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2004.08.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類


しばらくぶりのこのサイトをそれに即していじってみようとしたが、いじるページに入れない。サーバが混雑中らしい。

みなさん、いろいろ新しい仕組みを操作中なんだろな。

今日はふるさと長崎の原爆記念日だった。

毎年この日の11時2分になると、サイレンが市内に鳴り、市民は佇立して黙祷を捧げる。

ヒロシマ、ナガサキでは、8月初旬の夏の日の思い出は、必ずこの厳かな振り返りと重なり合う。

小学校の社会科では、別冊子で「原爆のしおり」とかいうモノが教材として扱われていた。

被爆者でもあった女先生は、普段はよく生徒を笑わせていた。

8月9日、11時2分になるとサイレンが鳴り渡り、先生は窓のそばに立って首をうなだれたまま、いつまでも外の景色を呆然と眺めていた。

先生は、とまらない涙を窓越しに乾かしているように見えた。

細い肩が小刻みに震えているようにも見えた。

「さぁ・・・、おしまい!」と振り向いた先生は、精一杯の笑顔を生徒たちに振り向けてくれたが、ボクら小学生の感受性を欺くことはできなかった。

兎のように真っ赤になった先生の目は、ちっとも「さぁ…おしまい」と言ってるようには見えなかった。震える語尾が、まだ「泣き足りない」と言っていた。

長崎の戦後十数年の小学生として、身近の人を通して、このように集団殺戮の怖さ、残酷さ、そして悲しさを教えてもらったのは、或いは幸運な体験であったのかもしれない。

「平和教育」が長崎市民の拠り所だ、と言われていた。確かに、おとながおとならしく、責任を持ってこのことだけは次に伝えなければならない、そんな矜持がおとなの側にあったような気がする。

話は変わる(ように見える)。

昨日、テレビを久々に観た。「世界ウルルンなんちゃら」という番組だった。

どこの国だったか気にとめなかったが、南の島が撮影の場所だった。

そこには農業や、漁業で十分自給自足できる環境があり、欲しいものは物々交換が行なわれていた。

そんな南の島にも59年前、日本兵が派兵されていた。

日本兵との日常の接触があった、当時15~6歳だった島の少年が、今、74、5歳の老人になっていた。

その島の老人は、日本兵から教えてもらった日本語を断片的に使っていた。

当時の日本の唱歌を今でもよく口ずさみ、驚くことにまたそれが島の今の子供達にまで伝承されていた。

「ギンギンギラギラ夕日が沈む、ギンギンギラギラ陽が沈む……」

「もしもし亀よ亀さんよ…」

59年前に教えてもらった歌が、こんな場所で今に引継がれていたのである。

このことだけでも、当時の兵隊さんと、この島の住民とのほのぼのとした付き合い方が偲ばれる。

それに、兵隊さんから教えてもらった、芋の作付け方法とかまで伝承されていた。

また、その島の老人が、日本兵のことを思い出す時の表情が実にいい顔だった。お父さんやお兄さんを思い出す時と同じ表情だった。

日本兵とお別れする日は実に淋しかったそうである。

彼らからの教訓もその老人の中に残っていた。

「うそをついてはいけない。約束は守ろう」

兵隊さんから教えてもらったそのことばを老人は今も忘れていなかった。

あぁ、ここにもボクら日本人の誇るべき先輩がいたんだ、としみじみ思う。

遠く離れた南の島で、自分の子供や弟のように、島の子供たちを可愛がったのだ。

戦地で残虐な行為を集団で行なうのも人間であった。

ヒロシマ、ナガサキに原爆を落とす決意と行為をしたのも人間だった。

今なお繰返される遠い国での集団殺戮も人間のワザである。

しかし、戦地の南の島で心温まる交流を行なったのも人間である。

集団殺戮やテロが鬼畜の行いで、「ギンギンギラギラ」が仏の行いであるかというと、それほどの開きであるはずはない。個々人レベルでは、戦争殺人者も血の通った一市民であり、家庭での心優しい父さん、兄さんに違いない。

普通の市民を鬼畜に変貌させるのは、争い憎しみあう、大掛かりな戦いの仕組みがそこにあるからそうなるんだ。

その番組を観ながら、終始ティッシュのお世話になったんだけど、…また繰り返して言うことになるんだけど、

ボクらの先輩は、非常の時にありながらも、よく人間であった。地球市民であった。

老人が手拍子で歌う「ギンギンギラギラ」それに、日本人の撮影スタッフとお別れの時歌う「海ゆかば」は、人が人に伝え合うことの素晴らしさの象徴であったように思う。

小学校の明るい女先生が、小刻みに震える背中で、ボクらに伝えてくれた悲しみも、伝えられたこちら側はさらにより広くに伝える責任を、おとなになって今また思うのである。





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Last updated  2004.08.10 00:51:51
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