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LiSA’s flame 時系列をたどっていくと、オープニングテーマ「紅蓮華」の発表は、テレビアニメ{鬼滅の刃 立志編」の放映に合わせた2019年4月、「THE FIRST TAKE」の「紅蓮華」が発表されたのは2019年12月5日で、同年末には「紅白」初出場をLiSAさんは果たしています(動画の中に、それらしき言及がありますね)。「THE FIRST TAKE」の開設は、同年の2019年11月5日で、彼女の「紅蓮華」はこのサイトがUPした5曲めになるのですが、開設運営者が言うとおり、このLiSAさんの歌唱で「THE FIRST TAKE」のコンセプトは、完全に固まったと言っていいのでしょう。 それは言ってみれば、世の中が「鬼滅」フィーバーで沸くなか、独立した音楽としての「紅蓮華」、ヴォーカリストとしてのLiSAさんに、どこまでも肉薄してやろう、ということだったのではないか。マイク一本という超シンプルな画像なのに、カメラもマイクも歌い手の一挙手一投足を、寸刻も逃すまいという構えじゃないですか。 面白いのは、この出来上がった「THE FIRST TAKE」の音源は、そのままテレビアニメのオープニングに使うわけにはいかないということです。なぜなら、この「紅蓮華」はそれだけで、テレビアニメ「鬼滅の刃」の世界観を、語り尽くしているからです。もし、この音源を番組のはじめに聴かされたら、かんじんの本編が、かすんでしまうかもしれない(「音楽負け」という言いかたを、フィギュアスケートで言ったりするじゃないですか、曲が壮大すぎてスケーターの演技が、追いついていけない場合など)。 そういう意味で、作曲者や作詞家がどれだけ原作や原案に共鳴し、精魂を傾けて作品を作り上げたとしても、むしろその完成度が高いほど、実際に使われる音楽はその半分ほどの中味でパッケージされる運命にあると言っていい。オープニングテーマのコンセプトが、本編に視聴者をいざなう役目を負っている以上、それは仕方のないことなのです。 という意味で、あらためて「THE FIRST TAKE」の「紅蓮華」を聴いてみると、逆に本編に縛られないぶん、LiSAさんのナラティヴな力が存分に発揮されているように感じる。narrativeという言葉については何度か触れたことがありますが、たんに「物語」を語るのではなく、より「共感性あるいは想像力を、聴き手の心に喚起する」ような語りかたを言うので、いわゆるstory tellingとは異なる。 それが如実に表れたのが、先にも触れた中間の「人知れずはかない、散りゆく結末~」と続くブリッジ部分の朗誦で、ここの根を詰めた発語のしかた、明らかにLiSAさんの「鬼滅」感を雄弁に語っていて、これはやっぱりオープニングには使えませんね。最近アメリカのラッパーと思しき人物の、笑ける「紅蓮華リアクション動画」が出たので見てみてください。 さて、「炎」はほぼ一年後の2020年10月16日の発表で、劇場版「鬼滅の刃、無限列車編」の公開日にあたりますね。この年は年末の日本レコード大賞、「紅白」の二年連続出場など、LiSAさんにとっても画期の一年だったでしょう。 じつはこのかん、彼女は「THE FIRST TAKE」に、「unlasting」(19年12月25日)と「catch the moment」(20年10月28日)というアニソンを前後して発表していて、「一発撮り」の面白味というのを充分熟知していたことでしょう。この二曲も彼女らしさ満載の歌唱で上出来ですよ。ではLiSAさんはこの「炎」の一発撮りに、どのように臨んだのでしょうか?映画の公開日と同じということは、OSTのエンディングテーマと「THE FIRST TAKE」の「炎」のUPが同日だったということで、どっちが先の収録だったのか、これも私の関心を引くところですが、些事にわたってキリがないのでここではしません。 いずれにしても映画本編に盛られた世界観を、一年前の「紅蓮華」のコンセプトに沿って、歌唱だけで克明に描き切ろうとされたに違いない。したがって伴奏も華やかなインストルメンタルやコーラスを排して、ピアノ一本。テンポもOSTより「紅蓮華」と同じように、心なしゆっくりしていて、歌詞の意味するところを、じっくり伝えたいということなのでしょう。 歌は当然曲想に沿って、「痛みと悲しみ、あるいは怒り」のような色調を、さまざまな発声法を駆使しながら、唄われいくわけですが、ここでかの美人ヴォイストレーナーが、「そしたら、突然彼女の頭の中に、『声』が飛び込んできた」という場面が現れます。それがどこかは判然としませんが、このトレーナーさんはかなり早く、その気配を嗅ぎ取ったようですね。ではその『声』とは、いったい何だったのか? LiSAさんが歌い終えたあと、気持ちを鎮めるように、だいぶ経ってから「いろいろなことを思い出しました」とか、「今までのいろんな自分の中の思いが、~途中で落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃと思いながら、~すべて息も想いも、この中(マイク)に入って行った気がした」と語った言葉、おそらく自身のこれまでの順風とは言い難かった、歌手人生も重ねていたんだろうとなるわけですが、どうもそれだけでは、私は片付かないような気もするのです。
2022.09.23
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LiSA’s Language それにしても、日本語を知らない外国人に、LiSAさんの音声はどのように聴こえているのか?彼女の歌声を、なかにはacrobat voiceと表現する人もいて、それを英語とは違う日本語の特性のようにも言うヴォイストレーナーもいるのですが、もちろん日本人の私だって、彼女のような日本語は聴いたことがないのです。 これはまぎれもなく、アニソン界で創り上げられた独自の音声なのだと思うのですが、訳文が付いているとはいえ、結局彼らの言っていることはイマイチ腑に落ちない。要はベルティングだのチェストヴォイスだの、専門用語が頻発するからそうなるので、日本人のこの手のリアクションはないかと探していたら、いくつかありました。しかしたいていが便乗型の受け狙い動画で、どうも私にはしっくりしない、外国以上に業界用語を振り回す人も多いのです。 その中で少し面白いと思った動画があったので、一つ紹介します。北米にエンタメ留学していたMayuさんという現役歌手(存じ上げません、すいません)の「Mayu’s洋楽Study」というサイトなのですが、そこで「紅蓮華」のリアクションと解説をしてらっしゃる。このかた、コテコテの大阪出身のバイリンガルみたいで、欧米流のズケズケした指摘が、関西なまりのツッコミで入るので、けっこう面白い。 で、この人もやはり「THE FIRST TAKE」のテンポは遅いとおっしゃる(1.5倍とは思わないけど)。さらに興味深かったのは、従来のヴォーカルというのは、一般に発声法を一曲中でちょくちょく変えるということはしない、という点でした。なぜそうなのか、という説明はなかったのですが(そんなことあたりまえやん、という口吻り)、例えばオペラやミュージカルだと、各々が別々の発声法をやったら、音色が合わなくなるということはあるでしょう。あるいは発声法をひんぱんに変えると、音程が不安定になるとか、だいいちそもそも面倒くさくて誰もやらないとか。 逆に言えばLiSAさんの発声は、あらゆる発声法のオンパレードみたいのが、一曲中どころかワンフレーズ内に出て来て、しかもそれがことごとく正確にヒットしている(音程を外さない)ということなのです。 以下はまったくの私見ですが、これはやはりLiSAさんがアニソンのあらゆるキャラクターにアジャストするために、多種多様な発声法を身につけた結果なのではないか、と私は想像してしてしまいます。声優さんはキャラクターごとに、声音をまことに器用に使い分けるじゃないですか。で、それが逆に今のLiSAさんの歌唱を特徴づけている大きな要素だと思うのです(全部とは言いませんよ)。 それともう一つ、発語の明晰さもアニソンならではないか?劇中歌でもそうですが、アニメの挿入歌というのは、ミュージカルは別としても実写版以上に、話の中味にかかわって来ることが多いように思う(これも想像)。である以上、発語が明晰であることは、アニソンの必須条件になるのです。 私が音楽の歌詞に惹かれたのは、1970年代の和製フォークからでした。それまで洋楽一辺倒、日本語の歌詞に目を向けるなどということはまずなかったのですが、陽水や拓郎が嫌でも耳に入ってきて、で、その言葉がやたらに耳に刺さる。それまで和声ポップスなんて聴きもしなかった私ですが、彼らは「歌詞の理由」を知らせるために、私の耳を無理やりこじ開けたのです。当時の歌謡曲の歌詞といえば、これまた素人の印象ですが、いまだ和歌や浪曲のような紋切り口調を引きずっていて、私には全然届かない、そういう代物だと思っていたものです。 洋楽のそれもインストルメンタル中心、ヴォーカルは結局その言葉の意味ではなくて(英語は分からない)、発せられる声音の「響きの魅力」として聴いていたので、歌曲を聴く態度としては、かなり片手落ちだったということになりますね。とはいえ、和製フォークが歌詞の理由を知らせてくれたといっても、それに深くはまるということはありませんでした。 今回のLiSAさんの発語、とくに「紅蓮華」で顕著だと思うのですが、言葉の意味する中味と発せられる音声の響きがテンポよく連動して、まことに小気味よく私の耳に届く。長ーいベルティングも一本調子じゃなく、体でテンポを取りながら、おしまいの語尾をキチッと発声するので、グルーヴ感に浸りながら言葉の意味もスッと頭に入る、という仕儀になります。こういう唄いかたというのは、なかなかないですよ。 あるいはひょっとして、PV版の「紅蓮華」でヴィジュアルとしては納得できても(さすがパンクロック出身ですね)、LiSAさんとしては音楽として飽きたりなかったものを、「THE FIRST TAKE」で試みたのではないか、と私は思っています。間違いないのは、PV版とかOST版では、私の耳には絶対届かなかったということです。 というわけで、彼女にとってパンクロックから転換して(たぶん芽が、なかなか出なかったのでしょう)、アニソンの世界に入ったというのは、結果的に大正解だったということになりました。彼女の創り上げたアニソンの発語法が、今やそれをはるかに飛び超えて、世界を席巻しているからです。 それにしても、「紅蓮華」の作曲は草野華余子さん、作詞はLiSAさん本人、「炎」の作詞作曲は梶浦由記さん、ついでに言えば「鬼滅」の原作者吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)氏 も、じつは女性らしいということで、日本の女子力はものすごいね。
2022.09.12
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LiSA’s anison LiSAさんと言えば、いまやアニソン界の女王と言われていますが、この呼称は何だかおかしい。日本のミュージック・シーンでアニソンが普通に唄われ出したのは、せいぜいこの四、五年で、それ以前は傍系もしくはまともな認知さえされていなかったのではないか? 私は日本の音楽エンタなど、まったくの関心の外なので、あまり大きな声では言えないけれど、音楽業界の本流としてはアイドルグループが全盛で、その周りをJ・ポップや歌謡曲の歌い手が取り巻いていて、アニソンやゲームの付帯曲など、存在しないも同然だったのではないかしらん。それをあたかも以前からアニソンが日本の音楽シーンに、ジャンルとしてれっきとあったかのようにして、「アニソンの女王」と祀り上げるのはおかしい。彼女はアニソンの女王ではなく、「アニソンの創造者」なのです(もちろん、これは彼女一人の功績ではないけれど)。「だって、久石譲がいたじゃん」と言われそうですが、彼はたまたまジブリと出会って、自身の音楽実現の方法を見つけたのであって、アニソン・プロパーではないというスタンスでしょう。 LiSAさんの場合は、ロック・ミュージシャンからさまざまな経緯があって、アニソンのテーマを引き受けるようになった。で、アニメに求められる音楽を、自身のパフォーマンスと向き合いながら、創り上げて定着させた(一時、声優も志したようですね)。で、いつのまにやらアニソン独特の発語や唱和が認知されるようになっていった、という経過になるでしょう。これは良くも悪くも、一つの「定型」感をアニソンに与えることになったので、アニメを見れば必ず同じような乾いた響きが流れる、というような景況も呈することになったのではないか? いずれにしても私などアニソンの響きなど、アイドルグループの喧騒と同然で、もっとも縁遠い存在として聞き流していたものでした(子供が聴いていたから、しょうがないでしょ)。 私から見ると、「THE FIRST TAKE」の「炎」は、「紅蓮華」からさらに一歩進めて、アニメから独立したよりスタンダードなヴォーカル、ひらたく言えば「鬼滅」を見ていなくても、聴く人に充分届けられる音楽になったのではないか?早い話、私のような頑ななるクソじじいにも、やっと届いたわけです。 ところでこのところ、とくに外国で大はやりのreaction動画、日本人は私も含めて顔出しでの感想動画というのは、大いに怯むところがあるのですが、世界は芸能人や政治家はともかく、一般人でもとにかく「認知」されるためには顔が一番とばかり、ごくふつうに皆さんUPしているようにみえる。そのなかには、このLiSAさんの「THE FIRST TAKE」に対するreactionも結構あって、かぶりつきの近撮だからか、あるいはLiSAさんの発語が明晰だからか、ヴォイス・トレーナーなる人たちの動画もあるのです。 で、これらはあちらのアニメオタクの感想ではなく、こうした自称音声の専門家たちは、おそらく「鬼滅」を観たことないだろう、ひょっとするとアニソンじたい初めてかもしれない。とすれば、より客観的なreactionがみられるかなと思っていたら、ほとんどの投稿者が最後涙ぐんでいるので、笑ってしまいました。抄訳(誰が翻訳しているのですかね)が付されている動画を挙げてみます。 美人ボイストレーナーが聴く!炎へのリアクション! 女優かと見まがう美人さん(ホンマに!)ですが、顔の表情も言葉も正直で面白い。最後は感極まって言葉を失ってしまいましたね。こっちにも別の記録映像が現れることになりました。彼女はおそらくアニソンどころか、日本の歌手のヴォーカルなど初めてだったので、驚きの連続だったのでしょう。それでも途中、私的には大事なコメントをしていて「不意に彼女(LiSA)の頭の中に、声が飛び込んできた」というところ。彼女は音楽のミューズが、この時LiSAさんの身体に嵌入してきたと感知しているのです。 もう一人紹介しておくと、こちらは以前「紅蓮華」のreaction動画も出しており、LiSAさんの声も実力もかなり知っていて、あるいはアニソンも聴き、アニメも観ているのかもしれない。プロのボーカルコーチがLISAの炎解説で涙 途中割って入って、さかんに彼女の発声法を解説するけれど、曲が進むたびそれを覆す響きが現れて驚倒している。多少やりすぎな感じはしますが、新たな発見と驚きを楽しむという姿勢は悪くないですよ。 それにしても、この種のリアクション動画、スペインだのイタリアだの、中国韓国だのさまざまなところから寄せられていて、いまだに続いているのが面白い。日本人はインスタやTikTokに映える画像や動画をUPするのが精一杯で、この手の感想は、顔の出ないコメント欄への書き込みやSNSでのおしゃべりで終始させているのではないかしらん。
2022.09.08
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LiSA’s document テレビやミュージックヴィデオ、あるいはCDなどは、音楽を撮るのに1テイクで済ませるということは、まずないでしょう。とくにCDなどは商品として世に出すので、一つの傷もないように、何度も撮り直しをくり返して仕上げていく。結果、出来上がった音楽は、口当たりはいいけれど、意外と生気に乏しい響きになったりもする。このあたりの判断は、ディレクターとかミュージシャン本人の趣向にかかってきます。 対するにライヴ演奏はポップ、クラシックを問わず、いったん始まったら誰にも止められない。失敗も含めて取り返しのつかないパフォーマンスを、そのつど披露するというのが、ライヴの醍醐味ということでしょう。もう一つライヴの妙味は、これまたポップ、クラシック問わず、そのパフォーマンスに聴衆が関与できる状況があり得るということなので、その痕跡をわずかでも演奏に見止めたときは、大満足を得るということになります(だって、そのパフォーマンスは二度と起きない類のものじゃないですか)。 クラシックなんて畏まって聴いてるだけじゃん、と思われるかもしれませんが、会場全体を領する空気というか、聴衆の呼吸というのは、案外指揮者は背中に感じているはずだし、私的にはそうでないとちょっと困る(聴き手まったく無視で、忘我の境に入ったきりという演奏をする、あるいはそのふりをするアーティストが、世の東西を問わずいますが、案外つまらないことが多い!?)。 で、このライヴの一回こっきりのスリルを保証するものは何かと言えば、これまた話が戻りますが、「生きた身体」の介在そのものなのです。ものすごい音響機器を並べて、生演奏でございとやられても、これは論理必然的にライヴにはなり得ない。そのパフォーマンスは何度でも再製可能だからです。 と、考えてくると、LiSAさんの本籍がロックミュージシャンだというのは、示唆的ですね。私はとてもじゃないが、ロックフェスのようなライヴにはついていけないので、動画をチョイ見するレベルですが、パフォーマーが煽り、煽られた聴衆の興奮がさらにパフォーマンスを加速するというのは、こうしたライヴの一種定番でしょう(私はライトペンを合わせて振る、聴衆の趣味がサッパリ分かりません、すいません!)。 しかしこれも前に言いましたが、クラシックのコンサートでも、聴衆の興奮した呼吸が楽員に反射し、それを検知した指揮者が驚愕しながら、未踏のフィナーレに突入する、という演奏がたまにあるのです(だからと言って、それがクラシックの魅力すべてということじゃ、もちろんないですよ)。 「THE FIRST TAKE」は、スタジオ録音に一発撮りというタガをかけることで、ライヴのようなナマな感じを企図したのでしょうが、それは期せずして動画にドキュメンタルな印象を与えることになりました。つまりコンプリートな作品としての音楽ではなく、「音楽が立ち上がる瞬間の記録映像」のような作りに、結果的になっているということです。 ちなみに、カラヤンはコンプリートにこだわった人で、本人は間違いなくその記録された音楽も映像も、永遠に固定され保存されるべきもの、として捉えていたでしょう。面白いのは、それでも彼の音楽にはいまだに「立ち上がる瞬間」があるのです。これについては思いつくことがあるのですが、またまた話が長くなるので、ここではしません。 このあたり、ほかのミュージシャンの動画がどうなっているかは、見てないので分かりませんが、LiSAさんの動画は間違いなくそのへんをよく理解していて、むしろそれを逆用するかように、思い切った唄いかたをしたのではないか?「紅蓮華」「炎」ともOSTやPVより、はるかにナマな作りで、アタックやブレスもより強い。であるにもかかわらず、私たちはそこから「音楽が立ち上がる」のを、ありありと見止めるということになります。 私自身の長年の禅問答、「音楽はどこにあると言えるのか?」の回答を、一つここに見た気がしました。 このヴァージョンで用いられた「紅蓮華」のテンポは、私の気のせいかもしれませんが、OSTやPVより若干遅めで、そのぶんLiSAさんのヴォーカルの神髄がよく分かる。遅めのテンポで一語一語が分かるように、さらにリリカルなヴィブラートやアタッキングを明晰にすることで、むしろよりダイナミックな疾走感を出しているでしょう。ひたすら早いのではなく、その間に動的な色合いの変化を出しているのです。で、そのさまざまな発語の色合いの変化は、連続アニメ「鬼滅」の物語に直結しているじゃないですか。 ただこの音源がもし、テレビアニメのオープニングにそのまま使われたとしたら、ちょっと困ったかもしれない。本編とあまりにも密着しすぎるのは、かえって観る側の想像力を奪ってしまう場合があるのです。 その意味で、この「紅蓮華」は「鬼滅」の物語を充分に知悉しつつ、アニメ本編から一歩「踏み出した音楽」になっている、ということが言えるのではないかしらん。で、それがいっそうあらわになったのが、「炎」だったのではないか?
2022.09.06
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LiSA’s groove このあたり、先のJ.アンドリュースなどと違って、バーブラはマイクの使い方が、F・シナトラのように巧みで、若いころから幅広い音楽的視野を持っていたということでしょう。 前にも話しましたが、私の二十代は、ヴォーカリストとしてのB・ストライザンド全盛期(1970~1980)の時代で、舞台で鍛えた驚異的な声量と広音域、精確で独特な発語は、英語を理解できない私にも、「届くもの」があると何度も思い、なぜそうなのかと自問したりしていました。で、当時の理解では、それはたぶん言葉ではなく、「発せられる声音」そのものの心地好さ、私の言う「発語力」のせいかとも勝手に思ったりもしました。 とくに若いころのバーブラは、一つ一つの発語にものすごい神経を張り巡らせていて、ヴィヴラートのかけかた、高音域への駆け上がりかた、そして子音の結びまで、それらが音声としてどのように響き、どのように聴衆に届くか、すべて計算され尽くしている、そういう唄いかたをしていましたね。で、それに加えてミュージカル特有のドラマ性を、必ず一曲に盛り込むので、「三分間の歌に、三幕物の劇を持ち込むようだ」と言われたそうです。ただそうした唄いかたは、全体として重厚な感じにならざるを得ず、なかには「しつこい、重苦しい」と嫌う人もいましたね。 とはいえ、そうした発語の魅力で、聴くものを一瞬にして自身の世界に引き込む力というものには、なかなか出会えず、先般、平原綾香さんの発語力で久しぶりに感じたことは、前にも言いました。 では、LiSAさんのどうした発語力が、私に届いたのかと言えば、それは間違いなく「強さ」でしょう。彼女の「紅蓮華」を聴くと、もともとの地声の美しさに加えて、惜し気もなく強いアタックを連発して、しかもそれらが疾走しながら精確に音程をヒットするので、聴いていてスリリング。なんだか、それまでピーチクパーチクさえずっていた小鳥が、急に音程をそろえて唄い出す、そんな小気味良さを感じるのです。 こうした強いアグレッシヴな歌唱、昔ロックやラップで聴いたような記憶がありますが、残念ながら私の趣味ではなかったので、詳しいことは分かりません。ついでに言うと、彼女の軽い乾いた声質というのも、昔、シティポップの山下達郎などがやっていたような気がしますが、これも確かなことは知りません。肝心なことは、では、今回何が私の耳朶をチャームしているのかということでしょう。 私はそれはたぶん、またまたグルーヴ感としか言いようのないものなのだと思う。grooveの語義については、以前やったように思いますが、巷間したり顔で、ジャズやロックの専売特許のような言われかたをされては、全然腑に落ちない。私はカラヤンや小澤征爾にだって、grooveを感じてしまうのです。 askaさんの鬼滅の刃【 無限列車編メドレー 】の冒頭2分(オープニング)だけ聴いてみてください。汽車の汽笛を模したであろう悲劇性を帯びたホルンの咆哮のあとに続く、炎のモティーフ、重層的な弦の響きを巧みに処理するaskaさんの動きは、指揮者のような雰囲気を示していて、見事な全曲の開始となっています。 前にも話したように、私はここしばらく「鬼滅」のEpicversionを何度も聴いていたと言いましたが、ではそれらとaskaさんの音楽を分かつものは何かと言えば、結局この冒頭示されたグルーヴ感にあるのではないか、と思ってしまう。 Epicversionは詳しくは知りませんが、おそらく自動演奏機器を用いたサウンドでしょう。確かに迫力や音の明晰度はすごいのですが、それを超えて人の心に入って来るというところがない。たんにサウンドが鳴り響いているということになりかねないのです。 同じく極度に電子化されたエレクトーンでありながら、そこから繰り出されるサウンドは、まぎれもなくaskaさんという身体が聴き届けた「鬼滅」そのものであって、それ以外の何物でもない。と言うわけで、この「身体性の介在」こそgrooveの根源であろうという気がするのです。 LiSAさんの「蓮華紅」は、そうした音楽における「身体性の介在」というものを、きわめて分かりやすく示してくれる。ラップのような早口の歌唱のあと、「人知れず儚い~」と続く間奏部、LiSAさんの真価が現れたレシタティーボ、どんな器械がこんな朗誦できると思います?そしてそうした彼女の魅力にどこまでも肉薄しようとする、かぶりつきの映像。私は曲そのものは「鬼滅」のアニメで知っていましたが、この映像がなければLiSAさんの真の魅力を知ることがなかったかもしれません。 「音楽番組にいっぱい出とったやん !」と、またまた怒鳴られそうですが、私はテレビの音楽番組ほど(紅白も含めて)見ないものはなかったし、 テレビ番組で果たしてLiSAさんが、この「THE FIRST TAKE」のような歌唱を出来たのかどうか、じつは疑問に思っています。歌唱だけを厳密にドキュメントしているのはこの動画だけだからです。
2022.09.04
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LiSA’s voice それにしても、やっぱり音楽の話は楽しい。アニソンとか今どきのポップにはまったく縁遠いクソじじいでも、どういうはずみでか、「新たな響き」に出くわす。私はこういう予期せぬ驚きにブチ当たるのが大好きです。 826askaさんの熱心な発表がなければ、絶対に聴くことのなかったであろう「鬼滅の刃」の音楽。まことに頑ななる私の趣味のせいで、アニメは「鬼滅」どころか、ジブリだってまず観なかったのですが、明らかにaskaさんのおかげで、ちょくちょく観る機会が増えてきました。 先日民放でやっていた「ラピュタ」は、なかなかおもしろかった。同じ系統で「ナウシカ」や「紅の豚」も好きなアニメです。しかし私がアニメをしたり顔で語ることは、まず永遠にないでしょう。生前の父がなぜか「千と千尋」と「トトロ」のビデオ(DVDと違いますよ)を持っていて、繰り返し観ていたのが私には一種のトラウマとなっていて、依怙地にならざるを得ないというところがあるのかもしれません。しかしまあこれは別の話。 以前にコロナ禍の自粛期間中、「鬼滅」のepicversionの動画を繰り返し聴いていたと言いましたが、その後これまたaskaさんがらみですが(よみぃさんという人気ストリートパフォーマーとのどっきりコラボ動画が出てましたな)、ストリートピアノ系の動画を観、ときに驚倒するようなパフォーマンスを見せるピアニストもいて、しばらくはまっていました。 しかし各人のあふれ出る貴重なリソースを、いかにもキャッチ―な大道芸(!?)に費やすのはいかがなものか、というこれまたうるさいクソじじい根性が芽を出して、ストピ指向はいたって短期間で終わりました。それにしてもキャッチ―であろうとすると、なぜあんなに音の数が多くなるのか(そのくせ音楽の種類は少ない)、あなたがたは一音で「沈黙と測りあえるほどの音」を生み出す気はないのか、と問いかけたくなりますが、この話もまた紛糾するのでここまでにしましょう。 ところがそうしたストピを外国でやっている人がいて、その人の「炎」がなかなかいいというか、リンツの住人たちが結構熱心に聴いている。で、その「炎」がこの曲を特徴づけていると、私がかってに思っていた第二フレーズ(Bメロ)を、オクターブ下げて弾いている。「ハハァなるほど」と思ったものです。国内にあまたあるストピの「炎」動画でも、こういう演奏は聴いたことがない。で、「なるほど」というのは、ではこの「炎」の魅力とは、このうねうねとした構造にあるのじゃないか、ということで、先のような感想となったわけです。 と、振り返るとホンチャンのLiSAさんを聴くまでに、だいぶ「炎」を聴きこんでいたというこということがバレてしまいましたね。 LiSAさんの地声は美しい、と先に言いましたが、これは歌い手たちにとって、基本の生命線のようなもので、一声で聴く者を魅了するような響きということです。昔、英米のヴォーカルに凝っていた時期があって、例えばヘレン・レディという実力派歌手がいて結構活躍していたのですが、同時期唄っていたペトゥラ・クラークに比べて魅力がない。何が違うかといえば、結局地声の魅力としか言いようがないのです。J・アンドリュースもミュージカル俳優としては大スターでしたが、ついにスタンダードな歌手にはなれなかったでしょう。私の大好きなB・ストライザンドが、ミュージカルスターから大飛躍してLPのミリオンセラーを連発していたのとは対照的ですね。 この違いは何なのかということになると、やっぱり地声の魅力、ヘンな意味でなく人を引き付けるセクシーさが基本にないと、どうしようもないということなのかな、と思ったりもします。B・ストライザンドの貴重なライブを聴いてみましょう。驚異的な音域の広さと、肺活量そして自在なテクニックは彼女独特ですが、やはり第一のチャームポイントは地声の魅力。いささか鼻にかかった、しかし何となく無垢な感じを与える響きは、一聴にして私たちを彼女の世界へ引き込む、そういう力があるのです。
2022.09.02
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LiSA’s structue LiSAさんの話です。「何を今さらLiSAやねん!遅いわ」と蹴飛ばされそうですが、これまた最近知ったのですが、某有名企業が中心となって、「THE FIRST TAKE 」というサイトを立ち上げて、「一発撮り」の音楽動画を数年前(2019.11.5~)から始めているらしい。スタジオ録音なのに本番は一回かぎりということで、ライヴの緊張感も合わせ持つ動画にしようという趣向だったのでしょうか。奇しくもそれがコロナ禍と重なって、多くのミュージシャンが参加することとなりました。 その中で、圧倒的再生数を叩き出しているのが、LiSAさんの「紅蓮華」で、なんと最近までの三年弱ほどで、一億二千万回以上!コメント数が四万五千回以上というあり得ない数字で、さらにその一年ほど後に出した「炎」が、五千八百万回以上、コメント数が二万八千回以上というあり得ない数字。 とはいえ、私にとってそんなお化けみたいな数字は、あまり興味がない。むしろこの「一発撮り」のコンセプトで、初めてLiSAさんの魅力を知ったということのほうが大事なのです(やっぱり遅いね)。 「炎」の構造なのですが、一聴して分かるとおり、全体が三つの大きな山で出来ていて、それに至る道筋がそれぞれ異なっている、メロディ―ラインでいうと「さよなら、ありがとう、~」で始まるAメロ「このまま続くと思っていた~」と続くBメロそしてピークに向かう「僕たちは燃え盛る~」と続くCメロとなるわけですが、AとCの間にBメロが入っていて、これがこの曲に大きなニュアンスを与えている。LiSAさんはこのAとBの間をノンブレスで唄っているので、曲調の変化に気づかないぐらいですが、これがあることによって、スッキリした山容ではなく、うねうねとした尾根筋を登って行く、というような印象を与えますね。そしてCメロに入ると転調して、クッキリとしたピークが姿を現す、という仕掛けになっています。 この一つめの山だけでも、Bメロの存在によって充分ドラマティックな印象を与えますが、真ん中の山はさらに手が込んでいて、ABのあとCメロをとばして(「僕は守り抜くと誓ったんだ~」のあと)、転調させた新たなフレーズを重ねていますね。この部分、ソナタでいう展開部にあたるのですが、伴奏のピアノも含めてものすごい盛り上がりで、ここがこの曲の最長不倒距離かとさえ思わせます。 ここまで真ん中が盛り上がると、普通若干のクールダウンが入るものですが、曲の内容の痛切さからか三つめの山は、今度はABをカットして、いきなりピッチを上げたCメロから来る。そこでこの三つめは、これまでのうねうねとした穂高連峰のような山容とは違う、槍ヶ岳のような屹立した厳しい姿を現すということになります。 この曲の構造を考えたのは、もちろん作詞作曲編曲を手掛けた梶浦由記さん(アニソンの女王と言われているそうです)でしょうが、作詞にLiSAさんも入っているところからみて、お二人で充分練り上げた末での作品となったのでしょう。「THE FIRST TAKE 」は、そうした作曲者や歌い手の思いや意図を、かなりナマに近い形で引き出しているので、こんな話をしているのです。 LiSAさんもそうした「一発撮り」のコンセプトを意識して、普通のライブやコンサートでは見られない、時にしどけないほどの熱唱ぶり。私はどちらかというと、こうした熱演は苦手なのですが、彼女自身が歌い終わったあと、興奮を鎮めるように語っているように、「いろいろなことを思い出して~」と、もともと美しい地声の持ち主で、しかも完璧なテクニックがありながら、長く続いた不遇の期間、おそらく自信家であったでしょうから、抑えられなくなっちゃったんでしょうね。 こういう瞬間というのは、まさしく一回限りで、同じ唄いかたは二度と出来ない、そういう歌唱となりました。
2022.09.01
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