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「次の10項目を、結婚するときあなたにとって大切な順に並べ替えなさい。また、その理由も答えなさい。1.顔 2.収入 3.家柄 4.性格 5.スタイル 6.考え方 7.学歴 8.愛情 9.仕事 10.国籍」という問題を見かけました。あなたならどう答えますか?愛情が1番?「愛があれば何でもできる!」そう信じていますか?いやいや、やっぱりお金でしょ。何事も生活には変えられないから。だから、収入かな?いやー、男はやっぱり夢を追いかけなきゃ!仕事ですよ、シ・ゴ・ト!…ですか?冗談じゃない、顔でしょ。顔とスタイル。ブサイクはイヤ?!「愛情が大切」という人に限って、「恋多き人生」を歩んでいるような気がします。聞こえはいいですが、つまり、ひとりの人と最後まで寄り添って生きることができない、無責任な人生を選んでいるのではないでしょうか。結婚式のとき、「あなたはこの人を死ぬまで愛することを誓いますか?」と聞かれ、「はい」と答えておきながら、平気で次の年に離婚。「祝い金を返せ!」と言いたくなります。生まれてきた子どもをどちらが引き取るかでもめたり、慰謝料がどうのこうのと裁判になったり。「愛」とはそんなものなのでしょうか?「あのときは愛してると思っていたんだ」と言うなら、では今は愛していないと言うこと?でも、「愛」とは永遠のものを言うのでは?じゃあ、あなたのそれは「愛」ではなかったということ?それなら次に一緒になるその人との感情は「愛」?前とどこがどう違うか自分でわかってる?わかってないなら、次もまた同じことの繰り返しですよ!何をするにも選択肢の多い時代。「自分が本当に気に入るものを見つけることが大切」だと、そう教えられるし、みんなそう信じている。でも、本当にそうでしょうか?顔も知らない相手と結婚することが当たり前だった昔の方が、伴侶を愛している人がはるかに多かったのではないでしょうか。きっと、「この人のどこを愛せばいいのだろう」そんな悩みからのスタートだったに違いありません。どうにかしてそばにいるこの人を愛さなければ、自分が惨めになってしまう、そう思っていたのかもしれません。それでも離婚もせず、最後まで共に生き、死んでいった人たちが、私たちのこの国を、日本の文化を作り上げてきたのです。「他人を大切にしましょう」と声高に言う割には、いじめを含め、もっと根本的な家族の問題である、「離婚」が後を絶ちません。身の回りで、毎年のように「離婚」の話を聞きます。子ども達の通う学校でも、「あの子の名前が変わるらしい」という話を何度も聞きます。簡単に「離婚」してしまう世の中で、「いじめ」を無くすのは不可能です。一番身近な「夫婦」が簡単に別れてしまうような、そんな希薄な人間関係しか生まれないような社会で、いじめが無くなるはずがありません。「学校は何をしているんだ?」と言う前に、社会全体の風潮をもう一度見直さなくてはなりません。学校はその影響を受けているだけなのだから。「バツイチ」を恥ずかしげもなく語れる世の中はおかしい。何でも自由に選べる世の中が、気持ちや行動の選択にも影響している。顔も知らない相手を、いかにして愛するか?そんな不自由さから、本当の愛は生まれる。ちなみに私は性格、考え方、愛情、収入、仕事、顔、スタイル、学歴、家柄、国籍の順。考えようによっては、性格、考え方、収入、仕事、顔、スタイル、学歴、家柄、国籍、愛情の順。愛情は、一番信用できない。なぜなら、50年経たないとわからないものだから。だから、「愛してるから結婚します」なんて言う人を、信じてはいけない。50年後、死の間際で、「ああ、私はこの人を愛していたんだ」と気づいたとき、それが本当の「愛」だと私は思います。それまで大切に育てていくのは「愛の芽」。でも、実は私にとって最も大切なものは、この10項目の中にはありません。それは……
2006年12月17日
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人は、自分が生まれた意味を探しながら生きている。…かく言う私もそうである。自分の存在価値を見いだせないとき、人はもがき苦しむ。…かく言う私もそうである。自分は何のために生まれてきたのか何をするためにこの世に生を受けたのか逆境にあれば、なおさらそう思う。自分ははたして必要な人間なのか?自分がいなくても別にいいんじゃないのか?いや、むしろいない方がいいんじゃないのか?その思いは何層にも重なり、どんどん重く、自分の意識にのしかかってくるようになる。それは心だけでなく、体をも蝕む。私の人生の中で、そんなことが何度もあった。死ということについて深く考えるようになったのも、その頃だった。健常な私でさえそうなのだから、深く厳しい逆境の中にある人たちの心は思いはかることができない。障害を持つ人や、いじめや虐待に苦しむ子ども、大きくなりすぎてしまった社会とその責任の狭間から逃れられなくなった大人、将来への希望を見いだせない老人や重い病に苦しむ人たち…。大きな夢がある…大切なことだ。世の中を変えるような使命がある…すばらしいことだ。そんな人は、それを成し遂げれば良い。でも、それは私がすべきことではないことに、気づいた。私にとっての生きる意味は、家族。私は妻と生き、娘たちと生きるために、この世に生まれたのだと、つくづく感じるようになった。変哲のない、ただの父親になることが、私が世に送り出された、最高の使命なのだと、実感する今日この頃だ。これ以上の幸せは、他にない。社会の中で戦うことに疲れたら、学校の中で戦うことに本当に疲れたら、人生をやめる前に、社会や学校を捨ててしまえばいい。今のこの社会や学校が本当に正しいなんて、誰も思っていないのだから。私がもし極限の逆境に陥ったときは、家族と一緒に、別の幸せを探しにいこうと思う。それが私ではなく、妻や娘たちでも同じだ。まちがっても自分から命を絶つことはしない。ただ、限界までは頑張り続ける。環境に適応していくことはどんな場所においても大切なことだから。逆境を乗り越える強さは誰にでも必要なことだから。きっと家族が支えてくれる。私も妻や娘たちを支えたいと思う。私がただの父親という大きな役割を果たせるよう、私は努力したいと思う。人生の意味とは、誰にとっても、すぐ近くにあるものなのかもしれない。だから、逆境の中で希望を失いそうになったときは、すぐ近くを見るといいかもしれない。そんなふうに思う今日この頃である。
2006年12月04日
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