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今日わかったこと。(1)現在沖縄の図書館等に所蔵されている当時の「沖縄新報」は同じバージョンであり、県内でこれ以上探すのは困難だと思われる。 まあ2,3日の調査で見つかるぐらいなら、とっくに誰かが見つけているわけであり、案の定ではあるが、これほどまで希少だとは思わなかった。『那覇市史』の「新聞集成」なども全く同じバージョンである。 実際沖縄戦の被害はそれほど甚大であり、紙の資料はほとんど燃えてしまっている。現在存在する資料の大半は、国会図書館等、本土の図書館所蔵のものを用いて復刻したり、また他府県にいた県出身者が所蔵していたものなどを、岡本恵徳氏や仲程昌徳氏その他先人たちが丹念に回復させたものである。これに倣い私は3月下旬に東京に行って探すつもりであるが、「沖縄新報」については、それ以前の資料よりもはるかに困難が想像される。 というのは昨日の比嘉のメモに見るとおり、無事に本土まで運ばれなかったケースが想像される。その場合、発見は困難というとか、絶望的になってくる。(2)「沖縄新報」の再開そのものは予想よりも早く、10月14日か15日には復刊にこぎつけたと考えらる。 これは今日気づいたのだが、「沖縄新報」にも他の新聞同様「通巻」すなわち通し番号がある。私の計算ミスがないとすれば、11月14日発行の分は何も無かった場合1398号になるはずである。しかし現存する11月14日号は1395号である。ということは発行できなかったのはわずか三日分ということだ。 仮にこれが正しいとすれば、現存する資料が11月14日から始まっている理由も説明できる。(仮説)現存する資料より前の便で、10月14日から11月13日までの一箇月分は発送された。しかし何らかの理由で(貨物船撃沈など)、比嘉のもとには届かなかった。その事実は送り主にも受け取り主にも把握されず、翌月分11月14日から12月13日分が発送され、これは届いた。 以上の想定が正しい場合、11月4日なり5日なりの新聞は「発行」はされたと見てよいと思う。つまりもともと存在しない、ということは考えにくい。(3)これは上記二つのの推測よりははるかに精度が落ちるのだが、一応記録ししておく。「考察」である。 梅沢氏の証言の三つの要素を満たす事実があったとは考えにくい。 三つの要素とは「19年11月3日であること」「知事が参加したこと」「警察消防を含む大規模なものであったこと」である。 まず時期についてであるが、十・十空襲の被害は甚大なものであったが、官僚機構は壊滅したわけではなかった。『那覇市史』など見るとこの時期の記録は相当詳細に残っている。仮にそれほど大きな公式行事があれば「沖縄新報」のみならず記録に残っていると思われる。だが今のところそれを示す資料はない。 次に「知事」である。これは現在まだ調査中で諸説があるのだが、当時の知事だった泉守紀がこのような大会を招集したとは現時点では思えない。泉知事は就任当初から一刻も早く沖縄を出ることを画策していた人物であり、軍部とも対立していた。実際には昭和二十年一月にまんまと香川県知事に就任し、1984年無事86才老衰で大往生している。十・十空襲以後は特に精力的に運動しており、こんな集会を招集するとは思えないのである。 次の島田知事ならありうる。島田知事はそもそも死ぬことを前提に来沖しており、実際20年6月に大量の県民を失った責任から文民でありながら自決している。現在も夏の野球県大会を制すると島田杯が授与される。興南高校は島田杯を手に甲子園を制したのである。 警察・消防等については、11月上旬にこのような大規模な集会を余力はなかったと思われる。那覇市役所が仮事務所をようやく作るのは11月中旬である。 そもそも梅沢証言のこの部分は戦後かなりたった伝聞である。19年ではなく18年であったとか、明治節ではなく紀元節であったとか、多様な可能性を想定しつつ調査を進めるべきだと思われる。(この項、ひとまず終わり)
Jan 29, 2012
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昨日の書き方は予断をもって受け止められるような書き方だったようである。反省している。あらかじめ述べるならば、11月3日集会は現時点ではあったとも、なかったとも断定できない。 北中城図書館所蔵の「沖縄新報」合冊は、11月14日以降のものであった。一切解説が無いので、憶測も入るのだが、この合冊は「比嘉」という人物の所有物を写真製版したものである。別の場所にまるで囲まれた「潮」というサインがあるので、比嘉春潮の所有物だったのではないかと推測する。当時比嘉は東京に暮らしていた。冊子の途中には鉛筆書きで、次のような趣旨のメモがある(大意)。 十・十空襲以降、郵便の往来が途絶えた(おそらく東京との間)。 12月末頃から、ようやく郵便物が復旧した。 1月4日に、11月14日~12月13日分が一気に送られてきた。いつ再開されたかわからないが、この少し前ではないか。 11月14日が再刊初日では無いという見方には私も同感である。もし初日なら何らかの挨拶が想像されるが、14日付にはそのような文言は無い。ではなぜ14日分からなのかは、今のところ全く見当がつかない。 私は昭和19年の11月というのが、十・十空襲の直後だという事実をすっかり忘れていた。しかし写真版とは言え、以前のものと比べると、活版のコンディションなどが、極端に悪化している。空襲で沖縄新報は一度壊滅的な打撃を受けたと見て間違いない。しかも11月半ば以降になっても、ようやく事業を再開した企業等の告示が相次いでいる。 11月3日について、今、確実な出来事は、空襲後普天間に移った県庁機能が那覇に戻った日である。全市の9割以上を焼き尽くした被害から、ひと月弱で県庁機能を戻したのだから、随分早いと言える。そしてこの時期のトピックとしては、それまで疎開に難色を示していた県民が急激に疎開に申込み始めて役所はごった返した、ということである。 さて、このような状況下の那覇で、果たして全県的な集会が可能だったのだろうか?逆にいえば、こういう状況だから、開く必要があったとも言えるのだが・・・。 ちなみに集会の開かれたとされる護国神社もしくは波の上神宮は、十・十空襲時点の被害は限定的であり、開催が不可能というほどではないと思われる。 県立図書館の蔵書目録を見ると「沖縄新報 昭和19年11月14日~昭和20年2月27日」というのがあり、これは私が見たものと同じものであろう。もう一つ「沖縄新報 マイクロ複製本 昭和19年11月~20年2月」というのがあり、私のこれまでの研究経験からいうと、これも同じものの予感がぷんぷんするのだが、そういう予断を排して調べることを研究という。あす息子の参観日が終わったら行ってきます。(つづく)
Jan 28, 2012
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一体何のことやらと思われるかもしれない。どこから説明すべきなのかも難しいのであるが、これはいわゆる「集団自決」(当時はそんな言葉ありえないのでいわゆるという)関連の話題である。 現在沖縄では二転三転を経て、「集団自決」は軍命によってなされた、ということになっている。これは沖縄県民の総意である。多数がそう思う以上、事実はそうあるべきである。・・・・歴史ってそういうものなのだろうか? 私は歴史がどうあるべきかとは考えない。私が知りたいのは単純に歴史がどうだったのかということだけである。 軍命があったという主張の典拠は「鉄の暴風」という書籍である。これによると座間味部隊隊長の梅沢少佐はとっくに死んでいることになっている。だがこれは間違いである。少なくとも2009年時点で梅沢少佐は生きている十分な証拠がある。http://www.youtube.com/watch?v=Pn3MqD_9Fdk&feature=relmfu私の目には、この人物が亡霊とは思えない。どう見ても生身の人間である。しかもこの一連の主張は説得力と迫真性があり、嘘をついているとは思えないのである。ただ疑問点もある。この動画の11分以降に展開する「昭和19年11月3日の沖縄県民集会」である。仮にそのような集会が本当にあり、そこで米軍が上陸するような状況になれば、老人・女・子供は自ら死ぬという申し合わせが本当にあったとするならば、沖縄における「集団自決」の原因は非常に明瞭である。実際日本軍の関与が希薄であった読谷でも「集団自決」は起こっているのである。この集会の存在については、既に桜井よしこ氏のブログにも書かれており、http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/08/06/ここでは「消えた沖縄新報」と論じられている。「沖縄新報」とは1940年12月20日一県一紙化の指示にともない「琉球新報」「沖縄朝日新聞」「沖縄日報」の三紙が統合した新聞である。通常出典と日時が明らかな場合史料の特定は容易である。要するに昭和19年11月3日以降の「沖縄新報」を見つければいいのである。 沖縄県立図書館の県内横断検索によれば「18年及び19年沖縄新報」は北中城図書館にあるのである。で、熱が下がった私はでかけてみた(続く)。
Jan 27, 2012
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水曜から高熱が出て、ようやく本日平熱。これで土日平熱が続き月曜病院で検査しないと、私の場合職場にいけない。この時期休講は日程上やばいのである。まあ多分大丈夫だと思う。これまで子供がもらってきても自分は大丈夫だったので、タカをくくっていた><。健康第一である。
Jan 27, 2012
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橋下市長が市幹部に国旗尊重の指示を出したようである。来る今年の卒業式に、国歌斉唱の遵守を徹底するため、まず隗より始めよ、ということなのであろう。橋下氏の政策は一貫しており、公務員という職業を選んだからには、おのれの思想や良心を時には犠牲にしても、全体の奉仕者たるべきである、ということである。確かに、この主張は極めて妥当である。誰しも職業選択の自由があるのだから、公務員という職業を選んだ限りにおいて、時には個人の自由意思を抑えて、業務を遂行すべきである。現在日本には君が代を歌うことが無い職場は数えられないほどある。 その一方、君が代斉唱を強制することは、君が代が持つ価値を損ねることになりはしないか、と思う。君が代は面従腹背によって歌われるべきでない。処分が恐いから歌う、ということは君が代そのものの価値を貶めてしまいかねない。君が代を歌いたくないない人は歌わない、起立もしない、しかしそのような国民も許すのが君が代である。 またこの議論で欠けているのは、高校生たちの意思である。中学生にはまだ難しいと思うが、高校生ならば、ある程度自分の意思を表明できるだろう。先生達に歌って欲しいのか、座ったままの先生がいてもいいのか、そんなことどっちでもいいのか。 高校生達にとって卒業式は、場合によっては最後の君が代斉唱である。というのは、大学の入学式卒業式で国歌斉唱は稀だからである。私の経験では、千葉大学では国歌斉唱のプログラムはなかった。今はやってるのかな。都立大学(現在 首都大学)では私の在学中総長は、殺されても君が代は歌うべきではないという立場の山住先生であったから、君が代など歌えば処分されるかもしれない状況であった。 今ネットで高校生の意思を確認できるのは、所沢高校の卒業式に関する記述位のものである。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/5931/sankei12.html この記事の中で特に興味をひかれるのは、ある高校生の次の主張である。 「生徒会は『日の丸・君が代の強制に反対だ』と言っているが、結局僕たちに『反対すること』を強制しているんじゃないか」
Jan 22, 2012
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君が代の問題というのは、結局は憲法一章の問題である。小学校学習指導要領の解説には次のように書いてある。 国歌「君が代」は、日本国憲法の下において、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌であることを理解できるようにする必要があります。 もっと読点などをいれ、分かりやすく書きましょう、と指導したくなるような文であるが、内容は妥当である。従って君が代を否定する人は、日本国憲法を否定しているのである。一方で君が代に反対する人々は、大抵は自らを護憲と言っている。改正に反対するなら、まず自分が守るべきである。しかしイデオロギーに捕らわれてしまうと、自分に都合の悪いものは見えなくなってしまう。彼らの憲法はなぜか9条から始まっているのである。 私は学校で憲法の3大原則というのを教わった。今も同様のようである。しかしそうじゃないだろう。4大原則と考えるべきである。1.象徴天皇 2.国民主権 3.基本的人権の尊重 4.戦争放棄 このうち2と3は、近代ヨーロッパで練られて来た原則であり、現在これに強く反対する人はほとんどいない。これに対して1と4は日本独自のものである。 実は国民主権については、明確な条文は一条と前文にしかないので、一条は国民主権が中心だなどいう意見もあるが、いんちきである。なぜなら第一章天皇と書いてあるではないか。 一般に憲法一条というのは、その国がその国である所以を述べる部分である。日本というのはなぜ日本であるのか。その国家と国民統合を象徴するのが天皇なのであるから、統合した国民と一体化した天皇こそ、日本が日本たる所以である。 従って一章は、後続するあらゆる部分を超越している。例えば天皇には職業選択や移転の自由はない。また第2条「皇位は、世襲のものであつて」は第14条「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」と完全に矛盾しており、というよりも超越している。 これは一見矛盾しているようだが、そうではない。第一章はいつ始まったのか分からないほどの昔から、長く続く我が国を引き受けており、第二章以降は現在を生きるわれわれの、国家の仕組みを引き受けているのである。 最近天皇制廃止の立場から、いわば同情的廃止論みたいなのがある。これなどは私も感情的にはぐらっとしかかる部分がある。例えば昨日引用した「強制になるということでないことが望ましいですね」など、国民の自由意志を尊重するお気持ちを表現されると同時に、「望ましい」という形で、それが指示や命令にならないようご配慮されている。まさに象徴である。 皇后陛下も被災地御訪問のおり、命からがら助かった人の話に「良く助かってくださいました」とおっしゃったのにはぞくっとした。これは普通家族の感覚である。民間出身でいろいろお悩みもあっただろうが、今ではおそらく、ごく自然に振る舞われることが象徴たるにふさわしい域に達せられているのだろう。 これに対して東宮殿下については、同世代故に非常に複雑な感情を持つ。自由気ままに生きる国民生活を熟知しながら、やがては天皇に即位される。ましてや皇室にお入りなって日が浅い妃殿下は、ちょっと前までは基本的人権をもった国民だったのだから、あのバッシングはないだろう。
Jan 21, 2012
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「君が代を強制してはいけない」という立場に立とうとしたら、三島由紀夫を思い出した。三島はまだ死後40年しか経っておらず、しかも著作権を放棄するようなマイナー作家ではないため、ネット内で読むことが出来ない。三島と志賀あたりは青空の弱点である。で、今原本が手元に無いので、おおよそになるが三島は、 押しつけられた愛国心など無意味である、徴兵は義務化してはならず国民の権利である、歌うなと制されても自ずと君が代を歌うような国にしなければならない、そもそも愛国心などいう言葉は日本語になじまないので、大和魂でよい。とこんな事を主張していた。「文化防衛論」では無く、しかも二つか三つのエッセーを混ぜたものだと思う。いつか全集できっちり確認します。 お説ごもっともである。なぜこれを思い出さなかったかというと、学校現場の混乱を押さえるためには、多少の強制はやむを得ないという立場に立ったとき、意識にフィルターがかかっていたように思う。君が代不起立派は三島を引用すべきである。 また今上陛下は当時教育長をしていた米長邦夫氏が、君が代を全員に歌わせるよう努力すると申した上げたところ「強制になるということでないことが望ましいですね」と、おっしゃった。大御心がかくあらせ給へるに、木っ端役人ごときが勝手に条例など作るのは、不敬である。 また君が代には重大な欠点がある。それは一般人が歌うには難易度が高いということで、相当練習しないと美しく聞こえない。私などはいくら練習してもだめである。それに対してこの動画http://www.youtube.com/watch?v=_ORh8TKxsMUなどは、実にすばらしい。独唱ということで選手は口を閉じているが、上がる国旗に対して徐々に視線が上がる様などは、敬虔な感じである。この動画の前に起立の指示があったのかどうかわからないが、これは自ずと立たざるを得ないのである。義務化、条例化、罰則化のまえに、もっと多様な工夫があっても良かったのではないか。
Jan 20, 2012
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今ネットでは、山口氏に対して「大学教授のくせに議論も出来ないのか」という声が多いが、これは日本の研究者養成上の問題点でもあり、大学教員は必ずしもディベート能力は高いとは言えないのである。研究領域にもよるが、日本の研究者の地位はほとんどペーパー至上主義で、口頭発表のうまい下手、議論の力などはあまり関係ない。つい最近までは授業のわかりやすさすら、どうでも良かった。現在ではFD、FDといって、教育力を上げようとしているが、効果は限定的である。 学会もそうであり、発表後の質疑時間は非常に短く、本格的な議論などそもそも予定されていない。あたりさわりのない質問が、2,3出る程度である。シンポジウム形式というのもあるが、大抵は基本的に同じ考えを持ったもの同志がパネラーであり、同じ考えを違った例を使って説明しているだけというのが多い。私の経験の中で一番議論したのは、大学院のゼミの時代であった。私のいたゼミは、非常に議論が活発であり、相当成長できたと思う。しかし毎週同じメンバーと議論するわけで、お互いの手の内、力量は次第に分かってくる。他流試合の経験は残念ながら、なかった。 「論争」もほとんどは、紙の上で行われる。そしてだらだら続いて、うやむやに終わる。つまり日本の研究者は、面と向かった議論を通じて、そこからあらたな真理に至るという経験はほとんどしていない。国際政治学の村田晃嗣氏などは、なかなか強いと思うが、もしかすると留学中外国人と議論出来るようになったのかもしれない。日本人留学生は、非常におとなしいとされている。おとなしく数年間過ごし、箔をつけて帰ってくるのである。 日本の学者が、ディベートの場数を踏んだ論客に勝つのは非常に難しい。唯一研究者に利があるとすれば、長い時間をかけて蓄積された事例の量と、その多様性であろう。ところが山口氏は、制度を大幅に改変せずに教育改革が成功した事例を、犬山市一つしかあげられなかった。しかも追跡調査を怠っていた。議論はへたくそでもいいのだが、これは研究者として深刻である。一方、橋下氏は、犬山市の事例が出てくることを、あらかじめ織り込んでいた。これでは話にならない。もちろん山口氏は教育政策が専門領域ではないが、人を批判している以上いい訳は出来ない。 その後はさらにひどかった。橋下氏が私学助成金をカットしたことは知っていたが、その後増額したことは知らなかった。おそらく一般視聴者はあきれ果てたと思うが、実はこれは研究者が陥りがちな危険な罠である。 あらかじめ結論が決まっていたのである。 まあ山口氏の場合は極端な例だが、実は人文科学や社会科学の論文にはそういうものが少なくないし、部分的にではあっても、完全な思い込みの混入をふせぐのは難しい。そして一度「思い込み」に捕らわれると、その思い込みを覆す資料が盲点に入ってしまう。一瞬意識したとしても、次の瞬間消去される感じである。もしかすると人間の脳にそういう仕組みがあるのかもしれない。それゆえ研究者に必要なのは、絶えざる自己懐疑なのである。今回の件をみて改めてそう思った。
Jan 19, 2012
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今日は「君が代は強制すべきでない」という立場で立論する。 なぜかというと先日、北大の山口二郎氏が橋本市長こてんぱんにやられちゃうのを見たからである。ネットの動画は増殖するから、あれは痛い。で、なぜあんなに一方的にやられたのかというと、大きく分けて二つの理由を思いつく。1.討論相手の予想される戦法を分析せず、なおかつ相手の戦力を過小評価していた。 「学者の意見は机上の空論であり、現場の実務経験なしの批判は不毛である」という主張は、橋下氏が既にいろいろなところ述べている内容である。当然今日も同じ戦法でくるはずである。実際市長は数回にわたってこの趣旨を述べていた。 ということは、「学者の意見には、有効性がある」という事例を提示できれば、戦局は優位に傾くはずである。学者というのはいわば岡目八目的なところがあるから、現場で気付かなかった問題点を、外部有識者が指摘し、問題点が改善されたという事例はあるはずである。しかし山口氏はそのような事例を何一つ準備しておらず、結果として市長のいささか乱暴な意見が正しいことを証明してしまった。実際山口氏は平松市政のとき大阪市の顧問を務めており、一つぐらいは成果を上げているはずである。が、これはもしかすると何一つなかったのかもしれない。 また橋下市長はもともと弁護士として、相当数の訴訟を担当してきた。いわばガチンコのディベートを数多く経験している。しかも府知事として、何度も府政説明会等で、思いがけない伏兵から批判される経験を持ち、そのたびに切り抜けている。その事例はネットで簡単に見ることができる。現在日本における有数の論客であることは間違いない。西部邁氏を1対1で言い負かすぐらいの準備が必要であった。 にもかかわらず、山口氏はほとんど準備していたとは思えない。一方の橋下氏は、山口氏の著書を熟読し弱点を研究していたと思われる。山口氏はグランドの攻防を想定せずに、総合格闘に臨むK1選手のように秒殺されてしまった。 なぜこのように討論相手の力量を測りそこねてしまったのか?こちらの方が重要かつ深刻な問題である。2、ある時点(相当早い時点)で橋下市長が間違っていると盲信し、「自己の立論があるいは誤りであるかもしれない」という謙虚さを失ってしまった。 山口氏の経歴を見ると、まさにエリート街道まっしぐらである。東大法学部を卒業し、大学院を経ずに学部卒業年次に東大法学部助手に就任している。こんな事例もあるのかとびっくりするような経歴である。しかも若干26才で、旧帝大で大阪大や名古屋大より格上とされる、北大の助教授に就任している。すげえ。もしかするとこの人は戦後最年少旧帝大助教授かもしれない。しかも助教授就任後まったりとコーネル大学にフルブライトとして留学し、その後オックスフォードの客員研究員に就任している。 私の26才といえば、本来2年で書くべき修士論文を3年目でも完成できずに、M4やむなしと決定した年である。貧乏な母子家庭出身で、早稲田出身の橋下市長を馬鹿にするのも無理ない。先週日曜の討論はエリート中のエリートが、地を這うように努力した雑草に敗北する、記念すべき事例でもあるのだ。 枕にするはずだった橋下vs山口が、あまりにも面白くて1時過ぎてしまった。続きは明日書きます。
Jan 18, 2012
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重い話ばかり書いていると、次第に気も重くなってくる。なので、軽い話題を書く。・・・・・やっぱ変だろう。接続詞「なので」。 辞書を引いたら案の定「なので」は「断定の助動詞または形容詞の活用語尾+接続助詞」の連語であり、文中では使えるが、文頭では使えない。ところがこの表現は急速に広がりつつあり、とうとうレポートで使ったり、教育実習の研究授業で使う学生まであらわれた。国語の先生が「なのでこの歌は三句切れです」などと言ってはいけないのである。若者言葉かと思ったが、テレビでそこそこ年のいった人も使っていた。去年あたりから大量発生したような気がするのだが、ネットでは2009年ぐらいから話題になっており、社会言語の栗原優氏は2007年、既にこの問題を取り上げている。http://www.surugadai.ac.jp/sogo/media/bulletin/Bunjo14-01/Bunjo14-01kurihara.pdf さすが餅は餅屋である。しかし栗原氏がおもに問題視しているのは「なのに」が、朝日新聞の記事表現に使用されたことである。私の感覚では「なのに」はまだ有りな感じがするが、「なので」は話し言葉としてすら相当違和感がある。 ちなみに青空文庫で検索してみると、「なので」は文頭使われるケースは全くないが、「なのに」の方は一つだけある。が、これは作品ではなく、呼びかけ人のひとの説明部分だった。しっかりしてくれ青空文庫^^http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/nihongo/labo/lab_012/body.html こちらも参考になった。む、でもここって朝日新聞の子会社のはず。親会社やぶれたり。とくに参考になったのは、「だから」より「なので」の方が、丁寧な感じがするからではないか、という部分である。なるほど丁寧に話すつもりで、誤用になっちゃったのか。 岩松研吉郎氏は和歌の専門家だと思っていたが、言語学にも造詣がふかいのか。さすがである。 なお本日の文章は、書き言葉としては失格であるのは言うまでもない。
Jan 17, 2012
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対案も出さないとか言われている日教組であるが、過去出したことがある。日の丸の対案は七色旗だというネット内の噂があるが、これはどうも怪しい感じである。一方君が代の対案は確実で次のような歌詞であった。緑の山河(1952)1.戦争(たたかい)越えて たちあがる みどりの山河 雲はれて いまよみがえる 民族の わかい血潮に たぎるもの 自由の翼 天(そら)をゆく 世紀の朝に 栄あれ2.歴史の門出 あたらしく いばらのあゆみ つづくとも いまむすばれた 同胞(はらから)の かたい誓いに ひるがえる 平和の旗の さすところ ああこの道に 光あれ むう。なんとも評価の難しい作品である。「民族」というのは日本民族以外考えられないから、その継続は認めている。さらに同胞の「かたい誓い」とあるから、国民の一致団結もいいようである。一方で「歴史の門出」と言っているので、これは8.15革命説だろう。要するに以前の日本と今の日本は違う国なのであって、これから新しい歴史を作るのである。「平和の旗」というのは現在では7色の旗であるから、そのへんから七色旗国旗説が出たのかもしれないが、7色の旗はこの時期まだ成立していない。 なんか虫がいい感じがする。そして反国旗・国歌の人たちに感じる違和感が原因が何となく分かってきた。要するに戦争責任を、背負いたくないのではないだろうか。悪かったのはすべて軍部です。国民のせいではありません。国旗も国歌も変えました。これでチャラにしてください。そんなむしのいい話が通ると思っているのだろうか。いずれ勇気がでたら主張するが、集団自決問題の軍命も同じことで、本当は原因は教育マスコミを中心に国民全体が背負うべき問題であるのに、軍だけに責任を負わせようとしているのである。 私の父親は朝鮮生まれで、本土に帰ってきたときには「朝鮮人」と差別されたという。私の母は旧満州出身であるが、ずいぶん横暴な日本人もいた、という。当時の教科書には次のような記述がある。 国民の大多数は大和民族にして、其の数五千四百余万に及ぶ。其の他、朝鮮には約一千六百万の朝鮮人あり、台湾には十余万の土人と支那より移り住める三百余万の支那民族とあり。また北海道にはアイヌ、樺太にはアイヌその他の土人あり。民族は相異なれども、等しく忠良なる帝国の臣民たり。 しかしこの理念は必ずしも守られては居なかったのである。軍部ではなく、民衆レベルで差別は間違いなく存在していた。 また私の父は少年志願兵として末期の中国戦線に参加しているが、食料補給が一切なく、徴用と称して中国人から食料を略奪した、と言っている。こんな嘘を息子につく訳がないのである。現在保守論壇の中では先の戦争を正当化する言論があるが、反省すべきことはたくさんある。 その一方日本軍部による慰安婦の強制連行というのは嘘である。なんで他に反省すべき事実が沢山あるのに、こんな嘘をつくのかわからない。まず事実である。例えば極東に日本という白人国家と対抗しうる国家がが出現しなければ、アジアの植民地支配はさらに長く続いたというのはかなり蓋然性の高い事実だと思われる。しかし、ヨーロッパ人と異なり、日本人はアジアの諸国民を全く平等に処遇したというのは嘘である。国旗・国歌反対の人々はこのような事実から自分だけは罪がないと逃げる人々ではないだろうか。 国旗・国歌の継承とは、父祖の過ちも含めて継承するということである。
Jan 16, 2012
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センター試験でへろへろなのだが、重要な事実が判明したので書く。 実は平成15年の改訂で、小学校音楽の指導要領では 「国歌「君が代」は,いずれの学年においても指導すること」と書いてある。 改訂の趣旨は「児童が将来、国際社会で尊敬され、信頼される日本人として成長するためには、国歌を尊重する態度を養うことが、大切である。」 文科省の書き方は大げさであって、「国際水準からいって最低限軽蔑されないために」程度かと思われるが、なるほど、小学校では教えているのか、と思い小5と中1の息子に聞いてみた。父「小学校で、君が代って教わったか?」次男「教わってないよ。6年でやるのかな」長男「6年でもやんないよ。でも俺は歌える」父「何で?」長男「ワールドカップで遠藤とか、川島が歌ってるのに知らなかったから、寂しかった。で、××や○○(サッカー部の友達)と覚えた。教えてくれないけど教科書には載ってるよ」 何ということであるか・・・。指導要領でも全学年で歌えるよう指示されており、児童生徒も「知りたい、覚えたい」と学習意欲まんまんなのに、学校では教えてくれない。これは沖縄だけの特殊事情なのか、他府県でも同様のスポイルが行われているのか、調査が必要である。だがしかし一番いけないのは親である私自身である。私は長男の卒業式の時、校歌は熱心に歌っているのに、国歌斉唱の時はほとんどの児童が口をつぐんでいることに違和感を覚えていたのだが、その問題に踏み込むことは無かった。国歌を知らない、歌えない、寂しい。そんな事にも気づかない親の責任は重大である。
Jan 14, 2012
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戦前のいろいろな歌詞をみて多少は理解が深まったので、「君が代」について考えたい。 以前も国歌については論じたが、橋下市長当選により、またぞろつまらない議論が行われている。以前の私の主張は、次のようなものであった。 学校行事は国際的な義礼である国旗国歌に対する所作を学ぶ重要な機会である。自国のシンボルたる国旗国歌を尊重できないような人間が、他国を尊重できるわけがない。 この考えは今も変わらない。ここら辺がしっかりしていないから、新婚旅行という晴れがましい機会の一部を被災者慰問に割いてくださった、ブータン国王の歓迎会を、仲間の資金集めのためにサボる大臣が現れたり、下品な物まねで冒涜する芸人が出てきたりするのである。嘆かわしい限りである。 「君が代」は世界の国歌の中でも、徹頭徹尾平和を願う歌詞である。例えば極端な例になるがフランス国歌の歌詞は次のような内容である。進め 祖国の子らよ栄光の時が来た我らに対し 暴君の血塗られた軍旗は 掲げられた血塗られた軍旗は 掲げられた聞こえるか 戦場で獰猛な兵士の怒号が奴らは来る 汝らの元に喉を掻ききるため 汝らの子の このような歌詞を「良心の自由」において歌いたくない、という意見ならば、私は承認せざるを得ない。ワールドカップでも歌わない選手がいて、ローラン・ブラン監督は「微妙な問題だが、私個人の考えで明日の試合で国歌を歌うように選手に促した。…誰にも行動の自由はあるが、国歌を知っているのなら歌わないと」この談話には国家代表の監督としての苦渋が現れている。実際フランスでは何度も歌詞を代えようという運動が起こっているが、フランス革命は現在のフランスの原点であるから、なかなか変えられないようである。 これにくらべ「君が代」は幸いにして、徹頭徹尾平和を祈る歌である。「こけのむすまで」の後には当然ながら「平和と繁栄」に対する祈りが省略されており、それはあまりにも当然だからである。「さざれ石の巌となりて」の部分は長い時間を表現しているが、同時に「さざれ石」が国民であり、「巌」を国家として読むことが出来る。一人一人の国民が自然と統合して国家となり、国民の統合の象徴たる天皇を言祝ぐ。実際「君が代」は明治憲法よりも、むしろ現行憲法の一条にフィットしている。 このように平和的な歌であるから、国民に犠牲を強いる戦争になると、まずいことになる。さざれ石ひとつぶひとつぶを大切にしなければならないのに、それがどんどん死んでいくのである。戦争報道の場合、戦意を昂揚し、戦死をある程度容認するような歌が必要である。そのためにNHKが制作したのが「海ゆかば」という楽曲であった。(昭和12年)海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)山行かば 草生(くさむ)す屍大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめかへりみはせじ(大意)海で戦ったとしたら、水浸しの死体になるだろう。山で戦ったとしたら、草まみれの死体となるだろう。それでも天皇のために、死のう。決して後悔はすまい。 この歌の元となったのは大伴家持の「賀陸奥国出金詔書歌」という長歌である。長歌全体としては大仏建立のために資金が不足していたところ、東北のほうで新しい金山が見つかってよかったね、という内容であり、切り取られた部分は大伴家の皇室に対する長年の忠誠を強調した部分である。しかしここだけ切り取ると、まさに「死」そのものを賛美するような内容になってしまう。近年保守派の中には「海ゆかば」の精神をも賞賛する人がいるようだが、私は反対である。死を恐れないことと、死を美化すること、はては死をこいねがうことは全く別であり、明らかにゆがんでいる。 ところがこの歌はまたたく間に広がり、出征兵士の見送りの際の定番となってゆく。さらには準国歌、第二国歌として扱われるようになるのである。現代の価値観で過去を裁くのは注意深く行われるべきだが、出征兵士の必死の決意に対して、必ず生きて帰って来いよ、でバランスがとれるのであって、見送る側が死んでこいでは、兵士の命はどんどん軽くなり、ずさんな作戦、兵站の軽視につながってしまう。 今回は詳しく述べないが、この歌は沖縄でも愛唱され、船越義彰はこの歌を歌うたびに、感動で涙が出た、と悔恨をこめて語っている。ずっと以前見たインドネシアを紹介する番組では、突然インドネシア人の老人がこの歌を歌う様子が紹介されていた。今聞くとそれほどでもないが、おそらくメロディーにも人の心を揺り動かすものがあったのだろう。ただこの歌が準国歌にまで位置づけられていったのは、繰り返しになるが、本来の国歌である「君が代」に戦意昂揚の要素がかけらもなかったからである。(つづくかも)
Jan 13, 2012
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「ありがとう」 わたしを支えてくれた すべての人 わたしを 傷つけてくれた すべての人 「ライラ・メビウス」レインゆれて消えてくらって飲んで見上げて叫んでとって広げてレイン退けて存在を認識を捕らわれて生の妄執空なるものの空なるものの凍てつくほどの数々肩におちて冷えて溶けて流れて吸われてレイン原罪を美徳をさらわれていけにえのののしられさげすまれ果てを探して逃げて忘却を闘争を粛正をレイン・ドロップスしっとりと含んでひそやかに触れて薄味の透明な体とからからの状態意識はやみの中やみのただ中にくらくつめたい共鳴が細々と降りしきるレイン狂おしく濡れそぼつ鼓動はいつも鋭敏に臓器の腐敗と崩壊と病んだこころの象徴にかの人は恍惚と泣く酸でただれた唇のあいだにかの人はただ泣く胸で泣く◎これも短大ゼミの学生の作品。「ありがとう」のほうは当時30歳になったばかりだった私はシニカルな表現だと思っていたのだが、40代も終わりかけると、ようやく理解できるようになった。傷つけてくれた人にもありがとう。人生の先輩であるw「ライラ・メビウス」のほうは、これも当時意外に多かったグロテスクなイメージを含む作品だが、よくコントロールされている。ちなみに「ライラ・メビウス」というのは何か聞いてみたら、遊戯王というマンガに出てきたカードの種類だという。よくあんな通俗的なマンガをきっかけにこのような作品が生まれたものである。実は四大ゼミの方は過去、山之口獏賞詩人を二人送り出しているのであるが(エヘン)、昨日今日紹介した二人は彼らに勝るとも劣らない才能を持っていたと思う。両者の決定的な違いは、受賞者二人は倦まずたゆまず書き続けてきたことにある。努力に勝る天才無し。
Jan 10, 2012
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(無題1)そのけりあげた小石よりひそやかに僕でありますように(無題2)ゆける日は とおくをやどして覆すその壊滅 わたしなどもあまりの恐怖に耐えかねて 気を失ってしまいますそして あなたは ゆける日のゆける日の 想いに救出され満ちた報いを相続するかつての猛獣が あなたに愛撫を求め海洋の轟きは 人達のために意を委ねるその時 朝に落ちた葉露などはもはや若血を顧みないもはや奪われもはや奪われて 痕にはキミ歳帆に呼吸は疾走しついにあかす静泪は このわずかばかりの静泪は キミに残しておきましょうですから嘆願世に適えば私は覆されてしまうのです覆される その逝ける日にあなたは 地は 歓喜します◎93女さんが書き込んでくれて、短大部時代のことを思い出した。うちの短大部は96年に募集を停止しており、まあ全国的な時代の流れだったとはいえ、非常に個性的な学生が多く、今思えば残念な感じもする。上記の作品はその時代の学生のものである。著作権は当然作者に存しているのであるが、授業の提出物ということもあり、私が死蔵しているだけというの惜しい感じがする、素晴らしい作品だと思われる。 無題1だけをみると、このくらいの長さだと、偶然素晴らしい作品が出来ることもあるのだが、無題2の非凡な言語感覚が、無題1が決して偶然では無いことを証明している。無生物に仮託した自己という点では「一握の砂」に似ているが、神聖な感じすらする独特の静寂感はまだ新任だった私の度肝を抜いた。 無題2の方は一種黙示録的終末感の漂う世界である。実は当時このタイプの作品を書く学生は少なくなかったのであるが(現在では稀)、その中でも群をぬいた仕上がりになっている。普通の高校を卒業したばかりの20前の少女が「ゆける日の 想いに救出され/満ちた報いを相続する」などというフレーズをどうして思いついたのか、謎である。当時の私はまだ沖縄文学の世界に知り合いすらなく、適切な助言もできなかった。今頃どうしているだろうか。
Jan 9, 2012
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「追うな」 バスと女は 追うな また 次が来るから (某卒業生の作品) TPPの討論番組見てたら「バスに乗り遅れちゃいけない」とか言っていたので思い出した。なかなかいかす作品である。
Jan 7, 2012
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ロン・ポールというアメリカの政治家がいて、たぶん共同通信経由だと思うが、沖縄の新聞では好意的に取り上げられていた。なぜなら在沖米軍撤退論者だからである。ふーんそういう人もいるのか、と思っていたが、次の大統領選で有力な候補者の一人となってきた。とにかく外国には口出ししないというというモンローみたいな人で(マリリンじゃなくてジェームスだよ)、大統領選の公約も在日・在韓米軍の完全撤退である。 かなりの高齢であり、NATOや国際連合からも脱退せよと、政策はやや極端なのであるが、イラク・アフガンで疲弊したアメリカ人の気持ちにフィットし、インターネットでは一番人気らしい。アメリカにもネトウヨみたいな人がいるようである。 しかもアメリカ大統領の公約をなめてはいけない。「学べば学ぶほど、沖縄の基地の重要性が分かってきた」などとは絶対いわないのである。最低でも四年の間に完全撤退すべく、全力をあげるだろう。 一方の中国であるが、その日に備え着々と準備している。日本のマスコミでは中国の脅威を報じてはいけないことになっているらしく、「へんまも」とかいうネットテレビしかみていないのだが、「中華民族琉球特別自治区援助準備委員会」というのがあって、今のところ福州園や首里城のビデオを作って、沖縄は近代以降日本によって不当に支配された、とか主張しているだけなのであるが、当然宮古・本島間の艦隊航行や、久米島沖海洋調査などとセットじゃないかと思われる。 私は専門外なので、共和党の候補者選びが今後どう推移するかの予測など不可能だし、琉球特別自治区構想の本気度も分からない。案外アメリカ人がバランスのとれた選択をし、中国も抑制のとれた判断をして、今日と同じような日常が延々と続くのかもしれないとも思う。 昨年三月まで、なんだかんだいって原発なんてそんなに危ないものじゃないだろう、と思っていたのと同じように。
Jan 5, 2012
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明けましておめでとうございます。今回は小ネタです。 以前私が新聞等で何らかの意見表明すると、いたずら電話をかけてくる人がいた。いつも同じようなセリフであった。犯人はそれなりのインテリの人なんだが、バカのフリをしていた。(なぜそう思うかというと、そもそも文化欄など書いた本人とインテリしか読まないし、本人すら読まない場合もある。一度「もしもし」も言わないで無言対応したら、先方が「もしもし」と言ってきたのだが、そのトーンは知的であったw)最初は何を言っているのかよくわからなかったが、何度も同じフレーズなので次第に言わんとすることが理解できるようになった。おおよそこんな感じである。「納豆くさい大和は沖縄から出ていけ」 なるほど「納豆」というのは、他府県出身者の表象である場合もあるのか、と思った。まあネットでは在日差別で「キムチ臭い」などという表現があるが、そのたぐいの惨めな表現ではある。ただこの犯人は私が出た場合は罵倒するのだが、女房や子供が出た場合は、すぐ切ったようである。よそから来てしたり顔に沖縄文化を語る私に腹を立てたのであろう。今でもそんなに怒ってはいない。 そういえば大学時代沖縄出身の人と話したことがあるのだが、彼は納豆が食べられなかった。その当時はまさか沖縄で暮らすことになるとは想像もしていなかったので、彼の名前も覚えていない。残念なことである。現在も40代以上では納豆に抵抗がある人がいるのかもしれない。 しかし現在沖縄ではイオンのような全国展開のみならず、サンエーや、もっとローカルな金秀、ユニオンでも普通に納豆は売っている。売れるから売っているのである。ある時期から、納豆は普通の食材として受容されるようになった。これが私には謎であった。校歌研究の方は、ちゃんとやれば論文になるめどが立ったのであるが、「納豆」問題はそれほどでもないので、厳密に特定するつもりはないのであるが、おおよその理由が判明した。 給食である。 現在20年代の場合世代ギャップがある。つまり親は納豆を食べないが、自分は食べる、というケースである。何で親が食べないものを食べたのか、と聞くと初めて納豆を食べたのは給食だった、という。なるほどなあ。給食で納豆デビューをした世代が結婚して、納豆を食べるウチナーンチュ家庭が生まれたのか。学校というのは恐ろしいものである。食文化すら変えてしまうのである。
Jan 2, 2012
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