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今日から中学生組は学校が始まりました。 今日・明日と実力テスト、 あさってから授業が始まります。 本年度から市の一部で2学期制が導入され、 我が子たちの中学校では「試行」と称して開始されたわけですが、 まだ1学期で、期末テストも終わってなくて、 通知票ももらってないまま夏休みとなり、 高校受験を控えた3年生にとっては何とも気の抜けた夏休みとなりました。 まだ塾に通っている子はいいけど、 拘束されるのが嫌いなクッキーは未だに塾に通っていません。 自力で復習なんか無理です。 姉のミッキーですらあわてて中3の9月から塾に通いだしたのだから クッキーにもそろそろ…と焦っています。 出来るだけのびのびとさせてやりたい… 子どもも自分から勉強を始める時が来る…と 私はあまりに甘く考えていたのだろうか…と 全く勉強に興味を示さず、 自分の成績に関心すらない我が子たちの姿に すごく罪悪感のようなものを感じてしまいます。 挙げく、ミッキーは留年してしまったし… 彼女は体育祭で応援団をつとめるため、 数日前から学校に出ていって練習をしてますが、 練習は午後からなので朝はゆっくり… あさってから始まる新学期、 遅刻せずに登校するなんて無理のような気がする… 校長室への呼び出しはそう遠くはないだろうなぁ…(-_-#) 夏休み中、子どもたちが朝ゆっくりなのをいいことに 私ものんびり朝を過ごしていたけど えらいこっちゃ~! また弁当作り再開!皆を起こして追い出して… 私も元に戻さなきゃ!
2006年08月30日
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24時間テレビ、 無事に終わりましたね。 朝から夫が録画しておいた落語を見たり、 大きな音で映画のDVD見たりで なかなか私はじっくり自分の見たい番組も見れませんでしたが、 夕食後はひとり寝室で アンガールズのゴールまで見届けようと… なのに、なぜか夫までくっついてきて… リビングではあなたが自分で選んだ番組を見ているから 私は場所を変えてひとりで感動を味わいたかったのに~(-_-;) 苦しい顔でゴールを目指す彼らを 見守りながら後ろから一緒に歩くスタッフの中に 昔の友人の姿を見つけました。 独身OL時代の仕事仲間Kさんの幼なじみのBeさん。 Kさんが会社をやめてBeさんと一時期便利屋をしていた頃、交流がありました。 ひょうきんで皆を楽しくさせてくれる人でした。 便利屋を解散後、 東京に出て仕事をしていると聞いていたのですが、 ある日、今は亡き逸見アナウンサーがお元気だった時です… 番組を見ていて、 「お疲れ様でした!」と逸見さんが周りのスタッフに声をかける場面まで映されていたのですが、 そのスタッフの中にBeさんがいてびっくりしました。 テレビ局で働いているんだなぁとそのとき知ったものの、 あれから10年以上経っているし、 今は別の仕事をされているかも…? ずっと交流もなく、どうされているのか分からないままだったのですが、 去年の暮れに、年賀状のやり取りを続けているKさんと何年かぶりに電話で話をしていた時、 「Beなぁ、元気やで。この前、丸山弁護士の後ろで走ってたわ」 と聞いたのです。 そこで、今もテレビ局で仕事されていることを知りました。 そんなことなど知りもしない去年は ボ~っと見ていただけのマラソン、 今回もまたその場にいるかも分からないけど、 じっとスタッフの面々を見ていたら、 いました!…多分彼に間違いない。 もう50歳になってるはずなんだけど、 しっかりとした足取りで走者の後方にいました。 最後、武道館にたどりついたときには 励ますように二人に声をかけ、拍手で建物の中へと送り出すのが見えました。 華やかな映像の陰には たくさんの裏方さんの努力があること… 改めて知らされたし、 一方的だけどBeさんにテレビ画面を通して再会出来てうれしかった。 お疲れ様! 常に時間に追われて大変だろうけど、 夢や希望を私たちに与えてくれる素晴らしいお仕事をされていますね。 くれぐれも身体を大切に!
2006年08月27日
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なかなかPCの前に座れなかったり携帯からだと疲れちゃうので…ようやく座れた24日に書いている21日の日記です。.。o○ .。o○ .。o○ .。o○ .。o○20日、仕事中に京都に住む小学生時代の友人Noriちゃんからメールが来た。「Naokoちゃんがお盆休みで帰省してて、 明日の夜、我が家でおしゃべりするんだけど、 つんつんも来ない?」「行く行く!」ふたつ返事でOKの返信。ちょうど仕事が休みだったので晩御飯の支度をしてから夕方京都に向かった。小学4年生の5月、とある田舎町から京都に転校してきた私に一番に声をかけてくれ、即一緒に遊びだしたのがこのNoriちゃんとNao。Noriちゃんは6年生の夏休みに自宅が火事になってしまい、お父さんが愛知県に赴任されていたこともあってそのまま愛知に転校していった。中学生になったNaoとは私が中3で神戸に転校していくまで仲良くしていた。Noriちゃんは短大を卒業後、建て直された元の土地に戻り、地元の幼稚園で先生として勤め、結婚後は1男1女をもうけ、滋賀県に住んでいたが、事情により家族4人で彼女の実家に移り住むこととなり今に至っている。一方、Naoは地元の高校を卒業し、ある企業で数年間働いた後、東京に出て行き、そこで知り合った人と結婚、今は川崎にご主人と長男・長女の4人暮らし。成人してからNoriちゃんが勤め先の幼稚園のチャペルで挙式するというので、参列させてもらったときに同じく参列していたNaoと久しぶりに会うことが出来た。彼女もまた数週間後に関東で結婚式を控え、それまでを実家で過ごしているところだった。それ以来Naoとは年賀状のやり取りだけで会ってはいなかった。その後の小学校の同窓会をきっかけに他の懐かしい皆と会う機会が増えたが、やはり遠く離れて住んでいては会うことは無理だ。こんな機会は滅多にないと楽しみに出かけていった。1月に亡くなったAちゃんもまた同じく行動をともにしていたこともあり、会えるときに会っておかないと二度と会えないかも…という危惧が私にもNoriちゃんにもある。それだけに3人そろっての再会は本当にうれしかった。Naoは昔と変わらずショートカットではつらつとした感じが残っていた。今はヘルパーとしてデイサービスの施設でお年寄りのお世話をしているそうだ。お邪魔したNoriちゃんのお宅ではクラブで疲れて帰ってきた彼女の娘さんと友達が一緒にご飯を食べていたが、高校1年生…私たちがこの子達の頃には携帯もパソコンもなく、私たちをつないでいたのは「手紙」や「電話」だった。あの頃メールのやり取りが今のように出来たらたとえば片思いの男の子に思い切って告白することも出来たかもしれない。人生変わってたかもね~なんて3人のおばちゃんは若い姿をまぶしそうに見つめてしまった。Noriちゃんのご両親にもお会いできた。昔の面影はそのままだ。Naoのご両親もご健在だそうで、「両親が元気でいてくれるから こうやって帰ってこれることに感謝だわ」と言う。そうだよね。母を早くに亡くした私には、こうやって友達のご両親がお元気に過ごされているのを見るのがなにより温かい気持ちにさせてくれる。この地は私にとって思春期を過ごした、大切な思い出の地だ。Noriちゃんの家のすぐ北側に私の住んでいた社宅があったが、今ではマンションに建てかえられてしまった。それでもこの地の持つ空気は変わらない。毎日学校に通った坂道をすっかりおばちゃんになった私たち3人が今歩いていることを何だか不思議に感じる。あの頃はこんな日がくるなんて思いもしなかったから…「みんな、健康で長生きしよなぁ~ おばあちゃんになっても会っておしゃべりせな…」と再会を約束して別れた。Naoは翌日、川崎に戻って行った。メールアドレスも教えてもらって、お互いの再会の喜びを改めて伝えることが出来た。亡くなったAちゃんも私たちの約束を喜んでくれているかな?彼女の分も、私たちは元気に過ごさねば…ね。
2006年08月21日
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昨夕、仕事から帰ってきたら荷物が届いていた。 奄美のおばあちゃんからだ。 奄美のおばあちゃんとは前出の弟嫁のMiさんのお母さん。 甥がまだ小さい頃、 Miさんは奄美の実家に帰省するとき、 「ミッキーちゃん、クッキーちゃんもおいでよ」と誘ってもらった。 クッキーはまだ母の私から離れてひとり知らない土地には行けなかったが、 ミッキーは喜んでついて行った。 毎日きれいな海で泳いだり いろいろな所に案内してもらったようだ。 後にズッキーもお世話になった。 以来、感謝の気持ちを込めて ギフトシーズンには京都など、関西の名物を贈らせてもらっている。 そして奄美のおばあちゃんからは手作りのサータアンダギーや 自宅で出来たポンカン、 時には木に成ったままのモンキーバナナなど、 珍しい南国の名産を送って下さる。 そして今回は写真のようなパッションジュースやゼリーなどを。 いつもお礼の電話を入れると Miさんそっくりの声で 「あら~お姉さん?みんなお元気ですか?」と出て下さる。 人柄のよさが声にも表れている。 やっぱりあのお母さんだからMiさんの人柄もいいのだなぁと つくづく思うのだった。
2006年08月21日
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私には義妹がふたりいる。 ひとりは夫の妹… 彼女はこの場で毎回「義妹」として登場する。 そして、もうひとりは弟嫁のMiさん。 もし、母が健在であったら Miさんとの関係はどうだっただろう? 私が実家に帰るたびに母に甘えている姿に ふるさとを遠く離れて嫁いできた彼女の目に 私はどう映っただろう? お盆で今週初めから夫の妹と子ども達が遊びに我が家にやってきて、 またまたそれを快く思わず無視状態の我が子達… なぜこうなったのか、 自分たちが原因だということに 気づいているのかいないのか…? でもお構いなしにずっと態度を変えない彼女たち。 今回、あることで 夫に対してメールで義母の態度に抗議することもあったが、 ずっと義母のやり方で育ってきた夫には私の苦しみも通じることはないと悟った。 結局、いつも通り階下のにぎやかな声にうんざりの日を送っていた最中、 先日体調を崩した私にMiさんが送ってきてくれたサプリメントを 続けて飲みたいから注文したいと連絡を入れたら 「登録の手続きさせてもらいたいから お姉さんのところに立ち寄らせてもらってもいい?」と返事が来た。 我が家に来てもらってもよかったのだが、 先客の夫の妹はともかく、 義母は自分のお客以外にはかなり素っ気ない。 たとえ私の実家の家族であってもだ。 その態度に腹を立てるのは目に見えているので 「駅前でランチでもしようよ」ということになった。 彼女はこれまで勤めてきた生保の営業は 数字に追われて精神的に参ってしまったのだそうだ。 かといって、身体に爆弾を抱えている夫(弟はC型肝炎キャリア)が いつかまた仕事をやめざるを得ない状況になったとき、 自分しか働き手はないし、 これから高校受験を控えている息子もいるのにどうしたらいいものか?と 追いつめられたときに今のビジネスに出会い、 今はこれで頑張ってるのと明るく話してくれた。 お互いの家族のことをたくさんしゃべった。 弟からグチを聞かされている、 父の奇妙な行動…Miさんが作ってくれたおかずがあるにもかかわらず、 冷蔵庫の中の残り物だけを食べたり、 気に入った缶詰ばかりをおかずにしたり、 年老いたせいか嗜好が偏ってきて、 それに対して注意しても知らん顔なのだ…そんな父が迷惑をかけていることを詫びもした。 夫の妹と2人きりでじっくりと話した事はない。 常に隣に義母がおり、 本音で語る事など到底無理だ。 母が健在だったら…こうやってMiさんと話が出来ただろうか? 祖母が健在のとき、 Miさんの息子と我が家のクッキーは生まれた日が1日違いということもあり、 折りにふれ、同じようにプレゼントをくれた。 それを見てきたMiさんもまた祖母がしてくれたように 我が子達をかわいがってくれる。 子どもたちも彼女を慕っている。 話がはずんで気がつくと ランチタイムはすでに終了。 私がお手洗いに立った間に彼女は支払いを済ませてくれていた。 姉の私が本来なら払わねばならないのに… おみやげにと持ってきてくれたケーキを持ち帰り、 「Tちゃん(甥)のおばちゃんからもらってきたよ」と言うと 「おばちゃんはいつも優しいなあ。下の誰かと違うわ」 先日夫の妹もケーキをおみやげに持ってきてくれたにもかかわらず、 ミッキーの反応は厳しい。 夫の妹一家は今日帰っていった。 明日から静かな朝に戻る… 毎朝6時前からにぎやかだったんだもん…
2006年08月19日
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もう…暑くてたまりませんわ…12・13日と仕事はお休みでしたが暑さでだる~いやら、眠~いやら…そろそろ義妹たちが帰省してきそうなので目に付くリビングや風呂場・洗面所くらいはすっきりさせたい…と思いはするものの、身体が動きませ~ん…(~_~;)ゴロゴロ~~~ああ…結局何も出来ず汚いままか…と思っているところへ職場の先輩から休みを代わってほしいと連絡があり、ラッキーにも昨日もまた休みになりました。そこへ、義妹から「明日から帰ります」メールが来たので、朝から気合を入れて(暑いからクーラー入れてでもやろうかと…)片付けにかかりました。背中が重くてお盆でどなたか乗っかってるのかしら~?(・_・;)な~んて思いながらY子ちゃんに教わった、荒塩を午前中の太陽に干したものを背中にパッパと振りかけて(湯船に入れてお風呂に入るといいよって聞いていたんだけど、 昼間なので…)身を清めるっていうのかな?気分的にもしゃきっとさせて少しずつ片付けていきました。おかげでリビングも台所もさっぱり。さて、今から仕事に行く用意をしなきゃ。ファイトだ!!
2006年08月15日
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昨日、他県に越していったY子ちゃんが次男君とともにお友達のU君宅に泊りがけで遊びに来た。私は仕事が休みの今日、U君宅にお邪魔して再会。Y子ちゃんの長男君がいる高校は春夏連続で甲子園出場となり、先日は甲子園に応援に来ていたのだが、残念ながら初戦突破ならず…2日間の休みをおいて、また練習が始まっているらしい。多感な成長期の小学校~中学校時代をこの地で過ごした彼ら…特に長男君は野球部の厳しい練習が続く中、ぽつんと休みが1日でも入ると母親のY子ちゃんに「洋服とかは要らないから 新幹線代を下さい」と言って、中学時代の仲良しの友達の所にやってくる。先日、街の大きな祭りのあった日に、ズッキーが「T君を見かけた」と言うので、Y子ちゃんに尋ねると、「そうなの。1日休みが出来てね、 前日練習が終わってからすぐに新幹線で移動して、 そっちに行ったのよ。 友達とずっと公園でおしゃべりして、 楽しかったみたいよ。 帰ってきてからは翌日の早朝練習に 文句も言わずに出かけて行ったわ。」次男のS君は引っ越し先の学校のレベルがかなり高く、塾通いを1日でも休むと「ついていけない」と言って、一生懸命勉強に励んでいるらしい。ちょうど塾が休みの間を利用して仲良しのU君宅に遊びに来たわけだが、S君が来ている…と次から次、仲良しの同級生がやってくる。一方、母親のY子ちゃんが来ていることで、ママ友も次々訪ねてくる。U君ママはいそいそと皆をもてなしてくださる。去年もそうだった。普段、近くに住んでいながら、母たちは仕事が忙しかったりでなかなか会えなくなってしまった。でも、Y子ちゃんのおかげで皆が一堂に会することが出来た。これはY子ちゃんの人柄。彼女の明るさに皆も笑顔になれる。私も彼女が引っ越してしまって本当に寂しいのだが、こうやってまた会えたことがとてもうれしい。名残は尽きなかったが、駅まで彼女たちを私が車で送っていくことが出来た。またの再会を楽しみにして。
2006年08月12日
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旅行から戻った翌日。3日間休みを取っておいて正解だった~洗濯物は山ほどあるし、朝ゆっくりめに起きて...な~んて言ってられない!クッキーが朝からクラブだから結局いつもより30分ほどだけ寝坊して洗濯機回して...いつもと同じ朝のドタバタやっと家事が片付く頃「映画行くぞ~!」また夫が突然言い出した...あ、そうか。夫は今週いっぱい夏休みでした。けど、わたしゃ明日からまた3日間連勤なんでちょっとゆっくりしたいんだけど...と、言いたいのを飲み込んで、何とか合わせることにいたしまして、「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見に行ってまいりました。前作は家でDVDを家事の合間に見たもんだからどんな内容だったか...????でも面白くて笑い転げながら見れたからよしとするか...見終わってからは本日15歳の誕生日のクッキーのために夕飯のおかずとケーキの買出し。帰宅して大急ぎで支度して...ああ...また休日の1日があっという間に終わってしまった。クッキーは昨夜以来、むすっとしたまま...気にしぃの私はこの子が何に対して怒っているのかとても気になるんだけど...難しいんだよなぁ...そして、今回もまた同じ屋根の下に住んでいる孫に「おめでとう」の言葉すらかけない人が...忘れられているんだろうか...?3人きょうだいの真ん中のクッキーは何かにつけ、昔から義母に忘れられていることが多い。ったく...心はすでにお盆に帰省してくる可愛い娘とその子どもたちに行ってしまっているんだろうなぁ...それでも、友達からのメールや直接家にプレゼントを持って訪ねてくれた友達に「ありがとう」と笑顔を見せるクッキーの姿にホッとする母なのであった。
2006年08月03日
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さて2日目は朝6時に起床して「朝風呂~」普段朝寝坊の娘たちなのに今朝は風呂に入る気満々!まだまだお子ちゃまズッキーは「めんどくさ...眠いし...」と部屋で留守番。朝日が昇るのを見ながら本当は昨晩の露天風呂に入りたかったけど混浴の時間だしなぁ...でも、大浴場の窓からも朝日の昇るのが見えました。朝風呂って気持ちいいね~さっぱりしたところで着替えて朝ご飯はこれまた昨夜と同じく向かいの空き部屋で家族だけでいただくことが出来ました。干物を焼きながら、ご飯、味噌汁、漬物、煮物、冷奴...旅館の定番メニューながらもひとり分ずつお膳に盛り付けてあるととってもおいしく感じられます。実際美味しかった♪腹ごなしに琴平駅までお散歩。地ビールや四国限定のお菓子など買ったりして...朝からギラギラ照りつける太陽。せっかく朝風呂に入ったのに、もう汗だくで...旅館に戻って再度お風呂に入り、身支度を整え、荷物を車に載せてから子どもたちは友達へのお土産を物色。普段、どこにも出かけないからこのときとばかりに「○○ちゃんと、☆☆ちゃんと...」「え~と...クラブの人数が...」相変わらず夫は「つまらん」といった顔で私たちの行動を見ていました。会社の同僚へのお土産も買わずに...何か寂しい人ね...今日はまず、ニュー・レオマワールドへ。山手に大きなテーマパークらしきものが見えてきて駐車場に車を止めてから先の長いこと...長~いエスカレーターを乗り継いでやっと入り口にたどりつき、目指すアニマルパークは一番奥!昨日の階段登りすぎで足が痛いので遊覧船に乗ってアニマルパーク入り口まで進み、さらにまためっちゃ長~いエスカレーター...もうここに来るまでですでに疲れてしまってそれぞれが不機嫌顔。それでもいろいろなワンちゃんに癒され...しかし、炎天下のコンクリートの上に設けられた犬小屋はかわいそうだったよ...中には扇風機をかけてもらっているワンコもいたけど、みんな小屋の中でぐったり...ペットとしてなら室内で飼われているチワワやダックスなどもみんなお外でかわいそうだったわ...ここで思い出すのが我が家のマロン。今回の旅に連れて行こうか迷ったのだけど、ワンコ連れOKの宿泊所はあるけど、外での食事のときや、見学場所によってはどうしても車で待たせなくてはならなくなるし、車での長旅でかなり疲れるだろうからと、いつもお世話になっている美容室がペットホテルもやっているので預けてきたの。人間は1泊2日だけど、美容室の営業時間の都合で、出発前夜から帰宅の翌日まで3泊4日で預かってもらうことにしたの。どうしているかなぁ~マロンは...で、ここはとにかくだだっ広くてひたすら暑い中を歩いて歩いて...動物たちも暑さでぐったりしてましたわ~ようやく元の場所に戻ってきたときにはもうみんな機嫌悪い顔...でも、朝ご飯をしっかり食べてきたおかげで、お昼をとっくに回っているのに、お腹はほとんど空きませんでした。夫は「今日はどこでうどん食べようか」って言いましたが、子どもたちは「もううどんは飽きた!」と別の物を食べたいというので、移動途中にあるサービスエリアの食堂に。「津田の松原SA」には夫の食べたいセルフのうどん屋さんもあり、子どもたちの食べたいカレーやラーメンもあってようやくみんなの顔に笑みが戻ってきました。この近くにイルカの飼育場があり、餌付けが出来るとネットで調べてやってきたのですが、最終の餌付けの時間があと10分に迫っていました。でも、間近でイルカを見てみたいし...と電話をかけてみると、あともう一回餌付けの時間があること。先にチケットを買っておかないと餌付けは出来ないことがわかり、まずはチケットを手に入れるべく飼育場に向かいました。人数制限があるらしく、あと3人餌付けが出来るとのことで、チケットを購入し、その時間までにもう1軒、四国しょうゆの老舗まで車を走らせ、市販のしょうゆと味比べをしながら3年物の濃いしょうゆと、ゆずポン、だししょうゆをゲット、大急ぎでまた先のところに戻り、餌付けまでの時間、イルカたちがゆっくり泳いでいるのをながめていました。ボールを鼻でつつきながら泳いでいる子、私たちが立っている浮きの下をわざとつついておどかす子、もう可愛いの何の!見ているだけで癒されました。時間によってはイルカと一緒に泳いだりも出来るそうです。餌付けも1回に5人しか出来ないらしく、私たちはラッキーだったみたい♪怖がりズッキーは「俺、餌やるの嫌や」と言うので、遠慮なく(笑)私がやることに。係りの人の言われるようにひざをついてイルカの頭をなでてあげると何だかとっても気持ちいい肌触り~餌のサバの切り身を見せると「ちょ~だい!」としぶきを吹きかけられたり...このときすでに夕方5時を過ぎており、そこから鳴門大橋を渡り、淡路島を北上...と、来た道を戻り、途中淡路島名物玉ねぎや鳴門金時を農家直売所で買い求め明石大橋を渡り...地元に戻ってきたので夕飯を食べて帰ろうと言うことになりましたが、ここでもまたあれが食べたい、これは嫌...のわがまま家族。結局ハンバーグレストランに入りましたが眠いし疲れてるし...のクッキーは「食べたくない。早く帰りたい!」とレストランで水だけしか飲まず...初めは嫌々ながらもメニューを見ていたのですが、夫がうっかりクッキーの注文を聞き逃したまま注文のコールボタンを押してしまったのですっかり機嫌が悪くなっちゃったのです...ああ~親父はやっぱり嫌われ者?最後に嫌~な気分で食事…まぁ、何はともあれ、無事に家に戻ってきたのですが、ドアの鍵を開けようとしたら...開かない!普段閉めないもうひとつの鍵までかけて義母は寝ていたのでした。(まだ9時なんですけど~)その鍵の開け方にちょっとコツがあるようで、なかなか開かなくてガチャガチャ...ドアをガタガタ...「これだけドアをガタガタさせてたら 普通起きてくるもんでしょ!」って思わず玄関先で怒鳴っちゃいましたよ。そのうち中から開けてくれたんだけど「ひとりは怖くてね~鍵全部閉めてたんよ」ったく!帰ってくるのがわかっているんだから、鍵くらい開けておくとか...してくれるはずがないわね...ええ、だから誰も「ただいま」も言わずに「ったく~」と荷物を2階に上げていくのでありました。まるで、アパートの2階の自分たちの部屋に引き上げていくように...まぁ、最後まで笑顔では過ごせませんでしたが、よい思い出が出来ました。…そういうことで~
2006年08月02日
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たった1泊2日の旅でこんなに前置き長くしてどないすんねん!けど、なんせ久しぶりなもんだから私もいろいろ考えてしまったわけで~さて、軽く「行ってきま~す♪」とさも近所に行くかのように目は外に向けながら家に残る人に声をかけ我が家を出発。名神に乗り、中国道から明石大橋を渡り淡路島へ。淡路島を縦断して大鳴門橋を渡って四国・徳島へ。高速船の「うずしお観潮船」に乗り、鳴門の渦潮のすぐ近くまで行きました。さっき渡ってきた大鳴門橋を下から見上げて…なかなか見られない光景。大潮の時間ではなかったので大きな渦は見られなかったけど所々小さな渦が見られました。洗濯機みたい~約30分程海の上をぐるぐる遊覧して「船」初体験のズッキー君は少々酔い気味…そのあと、大鳴門橋を歩いてわたる「渦の道」へと。入場券購入の際、チビのズッキーの分を小学生として買ったらまたまたふてくされてひとりテクテクさっさと歩いていったズッキー。頼むよ…こっちの懐も考えておくれ~さて、この「渦の道」は海上40数メートルの上を歩いて渡るのだけど、所々に透明のアクリルで真下が透けて見えるようになってるの。お尻がゾクゾク~~ってなるよ。でも、クッキーは「おもしろ~い!」とアクリル板の上に立って真下を覗き込んでました。下側のスニーカーがクッキー、上のミュールはミッキーです。真下に海が…橋の上は風が強くて涼しかったんだけど、地上はもう暑くてたまりませんでした。お昼は仕事でよく四国に出張する夫が「ここはほとんど地元の人しか食べに来ない」というさぬきうどんのお店に連れて行ってもらいました。田んぼの中の一軒家。看板も素人作りでしたが、駐車場には本当に地元ナンバーの車ばかり。タクシーの運転手さんや、工事現場で働いていそうなお兄ちゃんたちが次々と入っていきます。中はセルフで天ぷらやおにぎり、おでんなどもチョイスしてざるうどんや、ぶっかけうどんなど300円ほどでお腹がいっぱいになりました。それから一路目的地琴平温泉に向かい、旅館でうちわを借りて金毘羅参りに向かいました。数十段階段を登ったところから少し外れて「金丸座」の見学に。天保6年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋で、昭和60年から実際に歌舞伎が演じられるようになったとか。テレビで見たことがあるので興味があったのですが、人力でまわす回転舞台やせりなど本当に良く出来ています。歌舞伎は見たことがないけど、独身時代宝塚や劇団四季の舞台鑑賞が好きで、最近では同級生のNちゃんのお芝居を京都南座や大阪松竹座で見ているので、客席だけでなく実際に花道や舞台に立つことが出来て感激でしたよ。そしていよいよ金毘羅さんの階段を…さすが現役テニス部クッキーとバスケ部ズッキーは元気良く階段をさっさと登っていきます。「お~い!まだか~?と上のほうで2人が座って夫・ミッキー・私を待っています。暑いし、汗はダラダラ、登っても登っても階段は終わらなくて…一番奥までは1000段以上登らないといけないそうですが、その手前の700数段目にある本殿まで何とかたどり着きました。もう頭も身体も汗びっちょり!全員で「お風呂~~~」と裏参道の坂道を駆け下りました。旅館では部屋が浴場のすぐ隣とあって、着くなり即!入浴。夏休みとはいえ、一般の会社などはお盆に休みが多いためか旅館も空き部屋があったようで、泊まる部屋の向かい側の部屋で家族だけで食事を取ることが出来ました。おいしくてお腹もいっぱい!片付けなくてすむからうれしい♪この旅館には屋上に露天風呂があり、朝から夜7時までは混浴(女性には湯浴み着がありました)、夜7時から9時までが女性、それ以降が男性用になっていたので、娘たちと夜の露天風呂に入りに行きました。しばらくは私たちだけの貸切で、クッキーなどは「泳げる~♪」とはしゃいでましたし、ミッキーも「のんびり湯船につかるのなんか久しぶり」とお月様の下での入浴はとても快適でした。もう何年も娘たちとお風呂に一緒に入っていないので、いつの間にやら立派なお胸になったなぁ…と母はちょっぴりうらやましく思うのでありました。
2006年08月01日
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旅館に泊まるお出かけ…う~ん…この前に行ったのは今16歳のミッキーが小学校に入学する前だったっけ…(ーー;)当時住んでいた名古屋から春休みを利用して夫の実家(今住んでいる所)に帰省する際に伊勢に立ち寄って…以来なのである。いや、ホンマ。実に10年ぶり。その後キャンプに行ったりもしたのだが、平成10年にこの今の街に引っ越して、1年後に夫の実家を建て替え、義母との同居が始まって以来、何処にも泊りがけでなど出かけたことがなかった…っていうか、ローンの返済はともかく、一軒家になったと同時に課せられる固定資産税に閉口、月々の光熱費、水道代が今まで以上の金額…2階に台所・風呂があるので水道栓の口径が大きく基本料金が高い上、トイレも2ヶ所あり、居住人数も増えた。そして、マンション時代には不要だった下水料金まで払わねばならなくなった。とてもじゃないが、旅行に行きたいなんて気持ちにもなれなかった。夫は税金のために働いているのか?って思うくらい、ボーナスはほとんどが生活費に流れていく。夫の独身時代はバブルの頃だったので、義母は「お兄ちゃんはようけ(たくさん)稼いでいる」と思い込んでいたのだろうが、結婚して子ども3人も養うとなればそれなりにお金は出て行くし、不景気ゆえ昔とあまり変わらない給料で生活をしているのだ。義母は光熱費と称して毎月3万円ばかりを私に渡してくれてはいたが、(それでも少なく感じたが)固定資産税の請求時には全く知らん顔、娘一家(旦那抜き)が遊びに来ると毎日のようにどこかに出かけて行き、お土産をたくさん抱えて帰ってくる。我が家を拠点に旅行にも出かける。あるときは北海道、あるときは別府・湯布院…私たちにはそんな余裕もなく…なのに、仕事がなくなり、年金だけで生活しなくてはならなくなったからと義母が月々渡してくれるのはたった1万円と自分の食べる米代2千円だけになった。電気・水道使い放題、いつの間にか夕刊は自分だけのものと勝手に取り込んでしまい…その代金が1万円なのか…?そしてその3ヵ月後に盆休みを利用して帰省していた義妹と孫3人とともにTDLに出かけていったのだった。「お金がないねん」と言いながら差額2万円を3か月分貯めて、旅行費用に回した…と思われても仕方がないだろう。夫にはちゃんと話したから通じていると思ったのか、私たちにはっきりと行き先も告げず、「ちょっと出かけてきます」と。同じ屋根の下に住みながら「おばあちゃん」に甘えさせてもらったこともなく、お小遣いをもらったわけでもなく、ただ従妹達がやってくるたび、お出かけしてはブランド服メーカーの紙袋を抱えて帰ってくるのを「何で同じ孫の私たちには買ってもくれないのに…」と指をくわえて見ていた我が子達はこの義母・義妹一家のTDL旅行以来、完全に彼女たちを憎み、今に至っている。彼女たちのやりたい放題をとがめもせず、自分の母親のひどい行動を嫁の私に詫びることも子ども達に弁解も何もしないままにしてしまった夫。反抗期を迎えてしまった我が子達は夫に対して不信感を抱いてしまっているので今回の旅行についてきてくれるか危惧したのだが、何とか文句を言いながらもついてきてくれたことに少しホッとしたのである。
2006年08月01日
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