもいいような気もするが、どうなのだろう。 そもそも五代将軍は犬公方、お犬様、ということだけが走っていて、麻疹で死んだなどという情報は教科書には載っていないものなあ。 徳川綱吉が麻疹で死んだという話は、麻疹予防の観点からも重要な話ではないか。 なぜそのことが教育の現場で総合的になされなかったのだろう。 本当に不思議でならない。
2019.11.07
コメント(0)
捏造の日本古代史 日本書紀の解析と古墳分布の実態から解く [ 相原精次 ] 著者は、 言うならば戦前という時代は70年かけて日本文化のある部分を意図的に消し去ったのであり、その代表が、頼朝であり、文覚であって、何よりも究明されないままに放置されているのは、鎌倉史、であると私は思っている。 このあたりのことについては拙著、文覚上人一代記、文覚上人の軌跡、鎌倉史の謎、文書く上人とと大威徳寺、等々で論じているので参照をいただければ幸いである。として、古代史どころか、鎌倉史、まで明治維新後の70年間で消し去ったとしている。 いったい、我が国の史学というのはどうなっているのか。 つまり、まともでない歴史を教えられ続けてきたということではないのか。 それはどうしてか。 まず、明治維新、という特異なエポックメイキングにおける政治的な思惑があった。 次に、つい最近と歴史の悠久の長さから言えると思うが、あの、神の手事件。 そのうえ、古墳時代、についても究明が進んでいないと著者は指摘する。 「えーっ!この地図、千葉県のもの?」という反応が返ってくるに違いない。 それというのも古墳についての一般的なイメージは、畿内、大和朝廷の文化という認識があって千葉県にこんな見事な古墳群があるなどと思ってもみなかった、それが多くの方々の感想なのではないか。 そしてしかも前方後円墳の数で比較すると千葉県は全国で一番数が多く、右の地図で見たような古墳分布状況はこの古墳群以外にも県下に何箇所も存在しているのである。 それどころではない。 関東のほとんどの県が前方後円墳の多さで言えば全国的に見て上位を占めている。 そんな古代史の実態を一体誰がいままで語ってきただろう。 私たちの常識から言うと関東に古墳があるなどという事実そのものさえ話題にもなって来なかったというのが現状だった。 というのである。 そうですよねえ、明治維新の政治的ポリシーが天皇制の復活であった以上、古墳群から見えてくる不都合な真実は抹殺せざるを得なかった。 だが今真実は真実として明らかにすべきだろう。 と言うより真実の究明が必要だろう。 天皇制の始まりは崇神天皇とういのが定説の現在、それでも天皇制は1500年以上の歴史を持つわけで、それだけで十分ではないか。 天皇制ができるに至ったプロセスを明らかにせずして何が歴史なのか。 私は天照大神を粗末にする気持ちなどサラサラない。 なぜなら神様は確かにいらっしゃると体感しているからだ。 だから、不都合な真実がいくら明らかになっても神様に対する畏敬の念は変わらない。 今こそ歴史家の奮起を望む。
2019.11.04
コメント(0)
古事記のコード 太陽のラインと隠された古代地図 [ 池田潤(建築家) ] 天皇家は第10代崇神天皇が最初というのが今は定説になっている。 その時代に天照大神が伊勢に祀られたということもその根拠となろう。 崇神天皇は実在した可能性が高く、初めて国土を治めた人物と見られている。 この崇神天皇が大和を治め始めた頃、まだ世の中は乱れ反逆者が後を絶たなかったために、天照大神を大和の 笠縫邑に祀った、と日本書紀は記している。 最初にその天照大神を託され、斎き祀ったとされるのが崇神天皇の皇女の、豊鋤入姫命、だった。 次の日本書紀垂仁天皇25年の記事では、崇神天皇の後を継いだ垂仁天皇の時代に天照大神が伊勢に祀られるようになった経緯が記されている。 垂仁天皇の皇女の倭姫命が天照大神の鎮座する場所を求めて近江や美濃を巡り、その後伊勢に至った時に天照大神が、この神風の伊勢の国は常世の浪が幾度も打ち寄せてくる素晴らしい国なのでこの国にいたい、という神託を発したために、そこにとどまり伊勢神宮を祀ることになったとある。 神武天皇から欠史8代については、神話と現実をつなぐロマンと言えそうだ。 神社や神道については全く勉強をしていなかったから、神、というものについて英訳の、god、と一緒くたにして理解していた。 仏教についてはもう四半世紀以上勉強している。 神道に入り込む余地はなかった。 本年9月、京都旅行をするにあたり、神社や神道について猛勉強した。 その結果、自分の無知蒙昧ぶりにがっかりしてしまった。 今はある程度の神社や神道についての知識を得た。 それ以上に、神社に神様がおられる、と言う体験をすでに何度もしていることから、明らかに神様はgodではない、ということがわかっている。 様々な態様がある神様だ。 そのうち、本当に強いなあ、と感じるのが八幡様だ。 八幡様は日本で一番多い社でもある。 その八幡様は、 これまでは単に八幡社や八幡宮と呼ばれていた。 しかも八幡神は通常応神天皇を祀る場合が一般的だが、その宇佐に祀られている八幡神を新羅の神とする説がある。 豊前国(大分県)に秦氏系氏族が多く分布し、宇佐神宮を祭祀する辛島氏も新羅系氏族とされている。として、どうも朝鮮半島系だ、ということになるらしい。 公式には、応神天皇、その母の神功皇后、そのブレーンの武内宿禰、が八幡神社の祭神だ。 日本一多い神社である八幡神社の祭神が新羅系という上記の話は史学城面白いかもしれないが、祭神ということを考えると、祭神が明らかでないということはありえないと思うので、新羅の具体的な神の名が出ていればまだしも、そうでない上記の論には賛成しかねる。
2019.11.03
コメント(0)
渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か【電子書籍】[ 上田 正昭 ] 桓武天皇の母親が韓国武寧王の末裔とされ、平成天皇がそのことについて話されたことで、天皇がまるで朝鮮系統のような揶揄を浴びているが、そのことはそれ以上でもそれ以下でもないということ。 渡来人がいたことは事実だが、その数、量はいかがなものだったのかははっきりしていない。 事実からさらに推測できるように研究を進めていかなければならないのではないか。 渡来・渡来人というのは上田の造語であるとか、皇統に百済の武寧王の流れが入っているなどと書いたのは不当であるなどという批判や脅迫を受けたりしたので読書界の反響は大きく、帰化人、は重版が続いた。 俳優の池部良さんが愛読書に、帰化人、を挙げられたこと、朝日新聞が平成14年(2002年)の日韓共催のサッカーワールドカップの前年の12月天皇自らが宮内庁記者クラブでの会見で、私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記載されていることに韓国との縁を感じています、と語られたことを改めて想起する。 最近最上三十三観音を巡っている。 その由来を読んでいると、行基、と言う僧が多く出てくる。 行基は天智天皇7年(668年)に大鳥郡の地に誕生して、利他行を実践し、ときの人に行基菩薩と仰がれた大僧正であった。 教学ばかりではない。 経世済民の実行者であって、日本仏教史に名を留める聖僧であって、律令国家の支配の中の矛盾を逞しくも生き抜いた高僧であった。 大鳥郡に誕生した大先達であった。 と言うことだそうで、高僧が我が出羽国にもいらっしゃったということになる。 それにしても三十三観音信仰というのは一体何なのだろうか。 苦しみもがく庶民のささやかな宗教とでも言うのだろうか。 行基はそういう世界で人々を救ってくださったということなのかもしれない。 ある意味、近世というのは、今よりずっと霊的であったと言えよう。
2019.10.30
コメント(0)
日本よ、「歴史力」を磨け 「現代史」の呪縛を解く (文春文庫)[本/雑誌] (文庫) / 櫻井よしこ/編 いつまでも日本が悪い日本が悪いとばかり言っているなよ。 自虐史観ですか、こういうのはもうまっぴらだ。 そりゃあ、日本軍国主義が悪かったことは事実だろうが、例えば 実は私は前々から、単純に河本大作ら関東軍の仕業というには国際的な背景が強すぎる、何かが今だに隠されているのではと言う心証を抱いていました。 さらにごく最近、蒋介石日記(未訳)から明確になったことですが、張学良がすでに父作霖の爆殺の前年7月に国民党に入党していた(産経新聞2006年4月17日参照)。 これは爆殺の背景として学良=蒋=コミンテルンの繋がりを検討せざるを得ない ことを意味しています。 モスクワで息子を人質にとられていたがソ連とは4月12日上海 クーデター以後も常に地下で繋がっていたことを考えればこれは爆殺問題に絡む重大な新事実です。などという記述から見えてくることは、国際的謀略が働いていなかったかということ、上記が真実だとすれば、本戦は敵から仕組まれたことになり、我々が日教組から受けた教育は間違いだったということになる。 日教組は、神社の何たるかを教えることを怠り、定年退職後、神社の祭神云々をいまごろ勉強してびっくりしている始末だ。 いい悪いの判断で全てを決めつけてしまった戦後の教育は日本人をすっかりだめにしてしまい、今のような少子高齢化社会を作るに至った。 もうこれ以上日本がだめになるのが忍びない。 そしてもう一つ、2041年まで知ることのできない事実があると言う。 その中で私が経験したケースでは、ニューヨークにいたイギリスの諜報員にモンゴメリー・ハイドと言う人物がいるのですが、彼は太平洋戦争の直前に日米交渉が まとまりそうだった曲面のすべてを知っていて、彼の個人文書の中には どうもそのことが書かれているらしいとわかった。 ところがこれがケンブリッジ大学の資料館で一度は公開されたにも関わらず90年代以降秘匿期間が延長され2041年まで見ることができなくなったのです。 ああ、なんということだ。 つまりあの戦争はもしかしたら回避できたかもしれないのではないのか。 それにしても人類はなぜこんなにも戦争を続けてきたのか。 その軍事力を誇示するようなことが平気でできるのか。 本当に情けないことだ。 著者は右派の論客だが、理詰めで今次大戦の真実に迫ろうとしている。 歴史の真実を知ってその流れを理解し、果たして日本はどうすべきだったのか議論すべきであって、ひたすら自虐の道を歩く必要はないと思う。
2019.10.03
コメント(0)
【中古】 盗聴 二・二六事件 /中田整一【著】 【中古】afb 憂国の徒にとってこれはとても興味深い本である。 二・二六事件の真実が根底から覆されるものになるかもしれない。 本件には逓信省のというより帝国の組織絡みの盗聴があったからだ。 陸軍大将真崎甚三郎の盗聴記録は2月4日から、青年将校の栗原安秀中尉が親戚同様に慕っていた斎藤瀏予備役陸軍少将の盗聴は実に1月8日から始まっている。 斎藤は事件が起きると終始栗原羅青年将校のがあに立って彼らの希望に沿うべく軍部との仲介にあたり後に軍法会議で位階勲功を剥奪され禁錮5年の刑を受けた人物である。 「電話傍受綴」を見ると盗聴がことに頻繁に行われるようになったのは2月21日いこうであることがわかる。ということで帝国軍部は既に二・二六事件の兆しを感じており盗聴していたということになる。 そしてそのバックボーンたる、北一輝、の真実はどうかというと 問題の2月29日北の行動はどうなっていたのだろうか。 後年私は思わず胸を衝かれるような事実に突き当たった。 それまで気づかずにいたとはまことに迂闊な話だった。 東京憲兵隊特高課長福本亀治による詳細な二・二六事件の記録が残っている。 それによればなんと北一輝は既に2月28日夕刻東京憲兵隊に逮捕されていたのである。 29日に電話をかけることは元来不可能であったのである。とこの段階で帝国軍部が青年将校らに北一輝に扮した何者かを操って情報操作をしたということになる。 さてこの盗聴という事実によってそもそも青年将校らによるクーデターは不可能であったということになるのだ。 この時代の帝国軍部はその諜報能力にも長けており外部はもちろんのこと内部にも緻密な網をめぐらし組織の崩壊を防ぐ手立てを取っていたのだ。 それがいつの間にかシロアリに食い尽くされるような組織になり敗戦に至る。 その負の遺産は今も重い影を残している。 感情的には青年将校らの行動は美しいが歴史的には止められて当然のものだった。 それが組織の瓦解を招いたのは奈辺からなのかとても興味深い。
2019.08.07
コメント(0)
手塚治虫がいなくなった日 / 手塚プロダクション・村上知彦/編 【中古】 作家北杜夫も手塚治虫とタッグを組んだことがあるらしく,アラビアンナイト・シンドバットの冒険(東映のアニメ作品),で,◎ 北杜夫 私も少しはアイデアを出したが,その東映の偉物のためにほとんど削られてしまった。 私はそのアイデアを全く捨てるのは惜しかったので,後にシンドバットとは全然違う,船乗りクプクプの冒険,という童話を書いたが,これらのある部分はその時の私のシナリオが用いられている。と述べている。 それにしても手塚治虫は偉大な人だとつくづく思う。 若い頃の無理がたたったんだろうなあ,彼はもう少し長生きするものだと私は思っていたが,齢わずか60にしてこの世を去った。 しかも昭和が平成になって間もなくだ。 今年は改元の年,それを考えると彼が死んでから30年もの長い年月が経ってしまったんだと感慨もひとしおだ。 彼の作品から多くのことを私は学んだ。 ブッダ,は仏教の入門書として素晴らしい。 ここまで仏教を理解していたんだなと感嘆する。 そのほか,ジャングル大帝,であるとか,ブラックジャック,など様々読んだが,どの作品も決して手を抜いていないことが感じられ,今思うと本当にすごい作家だったんだなあと思っているところだ。
2019.03.16
コメント(0)
全85件 (85件中 1-50件目)