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断りなくしばらく更新しないと、どうしたのか?と心配してくださる方がいるので・・・センター試験でヘロヘロ。卒論原稿用紙で100枚超が2名。その後試験期間。入試。27日の締め切り原稿あり。 さらに学内はヘリがらみで難しい状態になってしまった。大教大の友達(付属じゃなく本体)が、タクマ事件の後、非常に厳しい状況に直面した、といっていたのが思い出される。この件については小刻みに出さず、全てが終了(復旧案が、どういう形であれ、正式決定した時点がめど)した後、まとめて報告+私見を述べます。必ず。
Jan 17, 2005
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たまには軽い話題。いつもそうだと言われるかもしれないが、まあ、適当な内容です。 さて、今年も沖縄の成人式に注目が集まってしまったが、この改革案については後述する。 このように荒れる様になった原因について、戦後民主主義がいかんとか、ゆとり教育の弊害とかいろいろ言われているが、二つの点が見落とされているように思われる。 一点目は、成人の日は2000年の祝日法の改正により、実質的には2001年から、ハッピーマンデイとなった。この改正(悪?)と荒れ始めた時期が符合するのは偶然だろうか? 二点目は、伝統あるNHK「青年の主張」が、「青春メッセージ」とかいういかがわしい番組に変更されたのは、1990年であった。従って今年の成人は、仮に見ていても5歳の時の記憶しかない事になる。 そもそも成人の日というのは、昭和23年の祝日法により規定されたものであるが、睦月満月の元服の儀をヒントにしたとされている。もちろん普通誰もそんな事知らないのであるが、祝日というのはよくわからないが日にちが特定されている事により、なんとなくありがたみがあるのであり、1月の第二月曜などと変更された時点で、大きく権威を失ったのではないだろうか。 「青年の主張」のというのは非常につまらない番組であったが、あのようなつまらない番組を長々と放映する事により、新成人以上に、子供心に影響を与えていたように思われる。私は子供の時代、何時終わるとも知らずだらだら続く番組をみながら、今日はどうやら普通の日では無いようだな、と思っていた。 成人式というのはつまらないイベントであるが、長年培われた「青年の主張」のきまじめさとつまらなさにより、このイベントはそういうつまらないものなのだ、という一種の了解が出来ていたように思う。しらけて参加しない者も多かったが、少なくとも参加して騒ぐ、などという発想はなかった。何とか若者にも楽しめる企画にしようなどと馬鹿げた大人達が、この惨状を招いたのである。 特にディズニーランドで成人式を行った浦安市の身勝手さについては、もっと糾弾されてもいいように思う。都会の方ではそんな楽しげな成人式をやってるらしいのに、俺の所は何でこんなにつまらないのか、と不満が生じるのも無理無い。浦安市の参加率は上がったのかもしれないが、地方の荒れた成人式の何%かの責任を負っている。 さて、それにしても沖縄である。今年は全国で放映するほどの大規模な混乱は無かったのであるが、一度あの珍妙な集団を目にすれば、また見たくなってしまうのも無理のない事である。 既にネット上では、冷笑批判を浴びまくっているので、私はあえて擁護的な立場に立とうと思う。まあ、仮に自分の息子があんな格好をしたら・・・と思うとたまらないのであるが。 これはどこかのBBSにも書いてあったが、沖縄で行われているのは本土の成人式が独特の変化を遂げた、新しい祭なのである。派手な衣装を着て、車でパレードするというタイプの習俗として、既に沖縄にはカジマヤーという行事がある。こちらは97歳と非常にハードルが高いのであるが、ある年齢に達したら行う、という点では、成人(祭)と同じ性格を持つ。 他府県の人々に冷笑を浴びている、出身中学ごとのそろいの羽織であるが、これは解体していく共同体への無意識的な回帰、としてこの祭りには欠かせない点である。問題の髪型であるが、これは今なお本土の地方においても多少残っており、事実上誇張されたパロディーといった色彩の強い「氣志團」がいるために、非常にかっこうわるく見えるのであるが、「氣志團」の活動はやがて終わるだろうし、そのころ本土ではこの種の髪型は絶滅しているだろう。そうなれば何か由緒ありげな髪型に見えてくるはずである。100年ぐらい経てば「従来、この祭りの髪型は、21世紀初頭の「氣志團」に起源を持つと考えられてきたが、20世紀後半の「キャロル」にまで、さかのぼる事が出来るのではないか?」などと、論争が起こるであろう。 ただ問題となるのは、97歳まで生きるというのは、それだけでとてつもなくえらい事であるのに対して、たかが二十歳になった程度で、簡単にパレードに繰り出すのは許されにくい、という点である。道路交通法上の特別な許可をもらう必要もあるから、若者の暴走ではなく、神聖な祭りに格上げするためには、やはり何らかのイニシエーションが必要である。本当の成人儀礼、例えば八重山の豊年祭中の「あらため」ほど厳しいと、誰も通過出来なくなってしまうので、ふんどしだけで水を浴びるとか、それよりも地域の長老の話を30分程度正座(ヒザマンチュ)して聞く、程度でもいいのかもしれない。 「すげえ、うちの先輩達は、全員30分間耐え抜いたぞ」とか、後輩にもいい影響を与えるだろう。まあ何でもいいので、試練を克服してから繰り出せば、世間も納得しくれる(かもしれない)。 どのような伝統行事も、第一回目、というものがあったわけである。今では伝統行事とみなされているエーサーだが、現在のような形になったのは、100年程度前だと考えられている。我々はもしかすると新しい伝統行事の成立過程を見ているのかもしれない。
Jan 11, 2005
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沖縄県は「負担軽減を求める沖縄県要求案の素案」をまとめた。最も優先度の高い「A」は「普天間飛行場」「キャンプ・シュワブ」「キャンプ・ハンセン」「トリイ通信施設」である。 私見としてはどうにもメリハリがない要求であるように思われる。普天間とトリイを同格にするにする事によって、普天間返還の意気込みはトリイ程度なのか、と誤解を招く恐れすらあるのではないか?実際の訓練場であるハンセンはともかく、トリイ自体は危険ではない。 さて問題の普天間であるが、とうとうもぬけの殻になってしまった。もともと50機以上配備されていたヘリのうち、40機前後がイラクに行き、残ったCH46もインド洋の支援にあたる事になっており、既に軍事基地としては機能していない。非常に皮肉な話であるが、海外の戦争と、大災害により、つかの間の平安が得られた事になる。 従来から普天間基地のヘリ部隊は、極東の安全保障とは無関係ではないのか、という議論があったが、ほぼ証明された、とみて良いだろう。これから3月にかけて、北朝鮮との緊張関係が予想されるのであるが、普天間基地は無くてもいいのである、もしくは米軍は無くても大丈夫と判断した、という事になる。ということは代替施設は県内でなくともいいということである。 イラク情勢の出口は全く見えておらず、災害復旧にも相当の期間が予想されている。したがって当分普天間基地は、ただあるだけ、という状況が続くわけだが、その後については全くわからない。1)辺野古移設 今のところ日米両政府の公式見解はここから動いていない。しかしこれから20年近くかかるという案はもはや現実性を失っている感じがする。中止になると大変だ、と判断したのか、防衛施設庁は昨年末から調査に気合いを入れているが、調査費用だってバカにならず、役所的には予算は消化したいと言う事なのだろうが、税金の無駄遣いという事になりかねない。 山崎拓首相補佐官は移設までの暫定措置として機能の分散移転を主張しているが、この人は今や首相の友人という以外にどの程度の政治力があるのかよくわからない。2)嘉手納基地統合 これは下地幹雄氏を中心に主張されているものである。一時は米空軍も理解を示した、などという報道もあり、あるいはこれが本線か、という感じもしたが、那覇市長選敗北以後、下地氏の影響力は大幅に低下している。県内の政治家としては優秀な人だと思うのだが、この案は消滅かもしれない。3)岩国統合 これは軍事評論家前田哲男氏の予測である。この前田という人は、どうも軍事評論家というより、反米運動家という色合いが濃く、何を根拠に主張しているの解りづらい面がある。ただ小泉首相は一時「県外移設」をにおわす発言をしており、仮に県外だとすると、岩国しかないような気もする。4)国外撤去 数年前なら考えられない事であったが、現在様々な人が主張している。多くの場合、自衛隊の機能強化と引き替え、という条件が付くが、この主張に現実味がでてきたのは心強い事である。 ただし今回のインド洋支援においては、在韓米軍までがかり出され、沖縄を経由して被災地に向かっている。やっぱり沖縄は便利だと再評価される可能性もあり、楽観的になるのは禁物だろう。
Jan 8, 2005
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