NEOうか日々

NEOうか日々

2011年03月25日
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カテゴリ: うかの日々
久々に。

なかなか更新できる状況になく、
そういう気分にもならず日だけが過ぎてゆく。

ご存知の通り、
3月11日。

人生を変える思いも寄らない東日本大震災が起こってから
早2週間。

苦しんで生活している人々が計り知れないほどいる中、心を痛める日々。



日記でもたびたび登場する、私の実家、釜石市も壊滅的な被害を受けました。




もれなく、



私の実家も、津波の被害ですっかり流されました。

それはもうすべて。
思い出も何もかも。

誰を恨むわけでもなく、一瞬にして家が無くなった事に対し、
何も言葉がありません。

まさに自然の脅威です。
なんともならないこの気分にもどかしさをおぼえます。



実家のある場所は、
釜石市の中でも沿岸北部に位置する鵜住居町というところ。
あの壊滅的状態となり、町長が助からなかった大槌町のすぐ下にあたります。



釜石に住んでいる親戚らから提供された写真を見て徐々に現実を知る日々です。




・・・地震当日。

私の実家に住んでいる両親は、その時家にいました。
隣り合う親戚宅、そのまた隣りのいとこ宅と、親戚が3軒並ぶ家々だったのだが、
私の母は、いとこ宅にて息子夫婦の5歳の長男を預かっていました。


息子夫婦をはじめ、母の兄夫婦は皆仕事のため、
子の長男や長女が病気になると、
私の母が面倒を見てあげるのが日課だったのです。

1人で自宅にいた父は、大きな地震の揺れに警戒し、
母といとこ宅の長男を呼び、車に乗り逃げました。


父が見た、地震の揺れの時の家の状態としてはタンスや本棚が倒れ
尋常ではないと感じたそうです。

それと共に、津波のおそれを感じた父は急いで母といとこ宅の長男を
連れ逃げました。

その後、避難場所に指定されていた少し高台にある老人施設の広場に
行ったものの、
しかしこの場所でも津波の被害に合う危険があり、
さらに高い所へと逃げたようです。

その途中で乗っていた車は空き地に置き、歩いて避難したそう。

ちょうど、震災が起こる1週間前に開通したばかりの
新三陸道(片岸~両石間)の道路によじ登り、
やっと身の安全を確保したとの事。

不幸中の幸いか、この新三陸道がなければ逃げる道は断たれ孤立状態に
なったはずで。

まさに着の身着のまま、身一つでとっさの判断がなければこうして
助からなかったはず。





こうして、私の両親は無事だった。




新三陸道までよじ登ってきたのは両親だけではなく、
同じく災害危機管理を普段から実践してきた、
私の母校の小学校中学校の生徒達も一緒だった。

まさに母と一緒にいた、いとこ宅の長男の父親がこの小学校の先生でもあり。

そして実家近くにある保育園には、いとこ宅の長男も通っているが
1歳の長女も通っていて、
この日保育園にいた長女も、保育園の先生らと共に無事逃げてこられたの
だった。



その後、新三陸道に着の身着のまま逃げてこられた人達は
三陸道を走っていた車たちにそれぞれ便乗して乗せてもらい、
釜石の街のほうにある避難所へとそれぞれ連れて行ってもらう事に。

初日の11日は、父と母はそれぞれ別々の避難場所の
旧釜石一中、旧大渡小へと。

それから翌日より避難所生活を送る中、
釜石市内でも津波の被害をぎりぎりまぬがれた親戚が避難所を
まわってくれたおかげで、
両親は親戚宅へと預かってもらう事になり。

さらにはその親戚は、電話回線も何も繋がらない中、
遠野市まで出向き道の駅の公衆電話から、盛岡の私の自宅へとわざわざ
安否確認の電話をもらう事に。

それが13日の事。

もちろん盛岡市内でも電気の復旧に時間がかかり不安な思いをしたものだが、
電気がやっと復旧した時に固定電話のほうに連絡をもらう事が出来、
あとから思えば本当にぎりぎりのところだったと。



そして、翌14日。

うちのパパ、1人で釜石まで車で行きました・・・。
両親を盛岡に連れてくるために。

道路状態などさすがに不安で送り出したが、
両親の安否確認は幸いにも出来ている状態だったため
もうこれは行くしかないという判断のもと。

・・・それから両親は無事、盛岡のこの家に連れて来る事が出来ました。

うちの貸家、それは狭いもののなんとか一緒に生活する日々を送っています。



TVなどで被害の状況映像がうつるたびに、段々と全容が分かってきましたが
やはりまだ信じられない思いでいっぱいです。

そしていまだ、いとこ宅や隣り宅の親戚は釜石で避難所生活を送っていますが
やっと連絡を取り合える状況になり、
盛岡で働いているいとこの妹は先日実際釜石に足を運んできました。

その際、
撮ってきてくれた実家と隣りの親戚宅の写真を送ってもらいましたが、


はっきり言って、意味が分かりません・・・。

というか、逆に笑うしかないほど無残な姿になっていました・・・。

1

写真手前が、我が実家です・・・。

はい、基礎しか残ってません・・・。

諦めるしかないのだけれど、
どんな思いでこれを見たらいいのかよく理解できません。


2

こちらは実家がある方向に向けて、線路から撮ったものです。


ちょうど真ん中の道が、
JR山田線で、鵜住居駅が遠くのほうにある様子です。
見て分かる通り、左端のほうに線路が落ちているような様が
見えるような感じです。

もちろん、この真ん中の線路の両端には所狭しと住宅が広がっていました。



確かにここには町があったのです・・・。



他にもたくさんたくさんこんな光景になっている事でしょう・・・。
あまりにも被害が大きすぎて、心が痛みます。

まだまだ先が見えません。
住む場所も無くなりました。

しかし強く心を持たなければ越えられる事ではありません。

まだ避難所で苦しい生活をしている人々を祈る事しか出来ませんが、
私はまず幸いにも家に連れてくる事が出来た両親の
出来るだけ力になれたらと思ってるところです。


大人4人、たいぽん1人、の生活・食事世話係です。笑。
結構これ頭悩ませ大変ですが(笑)、まずはこれらをこなす事が使命です・・・。


・・・そして来週30日には、
悲しくも津波で流されてしまった親戚の火葬があり、
私も両親と共に釜石へ足を踏み入れる予定でもいます。

この目で確かめ受け止めなくてはいけない日がやってきます。








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最終更新日  2011年03月25日 21時19分43秒
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