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台風通過しました。皆様のところは大丈夫でしたか?僕のところは、稲はかなり倒されてしまいましたが、冠水はしなかったので今のところは大丈夫です。母屋の屋根にしいていた雨漏り防止兼断熱用の発泡スチロールとプラシートは、ずたずたになってしまいましたが、まあ、こちらも許容範囲です。それにしてもここ1,2週間の雑草の伸びは半端じゃありません。秋の気配を察しているのでしょう。実をつけるために一気に身体を大きくし、間に合わなかったものは体は小さいままそれなりに実をつけています。草刈する僕はたまったものじゃありません。ラストスパートというかなんというか、うちの子の夏休みの宿題を見ているようです。(笑)数日前に告知したうどんの会ですが、曜日を間違ってました。9月5日、日曜日です。のんびり、ゆったり、お気軽に御参加ください。準備の都合がありますので、メールをお願いいたします。
2004.08.31
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昨日はおくださんのところでぶどう狩りでした。っていうかホントは会議ですが、でもやっぱりぶどうです。(笑)前にも書きましたが、3分クッキングを書いてくれているおくださんのご実家はぶどうの専業農家です。しかもお父さんの代の開拓。まさに大先輩の娘さんでもあるのです。とにかくおいしかったー。子供たちも大喜びでした。10chanサイトを作ってくれている松村さんご一家と共に、一体いくつ食べたやら。。昼食はおくださんが昔バイトしていたという仏通寺の流しそうめん。これもおいしかったし、楽しかった。感謝感謝です。しかし、ここまでの農園にするのにどれだけのご苦労があったことでしょう。そして今も。。。そして僕は。。。そんな事も考えた一日でした。
2004.08.29
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最近の挨拶言葉。お米の話です。最後の最後、玄米となって、30kgの米袋に入るまでは何があるかわからない。この時期反収10俵なんて思っていても、猪、台風、いもち病、このあたりは一気に収穫皆無なんてこともあります。大きな台風が来ています。人事を尽くして。。しかありません。追記さてさて、またもや唐突でありますが、9月5日日曜日に「うどんの会」(仮称)をやろうかなあと思っています。10頃からぼちぼち、みんなで、うどんでも打って、夕方くらいまで、のんびりお話するもよし、散歩するもよし、昼寝するもよしの、きわめてアバウトな会です。会費は大人1000円、小学生500円、乳幼児無料。持ち込み歓迎、昼食うどん付お気軽にメールください。
2004.08.27
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もんがらがる。小2末娘の造語。動詞、ラ行五段活用か。今日、猪用のネットを一緒に張っていて出た言葉。もつれる+こんがらがるの意。だと思います。(笑)「私ってサー。ケチくさいから、内容量まで見ちゃうのよねー。」100円ショップでおやつの買出しに行った小6長女のセリフ。車の後部座席で子供同士で会話してるのが耳に入って、しばらく大笑いしてしまいました。何年、何十年かして、ふと、こんな場面を思い出し、「あの頃、幸せだったなあー」なんて、しみじみ思うんでしょうね。(笑)現実は今、このままで食っていけるのかなあなんて、不安を抱えて生活してるんですけどね。幸不幸なんてそんなものかもしれませんね。いいなあって思える一瞬が一つでもあればそれでOK。その日は幸せな一日なんですよ。そしてそんな日が、一日でもあればその月は幸せな月。そしてそんな月が一つでもあれば。。。なんて。(笑)追記さてさて、またもや唐突でありますが、9月5日日曜日に「うどんの会」(仮称)をやろうかなあと思っています。10頃からぼちぼち、みんなで、うどんでも打って、夕方くらいまで、のんびりお話するもよし、散歩するもよし、昼寝するもよしの、きわめてアバウトな会です。会費は大人1000円、小学生500円、乳幼児無料。持ち込み歓迎、昼食うどん付お気軽にメールください。
2004.08.26
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中1長男、大学病院で膝の再検査。前回向こうに指定された時間に行ったのにもかかわらず2時間待ち。何のための予約じゃと、心配して一緒にきたジイチャンバアチャンと共にいらいらしつつ。。で、診察。1分もかかったかなあ。2,3回膝ひねってみて、おっ、いいですねえ、手術止めましょう。入院もキャンセルね。(笑)まあ、なんにせよ一安心。これで正式に陸上部復帰です。随分、同級生にも差をつけられたようですが、腐る事もなく、黙々と自己トレーニングと、マネージャー的仕事をこなしてきた息子です。誉めてやりたいと思います。さてさて、またもや唐突でありますが、9月5日土曜日に「うどんの会」(仮称)をやろうかなあと思っています。10頃からぼちぼち、みんなで、うどんでも打って、夕方くらいまで、のんびりお話するもよし、散歩するもよし、昼寝するもよしの、きわめてアバウトな会です。会費は大人1000円、小学生500円、乳幼児無料。持ち込み歓迎、昼食うどん付お気軽にメールください。
2004.08.25
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台風の影響でかなり風が強い1日でした。 稲の生育も順調で、穂がだんだん垂れてきています。猪よけのネット貼りを子供達に手伝ってもらいました。一人だとなかなかつらい作業ですが、みんなでやると、楽しかったりもします。こうして写真で見ると我ながらなかなかいい雰囲気ですね。(笑)田んぼの風景はそのうちアルバムにまとめるつもりです。宣伝追記 台風にも負けず、キュウリが何度目かのピークを迎えています。四葉という品種で、歯切れ、味は最高です。もしよかったら、注文してみてください。父ちゃんサイト
2004.08.19
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どうにも、しばらく間があいてしまいました。味噌作りに活路を見出したと言うところからです。新規に農業を考えている人へのアドバイスのつもりでしたが、かなり自分事になってしまいました。でもこのまま続けます。自信を無くしたせいか、僕の頭には自分が農業をやる意味はなんだろうという問いがいつもありました。もともとは、自給的な意味合いが強かったわけですから、当然と言えば当然の問いかもしれません。僕の場合特に米中心の考えがありましたから、周囲からのプレッシャーも強い。非農家のよそ者がここで米を作る意味が、いつもとわれているようにも感じていました。僕の場合、無農薬というところにその意義を見出していましたが、それとて、たいした理由にはなりません。あんたが売り先を見つけてくれれば、米は無農薬だろうがなんだろうが自分達が作るから。なんていわれたことも実際ありましたし。農業をビジネスとしてだけ考えると、すぐにここに突き当たります。作る事は、地元の由緒正しき農家にお任せして、よそ者、素人の僕は営業に徹する。効率から考えるとそうなるのでしょう。いろいろな波風にさらされながら僕が自給分を超えて作る理由が見当たらなくなるのです。このあたりは仕事というものをどう考えるかという、結構深い問題になるのでしょうね。さて、そんなこんなで、袋小路状態に陥りながらも根が脳天気な僕は味噌作りに活路を見出します。たまたま、この田舎の小さなお店で、あっという間に売り切れ、たくさんの予約をもらったこと。餅に比べれば作業工程が複雑で、子供達の仕事が作りやすかったこと。味噌作り体験で、お客さんと触れ合いやすい事。いろいろ理由は考えられますが、どれもこじつけといえばこじつけ。(笑)餅と味噌の差ではなくて、仕事に対する僕の考えが変わってきているのだと思います。
2004.08.16
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2泊3日のゆったりお盆。昨日実家から帰りました。2泊分僕が家を空けたのは多分初めてだと思います。鶏と犬がいるので、僕だけはいつも1泊。今年は、女房がパートの関係で、早く帰ったので、甘えさせてもらいました。墓参り、海水浴。夜は、弟夫婦が招待券をくれて、共にコンサートへ。広島のアニメフェスタの一貫で、広響と、千と千尋の神隠しを歌った人(ゴメン、名前忘れました。)と、オカリナの宗次郎のジョイント。低学年の次男と次女はさすがに終盤爆睡(笑)。僕は楽しませてもらいました。コンサートなんて十年ぶりくらいじゃないかな。それでね、たまたまこの同じ会場の別の部屋で、高校の美術部の展示をやってて、時間つぶしくらいのつもりでふらりと入ってみました。ぼくはもともと美術には全く興味もなくて、それでも学生時代はそれなりにかっこつけて、美術館などにも行ったりしたのですが。作品見てるより、解説読んでる時間の方が長かったような気がします。(笑)それがですね、その高校生達の絵を見て、感動してしまったのですよ。絵を見て、感動するなんて、自分でも驚きでした。年をとったと言う事なんでしょうか?まあ、なんにせよ、お金や時間や気持ちや、、いろんなものに余裕がなくても、音楽や美術や、文学や、そんなものに触れて、心を遊ばせると言うか、そんな時間は絶対作るべきだなあなんて思いました。昨晩は地域の盆踊り。先生なんて突然声かけられて。よく見れば塾での最初の教え子。たまたまこの町の中学生で、この家を建ててる時は応援に来てくれて、屋根の上に上ってくれたりもしました。その彼が、いまや看護士。結婚して、小さな子供まで連れている。。。。。。。僕も年取るはずだわ。。。。やっぱり心あそばせる時間はどうしてもつくり続けるべきです。(笑)
2004.08.15
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先日の三原やっさ祭りの日。午後一杯須波というところで海水浴。翌日、知人の知人が、船を出してくれて、無人島へ、子供達は何とかボードというスノーボードの海版のようなものを引っ張ってもらったりしていました。中1長男は完璧に無味での泳ぎをマスター。何キロでも大丈夫。島1周を試みましたが、BBQが始まりそうなので、途中で断念。そんなこんなで海漬けの2日でした。そのせいか、なかなかPCの前に座れず、この日記も更新できませんでした。今から帰省。墓参り。また海です。(笑)また2,3日PCの前から離れます。たまにはこんな夏もいいかな。
2004.08.12
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3家族小学生6人のラジオ体操。会場まで1kmほどですが、小2末娘の自転車がおぼつかない。そこで僕も毎朝付き添いを兼ねて、参加しています。自転車は気持ち良いのですが。。どうにもラジオ体操のテンポが早すぎる。 ラジオ体操についていけない状態が皆様ご想像できるでしょうか?(笑) こりゃ、本気で対策練らないと。。さて、今日はお昼から三原に海水浴。今年初です。そのまま知人のところに行きやっさ祭り。1泊して帰ります。
2004.08.07
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皆様コメントありがとうございます。とても励みになっています。午前中、隣の地域の廃校になった小学校の備品の競売がありました。机、椅子、ロッカーなどが500円、1000円、音楽室のピアノが1万円。さすがに誰も買いませんでしたが、人体模型なんていうのもありました。教師用の大きな三角定規や、でっかい世界地図、おなじみのベートーベンの肖像画。身長計、保健室のベッド。僕は子供達のために顕微鏡と地球儀、鉛筆削り、作業用に年代物の理科室の陶器の流し台、キャスター付のキャビネット等を買って帰りました。全部で3千円くらいの買い物です。この顕微鏡、購入昭和29年。僕の生まれる8年前。一体何人の子供達がこの顕微鏡を覗き込んだのでしょう。僕より一回り以上年上の世代の人から、うちの末娘の世代の子供まで。。陶器の流し台なんて、もっと古そう。この小学校もたしか100年以上の歴史があったはずです。なんだか胸が一杯になってきました。そんなわけで今日は少し疲れました。先日の続きはまた日を改めて書きます。
2004.08.06
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稲の穂が出始めています。コシヒカリですが、今年も少し早いような気がします。僕がお米を作り始めた頃は、お盆前に穂が揃うと習ったものですが。。写真うまく撮れませんでしたが載せておきます。 朝露をたくさんつけて、あちらこちらでクモが巣を張っています。この写真ではよくわからないかもしれませんが、穂についてる小さい白いものが稲の花です。この花が実を結び、お米になる前が猪のご馳走とか。今朝も偵察の痕跡がありました。(笑)対策を急がなくては。。
2004.08.05
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雨も降ってないのに、こんな時間にPCの前に座ってていいのかという気はしますが、勢いのあるうちに書いておきます。今朝、小学生向けの起業家教育のニュースをやってました。僕はいまだに10数年前の牧歌的なサラリーマン像しか頭に浮かばないのですが、世の中ほんとに変わっているんですね。そんな塾に通わすお金は我が家にはありません。これも自給自足です。(笑)負けない姿を子供達に見せてやりたいと思います。さて、起業家としては全く見当違いのこの僕が、次に考えたのはもっと見当違いのことでした。(笑)山のデザインです。自分の唯一の手持ちの土地である、この山をうまくデザインできれば、自然に経営としても成り立っていくはずだ。と、思ってしまったんですね。これも、原則としては間違ってないのかもしれませんが、神業的センスが要求されると思います。山の傾斜や日当たりを見ながら、このあたりに果樹、ここに作業小屋、ここは椎茸、ここが鳥小屋。。とイメージを広げ、次々と切り拓いては建物を建てていきました。夜は週何回かの塾のバイトで現金を稼ぎながら、昼、百姓仕事の合間を見て数万円の資金がたまるたびに、コツコツとやっていきました。十年がかりで、ほぼ、最初のイメージどおりに出来上がりました。でも、食えない。当り前ですね。すべてが、先の鶏的発想で、採算というものを考えていない。勿論、全く考えていないわけではないんですが、詰めが甘い。というか、不確定要素が多すぎて、やってみなければわからないというのが、正直なところでした。まあ、やってみるかのノリで、次々と自給の延長程度の不採算部門を作っていった。(笑)そんな時、自家用に作っていた玄米餅が、たまたま評判がよくて、作る端から売れていったんですね。計算してみると一応利益は出る。家族で作業もできる。原材料のもち米も今借りてる面積で確保できる。この頃、テレビの取材が入っていて、家族で、玄米もち作ってるところがビデオで残ってます。当時保育園児の次男次女が、作業台が高いものだから、爪先立ちで手伝ってるところを、カメラマンが撮っててくれて、この映像は僕にとっての宝物です。でも、ここで問題発生。餅をいくらの単価で、いくら作って売ればいくらになる。なんてことを計算しているうちに急に虚しくなったんですね。理由はうまく説明できません。でも、この辺からうつ状態へまっしぐら。(笑)自分が何を目指していて、今、どうしたいのかが見えなくなってきたんでしょうね。そして、金銭的な不安。お金の心配をバイトという安易な方法で避けてきたツケが一度にまわってきた。専業主夫?からの脱皮の時期がきたのでしょう。あらら、話が横道にそれました。技術、経験、資産、すべてが揃っていても経営の難しいのが農業です。牧歌的田舎暮らしと、農業経営との間にはかなりのギャップがあります。でも、埋める方法もあるはずだ。今はそう信じています。僕が活路を見出したのは味噌作りでした。追記夜です。台風の影響で、急に野菜の調子が悪くなってきました。せっかくの注文ですが、今日は発送を見送りました。悔しいけど仕方ありません。これも農業です。
2004.08.04
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まずは一本の柱。これを決めるときに、僕の頭には常に子供の姿がありました。少しでも一緒に作業ができるなら、たとえ儲けにはならなくてもそれだけで大きな意味を持つと思ったからです。このあたりが、甘すぎるというか、かなりバカでした。発想としては間違ってないというか、まあ、そういうのもありだとは思いますが。うーん、やっぱり甘すぎる!儲けにはならなくても、ってあんた、じゃあどうやって生活するの?最初から不採算部門持つような余裕がどこにあるの?って、自分でつっこみを入れたくなります。(笑)兼業先があったので、自分に甘えてたんでしょうね。僕が無農薬にこだわったのも、まずは自分の子どものことを考えたからです。マスクつけて農薬まく作業を子どもと一緒にやるところなんて、想像したくもないでしょう。まずは鶏を飼いました。えさやり、卵とリ、子どもと一緒にできます。解体もつきあわせました。最初は大失敗です。なぜ、この鶏を殺すのかという、当時保育園児の長男に、他の鶏をいじめているから。と答えてしまいました。当時は僕もそんなもんだったんですね。採卵しているときに僕の頭に鶏がとまった事がありました。間抜けな姿ではあります。でも、長男にはとてもうらやましかったらしく僕の頭にもとまって、なんて鶏にお願いしてたのを懐かしく思い出しました。(笑)このとき、百羽からスタートしました。売り先見つけるまでが大変でした。1日60から、70個の卵ですから、1日わずか6か7パックです。でも、夫婦揃って営業ができない。(笑)決死の覚悟で、自然食品店に営業に行き、何も言えないで、ただコンニャクを買って帰ったのもこのときです。(笑)情けない。なんて言いながら女房は全く動こうとしません。毎日たまっていく卵の山をみて、真剣に卵の漬物が作れないか、なんて考えてました。(笑)幸い二つの店で扱ってもらえる事になって、漬物の研究はしなくてすみました。でもねえ、夫婦のうちどちらかが営業好きでないとしんどいですよ。僕の回りでも、うまくいってるところは大抵、奥さんが、営業担当。愚痴になりそうなので先に進みます。(笑)今は50羽程度。結論から言うとひらがい養鶏(地面の上で飼う)の場合、最低400羽以上は飼わないと採算は取れないような気がしています。このくらいなら労力的には殆ど問題はないです。売りさばく営業力の問題です。勿論これで食べていけるということではなくて、これ以下だと赤字になるという意味です。僕の今の50羽というのは完全に赤字です。ただその赤字も小さすぎて、あまり気にならないというだけのこと。子供達が殆ど鳥小屋にも行かなくなった今、自給用に10羽程度にするつもりでした。ところが。。。ここはまだ、微妙なところなので僕のことは書きませんが、少しでも収入の一つとして考えようとするなら、最低500羽程度から考えて見られたら良いと思います。まあ、でも鶏の鳴き声が聞こえる日常というのはいいものですよ。
2004.08.03
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何年か前にこんな事がありました。かなりの豪雨。幅、深さとも1mくらいの水路から水が溢れ田んぼの畦を激しく削っていました。普段は50cmほど板でせき止めてやっと田んぼに水を引き入れているところ。前日念のために板ははずしておきましたが、一番底の10CMほどの幅の板だけは残しておきました。はずして、またメチをきちんとするのが面倒だったからです。ちょろちょろ流れる水を1滴も逃さないようにしないと、田んぼまで水が届かないのです。ところが、激流になると、この10cmの板が、物凄い量の水をせき止める事になります。はずさないと畦が決壊すると思いました。あいにく道具を持ってきていません。そろそろと足を突っ込んで何とかはずしてみようと思いました。ほんの少し足をつけただけで身体ごと引っ張り込まれそうになりました。マジ、死ぬとこでした。(笑)結局鍬を取りに帰りそれで何とかはずしたのですが、はずした途端に板も鍬も水に押されてすっ飛んでいってしまいました。あっという間に見えなくなりました。ワシもああなったかもしれんと呆然としたのを覚えています。実はこの日、塾の夏期講習の日でした。臨時休校の連絡は入っていましたが、他の用があったので、台風の中、服を着替えて出かけていきました。塾に入ると専任の先生が、「外、雨降ってます?」(笑)窓もないビルの一室で、ずっと、臨時休校の電話を生徒宅にかけていたので、わからないのだと。。。ちょっと考え込んでしまいました。(笑)片や、全身ずぶぬれになり、死ぬ思いまでして、結果、畦の決壊を食い止めた。マイナスをゼロにしただけ。いや、板と鍬と着替えと風呂の分余計な出費、金銭的には赤字の1日。片や、雨が振っている事すらわからない。お給料もちゃんと出ます。でもねえ。豪雨も台風も、自然というとんでもなく大きな存在のイベント。それを全身で感じる事ができる暮らしというのは実はとても贅沢なんじゃないかと思い直しました。というか、思い込むことにしました。(笑)その次の年だったでしょうか、今度はその水路をはるかに越えて、濁流となる大雨になりました。谷筋に沿って田んぼが並んでいるのですが、その田んぼ全体が、道路や家を守るための大きな川になることにはじめて気がつきました畦や、横切る道路は小さな小さなダムです。隣の田んぼは道路で堰き止められている格好になっているので完全に水没。その道路を越えてうちの田んぼにも、水が入りだしました。すでに両サイドから流れ込んでくる水で、畦越しに下のこれまたうちの田んぼに水が流れ込んでいます。排水すべき水路の水位が、1mぐらいいあがり、逆に田んぼに入水しているのですからどうしようもありません。道路越しの水が流れ込みはじめると、文字通り堰を切ったように、うちの田んぼ3枚、70アールは次々流され、隣のおじいさんの田んぼ何枚かを押し流したところくらいで、ほんとの川に合流するでしょう。ああ、この谷筋の田んぼは捨石なんだなあって、思いました。実際、僕が借りる数年前にはそうなった事があったそうです。この後で聞いた話です。借りる前に教えて欲しかったです。(笑)結局、このときも事なきをえて、隣の水没した田んぼの稲も無事だったのですが。。事故や怪我がなかったからこんなこと書けるのかもしれませんね。さて、昨日の続きです。僕が自給自足的なものの中から一つメインにしようと思ったのはお米でした。口和町で、だいぶ鍛えていただいてましたし、好きだったからです。今でもそれほど間違った選択ではないと思っています。ただし、田んぼが充分あればの話です。田んぼが有り余っているというのは僕の経験上では、誤った情報です。条件の悪いところに限り、という但し書きをきちんとつけるべきでしょう。条件の良い所はむしろ取り合うくらいで、とても新規のよそ者には回ってこないと思ったほうがいいです。まして、無農薬なんていおうものなら。。(笑)収量を追う訳ではないので、条件が悪くても。。なんて思わないほうがいいです。労力は、収量をおわなくても、普通の田んぼ以上にかかりますから。2ha以上、条件の良い田んぼを借りる事ができて、ほぼすべてにお米の作付けができて、自分で販売できれば、田んぼ中心の農業経営にも可能性がでて来ると思ってます。ただし、どちらにしても他人のふんどしとなるのは避けられないでしょう。続きです。あこりんさんの日記に出し惜しみするな!というのがありましたので、書ける時にかけるだけ書きます。(笑)大豆小麦なども米に準じます。これらは畑に作ればいいようなものですが、かなりの大面積をやらないと非常にコストが高くつきます。買った方が安い。(笑)僕のところでは集団転作で、7ヘクタールほどを機械の共同利用でやってますが、それでも大豆代金より高い国の補助金をあわせても赤字気味です。ちなみにうちの集落は国のモデル事業に指定さていて、県内でも先進地といえます。それでも、継続は厳しいと思っています。新規ではいる場合、畑や、米を作らないという条件での転作用の田んぼは借り易いとは思います。でも、面積で勝負するような作目は避けたほうがよいと思います。まあ、なんにしても農地の買取は無理だなと判断した僕は、唯一買うことのできた山林で何とかしようと考えました。いまでこそ、さらっと書いてますが、田んぼ中心と思っていたプランを変えざるをえないとわかったときはかなり悔しかったです。(笑)「無い物を、無い無いと嘆く前に、有る物を数えてみい」という、開拓者魂に、このときも救われました。「ワシには山がある!」です。(笑)但しこの山、今でも十分には活かしきれていません。味噌の加工所兼ケビン、少々の鶏小屋、少々の椎茸。。力不足、猛反省です。
2004.08.02
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最近、農的暮らしというか、自然の中で暮らしたいという話をよく聞きます。僕もどちらかというと暮らしのイメージが先だったので、その気持ちは非常によくわかります。米も味噌も野菜も卵も今作っているものはすべて、もともと家族のために、自給用に作り始めたものです。それを多めに作って、仲間に買ってもらえばそれで生活していけるのではないか。というのが、最初のビジネスプランでした。(笑)実際、15年位前までは、それでいけたんじゃないかと思いまし、当時の有機農業の一般的なスタイルだったんじゃないかと思います。農業についてはこの日記のリンク先でもあるスーパー投資家さんが、非常にいい記事を書いておられます。メルマガもだされてますので、新規に農業をはじめようとされる方は是非購読してみてください。僕も読ませてもらってます。ですので、僕は、どちらかというと、経営としての農業というより、暮らしにウエートを置かれている方向けに思いついたことを書いていこうかと思います。実を言うと僕は30歳直前で田舎に飛び込んだとき、農業で食べていこうとは全く思ってませんでした。以前、農業関係の出版社に勤めていたことがあるので、事業としての農業がいかに大変かくらいのことは知っていたからです。同じくリンクしてもらってる塩見さんの半農半X、たかはしじむしょさんの半農半SOHOではありませんが、自給的な農業をしながら、半分は何か他の事をしようと思っていました。陶芸、絵画、小説、塾、木工、何かそのうち見つかるだろうくらいの呑気な感覚でした。でも案外、僕の日記を読んでくれてる人は、こちらのタイプの人が多いかもしれませんね。僕の経験で、失敗したと思うこと、よかったと思うこと等、参考になりそうなことを少しづつでも書いていきます。今回伝えたいのは一つだけ。自給自足の延長を農業経営につなげるのは新規就農者にとっては神業に等しいということ。先ほどの15年前の作戦は今、ちょっと難しいと思います。まずは何か一つ自分の得意分野を固めた方がよいと思います。米で百万、野菜で百万、卵で百万を目標にするのではなく、例えば卵だけで3百万を目標にする。半農半○でいこうと思うなら、この○の部分だけでまずは生活できるようにするべきです。そこは足りないけど半農の部分があるからなんて思ってると多分、どちらもアウトになります。僕が塾の講師をしていたとき、気分的には半農半○でしたが、かけた労力、時間は、農が9、○が1。収入はその逆でした。まずは一つの柱を作る事。という今回はお話でした。
2004.08.01
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