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DR30に乗ってるときは、そんなに不満を感じなかったが、前述AE84やAW11の友達がこぞってクルマを買い換えた。AE84はファミリアのフルタイム4WDに(1800ccで180psのヤツ。形式はわかりましぇん)、AW11は後期型スーパーチャージャーとなった。峠の登りやトップスピードでは当然かなわなかったが、DR30は見た目に反してライトウェイトだったため、非常に取り回しが良かった(と思っている)。かつて10年以上経過車は毎年車検という足かせから買い替えを迫られたが、規制緩和で10年以上超のクルマも年車検にならず、ずっと2年車検となったため、気にせずに乗り続けた。(後に優遇自動車税のえじきとなったが)実は浮気を考えた事は一度ならずあった。やはりツインカムターボの200psオーバーは、かなり魅力的でありR31スカイライン後期や、Z31フェアレディ、はたまたレパード等のRB20DET車を真剣に検討した。しかし、とあるクルマの出現で買い替えの件はリセットされた。そう。帰ってきたGT-R。BNR32の登場である。長年、車のローンなどを組んでいなく、なおかつアパートが当時風呂付、駐車場付で2万円という格安物件に住んでいたため、貯金はそこそこあったが新車を買って維持できるほどのものはなかった。そのため、生活を切り詰め月々10万円をGT-R預金としてコツコツ貯めていった。結果、R33が出る頃にはそれなりの額が用意できた。年齢は30歳になっていた。だが、である。当時つきあっていた彼女がいた。彼女の両親が迫ってきた。結婚するか、その気がないなら別れろと。まあ、いつかは...と思っていたが、その後はトントン拍子に話が進み翌年にはめでたくゴールインとなった。彼女もクルマを持っていた。AE92レビンである。後期型のハイオク仕様NET140psだったか? ただしAPEXのAT車。それゆえ、街乗り専用、買い物スペシャルとなった。純正ハンドルは「汗をかくとすべって危険」とだまして、NARDIクラシックに交換したが。結婚となると先立つものが必要。また、家電品や生活道具にも金がかかる。しかも新居はクルマ2台置きが必須条件。これらでGT-Rの半分が飛んだ。しかもくるま2台分の維持費という現実も加わった。実際、R33GTS-tで妥協しようかと思った。友人から「妥協したクルマに乗ってて、信号待ちで隣にRが止まったらどうする?」と言われた。GTS-tは決して妥協して乗るような車ではない。でも、Rがある以上、廉価版、あきらめ、妥協と考えてしまう自分がいるだろう。そんなことはクルマに対して失礼だ。結局、DR30とAE92のままで行くこととした。
2005.12.31
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DR30スカイライン。4気筒であるがゆえ、Rの名を得られなかった悲劇のヒーロー。しかし、モータースポーツの世界では大活躍し、後のGTS-RやR32GT-R復活の立役者となったのは言うまでもない。さて、自分のRSと言えばガンメタでツートンでもなく、ぱっと見GTか?というしょぼい外見であった。無論、エアロパーツなど皆無。また、車内装備もエアコン無し、パワステ無し、ラジオのみというスパルタンさで、まさに箱スカGT-Rさながらであったが電調ショックのフットセレクタなるものがついており、まさに走りのための装備のみという感じであった。後に1DINコンポ装着、エアコンは後付けで快適さを求める事となった。エンジンは10万キロを越えた時点でオーバーホール。(オーバーサイズピストン、バルブ交換、クランクメタル交換、クラッチ板交換、他)ダンパーは2回交換。スプリングは1回交換。マフラーは純正で1回、フジツボで2回交換。FORZAのエアクリ装着。CIBIEのヘッドライトリレー装着。FETのフォグ/スポット装着。クスコのストラットタワーバー装着。CDI装着→点火コイル焼損によりCDI外す。以下、不具合修理箇所・点火コイル交換(前述CDIのせい)・オルタネータ交換・サーモスタット交換・燃料ポンプ交換・クラッチレリーズポンプ交換・ストラット下部、錆のため鉄板にて溶接、補強大体、こんなもんで、大きなトラブルは皆無だった。
2005.12.30
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普通免許取得とともに、クルマが欲しくなった。当然、新車など買えるはずもなく中古車を探すことに。友達はKP61スターレット、TE71レビンなどのボーイズレーサー的なものが多い中で、大の日産党を自負する私は車種選定に苦慮した。当時日産にはボーイズレーサーは無く、はっきり言ってスポーツカーも?だった。勿論、中古車市場での話。S30のフェアレディZに決めようと思ったが、ボディの痛みが激しく結局GC210スカイライン、いわゆるジャパンとなった。しかもセダンのノンターボ。小学生の頃から「クルマは日産」と決めており、当時はKPGC10(箱スカGTR)、KPGC110(ケンメリGTR)、Z432、240ZGのどれかに乗ろうと心に決めていたが、ケンメリRはプレミア中のプレミア価格、箱スカRやZ432も手の届くものではなかった。また240Zは当時2000cc以上でいきなり7万円以上の自動車税の時代に3ナンバーを買う勇気はなかった。エンジン本体は丈夫だが、ノーマルだと超遅いL型エンジンのジャパンは、バイクに乗っていた自分にはかなりショックだった。でも、いまでも車に乗って一番楽しかったと思えるのがこのジャパン。多分、覚えたてだったからだろう。次に買った車が同じL型エンジンのS130フェアレディZ。しかも2シーターで格好良かったが、人が乗れない、荷物が積めない完全に趣味のクルマだった。これもどノーマルで遅かったが、流線型のスタイルはかなり気に入っており、アルミはロンシャンのXR4、ハンドルはDATSUNコンペで決まり。かつてKP61やTE71の友達が走りに目覚め、それぞれAE84カローラFX、AW11MR2といったそれ風のクルマになると、どうしてもこのZは遅くてそれが不満でならなかった。CARBOY等を読んで、L28改3リッターターボなんて夢もあったが、てっとり早くクルマの買い替えを選んだ。そこで次のクルマがDR30スカイライン。当時7Thスカイラインが出ていたが、不人気で中古の鉄仮面系がえらい人気となり値段が高騰した。その中で自分の選んだRSは2ドアのノンターボ。しかも3本グリルの初期型。「男らしい」そう思った。初の60タイヤはPOTENZA RE71、ハンドルはとりあえずZからDATSUNコンペを流用。しかし考えてみるとPRINCE系のスカイラインにDATSUNのハンドルはチグハグだったなー。結局はNARDIのクラシックで落ち着いたけど。このRSは本当に長く乗った。購入時、3万キロそこそこの距離計は20万キロ直前まで乗った。当然かなり手を加えた。
2005.12.29
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Z400FXは、非常にシンプルで整備もしやすいバイクだった。集合管をつけるまではセンタースタンド装備で、チェーンオイル塗付、張り調整、チェーン・スプロケ交換等、簡単にできた。ブレーキランプスイッチが壊れた時も、構造がわかりやすく容易に直すことができた。オイル交換、フィルタ交換ももちろん自分で行い、ヘッドからのオイル漏れもガスケット交換で直った。当時、バイク屋でやってもらった事と言えば、タイヤ交換、フロントフォークシール交換位だろうか?ヘッドライトがシールドビームで異常に暗かったので、HONDA GL400カスタムのレンズと交換し、H4ハロゲン仕様となった。交換後、すごく明るくなって感動したが、ヘルメットのシールドがスモークだったため、相変わらず夜は見づらかった気がする。その頃、サイドカバーを盗むのが流行っており、このFXも盗まれて当分の間サイドカバー無しのままだった。また、シートが自然と裂けてきたので、黒いガムテープで修正しながら乗っていた。ちょっとずつ格好悪くなってきた。数年後、サイドカバーは新品を購入(エンブレムは別売りだった)、シートは張替え等を考えたが、某オークションで逆輸入品のシートを5,000程度でGETし、交換した。しかし、クルマの免許の取得に伴い、段々とバイクから離れて行くこととなった。
2005.12.29
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空冷DOHCエンジンであるZ400FXは、缶コーヒーを最大2本エンジンの上に乗せてホットにする裏技が使えた。秋のツーリングなどで、峠の頂上で休憩する際に、下でコーヒーを買ってヘッド部分に乗せながら走るとアツアツのコーヒーが冷えた体を温めてくれた。北海道に住んでいるため、冬はどうしてもバイクに乗れない。それこそ、11月半ば~4月一杯位は乗れない。でも、当時はバイクしかなかったから、雪が降っても積もらないうちは乗り続けた。冬はバイクを外置きにしておくと、雪に埋もれて痛むため、バイク屋に冬季預かりしてもらった。確かワンシーズン1万円位だったような。高いのか安いのか?その後、車庫付のアパートの友人に預けたりしてその金を浮かせるようになった。
2005.12.29
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結局、そのRG50Eは焼きついて、エンジン乗せ替え後、妹にあげちゃった。ちなみに妹もすっかりバイクにはまって、その後中免取ってVT250Fを乗り回す事に。さて、大学に無事合格して、買ったのがKawasaki Z400FXこのバイクについては、ここで語らずとも数多くの書物やネット上でウンチクがあるからいいでしょう。形式はE1。世の中はすでにZ400FX→Z400GP→GPz400と進化していたが、何故かFX。バイトで金が入る度に集合管(ヨシムラ ニューサイクロン)、Z2ミラーをナポレオンミラーに変更、キジマのオイルクーラー等を装着。マフラーは直管タイプでなく、アウターサイレンサータイプの静かなもの。FXに何故って? だってゾッキーじゃないもん。当時は峠を攻める! って思ってた。2ストではRZ-RやRGガンマ、NS、KR。4ストではCBR、GPz、GSX-Fなんかが幅を利かせてた。FZなんてのもいたか。タイヤは最初こそTT100だったが、K300GP、バトラックスBT12とそれ風の銘柄に変化して行った。FXにクリップオンハンドル、バックステップ等を装着予定だったが、その後改造は進まなかった。当時、つきあっていた彼女も免許を取り、GS250FWというバイクを乗っていた。Z400FXについてのエピソードは、書ききれない程あるので、気が向いたら書きます。画像もあったらアップするかも。尚、この20歳そこそこで購入したバイクは、今も車庫に当時のまま保管されています。残念ながら車検は取ってないけど。
2005.12.28
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昭和40年生まれの40歳(2006年に41歳か~)だけど、免許は16で速攻取ったのだ~。そうねー、中学のときに悪い友達が出来て、そいつらがどこからか入手したスーパーカブに乗ったのが初体験。その後、無事に高校に進学。速攻で免許を...と思いきや、世の中はいわゆる「三ナイ運動」真っ最中。こっそりとった原付免許も何故かバレて、学校に親が呼び出されて結局免許は卒業まで親の預かりとなっちまった。高校卒業後は、残念ながら浪人生という悲しい境遇で、免許・バイクなんて無縁と思いきや、予備校に通うママチャリが盗まれた事をきっかけに、親を必死に説得して晴れてバイクを手に入れました。SUZUKI RG50E 当時はRG50ガンマなんてのが出てたけど、旧型のこいつは空冷7.2psエンジンで90キロ近く出た。後の原付は60キロのリミッターがつく事になったから、結構満足できた。
2005.12.27
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