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たまたま趣味がダンスなもので、芸術鑑賞となると演劇や舞踊系、圧倒的に舞台芸術にかたよりがちなところ、この日は絵画鑑賞してみました。わたしが住んでいたルンドを含む、スウェーデン南部の一地域、スコーネ地方をモチーフにした作品を描いた、知り合いの画家さんが個展を開くので、とブログを通じて知り合った Mitch さんからご紹介をいただきました。それはもう、ぜひ!! お知らせくださり、ありがとうございます~~。場所はスウェーデン大使館、その日には緒方貞子氏のご子息、篤氏のショートフィルムの上映もあり、せっかくだし、と見てきました。高齢化社会をモチーフとした、なかなかユーモラスな作品。ひとり暮らしのおばあさんが、訪問販売を装ってやってきた詐欺師とどう渡り合うか、という。切り口もよかったし、英語字幕がついていて、どんな国の人でも楽しめて、後味もよく、すっきり笑えます 映画鑑賞の後はいよいよ絵画鑑賞スウェーデンの夏といえば、すっきりとしたブルーの強烈な青空に、煉瓦や家々の赤がよく映えた、シャープな色彩のコントラストの印象があったのだけれど、画伯の絵は、やわらかいタッチでありながら重厚感があって、違った視点で見る見慣れた風景がまた新鮮。画伯と少しお話させてもらえましたが、絵のタッチと同じく、物腰のやわらかい方でした。
2006年08月03日
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スウェーデンでの夏休みからこの日の朝に帰ってきました。現地でお世話になった人々は、「もう月曜から仕事なの!?」とびっくりされましたが、これでも日本ではありえないほど長ーーーーい休暇をもらったのよ。。 日本の感覚ではおなかいっぱい遊んできました。遊んだけどのんびりもできたから充電もばっちり。普段と夏休みとは格段に、もう翌週から仕事に出かける気持ちの準備ができていました。これくらい休めるといいのかも!そして帰ってきてみれば。帰ってきたその日に、テレビ東京の、「地球街道」 という番組に、ルンドが出てくると母が教えてくれました。あらあらまぁ。。今日帰ってきたのよわたし。(続く)
2006年07月22日
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なんとかありったけの有給と代休を組み合わせて、勤め始めて半年弱とは思えないほど長いお休みをいただいてやってきたのでありまするが、いよいよ休暇も最終日。ヨーテボリの友達の家でもBBQをしたり、森に散歩に出かけてはブルーベリーやラズベリー、カシスの実をつまみぐいしたり。川や湖に泳ぎに出かけ、日本では紫外線ガードしっかりしてるのに、ここではありえないほど日焼けしちゃいました。あいたたた。。(つづく)
2006年07月20日
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今日はルンドでの住まい探しで非常ーーーーにお世話になったKerstin と彼氏のJens、Kerstin のいとこのFreddo さんと miho さんの新婚カップルの4人と再会のfika。miho さんとはわたしがルンドに留学してくる直前に知り合いになり、Freddo さんがKerstin を紹介してくれて、発つひと月前になっても住まいが見つからなかったわたしのために奔走してくれたのでした。それ以来、ご家族ぐるみで仲良くしてもらっていました。会えてほんとにうれしい!(つづく)
2006年07月16日
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朝起きて、ふと気になってメールをチェックすると、メールボックスがクラスメートからのメールでいっぱい。しかも、表題: monacat's welcome! と書かれたメールが10数通いっぺんに入っていて、それはもう手際よく誰が何を用意するとか、サラダは私が作るね!とかいろいろ打ち合わせが進んでいた。こんなにみんなが楽しみにして、準備してくれているなんて!シアワセ~~~(続く)
2006年07月15日
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今回の旅行では、なぜかコペンハーゲン行きのフライトがとれず、ヨーテボリ着の往復便をとりました。ヨーテボリに住んでいる友達の家にしばらくお世話になることに。まずは2泊お邪魔して、いよいよルンドへ!ヨーテボリからの列車に乗って約3時間。車内ではあまりに天気がよくて景色がきれいだったので、もったいなくて一睡もせず、ずーーっとずーーーーーっと車窓を眺めていました。この冬に、「世界の車窓から」でスウェーデン列車の旅を特集していたけど、やっぱり夏がいちばんさ!そして、、、、帰ってきました、ルンド!!!ただいま~~~~ああ、何も変わってない・・・!ほんとに帰ってきたんだ。。。とうれしいやらほっとするやら。次の日には、Gabriel の発案で、ルンド・マルメ残留組がわたしの Welcome BBQ パーティを開いてくれることになってる。楽しみ~~~泊めてもらうことになっている友達の家が、元々8月末までに引越しをすることになっていたところへ、大家さんから早めに出てくれと催促されてしまい、急遽わたしがいる間に引越しすることになってしまったとかで、着いてしばらく休憩してから手伝うことになった。しかも友達の家は、Delphi のすぐ近く。なつかし~~~もしかして、、とふと思い立ち、引っ越したという話も聞かないし、いきなり Ruzanna を訪ねてみたら、まだ同じ部屋に住んでいて、たまたま部屋にいたので会えてラッキー!まつ毛濃くてただでさえぱっちりした目をまん丸に見開いて、出迎えてくれました!
2006年07月14日
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スウェーデンから帰国して半年弱。いきなりですが、初の夏季休暇で出かけてきてしまいました~。もちろんスウェーデンへ!夏休みの混む時期を避けたはずなのに、なぜか取ろうとしたフライトがすべて満席で。なんとか時期をずらして無理やり取ったのは、仕事のヤマを超えた直後の日程。うーん、、、がんばりました!!前の日曜には仕事で担当になっていてちょっと大掛かりに人を集めたミーティングがあり、無事に終わったと思ったら、直後に脚のリンパ節が腫れて熱は出るわ、前日から調子が悪かったのがたたって喉がかれてヤギみたいな声しか出なくなり、、もうさんざん。飛行機に乗ってても空気乾燥してるしなーと風邪薬や抗生物質をかたっぱしから用意して、空港で子供用の(大きさの)マスクを買ったらなぜかディズニープリントが入ったマスクで、「ちょっとー、、、、はずかしいんですけど」と思いながら、機内では爆睡。。それでもスウェーデンに帰れると思うとうっきうきで出かけてきたのでありました。
2006年07月12日
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この日はわたしの誕生日でした。みなさん、各方面からお祝いのメッセージをいただきありがとうございました!そして、なんとこの日は LUMES でも仲のよかった Oxana とベルギー人の彼、Dannyとの結婚式でもありました。送ってもらった写真を見たところ、アントワープの市庁舎で簡素な式を挙げ、広場に移動して、それこそ朝の2時3時まで、飲み・歌い・踊り明かしたそうな。写真を見せてもらった限りではそれはもうすばらしいぴーかん晴れで、それはもうお似合いのカップルで、写真を見ながら思わず頬がゆるみました。ほんとうに、、ほんとうに、行きたかったなぁ。。。Happy Oxana & Lucky Danny、来年からはわたしの誕生日が Oxana の結婚記念日でもあるなんてステキ♪ LUMES family へようこそ、Danny♪とクラスメートのMLへお祝いメッセージを出しておいたら、ほんとにいつでもアントワープに遊びに来てね、と返事をもらった。その頃、わたしはといえば。。。。仕事の関係で、日米の大学生の交流イベントがあり、20人ほどの引率でお台場の日本科学未来館へ出かけていました。いやこれがまた、面白っ!!!割と科学技術寄りですが、AIBOがいたり、愛知万博で使われたバイオプラスチックのお皿の展示があったり(いやまたこれが硬かった、、こんなんじゃどれくらいかけて土に還るのって感じに)、外科手術が体感できる展示があったり、これはもう一日いたって飽きないな♪ しかもいちばんおもしろかったのがお土産コーナー♪ 各種宇宙食、たこ焼きとか、カレーとか、大学芋とか、、、が売っている、実験おもちゃもどれもかたっぱしからあけて遊びたくなるほど楽しそう~。同僚が大学芋を買って来て、あとで食べさせてもらった。フリーズドライだからパサパサした食感なのはしかたないにしても、なかなかはちみつがきいてて、おいしかったのですよ日米の大学生も、言葉の壁が多少ありつつも、たまにちょっとした通訳を頼まれたりはしたけど、楽しい気分っていくらでも伝わるもので、すごく楽しんでいたようでよかった。わたしは仕事のつもりで行ったのだけど、通訳ガイドのボランティアさんがいらっしゃるし、実はあんまりやることなくってま、それもアリでしょ。夜はしゃぶしゃぶをみんなで食べに行きました。もう1~2か月分は一気に豚・牛肉食べました。誕生日に仕事、、だったけど、それはもうおもいっきり楽しかったのでした。こんな楽しかった日に、友達がシアワセになってくれて、ハッピー倍増でした
2006年06月10日
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4月は、ほぼ毎週の割でスウェーデン関係の勉強会に出席していました。ひと月で3回行ったから、かなりの割ですよね。北欧各国の温暖化政策の比較とか、スウェーデン在住の日本人の方の、生活に密着した現地事情のお話とか、現地を視察して来られた大学の先生の最新報告とか。スウェーデンX環境なので、どれもはずせなかったんですよ~~。さて、この日も4月2回目の勉強会に出かけてまいりました。わたしが現地で見たり聞きかじったりしたことをより詳しく話してくださって、すでに知ってはいたことがあっても新しい視点をもらえたので、とても新鮮でした。たとえば、このブログでも少し触れたストックホルムの渋滞税、市内に入る車への課税、という交通量を減らす、というだけでなく、環境に配慮した車(プリウスみたいなハイブリッドカーとか、バイオディーゼルといって菜種油とか植物性のディーゼルオイルをガソリンと混ぜて使っている車とか)をそれはもうてってーーーてきに優遇していて、その手の車には渋滞税は課税されない上、駐車料金もかからないんだって!!また、3回の勉強会すべてで最新事情として聞いたことによると、スウェーデンの9月の総選挙で、どうも現在第1党の社会民主党が政権を失いそうだと。ただ気になるのは、次に政権をとるものと思われる政党(どこだったか忘れてしまった。。)はどうも環境政策にはさほど重点をおかないのでは、という見方があること。今までスウェーデンは環境政策をがんばってきたから、世論的にもそろそろもういいだろう的な空気があるようです。日本も含め他の国々もまだまだこれからというところへスウェーデンがそうなってしまったらとても残念。。。。さてさて、この日の勉強会は都合で大遅刻して行ったのですが、そこには来期LUMES入学予定の新入生が来てくれていました。しかもスウェーデン人だ!まさかこの東京で、LUMESにこれから入るスウェーデン人に出会うとは思うまい。。昨年ルンドに修論の調査でわたしを訪ねてきてくれたSさんのアルバイト先にインターンで来ていて、まだ来日して3週間めだそうな。あらあらまぁまぁ。。勉強会が終わったあと、少しだけでゆっくり話せなかったのは残念だけど、絶対 fika (お茶)しようね、と約束して別れたのでした。帰って、LUMESのクラスメートのみんなに、「ちょっとちょっと聞いてよ!」とメールをばらまきまくってしまいました。そうそう、在スウェーデンのブロガーのみなさん、もしわたしの理解が違っていたり、新しいことや見聞きしたこと、気がついたことがあったらコメントくださいね~~。
2006年04月24日
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ほんに久しぶりの更新となりました この日、わたしは日頃お世話になっていて、かつルンドにも遊びに来てくれた友人のHiroyoさんの勤め先が主催しているオーガニックフェスタなるイベントにお手伝いに出かけておりました。今回が3回目のこのイベントは、以前から気になっていたのだけど、初回を逃し、あとはずっとスウェーデンにいたので、今度はぜったい行こう!と妙に気合が入っていたのでした。というのもですね。。。有機栽培の食材を使ったパンやらワインやら日本酒やら、おいしそーーーーな食材満載だからなんですねー 食いしん坊にはたまらんですいつもお世話になっている友人の H さんもいらしていて、「どれもおいしそうよねー、どれ食べようかしらねー」なんて話がはずみました。いや、ちゃんとお手伝いはしますよ、もちろん!当日飛び込みボランティアのわたしは、出展ブースのひとつ、南青山のオーガニックレストラン、Orto さんのブースのサポートに入りました。はい、なんでもお手伝いしますこちらは有機栽培された野菜を中心としたメニューを出している、イタリアンレストランです。通常はデリはやっていないそうだけど、このフェスタのために用意したお惣菜の販売のお手伝いです梅山豚という中国の幻の豚と呼ばれる食材を使ったハムや、あっさりした味付けで野菜の甘みを楽しむピクルスや、雪下人参といって、通常は雪の季節の前に収穫する人参を雪の下で越冬させてさらに糖度を高く甘くした季節限定の人参のサラダなど、どれもおいしそぅ~~~さらに、試食キットを作るお手伝いもさせてもらいました。販売も、昔は展示会などで売り子をした経験を思い出したりして、ついつい調子が出てきちゃいます。たまには販売も楽しい!一生懸命販売してて、気がついたらお客さんがトークショーに来ていた女優の浜美枝さんだったりもしてびっくりした!!はははは・・・!休憩時間には他のブースを回ってみました。もちろん試食が目当てです!!! BIO というこのフェスタ専用のクーポン券のようなものがあって、これを何枚か出せば試食などさせてもらえるんですね~。日本酒、ワイン、飲みましたとも!アイスやケーキも おいしかった!お手伝いの後にもデリのメニューを試食させてもらったりもして、おいしかった!!一日立ちっぱなしで疲れたけど、おいしいもんたくさん食べられて、シアワセいっぱいで帰りましたとさ
2006年04月08日
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更新がだいーーーーぶ遅れましたが。。。待望のルンドが『世界の車窓から』に登場です!!ああなつかしいルンドの駅、Domkyrkan(ルンド大聖堂)。。。(涙)番組の長さは実質2分半~3分といったところでしょうから、放映されたのはルンドの駅と大聖堂の部分だけでした。毎日12時と3時にまわり出すからくり時計。写真はよく撮れてないけど、下の方の人形はキリスト生誕のときの三賢人が贈り物を持ってキリストの生まれた馬小屋を訪れたときの様子を表していて、14世紀からずっと正確なときを刻んでいます。ほんと、♪大きなのっぽの古時計~♪ です。おじいさんの時計?かどうかはわからないけど、知らないおじいさんの時計、という意味では間違いないかも? ~ ~ ~ ~ ~同番組の撮影日記を見てわかったのだけど、収録は1月末だったようです。なんだよーーーー!!そのときならまだわたしルンドにいたよ~!!わたしが大雪に苦労しながら荷物を東京に送り返していた頃です。知ってたら見に行ったのに。。。ちぇっ。
2006年03月28日
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月曜からだったか、たまたまテレビをつけていたら始まったのが、「世界の車窓から」それは別によかったのだけど、聞こえてきた声が言うことには「今日からスカンジナビアの旅です」うぉぉぉぉぉぉっ!?!?これは見なくては!!というわけで、運よく見逃さずに月曜から全部見ています。鉄道の旅はコペンハーゲンから始まって、マルメ・カルマル・ストックホルムを通ってノルウェーに入るみたいです。昨日、おとといはコペンハーゲン駅でした。あまりにもなつかしくてきゃーきゃー騒ぐわ涙ぐむわ。スウェーデン滞在中も、留学前に一度下見で出かけたときもあわせれば何度となく訪れたコペンハーゲン。思い入れもひとしおです。明日からは番組の鉄道の旅は、オーレスンド橋を超えてスウェーデンに入ります。マルメを特集するみたい。昨日も今日も忘れずにビデオ撮ったし、明日も撮るぞ~~。マルメもいいけど、ルンドも特集してくれないかしらん☆あぁまた帰りたくなるぅぅぅ・・・!!T_T興味があったらみなさんもぜひ見てくださいね!
2006年03月22日
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すっかりスウェーデンシックにかかっています。帰りたい。。。T_Tそれはさておき、なんだかスウェーデンオーラでも出てるのか、東京でスウェーデン人、スウェーデンつながりの集まりに遭遇する確率があがっております。まず、帰ってきたその週末に、友達が International Choir に入っていてヘンデルのメサイヤを歌うというので、帰国して直後の就職疲れで土曜午後の予定を全部キャンセルして、彼女のコーラスだけ聞きに行ったところ、choir メンバーのひとりがスウェーデン人の女性だったようで、その旦那さんや子供さんも来ているはずだとなんとなく小耳にはさんでいた。そしたら!休憩時間にわたしのすぐ後ろからあのなつかしいスウェーデン語が聞こえてくるではあーりませんか!こっこれはっこれは話しかけなくては!!と大慌てで、ろくに何も考えずに、Urs?kta mig (ウーシェクタ・メイと読みます、Excuse me の意味)と話しかけたら。そりゃ東京でカタコトのスウェーデン語を話す日本人との遭遇率は低いでしょう、ぶわーーーとスウェーデン語が返ってきて。(あたりまえだ)わたしのスウェーデン語は、何を言われてるかとか、ここの話題はおそらくこれだろう程度のもので、自分でしゃべるところまではたどりつけなかったので、「どこでスウェーデン語を習ったの、東京?」と言われているのはわかったけど、文章にならず、「えっとーーーー I Lund (=In Lund)」と答えてしばらくうーんとうなって、「えっとーーーー 英語で話していいですか?」とあえなく陥落。もちろんいいよと笑われてしまいました。そして先週は、偶然声をかけてもらい、スウェーデンと環境、というわたしが食いつかないはずのないテーマでカジュアルなサロン型勉強会があったので出かけてきました。以前からの友達、わたしと同じ時期にカールスクローナに留学していた T 嬢や、昨年夏にわたしを訪ねてきてくれたSさん、といったなつかしい顔ぶれや、スウェーデンの環境といえばこの人!というレーナ・リンダルさん、そしてスウェーデンつながりで新たにいろんな人と知り合えて最高だった。その日の話題は、スウェーデン・ベクショー市がいかにバイオマスエネルギーを導入するに至ったか、の経緯をスカンジナビア観光局の方にプレゼンしてもらったのだけど、1980年代初頭のあたりでまったく未知の分野だったバイオマスエネルギー計画にぽんと助成金を出したスウェーデン政府は太っ腹!! 特にリスクテイクに関するスウェーデン人と日本人のメンタリティの違いを感じました。ここからはまったく私見ですが、日本の社会はチャレンジしたことへの失敗に対してまったく寛容とはいいがたいので、失敗を内部だけで隠そうとしたり、必要なチャレンジにたいして腰が重かったりするように思います。とはいえ、まったくの賭けをしろとはわたしも言わないので、適切なレベルでのチャレンジをするとすれば、大きすぎない地方自治体レベルかねぇとかそんな議論をしました。職業観の話もちょっと出ましたが、日本の労働市場は硬直していてかわいそう、解放してあげたくなっちゃう、というコメントを日本在住のスウェーデン人の方からいただきました ^^; 今はそれが何のことなのかくらいはわかります。大学にいたときも、授業に来た先生は博士号の学位をもっていながらも実は大会社の社長さんとか専務さんだったり、わたしの論文の指導教官も途中からルンドを離れて、バイオエネルギーを推進する会社の副社長さんになっちゃいました。(だからあとでわたしはタイヘンだった >_
2006年03月13日
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もう帰ってきてから軽ーーーく1ヶ月以上たっちまいました。。。帰国して翌日から、以前から細々とお手伝いさせていただいていた、環境NGO の事務局スタッフとして働き始めました。たくさんのボランティアのみなさんに協力していただき、仕事も教えてもらっています。クラスメートのみんなはまだ就職活動で苦労している中、わたしは本当にラッキーでした。これからもどうぞよろしく!当ブログの今後ですが、このブログは留学の記録という位置づけなので、留学時代に学んだこと、思い出したこと、考えたことをもう少しだけ書いて、更新停止と致します。今度は世界中に散っていったLUMES の友達や、日本に興味のあるひとのために、ちょっとした日常生活を英語で書いたものをまた別ブログで書き始めようと考え中です。こたつあたり、世界の友達に見せたらおもしろいだろうなと思って。それでは、読んでくださったみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いします。
2006年03月10日
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ついにこの日がやってきました。もはや感傷は吹き飛び、頭ん中 GET THINGS DONE 一色。荷物全部をいかに無事に持ち帰るかがすべてでした。車輪つきのバックパックに、ノートPCを運ぶリュックサック、ほかにボストンバッグ3個。どれも破裂しそうにパンパン ^^;;;;;こんなんひとりで空港に運べるわけないので、Patrick にも手伝ってもらいました。彼にも朝4時起きさせて申し訳なかった >_< しかもラボの半休までとらせて。。さらに午後からは高校生が研究所に見学に来るので、引率やら、ちょっとした授業までやるらしい。すまぬー!!! こんな朝早くに発つことになったので、寮の友達にもろくに挨拶ができなかった。共用のキッチンに、今までありがとう。日本に来ることがあったら連絡してね、と連絡先を書いたメモを残した。ルンドに戻ることがあっても、この寮にまで来ることはないかもしれない。ここに住んでる友達はその頃には大学を卒業して引っ越してしまっているだろうし。さよなら、Delphi 。・・・自分の入ってる写真撮るの忘れたーー!!!霧の濃い朝だった。朝早かったのでまだまっ暗で、街灯の光を受けて、霧がキラキラ光っててきれいだった。(ダイヤモンドダスト!?とまた過剰に驚いて笑われた。さすがにそこまで寒くないってか ;p)まだまっ暗だったので、ルンドの駅に向かうバスからの街並みはほとんど見えなかった。大好きだったアルヘルゴナ教会(Allhelgonakyrkan)、ルンド独特の石造りの大聖堂、Domkyrkanもそばを通ったのによく見えなかった。・・・いつかまた絶対戻ってくるから。それまではさよなら、ルンド。コペンハーゲン空港行きの列車に乗って、荷物を下ろしたら少しほっとしたのか、マルメを過ぎて渡るオーレスンド海峡にかかる橋を渡っているところで涙が出てきた。ここでさよならだ、スウェーデン。せっかくここの暮らしに慣れてきて、特に寒さにも慣れたところで帰らなくてはならなかったのはとても残念。ここの春は格別だし、夏はあまりに気持ちよくて仕事にならない、って今ではとてもよくわかる。もっとここで暮らしていたかった。ただ、友達はほとんどルンドを離れ、国連のインターンを始めたり、PhDプログラムに入ったり、はたまた就職活動に四苦八苦していたり、それぞれ新しい生活を始めたし、ここに残ってまた次々と去っていく友達を見送るのも辛かろうし。帰る日が近づく中、帰るのが寂しいのと同時に、そろそろ潮時かな、という気もし始めていた。幸いわたしは帰ってからの就職先が決まっていたし、みんな待っていてくれるから。だからわたしは帰ることにした。間違ってないと思う。悲しくても。~ ~ ~コペンハーゲン空港で荷物をチェックインしてみたら、20キロまでのところ7キロも超過していた。7キロじゃさすがに見逃してくれないね、泣く泣く超過料金を払いました。くくっ、こんなことなら10キロ小包をもうひとつ作るんだった。>_<ここでついに Patrick ともお別れ。こっちに来て以来、何から何までほんとうにお世話になった。ありがとう。別れる間際は悲しかったけど、ひとりになってしまったら、また GET THINGS DONE モードに切り替わり、無事に帰りつかなければ、となんか必死になっていた。飛行機が飛び立つ瞬間は悲しくてやりきれず、窓の外から目を離せず、離陸の瞬間にはさすがに息が止まって涙が止まらなかった。コペンハーゲンを発って、アムステルダムで乗り換え。アムステルダムから成田への帰国便ではもうだいたいの乗客が日本人、ゲートに近づくに連れて、大学生らしい舌足らずな声があちこちから聞こえてきて、アムステルダムですでにあー帰ってきたなーという実感が湧いてきた。アムステルダムから飛行機が飛び立つときもなんか泣きそうだなと思ったけど、そのときにはすでにまわり中日本人だったからかなんとなく泣けなかった。もう4割がたすでに日本に帰ってきた気がして、ほっとして気が抜けたのか、アムステルダムでの離陸を待たずに機内で爆睡。~ ~ ~こんな具合にわたしの留学生活は終わりを告げました。写真は以前に撮ったもので、学生会館にあたるところ。1867年に建てられた建物です。
2006年01月30日
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荷物をまとめて日本に帰る日は明日。いよいよあと1日しかない。。。。2週間ほど前は、ここにまだ友達はたくさんいるし、帰るのが寂しくて泣いたりもしたけれど、もう翌日に帰るともなれば、感傷の隙間なし。荷物をまとめるのもなかなか気が進まなかった。寮の部屋はそれはもう気に入っていて、荷物がなくなっていくたびに、わたしがここにいた、という痕跡がどんどん消えていって、わたしの部屋じゃなくなっていくので、それがまた悲しかった。最初は写真撮ったりもしてたのだけどね。前日ともなればそんな余裕もなし。というわけで今回は、今はもうないわたしの部屋を大公開!広さは10畳くらいかな、机、ベッド、本棚、椅子が3つ、家具つきで、何も買う必要なし。ほんとに私物は本と衣類とノートブックPC、それだけ。だけど1年も暮らせばそれなりに、なんとなくだけどわたしらしい部屋になっていました。写真を撮ったのは雪の日でした。 IKEA で買ったベッドカバーと枕カバーがお気に入りでした。シャワーカーテンも来たばかりの頃、マルメのIKEA であわてて買ったけれど、なにげにかわいくてお気に入りでした。前日にクラスメートがお別れ会をしてくれたのだけど、やはり前日とあって、最後にひと目会っておきたいし、と友達が入れ替わり立ち替わり訪ねてきてくれました。朝一に Irantzu が来て、これ、バスクのシンボルなの、とシンボルマークのついたチョーカーをお餞別にくれました。クラスメートの中でわたしがやたら写真を撮りまくっていたので、わたしのノートPCからたくさん写真をダウンロードしながらいつもと何も変わらないおしゃべり。すでにルンドを去った友達がその後どうしているかとか、そんな話。わたしも片づけの大詰めだったので、お茶を出す以外のおもてなしは何もできず、彼女は写真をダウンロードしながら、わたしは片づけながら名残を惜しみました。冬服はかさばるばっかりで全部持ち帰れそうになかったので、あきらめ品をまとめておいたら、じゃ、持ってってあげる、とIrantzu が一部引き取ってくれた。これが最後じゃないんだから、、とお互い言い聞かせるように繰り返しながら別れを告げました。この日は、私物の最終処分でまた忙しく、携帯電話と自転車を売りに出していました。引越しセール、と学校に貼り紙をしておいたら、たまたまオランダのエラスムス大から短期で system analysis を勉強しに来ていたネパール人の Ritish が言い値で携帯を買ってくれました。まぁ、元をとろうなんて考えはまるでなかったのだけど、たった1年半しか使わなかったし、割と新品同様にきれいだったので、買ってくれてほっとしました。約束の2時にメモリーを全部消去して携帯を売り、ルンドに残っているクラスメートみんなに、「2時以降に携帯を売るから電話かけないようにね」とメッセージを残し。またわたしがここにいた痕跡が消えました。LUMES の一年下のベトナムの Mai が近所に住んでいたので、体格も似ていることだし、冬服を譲りたいんだけどどう?と声をかけたら喜んで来てくれたので、あきらめ品をまた処分。彼女の気に入らなかった分は、寄付に出してくれるという。ほんとに助かった。捨てなくていい、というだけでもだいぶ気分的に違う。携帯を売った Ritish が、インド人の友達を連れて戻ってきて、自転車まだある?と聞いてきた。実は Mai に売るつもりだったけど、少し大きいから残念、と売れなかったので助かった。インド人の彼女には last minute sale だから、といって言い値より安くして売った。前輪も後輪もパンクしたのを直したばかりだったし、いい自転車だから使ってくれればうれしい。彼らはルンドに引っ越してきたばかりでまだ物入りだから、わたしの部屋の、処分しきれない私物、手鏡や、カーペットを 次々と引き取ってくれた。これでだいぶかたづけがはかどった。ありがとう!!もう携帯つながらないんだよね?と言いながらドタバタ最後に駆けつけてきてくれたのは、クラスメートの Leah だった。わたしが発つ日の朝、ルンドの駅に見送りに行くつもりだったと言うけれど、えー朝6時にはもう出ちゃうよ無理だよーと言いながら笑った。実家の母が送ってくれたホカロンが珍しかったらしい。これはね、袋からあけて服に貼るだけだよ、とおなかに貼ってあげたら、あったかーい、なにこれーー!!とそれはもう喜んだ。ケニア出身の彼女は寒さには弱いのだ。東京でホカロンを使うこともない。ホカロンの引き取り先決定!他にもいろいろ細かい私物を引き取ってくれた。ナイジェリアやアフリカから来たばかりの友達がいるから、かたっぱしからあげるよ、と言ってくれた。彼女もほどなくルンドを去る予定だから、それなりに処分が忙しかろうに、ほんとに助かった。こうしてみると、本や衣類はとっくに東京に送り返していたから、ほとんど荷造りは終わった、と思っていたのに、最後の最後の片づけにほんとうに手間取った。結果、スーツケース、バックパックにボストンバッグが3個。しかも全部パンパンに膨れ上がり、とんでもない荷物になった。来てくれて、しかも私物をかたっぱしから持ってってくれたみんな、ありがとう!片づけを手伝ってもらったようなものです。このたとえはちょっと申し訳ないんだけど、入れ替わり立ち替わり現れては残り物を処分してくれた彼らはまるで、エコロジーで言う scavenger のようだと思ってしまった^^;scavenger とは、ハイエナやハゲタカのように、肉食動物が食べた後の残りの肉をきれいにたいらげてくれる動物のこと。ちょっとこのたとえはあんまりなんだけど、でも残りをきれいにしてくれる、というあたりは scavenger のようでした。決して悪い意味ではありません。ありがとう!!冷蔵庫や食器棚の食品も片っ端から処分し、日本から送ってもらった余った食材は、last minute friends, last second Patrick! と最終処分場扱いで悪かったけど Patrick に引き取ってもらった。彼もだんだん切羽詰ってきたわたしを見て、ろくにブツも見ないで、いいから置いてって、と言ってくれた。多謝! こうして、部屋からも、寮の共有キッチンからも、わたしが暮らしてきた痕跡を消してしまいました。夜の12時をとっくに過ぎており、翌朝は4時起き。おそろしくも感傷の余地がほんとうにもうなくなっていました。
2006年01月29日
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ルンドを去る日を二日後に控え、荷づくりも私物の処分もいよいよしゃれにならなくなってきた中、誘われてなぜかそり遊びに出かけました。スウェーデン南部、スコーネ地方は比較的まっ平らな土地で、印象としては北海道に近いような感じ。まさかルンドでそり遊びができるとは。知らなかったよー。もっと早くに知っていたら、段ボールで丘をすべって遊んだりもできたんだ!!あったのです、ちょっとしたゲレンデが。自転車で寮から15分くらい走ったところに小高い丘がふたつあり、珍しく大雪の今年はちょっとしたゲレンデになっていたのです。この丘、結構高いぞ、ルンド全体見渡せるし、マルメやコペンハーゲンのほうまで見える!!待ち合わせしていた人々となかなか会えず、大雪の中うろちょろしていたら偶然クラスメートの Christoph に会いました。オーストリアでスキーのインストラクターをしていた彼は、クロスカントリースキーを楽しんでいてご満悦。さてさて、いよいよそりに挑戦。木でできたご大層なそりなんてなくて、みんなプラスチックのソリでした。下手したらプラスチックの丸い板に取っ手がついただけのものもありました。こんなんでいいのか。。。。そしてわたしはそり持ってないし、てなわけで何ですべったかと言うと、ポリ袋、、、ってーか、ゴミ袋。。。。>_<ジェットコースターは大好きだけど、自分でスピード出す乗り物はなぜか苦手なわたしとしては、結構なスピードが出るので滑ってる間に涙目に。スピードを殺そうとしてるうちに仰向けにひっくりかえってそのまんまの状態で滑ってました。この写真、ひっくりかえってるのがわたしです。さすがスウェーデン人は老若男女、こわがる様子もなく、ガンガン無茶な体勢で、すごいスピードで、すべるすべる。~~~~~夜は Patrick と最後の記念に、とわたしが来たばかりの頃、一緒に出かけた WASABI というスシレストランで食事して、わたしはクラスメートのお別れ会に出かけました。まぁ特に何をしたわけでなく、学校に集まってピザつまみながら、久しぶりに会う友達と近況報告したり別れを惜しんだり。別れ際にはこれが最後じゃないけれど、、と言いながら hug してたら Ruzanna が涙ぐんでた。わたしはいまいち実感のないままひとり、またひとりと先に帰っていく友達を見送ったのでした。T_T
2006年01月28日
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東京も大雪だったようですね。ええ、こちらもガンガン吹雪いておりまするよ~~。昨日あたりからちらちらと雪が舞い始め、30日帰国なのにろくに準備ができてなくてやばいなぁ、、と思いながら郵送用の段ボールを買ってとりあえず第1便として本を詰め込みました。今朝、窓の外を見たらすっかり積もってる上に吹雪いてる。。。もう朝一で、しまつたー!!!!こいつは郵便局行きはダメだな、とあきらめモードに。それでも昼前くらいに、雪がいったんやみそうな感じに落ち着いたので、直感的に、「今しかない!!!!」 、すっかり雪で埋まってる自転車を掘り出して荷台に小包を載せ、徒歩7~8分程度のスーパーの郵便窓口へ出発。ところが。普段だったら雪が積もり始めたら早いうちから除雪ブルドーザーが出てきて、道路や自転車用の通り道を確保してくれるのに、なぜかそのときは雪かきがまだで、結局、10キロ超の荷物を載せた自転車をひきずって歩くハメに。。お、重かった。。。自転車の重さに加え、結局雪に車輪をとられるから、若干雪の重さもあるんだねぇ。。でもこっちも必死だし、運よく目的地は近いからがんばりました^^v ってかもっと早くから準備しなさいって実家にも怒られたばかりでした。。こちらの小包は、ゆうパックみたいな既成の段ボール箱が郵送料込みで売っていて、その箱を買って持って帰り、ブツを詰めてまた窓口に持っていく形です。とりあえずいちばん大きい10キロ用段ボールに詰めて持ち込んだら、窓口ですでに12キロだったことが発覚。本は重い。。。「超過分は追加料金を払えばいいんじゃないの??」と聞いたら窓口のおばさんは郵便局に電話をかけて聞いてくれて、超過はやっぱりダメだということに。窓口でまた解体して本を数冊またお持ち帰り~。ま、しかたない。帰りにはスーパーの駐車スペース確保のために出てきた除雪ブルドーザーがかきわけた雪で自転車が埋もれてた。。ほんとーーーに自転車持ち上げて掘り出しました。帰国準備でたくましくなれそうだ。。でも、そのときに小包出しに行って大正解。帰ってきたら本格的に吹雪になりました。なんというのか、ほんとーーーーに blizaaaaaarrd でした。そんな中、日本のパンケーキ(お好み焼きのこと)焼くから遊びにおいでー、と友達を呼びつけるわたしはオニ。そしてあの大雪の中30分も歩いて来てくれた彼女も彼女。お好み焼き粉が余ってたのを処分したくて、ケニアの Leah に来てもらいました。彼女も雪はすごかったけどそんなに寒くもなかったよー、とけろっとしてた。張り切ってお好み焼きを焼いて、ふたりでたらふく食べた後、テレビを見てリラックス。さて、帰るか、となったところでわたしも雪の中歩いてみたいから一緒に外に行くよ、と言って一緒に出たら、それはもーーーうまだ横なぐりに雪が吹きつけてて、「・・・・。ねぇ、Leah、これちょっと(帰るの)無理でしょ」はーい、おひとり様お泊まり決定~~。というわけで泊めちゃいました~。~~~~~すっかりフィンランド旅行の詳細のアップがとどこおっておりますが、ちょこちょこ書き足したり写真をつけたりしますのでまた見てくださいませ。日本のみなさんもどうぞ雪道には気をつけてくださいね。
2006年01月20日
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フィンランド旅行の道中、よーーーくよくよく見てみれば、野生のヘラジカやトナカイにお目にかかれたはずなのに、昔から車酔いのひどかったわたしは子どもの頃から車に乗れば寝てしまう習性がしっかり身についていて、エンジンがかかればすぐ寝てしまう。Patrick が「ほんとにヘラジカやトナカイが見たいんだったら起きてなきゃだめ」というのも意に介さず。それでも、帰国間近なわたしにホンマもんのヘラジカを見せたかったらしく、この日は Patrick がヨーテボリ市内の動物園に連れて行ってくれた。動物園といっても上野動物園とか、ちゃんとしたのを想像するとかなり違うもの。子ども動物園、に感覚的には近く、トロピカールな動物はオウムぐらい。ゾウやライオンももちろんいない。それでもアザラシがいたり、ペンギンがいたり。なぜかペンギンと一緒の水槽にペリカンがいた。・・・どういう組み合わせ?? 不思議だ。。。^^;冷たい雨の降る中、急な坂道をのぼりくだり、ようやくお目当てのヘラジカに会えました。moose こっちでは elk と呼ぶのが一般的みたい。でっでっでっでっ、でけーーーー!!!!この写真がよくわからないかもしれませんが、ワゴン車くらい、かるーーーくありますよ!!!!・・・車に乗ってて、こんなんとぶつかった日には間違いなく死にますわ。聞いたところによると、足長美脚(??)なものだから車とぶつかったときには脚がやられて、本体がボンネットに乗っかって、そのまんまあの巨体がまるごと運転席に飛び込んできちゃうそうです。しかもあのツノが運転手や助手席の人に刺さることもあるとかで。。。。うわー。。。。T_Tあんまりうまく撮れた写真がないのだけど、この写真の方が、デカさ加減がわかるでしょうか??なんと、Patrick のご一家もあやうくコイツを車で轢きそうになったことがあり、あわてて急ブレーキをかけてなんとか目の前で止まれたことがあるんだって。こわーーー。。。。。T_Tこんなのが実際に山の中にいるわけね。エコロジーの授業で聞いたけれど、このヘラジカの頭数制限もなかなか悩ましいらしい。こんな巨体だもん、いっぱい食べるからね、他の動物の食べ物がなくなっちゃうし。ヘラジカ頭数制限については、このあたりのサイトに詳しく書かれています。http://www.swedenalacarte.se/Hunting%5CSveaskoginterview.htmhttp://www.ecology.or.jp/sweden/0311.html↑このサイトはとてもわかりやすく書かれていてオススメ。フィンランド旅行中には、ヘラジカやトナカイ料理も口にしました。Patrick の伯母さんのところでは朝食にヘラジカの燻製ハム、行き帰りのフェリーではトナカイの煮込み料理、ビーフストロガノフによく似た料理があって、どちらもおいしかったです。「(赤鼻の)ルドルフの友達を食べちゃって、ひどいなぁ~」なんて Patrick に言われてしまいました。とはいえ、その土地の料理だし、季節の恵み、ということで納得して、ありがたく残さずいただきました。・・・・って、アンタだって同じもん食べとるやん!!!!プンプン(○`ε´○)
2006年01月10日
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フィンランドからヨーテボリに帰ってきました。3日程度の滞在、と聞いていたのだけれど、それは行き帰りの行程をカウントしてなかったので、旅の日程全体としては6日間がかりでした。毎日移動ばかりしてたような気がする。。ヨーテボリからストックホルムへ車で移動、車ごとヘルシンキ行きのフェリーに乗り込み、ヘルシンキの手前、フィンランドのトゥルク(Turku)というところで下車、トゥルクとヘルシンキのちょうど中間くらいのところに住んでいる Patrick の伯母さまのところで一泊。翌日から北上してオウル市 (Oulu)で2泊。同じ行程で戻ったので、フェリーで2泊。車で移動中にちらっとだけど野生のヘラジカやトナカイを見たり、本場フィンランドでサウナ体験をしてきました。写真のダウンロードもまだなので詳細は徐々にアップします。
2006年01月09日
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帰りは行きとまったく同じ経路で帰ってきたわけですが、いくつか気がついたことを書いておきます。その1:スウェーデン人は運送業者を使おうとはまず考えない。まるっきりないわけではないと思うんです、黒ネコヤマトのような運送業者。ただ、使ってる人を見たことないです。郵便料金もばか高い(と彼らは思っている)し。手紙を出すのは、わたしでも驚いたほど高いけど、航空小包は日本の方が高いっす。引越しや、家具を運ぶにしても、家族総出でワゴン車借りてきたり、ガソリンスタンドで、別付のワゴンが借りられるらしく、車の後ろにつないで、テールランプもつくようにして運びます。今回、Patrick の伯母さん宅から、なかなかよさげなカウチをもらった Patrick ご一家。はるばるフィンランドからスウェーデン・ヨーテボリまで別付のワゴンを借りて持ち帰りました。車の後ろにつけるのがなかなかうまくいかず、Patrick のご両親と4人で、氷点下の空の下、あーでもないこーでもない、となかなかつかないテールランプに悪戦苦闘したりして、ワゴン車ごとフェリーに乗り込んで、持ち帰りました。帰ってからも、家族総出でカウチを運び込んで埃だらけになったカウチを掃除して。こっちの人は引越しするときもそんな感じ。学生もお金ないからなんとか車を借りて何往復もして荷物運んだり、実家から家族がみんな出てきて引越しを手伝う様子をよく見かけます。やっぱ、運送業者もめっちゃ高いんかな~。その2:ストックホルムの渋滞税ひとつ、帰ってきてから Patrick ご一家がほっとしたことのひとつには、ストックホルムに試験的に導入された渋滞税が始まる日程を避けて帰ってこられたこと。行く前に、もしかしたらフェリー発着所に着くまでに、渋滞税払わなきゃいけないかもしれないね、やだね~なんて話はしてたのでした。運よく今回は払わずにすみました。この渋滞税、というのはストックホルム市内の交通渋滞を解消するために、試験的に導入されたもの。高い税金を課して、市内を走る一般車両を減らそう、という試みです。通勤に車を使う人もできるだけバスや電車などの公共交通機関に振り替えさせるようにしたものです。・・・渋滞って言ったって東京ほどじゃない、とわたしは思うけど。(もっと詳しく知りたい方は、stockholm, congestion, charge などのキーワードで検索してみてください。ニュースソースだと、一定期間で消しちゃうみたいなので、ここにリンクは載せないでおきますね)日本にもないのかな?と思ってちょっと調べてみたら、いちおう都庁も検討はしてるようです。また、スウェーデンでは今のところ、高速道路は無料です。有料制にしようという話もないではないらしく、ある日の新聞では、有料制への世論調査の結果が載っていました。もちろんみんな大反対。こげな税金ばか高い国で、高速道路まで有料にされてたまるか!!ということのようです。そりゃそうだよねぇ、誰が賛成するのよ。
2006年01月08日
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今日は1月3日に80歳になった Patrick のおじいさんの Birthday Party で、親戚一同大集合! Patrick のお母さんや伯母さま一同集まってにぎやかに準備を整えて出発。着いてみたら、ななな何人来てるのさ、おじいさんのお友達や親戚一同みんなみんなで軽く50人は超えていて、すごいことになっていた。右の写真のように軽くつまめるオードブルみたいな軽食をたくさん用意するのも大変だったみたいだけど、ケーキもまるっと7~8個は焼いたらしい。このケーキなんてブルーベリーで80と飾ってある。手作りはいいね^^おじいさんはやあやあよく来たねー、と迎えてくれて、趣味のアマチュア無線つながりで日本人の友達がいるよー、と日本の友達から来た葉書をうれしそうに見せてくれたり、何度も手を合わせてお辞儀をされたり ^^;;;;;; や、やはりそういうイメージか。。。(笑)パーティの様子。この日のハイライトはおじいさんのためのオリジナルバースデイソング。Patrick のいとこのJukka が、フィンランドの古い童謡を替え歌にして、おじいさんの80歳までの人生を歌った歌詞をつけて、みんなで歌うのだ。フィンランド語はさーーーっぱりわからないけれど、おじいさんは若い頃はターザンになりたくて、オーストラリア移住を企てたとか、男の子が欲しかったのに5人続けて娘が生まれて、最後の6人めにようやく男の子、とか。アマチュア無線にハマったけれど、今は skype も使えるようになったとか、etc, etc 。なかなか粋なことするじゃない、すごいすごい ^^それにしてもフィンランド語はさっぱりわからない。デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語はある程度似てはいるらしいのだけど、フィンランド語はまったく別系統なのだそう。どっちかというとハンガリー語とかそっち寄りみたい。そして、フィンランド出身のPatrick のおかあさんを除いた、Patrick 本人、お父さん、弟さんも妹さんもフィンランド語はわからないので、わたしと一緒で、親戚一同の会話がわからない状態が発生。しかも、彼らもあまりスウェーデン語が得意じゃないみたい。親戚同士にもかかわらずことばが通じにくい特殊な状況が発生していました。いちおう、ガイドにはフィンランドではスウェーデン語とフィンランド語が公用語、となっているみたいだけど、それはあくまで都市部、ヘルシンキあたりの話で、Oulu のようなフィンランド北部ともなるとスウェーデン語話す用事はほとんどないし、テレビもアメリカのテレビとか、英語のものばっかりだから、彼ら的には英語を話すほうがラクだと言う。Patrick たちはフィンランド人のいとこたちと、英語かカタコトのスウェーデン語で会話をしていた。笑えたのでちょっとおまけ。これは Patrick のいとこ、Jukka の部屋にあった置物。この漢字、どういう意味って聞かれたんだけど、これ、ちょっと微妙^^;;でしょ、どう思います? わたしはこれ、中国語かもしくはニセモノだと思う、と伝えました。上の2文字はおそらくクリスマスかなにかのことを言いたいのだろうと思うけど、下の2文字はちょっとねぇ。。。それから、フィンランドのテレビでは意外に日本のものが放映されててびっくり。北野武の、「3-4×10月」という映画が英語タイトル Boiling Point となって放映されていた。まだ HANABI とか、座頭市あたりが出てくればわかるけど、こんな作品あったなんてわたし知らなかったし、この作品自体、北野武作品だってわかるまでに20分かかった。。。たけし軍団が出てたからなんだけど。Patrick や弟さんが、「あっパチンコだ」って言いながら途中まで一生懸命見てたけど、途中からあまりにおゲレツだったり暴力的だったので、親戚の憩いの場には不向きでその場唯一の日本人としては日本への誤解を受けそうでやりにくくなってしまい、、「か、変えない・・・?」とお願いして変えてもらった。あと、わたしは見たこともなかったけれど、英語吹替えで、日本人による、007のパロディ作品のようなものも放映されていた。主演男優見てると日本人ぽい顔してるけど、日本映画かなぁこんな作品知らないしうーん、、、とうなってるうちに若い頃の浜美枝さんが出てきて、ああやっぱり日本映画かぁ、となった次第。ずいぶん渋い日本映画を放映するのねフィンランド。
2006年01月07日
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ヘルシンキ郊外からさらに北上、Oulu 市へ出発です。ひたすらまーっすぐまーっすぐ、対向車もあんまりいないような道を平均して100キロ前後のスピードでぶっとばします。そりゃ車の走る道路はある程度雪かきもしてあるけれど、雪道を100キロ以上でぶっとばし、ときには1車線ずつしかないのに追い越しをかけ、、最初はあまりにスリリングでおびえてたけど、そのうち慣れてくるもので、あとは終日運転おまかせ状態でまったり。北欧の冬の太陽は弱く、まぶしいのはほんの2、3時間。3時過ぎには夕方、4時過ぎたらとっぷり暗くなります。ヘラジカでもいないかなーときょろきょろしてたけど、そうそうお目にかかれません。あきらめた頃にカーラジオからニュースが。なんでもそのとき走ってたまさに同じ通り、数時間前に通り過ぎたところで車とヘラジカが衝突事故を起こし、その上に後続車が追突して玉突き事故まで。あちゃー。。。。じ、事故にあわなくてよかったね、、、というところでいったん休憩。たまたま止まったところがなぜかベルで有名だそうで、 こんな感じにベルだらけー!!さてさて、そんなこんなでPatrick のまた別の伯母さま宅に着いたのは夕方7時ごろ。フィンランドならではのこんなパイをいただきました。こちら、カレリアパイ(Karjalan piirakka) といいます。お米をライ麦のパイ生地で包んで焼いたもの。電子レンジかオーブンであたためて、バターをのせていただきます。素朴なあじわいでなかなか美味です。こうして徐々に Patrick の親戚一同が集まりだして、それぞれに紹介してもらったのだけど、ただでさえフィンランド人の名前ってなじみが薄い上に、ユッスとかユッカとか、似た名前が多くて頭クラクラ。。。途中からわけわかんなくなってました >_< すまぬー!!!さて、そしていよいよ本場のサウナです。こちらのお宅は屋内のバスルームに電気で手早くあったまる式のサウナが併設してあるのと、本格派、薪をくべてあたためるスモーク式の屋外サウナがあり、しかもその屋外サウナは湖のほとり。夏はみんな湖に飛び込んではサウナに戻るらしい。さすがー!!・・・とと、さすがにこの季節は雪と氷で湖は閉ざされています。てなわけで、けしかけられて雪ん中転がってみることに。意外なことに、前に試してみたサウナのあと海に入る のにくらべたら、ぜんーーーーぜんラク。楽勝です!^^v背中からごろん、とうつぶせに転がって、ぎゃーー!!!と叫んでまたサウナに戻るだけのことなんだけど、おもしろかったから何回もやっちゃいました~^^v他にもサラサラできれいな雪をほおばったり、雪を小さく固めて頭にのせてサウナに戻ったり、白樺の枝をたばねて作ったVASTA という道具で、白樺の葉を水にひたして、体をぱしぱしたたいたり。これ以上血行促進してどうすんじゃい!という感じに ^^ 。楽しかったし、気持ちよかった~~。もーーーう爽快、サウナ大好き!!↑と大はしゃぎしていたら、この日本人のコ、話がわかるじゃないかとばかりにフィンランドのみなさんもほくほく^^
2006年01月06日
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結局フェリーではみなよく眠れなかったようで、朝も早起き、やや疲れを残したままヘルシンキの手前のトゥルク(Turku)で降り、Patrick の伯母さんを訪ねて出発!ヨーテボリで積もっていた雪はサラサラで砂みたいな powder snow だったけど、フィンランドでの雪はもう表面が凍ってて、ジャリジャリした質感になっていた。こっちの方が寒いのかな。そしてストックホルムの街中と、トゥルク市内でもちょっと見かけたのだけど、おそらく桜の木、、、かよく似た種類の木なんだと思うのだけれど、すっかり雪化粧された様子があの桜が満開のときとそっくりだった。Patrick とご両親にも、桜が満開のときってこれにほんの少しだけピンクが入った感じ、と伝えたらへぇぇぇ、、という反応だった。そしてフィンランドでの道中、気になったのがそこいらじゅうモミの木!! Patrick の実家でのクリスマスもホンモノのモミの木を買って来て祝ったけれど、家庭用のクリスマスツリーによさげな木があちこちに。雪に覆われてすっかりクリスマスの雰囲気。街にイルミネーションもまだ残ってるし。おぉ~、Christmas country!!!! といって喜んでたら不思議がられた ;Pフィンランドは森と湖の国、として有名だけれど、今回その湖は全部雪と氷に閉ざされて、その姿を見ることはできませんでした。カーナビの地図見てて、あぁここも湖!と思った程度。今度は夏にこなくちゃね。昼前頃に Patrick の伯母さん宅に到着。おじさまはスノーモービルに乗った姿で出迎えてくれた。かっこいー!!そしてご夫婦ふたりだけのお宅なのに広っ!!!! ウサギ小屋と評される東京からやってきたわたしにはうらやましい限りです。。ほんとに自家用サウナがある・・・フィンランド人の家には一家に一台サウナというのはほんとかな!?夜はカレーライスによく似た料理をごちそうになり、ティータイムにはクリスマスの時期の特別なお茶をごちそうになった、スウェーデンではお目にかからなかったなぁ、、初耳。スウェーデンでクリスマスの時期に出回るグロッグというホットワインと同じハーブ、カルダモンなどなどが入ったお茶でした。確かにグロッグと同じ香り。そしておもしろかったのが、ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの北部のラップランド地方のおみやげだと言ってお茶と一緒に出してもらったユーカリ入りのはちみつ。最初、かいでみてユーカリのことだとわからなくて、しばらくえーっとあのハーブの名前、英語でなんだったっけーとみんなで悩んで、Patrick のお母さんが、ほら、パンダが食べるあれよ!と言うので、竹(bamboo)?と聞いたら違うと言う。んー、そしたらコアラの食べるユーカリでは?と聞いたら、そうそう、それ!!とのこと。そっかー。。。^^・・・でも、ユーカリってオーストラリアとか限られたところにしかなかったような、それがラップランドのはちみつに入ってるっていったい?? @_@普段はお茶と一緒にはちみつをすすめられても、緑茶で生きてきたわたしとしてはお茶に砂糖類を入れるってどうもしっくりこないのでいつもお断りしてたのだけど、今回はいただいてみることに。ミントティー、、とは少し違うけど、似たような味わいにほんのり甘みが加わっておいしかった。翌日にはいよいよ北上して Oulu 入りです。
2006年01月05日
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朝早くから Patrick のご両親、Patrick、わたしの4人で、車2台で出発。Patrick の弟さんと妹さんは翌々日の飛行機でフィンランド入り。なんだぁ車2台あるんなら、みんなで乗ってけばいいじゃん、と思ってたら、どうも1台はフィンランドで売りに出すらしい。なんでもスウェーデンよりフィンランドの方が微妙に高く売れるので、多少の利益が出るのだとか。元々が物価も税率もばか高い国だからね、みなさんしっかりと生活おトク情報に精通してます。他にもフィンランドの税率が変わったとかで、フィンランドではスウェーデンよりはるかにウォッカが安く買えるらしい。Patrick はバニラ味のABSOLUTE VODKA を買うのを楽しみにしてました。・・・ABSOLUTE VODKA はスウェーデンの名産品なんだけど。。。家族のバカンスのときにかわいそうなのはボクサー犬の Bubba。連れて行けないので、犬用のホテルに預けられたのだけど、聞いたところによると、宿泊犬がほえ続けてホテルの人と話もできないほどやかましかったのだとか。・・・大丈夫か、Bubba!!!さてさて、ヨーテボリからストックホルムは500キロ以上は軽く離れており、丸一日車で移動、夜にはフェリーに乗ります。道中の雪景色が素敵。「そろそろ雪にも飽きてきたんじゃない?」「ううん、全然」なんて言いながらしばしドライブを満喫。運転してるPatrick は視力もいいついでに動体視力まで良いのか、ほら、あっちにヘラジカ、こっちにトナカイ、ほら、ネズミだか小鳥だか捕まえたワシまでいるよ、といろいろ教えてくれる。窓の外ばっかり見てるわたしは逆に全然気づいてなくて、えっどこどこ!?と言ってる間に通り過ぎちゃうパターンでした。通りに出てきちゃってあぶないので、道路脇にはたいていヘラジカ、トナカイよけの金網がはりめぐらせてあって、そのすぐ向こうに雌のヘラジカがいたりトナカイがいたりしたのがちらっと見えたけど、どっちがどっちなのか、わたしにはいまいちわからなかった。ストックホルムでは車ごとフェリーに乗り込んで、小さな客室で一泊。ストックホルムの周辺にはたくさんの小さな島があって、サマーハウスなのか家も建ってる。こんなとこにまで電気や水道とおってるのかな。。夜も遅くなってからふと窓の外を見ると、どどーーん!!!と雪と氷に覆われた小さな島が窓の外に広がってて、まま、まさか氷山!?!?とひとりおののいていたら、「それはぜったいないから。タイタニックとか北極圏じゃあるまいし」と言われ、あとで Patrick のご両親にも笑われてしまいました。;P
2006年01月04日
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Gott Nytt ?r 【ゴット・ニット・オール】!あけましておめでとうございます。2006年がみなさんにとって実り多い1年でありますように。大学院のコースを昨年で終え、今月末には東京へ帰ります。わたしにも新しいスタートです。さてさて、昨日はスウェーデンでの2度目の年越しでした。こちらではクリスマスでイベントモードは終わってしまいます。よってクリスマス以降は、大掃除や年賀状書きやお正月の準備で、妙なハイテンションで追いまくられることがないので、いまだかつてなくまったりと過ごしました。あれ?今日が30日ってことは明日大晦日??(あたりまえだ)くらいな感じです。それでも大晦日だけはさすがにイベントモードです。Patrick の弟さんや妹さんは夕方からパーティでヨーテボリ市内に出かけていきました。親戚のおばさまもパーティに行くんだとお友達と2人でやってきて、メイクの勉強をした Patrick の妹さんにパーティメイクをしてもらってウキウキ出かけていきました。すごーーーく上手だった、ぜひ!!!わたしもお願いしたーーい。。。メイクしてもらって出かけていく先がないのが問題だけど ^^;;;Patrick のお父さんはお仕事でした。よって、Patrick、お母さん、わたしの3人でまったり過ごしました。・・・またかい。それでも年越しカウントダウンの時間になると近所のあちこちで打ち上げ花火の破裂音が。そうなんです、日本では夏季限定、川辺限定、誰でも打ち上げられるわけでないのが、こっちでは規制いっさいなしです。日本でのあの1発ン百万(もっと?)というほどでないけど、それでも個人レベルでここまでするか、という感じに盛大に花火をあげてくれちゃいます。毎年、多少の死亡事故もあるみたいなので、いいかげん規制しようよ、という動きもあるみたいですが、やっぱりおめでたいし楽しいのでそのまんま毎年なぁなぁになってると聞きました。映画・恋におちたシェイクスピアをテレビで見ていて、どうにも腰の重いPatrick。年明けまであと5分、というところで問答無用・強制連行的に外に引っ張り出しました。とにかくまわり中花火花火花火!!!360度まわりと見渡せば、近所10カ所近くで花火あげてて、どこ見ていいかわからないほどでした。雪も降っていてまわりはすっかり銀世界。銀世界の中、まわり中が花火でいっぱいで、年明けと同時に Gott Nytt ?r !!!の声がまわり中から聞こえてきて、それはもう美しくてシアワセでした。ちょっとかわいそうだったのが、ボクサー犬の Bubba。かわいそうに花火の音におびえて、帰ってきたら震えていました。確かに音だけ聞いたら物騒だものね ;Pこんな感じでした。それでは今年もよろしくお願いします。明日からPatrick のご家族と3~4日ほどフィンランドに出かけてきます。
2006年01月01日
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Jul は【ユール】と読み、スウェーデン語でクリスマスのことです。英語に直すと Good Christmas となります。更新はやや遅れましたが、スウェーデンのクリスマスイブはこう過ごしました。Patrick のお母さんはクリスマスディナーの準備で朝から大わらわ。日本でいえば大晦日のお母さん状態です。わたしも何もわからないながら、生クリームの泡立てとか、少しお手伝いしました。とはいえ、ケーキとか、クリスマスのハムとか、ほとんどお料理の準備はできてたみたいです。前日にクリスマスツリー(小さいながら本物のモミの木!)を買って来て飾り付けして準備は万端。みんなでそれぞれに買ったクリスマスプレゼントも自分でラッピングして、クリスマスツリーの下に入れておきます。午後3時からスウェーデン語で Kalle Anka、ドナルドダックのクリスマス、というアニメをみんなで見るのが恒例だそう。日本でいえば大晦日の紅白でしょうかねぇ。そして夕方の4時前からもうディナーでした。はやっ!!まぁ暗くなってきてるのでちょうどいいといえばいいです。親戚のおばさんも来てにぎやかなディナーでした。食前酒の甘いリキュールを飲みながらゆっくりと食べ始めます。メニューはグリーンピースや芽キャベツ、にんじんなどの野菜といっしょに、ミートボール、手作りのハム、ウィンナーに、ヤンソン氏の誘惑、というポテトと生クリームでグラタン風にした料理(注:ほんとはアンチョビも入るようです。魚介類アレルギーのお父さんとベジタリアンの娘さんに配慮したアンチョビなしバージョンでした)手作りパンとチーズが3種類。などなどなど。どれも少しずつお皿にとるとすんごい大盛りになりました。ワインや Julmust というコカコーラに似たクリスマスドリンクを飲みながらいただきました。 も、もう水も何も入らんぞ~~、というほどおなかいっぱいになってもデザートタイムです(笑)デザートは手作りのチョコチップとナッツのケーキに、甘いおかゆ、rice porridge にさらに生クリームと缶詰のオレンジをまぜたもの、最初はおかゆが甘いっていったい、、、と抵抗がありましたが、食べてみるとあーなるほどね、という感じでなかなかおいしい!さあ、そしておなかいっぱいになった後はプレゼントを開ける時間です。iPOD やMP3 プレーヤーなどなどをみんなもらっていました。アート専攻の Patrick の妹さんは、飼い犬の Bubba の超ドアップの写真を白黒で現像して額に入れておしゃれに仕上げたものをプレゼントにしていたり、Patrick のご家族からわたしにまでプレゼントをいただいてしまい、スウェーデンでも人気らしい SU-DOKU のパズル本や、フィンランドの人気ブランド、ITTALA のキャンドルホルダーをいただきました。きょ、恐縮。。おお、ちなみに SU-DOKU、スウェーデンでも人気みたいです。本屋にはずらっとパズル本並んでるし、新聞にはクロスワードパズルと一緒にのっかってるし。わたしのほかにも Patrick の妹さん・弟さんも別のパズル本をもらっていたので、翌日にはみんなでSU-DOKU やってました。お父さんやお母さんまで新聞や雑誌に載ってるパズル一緒にやってたりして。。クリスマスに家族そろってSU-DOKU。し、しぶい。。。夜はみんなで映画 Lost in Translation のDVDを観ました。唯一日本人のわたしとしては、劇中の通訳のあまりにひどい通訳っぷりや一部誇張のみられる日本の描写に「そうじゃない~~!!!」と大騒ぎしてはみんなで笑いました。まぁ、スウェーデンやBBCや他のメディアでとんでもなく誇張された笑える(時々しゃれにならずまるで笑えない)日本の特集をやたら見たので、Lost in Translation の日本の描写はまぁまぁ忠実な方かなぁ、、、と思いました。観終わったあとはディナーの時間が早かったせいかみんな腹ぺこになって、寝る前だってーのに、クリスマスディナーの残り物をばくばく食べ始めちゃって、、 ってな感じに食い倒れたクリスマスでした ;P
2005年12月24日
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さてさて、ヨーテボリ滞在2日め。この日は Patrick のご家族とクリスマスプレゼントの買い物にヨーテボリ中心街に出かけました。Patrick の実家はヨーテボリ市から車で20~30分ほどの郊外にあります。右の写真はヨーテボリのショッピングセンターの巨大クリスマスツリーです。 街はこんな感じでクリスマスの買い物客でごったがえしていました。帰りには前にも行った Liseberg という遊園地で、通常冬の間は閉まっているのだけどクリスマスだけ特別に開いているそうで、イルミネーションやクリスマスマーケットを見に出かけました。 こんな感じで見てるだけでシアワセ~♪でした。 屋外のアイススケートリンクもできてて、まざりたかった♪残念ながら実は雨が降っていて、園内をざざっと見てまわっただけで退散。うーん、残念! これが雪だったらなぁ。。。昨年はクリスマスの日に起きてみたら雪が積もっていて最高でした。今年は暖冬みたいで無理っぽいです。日本は大雪と聞きましたけど、、、今年は日本がホワイトクリスマスかな?
2005年12月21日
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この日の午後から Patrick とヨーテボリへ。クリスマス休暇から年始にかけて、彼の実家で過ごします。Becky はスウェーデンのずっと北のほう、Cynthia はパリへ、Eda はオーストリアに帰る Christoph の車に便乗してベルリンへ、とそれぞれ別々にクリスマスを過ごし、クリスマスが終わったらルンドに戻ってきて、それぞれのアメリカ、メキシコ、トルコへ帰ってしまいます。よって、前日には Eda がお別れ会のお茶に呼んでくれて、朝の2時半までずっと一緒に別れを惜しみました。 Becky なんかはその数日前のパーティから泣きっぱなし。この日のお茶会もあちこちのお別れ会に出てから来たので着いたのは夜11時ごろでした。朝2時半過ぎて、そろそろ帰ろうか、となってもずっと誰かしらと涙・涙で hug の嵐。いつまでたってもみんな離れようとしませんでした。どんどん悲しくなってきてしまうので、わたしは無理やり日本語で♪赤鼻のトナカイ♪なんぞを歌って聞かせたりしてました。この日の朝も早くに起きて出発の準備、そんな中、Eda がわたしの部屋で預かっていた荷物を取りに来て、いつかまたトルコのアンカラか、東京か、ルンドか、はたまたどこかで会おうね、と言いながら最後のお別れをしました。ダメ押しで、Cynthia、Marieとそのお友達がわたしを見送りに、Patrick と乗る特急が発車するぎりぎりのタイミングでルンドの駅にやってきたときは、前の日が遅くなったし、まさか本当に間に合うとは思ってなかったので、一気に涙が出てきて、いい年してみんなに抱きついてはわぁわぁ泣いてしまいました。。あんたたち、おいしすぎ。ドアが閉まる直前に特急の中から、I LOVE YOU, PAPARAZZI!!!! と叫んで泣きながら笑っていつまでも手を振りました。というわけで3時間弱、特急に乗り、ヨーテボリへ。クリスマス、年末年始はこちらで過ごし、年が明けたら、15時間ほど車に乗って、Patrick のお母さんの親戚一同が住むフィンランドへ行ってきます。本場のサウナ体験が特に楽しみです♪
2005年12月20日
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街に出るとクリスマスのイルミネーションでわくわくしますねぇ~~。というわけで、まずはルンドのクリスマスの様子をご紹介。こちらがルンド市内の広場、Stortorget のクリスマスイルミネーションです。 写真見た感じだと右はちょっとパチンコ店ぽくて微妙ですが、実物はきれいです。 ;P お店のデコレーションもかわいいです ^^~~~さてさて、コリドーでのクリスマスパーティは先週の土曜だったのだけど、その日は思いっきり卒業式と重なったので残念ながら出られませんでした。ところが、他にも出られなかった人が大勢いたようで、この日の夕方、急に寮のほかの友達から、クリスマスパーティもう一回やろう!と声をかけてもらって、こじんまりながら寮でのクリスマスパーティが実現しました。スウェーデンといえばこれだ!というミートボールにリンゴンベリーのソースや、コカコーラをさらに甘くした感じの Julmust というクリスマスのドリンク。デザートは甘いミルク粥、rice porridge です。動画がアップできないのは残念だけど、時々スウェーデンのクリスマスソングを歌ってもらったりしました ^^vさてさて、週末なのでパーティはこれだけでは終わらず、引越し準備中の Cynthia がテキーラやピニャコラーダなど残りもののアルコールを処分したいというので、ルンドに残った残りモノ(わたしたちのこと)による、残り物処分のためのパーティ leftover party と銘打ってわたしたちみんなを呼んでくれていたので、コリドーでのディナーを終えてからまた出かけました。こっちのパーティは朝まで続き、みんなで踊ってるうちにまたおなかすいてきちゃったところへ、Marie ほかフランス人の女の子たちがいつの間にやらクレープを焼いてくれてて、それを食べてはまた踊り。気がつけば雪が降り始めて、またそれで盛り上がり。そんなこんなで leftover party は朝まで続きました。
2005年12月17日
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来週の火曜、20日にまたヨーテボリの Patrick の実家にお邪魔することになりました。昨年のクリスマスに初めてお邪魔して、ゴーカイなお父さんや、おちゃめなお母さん、スカーレット・ヨハンソン似の金髪美女の妹さんに、肩までの黒髪をまん中分けにしてギター弾いてる様子がマリアッチな弟さん、見た目おっかないけど遊んで遊んで~とPatrick を追っかけまわし、ルンドに帰ってしまうと落ち込んで何も食べなくなるというボクサー犬の Bubba に会ったのだけれど、わたしそのときに大失敗しまして。。。。。というのもお邪魔している間のある日、何か和食を作って~、ということになっていて、ある程度の食材の用意はしていったのだけれども、なんとなんと。お父さんは魚介類アレルギー、妹さんはベジタリアン、弟さんはナッツアレルギー、お母さんは牛乳がだめ、と聞くにつけ、、、何を作ればいいのさ???(笑)お父さんの魚アレルギーだけ事前に聞いていたので、わからないながらちらし寿司の素なんぞを持っていったのだけど、ちらし寿司の素も微妙にかつおだしが入っているようでNG。じゃ、おにぎり、、とふりかけかけて作ってみたら、やっぱりそれもかつおが入っててNG。あぅぅぅ、、自分頭悪すぎです。T_T結局仕事帰りのお父さんの食べられそうなものは何も作れず、他のみなさんは食べれそうなものだけ食べてくれたのだけど。。この条件を満たす和食って何があるだろう?そしてこっちで手に入れられる食材はほんとに限られてます。かろうじて味噌が多少残ってるけど、かつおだしがもう入っちゃってたらお父さんにはNGです。アナフィラキシーショックにでもなったら大変だし。。あぁ、梅干があったらそれだけでも日本食っぽいのができそうなのに、切らしちゃったなぁ。具をお好みで選べるようにしてお好み焼きがいいかなぁと思いつつ、持ってるお好み焼きミックスは微妙にエビが入ってるからNG。もし作るならお父さんと妹さんには粉を別にしないといけん。。。唯一なんでも食べられる Patrick に感謝 T_Tもし海外在住の方やベジタリアン料理(特に和食!!)に詳しい方はいいお知恵をお授けください。すでにごまかし策の一環として、日本酒一升瓶と緑茶類のおみやげはすでに準備済みです(笑)
2005年12月17日
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卒業式を境に、友達がひとり、またひとりとルンドを去り始めました。。。。T_Tよって、毎日誰かしらの farewell party があるわけで、普段は party はしごするのが苦手なわたしでも、「あ、明日○○が帰っちゃうんだ!」となると見過ごせなくなります。はからずも party hopping の毎日に。この日は特に重なりました。Irantzu が翌日にスペインに帰るので、みんなランチにおいで~!と誘ってくれて、みんなでごちそうになりました。そこに来ていた Gabriel も翌日から3ヶ月ほどエクアドルに帰るとのこと。ランチのあとは夕方に Christoph の車で、クラスメートの Emma, Lorenzo, Becky, Cynthia, Marina わたしの計7人で、海辺の町、Bj?rred というところまでドライブ。海辺にサウナのロッジがあるのです~♪車を降りて海の上の桟橋を500メートルほど、風にびゅうびゅう吹かれながら渡ったところにサウナのロッジがあります。料金60クローナを払って男女別のロッジへ。ロッジのすぐ外には橋の上からの階段があって、浅瀬の海に下りられるようになっています。ここであったまった体を冷やして(注:冷やすなんて生やさしいもんじゃないです・冬だし)またサウナに戻るというわけ。ロッジの中はまっ暗。なんも見えん。。。海に面したほうがガラス張りになっていて、コペンハーゲンやマルメが見渡せるようになってます。最初はわたしたち、女の子5人だけだったのだけど、だんだんと人が集まってきて、最終的には20人近くがサウナの中でひしめきあってました。たまーーーに、海水につかりに出て行った人たちがあげるぎゃーーー!!!という悲鳴が聞こえるのもまた一興。5回くらい海水につかってはサウナに戻り、、をくりかえし、最後の最後で頭まで海水につかってみました。つべたーーーい!!!!足なんかやけどでもしたかくらい冷たかったです!!!でも楽しかった♪サウナのあとはみんなでピザ食べに出かけ、シェアしよ!と言って Cynthia、Becky と3人でファミリーサイズのピザ頼んだら、なんじゃこりゃというくらいでかい、両腕抱えたよりもさらに2回りほどでかいピザが出てきてたまげました。サウナでけだるくなってみんな少しまったりしたのだけど、Christoph の車の中でラムやジンをまわし飲みして、狭い車の中でみんなで踊ったりはねたり歌ったり。写真を撮りまくっていたらそれでとんでもなく盛り上がって、そのまま Erin のfarewell party へ。翌日カナダへ帰る Erin のコリドーでこの日3回めのパーティ。Melissa も翌朝には南アフリカへ、Marina もブラジルへ帰るとのこと。まだルンドに残っているクラスメートの全員が集まったのでわたしはサイン帳をまわしてみんなに今後の連絡先やメッセージなどなどを書いてもらった。あっという間でみんなとのしばしの別れもまだ実感できず。名残惜しいものだからなかなかみんな帰ろうとしない。最後のパーティだと思えばこそパーティの盛り上がりもすごくて、Christoph はなぜか廊下にあった自転車でウィリー運転しようとしてひっくりかえり、Enrique はなぜかあったトランポリンで遊んでたら頭ごと蛍光灯に突っ込んで思いっきり破壊してた(笑)
2005年12月14日
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今日はスウェーデンの年中行事のひとつ、ルシア祭の日です。この写真は昨年 Kerstin に連れてってもらったクリスマスマーケットのときの Lucia Celebration。冬至の夜のいちばん長くなる日に光の聖女ルシアが降臨する日です。これから少しずつ日が長くなっていくのを祝うもの。ルシアとお供の子どもたちが ♪サンタ~ルシア~♪からスウェーデンのクリスマスソングなどなどを歌ってくれます。子どもたちがめちゃめちゃかわいかった♪これはルシア祭のときに食べるルッセカット(lussekatt)というサフラン入りのパンです。名前の由来は諸説あるようですが、ひとつにはこの独特の形とレーズンが猫みたいに見えるのでルッセカット(katt は猫のこと)と呼ばれているのだとか。そして我がコリドーでもルシア祭があります。ところが。。。男女平等はなぜかここだけ妙な形で生きていて。。。。昨年は野郎による野郎のためのルシア祭でした。。。。。。。。。。。。(汗)衣装がないのでどっからか白衣を人数分調達して、みんな生足で着ていました。。朝早くにルシアの歌を歌いながら女の子の部屋を訪れます。半分近くの女の子は入れてくれなかったみたいだけど、わたしはいつ来るのか楽しみで夜遅くまで起きてて朝早く目を覚まして、部屋の鍵を開けて待ち構えておりました。やってきた彼らを見てげらげら笑っちゃったけど(失礼)かわいいといえばかわいいかもしれないけどどっちかというとやばめ。。。。^^;;;;;ルシア役の彼はどっちかというと牛の刻参りでは。。。こわっ!!!女の子の部屋をまわったあと、妙に勢いづいたかあの格好のまま寒風吹きすさぶバルコニーに出て、すんごい大音量で歌うたってがははと笑いながら戻ってきました。ちなみに下の赤い帽子の2人組はトムテ役。サンタクロースのアシスタントです。ルシアのときにはグロッグというレーズンとアーモンドを入れて飲むホットワインとジンジャークッキーを配ってくれました。それが今年は残念ながらコリドーでのルシア祭は流れてしまったようです。ほんとうは女の子がルシア祭をやる当番だったのだけど、このところコリドーの入れ替わりが多くて、女の子はみんな新しく来た人たちばっかりだったし、わたしは先週から論文の発表やら卒業式やらだったので、諸手配がつかずそのまんま。。。残念 T_Tこの日、アルヘルゴナ教会(Allhelgonakyrkan) ではルシア祭コンサートがあったようです。知ってたら行ったよ~~!(泣) Christoph が行ってきたようですが、始まる30分前からもう教会の前は長蛇の列で、もう教会の中ぎゅうぎゅうだったようです。というわけで今年は生のルシア祭は逃しまくりました。。。
2005年12月13日
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今日は ルンド大聖堂 Domkyrkan (英語での情報はこちら)でクリスマスコンサート(Julkonsert) があったので行ってきました。LUMES の事務総括で影の大ボス(笑)の?sa が地元の聖歌隊に入っていて、このコンサートに出ると、卒業式のパーティのときに聞いたので、それなら応援に行かなきゃ、とみんなで話がまとまり、夕方6時の開演に間に合わせるのに急いで出かけました。早めに着いたはずなのにもうすごい人出で正面の席は埋まってしまっていたのでやむなく横の席に。うーん、見えん。。。よって無理な角度に手を伸ばして苦しまぎれに撮った写真がこれです。教会でのクリスマスコンサートは始めて。いちおう中学高校とプロテスタント系の女子高に行っていたのでクリスマスの賛美歌は大好き♪ ハレルヤコーラスも毎年練習したものでした。最初の曲だけ知ってる曲、「久しく待ちにし: Veni, veni Emmanuel」で、あとは知らなかったなぁ、全7曲。30~40分くらいでした。なんとか動画もとってみたのだけど、ここはアップできないかな、メモリーいっぱいになっちゃって20秒程度しか撮れませんでした。この石造りの大聖堂は音響もなかなか。聖歌もすばらしくて感動しました。コンサート後はいつもどおりジムでラテンエアロビクスの後サウナ入り。そしてエクアドルのクラスメート、Gabriel と彼女のEsther がディナーに呼んでくれたので出かけ、タコスをごちそうになりました。運動したあとのサウナで少しへろへろになっていたところへ、ピニャコラーダやらワインやら、わたしが差し入れした日本酒やら、少しずつちゃんぽんで飲んですっかりいい気分になり、夜もふけて Leah とChristoph と3人でカウチでうたたねしてたら、みんなに写真撮られまくりました >_
2005年12月12日
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なんだか駆け抜けたこの一週間。実感ないまんま卒業式へとなだれこみます。まぁ実感ないとは言っておれず、用意せねばいけなかったので朝も早くに起きてダウンタウンに出かけ、口紅とマニキュアを買ってみた。口紅はスウェーデンのメーカーの IsaDora っていうところのもの。なかなかつけた質感もよくオススメ。日本に上陸したらまた買うかも。東京の実家から送ってもらった黒のベルベットのワンピースを着て、Patrick にもスーツで正装してもらって一緒に出かけた。このためにわざわざ高いネクタイを買うはめになったらしい。すまんのぅ。。。^^;;;卒業式そのものはバイオリン三重奏の生演奏つきでシンプルに30分程度のもの。学部主任の Ingegerd の挨拶で幕を開け、ひとりひとり名前を呼ばれ証書を受け取った。正式な diploma は後日郵送されてくる。 そして先生代表の挨拶。これは生徒がお願いしたい先生を選んでスピーチしてもらうもので、みんなで話し合ってまだ博士課程在籍中のモロッコ出身の Salim にお願いした。彼はLUMES の5代上の先輩にあたり、正式にはまだLUMES の先生と言うわけではないけれど、system analysis のコースのチューターをつとめてくれて、穏やかな人柄と丁寧な指導でわたしたちの学年内では男女問わず圧倒的な人気を誇り(でも本人はすごく控えめ)、コースの課題をやってたときにはチューター入れて他にも10数人先生がいたにもかかわらず四六時中 Salim 待ちの列ができたほど。彼ともうひとりの先生 Harald はまるでローマ時代の修道士のような衣装だった。なんでこの2人だけ??ナゾだ。。。生徒代表の挨拶はみんなの投票で、ナイジェリアの Chijioke とスペイン・バスクの Irantzu に決定。修論を終えて時間のないところへ急遽スピーチを用意して、持ち前の度胸で堂々とこなしていた。スウェーデンへやってきたばかりのときのカルチャーショックの話、みんなで学校の教室にアンプ・スピーカー・ラップトップの三大神器を持ち寄って踊ったひとときがどんなに楽しかったか、この16ヶ月の間にもクラスメートには災難から結婚や子どもが生まれたりいろいろあったこと。。。ほんとにもりだくさんの16ヶ月だった。ルンド大学本部での卒業式典を終え、パーティ会場の AF Building へ。シャンパンを飲んでしばらく歓談した後、ディナー、ダンスタイムを楽しんだ。 会場のAF Building は午前3時までの貸切だったのだけど、3時を過ぎても別会場で続きをやろう~!という勢いで、機材を持ってLUMES の教室(わたしたちの通称 SEMUL ) へ移動。そのまんま朝まで踊り明かしました。 わたしは部屋に一泊する Eda を連れて朝6時半に退散。ほかのみんなは8時までねばったらしい。。。。あんたたちもう、、笑っちゃいます。みんなありがとう。この日のことは絶対忘れないよ^^
2005年12月10日
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水曜日までの defense を終えて、木曜日のたった一日で論文を修正。たった1セクションを加筆修正するだけのはずが、やっぱりまた新たに研究方法論の本を借りなおして読んだり、論文のほかの部分との兼ね合いを考えて直したり、詰めの甘さが露呈するばかりで青ざめるやら落ち込むやら。そんなこんなで木曜日のお呼ばれに出かけるのをやめてしまったので、Becky と Cynthia が心配して夜中の2時ごろ様子を見に来てくれた。なんとか持ち直して朝10時の〆切に論文修正版を無理やりねじこんだ。またやり直しをくらうのを若干覚悟の上で。ほぼ徹夜明けでフラフラなところへ午後3時からはもう卒業式のリハーサル。この卒業式会場をめぐって今年はちょっとありまして、本来ならこちら、ルンド大学本部なのですが、なぜか今年は、10月頃からルンド市内あっちこっちでやってる改修工事の関係か、大学本部向かいの AF Building でやる、と通達が来ていました。ここは言ってみれば学生会館のようなものです。 なんでやねん!!!!!!ルンド大学といえばどう考えても ↑↑↑こっちでしょうが!!なんでうちらの代だけ改修工事にあたるのさ!!クラスメートのみんなもそう思ったようで。「スト代わりに修論出すのやめよっか?」と冗談半分に話していたものです。わたしも気を取り直すのに、「ま、ま、まぁ、、、AF だって、典型的なスウェーデンの中世のお城みたいだし、ま、ま、まぁ、、、悪くはないわよ」とおのれを慰めつつ、もしかしたらしれっと改修工事日程が遅れまくって卒業の頃にはまだ始まらないさ、とたかをくくってもみたりして。この読みがあたりました。今度はなーんの通達もなく、ルンド大学本部で卒業式を迎えられることになったのです。\(T▽T)/本番どおりに黒のガウンを着て、卒業式のリハーサルをしました。残念ながら角帽はなしです ;P今週はほんとに忙しかった。明日晴れて卒業式です。
2005年12月09日
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みなさん、応援メッセージありがとう。どうにかこうにか defense を切り抜けました。週末からとんでもない忙しさで準備を進め、一日中学校にカンヅメで原稿作ったり、みんなのリハーサルを見たり。月曜から水曜までが defense で、早い人だと8:15から。友達の defense はほぼ全部応援に行きたかったので、睡眠不足でもがんばって朝早くから出かけました。自分の論文の弱点もわかっていたし、opponent の専門もわかっていたので、運よく何を聞かれそうか予想がついたので、前日は5時に defense が終わってから夜11時くらいまでリハーサル、友達がすごく的を得たコメントをくれたので、その準備のため、家に帰っても回答を用意するのでいっぱいいっぱい。この日の最終発表者だったので、朝 Eda や Becky のdefense を見てから、別室でひとり最終リハーサルしたり、原稿直したり。最後の最後まで原稿に手を入れ、あとは同じ時間に発表する Minh と一緒に精神統一したり。何度もリハーサルをしたのが効を奏し、おかげさまで発表自体は落ち着いてできました。opponent からの質問も、まさに前日に準備をした内容だったので、あたしサギ師じゃないか、と思うほどすらすらべらべら答えが出てきました。論文書いてるときは考えもしてなかったことだったりもしたのに。火事場のなんとか、でしょうか。友達がたくさん応援に来てくれてうれしかった。発表が終わったら、恒例の hug queue (hug 待ちの列)ができました。あとは opponent と chairperson がまさに聞いた内容をはっきりと論文内に盛り込むように、との訂正の指示が出て、晴れて解放されました。この修正版を金曜に提出して、土曜に晴れて卒業式です。夜は発表を終えたクラスメートと Christoph の家に集まって、軽く打ち上げをするつもりが、どんどこ他の友達もやってきて、2LDK のアパートに最終的には15人ほど集まって2時くらいまで飲んでしゃべってました。わたしはさすがにへとへとだったので、12時ごろお先に失礼♪して沈没。
2005年12月06日
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defense なのになぜ迫り来る・・・?いえいえ、defense って言っても、日本語でなんというのか、修士論文の最終審査です。自分の論文を defend するっていうこと。いつも course paper は、クラスメートがお互いに決められた相手のペーパーを熟読して、発表したり批評したりするのだけど、今回は大詰めも大詰め、修士論文なので、LUMES の先生か、外部から専門家を呼んで、"opponent" になってもらいます。彼らがわたしたちの論文を審査することになります。わたしらの論文、まな板の上の鯉状態です。最終審査の時間は1時間、20分で自分の論文の発表をし、30分 opponent にたたかれ、10分間の質疑応答を経て終わります。そのあとopponent に別室に連行され、論文の修正についての指示を受けます。厳しく時間厳守。20分過ぎて発表が終わらなければ途中でもちょん切られます。というわけで、先週半ばからパワーポイントの準備と原稿作成で大わらわ。20分の発表自体はとても短いので論文の内容全部説明しきれません。どこを切るかすごく頭を悩ませました。この週末はずっとみんなでリハーサル。みんなの発表を見て、時間オーバーしてるからここを切れば? とか、時間に余裕があるからここをもっと説明したら、とか、コメントしたりもらったり。わたしも含め、みんな真剣そのもの。友達がみんな一生懸命にわたしのつたない発表を聞いてくれるのもまた嬉し。わたしの発表は火曜、6日、15:45~です。日本時間では午後23時45分。その日最後の発表者です。最後ともなると、聞き手はもう集中力ゼロに近いだろうから、そんなにキビシイ質問は来ないだろうと思いつつも、その日丸々一日中緊張状態が続くのはたまらんです。極度の緊張状態になると吐き気までしてくるとわかっているからその日が思いやられます。わたしはいまだに英語しゃべるのがへたっぴぃで、意思疎通ならできるものの、人前で話すとなるとまた別の話。日本語だってスピーチは大大大大大キライなのでたまらんです。人前でなら、本気で歌うか踊るかしたほうがましです!!!!(きっぱり)今日のリハーサルでもまっ先に「あー、とか、えー、とかが多すぎる」と言われちまいました。T_Tまぁ週末ずっとリハーサルしてたし、パワーポイントのスライドも原稿もできあがっているから少しはましかな。あとはひたすら読んでしゃべって練習です。ずっと原稿を読みっぱなしってわけにもいかないから多少は暗記もせねば。またかいと言われそうですが、今度の火曜日、うまくいくことをみなさん一緒に祈ってください。これが終わって金曜に修正版を提出できれば、今週の土曜、晴れて卒業式です。
2005年12月04日
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今日は、ノルウェーの元環境相かつWHO事務局長などなどを歴任された Dr. Gro Harlem Brundtland (グロ・ハルレム・ブルントラント)の講演を聴きにいってきました。環境学をかじったなら必ず一度以上は耳にするビッグネームの講演なので、逃すわけにはいかず、LUMESのクラスメートのみんなや下級生のみんなが集まりました。割にこじんまりだったなぁ。彼女は、医学を勉強していた学生のときに結婚・出産、ダンナさんの留学先のハーバードでさらに公衆衛生学を学び、1974年に35歳でいきなりノルウェーの環境大臣に抜擢され、81年には歴代で最も若い41歳でノルウェー初の女性首相になり、10年間在任しました。83年に「環境と開発に関する世界委員会」(WCED=World Commission on Environment and Development)の委員長にもなっていて、世界中から21人の有識者を集めた通称ブルントラント委員会を作って、87年に Our Common Future 、別名ブルントラント報告書を発表したのだけど、このときに初めて 「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」として、Sustainable Development (持続可能な開発)という考え方が生まれたのです。元々はお医者さんだから、首相退任後の98年にはWHO 初の女性委員長に就任してます。わたしの所属は環境学だけれど、実際にやっていることとしては、環境さえよくなればいいのか、というとそんなことは全然なくて、環境・社会・経済の側面から、持続可能な社会にするためにはどうしたらいいのか、という研究が主眼になってます。学部の方も、今年になって Lund University Center for Sustainable Studies (LUCSUS) と名称を変更しています。Sustainable Development つながりということもあるし、世界に名だたる超一流のワーキングマザー(お子さん4人だって)ということもあるし、いろんな意味で見逃せなかったのでした。わたしが手伝っている環境NGOのボランティア仲間にも、元気なお母さんがとても多くて、そんなお母さんたちの先駆け的存在かなぁ、と思いました。最近 Madam Prime Minister (邦題:世界で仕事をするということ)という本を出されたそうなので読んでみよう。。彼女自身はすごく小柄な方で、講演の内容はだいたいWHOの基調講演のような感じ、「健康」をキーワードにいろいろな側面から今後の課題、それこそメンタル面の健康から最近のSARSまで幅広く、問題は山積みだけれど、成果も上がっている部分を強調しながら話していました。内容は「健康」だったけれど、持続可能性、というところでわたしたちの分野とのつながりも深いので要注目!でした。もうひとつ。この講演自体、ルンド大学が2003年に暗殺されたスウェーデンのアンナ・リンド外相を記念して企画された講演会の第一弾でした。彼女はボディガードをあまりつけたがらなかったようで2003年9月、プライベートにお友達とデパートで買い物をしていたところをナイフで刺されて亡くなりました。あとでPatrick に聞いたところ犯人の動機はよくわからず、どうやら精神的に問題があったようだとのこと。彼女もとても有能な政治家で、環境相をつとめたのち外相に就任していました。庶民的なイメージで人気もあったそうです。まだ46歳の若さでした。そんなこんなで、ここでの勉強を終える寸前のタイミングで、スタート地点となった「持続可能性」を最初に提唱した人物に会った、ということと、第一線で活躍するワーキングマザー2人に考えさせられた一日でした。
2005年11月29日
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なんか今日は冷え込むなぁ、、、ぶるぶるっ、と思っていたら、昼過ぎからちらちら雪が舞い始め、ランチに出かけた帰りにはもうすっかり降り出しておりました。今年の初雪です。分厚い手袋と帽子も歯がたたないほど寒いけど、へへ~、なんかうれしいかも♪スウェーデンの人たちは、ルンドを含めここ最南端のスコーネ地方の冬は、雪があんまり降らなくてつまんない、とよく言ってます。雪が降ったほうがいい理由がいくつかあって、見た目にきれいなことのほかに、雪が降ったほうが積雪の保温効果(かまくらの中、みたいなもん?)かあったかく感じることと、夜になってもまわりが雪でまっ白だと明るく見えること。スコーネはあんまり雪が降らないから暗くなるとほんとにまっ暗だし、降ってもぼた雪で、雪の多いウィスコンシンの Becky やカナダの Erin はこんなにベタベタな雪やだー!と文句言ってたりもして。あと、冬の雨だと寒くて冷たくてしゃれにならないけど、歩いてて雪まみれになっても室内に入る前に服にびっしり積もった雪を払い落とすだけでいいからラクチン♪こっちの人も慣れたもんで雪が積もりだすとすぐに除雪車が出て、自転車や歩行者用に道を確保してくれます。まぁそれにしても自転車に乗るときは気をつけなくちゃ。昨年わかってなくて雪道を自転車で走ろうとしたら何もないところでコントロール利かなくなって深雪に突っ込んだし。。^^;;;;ひと晩あけたらこんな感じに。窓の外を見ると、駆け足で秋が過ぎてすっかり葉を落としてしまった木の枝が今度は雪化粧されてます。修論と格闘してる間に暗黒の11月ももうすぐ終わり、クリスマスまで1ヶ月を切りました。楽しみ~~(*^_^*)
2005年11月25日
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ええ、ええ、もう早速飲みましたともさ。〆切前の最後の悪あがきで朝からおせんべい2枚くらいしか食べないまま、3時の〆切に間に合わせるように1時ごろ学校に行き、それ以上の悪あがきはせずにさくっと50枚の論文を2部プリントして提出。提出直後から先日のパーティの残りのビールを Christoph が振舞ってくれて、提出したみんなで1本ずつあけて乾杯。南アフリカの Melissa はすでにバックパックに赤ワインを1本しのばせて持ってきていて、提出期限の3時を過ぎてからみんなでまわし飲み。Christoph はさらにラム酒も持ってきてたので少し飲ませてもらった。朝からほとんど食べてない上にこれでがーんときました。やめとけばいいのにそのあとクラスメートのみんなで行きつけの cafe ariman に出かけて、ついノリで赤ワインまた一杯飲んでしまって、日頃飲みつけてないのにこれでかなりへべれけに。そして驚いたことがひとつ。笑うとほっぺの肉がつれるんですけど。。。。( ̄□ ̄;)そんなにこの数週間無表情でしたかわたし!まぁ確かに顔全体で笑う気分ではなかったかもしれないけど。ほっぺつるって何事よ。。>_<一足お先に失礼して、ダウンタウンから寮まで30分くらい歩いて帰ることにしたらこの日はたまたまものすごく寒くって、アスファルトの路面がうすーーく凍ってた。。。酔っ払ってぼーーーーっとした頭で、こりゃ酔っ払って外で寝たら間違いなく死ぬなぁ、と思いました。。ほんとにやれやれな一日でした。なんだか脱力しちゃって、論文終わったらあれもやりたいこれもやりたい、といろいろ思ってたのがふっ飛んで放心状態です。
2005年11月21日
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おかげさまで本日午後3時の〆切に間に合わせ、修士論文を提出しました。表題は、本の冒頭部分によくある「謝辞」のことです。論文のだいたいの骨子は割と早いうちにできて指導教官にOKをもらっていて、それでだいたいのドラフトも書けてはいたのだけど、細かい詰めの作業がなぜか本当に間際まで進まず、後半の追い込みがとっても大変でした。もう背中と肩がバリバリ!(笑)経験のある方ならなにをいまさら、とあたりまえのことでしょうが、学術論文を書くというのがどんなことか、論法をどう組み立てるかなどなどコツをつかむまで、ここで勉強した1年あまり、まるまるかかっちゃったなぁというのが正直な感想です。なにしろ何を書くにしてもその情報源とか根拠をしっかり示さないといけないし、自分の考えを書くにしろ、過去の関連文献を全部あさって、似たようなことを書いた人の論文を引き合いに出して、自分の論拠を補強したりとか。もう時間がなくて関連文献全部読みきれなかったから、関連文献のPDFファイルでかたっぱしからキーワードを検索してそこだけ読む!とかそういうこともやってました。。。>_<過去に書いたペーパーのどこがいけなかったかとか、論文を書いてるうちに見えてきたことがたくさんあって、ここがだめ、ってわかるようになった自分の成長も垣間見れたのがおもしろかったです。そうそう、学術論文の検索には google scholar がすごく便利でした。留学中の方で、まだご存じない方がいらしたらぜひペーパー書くのに使ってみてください。Acknowledgement を書くのは最後の最後にとっておこう、と決めていたのだけど、誰になんて書こうか考えただけでなぜか泣けてきました。論文の指導教官、LUMESのみなさん、クラスメートのみんな、それからPatrick、東京の家族、、、、最後の一週間くらい考えてたんだけど、考えるたびにいちいち涙が出てきて、なんて単純なわたし。提出間際の午前11時半ごろ、大学のときの先輩から久しぶりに近況報告とがんばってね、とあたたかい励ましのメールをいただいて、なんていいタイミングなんだとびっくりするやらうれしいやら。またそれで涙出ちゃったりして。・・・・へへへ。こちらに応援メッセージをよせてくださったり、個メールくださったみなさん、ありがとうございました。Sさん、東京から参考文献を送ってくださってありがとうございました。おせんべいなくなったー!!!とこのブログで悲鳴をあげた直後に、同封してくださったさし入れのおせんべいが届いてうれしかったです。^^取材に応じてくださった菜の花プロジェクトネットワークのみなさん、岩手・葛巻町のみなさん、ありがとうございました。それから東京の実家の両親にも。買い物にもろくろく行かず、食料がつきかけた頃にまたお米とかラーメンを送ってもらってとっても助かりました。論文の〆切の頃には食材も、生活物資もほとんどみんな底をつきました。。めっちゃサバイバルだ ^^; (←ってか買い物くらい行きなさいって)ああ、、、おかげさまでやっと終わりました。まだ全然実感ないです。
2005年11月21日
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今年は晴れの日が多いし、昨年より寒くなるのが遅いなぁと思っていたら、一気に来ました。。。一気、というかわたしも論文でしばらくひきこもりっ子だったからかもしれないけど。今朝起きてみたら初霜か、窓から見えた駐車場の車の屋根が一面白くなっててびっくり。久しぶりに外でランチだったので出かけたら、霜が。。。。。↑こんなんです。。日中でも帽子、手袋は必須、耳をしっかり覆わないと自転車に乗ろうものなら耳が痛くなるし、手袋も手がきれいに見えるおしとやかな婦人ものだなんてとんでもない、太い毛糸のごっつい手袋しないと日中でもきびしいものがあります。数日前に実家の両親と電話で話していて、「もう零下?」と聞かれ、まさかぁ~~、なんて笑っていましたが、夜はもう零下みたいです。。。T_Tそういえばやっと部屋の暖房もしっかり入るようになりました。こっちは district heating といって地域の暖房システムだから、ひたすら暖房の入り待ちだったのです。部屋が寒くてもどうしようもないので、自分で暖をとろう!!と部屋で腹筋・腕立てやったりしてました;P夜も寒いよーおなかすいたよーとぶつぶついいながら論文の直しをしていたら、差し入れしてもらっちゃいました。スウェーデンのクリスマスによく飲まれるグロッグというホットワインと、これがジンジャークッキー。かわいらしく盛り付けてくれてたのでつい撮ってみました。~~~さてさて。応援メッセージくださったみなさん、ありがとう!!あともう少し、論文がんばりまーす。
2005年11月17日
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お気に入りに登録させていただいているみなさんのブログが次々と更新されていくのを横目に見ながら、いよいよ修論で首がまわらなくなってきました。。あっちゅー間にあと2週間だよ・・・・T_Tしばらく更新も交信もできそうにありませんが、ひらにご容赦くださりませ。論文があけた暁には、Jeni さんと前に話していた卵の話とバナナの話をアップしたいと思います。みなさん、どうか無事書きあがることを一緒に祈ってください >_
2005年11月05日
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ちょっと前日に書いた記事が月の初めにしてはあまりにもダークなので、少しばかりフォローを入れようと(笑)こっちに来て驚いたのは、一般的なスウェーデンの家では部屋の照明が暗いこと。最初にお世話になった下宿先の部屋といい、今の寮の部屋といい、あまりにも暗くて、こんな頼りない灯りで勉強してたらまた目が悪くなるぅぅ・・・!(@_@;;;;; と思ったものでした。最初の頃は妙にまっ暗い部屋で深夜にひとり本を読む自分の姿が妙にさみしく思えたものです。ところが慣れてしまえば。とりあえず勉強するのは机でだし、机とベッド脇の壁に備え付けのスタンドの灯りで充分問題なし。そっか、部屋全体が明るい必要って実はなかったんだ。目からウロコが落ちました。(別名:単純)今年夏に東京に帰ってたとき、実家の明かりがあまりにこうこうと強くって、ちょっとー、こんな強い光じゃまぶしくって目に悪いじゃーん、と本気で思ってました。(別名:さらに単純)あと、こちらで暮らしてて気がついたのは、キャンドルが生活に欠かせない必須アイテムだということ。ちっちゃなキャンドルが100コくらい入ったお徳用パックをいろんなお店で売ってるし、雑貨屋に入るとかわいーキャンドルがたくさん!売り場面積、結構大きいです。各家庭では季節を問わず、夕暮れ時になるとダイニングやリビングのテーブルにたくさん置いてあるキャンドルに火を灯し始めます。なんでもキャンドル消費量世界一はフィンランド。スウェーデンもたぶん2位か3位くらいでしょう。たとえば先日の welcome party なんかでも、暗くなっても部屋の照明をわざと落として、キャンドルの光でおしゃべりやお食事を楽しみます。まわりが騒がしいこともあるけれども、キャンドルの薄明かりの中、よく顔を見て話そうとすると自然に距離が近くなって、知らない人と仲良くなるのが早い気がする。まぁ、その効果を狙っているのかどうかはともかくとしてね。東京にいるときに呼ばれて出かけた potluck party でもしばしのキャンドルタイムがあって、そのときもおしゃべりが盛り上がったっけなーと思い出しました。かわいいキャンドルに灯された小さな炎を見つめているとそれだけでなんだか和みます。おしゃべりも楽しいけれど、ゆったりと炎を眺める沈黙もまたよし^^。キャンドルの灯りでは肌がきれいに見える、なーんて聞いたこともあります。キャンドルのある生活って、夜の長くなるこの季節をいかに楽しむか、ということから生まれた生活の知恵なのかなーなんて思ってみました。残念ながら地震の多い日本では、キャンドルを生活の中心に、というのは火の元の関係上あぶないのかもしれません。ちなみに日本では年2回、こんなイベントがあります。100万人のキャンドルナイトと呼ばれるこのイベントは、2003年の夏至の日に始まり、環境省を巻き込んで、すごい勢いで全国に広がりました。毎年夏至と冬至の日に東京タワーも夜の8時から10時まで照明を落とします。ニュースで見たことないですか?そのときにでもまぁだまされたと思ってキャンドルの灯りを楽しんでみてください。もうちょっと欲を言えば、ミツバチの巣で作られる蜜ろうを使えばさらにLOHASです ;P
2005年11月02日
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↑そこまで言うか(笑)この週末でサマータイムが終わり、冬時間に移行しました。ってなわけで日本時間-8時間です。どうぞよろしく^^慣れてるはずのヨーロッパ人でもやっぱり切り替え直後は間違える人が多いらしく、オフィスアワーに差し支えない週末、土曜~日曜の深夜2時に切り替えて、「日曜のうちになんとか気がついて慣れてくれたまえ」ということのようです。昨年は、「ねぇっ、ちょっとちょっといつ切り替えんの!?!?」とPatrick やヨーロピアンのクラスメートみんなにせっついてた。意外とみんな「んー、いつだったっけ?」となんとも頼りない、のほほーーんな返事。テレビもPCも自動で切り替わるし、目覚まし時計もラジオと連動させてると勝手に直してくれるらしい。。。自分で切り替えるのは壁掛け時計と携帯くらい。だから覚えないのかー。。。さてさて。夏至の頃はあんなにいついつまでも明るかったのに、今となっては5時で真っ暗です。というか、冬時間に切り替わるまでは6時ごろ暗くなってたのに、1時間戻しちゃったもんだから今では5時で真っ暗。これが急ーーーーに日が短くなったと錯覚させます。日照時間が短くなるにあたり、体調への影響もなかなかばかにできません。ほんとに。わたしも昨年こっちに来たばかりの頃はたかをくくっていましたが、、、まず、疲れやすくなる。もう何時間でも寝てられます。12時間?軽い軽い。あと気分もちょっと欝っぽくなる。今年はたまたま日中はきれいに晴れ渡っているけれど、昨年の今頃は毎日どんよりでした。日中どんよりしてるくせにあっちゅー間に暗くなる。気分的にさえないです。この環境で慣れているスウェーデン人ですらそうらしく、冬の時期は、自殺、離婚率アップするそうです。東京と違って、夜も街灯でこうこうと明るいわけでないから、暗くなるともう外に出たくなくなります。12月間近になれば、恒例のルシア祭やクリスマスで街のイルミネーションもきれいになるし、各家庭でも窓辺にキャンドル型の電気ランプを飾りだすので暗いなりにもいろどりがあるってものなのだけど、11月はダメです!(きっぱり)まぁ今は修論もあるし、楽しみがないほうが誘惑もなくていいや、、、と思うことにします。昨年の今頃は、授業が終わる3時過ぎにはもう帰らなきゃ!! という妙ーーーな強迫観念にとりつかれ、ダウンタウンに用事でもあろうものなら半パニック的に慌ててすませ、日が落ちるまでには部屋に駆け込んでおりました。真っ暗になったら今度は晩ご飯食べなきゃ、という妙な錯覚が起こり、作って食べてかたづけて、さーてと!と時計を見たらまだ5時だったことが・・・!( ̄□ ̄;)( ̄△ ̄;)(_□_;)寝るまで何しろってのさ!!!・・・いやだから勉強しなさいって。まぁそこで気を取り直して予習なんぞするのですが、8時にはもう起き上がっていられなくなります。だ、だめだだめだ、、、明日の朝、早く起きて(予習の続き)をやろう、、、とベッドに入った瞬間にがっくり落ちます。そして次に目覚めるのは朝8時、、、目覚ましいつ切ったのかの記憶もなし。ここのところ少しその兆候が見られたのですが、今年は修論もあり、寝てばかりもいられません。どうやっておのれに喝!を入れるか考え中。。。。というわけで(何が??)これから激辛韓国ラーメン食べて、ジムでラテンエアロビクスやって、サウナに入ってきます。ちなみにこちらはまだ10月31日、午後6時前です。朝になるまではHappy Halloween♪・。☆
2005年11月01日
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今日はLUMES新入生歓迎パーティの日。新入生の授業は8月末から始まってるのになんでこの時期?というと、わたしたちの代はみんな修論のリサーチ、帰省、インターンなどでスウェーデンを離れてる人も多いので、だいたいの人数が揃うまで待ってたため。なんで平日の夜に?というと、その週末はハロウィーンで、新入生のみんなが別日程を組んでいたため。今日はなにげに大忙し。10時に論文の指導教官とのアポがあって、前日のたまねぎ刻みとこの準備でへろへろになりながら出かけた。まぁなんとか無事に面談は終わり、「大丈夫だよ、途中でもかまわないから書けた分だけ見せて」と言われて青ざめる。半分以上書けてはいるのだけど、まだまだところどころ日本語がまじってたりするとんでもないシロモノだ。緊張の面談を終えて、半落ち。半燃え尽き。夕方6時からのパーティの最終準備のため、3時過ぎにベッドから無理やり体をひっぺがしてまた出かける。生野菜サラダやサングリアの用意していると、本日のパティシエ・Gabriel が大地真央似美人の彼女、Esther を連れて、60人分のケーキを持って登場。Devil's cake というチョコレートケーキだ。うまそ~~~!!!( ̄¬ ̄*) 仕上げに溶かしたチョコレートをかけてるのを見てるだけでもう!クラクラしてきます(笑) みんなでテーブルを拾ってきたきれいな落ち葉とたくさんのキャンドルで飾りつけ。こんな感じに仕上がりました^^各テーブルには小さな国旗が貼り付けてある。これは Emma が用意してくれたちょっとしたゲーム。わたしたちの学年は国、新入生は首都の書いてあるくじを引き、それぞれ自分の相手と、テーブルに貼ってある国旗を探して席につく、という仕組み。Japan-Tokyo はカンタンだけど、さてタジキスタンやアルメニア、グルジア、ナイジェリア、ベラルーシの首都はどこか、ってなるとなかなかむずかしい。(正解は最後に)わたしのお相手はイランから来た Golzar 。華奢で人なつっこい、かわいい女の子だ。スウェーデンの暮らしはどう?慣れた?と聞いたら、はるかに自由なスウェーデンでの暮らしを楽しんでる様子。赤にラメの入ったキャミソールを着てきた彼女、故郷ではちゃんとチャドルを着てないとだめなんだって。新入生のみんなは、夕方6時〆切のペーパーを仕上げたばかりでほっとした様子。みんなで頑張って用意した食事もとてもおいしかった。おなか空きすぎてたのか、ラザニアでもう水1滴も入らないほどおなかいっぱいになってしまい、 Devil Cake 食べられなかった。。T_T食事の後は手早く片付けてdance time. 写真は本日の、というかいつもDJをやってくれる Cynthia と Enrique。パーティには欠かせないふたりです。~~~そんな感じでパーティは続いたのだけど残念ながら翌朝9時から授業があるので、新入生のみんなは12時ごろ帰っていった。やれやれです。ほっとしました。ダンスタイムのときにはお皿洗うので忙しかったので、もう少し踊ってから後片付けをして、最終バス逃したので歩いて、帰りついたのは4時ごろでした。;P正解: タジキスタン - ドゥシャンベ、 アルメニア - エレバン、 ベラルーシ - ミンスク、 グルジア - トビリシ、 ナイジェリア - アブジャ
2005年10月26日
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新入生歓迎パーティを翌日に控え、その料理の準備のため、夜8時にパーティ会場の Leah の寮に集合。この日はなぜか一日中すごい雨で、出かける頃には風が強くて嵐になっていて、むむむ、、、、と気が進まないながらもバスで出かけた。行く途中もすごくてバスがまるで水の中走ってるようだった。Leah の寮は距離的にはあまり離れてないのだけど、夜になるとほんとにまっ暗で道に迷いやすい。・・・ぜーったいバス以外では行かないぞとひそかに決めました T_T Erin、Irantzu、Sara、Emma、Anna、Christoph が車で食材の買い出しに行ってくれて、よくぞまぁこの小型バンに全員と60人分の食材・飲み物を全部詰め込みました ( ̄o ̄;) 状態で到着。視界が悪いわ道がわからないわ、そうこうしてるうちに一方通行の路地に迷い込み、向こうからバスが来たときには生きた心地がしなかったそうだ。。・゚゚・(>__
2005年10月25日
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図書館の期限で、これについて書かれた本を返さなくちゃいけないので、ここに勉強の記録として残します。うーん、修論に使うからこれかなり大事な本なのに! 返すけど速攻取り返さなくちゃ!!・・・ま、それはおいといて。これが KRAV マーク。スワンマークと、ハヤブサ印のグッド環境チョイス(訳語のセンスはどうかと思うけど。。)と並ぶ、スウェーデンで見られるいちばんメジャーなエコマークで、オーガニック食品につけられるものです。農業や環境の専門家、農家や消費者の代表、動物保護活動家、食品業界の代表者が協力して、KRAV マークに認定されるオーガニック食品の環境基準を決めたり、その基準が守られているか農作物や肉類をチェックしたり、オーガニック食品を広める広報活動をしたりしています。畑・農場はもちろん、食品加工工場、レストランの厨房、屠殺場にも KRAV マーク運営団体のチェックが入り、それこそ畑から食卓にいたる全過程を管理する形になっています。農作物を栽培する過程ではもちろん殺虫剤、除草剤、化学肥料は使っちゃいけないし、例えば養鶏の場合は、屋外・室内ともに充分広いスペースで飼育し、エサはオーガニックなものを与え、飼育過程・食肉加工に至るまで(動物愛護の精神から)人道的に処置すること、とあります。これらがすべて守られているか、がっちりチェックも入れられるわけです。また基準の中には、家畜の飼育や、農作物の栽培に従事する人の健康面や作業中の安全性にも配慮すること、とあります。KRAV マークのスウェーデン国内での認知度は93パーセントだそうです。(出典: The Natural Step for Communities)あと、スウェーデンのエコ事情のサイトは写真がたくさんで説明もていねいでとても参考になります。先日書いた、Scandic Hotel のことも豊富な写真で説明してくれています。さてさて、KRAV マーク、ここまで徹底してやっちゃう、というのがすごいですね。日本ハム牛肉偽装騒動もあったことだし、日本でも今後力を入れていかないといけないけれど、ここまでやれるようになるまでの道のりはとても長そう。。日本にも、コストも手間もかけてオーガニックな食品作りでがんばってる生産者がいるんだから、安全な食品を求めている買い手へのつながりがしっかりできていくといいですね。
2005年10月24日
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実家から送ってもらったお煎餅のパック、本日をもって全部なくなりました。。。(┳◇┳) いやほんと、←これくらいの勢いです。こっちの人やクラスメートに振舞えば百発百中。1コ食べるなり、うまいうまいと次から次へと手が伸びてきて、10分以内に完食であります。お酒のおつまみのあられ&ピーナッツもしかり。わたしも甘いものよりはむしろこっちの方が好きなのだけど、なるーーーべくひとりのときに封を開けないようにしています。・・・なぜならば。ひとりで完食しかねないから。よっぽど輸出考えてはどうですかね、だって断然油で健康に悪そうなポテチ、こっちでは高いもの。輸送コストを価格に足したってポテチと競争できるよ~。副業としてせんべい輸出業者になってもいい・・・!!(立候補真剣印)写真は実家の近くのお煎餅屋さん。スウェーデンへの留学サイトにお煎餅屋さんの写真載せるあたしっていったい。。
2005年10月23日
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