バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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カテゴリ: 雑記、手記
 本日8月9日は、長崎に原爆が投下された日である。65年前の今日、11時02分。悪魔の爆弾が罪なき人々の頭上に投下された。
 毎年思う。人間は、賢くあるより愚かであった歴史の方が長いのだ。そして、有史以来、今現在まで、地球上に戦争のなかった時代など果たして存在したのか、と。頭ではそう理解していても、理だけで生きられぬのが人間だ。
 祖母は、毎年この時期、原爆にまつわる特番を見る。この年齢になって、涸れない涙を流すためにあえてそんな番組などみなければいいのに、と思うこともある。だが、祖母はきっと、目を逸らしたくないのだ。自分の幸せ、自分の肉親の命を犠牲にして人類が得た教訓が、果たして欺瞞なのか、巧妙なはぐらかしなのか。そして、果たしてその教訓は自分たち戦争体験者が世を去った後もきちんと継承されて行くのか。
 あるいは、そんな高尚な博愛主義や平和主義とは関係ないのではないか、とも思う。むしろ、関係ないと思った方が確かな気がする。
 祖母の悲しみは、世界のどこかと関係なんかない。世界の平和や人類の進歩などどうでもよい。ただ、訳もなく、民間人が、突然殺された。今朝まで笑いあった家族が、殺された。その事実に対する、怒りや憎しみを超越した激しい哀しみ。祖母は、弱音も恨み言も言わない。赦しすらする。ただ、その眼には強く、凛とした力がある。毅然とした力が。
 暴力や、暴力を正当化する愚かな正義への憐れみと侮蔑の念が、あの優しい祖母、慈しみ深い祖母を、この時期だけは「武士の娘」にする。
 目の前で家族を殺されるという事件はきっと、想像以上に熾烈なことだろう。そんな体験をして悠長な愛を語れる聖者になど、人はたやすくなれるだろうか。
 世界の平和に、個人の平和が優先するべきだ。個人の傷が癒され、償われることの総和の上に成り立つ世界平和でなければ、それはただの政治的姿勢でしかない。下手な作り笑いなど反吐が出る。
 私も、この時期は祖母の哀しみをこの身に纏いたい。哀しみの外套を受け取ってこの先、失われた幸せのために、私には何ができるだろう。(了)





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Last updated  2010/08/09 07:01:15 PM
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